徳山村での伸び伸び(気楽な生活)ぐびぐび(お酒の話し)の暮らしに終止符を打って貰ったのは、その当時中学校の校長先生をされていた児童養護施設経営者の関係者の方でした。正直、将来展望が見えない状況の中だったので、「わざわざ徳山村まで来て頂いての紹介だし、この段階が潮時かな」と思ったのでその日の内に紹介をして頂く方の車の後ろをついて行きました。
8月の終わりの頃です。児童養護施設だと聞いていたのですが着いた所はどう見てもお寺だったので「?」と言う所から始まりました。だって私は福祉の事など全くと言って良い程に理解していなかったので「?」のままお寺の庫裏と一般的に言われる所に案内されて「?」。話を聞いている内にお寺の敷地内に社会福祉法人で児童養護施設を経営されている事を理解して、この施設は親の元を離れて生活をしている施設なのだと言う事は理解したものの、資格も無い知識も無い私に勤まるのか・・と思いました。そこで疑問に思った事を聞きました。すると「若山さんは小中高の教員免許を持っているので指導員資格は充分です。」と言われたので私自身は「そんなものなの」と思いながら色んな話をしていると、面接をして頂いている方から、夏なのでカッターシャツの下に首から掛けている数珠の事で質問されました。そこで高校2年の夏から毎年春と夏に四国遍路の歩き団参をしている事を話すと、お寺自体は禅宗妙心寺派だけれども本堂にお大師様が奉ってあるとの事で、即採用との事。面接を終えた三日後である9月1日からの採用になったのです。
本採用だったのですが勤務時間は14時から22時までの8時間で夕食は入寮している子ども達と一緒に食べて、勤めて1カ月間は22時になると「先生ご苦労様でした。」と鍵を閉めにきて下さって正直「困難で大丈夫か」と思っていたのですが、「世の中それ程甘くない。」と言う事で仕事を覚えていく事によって加速度的に仕事の量は増えて来て、私の出勤時間は14時が10時頃になり、休日も殆ど取らなくても『やりがい』の方が勝ってしまう状況で「私は大学5年間と徳山村での半年は事前に休暇を前倒しで貰っていたので休みはいらない。」等と言っていたものです。
但し、「何も出来ない宏クン」に事件が起きたのは年の暮れの大掃除の時です。冒頭書いた様に施設はお寺の敷地の中ですので敷地が広いのです。ところが小学生の高学年、中学生、高校生は例年の事だからとテキパキと作業をしているのを私は寒がりだからズボンのポケットに手を突っ込んで「良く動く子ばかりで凄いな」と見ていると、面接をして下さった方から機関銃の様にバンバン注意を受けました。その時の私は「どの様にしたら良いのかわからないから見ているのに」と思っていたのですが、但し、翌年の年末の大掃除では指示が出せるまでになりました。つまり、私が色んな意味で動けるようになったのは児童養護施設に13年お世話になったからだと思います。リピーターの皆さん人生無駄なしです。