2021年03月の記事一覧

ITO(今須地域おこし)協力会設立総会か開かれます

令和3年3月31日

遂に今須の小中学校が本日3月31日を持って閉校となってしまいました。閉校に伴う記念誌には、母秋江さんも長姉光子さんも次姉春子さんも勿論宏君の名前も卒業生名簿に名を連ねています。私の名前はもう一ヵ所PTA会長を2年連続でさせて頂いていたので載っていました。私が通っていた校舎は当の昔に建て替えられているので(当然です。だって中学校を卒業したのは52年前何ですから。)今の校舎を活用して何かが出来ないかと色んな意見が出ても形になるものはなかなか見つからないのが現実です。

インターネット情報で、『今須』について検索してみました。1602年中山道今須宿設置。(天領)。1804年には幕府領(大垣藩預かり)1889年7月1日に『町村制』が出来『今須村』となり1954年9月1日に『町村合併』により関ケ原町、玉村、今須村、岩手村(1部)が合併したとの事です。1954年に合併したと言う事は私が生まれた時には『今須村』だった事を改めて知る事が出来ました。私が生まれ育った『今須』は風光明媚なところだと自負してますし、本部施設がある南側の山の頂は滋賀県と岐阜県の境であると共に分水嶺があり、東に流れると伊勢湾に西に流れると大阪湾に流れる分岐点があり、私が施設を立ち上げた時の水に拘られる地域性には、当初は面食らいましたが、今となっては「確かに水が綺麗で冷たい水が流れてくるのは強みと言える」と思っています。

誰かが中心者とならなければ『地域おこし協力会』なるものの設立も叶わないし、ましてや継続していく事も難しいと思われますが、私が『関ケ原に老人ホームを設立する会』で活動している時に(25年前)絶大なる協力と行動力を発揮して頂いた吉田儀一さんが主体的に活動して下さっているので設立総会を本日迎える事が出来たと思っています。吉田儀一さんの郷土愛にはいつもいつも舌を巻く思いです。かつての全国老人福祉施設協議会中村博彦会長のように言うのであれば『労を惜しまず』を体一杯に漲らせながら頑張ってみえ、25年が経過した今でも当法人に於いて優・悠・邑家族会会長として関わって頂いています。

私も今須の為に微力ながら貢献できる事があればと考えていますが、昨日の江崎さんとの懇談会の話の中で旧上石津町時地区で水の綺麗さを活用して米のブランド力を高める活動をされているとの話がありましたが、今須の水も旧上石津町時に勝るとも劣らないのだから、『あきたこまち』の2番煎じ3番煎じと言われても良いものの評価を上げる努力をしていく事は大切だと思います。実際に当法人では本部施設も和合の施設も今須米を地元の農家から供給して貰っています。「もうダメ」と考えるのではなく、「まだ出来る事はいっぱいある」の考え方で行きたいと考えていますのでリピーターの皆さん。今須の再生にもご理解下さい。

 

4月1日から優・悠・邑 和(なごみ)を開設します

令和3年3月30日

予定ではまっ更な施設での新規開設の予定の盲養護老人ホーム優・悠・邑和(なごみ)が、今季の冬の寒さと雪の影響で生コン施工予定が三度延期になった事により、竣工式が5月16日(ちなみに宏君の誕生日。関係ない話でした。)で、新たな施設での事業開始は5月21日ですが、従来あった西濃清風園が3月31日をもって解散すると言う事が早々に行政の方で決まっていたため、解体前の施設をお借りしての事業開始になりました。つまり、今流行りの『ハイブリット方式』と言えば聞こえは良いのですが、実際には大変です。何故なら、例え2ヶ月弱のみとは言え電気、ガス、水道、電話を始め継続していく為にメンテナンス契約を色々継続しなければいけないし・・・。勿論保険もです・・・。

経費にも無駄は生じるし正直色々な面で大変なのですが、現在西濃清風園に入所されている8名の方々には何ら関係ない話なのでご迷惑をかけるわけにはいきませんので、色々と含む所はありますが、ぐっと歯をくいしばっての展開になりました。私の理事長としての展開は『思い』が先行してのものなので実にあぶなっかしいものなのですが、地域の方々のご理解ご協力と職員の頑張りにより今が有り、これからも走りながらの組織作りになり、しんどい思いをしたとしても、多くの方の笑顔をエネルギーにして、これからも叱咤激励で頑張ります。

本日は年明けの岐阜県知事選挙に残念ながら当選は叶いませんでしたが、素晴らしい逸材であることは間違いがない江崎さんが本部施設に来て頂けるので、5年先、10年先の岐阜県ねあるべき姿や『福祉』『介護』『措置制度』等々について、思いっきり語りたいと思っています。朝から落ち着かず玄関先をうろうろしていると、同席する事になっている、岐阜県選出の全国老施協役員の養護部会副委員長の林君と総務・組織委員会幹事の田中君が来たので、会議室で三人で話をしていると10時定刻前に江崎さんが会議室におみえになり、前自民党県連事務局次長の藤田さんが会議室に来られたので本部施設の水野副施設長を入れた6人で早速話し合いをする事になり、話のきっかけ作りの為に私が小さい頃虚弱児であった事や母秋江さんの奮闘ぶりを話をしていて、特に母秋江さんの遺言である『蒔かぬ種は生えぬ』についての話をしお得ると江崎さんから「虚弱だったとは信じられない」との突っ込みから始まったので和やかに尚且つ色んな話題について話をしました。

最後には私から「関ヶ原は人口の激減していて、関ヶ原古戦場記念館と言う立派な建物を建てて頂いたけれども戦略が無さすぎるので、立派な建物がいずれお荷物にならないかと心配だ」と話しすると江崎さんからも「5年先10年先の戦略がないと心配ですね」とばっさり。江崎さんについての話題を振る為に私は自分自身の経過を話ししました。簡単に述べると私は児童施設を辞した38歳から施設が出来た44歳までに6年かかったのだから、4年は経過してみたら短いものですから、次回の知事選まで頑張ってくださいと話をして、その後昼食をとって頂き、和(なごみ)と和合の施設にも行って貰いました。リピーターの皆さん。本日の会話については、後日機会があればご報告します。

本日も忙しくて事務所の私の椅子に腰かけれたのは今(18時45分)何ですけど

大垣共立銀行関ヶ原支店が開くのを待って、銀行の手続きをしていると、支店長さんから声を掛けられて竣工式典の打ち合わせや融資についての打ち合わせをしていて『予定は未定であり決定ではない』の状態になり「ますます時間が無くなり予定通りに進まない。でも、大切な打ち合わせだし手抜きをするわけにはいかない。」銀行に続いて郵便局に行き書留を速達で送り、施設に急ぎ帰ると10時5分前。色々お世話になっている会社の新社屋完成のお祝いを親しくしている方を迎えに行ってとの「約束の時間に間に合わないけどご免なさい。」と車の中で連絡して、少し遅れてですが新社屋の駐車場に着くと社長さん達が迎えて下さり、先ずはお祝いの品をお渡しして、その後社長さんの案内でこだわりの部屋を見せて貰うと私より二つ年下だった先代の社長は、「新社屋に入る事なく他界されたのでさぞや無念だったろう」と思うと共に平成15年からの長きに渡る思い出が走馬灯のように甦ってきました。午後に岐阜県庁に行く予定でいたのですが、書類は4月になってからにするようにとの連絡を貰ったので、すっぽりと時間が空いたので、岐阜老人ホームへベットを取りに行くのを31日から前倒しにする事になり、運搬用のトラックの手配が出来たので、急遽行く事になったので、ここでは、職員に運転と運搬を頼まなければいけないので、職員こそ『予定は未定・・・。』の状態にしてしまいました。頂きに行く所は高齢者施設ですから当然のようにエレベーターはありますから、3階から降ろすのも難なく出来ましたが、トラックに載せるのには一苦労も二苦労もしました。とは言え、私は指一本分位にしか役にたちませんでしたが。大きなトラックの運転を水野相談員に委ねましたので、大変だったと思いますが水野相談員以下3人の職員も頑張ってくれました。施設が狭い道路を通っていかなければいけなかったので、大きなトラックへの積み替えもあり、私は15時40分になった時点で職員に作業を委ねて、急ぎ本部施設に帰る事にしました。帰りの道が混んでいて、17時からのお約束をしているお客様を待たせるわけにはいかないと、神戸大野インターから高速に乗り17時5分前に施設に着くとお客様3名の内2人がおみえになっているとの事で、急いで会議室に行き一人を除いた方とお話をしていると若干遅れてみえた方を入れて話をしていると、16時のアポを17時30分にさせて頂いた社労士の先生がみえたので、3人のお客様を玄関で見送り社労士の先生との打ち合わせをしました。新規事業の話しもあり、表題の通り18時45分に椅子に腰掛けガラケーでコラムを打ち出しました。本来であれば我が家に帰ってコラムを打つところなのですが、大型トラックを返しに行った水野相談員の帰りを見届けてから帰る事にしたのっすが、トラックを返しに行った後も引き続きショート対応をしていたとの事で水野相談員を確認したのは19時30分で、水野相談員に声を掛けて、その後家に帰りお風呂に入りながらコラムを打ち、、今(20時48分)は夕食を頂きながらもうすぐコラムが打ち終わります。リピーターの皆さんこんな宏君を誉めたって・・・。但し読み直して思い違いをしている時間帯がありますが、とにかく忙しかったので許してチョ

本日『新規採用者の入職式及び辞令交付式』

午前10時からの予定でしたが、施設に来てから落ち着かなくて、あちこちと動き回り、「理事長として、職員に任せておけば良いのに、やっぱり私は多動的な人間だ。」と自重気味に思いつつも動き回る事がやめられない私なのであります。

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早い方は9時10分に着かれていて、「うんうん、気合い充分だ。」と思いつつ、「新規職員が施設内に入られる時に理事長である私がうろうろしているのは変だ」と言う事で事務所の椅子に腰かけて理事長としての挨拶を考えていると、定刻5分前に「全員が揃いました」との報告を受けて会場に行くと40人の新規採用者が整然と座っている中、所定の席に着くと、和合の事務長の進行で会が始まりました。

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先ずは和合の施設長が開会の挨拶をされ、それに引き続いて理事長の私から一人一人に辞令を手渡しました。紙切れ一枚。されど大切な一枚。それぞれに思いを持って貰って頂けたと思いました。辞令交付に引き続き理事長としての話をさせて頂いたのですが、その中で、24年前に本館施設を開設した時の思い、入所者がなかなか入居して頂けなくて苦労した話し、職員の頑張りにより、今回の入職者を入れて杉和会の職員は総勢180人になったこと等を話しさせて貰いました。

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私の話しに引き続き新人職員代表者の話し、先輩職員からの話し(先輩職員代表挨拶はネパールの職員にして貰ったのですが、ポイントを得た内容に舌を巻く思いでした。式典は本部施設副施設長の閉会の挨拶で終了して、集合写真と共に3施設別の写真を撮りました。

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それで全て終了してから盲養護老人ホーム優・悠・邑  和(なごみ)の職員だけ残って貰い、4月1日からの新規施設の運営方法等について、先ずは理事長からの話しと吉澤施設長からの話をしました。『鉄は熱い内に打て』の諺に従った思いを伝えました。その後私はこの4月から顧問に就任して貰う現岐阜県社協の坂口事務局長との打ち合わせと和(なごみ)の事務長に就任して頂く乾さんと順次話をして、昼食後は13時30分から月一回の家族会主催の誕生会の為に13時過ぎに来ていただいた家族会会長の吉田さんと話をして、13時30分になり吉田会長と共に誕生日を迎えられた本館一階、本館二階、新館一階とお祝いの品を持って行き、それぞれの方にハッピーバースデイの歌を歌い誕生のお祝いをしました。

家族会の吉田会長を見送った後、昨日湯がいた筍の味噌汁(八丁味噌)を作る為、本館玄関先で昨日と同じ寸胴に薪をくべ火をたき『男の料理』よろしく大きな鍋で筍の味噌汁を作り16時前には出来上がったので、17時に帰られるデイサービスの利用者さんにおかわりが充分出来る位に鍋にいれ、続いて本館一階、本館二階、新館一階、新館二階とそれぞれの鍋にたっぷり入れて食べて頂く事が出来ました。昨夜は新規採用者の辞令を渡すことにワクワクしてしっかりと眠れなかったのと、火の番は意外と体力を消耗するのか、疲れてしまい、早く帰らせて貰い今の時間に(17時44分)コラムを打ち終えたのでリピーターの皆さん、私は本日早く寝て明日からもしっかり頑張りますので、その頑張りを見ていてください。

本日午前中は筍を湯がいて午後は当法人の評議員会です

令和3年3月27日

昨日、第一興商との新規施設のカラオケ購入の打ち合わせを終えて、(15時30分)3月28日に杉和会全体の辞令交付式を本部会議室で行うので、「少しは飾りをしたい 」と言うことで、垂井町にある園芸屋さんまで買いに行き、購入後に施設へ戻る車の中で施設からの連絡を受けました。「何事か」と緊張したのですが、内容は「新規施設の土地にいっぱいある筍を掘りに行っても良いですか」との内容にホッとしながら「気を付けて行ってきて。明日、朝イチで湯がくからその準備もしておいて」と返事をしました。私は施設に戻り、コラムをパソコンに入力しながら筍掘りの成果物を見てから帰る事にして待っていると、帰ってきたので、玄関先に行ってびっくり。びっくりの一つは北島部長が軽トラに乗っていた事。(つまり、いつもは乗用車での出勤なのに、軽トラに乗って来ているのは最初からそのつもりだったと言う事)二つには成果物の多さです。(50本はありました。)当施設の職員のあいからわずの行動には驚くと共に感謝です。しかも、四人で掘りに行ったとは・・・。

今朝施設に着くと、既にいつもの場所に寸胴や鍋が準備されていて、ご親切にも薪はきれいに寸胴の薪を入れるところにセットされていたので、お酒とお塩を火の神様に振るまい、施設に行く途中で農協に寄り米糠を頂いてきたのを鍋に入れてから着火剤を木に付けてライターで火を点けて積まれている薪が勢い良く燃え上がりました。

今日のフロアの職員のメンバーが良かった為か、風も無く暖かい日よりだった為か、新館からも本館からもデイサービスからも寸胴周りに沢山見学に来て下さったので、『密』への配慮をしながら楽しく写真を撮ったりおしゃべりを楽しみました。そんな時に私は「寒い方はこの大鍋に入って貰いますよ」等と軽口を叩きながら1時間30分程薪をくべ続けました。明日は午前中は新規採用者の辞令交付式なので、夕食で筍の味噌汁を食べて貰います。と言っていたら北島部長が猛反発。「夕食だとデイの利用者さんは食べて貰えないので、春子さんに来て貰って一品作って貰って良いですか。」との意見に対して私は「凄まじいデイの利用者さん思いだ。」と感動しました。

午後1時30分から杉和会の評議員会が開催され、令和3年度予算案および事業案等が承認され、3拠点になる体制の中での法人体制についても承認して頂けました。新規事業の映像等も見て頂いたので16時の予定いっぱいの時間がかかり、全ての方のお見送りをして、16時のお約束で来て頂いていた三城コンサルとの打ち合わせをしてから急いで明日の筍祭りの必要物品をゲンキーに買いに行き、明日の辞令交付式で渡す辞令書に理事長の印を押し、本日の業務を終えて今は(1831分)湯船に浸かりながらコラムを打ってます。

リピーターの皆さん。これだけ頑張って明日も頑張りますので熱燗一合は許されますよね。と、都合の良い考えでいるのですが「リピーターの皆さん、くどいようですが大丈夫ですよね。・・・。」

 

リモート会議も様になってきました

令和3年3月26日

本日10時から『令和2年度 第2回岐阜県福祉人材総合支援センター運営委員会』がリモート会議で行われたのですが、令和2年度はコロナ感染対策の一貫としてリモート会議が殆どであり、本日のメンバーはこの1年で多くの会議をリモートで行う事が多かったメンバーの集まりであったので、若干のトラブルはあったものの比較的順調に会議が行われました。私は昨年の3月以降少なくても月3回はリモートでの会議をこなしてきたので勿論、マイクの入り切りも含めてお陰様でベテランの域に達しています。特に私が所属している全国老人福祉施設協議会はコロナの影響を受ける前から経費の削減と効率化の一貫でリモート会議の準備に取り組んでいたので、どの組織よりも早くに取り組めたと思います。

リモート会議の最大の長所は『どこででもリモート会議の環境が整っていれば出来る。』と言う事。つまり、移動時間を全く計算する必要がないので、移動を伴う経費もみなくて良いのです。そのメリットを最大限に活用したのが、全国老人福祉施設協議会総務・組織委員会が作成した会員の入会促進パンフレットの制作です。例えば、私の場合、施設から岐阜羽島駅まで運転して駐車場に車を預け、新幹線で東京駅まで行き、本部事務所がある塩崎ビル(平河町)までタクシーで行くのですが、順調に行っても片道3時間。つまり往復6時間はかかります。(待ち時間を考えるともっとかかりますが)移動時間6時間をパンフレット作成に活用したとすると、一字一句までの検討が出来たと言う事です。

但し、リモート会議を充実したものにするには、しっかりと予習をしないと「事務局の案を聞いただけ」になってしまい、会議に参加した意味が無くなってしまいます。と言う事は事務局サイドからの情報を早く頂く事も大切になると言う事です。本日の会議では『福祉人材の確保』の為の情報交換と岐阜県の取り組みと方針を聞く会議だったのですが、人材発掘の為の色々な手立てをする為の意見を提案する場ではありましたが、『福祉・介護のイメージを高める』為の手立てこそ肝要だと改めて思った次第です。但し人材確保においては、事業所によっての温度差がある事は間違いないし、地域による状況も違うので何とも言えませんが、近い将来人材確保はより厳しくなると考えていますので、より良い方向性を示せるようにしていかなければと思っています。リピーターの皆さん。どこまで言っても「5年先10年先への配慮こそ大切だ。」と教えて頂いた中村博彦先生の教えを大切にしながらこれからも頑張っていきますので私の展開を見守っていて下さい。

 

全国老人福祉施設協議会 総務・組織委員会について

令和3年3月25日

令和2年度・3年度の2年に渡って総務・組織委員会委員長の任に就かせて頂き、令和2年度については、全国8ブロックの役員さんとの懇談会で、ある時のスケジュールでは東京で関東ブロックの幹部役員さんと午前11時集合で『ランチミーティング』を行い、午後からは場所を代えての役員さんとの『懇談会』に引き続いての交流会が行われ、その日は東京で泊まらせて頂き、翌日は13時から近畿ブロックの役員さんとの懇談会の為に新幹線で大阪に移動して17時に終了してから、伊丹空港までリムジンバスで行き秋田空港に飛んでその夜は秋田市内の懇談会会場であるホテルで泊まり、翌日午後からの懇談会を終えてその日遅くに家にたどり着いたのは大変でしたがそれぞれのブロック役員さんと膝づめでお話が出来たのは良かったです。残念ながら昨年2月からはコロナ感染症により、中国ブロック(広島)には行けませんでしたが、総務・組織委員会委員長としての対応はしっかり出来たと自負しています。令和3年度についても直接各ブロックに行く計画を立てていたのですが、コロナの終息をみる事が出来なかったので、リモートでの懇談会でしたが各ブロックで実施出来ました。また、今年度は会員の入会促進の為のパンフレットの作成にも力を入れました。このパンフレット作成はコロナ禍であった為に委員の皆さんを一堂に集めての会議は出来なかったのですが、リモート会議であった為に移動時間がない事で必要に応じて開催する事が出来たのでしっかりとしたパンフレットが完成して全国老人福祉施設協議会の魅力を引き出すための作品になったと思います。総務・組織委員会のメンバーは選りすぐりのメンバーであり、私に責任者が勤まるか心配していましたが、強者(つわもの)揃いのメンバーに支えられ、何とか職責を全うする事が出来ました。『過去形』で書くのは5月まで任期があるので正確な表現ではないのですが、委員会のメンバーが揃っての委員会は昨日が最後だったのでそんな表現にしました。『今年度最後の委員会』と言う事でそれぞれの委員さんからは来年度に向けての思いを語って貰い、その意気込みに流石の私もタジタジになりましたが、どの委員さんも総務・組織委員会の役割を理解して頑張って頂いた事に改めて感謝です。『感謝』と言う言葉を思い描きながらつくづく思ったのは「私は人に恵まれているな」と言う事です。リピーターの皆さん。『運のみ』で「よっつしゃよっしゃ」とばかりではないとは思いますが、この生き方は変えられません。

とにかく眠くて

令和3年3月24日

昨日は、午前中に県老施協制度政策委員長の西垣先生の紹介でインドで貧しい生活を余儀無くしている子ども達の為に学校を作り、その一貫で仕事の提供が出来る組織を作りたいとの熱い情熱を持ったインド人夫婦(夫人は日本の方です)の方にお会いして、今も尚インドにはカースト制度は残っている現実を知ると共に、思いの中でゼロから立ち上げようとされている方の底力を感じさせて貰った話しを聞く事が出来ました。この志しに対して私自身がこれからお手伝い出来る事は何かを具体的に考えて支援出来ればと思うと共に清々しさを覚えました。(勿論、私がしっかりとした経営をしていないと支援等出来ないのですが)午後からは13時30分からデイサービス、新館2階、新館1階の3ヶ所を移動しながらお参りの導師役をそれぞれの所でさせて頂きました。このお参りの中でもお腹から声を出させて頂き、利用者さんも入居者さんも一生懸命にお経を唱えて下さり、このお参りの中でも爽やかな気持ちにさせて頂く事が出来ました。

3ヶ所のお参りが終わり新館から本館の事務所に戻ると新規事業の建設を請け負って頂いている岐建の常務さんとのお約束をしている15時30分より少し早い時間でしたが、既に来て頂いていたので慌てて会議室に行き、追加工事の値段交渉や竣工式等の打ち合わせをさせて頂きました。その後パソコン上での情報の確認や次の日に行われる全国老施協総務・組織委員会のリモートでの会議の予習をしていると17時過ぎに毎週火曜日と決めて来て頂いてる移動販売(神戸から来て頂いている『だるま』)の車が玄関前に停まっているのに気付き3週間ぶりに買い物をして、これまた久しぶりに家でお酒が飲みたくなり(日曜日に厳しい状態だった入居者の方が少し良い状態だし、宿直は吉田部長だしと言うことで)つまみを探していると『かつおのタタキ』と『ほたるイカ』があったので購入して、家に帰りお風呂にゆっくり入り夕食にお酒を飲んでと考えながら車を運転していてふと時計を見ると18時になっていてびっくり。

だって、18時なのに明るいから。そう言えばこの時間に返るのは久しぶりでお彼岸も過ぎたのだから明るいのは当たり前か。家に着きそのまま脱衣場に行きお風呂に直行。そしてシャワーを頭から全身にかけて、最後に水のシャワーも浴びてからゆっくりと湯船につかりました。こんな時は思いっきり歌を歌いたい気分になり砂田おさむさんの持ち歌である『織田信長』を歌って気分良くお風呂からあがり食卓につき自分で冷酒用のグラスを準備してかつをのたたきとホタルイカをつまみにグラス2杯の冷酒を飲み気持ち良いほろ酔い気分になり(この程度のお酒でほろ酔いとは随分弱くなったものです。)ゆっくりとした夕食の後にはめちゃくちゃ眠気が襲ってきました。(ようやくタイトルの話題になりました。)結局夕食後は自分の部屋に何とかたどり着きベットに横になり時計を見ると21時でめっちゃ寝るには早かったのですが、目をつむると爆睡でした。

一旦目が覚めたのは午前1時30分でしたので、再び眠りにつき午前4時30分に目を覚まし、流石に三度目の眠りに入るのは勿体ないと、ガラケーの携帯にコラムの現行を打ち込んで、1000文字近く打てた所で朝食時間となり、一旦打ち込みを止めて、午前中は和合での会議が10時30分からなので少しゆっくりと出掛けようと胸算用をしていたら税理士の先生から寄付の依頼の私の原稿の確認が出来たとの事で慌てて着替えをして岩田事務所に行き岩田先生との打ち合わせ。打ち合わせ終了後には和合に行き11時40分まで全体会があり、本部施設に戻り急ぎ昼食を頂き13時30分からの全国老施協総務-組織委員会で16時終了が若干延びて、終了後は慌てて16時からのホームページやパンフレットの打ち合わせの為に会議室に行き、結局19時30分に本日の予定は全て終了。今は(20時52分)ですが、昨夜と同じく眠くなってきました。リピーターの皆さん、これを悪循環と言うのでしょうか。今夜も素直に寝ます。

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『準備は念入りに』は大切な事

『半沢直樹』のドラマの中で部長役を演じた猿之助さんが言った名台詞(少なくても私はそのように思ってます。)「準備は念入り」は、何事にも大切な事と痛感する出来事が昨日ありました。それは、昨日開催された岐阜県老人福祉施設協議会の役員会および総会での出来事です。

昨日は午前中に役員会があり、午後には総会があったのですが、午前午後共に『準備は念入りではなかった』事の話をします。先ずは午前中の役員会において事務局の説明の中で来年度の予算案の説明がいきなり『数字の訂正』から始まり、しかもその訂正が何ヵ所かにわたってあって、午後の総会においても、訂正もしない資料で説明するとの説明に対して、流石に役員の皆さんから「私達は会場に来ての説明だから何とか理解したけど、リモートでの参加の会員の方にはわからない内容になります。」等との意見が噴出しました。実は今のパソコンのシステムでは一ヶ所間違えると他の箇所まで自動的に直してしまうので何ヵ所かの訂正をする事になるのです。

そこで、昼休憩の時間で修正をして、「せめてパソコン上では正しい数字で説明しなければ会員の皆さんに失礼だ」との指摘を受けてようやく事務局が動くと言う状況に私は会長として、事前打ち合わせが完全で無かった事と事務局が間違いがわかっていながら押し通そうとした事の両方に苛立ちを覚えました。

午後の総会においては、先ずは私が会長としての挨拶をさせて頂き、リモートの良さを最大限に生かして、来賓挨拶を全国老施協の平石会長に広島県から参加して頂き、園田参議院議員には参議院会館からの参加をして頂きました。その点はコロナ禍故の災い転じてで良かったのですが、総会においても準備が抜けていた事があるのです。先週の金曜日に胸騒ぎがして、園田議員の秘書の小松さんに確認の連絡をすると「リモートで入る手順の連絡は貰っていない」との事だったので直ぐに事務局に連絡すると「郵送で送ったので届いている筈です。」との返事に対して、私はいらっとしながらも「とにかく手元にないと言われているので大至急メールで送るやり取りをして下さい」と言うことがあり園田議員の挨拶も無事にすることが出来たのですが『準備は念入り』とは程遠いものだったと思っています。

但し、平石会長と園田参議院議員がパソコンの画面上とは言え、岐阜県の会員さんにお話をして頂いたのは良かったと思っています。

最大の失敗は総会の承認を得た後に企画されていた全国老施協が作成した介護報酬改正の説明用ビデオの音声が流れない大失態があり、そのような状態が20分以上になり、改善に努力をされたのですが叶わず、会長である私から「音声が出ない状態でお待ち頂いたのですが、改善出来ませんでした。大変申し訳ありません。今回のビデオは全国老施協のホームページ上でいつでも見られるような対応の連絡を必ずさせて頂きますので誠に申し訳ありませんが、本日の総会は以上で閉じさせて頂きます。」と話をさせて頂きました。本当に冷や汗が流れる状態でした。

総会の責任者は会長である私ですので全て会長である私の責任なのですが、『準備は念入り』の部分で何がいけなかったかと言えば、一言で言えば会長である私の不手際なのです。但し、私は正直、いわゆる非常勤役員で岐阜県社協に事務局を委託していて、専門職にお願いしているわけで、自分の立場を省みず現象に対して結果論で述べさせて貰うと、午前中の資料の話は修正箇所がわかっていながら、「既に資料が出来ているので口頭の説明で済ませよう」と言う安易な対応であり、午後の総会後の講演ビデオについては、ぶっつけ本番の対応であった為か音声が出ないと言う大失態。これは単に『・・・・・であったら』等と言う以前に初めてのリモートによる総会であれば、より念入りに準備するのは当然の事だったと思います。

リピーターの皆さん。確かに私が会長としてしっかり確認が出来ていなかったとは言え、事務局のあまりにずさんな対応に腹を立てているのですが、リピーターの皆さんはどの様にお考えになられますか。

出来たらホームページでの解答を頂けると嬉しいのですが。

『天国と地獄~サイコな2人~』が最終回を迎えました

令和3年3月22日

TBSの日曜劇場『天国と地獄』が昨夜最終回を迎えました。このテレビを見られていた方は7回までのあらすじから、どんな終わり方をするのかハラハラドキドキだったのではないでしょうか。警視庁刑事部捜査第一課の警部補望月彩子(綾瀬はるか)とベンチャー企業「コ・アース」社長の日高陽斗 (高橋一生)が連続猟奇殺人事件を通して二人が歩道橋の階段を転げ落ち入れ替わる事により数奇な出来事に巻き込まれていく物語と陽斗が双子として生まれたのに全く違う人生を歩む事になる運命のいたずらもドラマの中では大切なポイントです。

陽斗の兄(15分先に生まれた)東翔也(さくや)。東は人生の上での悲劇により、連続猟奇殺人を繰り返すのですが、弟である日高が兄の犯罪を自分に向くように証拠を残して行くのですが(この事実は番組の前半ではわかりません。)主人公二人が入れ替わる事により心理的やりとりも複雑に絡み合い、彩子の居候、渡辺陸(柄本佑)彩子の上司河原三雄(北村一輝)後輩刑事八巻英雄(溝端淳平)などがからみ、七回目を見た段階で、「こんなにハチャメチャなストーリーで、いったいぜんたい、最終回でどんな終わり方をするのか」と興味を持って見たのですが、正直『みんなが優しい人間』になってしまったのは仕方がないのかも知れないけど私的には少しがっかりしてしまいました。

リピーターの皆さんの中で見られている方があったらどのように感じられたかを教えて下さい。私はこの話題についてかってな深堀をしてみました。それは、『半沢直樹』と比較してみたのです。例えばかなり前に流行った私の愛読書だった『課長  島耕作』は、人気があった為にどんどん出世して部長になり取締役にやり、常務になり社長になり会長になり、これ以上は書きようがないと若い時に戻っての話が展開されて、連載が続きました。話を戻します。半沢直樹も回数を重ねる事なより次回作への期待が強く、「この後はどうなるの」と言う終わり方。

具体的に言うと第一回の10回シリーズが終わった時には、かの有名な大和田常務の土下座により、半沢直樹がやり過ぎとの事で出世するどころか出向するところで終わり、2回目の10回シリーズは頭取も大和田取締役も銀行を去る事になり大和田取締役(元常務)から、「まだこの銀行が終わってないと言うのなら半沢、お前が頭取になって、立派に建て直してみろ」と涙ながらに言われて、「わかりました」と言って最後に半沢がニヤリと笑ったところで終わったので、「まだまだ余韻を残しているので、次がある予感があるのですが、兄の死により複雑な中味が急激に優しい人ばかりの終わり方には少し物足りなさを感じますし、二人が入れ替わった事に対しても、画面が良くわからない声のみの取って付けたような説明でみんなが納得するとは思えないのですが、まあね。あくまでドラマの世界ですから。リピーターの皆さん。マニアックな話題に終始したコラムであった事を臥してお詫び致します。

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