大学を卒業して・・・
大学を卒業して神戸町立北小学校4年3組35名を担任していた時の事を今の私の立場を踏まえて書く事にします。
昭和53年4月に4年3組の担任となった初日の目標は全員の児童の顔と名前を一致させる事だったと思います。勿論、担任に決まった日に児童35人の資料を頂いていたので、それなりに頭に入れておいたのですが、最初に教壇に立って挨拶した時には舞い上がっていて、何を話したかよく覚えていません。ただし、顔と名前を一致させる事は覚えていたので、名簿を見ながら子どもに起立して貰い、一人ひとりに思い付くままにインパクトのあるコメントをしようと努力した事は覚えています。ただし、それだけで35人の名前を覚えられる程頭が良くない私は、一分一秒無駄のないように子ども達との接点を持つ努力をしました!1日が終わり家に帰って資料にある顔を見て名前を言って行ったのですが、3人だけはどうしても名前が言えなくて自分の不十分性に腹を立てた事を覚えています。
そんな私が、初めての校内研究授業を6月に行った時は板書は全然しない!ビデオを見る為の操作は出来ない!45分の授業なのに10分も残して話しする事はない!研究会の後の指導では有りとあらゆる酷評の嵐!その当時の若原校長先生からは、「何も優れた事はなかったけど、若山先生頑張れと言うメッセージを子ども達みんなが持っていたのは若山さんの素晴らしさかな」・・・・・。その次の日から毎日毎日若原校長先生の窓越しのチェック!若原校長先生の足音が廊下に響くと子ども達が「校長先生が来た来た」とみんな緊張感を持ってくれて涙がでる程に嬉しかった事を覚えています。それからも、はちゃめちゃの教員生活でしたが、9月に県の教育課長さんによる指導を受ける事になり、私なりに6月よりははるかに頑張り自分で言うのも変ですが、パーフェクトに近いものが出来、その日を境に校長先生の窓越しのチェックはなくなりました。
今回のレポートは、こちらから指示を出さなくても出来る組織になるにはどうしたらいいのかを考えている時にふと回想したことをレポートしました。