2026年08月の記事一覧

かつて私は自分の声が嫌いでした

「いきなり何の話や」とリピーターの皆さんの中で思われた方があったかも知れません。

実は私は小学生の頃までは生きるだけでも青息吐息だったので、大きな声を出すなどと言うことは『とんでもない』と言う状態で、父進さんもどちらかと言うと『ぼそぼそ』と話す事が多かったので「お父ちゃんと同じでいややなあ」と思っていました。

と言うより、中学校を卒業するまでの私は『ひ弱い自分を演じていた』のだと思います。

何故なら保育所から中学校を卒業するまでは1学年1クラスしかない規模だったので、小さい時のイメージを払拭出来なかったのだと思います。

高校は大垣日大高校と言ういわゆる『マンモス校』で1学年が11クラス(全校生徒2000人)もあったので、私の中学時代を知っている同級生が同じクラスの中にはいなくて『小さい頃の呪縛』から解放され横着もし放題で、尚且つ高校2年の4月7日に母親代わりの長女光子さんが急逝したので文字通り『凧の糸』が切れた状態になってからは『大きな声が当たり前の世界』になってしまいました。

と言う事で、昨日の午後からのデイサービスでの『盆供養』の時の話をします。

お参りは13時30分からの予定だったのですが、13時からのお客様が12時50分には見えたのですが、込み入った話だったのでお客様が13時40分に帰られるのを見送ってデイサービスに急いで行くと利用者さんは仏間に座られている方とフロアに座ってみえる方が見えたので「遅くなりました」と元気よくご挨拶をしてから「お盆のお参りをします」と言って仏壇の前に座って『正信偈』と『般若心経』を私が導師を勤めて行いました。

お経を終えてから少しお盆らしい話をさせて貰うと、伊藤課長がコップに入れた氷水を持ってきてくれながら「カラオケをお願いできますか」と声を掛けてくれたので「喜んで」と言って一曲目は吉幾三さんの『酒よ』を歌い一杯拍手を頂いたので「2曲目を歌わせて貰います。」と言うと「待っていました」の声が聞こえたので「ここは力を入れて歌わねば」と言う事で八代亜紀さんの『舟唄』を選曲して「女性の歌手を歌います。八代亜紀さんの舟唄を聞いて下さい。」と言って歌いました。

自分でも「良く声が出ているな」と気持ちよく歌わせて貰ったのですが歌い終わると利用者さんの方から「理事長さんの声は素敵」と声を掛けられて「デイサービスの利用者は上手に乗せるな」と思い、本当はもう1曲歌いたかったのですが、新館の入居者さんをあまりお待たせするのもいけないと言うことで後ろ髪を引かれる思いもありましたが新館に急ぎました。

勿論、新館でもお経と共にカラオケもしっかり歌いました。

本日は本部施設の『盆供養』のお参りなのですが

9時30分から午前中に本館1階と2階のお参りをさせて頂きました。

1階でのお参りが終わった後にも2階のお参りが終わった後には『講話』の様に入居者さんの前でお話をさせて頂いたのですが、同じような話をしたのですが2回での話の時には父進と母秋江の話をしていて特に父進の話の中で「母秋江は私が13歳の時に他界して父進は寂しさを紛らわす為に土曜日の夜には晩酌をしていて『一人で飲むのは味気ない』と言って私にもおちょこに2杯ほど飲むのを付き合わされた事を思いだしました。」

等々の話を終えると準備良くカラオケの準備が出来ていたので「お酒の話しもあったので、吉幾三さんの『酒よ』を歌います。」と言って歌わせて貰ったのですが、歌を歌いながら父進の事を思いだしていて感情移入が凄まじくて思わず涙が溢れそうになりました。

そんな状態の中での2曲目は砂田おさむさんの『人生夢の途中駅』を選曲したのは父進さんと母秋江さんに「今はこんなに頑張っていますよ」との思いを持って歌いたいとの選曲だったと思います。

歌を歌いながら父進さんと母秋江さんの事を思いながら歌っていると、またまた涙は溢れそうになりました。

お盆と言うのは「先祖を敬う事」と私は考えているので、歌を歌いながら「素敵は会話が出来た」と思った次第です。

午後にはデイサービスと新館の皆さんとのお参りを実施するのですが、この時間においても素敵な会話が出来たら良いなと思っています。

お盆行事を明日、明後日で実施します

本部施設及び和合の施設においてのお参りについては基本的に私が導師の役割を担っています。(但し年に1回行っている『供養祭』については当法人の監事をして頂いている法忍寺住職の皆田さんに来て頂いています。)

そこで今年からお盆供養のお参りを本部施設が明日で和合の施設が明後日実施する予定でいます。

本部施設の明日は午前に2か所、午後に2か所の計4か所において行い、明後日の和合の施設は3フロアでそれぞれ実施するので3か所で実施します。合計7か所で実施するのですが、『盆供養』の導師が私で良いのかどうかは別にして「誰よりも大きな声で唱えるし入居者さんの中には正信偈の経本も見ずに大きな声で唱えられる方もあるのでご先祖様にもしっかり届くはずだ」との思いで明日、明後日のお参りを頑張ろうと思っています。

当法人の考え方の中に「日本の伝統的行事は出来るだけ実施していきたい。」との思いがあり、元旦にはお屠蘇の振舞いと獅子舞が各フロアに参戦します。

毎月の様にイベントを実施して年末である12月は『クリスマス会』及び『お餅突き』です。

勿論毎月実施しているバイキングは季節感のあるものを提供しています。ちなみに今月のバイキングは『鮎の塩焼きと鮎の甘露煮』がメインです。『お盆供養』の取り組みは今年からの企画(昨年までは細々としておりました)なのでお参りに何を付加するかは当日の職員の頑張り次第ですが来年からは、より密度の濃い企画にしていきたいと考えています。

職員がワクワクして入居者さんをよりワクワクして頂ける様にしていきたいと考えています。

当面は9月に実施する『敬老月間』の計画・実施の為に頑張って行きたいと思っています。

昨日家の片付けをしていて

大谷徹奘師の『よっぽどの縁ですね』の本に改めて出合いました。

そこで改めて大谷徹奘師の事をインターネットで情報を検索してみました。

その中で私が大谷徹奘師に出会ったのは2017年6月過ぎだと言う事が分かりました。

と言う事は10年近く前の出会いだったと言う事で、その頃の大谷徹奘師の肩書は『薬師寺副執事長』と言う事だったのですが、大谷徹奘師の経歴を見ると、副執事長の時代は2017年6月から2019年7月までで2019年8月からは執事長に昇格され、尚且つ2025年10月からは副住職に昇格されているので、随分お立場が変わられたにも関わらず、今も全国に講話に走り回れていることに改めて「凄い方だ」と思った次第です。

そしてインターネット情報によって妙応寺本堂に設置されている日めくりカレンダーは2017年3月初版と言う事と毎年新しいのを発行されているのかと思っていましたが、日めくりカレンダーは1995年12月が最初であり、それ以降に全部で8冊の発行で最近では2025年1月の発行だと言う事も分かりました。

尚且つ昨日改めて手にした『よっぽどの縁ですね』の著書の初版は2017年6月との事なので初版として出されたのを私は早くに直接大谷徹奘師から譲り受けたと言う事も今更ながら理解しました。

(もちろんサインも頂いています。)日めくりカレンダーのタイトルは

『みんな迷いがあるんです』

『あなたの笑顔がわたしのしあわせ』

『よっぽどの縁があっての あなたと私』

『人生はいつだって自問自答』

『ようこそ自分』

『ありがとう あなたに出会えて ありがとう』

『育てた 自分を 信じよう』

『努力することを あきらめては いけない』とあり、「決して難しい事は言われていないが心理だけれども難しい事だ」と思ったしだいです。

改めてじっくり本を読ませて頂いて素直な気持ちでコラムで私の考えを書きたいと思います。

本日は父進の祥月命日です

私が38歳の本日、父進さんが他界したので、父進さんの『祥月命日』に当たります。と言う事は父進さんが他界して35年の月日が経過したと言う事です。父進さんには心配や迷惑ばかりかけた38年であったと思います。丁度80歳を迎えた歳であり、私にとってはようやく『自立した』と思えるタイミングであった様に思います。つまり、その年の3月31日を持って児童養護施設の指導員を退職して『自ら決めた道=茨の道』を歩み出したタイミングと言っても過言ではないと、今は思える様になりました。

このコラムでも何度か書かせて頂いていますが、私は生まれつきの『虚弱児』だったので(生後半年と21歳の大学生の時)2度は間違いなく生死をさ迷い父進さんには大変な心配と迷惑を掛けたのですが、私は父進さんに対してなんの恩返しも出来ていなくて、父進さんが他界した日の前の日に、生まれて初めて父が入院していた病院に泊まった翌日の朝に息を引き取りました。その日は養母と一緒に病院にいて付き添いのはずが、私は太平楽に寝ていて養母英子さんに「お父さん息をしていない」と言われてあたふたとしたのを今でも覚えています。

但し、病院の医師に死亡確認をして頂いてからの私は冷静な対応が出来たと自負しています。つまり、父進さんは私の『文字通りの自立を促す為に他界したのでは無いか』と思っています。つまり、今の社会福祉法人杉和会理事長としての素地を築いてくれたのは父進だと言う事です。私が勝手に教員を退職して『勘当』したのも、勘当されて旧徳山村で好き放題している時に、児童養護施設の指導員への道筋を付けてくれたのも(父進は一言もその様な事は言わなかったのですが)父進の根回しだと思っています。児童養護施設の退職を報告した時も「自分で決めたのであれば良いのではないか」と言われただけだったのは、自立しようとして自立しようとしている私に対する父進の素敵なエールだったのだと今になって思っています。

こんな事を考える事が出来るのも8月12日が大切な日であるからと思っていますし、特に感謝の思いを強くする一日だと言う事で、もう一人の『父』伊藤憲治さん(先代理事長)のお墓にも今日は一日お休みを頂いて行こうと思っています。2人の『父』のお陰で今があるのであれば、2人の父に出来なかった恩返しを地域の方々への対応でさせて貰おうと思っています。

何度させて貰っても『買い物』は大変です

本日は夕方の5時から旧今須小中学校を使用してのお祭りが実施され当法人ではデイサービスえりかの里を中心にしたメンバーで日本の琴をベースに弾きやすくした楽器『ポップコーン』の演奏と水野係長が外国人介護職を引き連れて食べる方のこれまた『ポップコーン』の提供をします。

今日の実施主体は「若い力を結集したい」と言う『ITO』会長であり優・悠・邑家族会会長でもある吉田儀一さんの発案で今須出身者の高校生・大学生・社会人が企画を作成して実施するものです。

「今須と言わず関ケ原町はどんどん人口が減ってきて限界集落だから何ともならない」と嘆いているのではなく、「少しでも魅力ある今須であり関ケ原町である為に今いるもので何が出来るか」を考える一つの提案だと思っています。

旧今須村には当然ながら邑役場があり村長もいて村会議員もいて村役場も存在していたものが影も形も無い状態。それどころか診療所も農協もなく唯一残っているのは郵便局だけと嘆いていても何も良い方向性を見出す事は出来ない。と言う事で私自身も今須に生まれて育てて貰い今も今須を拠点に社会福祉法人を運営している者として一肌も二肌も脱がなければいけないとの思いを持っている者として職員の協力も得て、本日のイベントに協力しなければとの思いを持っています。

本日のイベントが夕方からと言う事で午前中は奥様の金魚の糞宜しく3度目の買い物の運転手兼荷物持ちとして本部施設での打ち合わせ後に出掛けました。

本日は大きなスーパーだったのでお盆用のお花やお供え物も購入して奥様の後を文字通り『金魚の糞』の様についていき奥様が手にしたものを籠に入れる様にしていたのですが最後に「猫のおやつを見に行く」と言った時に、私は違うものの品定めをしていて気が付いた時には奥様の姿が見えないので慌てて探しても見つける事が出来ないので(結構にウロウロと探したのですが・・・。)レジの近くで待っていると奥様から携帯が鳴り「何処にいるの。猫のお菓子の所に行ったら付いてきていないし」と機関銃の様に言われたので「おいおい、私は猫のお菓子がある所など知りませんから」と思いましたが決してそのような事は口に出しては言っていませんが・・・。本日は1か所のみの買い物でしたがお墓の花は買い物の帰りにお供えをさせて貰い家に着くとぐったりとなってしまい、まだまだこの買い物補助を何度かしなければいけないと思うと「しんどいな~」と思ってしまいました。

昼食を家で食べて(カップ麺とパン)から1時間ほど寝てエネルギーチャージをしてから本部施設に行きITOのスタンバイをしながらコラムを書きました。

本来昨日のコラムで書く予定だったのを書きます

一昨日に実施された大垣市和合新町の地区祭りの報告を昨日書くと宣言していたのですが急遽『幸福地蔵様の前掛けと帽子』の話題を優先させてしまったので本日「一日遅れ」ではありますが本日のコラムで書くことにします。

まず最初に思う事は「和合地区は建売がドンドン建って大垣市の小学校で一番児童数が多い」と言う事で『盆踊りは日が暮れてから』と言う事なのに準備をしている17時にはどんどんと子どもたちが集まって来て「本部施設とは状況が違うな」と思った次第です。

施設が提供するのは食べ物としては『冷たいチョコバナナ』でゲームとしては『魚つり』と看板には書いてありましたが実は『お菓子つり』と『玉入れ』です。

『お菓子つり』の方は1回当たり50円だったのですが、チャレンジする参加者の小学生は「元を取らなくては」と思っているのか準備したビニール袋に一杯になるくらいにしっかりお菓子を釣ってくれるので「正直大赤字だけれどもみんなが楽しんでくれればいいか」と思うと共に準備したお菓子が無くなってしまい「嬉しい悲鳴」でした。

『玉入れ』については比較的小さい子が挑戦してくれたのでなかなか入らない状況でしたが『お菓子の参加賞』はしっかり貰って頂きました。

なお、『お菓子釣り』の方では3回も挑戦する子もいて、「大きな袋を下さい」と言う強者もいました。

私が嬉しかったのは開会式の大会長である連合会長さんから「優・悠・邑 和合の職員さんもおおぜい参加して頂いています。」と紹介して下さったことです。

それよりもなによりもびっくりしたのは6月の当法人の評議員会及びその後の懇親会に私が体調を崩して穴を開けてしまった事に対して当法人の評議員のかた第三者委員の皆さんだけでなく多くの方が「理事長さん大丈夫なの」とか「理事長さんは働き過ぎだよ」と声を掛けて下さったので「私が体調を崩した事がここまで浸透しているのは有難い事だけれども今後は体調を崩さない様にしなければ」と思った次第です。

私が本部施設の施設長から和合の施設長になって丁度3年の経過の中でここまで和合地区で『認知』されてきた事に対して本当に嬉しく思いますし、来月に実施する『優・悠・邑 和合の秋祭り』の計画と準備にギアを3段階くらい上げてより地区の中で貢献できる様にしなければと思っているのは理事長の私だけでは無いと思います。

色んな考え方があるのだと理解しました

朝のお参りで幸福地蔵様に抱きついての祈願をしている事は何度もコラムに書いているところですが、本日はお参り時にいつも疑問に思ってきたことを写真入りで書きます。

実は、かつての入居者さんの家族の方から、私のコラムで幸福地蔵様の帽子と前掛けが赤の布が殆ど白くなっていた表現を端的に言うと「禿げた状態」だった事に気を掛けて下さり、大きくした前掛けと「帽子は作れない」と言う事で竹で出来た傘をわざわざ購入して送って頂いて、水野係長が前掛けと竹笠を取り付けてくれて「これで安心だ」と思っていたら、お参りに行くと傘は背中の方にあったので水野係長に「しっかり傘をかぶせておいて」と頼んでいて、水野係長から「しっかり摂り着けても背中にいっているのです。」との報告に「不思議な話だ」と思っていたのですが本日、その謎が解けた(多分ですが)様なので、写真を掲載して私の推理を書くことにします。

竹笠を背中に置かれる方は「竹笠を頭に載せるのは雪が降っている時で、こんなに暑い時は帽子を被るべし」と思われていたようで、「大きな前掛けの上に赤い前掛けを掛けて、同じ布で帽子を作って下さり帽子をかぶせて下さったのだ」と思った次第です。私なりの謎解きなので正解かどうかは定かでではありませんが、この様な事に『ロマン』を感じている私は幸せ者だと自画自賛です。

もう一つの話題に移ります。本日は9日と言う事で大谷徹奘師(奈良東大寺執事長)の日めくりカレンダーでは『人間は一生 難しい年頃』と書いてあったのを見た瞬間に思ったのは「全くその通りだ」と思った次第です。特に私の生き方は「自ら厳しい生き方を選んでいる」と言う事だそうですが・・・(正直、自分自身はその様に思っていません。)生まれて半年が経過した頃に心臓が5分程度停止していたときから、波乱万丈の人生が始まっていたのかも知れません。

高校1年生の冬のシーズンまでは『霜焼け』で思い通りの活動は出来なかったし、高校2年の夏休みに四国遍路に参加して元気な体を頂いてからは、その当時『三無主義』等と揶揄されていた時代に、生徒会活動に没頭して自分では『大変』とは思っていなかったのですが、当時の高校生の中では厳しい状況だった様だし、大学5年間は学生会活動にこれまた没頭して、児童養護施設指導員時代は低学力の子ども達の学習指導に没頭して、38歳からは現在の事業に没頭して・・・。でも私の取り柄は『大変を大変と思わない生き方』だったから今がある。私の財産は多くの人材とのネットワークだと思っています。人によっては「若山会長は何を目指しているの」と聞かれる事がありますが、そんな時には「いつも全力疾走で」と言う事の集大成をこれから考えて行くことが肝要だと考えています。

本日のコラムは少しまとまりの無い形になってしまいましたが、毎日の様に私のコラムを読んで頂いているリピーターの皆さんであれば理解して頂けるものと思っています。

買い物は疲れます

私の奥様かをりさんが手の手術をして入院した時に自分の着替えを洗濯した事や無事に退院した事は既にこのコラムで書いたのですが、退院時に我が家の食料を買い込んだのですだ、冷凍庫の中の食料が無くなってきたこともあり、午前中に3軒のお店に私の運転兼荷物持ちで買い物に出掛けました。

スーパーのオープンが土曜日は9時30分と言う事で「駐車場が一杯になる前に行きたい。」との奥様の指示に従い9時前に家を出て1軒目のスーパーに行きました。

9時30分は過ぎていましたが満車に近い状況に驚きながら買い物かごを私が持って奥様に従いました。

スーパーの陳列の並びがかなり変わっていると言う事で何度も同じようなところを行き来している奥様の後ろを金魚の糞の様についていくのと館内が混んでいるのとオープン間際と言う事もありスーパーの係員の方も台車に載せた品物を忙しく運ばれていたので結構に神経を使いました。

買い物籠2つに一杯の品物もレジのところにおいてレジ係りの方が綺麗に籠に入れて頂いたのを車まで運ぶのも当然ながら私の仕事で正直1軒目で疲れてしまいましたが頑張って3軒のお店のお抱え運転手兼荷物運びの役割を全うしました。

少しの買い物は何度かしていますが沢山の買い物は大変だと思いましたし、慣れない事は疲れる事を改めて理解しました。

本日は夕方から大垣市和合地区のお祭りに和合の施設も出店しますので私も参加させて頂くのですが、疲れたままに行って足を引っ張ってはいけないので家で1時間ほど休憩してから本部施設に行き入所されている方の家族の中で利用料が遅延されている方の対応をしてコラムも書いてこれから和合に向かいます。

販売するのは『冷たく冷やしたチョコバナナ』とゲームを準備しているのですが果たしてどの様な状況になるのかについては明日のコラムで書くことにします。

慌ててしまいました。

午前中は和合での『多職種連携会議』があり、終了後に幹部職員との打ち合わせをしているとかつて岐阜県老施協の委員長が相談したいことがあると言う事で11時30分の約束だったのですが、打ち合わせが予定の時間よりも延びて少し待って貰ってから相談に乗って12時15分になり終了後急いで本部施設に帰り、政治連盟の書類の整理等をしていると、本日3日目の『流し素麺の日』と言う事で入居者さんの実施の前に水野係長が「理事長準備が出来たので食べに来て下さい」と言う事で私一人の為の流し素麵の実演をしてくれて、「上手くすくえんな」と言いながらも沢山頂きました。

13時35分になったので『第10期介護保険検討会』が関ケ原診療所に併設された『やすらぎ』に向かい会場がある2階に14時からの予定の5分前に着いたので「何とか間に合った」と思いながら会場に入ると「誰もいない。何で」と思って頭が真っ白になった時に2階で事務をしている職員が私の所に近付き「理事長さん、今日の会議は関ケ原町役場だと思いますよ。」と言われて「役場に連絡してみます。」と言われて結果として「役場の3階で実施されます。」と言われたので「場所を間違えたので少し遅れる事を改めて連絡しておいて下さい。」と言って急いで車に乗り関ケ原町役場に向かいました。

結果的には5分の遅刻だったのですが3階に行くと担当係長が会議室の前で待っていて下さり、私が席に着くまで会議を待っていて下さったので皆さんに謝ってから会議が始まりました。

会議の中でアンケート結果等の説明や10期の計画の方向性の説明があり意見交換の時間になり皆さんの意見を聞いた後最後に私も話をさせて頂いたのですが、話の冒頭で遅刻したことを改めてお詫びしてから、「私が本部施設開設の準備をしていた30年程前にその頃の民生委員児童委員の方の協力を得てアンケート調査をした時には『介護保険』も『認知症』も『自分には関係ない』と思われている方が殆どでした。」

と話をしてから「今はその様な極端な方は少なくなりましたが、自分の家に要介護者の方がいない時には色んな情報を流しても全く興味を持って下さらないのが一般的で入院等をされて家では介護出来ないと言う状況になってから慌てて施設に相談にみえるのが殆どです。」

と話をまとめるような形で話をさせて頂きました。

5分遅刻をして皆さんに迷惑を掛けましたが何とか帳尻はあったと自分では思っていますが、スケジュール管理は今まで以上にしっかりしなければいけないと思っています。

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