2月4日、5日、6日と『立春寒波』の予想が出ています
令和7年1月31日
1月が比較的暖かい日が続き「今年は雪も少なくて有難い」と思っていたのですが、昨日今日と関ケ原に雪が降りましたが私の感覚では「この程度の雪は雪が降ったと言う程の事では無い。」と言う事ですが、今回の予報は「10年ぶりの雪予報」と言う事ですので、体制を整えていかなければいけないと思ったのを機にかつての雪の体験を語ります。
正直60年前、50年前の雪への思いは「本当によく降りました。」の一言ですが、何度かあった『ただ事ではなかった雪のエピソード』について述べていきたいと思います。先ずは私の記憶には無い『幼少期』の事なのですが・・・。
多分私が2歳か3歳の頃の事で父進さんから聞いた話なのですが、現在の国道21号線のルートでは無くて、旧中山道の道を車が走っていた頃に大雪が降り当時はまだまだ米軍の駐留が当たり前の様にあった様で、たまたまですが我が家の前に米軍の車が止まったままであり、気の毒に思った母秋江さんが我が家に招き入れ何日か停めたとの事で、我が家の押し入れにはお礼の品の全く大きな丈夫な毛布があったのを記憶しています。
次にはしっかり記憶にある出来事として、高校生の時に大雪で車が全く動かない中、律義にも止まっている車の間を通って何人かの同級生と一緒に関ケ原駅までたどり着いたら改札口に運休の張り紙と共に高校の休校の張り紙があり、家に向かって引き返したものです。半世紀以上前の事ですから当然の様に携帯電話等と言うものは無い時代の事ですから致し方ない事でした。大学生の時にもしっかりと雪が積もり、家が雪の重みで「ミシミシ」と言い出したので父進さんが「大屋根の雪下ろしをしなければ」と言う事で大屋根まで上って下を見ると我が家の西側には川が流れていて「めっちゃ高い」と思いながら雪下ろしをしたものでした。
また、長男が小学年の高学年の時も多く積り長男も伴い雪下ろしをした時には雪を下した庭に下した雪の上に長男共々飛び降りたのを覚えています。その時には下した雪が固まっているので次男にも参加させてかまくらを作り、かまくらの中に蝋燭を付けて楽しみました。
また、その時には檀家寺の雪下ろしに駆り出されお寺の屋根に上るとお寺の屋根の傾斜に圧倒されたのを覚えています。その外にも我が家の2階から東海道本線が走っているのが見えるのですが『ラッセル車』が雪を吹き飛ばしていたのは壮大だったなと記憶しています。
記憶を辿ると懐かしい気分になりながらコラムを打ちましたが『立春寒波』の備えは盤石にしたいと考えていますが、今は職員が準備してくれるのを眺めている状況に「有難いな~」と思っています