2024年06月の記事一覧

少し前の記事ですが6+06.3

令和6年6月10日

今月6月6日の中日新聞の1面トップに『出生率1.20過去最低』の記事があり、改めてじっくり読みました。リピーターの皆さんにわかりやすく理解して頂く為に、書き出し部分をそのまま書きます。

【厚生労働省は5日、2023年度の人口動態統計(概数)を発表した。女性1人が生涯に産む子どもの推定人数「合計特殊出生率」は1.20となり、過去最低を更新した。未婚・晩婚化が影響した。東京都は0.99だった。出生数は過去最低の72万7277人(前年比4万3482人減)で、23年の政府推計より11年早いペースで減少している。出生率・出生数ともに8年連続でマイナス。少子化対策関連法が5日に成立したが、出生率上昇への反転は見通せない。】の記事を打ちながら、頭に浮かんだのは1989年の合計特殊出生率が1.57に落ち込み、戦後最低を更新したのです。

丙午の迷信で出産を避ける人が続出し、異常値とみなされていた1966年の1.58を下回った衝撃は大きく、国や自治体に対策を急ぐよう求める声が高まったのです。政策としては1994年に最初の総合的な少子化対策となる「エンゼルプラン」が策定され、仕事と子育ての両立に向けた雇用環境の整備や、保育所の増設や延長保育を可能にして、1999年の「少子化対策推進基本方針」・「新エンゼルプラン」、2001年の「仕事と子育ての両立支援の方針(待機児童ゼロ作戦等)」と制度整理はされてきたのですが、急速な少子化の流れを変えるまでには至っていないのが現状です。確かに多様性を尊重する考え方を否定するものではありませんが、戦後すぐの時代に生まれた団塊の世代の第一次ベビーブームの方々がバリバリ働かれていた頃は、日本も高度経済成長も相まって日本は色んな意味で元気があった様に思います。

「貧乏の子だくさん」との言葉がありますが、「貧しくても輝いていた時代」と言う様な結論を付けをするつもりはありませんが、当法人には子供が3人4人と頑張って育てている職員が多くいますが、それなりの生活をしていますよ。とにかく、日本を元気にするためにも合計特殊出生率を上げるために、当法人は子育てに理解ある法人であるための制度設計をしていきたいと考えています。制度設計については機会があればこのコラムで述べていきたいと思います。

6月16日の日曜日に本部施設で供養祭です

令和6年6月9日

コロナ感染症対策の為に、人数制限をせざるを得ず、家族会の吉田会長さんのみにお参りに来て貰う様な事もしてきましたが、今年はかつての入居者さんの家族を過去3年間さかのぼっての案内と案内を出すたびに来ていただいている家族宛てに供養祭の案内を出したのですが、出席の返事を頂いた家族が19家族、参加者26名と言う結果に改めて『継続は力なり』だと思った次第です。

欠席の返事を頂いた方の中でも「別の用事があり残念です。」の様な事を書いて頂いた方もたくさんありました。1週間後に迫った供養祭ですが、かつての家族の方に久しぶりにお会い出来るのを今から楽しみにしています。私は『ご縁を大切に』の思いで本部施設本館開設以来展開してきました。

通常であれば亡くなってしまえばご縁が終了するものですが、その様な関係ではなくて『とことんな関係作り』を築いていきたいとの思いでの展開をしてきました。供養祭に来ていただく方々との会話を今から楽しみにしています。リピーターの皆さん、こんな考え方の人間が理事長をしている法人です。興味を持って頂いたら一度施設に来ていただければ嬉しいです。

肩から胸にかけて痛いです

令和6年6月8日

1か月ほど前から両肩が重くて痛い感じだったのが、2週間ほど前から左胸辺りも痛くなってきていたので気にはなっていたのですが、なかなか病院にはいけなくて、「心臓からきていたら心配だ」と言われていたので、本日は15時から当法人の評議員会があり、18時からは法人役員との懇親会があるので、その前に病院に行って検査等をして貰って安心して会に挑みたいとの思いで、午前中に関ケ原診療所の整形外科に行ってきました。

先生に状態をお話すると「心臓の事はわかりませんが、取り敢えずレントゲンを撮って確認しましょう。」との事で、レントゲンの所の受付をすると、直ぐに名前を呼んで頂いて部屋に入って行き、10枚程のレントゲン写真を撮って頂きました。その後整形外科の待合に戻ると、それ程待つことなく整形外科の部屋に呼ばれて、先生からレントゲン写真を見せて貰いながら説明をして頂きました。

先生:「肩の所が右も左も少し本来の形から変わっています。」

私 :「余程悪いのですか」

先生:「年相応だと思いますよ。」(と言われてから)

先生:「いわゆる40肩と言われるものです。」

私 :「先生、私は71歳なのに40肩になるのですか」

先生:「このような症状を一般的に40肩と言うのです。」

私 :「しょうもないことを言ってすみません」

と言う事で、診療所を出たところにある調剤薬局でシップをたくさん出して頂いて帰ってきました。

リピーターの皆さん私も年なんですかね・・・。いやいやまだまだ鞭打ってでも頑張りますので、これからも宜しくお願いします。

 

ホームページのリニューアルの為の打ち合わせをしました

令和6年6月7日

大垣の和合に新しい施設が出来たタイミングでホームページの全面リニューアルをして、10年が経過して「10年ひと昔」とは良く言ったもので、ホームページで掲載すべき内容はかなり変わってきていると感じています。と言う事は10年前には「法人の思い」であったり、「施設での生活」を紹介していく事に主眼をおけば良かったのですが、今は「職員採用」と「入居に必要な情報」に力を入れていかなければと考えています。プレゼンテーションの結果、新しく契約したのは岐阜広告なのですが、この会社は岐阜新聞系列なのでメディア的には強いので、その強みも生かせたらとも考えています。何事もワイワイガヤガヤ言いながら形を整えていくものでと考えています。

そう言う意味では本日午前中の打ち合わせは有意義なものだったと思います。有意義ついでに岐阜広告の二人の方に本日の昼食はバイキングだったので、当施設の考え方の一端がわかって頂ければと言う事で試食をして貰いました。棒葉寿司やお刺身等々を見られて「写真を撮っても良いですか」と聞かれて、了承すると、さっそく撮られてから喜んで食べて頂きました。昼食をとりながらだったのでリラックスな話題で盛り上がりましたので、今後のホームページの仕上がりにも期待出来る予感がしました。何事もこのように進めてきて今があります。これからもその手法で進めていきますのでリピーターの皆さん宜しくお願いします。

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岐阜労働局の会議に出席しました。

令和6年6月6日

午前中は岐阜県社会福祉協議会の理事会があり、昼食を頂いた後、岐阜労働局に移動する為、何度か行った事はあるのですが、岐阜労働局の近くまで行き狭い路地に入って迷った事があるので、ナビで案内して貰うことにして運転して行ったのですが、地番の5丁目何番地までは入ったのですがその次の数字まで入らず、結果的に目的地に着かずに焦ってしまいました。結局は老施協事務局に連絡して、改めて電話番号で入力するとすんなりと行くことが出来ました。正直時間にゆとりを持っていたので、時間に遅れる事無く5階の会場に行くことが出来ました。

構成員のメンバーは経営者協会、中小企業団体中央会、商工会連合会の代表である経営団体の他に、労働団体、業界団体(私の位置付けはこの中です。)支援機関、市町村、行政(中部経済産業局・中部運輸局岐阜運輸支局・岐阜県・労働局)と言う、そうそうたるメンバーで事務局側に岐阜県からは労働雇用課・産業人材課・地域福祉課・保健医療課の課長さんがずらりと座られている会議でした。

会議は『ぎふ就職氷河期世代活躍支援プラットフォーム』と言う事で、40歳代半ばから50歳代前半の方で長期に渡って仕事をされていない方の実態についての説明をそれぞれの担当課の説明を聞き、厳しい状況を理解することが出来ました。説明後に構成員による意見交換会があり、私は老施協の立場で人材不足が切実な問題であり、氷河期時代の方々ともマッチングが出来ないかと言う事を話させて頂きました。会議終了後、岐阜労働局長さんと話をすることが出来たので、多くの課題はあるとは思うが情報の共有化を図り、一人でも二人でも介護の現場で頑張って貰えればと強く思いました。ここはリピーターの皆さん私の真骨頂である「アクションあるのみ」で頑張りたいと考えています。ウインウインの関係にするにはどうしたら良いのかリピーターの皆さんで良いアイディアがあれば教えて下さい。

百聞は一見にしかず

昨日14時から和合の施設において避難訓練が行われました。和合の施設は揖斐川の西側で揖斐川が氾濫した事を想定しての訓練を実施しました。

当然の事ながら氾濫した場合は1階のフロアが最も危険にさらされるので1階のフロアの入居者さんを2階に上げる対応をしました。先ずは1階の入居者を氾濫前に2階に誘導する為にエレベーターを活用して行い、誘導終了後に職員が入居者の代わりに道具を活用して階段を移動する訓練をしました。道具を活用しての人力での移動を2人の職員で試みましたがとても無理だったので4人で再び試みたところ出来たので、次に女子職員で実施してもクリアすることが出来ました。道具は一つしか無いので(購入も検討しますが)何か良いものは無いかと考えた結果、シーツを2枚重ねて実施してみても上手く出来たのでいざとなったらこの方法も有りだと言う結論になりました。この発見は実際に実施したからこそ生まれた発想なので正に『百聞は一見にしかず』だとしみじみ思った次第です。この展開からもわかるように、あれこれ頭で考えているよりも『実践あるのみ』と改めて思った次第です。

リピーターの皆さん、本日からのコラムは課題を一つに絞って書くことにして、言いたいことを焦点化していきます。と言うのはスマホでコラムを打ったのを改めて見直すと読むのが結構大変だと思ったからです。正からリピーターの皆さんから「前の方が良かった」との意見が多く寄せられたらまた変更しますが・・・。だって、コラムはリピーターの皆さんに読んで頂いて何ぼですから。

今は毎日書いているコラムですが・・・。

 

 

「コラムをいつから始めたのかな」と思い、最初に掲載した日にちを確認すると2008年7月21日とわかりました。そして最初の記事を見て驚きです。と言うのは、文字数を確認すると150字程度のコラムでした。7月21日の次のコラムが7月28日でその次が8月10日で次が9月1日で次が9月7日で、その次は何と12月5日でその次は年が明けた1月6日でその次は何と何と4月5日なのであります。その事実を確認して「その頃の私はコラムと言うものを何だと思っていたのだ。」と自分自身の事ながらびっくりしてしまいました。『150字』と言う文字数は今のコラムの10分の1程度なのです。しかも、月に1回書くか書かないかと言う状況の時と比べると『雲泥の差』です。ただし、今の私は1500字程度書くのが当たり前になっていますが、「少し長すぎるかな。もっと端的な書き方をしなければいけない。」と思うのですが、植木等さんの歌ではありませんが「わかっちゃいるけどやめられない」と言う状況なのであります。どうして長い文章になるのかと言うとコラムを書いている時に次から次と頭に浮かぶことを書いている内に長くなってしまうのです。時間が無い時などは「適当に書こう」と思って書き出すのですが、いつの間にか長くなってしまうのです。

本日は何となくコラムの起源を書いただけで留めますのでいつもよりは短いのにしましたが、明日は本日の午前中の会議の様子と和合で実施された避難訓練について書く予定ですので長~くなが~くなると思いますのでリピーターの皆さん「覚悟なされませ」

6月の予定を立ててみました。

令和6年6月3日

5月、6月は総会等が計画されている事が多くあり、和合の施設で午前にいた時はお参りを、午後にいる時はカラオケを計画して組んでいるのですが、休みなく組んでいてもお参りが11回でカラオケも11回しか組めなくて、3フロアに割り振るとお参りもカラオケも3回もしくは4回しか組めないのです。と言う事は、各フロアでの私の企画は月に各フロアでは7回程度と言う事になります。7月になれば総会や会議は少なくなると思うので、もう少しは回数を増やす事が出来るのではないかと考えています。ちなみに明日の予定は、午前中は岐阜県庁20階の会議室で『防災ネットワーク会議』があり、午後は和合の施設で避難訓練があります。明後日は午前中が岐阜県福祉会館で岐阜県社会福祉協議会理事会があり、午後は岐阜労働局に移動して『就職氷河期プラットホーム』の会議があります。どの会議も岐阜県老施協会長としての役割としてしっかりと頑張りたいと考えています。

6月8日は社会福祉法人杉和会の評議員会があり、評議員会終了後には理事、評議員、監事、第三者委員の方々との懇親会もあります。懇親会についてはコロナ感染症への対策の一貫で4年ぶりの開催ですが、幹部職員も参加して法人役員との情報共有をしっかりして、より良い方向に法人の運営が出来るように配慮していきたいと考えています。色んな対応がありますが頭の切り替えをしてしっかりと対応していきたいと考えています。今は16時20分。体調を整えるために肩がかんかんなので、16時30分からマッサージを受けてきます。リピーターの皆さん、健康管理も理事長として大切な事だと考えているので・・・。

『自分の事は自分でしなさい。』は日本の現在社会においては死語となってしまったのか

令和6年6月2日

今朝の岐阜新聞朝刊に、就職紹介業者に就職側の学生が依頼してマッチングさせるケースが増えてきた事によりトラブルが増えている。との記事でした。トラブルのケースの中には「契約するまで説明を止めない。」とか「自分が就職したくない所に無理やりマッチングさせられた。」と言うものが紹介されていました。私に言わせたら「自分の事なのに他人事の様な言い方」「自分の大切な将来を他人に任せて上手くいくのか。」と言う事です。そう言えば、ちょっと前には『退職届斡旋業』なるものが存在すると言う記事もありました。

この様な現象はどうして起きるのか。もちろん、その様な需要があるから存在するのでしょうが、『自分の事は自分でしなさい。』が死語の様になってしまっていることに、今更ながら愕然とします。とは言え私は『田舎のおぼっちゃま』だったので、母秋江さん、父進さん、姉光子さん、そしてもう一人の姉春子さんにおんぶに抱っこの生活をしていたのは事実ですが、『自己責任』の意識が強烈に芽生えたのは、40歳の時に高齢者施設の計画を立てた時に、土地提供者の交渉を身内の方にお願いして失敗した時からです。その時の経験から何をするのも自分自身で折衝する様になりました。確かにすべての事をするには限界がありますから、今はブレーンに委ねる事はありますが、その分『報告・連絡・相談』を密に行う様に心掛けています。

関ケ原町は7000人弱の人口しかない小さな町ですが『50-80問題』は間違いなくあります。もちろん、その問題を全て本人だけの問題だとは思いませんが、問題を我が事と考えなかった結果だと思います。そう言えば私が大学の非常勤講師をしている時にもありました。それは、学生達との飲み会をしている時に、聞くとは無しに聞いた電話での母子との会話です。「ママ、先生や友達から、もっと飲めと言われているんだけれど、もっと飲んで良いかな」というもので、その学生は電話を切った後は飲まなかったので、母親から飲まないようにと言われたのだと思いました。その時私は「自分が飲みたいと思ったら飲んだら良いのに」と思った次第です。他人に委ねる人生は如何なものかと思うのですが、リピーターの皆さんはどの様に思われますか。出来たらコメントを下さい。

10時30分から和合1階でお参りをしました。

令和6年6月1日

時間になってお参りグッズをゴロゴロ押しながら1階のフロアに行くと、既に皆さんが集まってみえて、尚且つ私の顔を確認すると拍手まで頂いたので、恐縮しながらも「今日はお参りです。カラオケではありませ~ん。」と元気よく言ってお参りをする位置まで行くと、職員が経本と数珠を配ってくれている間にお話ししながらお参りの準備をしていて、準備が出来た段階で「大きな声で唱える競争をしましょう。」と言うと間髪入れずに入居者の方から「お経は競争してするものではありません。」とぴしっと言われたので、多少動揺しながらも「確かにそうですね、かけっこで競争するのとは違いますから」と切り返してから、私が着ているめっちゃ派手なシャツを見て貰いながら「今日は渋めのシャツを着てきました。」と言うと入居者から「派手な服やがね」と正直な感想で言われてしまい、この時の切り返しは出来なくて・・・。「はい、それでは正信偈から始めます。」と言って声を限りにお経を唱えました。

正信偈と般若心経を終えてからお話をさせて貰った時の話をします。先ずは昨日の腸の検査はめちゃくちゃ痛くて脂汗をかいてしまったのですが、ポリープは1つあったのですが綺麗に取って頂き、終了後に検査をして頂いた先生から「5年間は特別な事が無い限り、腸については大丈夫です。」と言われて痛い思いをしましたがほっとしています。

次に最近聞いた話なのですが、時代が変わると常識が変わるとの話をします。それは、孫とおじいさんの会話で猫の餌の話で孫が「猫の餌では『チュール』が喜んで食べる。」と話したらおじいさんは「猫に餌などやった事が無い。」と話が合わないのだとの話でした。つまり、おじいさんの時代は家にはネズミが一杯いて、猫を飼うと言う事は猫がネズミを食べるので餌をあげる必要がなかったと言う事なのです。私は猫がネズミを食べていた時代を知っていますし、入居者の方の殆どの方も「確かにそうだった」と頷いて「今はネズミを見かけんな」との話で盛り上がりました。

お参りやカラオケでフロアに行くと、この様な会話があり楽しいです。ちなみに午後からは2階でカラオケなので入居者の皆さんと楽しみます。リピーターの皆さん、優・悠・邑 和合も楽しくやっています。コロナで全面開放は出来ませんが、またいずれは来て頂ければと思っています。

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