2025年05月の記事一覧

喉の調子が悪いので

令和7年5月21日

昨日から喉がいがらっぽくて若干熱ぽかったので昨夜は早くに寝たのですが朝5時にいつもの様に目覚めたのですが昨夜よりも体が重かったので「お参りで汗をかいてお風呂に入るのは止めなければいけない」と言う事でお参り自体を止めて再び寝る事にしました。7時に朝食を食べてからも出掛ける気になれずグタグタと横になっていたのですが9時前にメールで『お客様がみえてお待ちしてますとの事です」との事だったので無理やりギアを上げて着替えをして本部施設に行きました。我が家から本部施設は車で5分なので状況によっては良し悪しだなと改めて思った次第です。

9時30分から本部施設幹部会があるので車に乗ってから「お客様をボランティア室に案内して珈琲を出しておいて」と連絡しました。5分後に本部施設に到着して直ぐにボランティア室に直行して9時30分になったので幹部会のメンバーが呼びに来たので話を終えて会議室(直ぐ隣の部屋です)に行こうとすると『さくら高校』の実習指導の先生が帰られるところだったので幹部会の為にスーパーバイザーの為に来ていた(ちなみにオンラインで烏野猛びわこ学院大学教授も参加して頂いています)盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)の施設長が法人全体の就職担当なので一緒に挨拶してから当施設では骨伝導によりパソコン入力をしていることと、眠りスキャンで眠ってみえる時の心拍数等々がリアルタイムで確認出来る事を熱く語り実習訪問の先生も興味を持って頂けました。

烏野先生は10時30分までの参加と言う事なので一番最初に最近の動向についての話をして貰い「現場が益々難しくて厳しい状況になるな」と感じた次第です。烏野先生の話に引き続きフロアの責任者からの報告があり、その都度方向性を示しながら進めて行き、最後の総括と今後の方向性について理事長として話をさせて頂きました、終了してバタバタと昼食を取り、13時30分から藤下の高木さんとのジョイントカラオケがありますので間隙を縫ってコラムの原稿を書いています。

高木さんは私以上の『昭和おじさん』なので13時過ぎにはおみえになるので、頑張ってコラムを書いています。高木さんとのジョイントカラオケが終わって16時から関ケ原町地域ケア会議があり、18時15分から本部施設の互助会がしゃぶしゃぶの木曽路大垣店であるのでいつも以上にタイトなのに体調が今一なので「これは、お酒はセーブしなさいと不動明王様に言われているように」と思うのですが、果たしてお酒と美味しい料理を前にしてセーブできるのか甚だ自信がありません・・・。

『覆水盆に返らず』

政治家さんのしかも農林水産大臣の現職の方の発言で、謝罪をしたり、撤回をしたりすれば大丈夫なのか。

『覆水盆に返らず』の意の如く吐いた言葉を無しにすることは出来ないと思っています。

しかも、米の高騰が続いている今、「何を考えているの」と言わざるを得ません。

国民の気持ちを逆なでする発言には耳を塞ぎたくなる思いです。

「『米は買ったことがない。売るほどある』とは国民を馬鹿にするにも程がある。」と言う事です。

(釈明と撤回要旨の中で)

【私自身は週に2回はスーパー回りをしており、定期的にコメを買っている。先週も買った。玄米で買ってほしいことを強調したくて、実態と違うことを言った。お騒がせしてしまったことは遺憾に思う。いただいたもので自分と妻の分はまかなえる量かもしれないが、足りなくなれば買いに行っている。政治資金規正法で禁止されている会社など団体からの寄付ではなく個人から私個人へのいただきものだ。売るほどあると言ったのは言い過ぎだった。講演会場が盛り上がっていて受けを狙って強めに言ってしまった。撤回というよりも訂正だ。正確性を欠いた発言だった。購入に困っている消費者の方々に配慮が足りなかった。】

以上の発言は『恥の上塗り』の様にとれる発言に私自身は『あんぐりです』「だってそうでしょう。」「米は売るほどある。」言っていた方が「定期的にコメを買っている。先週も買った」と言うのは「どこに真実があるの」と言わざるを得ません。

「足りなくなれば買いに行っている。」にも「どの口が言っているの」と言う感じです。

今回の米騒動で米の買い付けに失敗したJA(農協)の損失を助ける為に備蓄米を提供したと言われても仕方が無いくらいの密な関係だったと暴露しているようにも思えてくる。

今まで「減反政策はしない」と言いながら農協職員が農家を廻り減反政策に手を染めてきた現実を今須で米作を営んでいる複数の方に聞きました。

ところが最近の農協職員は「もっと作って欲しい」と比較的大規模な農家に頼みに行っていると聞いています。米に対する政策が思い付きでされて、一生懸命にお米を作られている方々を振り回すことは止めて頂き、安定した価格と数量になる事を切に願っています。

『他山の石』について語ります。

令和7年5月19日

『他山の石』をインターネットで調べると「他人の誤った言動や失敗から学び、自分の成長に役立てる。」との説明書きを見て改めて思う事は「わかっちゃいるけど止められない」の歌が頭に浮かびました。確かに理解はするのですが、「それでもやっていけないことをしてしまうのが人間なんだ。」とつくづく思っています。リピーターの皆さんの中には「あいからわず、前置きが長いけど何が言いたいの。」と思われているかたがおみえになるかと思いますので、具体的な事例でお話をします。

私は26歳まで食が細くてガリガリだったのです。だから自分で言うのも気が引けるのですが「体形が細くて(160cmで50㎏)スリーピースを格好よく着こなしていました。(それを自分で言いますかとも思うのですが。)ところが、児童養護施設の指導員になってから食事を食べるスピードが3倍から5倍程度になり、食事をした後の満足感が無い状況になりました。そして結婚する前は、午前0時前後に仕事から帰り、当然夜食が置いてあるわけでもなく、お風呂に入ったら寝てしまう毎日だったのですが、30歳と10日で結婚した、いわゆる新婚当時の1年間は帰ってくるとお酒と共につまみが用意されていて、私は「せっかく用意してもらっているのだから頂きます。」と言う事で、毎日の様に食べていて、その頃の私の体重がコンスタントに月に1㎏は増えていて「このままいくとえらいことになる」と思いながらも、38歳で児童養護施設の指導員を退職してからは不規則な生活になり、痩せていた時より30キロも増えた頃に腰痛が気になる様になりました。つまり、腰痛の原因の1つがウエイトオーバーだと言う事に気が付きました。

今は腰が痛くなると少し減量をしての繰り返しです。今回、この事を書こうと思ったのは、入居者さんの一人の方が施設の食事の他にカップ麺やジュースを飲まれていて、この1年間で9㎏近く増えたと言う事で腰の痛い訴えが多い事が分かったのです。私も我慢が出来ない状態になる前にセーブしなければいけないので、夕食を食べた後で大きなあられを食べないようにしたいと考えています。色んな問題や課題に対して辛抱強く出来るのに、自分の食生活には辛抱しなくて意志薄弱のような私ですが、頑張ってセーブしたいと考えています。

「トホホ」の話と「ありがたいな」と2題です

2題についてどちらも優・悠・邑 和合の地区での奉仕作業での話です。

先ずは先週日曜日の11日に実施された『どぶさらい』後の話です。

どぶさらいは結構に深い溝に(約1.3m)降りての作業だったのでヘドロをスコップに乗せて上に上げる作業だったのですが頑張りました。

そしてその日の夜に腰や肩や腕が痛くならないかと心配していたのですが全然大丈夫だったので「歳を重ねると痛みが出るのは2,3日してからなのか」と思っていて次の日も、その次の日も全然大丈夫だったので「意外と私の体は丈夫なのだ」と安心していたのです。

ところが4日目の15日になって肩に違和感を覚えたのです。

次の日の16日には我慢が出来ないくらいだったのですが(私の誕生日の日ですから元気に装っていましたが・・・)整体の予約が取れなくて、昨日の17日に整体の施術をしっかり1時間受けてかなり痛い事もされましたが、体をしっかりほぐして貰ってリフレッシュは出来たのですが、施術中に「歳をとると48時間から72時間で痛みがきます。」と何度か言われて、私に痛みが来たのは96時間後だから「忘れたころにしても96時間後とは如何にも遅い」と思うと『トホホ』と言う事です。

そして本日18日は同じく和合地区にある八幡神社の草刈り活動が7時30分から実施されると言うので7時前に和合の施設に行き、インドネシアとネパールの職員2人と一緒に八幡神社に行くと、早く来られている方に「優・悠・邑 和合の施設から来ました。分からない事ばかりですので宜しくお願いします。」と挨拶すると「杉和会さんですか。」との返事が返ってきたので「杉和会をご存じなんですか」と言うと「私はかつて平野学園に勤めていたので」と言われたので私は思わず「日比野先生ですか」と言うと(親しみを込めた声で)「そうです」と答えられたので「8年ぶりくらいですか。その節は大変お世話になりました。」と言ってからしばらくは8年近くのブランクを無くすような話をさせて頂くと、その会話を聞いていた方から「垂井にも施設があるよね」と言われたのでその方とも親しくお話をさせて頂けて、楽しく作業をさせて頂く事が出来ました。

と言う事で、一生懸命な対応をしているとこの様な展開もあると言う事で『ありがたいな』と言うお話でした。

元気にしていると色んな刺激を頂けると言うお話でした。

お参りでのあれこれ

令和7年5月17日

お参りで、妙心寺本堂に設置してある奈良薬師寺の大谷徹奘師の日めくりカレンダーを、その日その日めくるのが日課になっていて、当然ながら私がめくるまで昨日16日だったのですが、本日の17日にする前に16日の『弱い自分に出会った時が強い自分になるチャンス』を見た瞬間に「この言葉は私の人生そのものだ」と思い、思わずスマホで写真を撮った次第です。

と言うのも、私は両親の愛情を一手に受けて、文字通り世間知らずのボンボンで大変な状況になると、両親が矢面にたってくれた苦労知らずだったのです。しかしながら、私が38歳の時に父進が他界して、文字通り『自立』しなくてはならない状況の中、児童養護施設を退職して、極端な表現をしたら「援護者がいない」状況での『背水の陣』の様な生き方を選んだ私は『弱気の虫』が出そうになる度に下腹に力を入れて乗り越えてきた結果、自分で言うのは可笑しいかも知れませんが『強くなった』と言う事なのだと72歳の誕生日に思った次第です。そして本日の日めくりカレンダーの言葉が『できるとき できること できるだけ』の言葉には、自分自身が強くなった分「うん、うん、確かにそうだな。徹奘師は見抜いてござる。」と思った次第です。

本堂からお墓参りを終えて再び本堂の所に戻り、昨日は私の誕生日と言う事もあり、本堂向かって右側に設置してある、徳川家康が関ケ原の戦いに勝利した翌日に、今須宿本陣伊藤新左衛門宅内にあった石に座ったのが『不思議な力の宿る、今須の徳川家康公天下腰掛石』と言う事で、今は妙心寺境内に設置されているので、誕生日の記念にどっかりと座らせて頂きました。

気分よく帰って来て我が家に戻って来て玄関を開けようとして、玄関先においてある花に「綺麗に咲いている」と思って写真を撮ると「色んな所で綺麗に咲いている」と言う事でパチパチ撮りました。私はあまり花には興味がなくていつもスルーをしていたのですが、誕生日と言う事でテンションが高かったからか花にまで目がいったのだと思います。この花の世話は全て私の奥様かをりさんが種から育てているのですので、改めて感謝なのです。こんだけ花に囲まれた我が家だから、幸せに暮らせているのかと思うと「奥様にも感謝」と言う事なのかな~」

本日5月16日は私の誕生日です

令和7年5月16日

朝のお参りで妙応寺の本堂でお経を唱える前に護摩木に願い事を書きました。(いつもだと月始めと月の最後の日に護摩木に書くのですが)護摩木には『満72歳に感謝』と書かせて頂きました。そして、我が家のお墓に来ていつもの様に水を手向けでお経を唱えた後、母秋江さんとゆっくりお話をしました。

大方の話は「小さい頃は本当に身体が弱くて迷惑ばかり掛けましたがお陰様で本日72歳の誕生日を迎えさせて頂きました。しかも、今は元気に走り回れていることに感謝しています。まだまだ心配を掛ける事もありますがしっかりと見守っていて下さい。」と言うような内容です。

本日が正式には私の誕生日なのですが14日には次男家族との会食を。15日には和合の施設で10時から多職種連携会議が予定されていて会議が始まる前にいきなり各フロアと事務所のそれぞれの職員のビデオメッセージで誕生日を祝ってくれて、見終わった段階で誕生ケーキもプレゼントをしてくれました。

そして、本日正式は誕生日の日には盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)のお参りと全体会が終わった段階で誕生プレゼントを頂きました。(今の段階では何をプレゼントしてくれたのかは分かりません。)さてさて、本部施設は日程の関係でまだ何のアクションも無いので明日は和合で午前がお参り、午後がカラオケなのですがカラオケが終わったら本部施設に急ぎ行きたいと考えています。「何を期待しているのか」とリピーターの皆さんは呆れておみえかも知れませんが、誕生日を何度も喜べるのは嬉しい事だと思いませんか。

でも、72歳にもなって誕生日を祝って貰えるのは元気に色んな事をさせて貰えるからと文字通り『病抜け』して益々パワーアップ出来ているからだと思うと母秋江さんの今なお溺愛していてくれている『愛』と文字通り親と言う文字をばらした『木の上に立って見る』での父進さんの『愛』とさり気無く支えてくれている姉光子さんの『愛』があっての事。そして、私を支えて下さった皆々様の理解と協力があったからこそと思っています。

コメ問題を今須に住んでいる立場も入れて語ります

令和7年5月15日

週刊現代5月26日号の特集記事『日本のコメ問題』を読めば読むほどに、JAとの関りが見えてきます。確かに戦後の混乱期にJA(いわゆる農協)が深く関り、日本の農業を支えてきたことは間違いの無い事実です。しかしながら、今なおJAに肩入れをしながらの政策が良いとは、私自身は思っていません。例えば『備蓄米』についてのニュースにおいても「備蓄米の90%以上がJAに関わる所だ」との報道には「コメの自由化と言うのは名ばかりなのか」と言う事です。具体的な記事を参照します。

【「政府は1回目と2回目で計21万トンの備蓄米を玄米の状態で放出し、ほぼすべてをJA全農が落札しました。ところが、政府はなぜか備蓄米の玄米転売を規制したため、全農は玄米ではなく、精米しか販売してはいけないことになってしまった。そのため、JA全農子会社の全農パールライスで精米してから販売することになり、パールライスと契約があるところにしかおコメは届かない。こういう事情で、川下に備蓄米が届きにくくなっているのです」(大規模農家・新潟ゆうき代表・佐藤正志氏)】

【『なぜJAにばかり備蓄米を放出?』「自民党の意向もあったでしょう。昨年の米騒動で、JAは民間とのコメの出荷競争に負け、出荷量は前年より29万トン減になる見込みです。そうすると、JAの販売手数料は減ります。そこで、政府は21万トンを1俵(60㎏)あたり2万1000円でJAに出し、JAは1俵あたり2000円の利益を乗せて、1俵2万3000円で売りました。つまり、JAの赤字を補填するために、備蓄米を放出したようです。農家は自民党の大票田ですから」(宮城大学名誉教授・大泉一貫氏)】2つの記事を読んでいく中で『経済の自由化』とか『独占禁止法』なる言葉が虚しく響いてきます。

2日前の朝のお参りの時に久しぶりに大規模にコメを作っている同級生に会い話をしていて、同級生が「自分は一切農協に世話になっていないし関りを持っていないのに、突然作付け面積を増やして貰えないかと言ってきた。今までは休耕田にする話しばかりだったのに」と怒りを込めた話をされたのには説得力がありました。「組織が大きいから何でも出来るのは如何なものか」と思った次第です。その時に農産品の国産の割合が低い話も出た時、若手の労働力が農業を目指す仕組み作りをしていかなければ、今後の日本の未来は厳しいものがあると思ったのですが、リピーターの皆さんはどの様にお考えでしょうか。

本日は誕生会を楽しみます

誕生会の主人公は次男の長女と言う事は私の孫とそして私自身の二人であります。正確な誕生日は孫が15日で、私が16日なのですが、私の日程の都合で本日の実施となりました。せめて誕生会の日は何も予定を入れない日にしたくて、5日前まではスケジュール表の本日は空欄になっていたのですが5日前に令和8年度東海北陸ブロック研修岐阜大会の打ち合わせが9時30分から入ったので12時にスタート予定にしていた誕生会の昼食を30分ずらしての企画にして、打ち合わせもなるべく早くから始めれたらの思いで朝食を食べたら直ぐに出掛ける予定にしていますし、コラムも今お参りに行く前にスマホで打っている次第です。これは正に時間は見つけるの真骨頂だと自画自賛です。と書きながら私はいつからこんなに意志の強い人間になったのかと考えてもあんなに軟弱だった私がと不思議です。多分色んな出来事や出会いがあったから何だとしみじみ思っています。

大会の打ち合わせを11時に終えて一旦本部施設での打ち合わせをしてから掘りごたつの個室があるお寿司屋に急ぎ、駐車場着いたタイミングで次男家族が来たので一緒に店に入り一ヶ月でしっかりと言葉を話せる様になった本日の主役の一人である2歳になる孫娘にメロメロでこの寿司屋で私がお気に入りのアジのフライを初めて食べて喜んでいる孫娘にますますメロメロ。まだお昼なのに生中1杯と2合の冷酒を飲み素晴らしい誕生会になったので、家に帰ってひと寝りしたら本部施設の宿直者の吉田副施設長からコラムはどうされますかとのメールがきたので幸せな気分で追加のコラムを打ちました。明日からもますます頑張っていきますので宜しくお願いします。

週刊現代5月26日号の記事から

タイトルに『老人ホームのズルい入り方』なる記事を見て先ずは「何のこっちゃ」と思いつつ記事を見ていくと(決して恰好をつけているわけではありませんが)「私にとっては当たり前の事が書いてある」と思うと同時に「平穏無事な生活をされてみえた家庭に突如として『要介護状態に家族の方がなったら』何の知識も無くて途方に暮れるのだと思いました。

と言う事は基本的な知識が無い方に対して丁寧に説明する事の大切さを知る機会となりました。

記事の中に

【いざ入ろうと決めたら、まずは地域包括支援センター(以下包括)に相談する。全国に約5400か所あり、連絡先は役所の介護福祉課などで教えてもらえる。包括では、社会福祉士などの専門家が要介護認定の流れなどの相談に乗ってくれるので、それに従って要介護認定を受けて施設を探す。(中略)「包括は高齢者生活に関わるよろず相談所ですが、あくまでも支援がメインで、施設入居に至るケースを担当する機会は少ない。地域の施設に詳しいケアマネージャーを紹介してもらい、個々の状況に見合った施設を尋ねるのが近道だと思います。」】

との記事を見て、途方に暮れている家族を中心にした身内の方に寄り添いながら情報を説明していく為にもしっかりとした情報が得られる為の努力をしていかなければいけないと思った次第です。

【「事業所のHPや厚労省の『介護サービス情報公表システム』でも公開されている、『重要事項説明書』を必ず確認してください。介護職員や看護師の人数、トイレの数の情報がわかります。大事な数字は『経験年数5年以上の介護職員の割合」です。】(ちなみに、当事業所は8年です。)

【「私がすすめているのは、その施設のトップと会って話す事です。施設長の性格や考え方はそのまま施設運営に影響するので、肩書や経歴の凄さだけで評価してしまうと失敗します。もし、施設長が出てきてくれなかったら、その施設はアウト判定していい。おカネの計算ばかりしていて運営に関与せず、入居者のQOLには興味すらない可能性がありますからね」】の記事には頷けるし、私は理事長・施設長として相談があった時には一杯思いを語らせて貰うし、実践している事も一杯語っています。

いつも私は『すべてに優(やさしく)いつまでも悠(ゆとり)ある、やすらぎの邑(ばしょ)でありたい』と共に『今日一日楽しかったよ』と言って頂けることを念頭においた事業展開を心掛けています。

だから選んで頂ける施設でありたいとも考えています。

お困りごとがあったら是木ご連絡下さい。

時間が許す限り精一杯お話をさせて頂きます。

『お接待』をすると言う事

令和7年5月12日

昨日のコラムの通り『タケノコの味噌汁』と『タケノコのご飯』を作る『タケノコ祭り』を「『てるてる座』のボランティアに合わせて実施する。」と急遽の思い付きで実施するのですが、本部施設の職員は理事長としての発案に対しての動きが早くて、「ヤマブキを採ってきて一品にしたい。」との私のつぶやきに、水野係長が直ぐに反応してその反応に共感した伊藤課長と共にビニール袋を持って敷地内にある土手を目指して行ってくれ、収穫をしたのを我が家に持ち帰り私の奥たま『かをりさん』に早速湯がいて朝食の時に味見程度に頂き、タッパーに入れて持参します。多分『てるてる座』の皆さんも喜んで頂けると思っています。

と言う事で、本日は10時に和合での『てるてる座歌謡ショー&舞踊』の開始時にご挨拶をした後、直ぐに本部施設に駆けつけて最後の仕上げの確認をする予定です。(と言う事は10時に行う点火式は水野施設長に譲り火の番は水野係長にして貰う様にお願いしています。)8時40分に和合の施設に着くと既に座長代理(本日は座長がこれ無いので)の『おぐらっち』が着かれていたのでご挨拶をしてからショーが行われる3階にご案内をして、座員の方がみえる度に3階に案内して全員が揃われた段階で「本日の昼食は『タケノコ祭り』に招待します。」とお話すると歓声が上がり一回目の盛り上がりに満足している私なのであります。

10時の開始のご挨拶をさせて頂いてから大急ぎで本部施設に行くと既に入居者さん、利用者さんと賑やかにタケノコ祭りは盛り上がっていて、いきなり「生き仏さんが味見します。」と言ってご飯の確認をすると「前回も上手に出来たけどそれ以上に美味い」と絶賛してから「あと少し蒸らしをしたら完璧」と言ってから味噌汁の方の味見をして「今で最高だけれど豆腐とネギをこれから入れるのであと1袋(750g)味噌を追加して完璧」と言ってから、見学にきている方に紙コップに味噌汁を入れて飲んで貰うと異口同音に「美味しい」と言って頂けたので「昼食で一杯食べて下さい。」と言うとフロアの方にニコニコしながら帰っていかれました。

12時に『てるてる座』の皆さんが見えて喜んで貰えるのを楽しみにしています。と言う事で12時5分に本部施設に着かれたので早速会議室で私もご一緒に食べました。「美味しい」の連発だったので、「良かったら残っているのを持って帰られますか。」と言うとビニールパックに山盛りに詰められました。

本日は残念ながら座長はおみえにならなかったのでビニールパックに詰めたのを持って帰って貰う様に準備もしました。『お持て成し』は色んな配慮をしながら「相手の方が喜んで貰える様にすることが大切」との信念で対応しました。入居者さん、利用者さん、職員、てるてる座の皆さんがそれぞれに喜んで頂けた事に安堵しています。

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