岐阜県に江崎知事が誕生します
令和7年1月29日
20年ぶりに岐阜県知事が変わります。
前回4年前の選挙では、自民党が二分しての大変な選挙だったのでおのずと投票率も高かったのですが、投票結果は圧倒的に江崎さんの票が多かったのですが、投票率は過去2番目の低いものであったのは残念な事でした。選挙は、政治に対して自分の意思を表すものなのですが、「投票に行かない」と言う意思の表れだと思うと「政治離れの結果だとすると、そんなことではいけない。」とも思っています。
さて、本日の岐阜新聞1面に『江崎県政誕生―――20年ぶりの知事交代――㊦』『刷新 問われる手腕』の記事があったので昨日の㊤も読ませて頂いたので、私なりのコメントを述べさせて頂きます。記事の中で【自民党のベテラン県議は「執行部と議会がいがみあうことは良くないが、政策を巡ってけんかするのは当然」と主張。古田知事との意思疎通が少なくなっていたことを明かし「江崎さんとは健全な形で議論していきたいだけだ」と、今回の県庁への手引きを弁明する。(中略)自民県議の一人は「江崎さんが描く県政のビジョンが見えない。インバウンド誘客など、古田県政が時間も人でもかけて大切に育ててきた政策が、どうなっていくのか」とぼやく。別の自民県議は、立て板に水のような江崎さんの演説を、不安視する。「話がうまいからこそ、言葉選びや言葉の組み立てを間違えたときに炎上する。冗舌になって自分の本音が出ちゃうときは特に危ない」(中略)ただ大半は「お手並み拝見」を決め込む。】との記事を読んで思う事は、かつてのコラムで『立場が人を育てる』と書きましたが、正に江崎さんが知事になられてからは、自分なりの価値観で『知事とは』と考えられていたと思いますが、私は江崎さんが持たれている『郷土愛』と色んな経験からなる『識見』を十分に発揮して頂き、岐阜から全国に、世界に誇れる推進役になって頂けることを信じています。「フレー、フレー江崎丸」と言う事で。