2026年05月の記事一覧

昨日のじいじと孫娘の誕生昼食会の報告

令和8年5月11日

前回の食事会の時にテーブルに食べ物が無いだけで泣いて悲しい顔をしていた次男の長男(1歳6か月)の事が気になったので木曽路に早くに着き次男家族がテーブルに着くまでに1歳6か月と15日に3歳になる孫の食べ物の手配を済ませておいて「誰の誕生会か分からないけど、共に食事が出来るのが一番の誕生プレゼントなんだ」と思いながら11時に8分遅れで席に着いた段階で昼食会を始めました。

木曽路の『お子様ランチ』でお寿司かカレーライスの選択食がありカレーライスをお願いしてテーブルに食事が並び私と次男は冷酒を孫二人はリンゴジュースで後の二人はウーロン茶で乾杯をしたと同時に孫二人はモクモクとカレーライスを器用にスプーンで食べているのを頼もしく見ながら私はお刺身等を頂きながら次男と共に冷酒をあおりました。息子とお酒を酌み交わし、私の隣には孫娘が座っているのは何とも言えない『至福』の時間でした。

しゃぶしゃぶの肉が出てきたタイミングで木曽路の配慮により誕生記念の写真を全員集合で撮って頂きました。次男家族は次男の運転で帰る予定でしたがお酒を飲んでしまったので次男の嫁が運転する事になったのですが免許証を持っていないと言う事で次男の家に取りに帰ると言う事で待っている時間が出来たので孫娘と手をつなぎ周りの散歩をすると言う思ってもいなかった『サプライズ』が出来たのは『最高の誕生プレゼント』になりました。

15時には家に帰り着き2時間しっかり寝ました。これも、それぞれの施設の職員がしっかり施設を守ってくれているからと言う事でこの時間も『最高の誕生プレゼント』になりました。一週間早い誕生会でしたが、しっかり祝って頂いたので5月16日の73歳の誕生日には『若山宏 七変化コンサート』を職員の助けを得て頑張りたいと思っています。

私と孫娘の誕生会で昼食会をしました

11時に予約してあるのですが、8時から和合地区の溝さらいの奉仕活動があるので、5時から準備してあっ4束の花と我が家の水10のペットボトルをリュックに背負い、お参りに出掛けました。いつもの様に6地蔵様に抱きつきのお願いをしてトンネルを通っていて、妙応寺の門がいつもより早い時間なのに開いていたのは、ありがたかったです。本堂でのお経もいつもの様に出来て、若山家と吉澤家にそれぞれ1対の花を手向けて、しっかり般若心経も唱えて家に帰りお風呂で汗を流し、朝食をとり、つなぎ服に着替えて和合に向かいました。

和合の施設に着くと休みの職員2人が準備して待っていてくれたので、指定された場所に行き、地元の方々にご挨拶をして溝さらいの作業に取り掛かりました。私は大して役に立ちませんでしたが、2人の職員が頑張ってくれたので助かりました。9時に終了して施設に戻り、決済等を済ませ急いで我が家に帰り、本日二度目のお風呂に入りさっぱりして着替えをして、大垣木曽路に向けて出掛けました。

本日は私の誕生会と言う事もあり、次男と2人で冷酒を頂き、しゃぶしゃぶの肉も堪能するまで頂きましたが、私以上に食欲旺盛だったのは、この11月に2歳になる長男とこの15日に3歳になる長女の食べっぷりの良さには、目をみはるものがありました。久しぶりに一杯孫の成長ぶりに目を細め、孫娘にはじいじは38歳の誕生日だと言って孫娘を混乱させながら、楽しいひとときを過ごしました。

お昼のお酒だったので結構酔っぱらい、我が家に帰り速攻で2時間寝たので、最高の気分の私の年に1回の誕生日となりました。幸せは上を見てもきりないし、下を見てもきりないと思っています。

本日は本部施設4会場でお参りです

肩の痛みがますます痛くなる中『満身創痍』の様に身体中が痛くて頭の中が曇り空の様な状態です。

そんな中ではありますが本日本部施設4会場(本館1階、本館2階、デイサービス、新館1階)でお参りがあるので腹の底からお経を唱え、皆さんと唱和して元気が貰えればと思っています。身体がしんどい時も精神的にダメージがある時も私には入居者さん、利用者さんの笑顔によって『生かされている』と言う面が大きいので本日も4か所のお参りから元気が頂けるものと思っています。それともう一つ、事務所の中でしんどい顔から不機嫌そうに見えると事務所の雰囲気も淀んでしまうので午前のお参りが終わったら元気を頂きいつもの様に元気に振舞える様にしたいと思っています。

午前2か所のお参りが終わりました。先ずは本館1階でのお参りでお経は腹の底から出したつもりなのですが、お腹に力が入らないような状況で正直お経に集中出来なかったのですが、入居者さんに助けられるような形ではありましたがお経を終了するとカラオケの準備が出来ていると言う事で『怪傑ハリマオ』と『月光仮面』を歌わせて貰うと多くの入居者さんが口ずさんでいるのか分かり、お陰様でギアが上がりました。その勢いのままに本館2階に行きお参りをさせて頂きました。1階の時よりは集中できたので改めて「入居者さんは有難いな」と思いました。2階でもお参り後のカラオケが準備されていたので2階の入居者さんに受ける山崎ていじの『お前しか愛せない』と砂田おさむの『人生夢の途中駅』を歌い最後には『月光仮面』を歌わせて頂きました。

午後からはデイサービスと新館でのお参りなのですが、どんな展開が待っているか楽しみにしながら昼食を頂いたあと13時30分からの出番を待っている次第です。

ネタバレ

令和8年5月8日

何度もコラムを書いていますが「私の誕生日は5月16日なのです。」と言う事で普通であれば「誕生日はみんなから祝って貰うもの」なのですが、ちょっと前に水野係長にインターネットで新しいドレスを2着注文して貰っていたのが送ってきたのを確認した時に私の頭に閃いたのは「このドレスを早く着て皆さんに喜んで貰いたい。(ひょっとすると迷惑に思っている方もあるかも知れませんが・・・)どのタイミングが良いかな」と考えていて私自身のスケジュール管理をしているパソコンを開いて確認するとカラオケジョイントをする日が何と5月16日だったのです。

そこでハタと考えたのが「ジョイントで高木さんが歌われているタイミングで衣装替えをすれば面白い企画になるかも」と言う事で企画名が即『若山宏誕生日記念七変化コンサート』と銘打つ事を思いつきその事水野係長に言うと「早速看板を作ります」との阿吽の様に言ってくれたのでますますその気になっています。

私が理事長としてそこまでするのが良いのかは難しい判断ですが「単なる嬉しがり」の誹りを受けてでも『今日一日楽しかったよ』を実践して入居者さん、利用者さんから本物の笑顔を頂ける事に喜びを持ちたいと考えています。5月16日の企画を本日『ネタバレ』したのは、ワクワク感が抑えきれ無いからです。

また、このワクワク感を共に味わう同志を募う意味もあります。「この指止まれ」に多くが集いより素晴らしい企画にしていき今以上のワクワクにしたいと考えています。リピーターの皆さんの中で「私の七変化が見たい」と言う方は5月16日13時30分から関ケ原町今須782番地の本部施設で開演しますので「不気味見たさ」でも「素敵見たさ」でも良いので見に来て頂けたら嬉しいです。

   

『いかなる時にも 自分は思う あせるな 今が一番 大事な時だ あせるな』の言葉を頂きました

日本国民の為のゴールデンウィークが終わりました。私は基本的には和合の施設で午前に『お参り』午後に『カラオケ』を実施してカラオケ終了後は本部施設に行く毎日でした。但し、今年のゴールデンウィーク中はお腹に張りが有り絶食をしたり、雑炊或いはお粥またはパンに牛乳で凌ぎ大きく体調を崩す事は無く、今朝は通常のご飯と具沢山の赤味噌汁に納豆と漬物(5切れ)ヨーグルトと果物を食べましたが今のところ大丈夫なので「ゴールデンウィーク中で治ったので良かった」と思うと共に「私は仕事虫だな」と思った次第です。

本日も5時30分過ぎの妙応寺から若山家のお墓までのお参りをしたのですが(五月晴れを思わせる気持ちの良い中を歩きました。)妙応寺本堂の日めくりカレンダー(奈良薬師寺の大谷徹奘執事長)を確認すると『いかなる時にも 自分は思う あせるな 今が一番 大事な時だ あせるな』の文字を見た時にテレビドラマの『半沢直樹』のシーンを思い出しました。

それは「準備は万端、やる時な一機に」と言う言葉です。あのシーンでは相手を陥れる時のやり取りでの言葉だったのですが、私が思っているのは盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の窮状を救う為の根回しについてです。と言うのも令和3年5月に開所して5年の月日が経過して事業開始当初は「措置施設と言えども拘って作った施設で評価も高いので順調に入居者がある」と思っていたのですが、予想以上に市町村の措置についての考え方が理解されていなくて、最近「そんな状況ではいけない」との機運が高まってきたので色んな形で支援や理解をして頂ける様になってきました。5年の間には正直眠れ無い日々もありましたが、地道な活動の中で「ようやく光が見えて来た」と言う手応えを得てきました。そんな時の日めくりカレンダーの言葉なので「だからこそより慎重に事を進めなければいけない」と言う事です。措置制度についての疑問点をしっかりと払拭して何事も進めていかなければいけないと思っています。その為には私が事業開始して27年。この間に築いてきたネットワークを駆使して疑問な事が無いようにして、具体的な対応をしていきたいと考えています。

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  • ※妙妙応寺本堂に多くの『カエル』が置いてあるのを写真にしたのは「ふりカエル」「よみカエル」ことの大切さを心する為に掲載しました。
  • ※お地蔵様の写真は「前掛けが新しくなりました」が嬉しくて掲載しました。

『怪傑ハリマオ』のDVDを見て色んな事に興味を持ちました

令和8年5月6日

元杉和会理事長宅の片づけをしていて見つけた『月光仮面』に引き続き『怪傑ハリマオ』を見ていて色んな事に気が付きパソコンのインターネット情報で私が興味を持った事をコラムで書いてみたいと思います。

一つ目は『月光仮面』も『怪傑ハリマオ』も『宣弘社』の制作と言う事だったので検索しました。『宣弘社』は1941年に設立された広告代理店が始まりで1950年代~1970年代にテレビ映画製作を多く手掛けられたとの事です。1950年代から1970年代はテレビ制作で幅を利かせていたようですが紆余曲折があり電通グループの傘下になり、今は別会社を作ってかつての作品の管理やキャラクター販売をされている様です。(どの世界も高度成長時代に大手に吸収されていったのだと思われます。)次に『怪傑ハリマオ』の主題歌を歌われているのが歌手としての大御所の『三橋美智也さん』であったのも衝撃だったので『三橋美智也さん』について検索しました。

三橋さんは若い頃は苦労されていて横浜網島温泉の『東京園』で民謡教室の指導者兼ボイラーマンをしていて、たまたま民謡教室で指導中の歌声を聞いたキングレコードの方に見いだされてキングレコードの専属歌手になり、昭和30年代は『三橋で明けて三橋で暮れる』とまで揶揄される程にレコードを出せば売れると言う状況だった様です。そんな「飛ぶ鳥を落とす勢い」の三橋美智也さんがテレビの主題歌を歌われているのはその時代背景が分からないので何とも言えませんが「今の時代ではありえない」と思います。

今の感覚で言えば「三橋美智也さんは応用力のある方だったんだ」と思いました。『怪傑ハリマオ』の敵役で最後にハリマオに撃たれて死んだ『キャプテンKK』役だった『牧冬彦さん』についてですが、私の中で『牧冬彦さん』と言えば『赤影忍者』で白影役で出演されていたイメージが強いので(マニアックな話題で済みません)「イメージ違いすぎ」と思いながら見ていました。

私にとってかつての番組で一番に挙げるとしたら『巨人の星』ですかね。だってひ弱な少年だったとは言え15歳で見た巨人の星については語りつくせないものがあります。(このあたりについてはリピーターの皆さんにも色んな意見が聞きたいです。)今でも気の置けない仲間と飲んだ時などかつての番組で盛り上がる事がありますから。

本日は色んな話題について書くことにします

  •  ①ヘルペス

パソコンで『ヘルペスの原因』を検索してみました。「忙しい時」「寝不足の時」「ストレスがかかっている時」「季節の変わり目」「免疫力が低下した時」等々と書いてありました。それを見た時に「確かに思い当たる項目ばかりだ」と思うと同時に「毎年ゴールデンウイーク期間中に寝込む事が多いな。でも、今年は疲れを感じ、ヘルペスで痛くて眠れない日もあったけれども、一日も休まずに頑張っているな」と自画自賛です。

27年前に今の事業を始めた頃は、しんどくても無理を通して結局は『不明熱』なる高熱を出して、色んな抗生物質の点滴を打って貰っても熱がなかなか下がらない状態が続き、病院の先生に迷惑をかけた記憶があります。その頃の病院の看護師さんは「そろそろ優・悠・邑の施設長さんは病気になる」等と噂されていたと聞いた事もありました。今も無理をしなければいけない事もありますし、ストレスも一杯ありますが、出来るだけ無理をせずに睡眠を多く取る様にしているので、ヘルペスの症状くらいで済んでいます。

  • ②カエル

妙応寺の本堂でのお経の時には、大きな賽銭箱につかまりながらストレッチの様な事をしているのですが、本日は特に「えらい、やめたい」と思った時に、目の前の所にある10匹のカエルさんに「もう少し頑張れ」と言われた様に思えたので「フーフー」言いながらもお経を最後まで唱える事が出来ました。

  •  ③朝日

我が家の玄関を5時30分過ぎに出た時に、東の空に向かって手を合わせるのが習慣になっているのですが、手を合わせている時に「めっちゃ綺麗な朝日だ。今日は素晴らしい天気になるな」と確信して思わずスマホで写真を撮りました。

 
  •  ④一輪の花

六地蔵様の花筒の中に昨日まではしきびだけだったのですが、それぞれの花筒に一輪の花(菊)がさしてあったのですが、たった一輪なのに『されど一輪』で華やかな感じになりました。こんな気持ちになれる私がいる事に驚きを覚えています。

 
  •  ⑤お墓の花筒

リピーターの皆さんの中には「何の為の写真なの」と思われた方も多いと思いますので、次に説明します。若山家のお墓の花筒の中が分かるようにスマホで写真を撮りました。この写真のポイントは二つです。一つ目は「底まで綺麗でしょ。何故なら毎日水替えをしているし、雨が降った後は必ず水を捨てているから」二つ目は「花が枯れてしまって花を処分したので花筒には花がないのです。近い内に花を購入してしっかりお供えします。」と言う事です。

※こんな些細な事でも話題にしているから毎日コラムが書けるのだと思っています。

 

幸せな人生。いつも私はいつも見守られながら人生です

令和8年5月4日

何たって私を産んでくれた秋江さんとの出会いです。秋江さんは私を真綿で包んだ様な見守りは私を常に幸せな気分でいられる最大のものでした。と言う過去形で語るべきではなくて今も遠くからだけれども(いや、直ぐ傍にいてくれているかも知れないですが)『ハラハラドキドキ』しながら見守ってくれていると思っています。勿論、父進さんも小さい頃は私が虚弱で一生懸命に支え見守ってくれていました。

高校2年の4月に母親代わりだった姉光子さんが急逝してからの父進さんは私が問題を起こした時には陰に陽に支え見守ってくれる存在でした。父進さんが80歳前になり認知症の様な症状が出た時には自分で言うのも変ですが『機敏な対応』をして薬の量が多くて認知症の様な症状になった時にその当時の大垣市民病院の先生の見立てで13錠から3錠に減らした事で症状が無くなった時に私は「私が心配ばかり掛けているから認知症になんかなっていられないと思っていた。」等とうそぶいていたくらいでしたから。(このように書きましたが本当は父進さんに手を合わせる気持ちが一杯なのであります。)小学1年から3年まで担任をして下さった近江長岡の塚原外尾先生も私があまりに頼りない小学生であったためか特に見守ってくれた存在だったと思います。

その頃は日曜日であっても『日直』のシステムがあり塚原先生が日直の時には母秋江さんが私と先生の分のお弁当を作って持たせてくれたので一日中塚原先生の傍にいた様に思います。私が高校2年生の時に姉光子が急逝した時に荒れた生活になっていた時にも担任の西田先生、生徒会顧問だった林先生にもしっかり見守って貰っていました。

大学時代は文化庁からの天下りの祝宮静先生から日本の将来についての貴重な教えを頂いたし、本来退学になってもおかしくない状況の時にも優しく見守って下さいました。大学を卒業してハチャメチャな教員だったと思うのですがそんな私を見守って下さったのが若原校長先生でした。児童指導員時代は思いっきり学習指導に打ち込みましたがそんな時にその当時の児童養護施設協議会の重鎮であった横川先生、浅倉先生、土屋先生には外部から見守って頂きました。

土屋先生の推薦があり吉田宏岳先生との接点が出来て児童養護施設を退職してから社会福祉法人杉和会を設立して事業開始するまで文字通り陰に陽に見守って頂き法人設立時には筆頭理事として重石を担って頂きました。まだまだ沢山の方に見守って貰っての今なのですが、決してその時に受けた恩は忘れずにこれからも頑張って行きます。

このコラムを書きながら私の生き方は所謂『ナンバーワン』では無く『ナンバーツー』として色んな形で支えさせて貰った結果が今に繋がっているように思いました。その意味ではナンバーワンの様な存在なのですが「相手の事を考えた展開」に努めていきたいと考えています。

出る杭は打たれると言いますが・・・

私の小さい頃は、出る杭は打たれる様な事は一切出来ない軟な子どもだったので、杭として出るどころか土中深く入っていた様な状況だったと思います。つまり、やりたいことがあっても全く出来ないで、グズグズしている様な子どもだったのです。守られている事に居心地の良さを感じている様な子どもだったと思うので、今の私にしてみたら、絶好に許せない子どもと言う事になるのですが。

そんな私が少しづつ出る杭の様になっていったのは、かつてのコラムで書いた様に四国遍路が契機になった事は間違いありません。つまり、困っている方がいると飛んて行く、まるで月光仮面かハリマオの様になってきたのです。但しこの頃は、文字通り出る杭は打たれる様な状態だったと思います。生徒会長としての挨拶で、先輩である3年生が騒いでいたので、喧しいと一喝した事が後で職員会議で問題になり、本来生徒会長が卒業式典の送辞を述べるのですが、それから外された事もありました。

大学生の時にも学生会の学術局長をしている時にも、納得がいかない事に教授会の席にまで押し寄せた事が問題になり、退学の憂き目にあった事もありました。いつから光子さんの様な猪の様な生き方になったのか!?、あの頃は出る杭は打たれる存在だったと思います。あれから40年以上の月日が経過した今は、出過ぎた杭は打ち切れない様な生き方になってきた様に思っています。

この様になったのは色んな事を実施して行く中で失敗する事も多くあり、その都度反省をして色んな事を学んできたからだと思っています。但し失敗した時には色んな方に助けられ、励まされての今だと言う事は重々分かっています。自分一人の力だと思ってきた時には、必ず大きく跳ね返ってきた事も理解しています。自分の為に汗をかくのでは無く、地域の為に困っている方の為にと言う揺るぎ無い信念に基づいた行動だからこそ、出る杭の様に見える行動も理解して貰えるのだと確信しています。少し格好つけ過ぎたかな?

余談ですが、私は小さい頃骨と皮だけで余分な肉が無い少年だったので、臍(へそ)が出ていたわけでもないのに出臍の様に見える状態でしたが、今は奥深くに臍があり臍は全く見る事が出来ません。

語呂合わせ、お豆腐も値上げ

語呂合わせ

朝のお参りをしている時に「今日はコラムに何を書こうかな」と考えながら歩いていることが多いのですが、文字通り朝は頭が鮮明になっているので『早起きは三文の徳』の様に、色んな事が浮かんできます。そして本日は4月29日のテレビで「本日の語呂合わせで4(し)2(ふ)9(く)の日です。」と言っていたのを思い出し「上手い事言うな。でも、「4(死んでも)2(に)9(くいひと)と言うのもあるな」等と、ニマニマしながら考えていました。そして、「日本語の数字は色んな読み方があるので、めっちゃあるので想像力が逞しくなるな」とも思った次第です。

 

お豆腐も値上げ

朝のお参りを終えて家の玄関を開けた時に、いつも新聞受けから岐阜新聞を取り出して、これもいつもの様に1面の見出しを見ると「豆腐も値上げ」と言う大きな見出しがあったので、ざっと朝風呂に入り(結構に背中に汗が流れているのです。)朝食を頂きながら新聞を見る少し行儀の悪い事をしているのですが、改めて岐阜新聞の1面の豆腐の値上げの記事を読んでいて思った事がありました。

その記事には「イラクでの戦争によって豆腐の入れ物が高くなり、間違いなく値上げをしないとしけない」と言う事が書いてありました。その記事を見た時に、昔の良き時代の事を思い出しました。それは、私が小さい時には、我が家から3分も歩けば行ける所で豆腐を手作りされている家があり、小さい頃は私が我が家の鍋を持って買いに行くのが私の役割でした。玄関を入り、奥の方に行くと大きな水槽があり、井戸4取って私が持参した鍋の中に入れてくれるのです。そのお店ではそこで作られた豆腐で、木の芽味噌田楽を焼いて頂くのも嬉しかったです。多分そこで作られた豆腐は水分の少ないコチコチの豆腐だったと思うので、確かに美味しかったです。ゴミを減らす為に入れるものを無くす努力も必要ですが、まさかスーパーに鍋を持っていく事は出来ないでしょうね・・・。

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