2026年08月の記事一覧

聖徳学園高校和太鼓部が本部施設に来て頂ける事になりました

午前中は本部施設の仕事をバタバタと終えて、14時から和合の施設でキャノンとの打ち合わせが入っていたので移動する為に車に乗る為に駐車場に向かっている時に、携帯に登録していない番号から連絡がきたので取らずにいたのですが、留守電に入っていたので確認すると、以前に聖徳学園高校和太鼓部に本部施設の秋祭り〈10月4日〉のイベントの開会式典前のアトラクションの依頼をしていた顧問の先生からの連絡だったので、慌てて折り返しの連絡をしました。

聖徳学園高校和太鼓部とのご縁は、7月に開催した東海北陸ブロック研修岐阜大会の開会式典前のアトラクションで素晴らしいパフォーマンスをして頂いただき、大会の責任者としてお礼の挨拶をさせて頂いた時に「機会があればお誘い下さい。」と言って頂いていたことに対して、素直に受け止めての行動でした。但し、1事業所のしかも関ヶ原と言う遠い所での依頼なので「断られて元々」位のつもりでお願いしたのですが、「日程調整が出来たので、喜んで行かせて頂きます。」との返事を頂いたので「ダメもとで頼んだのですが、本当に来て頂ける事に感謝」と言う気持ちでいます。

東海北陸ブロック研修岐阜大会の時には700人の聴衆の前で堂々と、しかも溌溂と演技をして頂けて参加された方々が一堂に「心に沁みる演奏だった」と思って頂けたものを、関ヶ原の地でもして頂ける事に私自身はその瞬間からワクワクしています。結果はともかくとして、1%でも可能性があるのであれば打診してみると言う事の大切さを改めて感じた次第です。何事もアクションを起こさなければ何も起きない。何かが出来た事によって入居者さんが喜んで貰えたり、地域の方々が喜んで頂けたら、私自身も嬉しいのでこれからも色んなアクションをを起こしていきたいです。

今コラムをパソコンで打ちながら私が教員時代に流行った水谷豊さん主演の『熱中時代』の歌が浮かんできました『僕の先生は フィバー』・・・。お後が宜しいようで。

一歩も二歩も前向きに進むのと後ろ向きの生き方には大きな違いがあると言う事に改めて気が付きました。

昨日のカラオケのコラム記事でも書きましたが『前向きだから活路が開ける』と言う事が私に人生の中で沢山あったと思います。

小さい頃の私は学校の先生の質問に対して答えが分かっている時も「当てられて上手く答えられなかったら嫌だから、手を挙げないでおこう」と行動したり、逆に答えが分かっていないのに「みんなが手を挙げているので、取り合えず手を挙げよう」と手を挙げながらも「もし先生に当てられたらどうしよう」とドキドキしている事があったりしていたことが、今でも鮮烈な記憶にあります。昨日の歌の事にしても、堂々と歌えば良いものを自信なく歌ってしまうので、春子さんから「宏は音痴だった」と言われていたのだと思っています。

今の私は今の仕事が『天職』だと思っているし、高野山前官大僧正の静慈圓師に『お不動さんが背中にいらっしゃるので大丈夫』と言われているので、何事にも積極的に出来る生き方になっています。いろんな方から「若山会長は多くの火中の栗を拾われていますよね」とか「若山会長は全く持ってプラス思考で羨ましい」などと言われますが、私にしてみたら「好き好んで火中の栗を拾っているのでは無くて、人の役に立つからとか組織の為に頑張らなければとか、地域の為に頑張らなければ」との思いで頑張っているつもりです。中学生までの生き様が決して良くなかったので、その反動の60年だったのかと思っています。

私は良く「生後半年目に心臓が何分かが止まり、その後の人生はお釣りの人生だから頑張れる」等とも言っていますが、とにかく『生かされているのであれば全力で』との思いでの今ですが、生母秋江さんにしてみたら「宏は生きているだけで良いから、頑張って生かしてあげて下さい」との母秋江さんの思いが今に通じているとしたら、母秋江は今天国でどんな思いで私を見守っていてくれているのかと、一度聞いてみたい衝動もあります。とにかくこれからも前向きに頑張って行きますので、リピーターの皆さんも私の展開を見守っていて下さい。

お腹から声を出すと言う事

お腹から声を出すと言う事

 

随分前の話しなのですが関ケ原町ふれあいセンターでのイベントがあった時に、岐阜市を拠点にして活躍されているプロの歌手で砂田おさむさん(クラウン所属)と一緒に歌うと言う無謀な計画がなされました。その時に事前の打ち合わせで「2音階旋律を下げたもので歌いたい」と砂田さんに言うと「カラオケで作りますが、理事長ならお腹に力を入れたら歌えますよ」と言われた時に、「そんなものか」と思って、その時にも砂田さんが準備して頂いたものでは無くて、砂田さんがCDで販売されているもので大勢の方の前で歌わせて貰ったのですが、砂田さんが言われる様にお腹に力を入れて歌ったら上手く出来たのでそれ以降は自信を持って歌える様になりました。

以前にこのコラムで書きましたが私の唯一の姉春子さんから「宏は小さい頃歌も歌えないし音痴だった」と言われていたのですが今では堂々と大きな声で歌えますし、本日の地元の高木さんとのジョイントカラオケの時に『そして、神戸』のイントロが流れた時に「今の前川清さんより上手だったら拍手を下さい。」と言って気持ちよく歌えましたし、最後の曲で北島三郎さんの『薩摩の女』のイントロが流れて来たときも「今の北島三郎さんより上手だったら大きな拍手を下さい」と言って、これまた気持ちよく歌えました。小さい頃の私は「みんなの前で歌って下手だったらどうしよう」等と思ってしまってドンドン声が小さくなり音程もおかしくなってしまったのだと思います。

この様な生き方になったのは50歳の時に全国老施協の役員になり、その当時の中村博彦会長から『遠慮は三流』と言われてから「遠慮するより自分らしく頑張る事が肝要」と思える様になった事と、社会福祉法人杉和会が順調な展開になって来た事による相乗効果があったからだとも思っています。とにかく自信を持った展開により自分に責任を持てる様になってきたことが大きいと思っています。但し『自惚れ』は行けないので『地に足のついた』生き方をしていきたいと思っていますのでこれからもリピーターの皆さん私の生き方にも注視して頂けると有難いです。

徳洲会病院の素晴らしい対応に感謝

私が大垣市和合地区の施設長に就任して3年の月日が経過しました。就任直後の施設の現状は「とにかく病院への受診の多い施設だ」との印象が強くあり、「病院対応が多いと言う事は施設内の職員が手薄になってしまい業務が硬直化してしまう」との危機感を持ちました。

そんな中で根気よく職員に対してコミュニケーションを取りながら『優・悠・邑』(すべてにやさしく・いつまでもゆとりある・やすらぎのばしょでありたい)の法人理念の中で『今日一日楽しかったよ』と入居者さんに言って頂ける事によって職員のモチベーションが上がる様にしていきたい。と思いから最初に実施したのは「どうしても受診しなければいけない時に家族の協力も得ての対応にしていく」と言う事で第三者委員会委員の方に意見を聞くと「基本的に病院に行くときは家族が連れて行くのが基本ではないのか」との言質を頂き、家族の理解を得る事に注力しました。根気よく家族の方にもお話をして受診用の車が無い方については介護タクシーの利用のご理解も得る様にしました。勿論、緊急時にはその様な事は言っていられないのですが定期受診での協力を得られた事によって職員への負担もかなり減ったと思っています。

そんな状況の中、大垣市内にある徳洲会病院からの提案で「職員が添乗や付き添いをしなくても病院が所有している救急車で迎え行くサービスを24時間で実施します。」との事で特に職員の人数が少ない夜間には本当に助かる」と考えていたのですが、本日緊急でいくまでも無い方の送迎を始めて依頼したところ初めての事で若干の連携の不足はありましたが救急車と共に3人の方が来て頂けて病院への搬送をして頂けました。施設における医療連携の重要性が言われている昨今の事、素晴らしい取り組みだと思っています。徳洲会グループの理念の基には『地域との共生』があり、正に真骨頂だと思っています。地域のニーズに寄り添える病院だと確信した次第です。

和合への行き帰りの運転中に感じた事

令和8年8月21日

朝向かう時にも帰りに本部施設に向かう時にも思った事なのですが車間距離をしっかりとってゆったりとした運転をしていると中央側の道路から「さっ」と入り込んでくる車があります。その様な事をする車は殆どが軽自動車なのであります。

確かに軽自動車は小回りが利くので「ささっと」入り込む事が出来るのかも知れませんが「もしも接触した時には軽自動車の衝撃は凄い事が理解出来ているのかな」と思っています。「だって軽自動車のドアの鉄板はめっちゃ薄いですから」と言う事です。私の前に入った車はその後信号で私と同じタイミングで停まっていたので「危険を承知で無理やり前に入る意味があるのか」と思ってしまいます。でもね、リピーターの皆さん実は私も若い頃は同じように走っていたようなそうで無いような・・・。

私は児童養護施設の指導員時代に2度大きな事故をしています。

一度目は長良川の右岸道路を南下している時に夜釣りをしての帰りの明らかに居眠り運転の車がぶつかってきた文字通り『正面衝突』で二度目は一度目の事故で新車にして1000㌔も運転していない時に児童養護施設で子どもの勉強をおえての23時過ぎに夜は点滅信号で私の方が黄色の点滅で相手が赤の点滅で相手側の道路の脇はビニールハウスで全く車が見えない状態で相手側がノーブレーキで信号に入って来て相手の車に気が付いた時には何ともならなくて信号内を270度スピンして止まったのですがスピンしている時には『南無大師遍照金剛』を唱えながら「信号機にだけはぶつからない様に」と祈っていたことを今でも覚えています。

そんな大きな事故を経験しているので安全運転には気を付けているのですがいくら自分は気を付けていても相手があるので何ともならない事が無いことを祈るばかりです。

そう言えば、垂井の交差点の信号を通る時に一番先頭の右折レーンとギリギリの所に自転車がいて「危ない」と思ったトラックがけたたましくクラクションを鳴らされたので自転車は少しバックされたのですが私にとっては自転車の行為は「考えられない」ものと思いましたがそう言えばベトナムに行った時に交差点の先頭の所にズラッとバイクが並んでいたのを思い出しながらも「ここはベトナムでは無くて日本だぞ」と思った次第です。そう言えは来月9月から交通ルールが変わりセンターラインが無い道路の制限時速は『30㌔』になるとのことです。お互いに気を付けたいものです。

昨日の午後からの対応

15時から新生病院で医療連携の会議があり、昼食のカレーライスを急いで食べてから、午後からの時間は夜までのスケジュールが目一杯なので「この隙間時間にコラムをかかないとコラムの継続は難しいから集中してコラムを書こう」と言う事で何とかコラムの原稿を書いて新生病院へ14時30分に間に合い院長先生や事務長さんとの打ち合わせが出来ました。

『医療連携』については人口が減少して、働き手が減少していく中でも要介護者は増えていく『2040年問題』に対して医療と介護の連携について今まで以上に密にしていかなければいけない問題についての話し合いが行われました。

20人くらいの参加だと思っていたのですが、問題意識を持っている事業所が多かった為に予定の倍以上の参加がありました。

私は静慈圓前官大僧正が16時30分には本部施設にみえる予定だったので今回の研修を企画した理由を挨拶の中でさせて頂き、院長先生からの講義の後は退席させて頂き、本部施設に急ぎました。

結果的には17時過ぎにおみえになりましたが、静前官大僧正をお待たせするわけにはいかなかったので、「間に合って良かった」と思っています。

(少し時間が出来たのでコラムの見直しが出来ました。)

静慈圓師をお乗せした車は西川副部長の運転で玄関先で車から降りられる時に80歳を優に超えられているにも関わらずお元気そうで「流石に合気道の達人で高野山の高僧としての威厳があるな」と思ったしだいです。

静慈圓師を囲んで9名での話が行われて、引き続き仏間に移動して静慈圓前官大僧正の導師の下でお経を唱えさせて頂き、終了後はステンドグラス入りの仏壇の説明を滋賀信行会の内藤会長にして頂いた後は懇親会場である関ケ原駅前の『末廣』に移動して(末廣で2名合流されて11名)3時間たっぷりお話と食事とお酒を楽しみました。

会の途中で隣の部屋にみえた大垣市長と関ケ原町長が挨拶に来て下さったのは想定外のサプライズでした。

1年に一度8月20日と決めて来て頂けるのは本当に有難いし(『法印』を勤められた年以外には毎年来て頂いています。)感謝しています。

来年もお会いできるのを楽しみにしています。

静慈圓前官大僧正が来て頂く日なのですが

午前中に東海北陸ブロック会長会議が熊本地震対応の為に緊急での召集をブロック会長として開催させて頂くのですが、基本的にはズーム会議なのですが私は開催責任者として円滑な進行をする為に岐阜県老施協事務局がある岐阜県福祉会館に10時からの開催に合わせて9時30分に会館に着き岐阜県老施協に事務局長との打ち合わせをして10時からの開催で順次ズームに入って下さった方にご挨拶をして、緊急招集であったにも関わらず有難い事に副会長の代理出席も含んでではありますが10時には全員が入室して頂けて会長である私の進行で会議を始めました。

私から緊急開催への理解を含めて話をさせて頂き、それに引き続き全国老施協の里中事務局長さんから、「どうしてこの様に早い時期から東海北陸ブロックに要請があったのか」についての説明をして頂き私の方から「事情は理解出来たのでとにかく6県1市の考え方を取りまとめたいので忌憚のない意見をお願いします」と話をして名古屋市の尾関会長から順次話をして頂きました。

それぞれの意見は災害派遣に前向きな意見ばかりだったので、具体的な話を詰めていき、「取り敢えず9月から派遣が可能な日程調整を岐阜県老施協事務局でする事と日程調整が出来たらより具体的な内容を全国老施協事務局とで行う」との事を決めさせて貰いました。

石川県能登沖地震の経験を生かして『互助の精神』で頑張って行く事をまとめの段階で話をしてズーム会議を閉じました。

色んな意見が出たので1時間の予定が1時間40分もかかったので、とにかく本部施設に行き急ぎ昼食をとると共に15時から新生病院で医療連携の会議があり、この会議の提案をした責任もあり14時30分には新生病院に行かなければと言う事でこれまたコラムを急いで書いています。

この後の医療連携の会議と静慈圓前官大僧正との出来事については明日に譲るとして本日のコラムはクリアと言う事で。

 

明日、高野山前官大僧正の静慈圓師が本部施設に来て頂きます

令和8年8月19日

2004年に本部施設新館の建設計画を進めている時に「祈りのものが欲しい」と言う事で高校2年生の時からご縁を頂いている滋賀信行会の内藤会長に相談した結果「高野山の高僧で中国の書家で王義之と並び称されている、静慈圓師に各ユニットに書を書いて貰ったらどうか」との提案をして貰い「そんな凄い方が書いて下さるのか」と言うと「内藤会長が何とかしますから」と言われて、

「4ユニットに書を書いて貰うのであればそれぞれにテーマを決めなければいけない」と言う事で「『起承転結』を文字って『喜』『笑』『天』『結』にしよう」と言う事でそれぞれの文字にあった梵字を書いて貰おう」と改めてお願いをして、2004年の3月に完成しての8月20日に静慈圓師が滋賀信行会の施餓鬼に見えるのに合わせて本部施設に来て頂き仏間でお参りをして頂くと共にその日の夜には懇親会を行って以降22年の月日が経過して静慈圓師が『法印』として高野山から1年間は離れる事が出来なかった年以外はコロナの真っただ中であっても必ず8月20日と決めて本部施設でのお参りと共に関ヶ原駅前の料亭『末廣』での懇親会も実施していて、今年も正に明日がその日なのであります。

22年の中では「せっかくの機会だから」と言う事で遠くは鹿児島県や栃木県から参加して貰った事もありますし、日頃お世話になっている方を招待した事もあります。今年も静慈圓師も含めて総勢11名での懇親会を実施します。

「22年」と一言で片づける事が出来ないくらいに大変な事なのですが今は『前官大僧正』となられても気さくに来て頂ける事に感謝すると共にお互いに健康であったからこその再開だと思うと『感謝』でしかありませんが、明日はまたどんなワイルドなお話を聞けるのか楽しみです。参加される方々も同じ気持ちだと思っています。

許せる範囲が多くなりました

許せる範囲が多くなりました

 

我が家の家には2匹の猫がいますが、9㌔近く体重がある『まる』は食べ終わった瞬間に寝てしまい時には豪快にいびきをかいているある意味全く無害の猫なのですが、もう1匹の5㌔の体重の猫『おもち』は私を天敵の様に思っているようで、私の車が車庫に入った段階で2階に敵前逃亡をするようで、私が近くに行っただけで牙を剥きながら「シャー」と威嚇するばかりでした。奥様に「どうしてその度に威嚇するの」と聞いた時に「牙を剥いた時にはしらないふりして通り過ぎたら良いのです。」と言われていても「餌代は私が稼いだお金から出ているので私がご主人様なのに」と思っていたのですが、最近は牙を剥かれても『忍忍』での対応をしていたためか牙を剥くことが少なくなったのと私が傍を通っても逃げる事が無くなってきて、私も甘いところがあるので私に向かって「ニャー」と鳴いたりすると愛おしくなっている自分がいる事に驚きを覚えています。但し、昨夜の事なのですが「ニャー」と可愛く鳴いたので1歩踏み込んだ途端に「シャー」と威嚇して来たので私は思わず「お前は阿保か」と言いながらも「かなり可愛い存在になってきたので『ま、良いか』」と思った次第です。

まだまだ、可愛いばかりの存在ではありませんが段々と可愛い存在になりつつあるのでもう少し『忍忍』をして癒しをしてくれる猫になる様にしたいと考えています。でも、飼い主よりも上位の様な存在でいる我が家の猫にいつまで我慢が出来るのかは分かりませんが一緒に遊ぶことが出来るようになったら楽しいと思うのでもう少し頑張ってみる事にします。

昨夜、BS放送の歌番組を見ていて

最近好んで歌っている前川清さんの『そして、神戸』を聞いていて自惚れの様な事を思ってしまった事について書きます。

「正直、私の方が声が伸びていて上手いのではないか。」と思ったのです。

そこで前川清さんの生年月日を朝になってスマホで検索すると1948年8月19日生まれなので明後日で満78歳になられるので私より5歳年上と言う事です。

1969年に内山田洋とクールファイブのヴォーカルとして『長崎は今日も雨だった』でデビュー。その年の日本レコード大賞新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも出場を果たし、その後『そして、神戸』『中の島ブルース』『東京砂漠』などが大ヒットしたとの経歴も理解しました。

プロの歌手ですから常にボイストレーニングをされてみえるだろうし、経験を重ねていく中でテクニックが向上しても、あの程度の歌い方には納得いきません。

でも、ひょっとすると私も5年後には声が出にくくなるのかな。いやいや私は昨日は和合の施設で3か所、本部施設で4か所のお参りで「天まで届け」とばかりにお経を唱えさせて貰っても一切声が枯れる事もなく(但し、水分は補給しましただ)お勤めが出来たので間違ってもその様な事は無いと確信しています。

プロの歌手でがっかりしたのは今回で2度目です。1度目は黛ジュンさんの声量ある歌い方が大好きだったのですが、何年か前に久しぶりにテレビに出て歌われている姿に極端な言い方をしたら「痛々しくて耳を塞ぎたい」と思って以来です。

私はこれからも精一杯声を張り上げてお経を唱え、入居者さんが望んで頂ける限りカラオケを歌い続けていきたいと考えています。

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