2020年06月の記事一覧

第一回新規事業の打ち合わせ

令和2年6月20日

垂井町梅谷にある旧町営住宅の跡地の購入予定が当法人の予定とは大幅に遅れ、計画がおおよそ3か月ずれ込んだ関係で新規事業の打ち合わせがようやく本日10時から開催されました。設計を担って頂くデザインボックスから、八代社長を含めて3名の方が来て下さり検討資料としてたたき台になる図面のプランを4案作成してきて下さったので、その説明を聞く事から始めました。

それぞれに特色があったのですが、色々な観点から検討して結局『2案』に決めてから詳細な詰めの話し合いをしました。「お風呂は個浴でシャワーも設置して何か所必要か」「トイレの数は何個設置するのか」「小便器は必要か」「喫茶コーナーは設置するとして、何人が利用出来るものにするのか」「会議室はどれだけの人数が収容出来るものが必要か」「霊安室の考え方をどのようにすべきか」「静養室にはベットを何台置くのか」「中庭の考え方はどうするのか」「居室のドアはどの様なものが良いのか」「事務所にはどの程度の机が入るスペースが必要なのか」「居室の面積は何㎡が妥当か」「食堂の考え方はどうしたらいいのか」等々と、気が付くままに意見を言って一つひとつ検討していきました。

提案をしていてあまりにコストがかかるものについては却下したり、資料を揃えてから次回に検討するものがあったりと計画を煮詰めていきました。次回は6月26日(金曜日)と決め今日の話し合いに基づき改めてデザインボックスさんにプランを提案して貰う事にしました。私は社会福祉法人杉和会理事長として3か月の遅れをどの様に短縮させて頂くのかの調整であったり、短縮しきれなかった時の対応をどのようにしていくのかの色々な根回しの中で色々な所に迷惑が掛からないようにしていかなければと考えています。

また、4月開設を目指し円滑な運営をしていく為には職員確保も大切ですし、地域の方々の理解もより深めていかなければなりません。そんな中で、本日の打ち合わせ終了時の締めの挨拶で「3カ月の日程短縮は想像以上に難しい問題ですし、安価であって機能性と幸せ感を持って貰うのは大変な事だと言う事は理解してます。しかしながら立派に完成し地域の期待に応えれたあかつきには、あの時は大変だったけどと笑いながら話が出来て美味しいお酒が皆さんと飲めるのを楽しみにしてます。」と話させて頂きました。美味しいお酒が飲めるまでにはまだまだ山あり谷ありの道を歩まねばなりませんが、私の展開は常に『プラス思考』なので、今も眠れない一晩を過ごしたお陰で脈々とした展開を考える事が出来ました。勿論、私の考え通りにはいかないでしょうが、その都度修正しながら頑張って展開していきますのでリピーターの皆さんこれからの展開をしっかり見ていて下さい。

明日は新規事業の為の作戦会議です

令和2年6月19日

垂井町営住宅跡地の取得に時間がかかり、なかなか具体的な建築に伴う構想についての会議を開く事が出来なかったのですが、ようやく明日開く段取りが出来ました。この段階にくるまでに山有り谷有りの日々が続きましたので、私的には『思いきり想いを語りたい。』と思うと同時に単年度事業のスタートとしては『時間がない』との考えが交差するのですが、ワクワク感で克服していかなければと考えています。

盲養護老人ホームについては私自身はお陰さまで目が見えるので目が見えない人の立場でハード面を考えてイメージしてもイメージしきれないのですが、目が見えない状況であっても、出来るだけ自立した生活が送れる為にはどのように考えて行ったら良いのかを考えていかなければと考えています。昔から『三人寄れば文殊の知恵』と言う諺があるのだから、「明日は10人近くのメンバーにより知恵を出しあうのだから自ずと良い案が出てくると願っております。」と、無理矢理コラムを書いていても、原稿書きに乘って行けない。これは、本日午前中の苛立ちが乗り切れない理由だと思い、午前中の出来事を書く事にします。

それは、施設から8時30分に私の携帯に連絡があってからの出来事です。それは、ショートステイをこの14日からの利用で直接病院からおみえになった方が朝食中に急変され救急車を依頼したのですが、家族の希望もあり、かかりつけ医に最後の確認をして貰いたいとの事で、救急車の到着を待ってその旨を私の口からお話をしたのですが、「連絡を貰った以上病院へお連れする」と言われたので、「すぐにかかりつけ医がおみえになるので待っていて欲しい」と話すると、「岐大医学部の指示もあり検視の依頼をして、検案書はかかりつけ医に書いて貰い血液もとって貰う。」と居丈高。まるで当施設で犯罪が行われたような言い方にイライラしながらも指示に従って、かかりつけ医に死亡確認をして貰い、しばらくすると警察の方が最初に3人、その後2人、2人の合計7人がきて、関わった職員が順番に事情聴取。

食堂や部屋の写真を撮り、まるで犯罪者扱い。勿論警察の方は事件性が無いことを確認するのが仕事だから仕方がないのかも知れませんが、一生懸命にお世話していたのにとの思いと、今は厳しい状況の方をお世話していて、ぎりぎりの方がたくさんおみえになっている状況の中で、このような事が重なると職員は萎縮してしまったり厳しい方をお受け出来なくなってしまったら利用したい方が困ってしまうと思うと同時に『一生懸命はダメ』となるのはやるせない。

結局家族の方への説明に同席させて貰っての警察の方の話は「突然の死の原因には色々な聞き取りを精査して、血液検査の結果も確認して全く事件性はありませんでした。」との事。三時間近くかなりの施設業務をさいての結論でした。その後、最後のお風呂をさせて頂きご自宅へお送りさせて頂くお話をさせて頂くと、家族の方は「最後の最後までありがとうございました」と話をして頂き初めてイライラが少し取れた思いになりました。リピーターの皆さん。本日のコラムは混乱の中でのものなので、何が言いたいのだと言われても致し方ないものになった事についてのお詫びと明日からも頑張る事をお誓いして今日のコラムとします。

 

朝風呂に入ってます。

令和2年6月18日

昨夜は3月26日以来の外での食事会があり大垣フォーラムホテル内の中華料理店『萬里』でグラスビール1杯とウィスキーのロックを2杯とちょっと(3杯目は少ししか飲めなくて)飲んだので代行で帰り車に乘っている間に必死にコラムをガラケーの携帯で打ち込みその後家に着いてからも必死に打ち何とか継続出来た事まで書きました。

そして、昨夜出来なかったのがお風呂に入る事だったので今(午前6時41分)お風呂に入ってます。本日は当法人の評議員で関ヶ原町の生き字引のような大長老から関ヶ原町議会を見に行くようにお誘いを受けたので関ヶ原庁舎に9時までに行き(勿論早目に着くつもりをしてます。)実際に町議がどのような質問をして町長や役場幹部がどのように答えるかをしっかり見てくるつもりです。

午後からは司法書士の先生との新規事業に伴う手続き上の打ち合わせがあり、その後は新人研修で食事委員長と排泄委員長が講義をするのを聴講して、17時15分からは本部の幹部会があり、一時間前には烏野教授(当法人顧問)が来てくださるのできっと今日もばたばたで・・・いやいや充実した一日になります。多分今日もなかなかコラムを書いている時間が無いとも思ったし、お風呂はコラムを書ける余裕な時間なので、お陰さまで今の段階での文字数は547文字で後はあった事を加筆するだけだから少し気分は楽です。但しリピーターの皆さん単に千文字を超す為に書いているわけではありませんが最近はコラムと言うより日記のようになっていますがこれは出会いや刺激がない生活(贅沢な事言ってます。)を新型コロナによって強いられているからです。

そうは言っても、『東京駅の駅員さんは』とか『品川の京急の駅員さんは』とか『山の手線の満員電車に無理矢理乗り込む人は』程度何ですが・・・。(ここまでが、出勤前のコラムです。)(そして、今【午後8時57分】帰宅してまたまた、お風呂に入りコラムを打つ事にします。)役場の駐車場に車を停めたのが8時35分で、まだ、皆さんが来てないようだったので、車の中にいると、ぼちぼち町会議員の方が車から降りてみえたので、それぞれにご挨拶をしていると議会にくるようにお誘いして下さった前関ヶ原町連合自治会長の淡川さんがおみえになったので3階にある議会場にご一緒させて貰い傍聴席に座り議会進行を聞かせて頂きました。

10時前に休憩になり椅子に腰かけていると岐阜新聞と中日新聞の記者の方がわざわざ私の所に来て話しかけて下さいました。「相手の方から来て頂けるとはありがたい。」と思うと共に「私をご存じとは恐縮至極」と思った次第です。10時40分に議員質問が終わった段階で傍聴席の方が席を立たれたので私も淡川さんと共に議場を出て施設に帰りました。

そして、13時30分からは司法書士の先生と新規事業の打ち合わせをして申請書に印鑑を押し先生をお見送りしてから、新人研修をしている部屋に行き講義を聞いていると先程の司法書士の先生が追加資料に印鑑を押して欲しいと連絡が入り、垂井の事務所まで印鑑を持って行き決済を済ませ、ついでに17時15分からの本部幹部会でケーキを出そうと従兄弟が経営している『メルシー』までいきケーキを買い(先月の私の誕生祝いのお礼の意図も込めて)施設に再び戻ると丁度烏野先生が着かれていたので打ち合わせをして、その後新規事業の打ち合わせを窪田室長としていると幹部会の17時15分になり会議室に行きコロナ対策を含めて色々な角度からの話題を話し合い、私も理事長・総合施設長として、その都度スーパーバイズして、会議が終了したのは21時前で、くたくたでしたが、今日もコラムの更新が出来ました。リピーターの皆さん今、午後10時11分にコラムが完成です。そして何処からともなく拍手の嵐が・・・。

目が回るような日で今家に帰り着き(20時58分)コラムを完成させます

10時から、かつて長いこと三味線ボランティアに来て頂いていて、その後入居された方の葬儀に参列して施設に帰ると、昨日コロナ対策検討会でお世話になった高齢福祉課の担当者から資料の提供の依頼があり、福島県老施協の事務局長に相談の連絡をして資料を作成して県高齢福祉課にメールで送信して、気が付くと12時を回っていたので慌てて昼食をとり、13時30分からの全国老施協正副会長委員長会議の資料の確認をしてウェブ会議に備えて定刻通りに始まり平石会長の挨拶と進行で始まりました。最初の一時間は国の情勢報告とそれに伴う話し合いがあり、その後各委員会報告で最初に総務・組織委員会の報告を私がさせて頂きました。先月からの報告でしたが1ヶ月で2回のウェブ会議をしていたのでその報告と7月2日に総務・組織委員会のメンバーが揃っての会議を予定している事も報告しました。私の報告の後、順次委員会報告が行われ16時会議終了まで後15分になり平石会長が「あまり時間はありませんがその他にご意見ありませんか」と言われたのに対して間髪入れず発言する為のボタンを押し私を指名して頂き、言いたい事4項目を手短に話させて貰いました。締めの挨拶を鴻江副会長がされているときに、施設の玄関先に人影があり、「16時に打ち合わせを入れていた。」と言う事でウェブ会議の終了のボタンを押すと共に打ち合わせの為に待って貰っているお客さんがいる会議室へ。17時過ぎに打ち合わせを終え、和合の施設経由でフォーラムホテルで新型コロナで休止していた『長城の会』の為車を走らせるのですが、時間がないときに限って車が混んでいて、イライラが最高潮。何とか和合で資料を受け取り定刻20分遅れで会場へ。既に会食が始まっていて、皆さんに遅れたお詫びをして席に着き生ビールで皆さんと改めて乾杯をしていると、先に始められた方は3品目を食べられていたので急いで皆さんのペースに合わせようと目を白黒しながら食べ(もっとも、私は巳年なので丸のみに近いですが・・・。)ました。その後は同じテーブルの方と親しくお話をさせて頂きながら優雅に中華を頂きました。お店の方に代行を20時に頼んでおいたので、丁度20時にお開きになったので皆さんにご挨拶後をして、代行の方に運転はお願いして車に乘った瞬間から猛然と書き出したのですがいつもの量の半分位しか書けず、本来ならお風呂は朝にしているのに、寝るのは後回しにして、何とか今(21時24分)にコラムが完成しました。リピーターの皆さんアップが遅くなりすみませんでした。中味はともかく更新できた事に意義ありと言う事で・・・。

 

 

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大谷徹奘師の言葉に『成功のカギは「予」がつく言葉予習・予測・予想・予備・予定・・・』

令和2年6月16日

本日14時30分から岐阜県水産会館大会議室で『第1回岐阜県高齢者・障がい者入所施設新型コロナウイルス感染症対策検討会議』が行われ出席するのに際して、10時30分から和合の施設で幹部会があるので、朝一で施設に行き、岐阜県老施協の提案を事前にまとめておいたものを再確認すると共に、追加資料を作成して出来上がった段階で岐阜県高齢福祉課に連絡して追加資料として添付して貰う為にメールで送りました。

26歳までの私には考えられないことですが、大谷徹奘師の教え『成功のカギは「予」のつく言葉 予習・予測・予想・予備・予定・・・』を26歳以降出来るようになってからは、自分の住む世界が変わったように思えてきます。

本日も正にそのことを知る事が出来たと言っても過言ではないと思います。と言うのは水産会館に駐車場は少ないし、会議開始前に高齢福祉課の担当者の方にこちらで印刷した追加資料を配布して頂くお願いと共に打ち合わせがしたいとの思いで駐車した所から約5分歩いて会場に着いたのが会議が始まる30分前の14時で、会場に入ろうとすると何台かのカメラが既にスタンバイしていて、マスコミ関係と思しき方がおおぜいみえる中で県の関係者の方々にご挨拶をすると共に打ち合わせをさせて頂きました。

しばらくすると続々と出席者のそうそうたるメンバーがお見えになり、名刺交換をしたりして、定刻になり最初に健康福祉部長さんが挨拶をされ(マスコミ関係者はここまで)、その後検討会が始まりました。最初に高齢者施設・障がい施設の新型コロナに対する対応についてそれぞれの現状について報告をすることから始まりました。最初に岐阜県老人福祉協議会の会長である私から話をさせて頂いたのですが、実際に施設内で実施している事と岐阜県老人福祉施設協議会会員施設の現状についてと、全国老人福祉施設協議会の対応について話をさせて貰いました。

次に老健協の会長さん、グループホーム協の理事さん、知的障害者支援協会会長さん、身体障害者協会の会長さんが順次お話をされ、その後、医師の立場で3人の先生が話をされて、その後意見交換をして(当然私もしっかり話をしました。)次に今後の展開について話し合いが持たれたので、私は事前に準備させて貰った資料に基づいて、老施協と老健協が岐阜県の依頼を受けて新型コロナ発生時の協定書案について説明すると共に、他県の状況についても私のネットワークで知りえたものについて話をさせて頂きました。

その後も検討がなされ、予定の16時に検討会が終了して、帰り際にわざわざ健康福祉部長さんが私の席まで来て下さり、「若山会長さんの提案は大変参考になりましたので、今後生かしていきたいと思います。」と言って頂けたのは大変嬉しかったし、老人福祉施設協議会の存在感を示せたと思っています。

リピーターの皆さん。このような地道な活動が大切なんだと思うと共に予習の大切さをしみじみ思った次第です。今、18時45分で19時から通夜に参加するので結論が甘いですが今日はここまでと言う事で。

 

またまた、昨日の話から始めます

令和2年6月16日

朝9時にお客様があると言うので週1回の唯一の楽しみにしている『ゲゲゲの鬼太郎』を見ることなく、(当然でしょ。仕事ファーストの生き方何だから)施設に行き、お客様対応の後、明日(16日)の岐阜県健康福祉部主催の『新型コロナ対策検討会議』でしっかりとした提案をしたいとの思いで資料作成に取り組みました。その資料を作成するのには先進的な取り組みを知る必要があると、以前に手に入れておいた資料の確認から始めました。

一つは全国老施協副会長で福井県老施協会長から送信して貰っていた第二次補正の介護関係の資料と全国老施協幹事で福島県老施協事務局長の高木君の県を巻き込んでの援助体制の資料と窪田室長が作成した岐阜県版の叩き台を基にびわこ学院大の烏野教授(リスクマネージメントの大家)に電話で指示を仰ぎながら作成しました。私は大した知識は持ち合わせていませんが、色んなネットワークを駆使すれば立派なものが出来るものです。お陰さまで出来ましたので、電話で会議の主幹課である高齢福祉課の担当者に資料提出の可否をお尋ねすると「ありがたい事です。」の言質を貰ったので、明日10時30分から和合で幹部会があるので、朝イチで30部輪転機をかけたいと考えています。

何もしなくても会議に望む事は出来ますが、県老施協を代表して出席する限りにおいては当然の事だと思っています。その後資料の整理等をして17時といつもよりは早くに仕事を終えて家に帰り、5月16日の私の誕生日に本部施設の役職職員からプレゼントされたカラオケで少し息抜きをすることにしました。何とかテレビに接続して老猫『リット』を隣に座らせて何曲も歌ったのですが最初は「いつも歌わないのを練習しよう」と河島英五の『時代おくれ』を歌ったら点数が75点しか出なくて「これはリベンジしなければ」とカラオケの機械にむきになり私の勝負曲『兄弟船』を歌ったら「えっへん、百点」ここで頭に乗るのが私の素晴らしい?ところ。しかしながらその後に百点はでなかったのでやっぱり兄弟船がこれからも勝負曲だと悟りました。

そして、気分良く寝たので爽やかに目覚めたのですが、早出の職員が体調が悪く欠勤するとの連絡を受けたので、7時前に施設に行き宿直者に現場に行って貰い事務所の仕事をしました。その後事務所の職員も来たので、銀行に行き、処遇改善で職員に手渡す現金をおろし一人ひとりに渡すお金を封筒に入れているとお昼になり午後からの全国老施協の入会促進パンフレットの為のウェブ会議があり、しっかりと私の意見を言わせて貰い、次回の予定までの話をして終了後、新規事業の解体工事の様子を見に行くと建物は全てなくなりびっくりと共に業者の方に感謝です。

リピーターの皆さん。一生懸命は良い展開を産むのだと思いました。そう言えば運転中のラジオで『天才はどのようにして生まれるか』と言う話の中で「自分が好きでなければ天才にはなれない。つまり、好きだからこそ熱中してできるのだ」と言ってました。私はその事から改めて今の仕事は天職なのだと思いました。だから頑張れる・・・。リピーターの皆さんもそう思われませんか。

先ずはお詫びから

本日も一日遅れのコラム原稿になるのですがその前にリピーターの皆さんに『訂正とお詫びを申し上げます。』と言う事です。と言うのは昨日の記事の中で曜日が『土曜日』となっておりましたが本来は『金曜日』で、しかも『出にくい曜日』と書いたのは、説得力がなく意味がよくわからないものだと気が付きました。でも、考え方によっては『会社にとっては週末の忙しい曜日の午後だから大丈夫の意味で通ずるかな』と言う事で「訂正とお詫びを致します。」と書いて見直しをしていて、昨日書いた記事を一昨日と記載しているのに気が付き『これは、間違いのだめ押しだ。珍しく訂正等するからおかしくなるのだ。』と自分自身に恥ずかしさと情けなさを覚えつつも「『月月火水木金金』の生活なんだから仕方がないでしょ」と居直っている私も存在してます。(これは血液型がによる性ですかね)といつもの事ながらなかなか本題に入らない原稿ですいません。さて本題は昨日(正に土曜日です。)開催された社会福祉法人杉和会評議員会の報告をします。13時30分からの開催予定でしたが経理をお任せてしている岩田理事(税理士の先生)が一時間前の12時30分におみえになり、早速打ち合わせをして、終わったタイミングで関ヶ原町の大長老で当法人の評議員の淡川さんがおみえになったので、応接の椅子にご案内して話をさせて頂きました。殆どは関ヶ原診療所の今後についてでしたが、関ヶ原町の事を真剣に心配されてのものと思いお話を伺いました。定刻時間になり、理事長としての最初の挨拶は「3月以降新型コロナの影響で厳しい対応を強いられているが、対策を万全にとり、稼働率もそれほどの差異もなく頑張れているのは職員も頑張っているお陰だ」と言う主旨の事と「垂井町梅谷地区での新規事業もようやく軌道に乗って来た。」と言う話を中心に話をさせて貰い最後に新しく評議員に選任させて頂いた二人の紹介と理事長として辞令をお渡ししました。その後、前大垣市議会議員の山口評議員を議長に選出して(大垣市議会副議長までされた方にお願いするとは何と恐れ多い事ですが)議題について検討して頂きました。令和元年度の決算については職員みんなの頑張りもあり、良好なものであったので、新規事業への補正予算についても皆さんの了承も円滑に得られ15時前に終了し、締めの挨拶で「例年であればこの後懇親会を行うところですが、新型コロナの影響もあり本日はありません。但し例年評議員会は年に2回の開催ですが、今年度は新規事業もあり、少なくてもどこかのタイミングで1回は開催しなければいけないと考えていますので、その時に懇親会が出来たらと考えています。」と話をして終了させて頂きました。会が終了後評議員の方、一人ひとりにご挨拶をしてお見送りしてから、再び淡川さんと話をさせて貰いました。お話をさせて頂きながら私は23年の月日の重さを感じていました。(それは、押しも押されもしない大長老と対面でお話させて頂いているからです。)リピーターの皆さん私はこれから先も地域のために入居者さん利用者さんの願いを出来るだけ汲み入れた展開をしていきたいと考えていますので、これからも、このコラム同様宜しくお願い致します。

今日も一日遅れの報告です

決して一日遅れの報告がベストだとは思いませんが、昨日はそれが正解だったし、今日も昨日の出来事はしっかりリピーターの皆さんに伝えたい事なので書きます。但し、昨日が正解だったと言う話は、昨日の新規事業の為の合同会議が終了後どっと疲れが出たのか夕食も少ししか食べれずに(痩せてまう・・・)19時30分には異常な眠気がきて寝てしまう結果になったので早くに大方の原稿を書いていたのでお風呂でまとめの所を加筆しただけで済んだので助かりました。

さて、本題に入ります。(あいからわず前段が長くてすいません。)

昨日は新規事業の盲養護老人ホーム・養護老人ホームに関わって頂いている方々を一同に集めての合同会議を13時30分から本部施設会議室で行いました。メンバーとしては外部から測量会社の三城コンサルタントさん、建築設計と管理をお願いしているデザインボックスさん、解体及び整地を今まさに急ピッチでして頂いている新晃さんの3業者に加え、理事として経理を見て頂いている岩田先生(税理士)、除外申請や農地転用の書類をお願いしている若園先生(司法書士)、土地売買に関わる業務をお願いしている乾先生(行政書士)とそうそうたる専門職のメンバーに集まって頂いての会議を土曜日と言う出にくい曜日にも関わらず参加して頂きました。

会議の冒頭、社会福祉法人杉和会理事長としての私の挨拶では、「時間が厳しい状況の中、出来るだけ効率的に事業が遂行出来る為の会議です。全国47都道府県の中で岐阜県を含めて4県のみがない盲養護老人ホームを造る意義は大きく尊い事だと考えています。私には色々な知識がありませんので皆さんのお力を結集して頂き来年3月に立派に完成出来ますように宜しくお願い致します。」と話をさせて頂きました。

その後はそれぞれの立場で熱のこもった話し合いをして頂き、当法人の事業に対して一生懸命になって頂ける事に目頭が熱くなりました。そして、必ず立派に完成させ岐阜県の視覚障害の方々にとって安心を持って頂けるものの構築に努めなければと改めて思いました。

2時間の会議を終えてから新規事業の室長であり、岐阜県老施協研修委員長である窪田室長と16日に実施される『新型コロナ対応検討会議』が岐阜県主催で行われ、私が老施協会長として出席する為の事前打ち合わせをしました。確かに新規事業も大切ですが岐阜県老施協会長として、新型コロナに対する対応も重要な事ですので、気を抜く事なく打ち合わせをして、その中で施設においていわゆる『クラスター』が発生した時の対応については岐阜県の支援が不可欠なので、しっかりとした提案をして、検討会のメンバーと岐阜県に理解を得られるようにしっかりとした提案をしていきたいとの思いで打ち合わせをしました。また、第二次補正に基づき介護に対する補助金についても情報共有をしました。

私に与えられた役割をしっかり全うしていく事で色々な展開がよくなっていくのであれば少々体調が優れなくても、頑張れる。リピーターの皆さん私はそんな人間ですが、これからも宜しくお願い致します。

一日遅れの報告をします。

考えてみたら、昨日のコラムも一日遅れの情報だったのですが、一日前の情報になるのは、『1000文字ものコラムを一日が終わりくたくたに疲れた状態で書くのは正直泣きながら書かなあかん。だったら、少しでも書く時間があったら書いておこう。』と言う宏くん【らしくない】考え方からなのです。

実は今の時間は午前5時35分で、今がどういう時間なのかと言うと、昨夜も早く寝て、5時前に我が家の老猫『リット君』が私のベットの側で何かをカリカリしながら鳴いていたので、「少し遊んだるか」と起きて歩きだすと「にゃーにゃー」言いながら私が歩き難いようにジグザグに歩いて絡んでくるのです。

本題に入ります。(全く前段が長いのはいつもの事でリピーターの皆さん申し訳ありません。)

昨日は久しぶりで朝イチで遠くまで運転しました。それは、関市にある中部学院大学で岐阜県高齢福祉課主催による『外国人材検討会議』が10時からあったからです。多分私が一番遠い所からの参加で遅刻は許されないと、家を8時15分に出発したら、9時25分に大学の駐車場に着き、今時当然なのですが入校手続きを入り口ですると検温チェックをして36℃なので大丈夫と言う事で会議会場に行くと出席者は私が一番乗りで大学側の職員が一人のみ。こう言うのは遠い者から集まるとはこう言う事か。今日の会議は会場での参加の他にもウェブでの参加もあり、かなり変則的でしたが、流石に皆さん場馴れされた方々ばかりで会議は粛々と進行していきました。

先ずは事務局側の中部学院大学の職員の進行で高齢福祉課長の挨拶、座長の中部学院大学の飯尾学部長の挨拶後、飯尾教授の進行で会議が始まりました。先ずは外国人材に対する報告を事務局側の中部学院大学の職員からあり、補足説明を委員の一人である中部学院大学の吉川教授がされてから討議に入りました。このタイミングでの会議なので『新型コロナ』の話題は避けて通るわけにはいかず、前回の会議の後の進捗の遅れは歪めないものになりました。会議の中で一人の委員さんが「介護職は因果な業界で不景気になると職員確保が楽になる」ような主旨で話をされたので私は間髪入れず「岐阜県の高齢者計画の中で今の現状で何も手立てを講じなければ2025年まで毎年1000人からの職員が不足するとの見通しを立てている現状なのだから短期見通しではなく、中長期的な考え方の中で外国人材も必要不可欠だし、今こそ大切だとの岐阜県の考え方で進めるべきで、現在介護に関わっている外国の方に広く意見を聞いて次の一手を考えるべきだと思います。」との意見を言わせて頂きました。

会議は12時までの予定が若干延びその後、飯尾先生と話をして、高齢福祉課長さんを始め3名の担当者の方にご挨拶をして、急ぎ施設に戻り14時から介護職の処遇改善加算の有効な配布方法についての打ち合わせを社会保険労務士の先生とすることになっており、昼食はいつも以上にパクパクと食べていると、社労士の先生から少し遅れるとの連絡を頂き少し深呼吸する時間が持てました。

打ち合わせも終わり事務所で書類決済やパソコンでの確認等をしていると17時になり、慌てて垂井に向けて車を走らせました。と言うのは新規事業をより充実したものにする為に乾町議のはからいで養護老人ホームに入居される方の中で畑で野菜等を栽培したい方に土地の確保が出来たら良いとの思いで土地を譲って頂く話に行く為です。18時には少し時間があったので新規事業の所の解体現場に行ってびっくりです。どうしてかと言うと旧町営住宅32棟が全て取り壊されていて、コンクリートの瓦礫の山に土肌が見えていて、まだ10日余りでよくもここまでと思うと共に感謝の気持ちで一杯になりました。

本当に時間がないなかで頑張って頂いていることに感謝・カンシャ・かんしゃです。

お酒の不思議

令和2年6月11日

私は冷酒が大好きで最高に飲んだ記憶は二人(私と演歌歌手)で、したたか飲んだ時は4合瓶を7本空けて、お店の方が「この酒は山形の酒で・・・。」とか何とか言って冷酒の盃を持って部屋にきてくださりプラスアルファーで飲んだり、「これ以上は4合瓶では無理だ。」と1合づつ持って来て貰って・・・。つまり浴びる程飲んで、演歌歌手の方とお互いに「あなたが2升で私が1升」と担ぎあってますが実際には・・・。

また、父進さんの弟(つまり私の叔父さん)で『滅茶苦茶飲める』と豪語されていた方と私が、大学生の時の垂井祭りで、親戚の家でビールの大瓶を2ケース(40本)飲んだりした記憶があり、最近まで私は「お酒が飲めて歌が歌えてお話が出来たから今の事業が出来ました。」と話す事が度々あったし、病院で血液検査をして貰ってγGTPが高いと主治医の先生に指摘されても「仕事上のお付き合いで仕方なく飲んでいるので職業病です」とけろっと答えていました。

そんな私が3月26日に、職員の送別会でしたたか飲んだきり、本日まで外で飲むことは一切なし。「お付き合いの為、外で飲む事はあっても家で晩酌は一切してません。家でまで浴びる程飲んでしまったら肝臓は持たないから」と言い続けていた私ですが、2ヶ月以上のお酒なしの生活は流石に考えられなくて、昨日は週に一回(基本的には火曜日)移動販売の『だるまや』さんが本部施設の玄関前に来ての販売があり、『だるまや』の経営者の方が「理事長、今日は生の良いお刺身がありますよ」と言われて、(そんな言い方をされたら買うしかないでしょ)お刺身とキュウリを買いました。そして、久し振りに家で晩酌をしたのです。

と言うのは私の大好きなキリンラガーの350ミリリットルが一本冷えていて、お刺身をつまみにしてコップを出して手酌で飲みだしたのです。「この一本を飲み干したら、冷酒 『禮泉』(岐阜県養老町の酒倉)が冷やしてあるから飲む事にしよう」と考えていたのです。しかしながら、350ミリリットル缶が空になるまでに私の体は「もう飲めない」と感じてしまったのです。350缶一本と言う事は飲みに行けば生中一杯分ではあーりませんか。これは私の体の何処かが悪いのかと一瞬思ったのですが・・・。「いやいやそうではない」と気が付きました。つまり。家で一人飲んでもそれほど楽しくないので酔っ払うしかないのか・・・。体をいたわると言う意味では良い事なのかな。でも、こんなに飲めない宏君は宏君ではないのでは・・・。リピーターの皆さん私は早く浴びる程冷酒が飲みたいのですが・・・。どう思いますか。

 

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