2026年09月の記事一覧

神頼み、仏さん頼み

令和8年9月8日

9月12日は大垣市和合地区にある『優・悠・邑 和合』の地域向けの秋祭りがあります。7月には和合地区にある小野小学校6年生の福祉体験に当法人の職員を大勢引き連れて行かせて頂き、6日にあった地区の奉仕活動の時にも多くの方から秋祭りの事を話題にして頂き、和合地区の広報版にも区長さんの許可を得て、お祭り告知のポスターを至る所に掲示させて頂きました。

コロナ明けだった昨年は参加者が少なかったのですが今年は多くの参加を予想しています。協賛団体の協力も多くして頂き、来賓の方も国会議員の代理の方や県会議員、市会議員を含めて13名の方の参加を確認しています。色んな準備も着々と進んでいますが懸念しているのは12日の当日に雨マークがついているのです。50年前の天気予報だったら「下駄を投げて天気予報をした方が確実だ」などと言う状況では無くて予報が当たる確実が良くなっているので気がかりです。

大道芸のクラウンアキオさんは四国の香川県から来てくだれるのだから『雨天決行』での催しなのです。準備の段階でテントは3張りの予定でしたが5張りを準備する事にしましたが、「大道芸を楽しんで貰うにしても、ゲームを楽しんで貰うにしても、模擬店の品物を食べたり飲んだりするにしても天気が良い方がいいのですが」と言う事で『神頼み』『仏さん頼み』でもしっかりお願いしますので、施設を応援して下さっているリピーターの皆さんで『てるてる坊主』を沢山作って頂き9月12日の秋祭りを成功裏に終わらせたいと思っていますので皆さん宜しくお願いします。

中村博彦先生の事を今日こそ書きます。

私は2006年8月8日が初めて全国老施協の役員として、当時日枝神社の向かいにあったTBRビル2階の本部事務所に行った日に中村博彦先生に声掛けをして頂いてから、早いもので20年の月日が経過しています。どうりで 古株扱いをされるはずです。

初めて中村博彦先生にお会いした時は、私が事務所の部屋に入るのを躊躇している時に階段の方から中村先生の大きな話し声が聞こえて緊張して廊下で直立不動で待っていると、中村先生が私に近づき優しい眼差しで「若山これから頼むぞ」と言われたが今も耳に残っています。初めての役員としての立場は総務委員会が立ち上がり、その委員会の幹事と言う事だったのですが、設立時の委員会のメンバーは選りすぐりの重鎮ばかり。私にとっては顔も名前も分からない中でのものでした。役割を頂いた以上は精一杯に頑張るのが私のスタンス。正直そんな私を中村先生が評価して頂いたのか、翌年の役員改選時に新たな役職で総括幹事と言うものを拝命しました。

この様に書くと順風満帆の様に思われるリピーターの方も多くみえるかも知れませんが、初めてお会いした時に優しくして頂いた後は厳しくいたぶられぱなしでした。但し私がたまに馬鹿馬鹿しくなって勝手に帰ってしまうことが何度かありましたが、懲りずに本部事務所に行けたのは中村先生には損得無く高齢者福祉と向き合われていたからだと思っています。

中村先生の野生の様な感覚で将来の展望に筋道を付けられて行く洞察力と、1聞くと10理解される回転の速さには舌を巻くばかりでした。当法人が早くに外国人介護職員の導入が出来たのも、中村先生からのアドバイスがあっての事です。また、日本が衰退していくなかで社会福祉法人が目指すものの道しるべを示して頂いたのも、中村先生の教えです。私に対して褒められる事は何度も有りませんでしたが、当法人の職員には理事長の姿をしっかり見ておけと言われていたようです。

中村博彦先生の様なカリスマ性がある方が急逝されて組織にとって厳しい時もありましたが、老人福祉法から介護保険法に変わり政治力がより必要になる事を見抜き、自ら参議院議員になられ組織の為に生涯を捧げられた中村博彦先生がみえない中で、私も微力ながら先生の教えを理解しているものとして頑張っていきたいと、このコラムを機に改めてギアを上げていきたいと考えています。

本日、中村博彦先生の事を書く予定でしたが本日嬉しい事があった事を優先して書きます

本日は大垣市和合地区の奉仕活動が7時30分からあり、6時30分に朝食のおにぎりを持って出掛けました。

7時15分に施設の駐車場に着くと奉仕活動に公休であった2人の係長が待っていてくれたので、私は柄の長い草刈り鎌を片手に持ち3人で歩いて出掛けました。

歩いている時に「しゃがんでの作業はきついのでこの鎌を持参したの。」と2人に話しかけると異口同音の様に納得していました。(正直、「トホホ」の様な話ですよね。)

会場に着くとまだ時間より早かった為かお世話役の役員さんだけだったので、3人で挨拶をすると「いつも助かっています。」と声を掛けて頂いたのは「皆勤賞で参加させて頂いている賜物かな」と思った次第です。

その後、草取り作業をしていると奉仕活動で馴染になった方や日頃施設での関りが出来た方等が多く話しかけて下さいました。

その中には「9月12日の施設でのお祭りに孫が6人いるので連れて行きます。」と言われる方や「自分は仕事で行けないけれど、奥さんと子どもが楽しみにしているので参加すると思います。」等と言って下さる方や施設の隣家の方には案内状と模擬店の無料券をポスティングしておいた方から「家にまで案内をして下れて有難うございました。当日を楽しみにしています。」等と声を掛けて頂いたので「大道芸の方は四国の香川県から来て下さるのですが大道芸の世界大会にも参加されている方なので楽しんでください」等と話をさせて頂きました。

極めつけは奉仕活動が終わり帰ろうとした時に声を掛けて頂いた方です。

最初は「和合の施設が出来る前の説明会に理事長さんが来られた時に、説明を聞きに来た方から多くの勝手な意見が出た事にも理事長さんは誠意を持って説明されていても、まだまだ言い足りない様な雰囲気だったので、私が手を挙げて、『私は本部施設で父がお世話になり本当に有難かった。高齢者施設に対してもっと理解されたらいかがですかと言わせて貰いみんなのトーンが下がりました。』」との話をされたので、あの時は会場を貸して頂いたお寺への挨拶でお礼が言えなかった事を思い出し「あの時は本当に助かりました。」と改めてお礼を言ってから話をしていると、その方は元々今須出身である事が分かり懐かしい話で盛り上がりました。

この様に親しくお話しできるのも地域の方々との関りを多く持てる様になったからだと思っています。

全く違う角度からの話しですが、私が児童養護施設の指導員をしていた時に小学1年生で施設に来た男子は全くひらがなも書けない状況だったのでマンツーマン指導でひらがなの練習からしました。

最初は自分の名前から何度も何度も練習して1か月で50音の半分程度が書ける様になりました。そして残りの半分は1週間で書ける様になりました。

私はこの時の経験から『学習にはバイパスがある』が持論になったのですが、地域とのつながりも同じで「ここまで出来たら、これからは派生的な展開が出来るのではないか」と思いました。

その確証を得る為にも9月12日の和合の地域向けのお祭りを成功させていきたいと考えています。

私を育てて下さった4人の方のお話『パート2』

令和8年9月5日

昨日書いた吉田宏岳先生の事で大切な事を書いてから3人目に移ります。吉田宏岳先生には陰に陽に社会福祉法人設立の為にご指導を仰ぎ本部施設本館が事業開始をして1年が経過した頃に正直、施設が崩壊寸前まで行った時に理事会が開催され、設立当時は半分以上が吉田宏岳先生の肝いりで大学の先生でした。理事会で組織の不十分なところを色んな角度から指摘を受けパニック状態になった時に私は思わず「理事長を辞めたら~」と言っていました。

その時それまで黙ってみえた吉田宏岳先生が大きな声で「決して辞める等と言う言葉は言ってはいけない。前言を取り消しなさい。」と言われて冷静さを取り戻した事がありました。

その時に学んだのは「決して冷静さを無くしてはいけない。」と言う事と「現場の職員との乖離を埋めていかなければ決して良い組織にはならない」と言う事でした。その時の出来事の後は「冷静さを失わず、現場主義でやりきる」と言う事で今もその時の教えは大切にしています。

3人目は私が事業を開始しようと計画を着実に進めている時に突然岐阜県の担当者から計画の白紙撤回の連絡を頂き、その当時家庭教師をしていた子の祖父であるその当時の大垣商工会会頭だった河合達雄さんです。白紙撤回の通知を受け3日間は何も出来ず布団からも出る事が出来ない状態でしたが「このままでは何も変わらない」と考えて「こんな時には政治力を持っている方にお願いするしかない。」と言う事で家庭教師をしている子の母親にお願いして河合達雄大垣商工会会頭に会わせて頂き精一杯に熱く語らせて貰いました。話を聞いて頂いた翌日に連絡を頂き会頭室で紹介を受けたのが猫田県会議員でした。

猫田県会議員も私の話しに耳を傾けて下さり3日後には議会棟に来るようにとの指示を頂きました。その連絡を受けたお礼の電話をさせて頂き、驚いた事に議会棟にまで河合会頭が来て頂いていたのです。この律義な対応に猫田県会議員も答えて下さりそれからも紆余曲折はありましたが翌年の計画に計上されて無事に1998年5月に竣工式典を迎える事が出来ました。

残念ながら河合会頭は竣工式典の時を迎える前に急逝されましたがあの誠意ある対応は決して忘れる事が出来ませんし、私の生き方の中で『誠心誠意』の大切さを教えて下さった大切な方です。

もう一人全国老施協会長で参議院議員だった中村博彦先生の事は明日じっくりと書かせて頂きます。

私を育てて下さった4人の方のお話をします

勿論一番お世話になったのは父進さんなのですが、私の人生にとって大きく影響を与えて下さった方のお話をします。

まず最初の方は私が教員として神戸北小学校4年3組の担任をしていた時の校長先生で若原哲男先生の事です。インパクトのある出来事としてその当時の6月に『校内研』で公開授業をしました。その時の授業は正直全く褒められたものでは無くて板書もしっかりとしたものでは無かった事に対して手厳しく指導して頂き、しかもその後は可能な限り私の教室を見に来て頂いたので、しばらくは落ち込んだ日々だったのですが、板書が苦手な部分に対してビー紙にマジックで事前に準備して授業の予習をする様になってからは自分でもしっかりとした授業が出来る様になり、9月に教育事務所から指導官が見えた時には自分でも満足に出来たと思った翌日からは校長先生の確認は無くなりました。私が教員になったのは父進の後押しがあったからだと自分でもわかっています。父進の影があり、大学時代の教育実習も含んで指導が甘かった事が当たり前だと思っていたのを毅然と戒めて頂けたからこそ、それなりに教員でいられたのだと思っています。但し、いつまでも父進さんに甘えているわけにもいかず、その年度の末で退職しました。この時の考え方は「父の影響の無い所で一からやりたい。でも何をしていけば」と言う事も無く退職しました。(結果的には父進さんに甘えていたのですが)旧徳山村での生活では何も解決しないで今から考えると父進さんの差し金だったかもしれないとの当時大垣市内の校長先生がわざわざ旧徳山村まで来て児童養護施設の指導員の仕事を紹介して下さいました。その仕事は私にはやりがいがある仕事だったので13年間も勤めさせて頂き『福祉のイロハ』を学びようやく一人前になった様です。

退職して直ぐに巡りあったのがその当時日本福祉大学中央福祉専門学校の校長であった吉田宏岳先生です。先生には2カ月に1回『教育と福祉を考える会』と言う学会でそうそうたる会員メンバーの中で末席に入れて頂いたのですが先生が真言宗豊山派の住職でもあったので四国遍路の案内をさせて頂いてから色んな面倒を見て頂くことによって大学や専門学校の非常勤講師を沢山紹介して頂いたり学生向けの教科書の執筆を紹介して頂いたりして私の生き方に大きく影響を受けましたし、社会福祉法人杉和会設立時の筆頭理事にもなって頂きました。つまり、福祉関係のネットワークの礎は吉田宏岳先生に作って頂いたと言っても過言ではありません。本日は2人のみになりましたので明日にパート2を書きたいと思います。

思いが薄れているのかな?

朝食を家で頂きながら我が法人のホームページを見ていて、当たり前に出来ていたホームページ内の『理事長コラム』の昨日分が掲載されていないのです。その事実を知った段階で即宿直者の吉田副施設長に連絡して、原稿はパソコンに入っているので直ぐに入れて貰ったのですが、私の心情としては忸怩たるものがあります。

コラムの原稿を書く時には断続的な対応をしている『はざま』の様な時間であったり、少し行儀の悪い事ですが、昼食を食べながらパソコンで打ち込む事をしていた結果の『継続』だったからです。昨日の場合は和合で原稿を打ってから直ぐに送信して、電話で送信した事を伝えると共に別件の要件も話をしたので、別件の話を優先した為に別件の要件を優先してしたことにより理事長コラムのホームページへの写し替えを失念してしまったのだと思います。「思いが薄れ」等と極端な表現をしてしまいましたが、事務方の職員も煩雑な事務処理や面会者の対応や業者との対応とやらなければいけないことが多くあり「やむなし」との思いもありますが、継続に拘ってきた私としては『忸怩たる思い』がぬぐい切れないのも事実です。

小さい頃の私は何事に対しても直ぐに諦めてしまうような生き方しか出来なかったのですが、高齢者施設を作り社会福祉法人の発展維持のため『継続は力なり』を信じた生き方をしてきたので今があるとも思っています。但し、本日は朝の5時30分に一旦は目覚めたのですが、朝のお参りに出掛ける気力が湧かずお参りに行かずに7時まで再び寝てしまいました。極端な暑さが治まり蚊に刺される様な時期には、暑かった時の疲れがどっとでるのか体が怠いのです。『鞭打つ』事にも限界があるので敬老月間の事には抜けが無いようにしながら体を慣らしていき、他に迷惑を掛けない様に頑張っていきたいと思っています。

秋を感じる様になりました。

昨日から敬老月間が始まり本部施設において『ファッションショー』が開催され本部施設の職員の素晴らしさを感じながら、この1カ月を入居者さんと共に楽しみたいと思っています。そんな中で本部施設から自宅に帰る道すがら、『日本昔ばなし』に出てくるような稲穂が首を垂れて残念ながら茅葺屋根ではなくて瓦葺ではありますが車を9月1日の交通ルールの改正で制限時速が30キロになった(今までは地元の方との話し合いで時速40キロだったのですが)道路をゆっくり走っていると『すすき』が何本か畦道で立派に立っているのを見た瞬間に『秋』を感じました。そして今朝5時30分からのお参りで歩いていた時に何カ所かに『蚊』に刺されたのを確認した時に「暑すぎた夏には蚊が活躍する事は無かったのが人間の血を吸うまでに元気になったのか。」とも思った次第です。「本日までは暑いのですが明日からは涼しくなるが大雨に注意してください。」との事なので大雨が降っていきなり『秋』になるのかなと思っています。既に本部施設がある今須地区においては稲刈りが始まりました。例年よりやや早くから稲刈りが始まった様に思いますがお米を供給して頂いている農家の方に話しを聞くと「暑い日が続いたので成長が早かったが今須は山からの水が枯れる事無く頂くことが出来たのは谷が深いからだ」と教えて下さいました。と言う事は『自然の恵みの有難さ』を改めて知ることが出来ました。『秋を感じる』等と言うしゃれた言葉は私には似合わないと思っていたのですが若い頃(今も自分的には若いと思っているのですが)と比べると随分『枯れた』のかな。でも、年を重ねた重みが出てきているかな~~~・・・。

有難いお話を2題書きます

1題目は午前中に岐阜県高齢福祉課の職員が2人、和(なごみ)の施設に岐阜県の市町村向けの研修で『措置施設の対応』について10月に開催して下さると言う事で『措置控え』『措置のシステム』『措置施設の現状』『盲養護と一般養護の違い』についての現状把握の為に来て下さいました。

7月に広瀬県議が県議会の場において養護老人ホームの現状についての提案・質問をして下さった事に対しての結果であり有難い事です。

養護老人ホームの実態の改善をしていく為の発信を全国に出来たらとも思っています。

と言うのは一般養護老人ホームにおいての廃止が雪崩の様に起きている現状がありますが、高齢者施設のセーフティーネットにおいて今の現状で日本の福祉が守り切れるのかと言う事の投げかけをしっかりしていきたいと思っています。

2題目は本日午後に開催された『敬老月間初日のファッションショー』についてです。

入居者の方も奇抜な衣装を着てみえて、開始前から異常な盛り上がりで13時45分開始が集まりが早くて13時30分に前倒しで始まりました。

入居者さんの代表の方も参加しての出し物を本館、新館、デイサービスの順に披露され、

次に水野施設長が派手ないでたちで登場して歌を3曲歌われている間に私は『月光仮面』の衣装に着替えました。

 

サングラス、マスク、ターバン、マフラー、マントに全身白のタイツを着て出番を待っていて正直「暑い、でも本番では頑張るぞ」で月光仮面のイントロが流れて来て会場に登場すると大歓声で迎えられ月光仮面の歌い終わってから「月光仮面は誰でしょう。正体を明らかにするために少しづつぬいていきます。と言うより暑いのです。では、2曲目は前川清さんより上手く『そして、神戸』を歌います。」

と言って歌を歌いながら少しづつぬいていきました。

そして「3曲目は今の北島三郎さんより上手く『北の漁場』を歌います。と歌いながら白いタイツだけになりました。

私が歌い終わってからネパールの男子職員が民族衣装を着て出て来て踊りを披露してくれて「なかなかなものだな。」と思っていたら引き続きネパールの男子職員が一人で出て来て、思わず「上手い。この子は優・悠・邑のマイケルジャクソンだ」と言っていました。

次にネパールの女子職員が民族衣装を着て踊ってくれました。

「これまた最高」と言う事で最後にはインドネシアの女子職員がこれまた民族衣装を着て踊ってくれたのですが、踊っていた子が手招きしてくれて私も踊りの輪に加わりました。

全てが終わってから思ったのは開始された時に「何故私の歌が最後で無いの」と思っていたのですが、終了してから思ったのは「私の歌が前座で良かった」と言う事と「10月4日の地域向けの秋祭りの時に何組か外国人の企画も入れないといけない。」と思い、直ぐに秋祭りの責任者に企画の追加を指示しました。」

その中で「地域の方に最後まで残って貰える様に餅まきも追加しよう」と決めました。

当法人には素晴らしい人材が目白押しだと思った次第です。

 

 

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