東日本大震災から10年です
令和3年3月11日
10年前の2011年3月11日14時46分18秒に東日本を中心とした大地震があった事はリピーターの皆さんもご記憶の事と思います。大津波や火災による死者・行方不明者の数は12都道府県に渡り22000人余りだと報告されています。ちなみに明治以降の大震災の被害規模としては、関東大震災に次ぐ2番目だとの事です。
10年前の当日私は、岐阜市内のホテルで中部学院大学の先生方と福祉関係者との懇談会に参加していて、岐阜でもかなりの揺れを感じて部屋の中に設置してあった大きなシャンデリアがゆらゆらと揺れていたのを今でも鮮明に覚えています。後日談として中部学院大学の古田学長に岐阜県の会議でお会いした時に古田学長さんから「突然、天井にあるものが揺れたので自分の頭の中で異常が起きたのではないかと思いました。」とのお話をお聞きして「流石にお医者さんの考えられる事は違うな」と変に感心したものでした。
地震があった翌日には当時の全国老人福祉施設協議会事務局(東京都千代田区平河町)の職員から「若山先生がお住いの岐阜県から水を送って貰えませんか」との連絡を貰ったので「東京では水も無くなってしまったの」と聞くと「コンビニの棚には全く無いし、自動販売機もことごとく売り切れです。」との事だったので早速、地元のお店で沢山購入して宅配便で送りました。ちゃんと届くか心配しておりましたが3日後にはお礼の連絡があり「ほっ」としたものです。その後、同じく東京の方から、「米を送って欲しい」との連絡を頂き、「東京と言うところは凄いところだな。」と思いながら、我が家にストックしてあった米を30キロ送ると、大変喜ばれしかも「とても美味しい」との事だったので「地元の米は山の源流から流れてきた冷たい水を朝の早い内に田圃に入れて昼間の太陽の温かさに恵まれると美味しい米になるのです。」と思わず自慢してしまい、それ以降は地元の米を送らせて貰っています。
大津波で家が流れていく映像をテレビで見ていてまるで映画のシーンのようだったので何とも言えない思いになりました。当法人の顧問である、びわこ学院大学の烏野教授は震災直後に現地入りをしてつぶさに見てきて被災者の方々との接点も多く持ち、今も福島県に入られていると聞いていますが、烏野先生の行動力にはいつも頭が下がります。
本日は午後から全国老人福祉施設協議会正副会長委員長会議があり、会議の冒頭にも黙とうをさせて頂き、会議の中でも災害の話もあり、その中で、DWAT(福祉救援チーム)の隊員養成を受けた方の感想の中で「救援物資の荷物運びや炊き出しを行うのが主な役割だと考えていたのですが、心のケアの対応の重要さを学びました。」 との話が出て私は改めて全国老人福祉施設協議会が担う事の意義を理解しました。
当法人の烏野先生は「東南海地震がいつ起きても不思議ではない。」と言われています。リピーターの皆さん。「備えあれば患いなし」です。お互いに留意したいものです。なお、当施設には備蓄倉庫があり、飲料水が1週間分と簡易式のおしぼり(ペットボトルのキャップに水を入れてその中にコインのようになったものを入れるとしっかりした大きさのものになります。)リヤカー、簡易トイレ等々の他に大きな寸胴や鍋や薪も準備しています。但し、コロナが終息しないと3密は防ぎようがないので気になるところです。