2020年06月の記事一覧

『後悔』と言う字は『後で悔やむ』ですが

一旦決めた事を後戻りしない為に新規事業について頑張ってきました。私の事業推進の原点は『福祉の事業の展開の中で地域の為に役に立ちたい。』との思いで頑張ってきました。23年の事業展開の中で、その意義と範囲は大きくなってきています。しかしながら、その展開が単なる拡大路線としての評価でしかないようなご意見が風聞として聞こえてくると愕然として正直モチベーションが下がります。

平成10年から事業展開している施設は、生まれ育った今須の地に50床の特別養護老人ホーム(優・悠・邑本館)を構想した時期で、正に介護保険制度を数年後に控えていて『保険は出来たが利用すべきところがないのは地域にとっては駄目な状態をつくる』との思いで、まだまだ、その事に気が付いていない方が多い中での孤軍奮闘でした。立ち上げた頃は『迷惑施設』のような事を言われる方もありましたが、(自然破壊などと言われて)粘り強く説明して地域の方に納得をして貰いながらの展開でしたが、今では地域の中に溶け込み地域に安心をもたらせていると自負してます。

平成16年からの40床の完全個室のユニットを事業開始したのは、特養利用者の多様性と地域の『早く入居したい』との思いを形にしたものでした。

平成26年から事業開始をした和合の入居80床とショート18床は大垣市の個室率か特養75パーセント、ショート80パーセントで、大垣市での多床室希望者のニーズにマッチしていないとの思いと、西濃地区の中心地である大垣市での展開は将来的に大事な事だとの思いからでした。事実多床室需要は多く、7年目を迎えて地域に溶け込めて来たと感じています。

そして、今新規事業としての養護老人ホームは西濃地区のセーフティーネットとして今は老朽化して稼働率も低くなっているものを全面改築をして利用しやすい状況にしたい。確かに全国的な措置控えによって赤字施設が殆どであることは理解していて『火中の栗を拾うようなもの』との意見も多く聞きましたが『8050』への懸念(80歳の親が50歳の閉じ籠りの子どもの面倒をみている問題)に気づいた者として対応すべきだとの思いからです。盲養護老人ホームについては文字通り47都道府県で岐阜県、富山県、鳥取県、沖縄県の4県にないにも関わらず手付かずであった点に対して岐阜県老施協会長として見過ごす事が出来ないと言う必然性を持った計画です。

今はいろんな意味で理解されてない面があったとしても、事業展開の中でいずれは理解して頂けると信じて頑張っています。リピーターの皆さん。実は今色々と新規事業に対してモチベーションが下がった状態なのですが、杉和会理事長として、或いは岐阜県老施協会長として揺るぎ無い展開をすべきと奮い立つのを見守っていて下さい。

今年の夏祭りは残念ながら例年の様には出来ません

令和2年6月29日

新型コロナウイルスは色々な面に影響を与えていますが、例年8月に実施している、本部施設最大のイベントである夏祭りについても例年通りの規模で開催することは出来ないと言う結論に達しました。今日が6月29日。明日で6月が終わると言う事は実質1カ月で準備をするのも厳しい状況ですし、今の『密』への配慮をしなくて良いと言える状況になるとは考えにくいからです。しかしながら、新型コロナウイルスが完全終息にならなくても、間違いなく夏の暑さはやってきます。だから、例年通りの夏祭りは出来なくても、入居者さん、利用者さんに夏祭りの雰囲気を味わって貰う事は出来ないかとそれぞれのフロアで知恵を絞って素晴らしい起案と実践が出来るように私も理事長としてサポートしていきたいと考えています。

今日は梅雨の晴れ間で昨日と比較して湿度もグッと下がり清々しい天気の中、新規事業の打ち合わせを、整地をお願いしている会社の社長とする事になっていて、10時過ぎに現地に行くと既に社長はお見えになっていたのですが、整地は殆どされていたのですが、重機が全く動いていないので社長に不満な顔で聞いたところ、「電柱の撤去が出来ていないので今の段階ではこれ以上は出来ないのです。」との事なので思わず「天気が良いので勿体ないな。」と言うと「7月1日に撤去して貰います。」との事で、「そう言えば、5月22日に中部電力との立ち合いの時に最初は大上段に撤去は申請から3カ月はかかりますと言われたのを配慮して貰ったんだ。」と言う事を思い出し、改めて「凄い勢いで作業を進めて貰ったんだ」と思いました。

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建物が撤去されてからの測量が終わり、土地の形状の図面が明日には出来上がり、翌7月1日には、デザインボックス(建物の設計監理)、三城コンサル(土地の設計)、新晃(整地)の三社に参加して貰っての第2回目の会議で、7月3日は第3回目のデザインボックスとの設計打ち合わせで、盲養護老人ホーム30床、養護老人ホーム(50床)の大枠が見えてくるのにわくわく感で一杯です。特に盲養護老人ホームについては岐阜県唯一のものに着手するので視覚障害者の方の20年来の期待が込められている事、養護老人ホームについては、西濃地区のセーフティーネットとしての役割を担う事の重責を感じつつ、より一層にギアを上げていきたいと思っています。

設計が出来ていくのに合わせて、設備や備品についても具体的に進めて行かなければいけないし、来年の春に事業開始となれば、職員の採用についても今から進めて行かなければいけないので、タイトな毎日になりますが、リピーターの皆さん私はますますパワーアップしていきますのでこれからの展開についても見守っていて下さい。26歳の時『福祉』の『ふ』の字も理解して無かった私ですが、福祉に関わり40年、これからも頑張りますので宜しくお願い致します。

 

 

新型コロナ禍の影響で対応すべき事

令和2年6月28日

新型コロナにより、介護の仕方にも多々影響が与えられています。その中でも『マスク』の扱いについては苦慮すべき点がこれまた多々あります。体育の授業中にマスクを着けたままマラソンをしていた生徒が突然倒れて亡くなったと言うニュースや、ますます気温が高くなってくる時期にマスクの着用をどこまでにするかなどの物議を醸していますが、本部施設の幹部会でも、入浴介助中のマスク着用の扱いをどうすべきかを検討しました。最終的には「当面は本人の体調にも配慮しなければいけない。」と言う答えにもならない答えになってしまい、今後大至急フェースシールドの検討をすべきと言う事でインターネットで色々と見ていても商品はピンキリであるし、商品の届けに結構時間がかかるような事がわかり、より良い提案に対して速やかに対処出来るようにしていかなければと考えています。基本的には、マスクの着用もフェイスシールドの着用にしても着用している側の飛沫を防ぐ意味合いでの着用であることに重きを置くべきだと考えています。その意味からすると、車に一人運転をしながらのマスク着用の意味が今一わからない。この辺の意味合いを厚生労働省や全国医師会で情報発信して貰わないと収集がつかないのではないかと考えています。

本日は午前中和合の佐藤施設長と色々な打ち合わせや確認をして、本部施設に戻り昼食後昨日の供養祭に引き続きで家族会の吉田会長が来て下さり誕生会を行いました。本館2階で二人、新館で一人の各フロアでプレゼントを吉田会長に渡して頂き、ハッピバースデイの歌をそれぞれに歌い、誕生会を終えてから家族会の吉田会長と本館1階の会議室に戻り立ち上げ時からの話をしていると、当法人の評議員さんから新規事業について聞いたので協力出来る事があればとみえた方がおみえになり、吉田会長も良くご存じの方だったので3人で色々な話をしました。その中で『私は現場主義だ』と言われた時には、残念ながら参議院現職の志半ばで亡くなられた中村会長の事を思い出しながら中村会長からの教えであった「理事長なら5年先、10年先を見通した法人経営をしなければいけない。」思い出しました。

そして、一時間半程色々な私の思いを語らせて貰い3人での話が終わり吉田会長が変えられてから私のコラムを見られていて、「昨日供養祭があったとの事なのでお仏壇にお参りさせて欲しい。」との事だったので、仏間に改めて案内して仏壇の説明をして(もちろん、ステンドグラスや彫り物の話はしました。)見て貰ったらおもむろに椅子に腰かけられ持参された経本で般若心経を唱えて頂いたので、私もご一緒に唱えさせて頂き、「私の福祉の原点は四国八十八ヶ所の歩き団参でその流れで高野山の静慈圓師との出会いについて話をしていて興味を持って頂いたので、8月20日に静師が当施設に来て頂く事をお話をして、「出来ればご一緒して下さい。」と話すると早速手帳に予定を入れて頂いたので、この出会いへの期待の大きさを感じ、改めてご縁を大切にしているスタンスに間違いないと思ったのですが、リピーターの皆さんもそう思いませんか。

 

本日、本部施設で『供養祭』が執り行われます

昨日のコラムで『準備を一生懸命にしてくれている職員に感謝』との想いは書きました。今(午前6時20分)は爽やかな目覚めのなかで、昨日準備をして貰っている時に、かつてご縁を頂いた入居者の名簿が仏間に張り出されており、しみじみと398人の方のお名前を見させて頂き、一人ひとりの方の出会いを走馬灯のように思い出していました。考えに浸っていると、かつての入居者の家族の方からたくさんのお供えとしてお花やおまんじゅう等が届いている報告を受けた事に感謝すると共に事業開始から23年の重みを感じています。

新型コロナへの配慮の為に残念ながら参加者限定の中、各フロアでのテレビ中継で行いますが、さてさてどのような感想を持って貰えるのか・・・。その報告を書くのは夕方以降にさせて頂きます。

今(午後5時05分)供養祭が終わりお供えを入居者さん、利用者さんと職員に配り、お供えを頂いた方でお届け出来る範囲の方に届け終えて、本日は早く帰らせて貰い、供養祭の模様を改めて書きます。

9時過ぎに出勤すると9時30分から打ち合わせする事になっていた窪田室長が来ていたので、供養祭の会場になっている会議室で話をしていると10時15分に吉田部長が10時30分の約束でお願いしていた、お供えの饅頭を運んできたので、取り合えず打ち合わせを終えて、お供えの饅頭を各フロアに配る手配をしました。

その後改めてかつての入居者の掲示を見ながら色々な思い出に浸っていると、夏祭りとか千巻経やクリスマス会の行事に大抵は参加して下さるかつての入居者の家族の方がお供えを持ってきて下さったとの事だったので、わざわざ来て頂いたし、まだ時間に余裕があったので仏間に案内してお参りをして貰いついでに両サイドに昔の楽器が、天井に西国浄土に行く龍をあしらったステンドグラス入りの自慢の仏壇を見て貰いました。

その後昼食を頂きそうこうしていると、お経をあげて頂く法忍寺の住職で当法人の監事をして頂いている皆田さんと家族会会長の吉田さんが見えて、14時に先ずは私が挨拶をして、引き続き吉田家族会会長の吉田さんに挨拶をして頂き、皆田さんにお経をあげて頂きました。

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職員がスマホでカメラを回しながの試みでしたが、各フロアでテレビでの実況放送でいつもとは違う雰囲気でしたがいつも以上に粛々と出来たように思いました。

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新型コロナ禍の感染がいつ完全終息が見込めない今、リピーターの皆さん苦肉の策と言われようが出来る事はなんでもしていくと言うスタンスで今後も頑張って行きたいとおもいますのでこれからもよろしくお願いします。

昨日、埼玉県志木市の尊敬する先生から電話を頂きました

令和2年6月26日

朝イチで電話を頂いた内容は全国老施協の平石会長が赤坂御所で天皇、皇后両陛下に高齢者施設の新型コロナによる現状をお話に行かれた記事を見たとの内容から始まったのですが、いつのまにか私のコラムの話になり、『いつもいつも、福祉の理念を忘れず躍動感のあるコラムを毎朝見るのを楽しみにしている。』とお褒めの言葉を頂き、『午後からの垂井町との話し合いも頑張らねば』と気合いが入ったのですが、昨日のコラムで書いた通り、とても前進した形にならなかったので、スコッチウィスキーの心地よい酔いの中で寝付きは良かったのですが夜中に目を覚ましてからは再び眠る事が出来ず活路が見つからない中ではありますが、打開策を模索していて、6時になったので、私の想いを伝えるべく何人かの関係者に連絡して私の考え方と今後の打開策について話をしました。朝の6時からの電話連絡は非常識だと思われる方もあるかと思いますが、残念ながら早くに亡くなられた中村博彦参議院議員は5時にはかかってきて最初の言葉は「今、何しとる」だったなと懐かしく思い出しました。さて、施設に行きある意味頭がぼーっとしている時に本館2階と1階からそれぞれの畳があるエリアに仏様の安置と南無阿弥陀仏の掛け軸と仏様のちぎり絵が整ったので、お参りをして欲しいとの依頼があり木魚やリン等を事務所の職員に運んで貰い一心不乱にお経を唱えました。2階に引き続き1階も唱えました。途中で氷水を飲まなければ喉がかれかれになるくらいに。そして、そのフロアに響き渡る位に大きな声で唱えました、そして思ったのは、どちらのフロアにも、熱心にお経を唱えられる人がいて、多くの入居者さんが手を会わせて下さると言う事がわかりました。そして、お経を終えてからそれぞれのフロアで「私も一生懸命にお経さんを唱えさせて頂いたし、皆さんが手を合わせて下さったので仏さんにしっかりとおしょうねが入ったので毎朝食堂へ行かれる前に仏さんに手を合わせて下さると仏さんは皆さんの幸せを持って来て下さると思います。」と話をしました。お経さんをあげさせて貰って一番幸せを頂いたのは私だったと思います。今日でデイサービス、本館1階、本館2階、新館1階、新館2階と全部のフロアにお参り体制が出来ました。ありがたい事です。午後からは新規事業の打ち合わせにデザインボックスさんが3人も来て頂きました。先週の1回目とは違いより具体的な提案を頂き本格的な中身についても意見交換が出来、来週には三城コンサルタントさんの土地形状の最終提案が6月末で出来るとの事なので7月1日に設計会社、測量会社、解体と整地を請け負った三社との打ち合わせをして本設計を本格化させます。とにかく時間がタイトななかでも良い施設を造りたいとの想いを強く持っています。打ち合わせが終わった頃、明日の供養祭の為に職員が一生懸命に準備をしてくれているので私もその輪の中に入っていきました。明日は『密』を避けるため、お寺さんと家族会の会長と私の3人が 仏間でお参りして、入居者さんは各フロアでテレビ中継することになっています。さてさて上手くいくかはリピーターの皆さん明日のお楽しみと言う事で。

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打開策が見えてこない中で

令和2年6月25日

『今時、養護老人ホームの建設計画を実施するのは無謀だ』と言われる方が多い中で令和2年度事業で計画に踏み切ったのは地元垂井町で事業展開をしている広域事務組合が運営している施設が老朽化していて、50床の入居定員に対して9人しか入居しておらず、尚且つ全国47都道府県で岐阜県、富山県、鳥取県、沖縄県の4県のみ盲養護老人ホームがない状況に対して『社会福祉法人の使命として、地域貢献やセーフティーネットの役割を担うべき』との熱い思いで計画実施に向けて日常の本部施設での対応と月に2度の和合での対応と理事長としての対応、岐阜県老施協会長としての対応、全国老施協総務・組織委員長としての対応(本日もウェブ会議がありました。)にプラスで新規事業の計画について、垂井町の理解を得て一生懸命に根回し気配りをしてきたのですが、新型コロナ禍の影響により地元説明会が2ヶ月以上遅れた関係上、旧町営住宅の解体が6月に入ってからで(落札していただいた地元の業者さんは目一杯シャカ力にして頂いていますが)測量も急いでして頂き土量計算をして頂き、何とか土地の形状が決まるのが6月末。その段階で本設計をしていただく事になると来年3月までに施設を完成する事はなかなかタイトなので

時間を短縮する為の知恵を出し合う為の打ち合わせをしたのですが全く妙案が見つからずイライラが最高につのる会議になってしまいました。そんな中で私自身はメチャクチャ虚しい気分です。冒頭に書いたように一杯リスクがある中での『想い』だけで杉和会の理事会、評議員会のご理解により、計画が実行に移せるようになったのに。新型コロナによっての影響による制度に対する配慮はないのか。当法人だけが厳しい状況ではあまりに悔し過ぎる。朝7時30分に烏野先生が入浴ケアに対するマスクに変わる品物を持って来て頂けたところから1日が始まり、今が午後8時40分で「眠い」と大きな声で喚きながらコラムを打っているのです。仕方がないか。少し気分を解したいと、東京で親しくして頂いている方から『ロイヤル  ハウス  ホールド  スコッチウイスキーを送って頂いたのを(インターネットの楽天で2万6千円と書いてありました。✳写真参照)ロックで2杯頂きました。

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メチャクチャ飲みやすかったのですが、アルコール分43パーセントと掲載されていましたので良い気分に少しなりましたが、まだスッキリはしていませんが、明日は2回目のデザインボックスとの打ち合わせがありますので、良い知恵を出してもらえると信じてリピーターの皆さん寝ます。

備えあれば患いなし

令和2年6月24日

新型コロナウイルスの広がりは少し落ち着いたように思われるが、決して「喉元過ぎれば熱さを忘れる」的な対応で大丈夫と言えることではありません。昨夜も本部施設の全体会で当法人の顧問の烏野先生から「20%、80%の考え方で対応すべきだ」との話をして頂きました。それは、「0%か100%ではいけない。」と言う事です。私も上手い表現だなと思いました。つまり、「全く何もしないか、リスクを気にせず通常通り実施するか。」ではなくて「リスクを想定しながらも出来る事を実施する。」との考え方です。「0%か100%」の考え方は何も考える必要はない代わりに「つまらない生活を強いるか、あまりにリスクを無視した考え方で余りにも無謀な考え方。」と言えるのではないかと思います。

しかしながら、何を持って20%なのかと言う尺度はないので、しっかりとしたリスクヘッジをしていく必要があると思います。さて、先般16日に「「施設内感染発生時の相互支援」についての検討会が岐阜県水産会館大会議室で開催され岐阜県老人福祉協議会としての考え方を提示させて貰ったのをたたき台にして、主管課の方で第2回の会議に向け作成されたのを見させて頂きました。その率直な感想は「岐阜県は本気で取り組もうとしている。」と思いました。と言うのは、私は全国で一番早く提案された福島県のプランを参考にして作成したのですが、補助金の考え方に応援職員を派遣する為に『賃金』『手当』『旅費』『宿泊費』『損害賠償保険の加入費用』等の補助と謳ってあったからです。当然と言えば当然の事なのですが、きっちり書いてあったのは素晴らしい事だと思いました。だって、派遣した施設に職員を出してなおかつ持ち出しがあるのは考え者なので。そこまで検討して貰えたのは良かったと思い、立案された職員にその事を素直に伝えました。

『備えあれば患いなし』の格言が有り、岐阜県は全国的にも早い段階で動かれた事を評価すると共に、岐阜県老人福祉施設協議会も会員の理解を得て協力できる事をさせて貰いたいと、岐阜県老人福祉協議会会長として思うと共に、新型コロナウイルスの第2波、第3波に対して施設長としても対策を講じなければと考えています。

昨日の本部全体会では改めて入居者さん、利用者さんの為にも「不要不急」の対応はして貰いたいとも話をしました。私はマジで新型コロナウイルスに罹った時に額に『コロナ』と出てきたらありがたいけど、そんな薬を開発する事は絶対に無理なので、改めて手洗い・うがいの徹底と必要に応じたマスクの着用(熱中症も怖いので)をしていきたいと思います。折角、家族への面会が若干緩和されたのに逆行するようなことにならないように、職員にも家族の方にも理解してもらいたいと思っています。

 

毎日が充実しているのかフワフワとした生き方なのか

令和2年6月23日

毎日の生活の中身が濃いのか薄いのかはわかりませんが、とにかく時間が経つのは早いです。「もっとゆっくりとした時間が持てたら」とは思うのですが、決して1年が『あっと言う間』と言う感覚ではないのです。これは一日一日の中に一杯いっぱい色んな刺激があるからなのだと思っています。

小学校低学年の頃、冬になると足は膝まで手は肘までボンボンにしもやけで腫れて、手や足を動かす事も出来ず学校の教室では目の前に真っ赤に燃えたコークスのストーブと豆炭アンカに足を突っ込んだ状態で暖か過ぎて、授業内容は全く頭に入らずの毎日。そのころの記憶はその連続だった為か記憶の中ではあっと言う間の記憶でしかない。この歳になり良くも悪くも充実の日々。こんな日々に感謝しつつ思うことは『人生はどこかで帳尻が合うようになっているのかな』と。

しかしながら、私の人生は虚弱体質だった時もチャランポランの学生時代(私的には一生懸命だったのですが)も、わずかしか勤めなかった教員の時も、児童養護施設の指導員時代もフリーでうごめいた時代も。ましてや社会福祉法人を設立して事業展開をしている今も。色んな方に支えて貰って今があるのだと思うと『私に出来る事は精一杯にしなげればいけないし、しなければいけない』と思っています。

本日も午前中に岩田税理士と北村社労士との打ち合わせ。昼食を慌てて頂き、午後零時40分からの葬儀に参加して、終了後そのまま和合の施設に行き、休憩する事もなく佐藤施設長との打ち合わせで引き続き2グループに分けての全体会があり、理事長としての話をしっかりさせて貰い16時に終了して、またまた、休憩も取らず本部施設に向け車を走らせ施設の駐車場に入ると17時からのお客様が車から降りてみえたので会議室に案内してお話を伺って、それが終わったタイミングで烏野顧問(びわこ学院大学教授)がみえたので引き続き会議室で色々な打ち合わせ(途中で岐阜県高齢福祉課と山本企画社長と北村労務士から電話あり)をしていると今度は本部施設の全体会が19時から始まり、その会議の中でも理事長として熱く語り、(新型コロナ禍の中の対応への考え方等)全体会終了後は新設された主任会議を実施しました。主任は6月1日付けの新しい役職ですが、中堅どこを充実させるためのものなので、これから大切にしなければ。

1日の役割が終わり家に帰り気が付きました。『コラムがかけてない』今は半分眠気の中で最後の気力を振り絞ってます。リピーターの皆さん『誤字脱字にはご容赦です』

 

睡眠を取る事の大切さを実感しました

令和2年6月22日

昨日のコラムで熟睡が出来ず体調が良くない事を書きましたが、昨夜は私が好んで飲むキリンラガービール500ミリリットルを1缶飲んで、尚且つ理事長としての方針が固まってきたので頭の片隅には若干の不安は(まだまだかなりの部分かなー)ありますが、それなりに精神バランスが取れてきて、それなりに熟睡出来たので5時半にはすっきりとした目覚めが出来ました。

外は明るいしウォーキングでもして体をシャキッとさせようか等と考えながら、1階のリビングで新聞を読んでいると、施設からの連絡が入りかなり前から厳しい状況だった方が心停止されたとの連絡を受け、急ぎ施設に行くと共にお医者さんとお身内に連絡して、しばらくすると、お医者さんが来て下さり死亡確認をして頂くとお身内の方がおみえになったので、亡くなられた入居者のお顔を見ると本当に安らかなお顔をされていたので、お身内の方からは「約8年と言う長き月日を本当にありがとうございました。」と言って頂きました。

その後、いつものようにお風呂に入って頂き、お迎えの車が来たので可能な限りの職員が玄関先でお見送りをしました。その後処遇改善加算に伴うお金を手渡しすると共に色々な話をしたりして(途中で、とろみ剤を調整する機会の業者の挨拶も受けました。)いると16時になり、天気も回復したので新規事業の作業状況の確認に行きました。

私が現地にいるのを見られたのか養護老人ホームの園長さんが近づいて見えたので、「ご迷惑をかけています。」とまずはお詫びして「来年4月以降の対応の仕方について意見交換すると共に「今週中に町長さんを初め担当の課長さん達と具体的な話し合いを持ちます。」とかっこ良く別れて、測量作業を行っている所へ行こうと近道をして歩いていて、「あっ」と思った瞬間にずぼずぼっと土の中に足が埋まり、足が抜けなくて靴が抜けてしまい頭が真っ白。靴だけでなく膝まで・・・。何とかその場から脱出してとにかく靴を脱いで裸足で歩いて用水路にまで行き靴と足と手にこびり付いた泥を取り、ズボンをたくし上げると何か所が傷ついていて「悲しい」やら「情けない」やら「恥ずかしい」やら・・・。

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しかしながらここからが私の真骨頂。何とか施設に帰ってから、土の改良をする為の打ち合わせを予算面からと技術面から電話でしました。これからも、山あり谷ありだと思いますが、大きなプロジェクトだから当然の事ですが、この経験は一回一回新鮮でドキドキハラハラですが、自分の成長でもあり、法人の成長でもあると考えてこれからもクリアしていきたいと考えていますので、リピーターの皆さんこれからの展開にも乞うご期待。しかしながら、大昔の芸人ばりに「ビックリしたなぁ、もう。」

 

2日間の事ですが眠れない日々です

2020.6.21

新規事業の計画が新型コロナの影響もあり、実質3ヶ月の遅れが生じている状況の中、色々な事を考えていると眠れません。明け方の4時頃にとろっとして5時過ぎに夢を見てうなされながら目を覚ましました。その夢の事は鮮明に覚えています。それは、私が柱に体をもたげていて体が動かなくなりいわゆる全身硬直のような状態で声を出す事も出来ず大きく唸った瞬間に目が覚めました。このような状態になったのは、なるべくブラス思考で楽観的に考えようと起きている時は努力しているのですが、横になって眠る努力をするとますます目が冴えてしまうからなのでしょうか。新規事業について昨日話をしている時は夢や想いを語る場なので心良い空間だったのですが、現実には予定が3ヶ月遅れている状況を取り戻す為の旗振りは出来ても自分では何も出来ない。厄転じる方策も思いつかない現実に途方に暮れるだけでは問題解決にはならず立ち往生です。救いは朝食はしっかり食べる事が出来た事です。施設に着き処遇改善加算の差額分を職員一人ひとりを呼び、面談を兼ねて支払いました。10時25分になり滋賀県でかつての入居者さんの葬儀の為に一旦支払いを中止して出掛けました。葬儀は三密に配慮したものでした。再び施設に帰り、丁度午後零時になったので、20分で昼食をとり、再び処遇改善加算の差額の支払いをしていると、13時30分になり、デイサービスの本日の責任者が『お参り』の時間になったと言いに来たので慌てて仏間に行き、参加者に挨拶をしてから、私の導師でお経を皆さんと共に約30分あげ、少しだけですがお話をしていると、新館の職員が新館でのお参りの為に迎えに来てくれており、またまた慌てて新館に向かい先ずは新館の2階で同じようにお経とお話をさせて貰い、またまた慌てて1階に下りて、お経とお話をしようと思ったのですが、流石に喉を潤さないと大変だと考えて自販機でお茶を買い1階の皆さんが待ってみえる所に行き、若干時間に遅れた事をお詫びしてから皆さんとお経をあげ、お話をしていると、カラオケの機械が準備されているので、お話をしている時に、「合計90分お経とお話をしたのでご褒美として夕食時にお酒を頂こう。だとすると本日のカラオケ曲は吉幾三さんの『酒よ』で決まり。」と考えていて、職員から曲目の依頼がある前に「今日は『酒よ』を頼みます。」でペットボトルのお茶で喉を潤し気持ちよーーく歌えました。そして改めて思いました。「私の喉はお経とカラオケでぜっこうちょう」(ここの言い方は映画『マスク』の主役のように)睡眠不足でフラフラだったのにお経さんを唱えたら元気になったと意気揚々で事務所に帰ると、不思議なご縁を頂けるかも知れない三味線の家元へ送る事になっている今須米が届いていたので、イッキに手紙を書いているとその間に職員が配送出来るように段ボールを切って準備していてくれて・・・。色んな意味で『ありがたいなー』と言うことで。リピーターの皆さん。私がうじうじ考えるのは似合わないので、「ガンガン攻めて活路を切り開こうと」と考えていたら当法人の評議員の方から地元対策についての根回しをしたとの連絡。確かに私は理事長で責任は持たなければいけないけど多くの支援者の方がおみえになる事を忘れてはいけない。今までも多くの方に助けられていまがあることに今更ながら気が付きました。よ~~~し、明日からガンガン攻めまくるぞ。と言う事で『乞うご期待』と言う風に絶対になる!!!!!

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