令和5年1月16日
私が中学校1年生の滅茶苦茶雪が降った日で、葬儀の準備の最初は葬儀会場である妙応寺さんまでの雪融けを地元の方にして頂いたので、母秋江さんの葬儀の話になると「秋江さんの葬儀の時は雪解けが大変だったな。」と言われる度に「その節はお世話になりました。」と恐縮しながら話をする期間が結構ありましたが、56年も前の事になりましたので、流石にその話題がのぼる事は無くなりました。
56年の月日が経過しているのですが、私にとっては特別な日なので朝のお墓参りは母秋江さんのお参りが中心になりました。お墓でお経を唱えている時は、56年前に時空が飛んだようで思いが走馬灯の様に蘇ってきました。そう言えばお墓に行く前に妙応寺の本堂で大谷徹奘師の日めくりカレンダーをめくると『弱い自分に出会った時が強い自分になるチャンス』と書いてあったのを見た時には苦笑いをしながら「大谷徹奘師は全てお見通しなんだ」と思った次第です。と言うのは中学生までの私は『弱い自分』ばかりであり、母秋江さん或いは母親代りだった姉光子さんに甘えるばかりで強くなる事は全く出来なかったように思います。
強くなるチャンスは劇的に訪れました。それは母親代わりだった姉光子さんが、高校2年4月7日に急逝した時です。この時こそ私にとっての大ピンチだった様に思います。そのピンチをチャンスに変えたのは、高校2年生の時に巡り合った滋賀信行会による四国八十八か所の歩き団参でした。既にあれから50年は経過しているのですが、あの時のご縁により私の人生は変わり方向付けられたと言っても過言ではありません。ピンチをチャンスに変える事が出来たのは母秋江さん及び姉光子さんに甘えた依頼心の強い私だったのですが、その間に私は「相手が困っているのであれば自己犠牲をしてでも何とかしなければいけない。」と言う事をぼーっとした生き方の中で理解したのだと思います。
しかしながら、私は17歳の時から生き方が大きく変わったのですから、既に52年の月日が経過しているのですが、17年の生き方から学んだ事が52年の人生にとって(まだまだ進行形ですが・・・)有意義なものになっていると言うのは本当に幸せな事だと思っています。
そんな事を母秋江さんの命日に考えるのも、母秋江さんと母親代りだった姉光子さんの死によって私の生き方が大きく変わったと言うのは本当に申し訳ないとは思うのですが、2人は天国で「今頑張っているから大丈夫」と父進さんも参加して話をしてくれていると思っています。だってそうでなかったら先般参加させて頂いた京都三弘法の参加も無いし、四国遍路もないし、ましてや高野山真言宗の大僧正で前官の静慈圓師との出会いもなかったと言う事ですから。
リピーターの皆さん本日は母秋江さんの命日と言う事で50年以上の時空を超えて思いつくままに書いてしまいましたが、そんな面もあると言う事を理解して頂ければ幸いです。