かつて私は自分の声が嫌いでした
「いきなり何の話や」とリピーターの皆さんの中で思われた方があったかも知れません。
実は私は小学生の頃までは生きるだけでも青息吐息だったので、大きな声を出すなどと言うことは『とんでもない』と言う状態で、父進さんもどちらかと言うと『ぼそぼそ』と話す事が多かったので「お父ちゃんと同じでいややなあ」と思っていました。
と言うより、中学校を卒業するまでの私は『ひ弱い自分を演じていた』のだと思います。
何故なら保育所から中学校を卒業するまでは1学年1クラスしかない規模だったので、小さい時のイメージを払拭出来なかったのだと思います。
高校は大垣日大高校と言ういわゆる『マンモス校』で1学年が11クラス(全校生徒2000人)もあったので、私の中学時代を知っている同級生が同じクラスの中にはいなくて『小さい頃の呪縛』から解放され横着もし放題で、尚且つ高校2年の4月7日に母親代わりの長女光子さんが急逝したので文字通り『凧の糸』が切れた状態になってからは『大きな声が当たり前の世界』になってしまいました。
と言う事で、昨日の午後からのデイサービスでの『盆供養』の時の話をします。
お参りは13時30分からの予定だったのですが、13時からのお客様が12時50分には見えたのですが、込み入った話だったのでお客様が13時40分に帰られるのを見送ってデイサービスに急いで行くと利用者さんは仏間に座られている方とフロアに座ってみえる方が見えたので「遅くなりました」と元気よくご挨拶をしてから「お盆のお参りをします」と言って仏壇の前に座って『正信偈』と『般若心経』を私が導師を勤めて行いました。
お経を終えてから少しお盆らしい話をさせて貰うと、伊藤課長がコップに入れた氷水を持ってきてくれながら「カラオケをお願いできますか」と声を掛けてくれたので「喜んで」と言って一曲目は吉幾三さんの『酒よ』を歌い一杯拍手を頂いたので「2曲目を歌わせて貰います。」と言うと「待っていました」の声が聞こえたので「ここは力を入れて歌わねば」と言う事で八代亜紀さんの『舟唄』を選曲して「女性の歌手を歌います。八代亜紀さんの舟唄を聞いて下さい。」と言って歌いました。
自分でも「良く声が出ているな」と気持ちよく歌わせて貰ったのですが歌い終わると利用者さんの方から「理事長さんの声は素敵」と声を掛けられて「デイサービスの利用者は上手に乗せるな」と思い、本当はもう1曲歌いたかったのですが、新館の入居者さんをあまりお待たせするのもいけないと言うことで後ろ髪を引かれる思いもありましたが新館に急ぎました。
勿論、新館でもお経と共にカラオケもしっかり歌いました。




