ITO(今須地域おこし)協力会設立総会か開かれます
令和3年3月31日
遂に今須の小中学校が本日3月31日を持って閉校となってしまいました。閉校に伴う記念誌には、母秋江さんも長姉光子さんも次姉春子さんも勿論宏君の名前も卒業生名簿に名を連ねています。私の名前はもう一ヵ所PTA会長を2年連続でさせて頂いていたので載っていました。私が通っていた校舎は当の昔に建て替えられているので(当然です。だって中学校を卒業したのは52年前何ですから。)今の校舎を活用して何かが出来ないかと色んな意見が出ても形になるものはなかなか見つからないのが現実です。
インターネット情報で、『今須』について検索してみました。1602年中山道今須宿設置。(天領)。1804年には幕府領(大垣藩預かり)1889年7月1日に『町村制』が出来『今須村』となり1954年9月1日に『町村合併』により関ケ原町、玉村、今須村、岩手村(1部)が合併したとの事です。1954年に合併したと言う事は私が生まれた時には『今須村』だった事を改めて知る事が出来ました。私が生まれ育った『今須』は風光明媚なところだと自負してますし、本部施設がある南側の山の頂は滋賀県と岐阜県の境であると共に分水嶺があり、東に流れると伊勢湾に西に流れると大阪湾に流れる分岐点があり、私が施設を立ち上げた時の水に拘られる地域性には、当初は面食らいましたが、今となっては「確かに水が綺麗で冷たい水が流れてくるのは強みと言える」と思っています。
誰かが中心者とならなければ『地域おこし協力会』なるものの設立も叶わないし、ましてや継続していく事も難しいと思われますが、私が『関ケ原に老人ホームを設立する会』で活動している時に(25年前)絶大なる協力と行動力を発揮して頂いた吉田儀一さんが主体的に活動して下さっているので設立総会を本日迎える事が出来たと思っています。吉田儀一さんの郷土愛にはいつもいつも舌を巻く思いです。かつての全国老人福祉施設協議会中村博彦会長のように言うのであれば『労を惜しまず』を体一杯に漲らせながら頑張ってみえ、25年が経過した今でも当法人に於いて優・悠・邑家族会会長として関わって頂いています。
私も今須の為に微力ながら貢献できる事があればと考えていますが、昨日の江崎さんとの懇談会の話の中で旧上石津町時地区で水の綺麗さを活用して米のブランド力を高める活動をされているとの話がありましたが、今須の水も旧上石津町時に勝るとも劣らないのだから、『あきたこまち』の2番煎じ3番煎じと言われても良いものの評価を上げる努力をしていく事は大切だと思います。実際に当法人では本部施設も和合の施設も今須米を地元の農家から供給して貰っています。「もうダメ」と考えるのではなく、「まだ出来る事はいっぱいある」の考え方で行きたいと考えていますのでリピーターの皆さん。今須の再生にもご理解下さい。