人生の道半ば(人生夢の途中駅)
産まれて直ぐに(百日目)心臓が止まり暫くして(五分後)復活。止まった時の母親の嘆きは計り知れず、その後の人生病気と背中合わせ。毎年11月から2月までは霜焼けで両手両足ぼんぼんに腫れて、小学3年までは6歳上の姉に背負ってもらって学校へ。目に入れても痛くないと思っていた母親はその当時の校長先生に直談判して教室の座席をストーブの前の席にお願いすると同時に豆たんアンカに足が突っ込める袋を作り学校へ持って行く許可まで取り付ける…肝っ玉母さん。ストーブが入ってからはぬくぬくの毎日で、お陰で勉強はそぞろな毎日で。お陰でいわゆる「落ちこぼれ」。それでも「落ちこぼれ」のレッテル貼られなかったのは、教育者として名を馳せている父親と今須生まれでチャキチャキの母親がいたから…。その当時の母親の耳に息子が落ちこぼれだと言っていると聞いた瞬間、噂している家に怒鳴り込んだ事でしょう。小学1年当時の通知表なるものが見つかりました。算数が4で図画工作が1で、あとは2と3で…。担任の塚原先生が甘あまに
点けてこの成績…。今更ながらうーん「立派な成績」と言わざるを得ない。霜焼けの話をします。霜が降りる頃になると私の両手指から肘にかけてと両足指から膝にかけて、ボンボンに腫れて決して大袈裟ではなく手は軍手をしているようで、学校から帰ると目の中に入れても痛くないと思っている母親がゴボウの湯がき汁と水を用意して待っていて、熱い湯がき汁と冷たい水に手を入れて、手を出す度に母親が手を擦ってくれて、その頃の私は痛いことされて嫌やなくらいにしか思っていなかったと思うのですが、長男が結婚して、次男も結婚したいと言っている62歳の父親としては、痛いほど中1で他界した母親の気持ちがわかるような気がします。しかしながら、母親以上に(比較するものではありませんが…。)38歳の時に他界した父親は息子である私の行動にイライラしていたはずなのに、ずっと忍耐強く見守っていてくれた事に今更ながら感謝すると共に感動すら覚えています。と言うのも、昨日私の次男から携帯が入り、全く私に言わせると無計画な事をいい募るので、イライラ
しながら話をしている自分があり私の父親である進さんは、器の大きな人で、息子である私の事を心配しつつも信じていてくれた事に今更ながら気付きました。そう考えると、父親の法名は『至心院釈善進』。全く持ってぴったりだと思います。私も、いずれ法名をつけられる時が来て、立派な父親であったと言われて、地元の方々からも若山が頑張ってくれて良かったと言われるようにますます精進しますので、今後共にご支援ご声援宜しくお願いいたします。
*死んでからの事を心配するには、後20年はしゃかりき頑張らせて頂かなければ…〓