2025年05月の記事一覧

良く回復したと自分でも思っています。

1週間前の5月24日は午前中が法人監事監査で午後は法人理事会が予定されていて24日の朝から熱っぽかったのですが、「理事長としての職責を全うしなければ」との思いで10時からの監事監査に出席をして理事長としての挨拶をして、決算の資料について全面的にお願いしている岩田理事の説明で話が進んでいったのですが段々と頭がぼーっとするような状態になり、監事監査が終了した段階で本来理事会の議長は理事長である私がするのですが三輪理事に依頼する事にして事業説明についてはそれぞれの施設長が、決算等々については岩田理事にお願いをして職員に家まで送って貰い14時30分に徳洲会病院に行きました。そこで見て頂いた先生から入院を勧められたのですが「入院すると色んな予定に対して迷惑を掛けるので投薬と安静で行きたい。」と話をして家での安静に努めました。

25日の2回目の互助会は申し訳なかったのですがキャンセルをして、26日の岐阜県社会福祉法人経営者協議会の理事会・総会・研修会は全てキャンセルして自宅で安静にしていました。と言うのは27日が岐阜県老施協の総会及び講演会があり、終了後に介護福祉政治連盟の説明を私が担わなければいけなくて、会長として穴を開けるわけにはいかなかったからです。27日の岐阜県老施協総会は何とか皆さんに迷惑を掛けない様に対応できました。

流石に翌28日は私の主治医になって頂いている先生に診て頂く以外は毎月参加している彦根東福寺の護摩供養にも行かず29日の聖一座の公演で私の花魁も「穴を開けたくない。」と頑張り、昨日30日は理事会に出られなくて今後の法人経営についての打ち合わせの為に岩田理事の事務所に行きレクチャーを受けに行き、その後は池田にある新生病院の評議員会に参加して、本日は和合の施設で午前はお参り午後はカラオケの対応が出来るまでに回復しました。

但し、岩田理事の所に行った時には岩田理事から「入院しなかったのですか」と言われて、本日も本部施設から和合の施設に向かう時に吉田理事(家族会会長)から「ぶっ倒れたと聞いていたので大丈夫なのか」と言われたりと言う事で「皆さんに心配かけてはいけないので今まで以上に健康に留意しなければ」と思うと共に「ご迷惑を最低限度に抑えられたのは良かった。」と思ったしだいです。

寒暖の激しい今の時期は

令和7年5月30日

私自身文字通りの『夏風邪?』でとんでもない状況になり、出来るだけご迷惑を掛けない様にしながらも、現実には多くの迷惑を掛けてしまいました。「今の時期は寒暖差も激しくて、衣服の調整等をしっかり行って下さい。」と事あるごとに言っていた私自身が風邪をひいた事は、他に示しが付かない思いで一杯です。但し、夜中から明け方に掛けての対応を連続で2回対応したのは、72歳の私にはきつかったのと、元々虚弱であったと言う事実を逸脱していたのが原因だと思うと、私自身の『働き方改革』を真剣に考えた上で「組織体制の在り方を考えていかなければいけない。」と思っています。

本題に戻ります。岐阜県気象台の予報による最低気温と最高気温は、5月30日『16℃-26℃』31日『17℃ー23℃』6月1日『17℃ー24℃』2日『14℃―27℃』3日『17℃―20℃』4日『19℃ー28℃』5日『19℃―28℃』6日『16℃―30℃』との事。この数字から見えてくるのは、例えば本日の気温も最低気温が『16℃』で最高気温が『26℃』と言う事で一日の差が『10℃』もあり、2日の最低気温は『14℃』と言うのも驚きです。そして3日の最高気温が『20℃』と言うのは「何かの間違いではないか」と思ってしまいます。尚且つ3日後の6日には最高気温が『30℃』と言うのは、どの様に理解したら良いのか。緩やかな気温上昇で夏になるのであれば体も緩やかに対応すると思うのですが「何ともはや」と言わざるを得ません。

しかしながら「これが現実」と言う事なので、嘆いていても何ともならないので、この様な状況に対しての対抗手段を私自身は当然の事ですが、施設の職員が入居者さんに代わって対応しなければいけないと思うので、そのための体制もしっかり取り組んでいきたいと考えています。リピーターの皆さんもお互いに気を付けましょう。

いよいよ本日和合にて聖一座の公演です

令和7年5月29日

先週の土曜日には高熱の為にフラフラだったのですが、何とか平熱に戻り「何とかではありますが花魁としての役割は果たせそうです。」と言う事で、11時過ぎには聖一座の面々がおみえになり、会場となる2階の控室に荷物を運び、会場内の打ち合わせをしてから今は昼食も頂き、花魁に化ける為の衣装替えに控室に呼ばれるのを、今や遅しと待ちながらイメージトレーニングを楽しんでいます。

さてさて病み上がりの私の顔に化粧が上手く乗ってくれるのかが心配ですが『ブキミ奴』と言われようが『綺麗で素敵』と言われようが、とにかく入居者さんが喜んで頂いて、職員が「理事長があそこまでされるのなら、私たちも頑張ろう」と思って貰えれば本望なのであります。

13時に聖はじめ座長から連絡を貰い控室に行くと、花魁の一人の方が先ずは私のお化粧をして下さり、化粧をしながら「理事長さんの顔はすべすべで化粧の乗りが良いですね。」と言われたので「私の母親は餅肌美人だった」と思わず自慢してしまいました。化粧を終えてから着物を着せて頂く時に、紐の周りが腰が人一倍あるために苦労しながらも何とか着付けをして貰い、最終的には座長さんにかつらをかぶせて貰いました。その間に、和合の男性職員3人のドレスの着付けと化粧をして頂き、ばたばたと本番が始まりました。

  

  

 

私たちの出番は中間からなので控室で待機していたのですが、かつらが重くて下を向くことも出来なくて大変でしたが、何とか私たちの花魁道中になり、本物の2人に続いて私が出ていくとめっちゃ盛り上がったので、皆さんと握手をさせて頂きました。順番に歩いていってもどこでも歓迎して頂けるのは本当に幸せでした。最後のプログラムで参加者が全員集合して、各フロアに分かれて記念写真を順番に撮って頂きました。なお、地域の方も10人近く来て下さったのも有難かったです。

これからも色んなイベントに地域の方を招待して、より地域の方々との信頼関係も構築していきたいとも考えています。とにかく花魁道中を含めて聖一座の公演を終えて、入居者さんの大きな笑顔が見られたので大いに満足しています。来月27日にも本部施設においても行われるのでここでも楽しくしていきたいと考えています。

 

何とか明日花魁になれそうです

何とか明日花魁になれそうです

 

先週土曜日24日には午前中の法人監事監査には参加しましたが熱がありフラフラになり家に帰って熱を計ると39、6℃があり中々熱が下がらす夜中に体な熱くなると咳が止まら無い日々が続きましたが、取り敢えず本日は熱も平熱になり、本日は新しい嘱託医になっての初めての正式な受診で高熱で診て頂いた時の血液検査の結果でCRPの数値が16と驚く様な結果だったのですが、先生が的確な薬を出して下さったので大変な状況は脱しました。と話しをして、先生に立ち上げの厳しさと医者と言えども営業が大切とお話しをさせて貰ってからの運転をしながらの帰り道は明日は私が花魁になれるとワクワクしながら帰って来ました。男性職員用のドレスを本部施設で借りてきてますますテンションが上がってきました。

あまりテンションを上げてまたまた熱が上がると いけないのでゆったりと寝る事にして、成果は明日のコラムでいっぱい書きますし、綺麗な写真もいっぱい掲載しますのでリピーターの皆さん乞うご期待下さい。

何とか岐阜県老施協総会の対応が出来ました

令和7年5月27日

13時30分から総会が始まるので自宅に12時20分に迎えに来て貰い13時過ぎに行くと既に賛助会員企業のプレゼンか始まっていたのですが指定された席に座り定刻の13時30分になり、進行役の中西副会長が開催を宣言し先ずは会長選挙の結果報告を関根選管委員長から私の会長再選の報告があり、参加者からの拍手を受けて、会長としての指針を挨拶としてさせて頂きました。会長挨拶に引き続き来賓として全国老協会長がリモートで話しをして頂きリアルで岐阜県健康福祉部次長に挨拶をして頂いた後祝電を紹介して貰ってから議長選任で3議題の承認がされて総会が無事終了して10分の休憩がとられ、講演会になりました。

今回の講師は石川県の被災地支援に行った愛知県の施設長の話しと言う事で岐阜県健康福祉政策課の課長以下4名の防黴担当者の方も来て下さり、動画で現地の紹介もしながら熱く語って頂いたので参加者の方も一生懸命に聞いて頂けました。3時間30分は寝起きでいきなりの参加で途中てしんどい時もありましたが気力で頑張ったお陰か、家に帰って体温を計っても正常値だったので、少し体力に自信を持ったのですが・・・

 

お陰様で本日は熱もない中1日ゆっくりさせて貰いました。

令和7年5月27日

私にとっては本当に贅沢な1日だったので、昨日優勝杯を手にして横綱確実になった新聞記事をしっかり読んだ事について、私なりにコメントします。

記事の中に、「先場所で敗れた若元春、高安、王鵬を4日目まてに撃退。」とさりげなく書いてありましたが、私に言わせると取り組みがえげつないと思いましたが、考え方を変えると、それだけ横綱になると言う事なのだと、再認識した次第です。但し、出だしで自信を持ったのか、余裕がある安定した取り組みが続き、13日目に優勝を決め14日目の大関戦も無難に勝ち、千秋楽での横綱豊昇龍との対戦には残念ながら負けましたが、これは豊昇龍の横綱の意地にあっぱれをあげると共に、全勝優勝はそんなに甘いものではないと言う教えかなと思っています。

まだ24歳と若いので、久しぶりの日本人が最後にどっかり存在してくれているのは、国技の復活は嬉しいので怪我なく長く健闘してもらいたい。

病気になって健康の有難さを知りました

とは言え有難さを知ったのは今までに数えきれないほどに経験しているはずなのですが。

元々虚弱体質なのを知っているのに、目の前のやっつけ対応に追われて健康な時は充実な毎日に感謝と思っているのですがいざ熱を出すと毎日が忙しいのを今は後悔しています。とは言え過密スケジュールとにらめっこしています。私が調子が悪いと色んな方に迷惑をかけてしまいので元気になってからも健康の大切さにも感謝した生き方にそろそろ変えていかなければと考えています。

フラフラになりました

昨日38、6℃の熱がでて、解熱剤を飲み、何とか朝には熱が下がり午前10時からのからの法人監事監査には参加したものの身体が自由に動かない状態になったので、午後からの理事会についてはお任せして、車の運転は無理と言う事で送って貰い、家に帰って熱を測ると39、6℃もあり流石にフラフラなのはやむ無しと言う事で、午前中に受診したかしの木クリニックの先生に紹介状を書いて頂き徳洲会病院に行きました。

解熱剤が効いてきたのか汗をしっかりかいていて、肺炎を患っていたら入院したいことを救急の先生に話しすると、レントゲンを撮って下さり大丈夫との事。

入院する事無しに家に帰って熱を測ると36、5℃と言う事で、しっかりご飯を食べて、明日まではしっかり休みたいと思っています。疲れが蓄積していたのだと思いますのを今は反省しています。

夏風邪はえらいです

令和7年5月23日

朝5時に目を覚まして「まだ調子が良くないので、お参りは無理だからゆっくりしていよう」と目をつむっていたら、6時過ぎに本部の施設長から連絡がありました。「何事」と思って携帯をとると、昨夜の夜勤職員が早退した理由を確認して、連絡してくれたのです。「早退理由を聞いた以上即、動かなければいけない」と思い、「風邪薬を飲まなければいけないので、急いで朝食を食べて薬を飲んで、出掛ける事にしよう。」と考えて、ギアをマックスにして行動しました。

今の時期は30℃以上の気温に慣れていない中でのいわゆる『夏風邪』なので、微熱であっても正直『しんどい』或いは『えらい』です。急いで本部施設に行き、会議室で情報収集をしてから「さてさて誰に相談すべきか」と考えて「ここは、リスクマネジメントに長けているびわこ学院大学の烏野先生が適任だ」と言う事で、スマホに連絡すると3コール目には出てくれて「親分の体調は大丈夫ですか」と言われたので(「互助会であまり調子が良くなかった事を覚えていての配慮だ」)と思うと(「この配慮の仕方は流石だ」)と思いつつも「先生そんな事を言って貰っても、理事長としてやるべきことはやらなければいけないので。」と言ってから情報収集をして整理したことを話しすると共に、適切なアドバイスを頂き改めて「流石にリスクマネジメントの大家と言われている方だ。私が初めてお会いした34年前から色んな経験を積まれたのだな。」私とは違う為生き方ですが、お互いに頑張っていると思った次第です。

午後は、最近2度に渡って入院された入居者の記録から見えて来たことを、退院されるまでに施設での体制を和合で整理するための話し合いに行きました。昨日、大垣支援学校の先生のご挨拶を忘れていたので、慌てて理事長室に行き、ここでは聞き上手な先生だったので武勇伝を話していて少し元気になり、多職種での話し合いをして、コラムの最後のまとめをしていますが何となく体が熱いのでこのまま我が家に帰り、明日は8時30分に在宅診療を始められた先生の予約が出来たので期待しています。

気力あるのみ

令和7年5月22日

昨日は一日バタバタの中で段々と喉が痛くなってきたので本部施設職員による互助会の木曽路大垣店での親睦会に法人理事長として招待を受けていたのですが「しんどいし、行かないでおこうか」とも考えていたのですが、「せっかく招待をうけたのだから参加しなけば」との思いと、「私の5月16日の誕生日の職員によるプレゼントの品物を着ていかなければ」との思いで「エイッ、ままよ」と出掛けました。確かに喉の痛みは強くなり、間違いなく37℃前後の微熱はあったと思うのですが、「せっかく参加してくれた職員に迷惑を掛けるわけにはいかない」と言う事で理事長としての話も終え乾杯の時のビールを1杯は飲んだあと、「体を温めなければ」と言う事で熱燗を飲むことにしました。

お酒飲み5人が私の周りに集まっていたので『道ずれ』にしたのですが「雰囲気を盛り上げなくてないけない」と言う事で2合徳利を5本並べて貰ったのにお猪口があまりに小さいと言う事で店長を呼んで「ぐい飲みを持って来て」と言うと「当店ではぐい飲みはご用意出来ません」と言うので手もとにあった器位のが無いのか」と言うと店長が本当にその器の綺麗なのを持って来たので「言ってみるもんだな」と酒飲み5人で盛り上がり「この器は飲みやすい」と言ってピッチが上がって行ったのですが私は流石に沢山は飲めなかったのですが場を盛り上げる事は出来たと思います。

「流石に本部の職員は外国の方も含めて遠慮なく注文してくれて2時間があっと言う間だった」と思いました。帰りは本部施設までの送迎バスで我が家まで送って貰い家に着くと「流石にしんどい」と言う事でしたのでお風呂も入らずそのまま寝ました。

夜中には体が熱くて目が覚めたり、喉が痛くて目が覚めたりしましたし、朝のお参りも中止してグダグダしていたのですが、10時から和合の全体会があるし、職員にどうしても伝えたいことがあると言う事で『気力あるのみ』と言う事で頑張っている内に喉の痛みも微熱も何処かに行ってくれたようです。改めて思っています。「使命ある生き方だと病気も何処かに行ってくれるのだと・・。

体が弱かった時の私には『使命なるもの』が無かったんだとしみじみ思った次第です。72歳にしてますます元気な私をリピーターの皆さん見守っていてください。

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