令和5年3月16日
いつもの妙応寺の本堂の大谷師の日めくりカレンダーの言葉なのですが、本日はこの言葉を見た瞬間に私が中心になって行ってきた事について走馬灯の様に頭に浮かんできました。26歳から38歳までご縁を頂いた児童養護施設においては、教員を退職して福祉の『ふの字』も知らなくて無手勝で提案して、なかなか提案が軌道に乗らない時には自分の指導力の無さに自信をなくしていると子どもの方から助け船を出してくれる子が現れて救われる事が度々ありました。但し、指導者である私が手を抜く様な提案には見向きもされませんでしたが、子ども達にとって少々厳しい提案であっても自分たちにとってプラスになると思った提案には喰らいついてきてくれて自信をつけていった様に思います。一杯失敗をしていく中で問題解決をした事によって私自身が成長していった様に思います。
児童養護施設を退職して大学の非常勤講師として講義をさせて貰った最初の講義で(大垣女子短大幼児教育課)講義時間は80分なのに60分も話をしたら話す事が無くなり立ち往生をして4月ですから決して気温が高くはないのに背中を滝の様に汗が流れた時に自分の準備不足を理解して次の講義からは絶対に学生さん達が飽きないでしっかりと聞いて貰えるような内容を準備しようとしっかりとした準備をする様に心掛けて講義に挑む様にしたら自分自身も講義の内容に自信が持てるようになりました。その甲斐があり、非常勤講師のコマ数は大学の非常勤講師を辞めるまでには週に13コマを持たせて頂ける様になりました。いよいよ、社会福祉法人杉和会を設立し特別養護老人ホームの建設に至るまでには紆余曲折がありましたが、最初にピンチが訪れたのは予定していた土地での地区での説明会に行って土地所有者の一人が大反対をされたのです。その時の土地の交渉は人任せにしていて安易に考えていたのです。
土地交渉が頓挫して私は「人任せでは何も良い結果は出ない。」との教訓を得て新たな土地については7軒の地権者に対して毎日の様に話にいき、今の本部施設の土地の了解も得て地区への説明会に望みました。ところが地区での説明会を開いてみると『水』に対する拘りが強く、当時は今須地区には下水の設備が出来て無くて、施設専用の合併処理浄化槽の設置の説明で暗礁に乗り上げ地元の業者さんからの説明では一部の方が納得されずに暗礁に乗り上げました。何ともならない状況の中私は合併浄化槽から出て来た水が完全にペーパーが溶けなくてもやった水であるとの指摘を受けました。そんな中で「綺麗な水です。」と言っても納得して頂けないので私はテーブルにあったコップの水を飲み干しました。そんなパフォーマンスをした事によって理屈では解決しないものが何とかなった事もあります。
本部施設本館の時ばかりではなく、新館の時も、和合の時の色々な厳しい状況をクリアしていく中からこれまた色んな事を学びました。今も盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)の施設の大きな課題を抱えていますが何とか現状を打破してより強固な自分にそしてより強固は組織にしていきますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。