朝早く目覚めて『若山宏』を見つめ直しています。
2021年3月21日
私は小さい頃虚弱だった事は何度もコラムに書きましたが、虚弱だった故に温かい声を掛けて頂いた方と哀れみの声掛けの両方を受けました。どちらにしても私自身で虚弱だと言う事実を受け止めるしかなかったのです。但し、小さい頃の私にとって最大の幸運は母秋江さんの絶大な愛情を受ける事が出来、『痛い』『苦しい』『エライ』を母秋江さんが共有してくれたと言うことです。つまり、私が苦しい事を甘えて訴えると母秋江さんは自分で一生懸命にとらえようとしてくれました。母秋江さんは私が中1の時に他界しましたが、きっと寒くなると霜焼けで手足が腫れて辛いだろうとの心配はきっと天国でもしてくれたと思います。本題に戻ります。私が虚弱故に『温かさと哀れみ』を受けて育った私は温かさの面を最大限お返しをする事を考え行動に移す事を旨としてきた生き方をしてきたと自負しています。つまり、困っている方がいると何とかして解決したいとの行動力です。但し、自分が出来る範囲でではありますが。現象的に駄目な事も一杯あります。例えば、霜焼けでお箸が使えなくて、スプーンとフォークで食事をする生活がかなり遅くまでだったんだと思います。だから今でもお箸の扱いは下手くそです。また、冬場に家の中での生活を余儀無くするときに家の中での遊びとして、色紙で鶴を折ったりして遊ぶのでしょうが、私は霜焼けで器用に手を使えないし、母秋江さんにびったりくっついて甘えていたように思います。また、私は今でも他人に道を訪ねた時に相手の方が一生懸命に教えて下さっても右の耳から左の耳を通して抜けてしまうのです。もちろん一生懸命に聞いているのですが聞いている内に「私の為にありがとうございます。」と思った瞬間に抜けてしまうのです。この現象は何もかも母秋江さんに委ね甘えてきた後遺症だと思っています。でも、よくよく考えてみると、大きくなってからでも修復出来る事なのにその努力をしなかったのは何故なのかと自己分析(そんなに大袈裟な言い方でなくても良いと思います。)するに、全て私自身に返る事なのでそのままにしておいたのは、改善しなくても大して不便を感じる事がなかったからだと思います。但し私は小さい頃に学ばなければいけない事をしてこなかったので、根っからの不器用者が何も努力してこなかったからリピーターの皆さん当たり前だと思いませんか。但し、私が出来なかった事を補って下さる方がいて、その事に感謝してきた結果が今の私を形成したのかと思います。と言うことは私の人生は本当に幸せな人生と言うこと。リピーターの皆さん私は全ての関わりを持って頂いた方に感謝です。