2024年12月の記事一覧

和合で芋煮会が実施されました。

令和6年12月11日

昨夜は岐阜市内のホテルに泊まる事になっていたので、2次会3次会と調子よく若手の法人経営者と飲み歩いたのでホテルを出るのが9時になってしまい9時30分に和合の施設に着くと玄関先のところに簡易テントを立てたりして職員が忙しそうに準備をしていたので「場所を変えたの」と聞くと「凄い雨が降ったので急遽場所を変えあました。」との事。青空が見えてきたので「雨が降らない様に雲切りの祈りをしたので大丈夫」と私が言うと「理事長が車から下りたら晴れてきましたね。」と私の乗りに追随してくれる職員がいて和気あいあいの雰囲気で一気に芋煮会モードになりました。薪は井桁の様に組んであり塩とお酒を釜戸の周りに振舞い点火式をしました。

薪は良く乾いていたので直ぐに燃え上がりそのタイミングでギャラリーが沢山になり、「木が燃えると暖かい」「お昼ご飯が楽しみだ」等と賑やかです。釜戸は2つあり、刻みと常食に分けての配慮がされていて刻みの方は量が少ないので早くに沸騰してきたので、大根、里芋、ゴボウ、サツマイモ、カボチャを次々に鍋に入れて煮込まれた段階でお汁を飲んでみると本当にまろやかな味になっていたので大きなボールに八丁味噌を入れてスープになったお汁を入れてかき混ぜて味噌を溶かしていきました。味噌を入れてギャラリーの方に味見をして貰うと「もう少し味噌を足した方がいいよ」との意見を尊重して味噌を追加しました。管理栄養士さんの計算では追加しなくても大丈夫だったのですが「今日は特別だよ。」と言いながら味噌を溶かしました。11時30分には出来上がったので各フロアに鍋に入れて持って行って貰いました。

それぞれの入居者さんは喜んでくだれたのは勿論ですが職員も喜んでくれてお代わりをする職員が続出だったとの報告に私も大満足でした。笑顔が見られた事は職員にとってもモチベーションが上がります。これからも笑顔いっぱいの施設になる様に職員一同頑張っていきますので宜しくお願い致します。

コロナ感染症対策が緩和されて

昨年まではなかなか出来なかった忘年会が今年はぼちぼちにですが実施される様になり、本日も15時から岐阜県社会福祉法人経営者協議会の理事会があり、引き続き忘年会が実施されます。

先月は21日、23日、25日と一日おきに飲み会があり、結構ハードだったのですが、何事も手抜きが出来ない性格ゆえ反省はしますが結構飲んでしまいました。

本日は15時までに岐阜市西柳瀬にあるホテルに行かなければいけないのですが13時30分まではしっかりやるべきことが入っているので車を運転して行かなければ間に合わないし、岐阜からの帰りが電車を降りてタクシーで帰るにしても関ケ原駅にはタクシーが1台しか待機していないので寒い中で待つのも大変なので(かつて雪の中で待っていた記憶があるので)理事会及び忘年会会場のホテルで泊まる予定です。

忘年会参加の方には特別割引があるので格安ですし気分的にも楽できますので泊まらせて頂きます。明日は和合の施設で芋煮会が行われ『火の番』をして入居者さんとワイワイ楽しみたいので自嘲しながら飲み会に参加しようと「今は思っていますが・・・。お酒を注がれに来たら『まめに』飲んでしまうだろうなー。」と思うといつもの口癖である『予定は未定であり決定ではない。』にならない様にしていきたいです。と言うのも最近お会いする多くの方に「理事長さんはお元気ですがお体を大切にして下さい。」と言われていて、この言葉は他人の口を使って母秋江さんが言わせているのかとも思っているので。

そうなんです。健康であるから元気に飛び回れるので。

凄い事です

本日『歌謡劇団 てるてる座 800回記念』のステージショーが本部施設において13時30分から行われます。ちなみに午前には垂井にある盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)において799回目のショーを実施してから本部施設に来てくださいました。

昔から『継続は力なり』とは言いますが2010年4月に本部施設で旗揚げしてから800回のステージをこなされたと言うのは凄い事です。だって14年8か月での数字ですから。週1回のペースでステージショーをこなしている計算になります。2010年に設立された当時は色んな施設を紹介しながら言葉を選ばなくて言うなら『ぼちぼち』と言う感じでしたが、次第に噂が噂を呼びドンドンと依頼が来るようになり、その経過の中で『スコップ三味線』の世界大会で優勝してより依頼が増えて結果としては14年8か月で800回を重ねたと言う事の様です。

依頼が多くて調整が出来ないくらいの時は1年で100回をこなす勢いがあったのですがコロナ感染症の影響で依頼が受けれない時もあったので「もしも」と言う話をするのは如何なものかとは思いますが、敢えてさせて貰うのならコロナ感染症が無かったら今自分は1000回を超していたのではないかと思います。

   

本日は地元の『大垣ケーブルテレビ』が撮影に来てくれたこともあり、座長曰く「衣装に力を入れました。」と言われる様にいつも以上に衣装への拘りがありました。そんな中でいつもと違って際立ったのは座長のお孫さん(1歳8か月)が歌に合わせて体をリズミカルに動かしているのは感動でした。また、座員の皆さんが衣装を替えて出てみえるのに刺激されて私もドレスに着替えて『天城越え』を歌わせて頂きました。

 

すべての出し物が終わった時にお礼の意味を込めて「1000回を目指してますます頑張って下さい。」と話をしました。

衣装等の片付けを終えられたタイミングで『てるてる座800回記念公演』とチョコレートで書いて貰った大きなケーキでささやかなお祝いをしました。一言で14年8か月のお付き合いとは言えない様な充実したお付き合いをこれからも続けていきたいと思っています。

12月の優・悠・邑 和合の色々

令和6年12月8日

私が和合の施設長に就任したのが昨年の8月。つまり就任して1年4か月の間に、私の思いを理解してくれる職員が増えてきた事によって、入居者さんが目を輝かせて下さる様な企画が多く出来る様になってきた事の報告をします。

12月だけの話で紹介します。2日の『七輪の炭火で焼いた椎茸祭り』です。本部施設には当たり前の様に七輪があり、『秋刀魚』や『鮎』や当然の様に『椎茸』(山形県産の『松茸』を10キロ手に入れた事もありました。)等を焼いていましたが、和合には七輪も無い状態でした。11日には『芋煮会』を実施しますが、餅つきの時にしか使用していなかった竈(かまど)を使って、大鍋で色んな材料を入れての大胆料理をします。(竈での実績は筍の味噌汁作りで行っています。)19日には『クリスマス会』を、演歌歌手の山崎ていじさんを迎えて実施します。(この企画は毎年本部施設及び和(なごみ)でも実施しています。)今年のクリスマス会は、会場準備や入居者さんの応援参加にも力が入っています。そして30日には『餅つき大会』を実施します。この企画についても単に遠くから見ている企画からの脱却をしていき、ワクワク感を醸したいと職員共々考えています。

殆どが本部施設で26年間の積み重ねで出来たものですが、和合の施設でも実践出来るようになって、入居者さんに『目力』が出てきた様に思います。この様な企画は実施しなくても、何ら問題無いのでしょうが、「自分が入所したい施設」の為には必要なものと考えています。

昨年8月に就任して「私が入居者さんに出来る事」として、『お参り』と『カラオケ』を就任直後から実施してきたのですが、多くの職員が私の思いを理解できず残念ながら退職していく中でも、残った職員と新たに採用した職員が私の思いを理解してくれた結果だと考えています。これからも楽しい企画を実施して、より良い施設にしていきますのでリピーターの皆さん、今後ともよろしくお願いいたします。

『人生にもしもと言う事はありませんが』PART 2

令和6年12月7日

(昨日の続きです。)四国遍路の歩き団参から帰ってからは人生が大きく変わりました。それは体質から変わったと思っています。と言うのは夏の団参を終えたその年の冬から、毎年冬には苦労していた『しもやけ』に一切ならなくなりましたし、よく鼻血を出していたのですがその様な事もなくなりました。但し、今でも時に高熱を出すことがありますが、これはオーバーワークによる結果だと思います。(この現象は母秋江さんが「ゆっくり体を休めなさい。」との警告だと考えています。)私の生き方としても大きく変わりました。

それまでの私は誰かの後ろからついていくスタンスだったのが、正しいと思った事に対して何事も積極的に行動する生き方に変わりました。その中から『相手を思いやり、その人に寄り添う事』を実践してきました。(時には正義感が強すぎて暴走して迷惑をかける事もありましたが、その都度、私を助けて下さる方がありました。)大学時代は大学の講義以外で色んな方に巡り合いました。その中でも色んなサークルに関わりましたが特に文化庁出身の祝(はふり)宮静先生には色んな体験の中で色んな事を学ばせて頂きました。

大学を卒業して2年間は父進さんの進めもあり教員生活を送ったのですが、私の正確には会わなくて教員を辞めて見事父進さんに勘当されましたが、今から考えると父進さんの思いやりと配慮だったと思います。勘当生活の5か月間は大学のサークルでご縁を頂いていた徳山村の語り部でアマチュアカメラマンで写真集を5冊も出された増山たづ子さんが経営されていた民宿で居候生活をさせて貰いました。そんな中その当時学校長をされていた馬淵先生が徳山村まで来て下さり児童養護施設を紹介して下さり初めて福祉に関わらせて頂く事になりました。

思いっきり児童養護施設の指導員を13年させて頂いたのですが35歳の時にアメリカ研修の機会を得て、在宅でのサポートに興味を持ち、38歳の3月で児童養護施設を退職して私の志を理解して頂いていた別の施設の当時施設長をされていた土屋先生の指導を受ける中で、その当時日本福祉大学中央福祉専門学校長だった吉田宏岳先生に巡り合い、私の志を理解して頂き私が社会福祉法人杉和会設立に対しても多大な支援をして頂き設立当初は杉和会の筆頭理事も勤めて頂きました。平成18年には全国老施協の当時の会長であった中村博彦先生にも色んなご教授を頂きました。

まだまだ色んな方のご支援を頂き今があるのですが、私の生き方は色んな素敵な出会いの中で今があると思います。一人が欠けても今はないと言えます。人生にもしもと言う事はありませんが母秋江さんが長生きだったら、今でも私は真綿に包まれていて何も出来ない人間だったかも知れませんし、姉光子さんが23歳で急逝しなかったら四国遍路の出会いもなかったかも知れません。と言う事で今を大切にこれからも頑張りますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いいたします。

『人生にもしもと言う事はありませんが。』

今の私が存在しているのは節目、節目に素晴らしい出会いがあったからだとつくづく思うので本日は自戒を込めてそのことについて書きたいと思います。

何と言っても最初の出会いは私を生んでくれた母秋江さんの存在です。

母秋江さんは『今須生まれの今須生まれ』で今須の顔役だった春吉じいさんの末娘で跡取り息子がいるにも関わらず分家を作り父進さんを養子に迎えると言う超ウルトラをしているのです。

そんな中で生まれた私は長男の末っ子でしかも虚弱体質だったので文字通り『溺愛』される存在でした。

そして私が生まれた(71年前)時代には我が家から200メートルも離れていない場所に関ケ原病院の付属施設として今須診療所があり、そこには本多先生と言う女医さんが住み込みの様な形でおみえになり、しかも我が家の川向うには伊藤つるをさんと言う看護職員がおみえになり、虚弱体質の私のフォローを全面的にして頂いたからこその今です。

母秋江さんは虚弱な私を真綿に包むように、しかも外的の存在はことごとく撃沈していく母秋江さんでした。

そんな母秋江さんが私が小学年の時に癌に侵され闘病生活をするようになってからは6歳年上の姉光子さんが文字通り母親替わりで姉光子さんも姉御肌で私をガードしてくれる存在でした。

そんな姉光子さんですが、私が高校1年生の10月に結婚をしたのですが、同じ関ケ原町内と言う事もあり、寂しいと思った時には会いに行ける状況がありました。

しかしながら、その姉光子さんは新婚半年後に突如くも膜下出血で「痛い、痛い」と言いながら急逝しました。と言う事で高校2年の1学期間は荒れた毎日でした。

そんな時に当時学校長をしていた父進さんは、私を起こる事もなく高校へ何度か謝りに来てくれました。そんな荒れた生活中、クマの様にがっしりとした体格の鉄砲うちの伯父さんが四国遍路に導いて下れて「人の役に立つことの大切さを教えて下さいました。(※明日に続きます)

残念なニュースです

昨日見つけたインターネット情報で、『特養建設めぐり3300万円授受容疑で社会福祉法人の理事長が2024年12月3日午後6時7分に逮捕』と言う記事が目に飛び込んで来ました。

私はその記事を見た瞬間に、この様な事をする理事長が今なお存在する事に愕然となり、社会福祉法人ではこの様な事が今なおまかり通ると考えている方が存在していることに虚しさを覚えました。

と言うのも、授受したお金はどこから支払われたかと言えば当然の事ながら社会福祉法人に対して支払われる国及び県或いは市町村からの補助金と心ある方からの寄付金と法人からの準備資金及び借入金の中からだと思います。

社会福祉法人の理事長は法人が経営している全てに対して責任を負うものと考えています。

と言う事は建設資金の中から捻出された3300万円へは「建物の一部から支払われた」と考えられます。

極端な表現をするならば「蛸が自分の足を食べているようなもの」で「Aランクの資材がBランクもしくはC ランクのものになる事を承認していると考えられても致し方ありません。」

私はその様な事を平気でする社会福祉法人の理事長には怒りを覚えると同時に「建物に対する拘りがないのか。」と思うと改めて虚しくなります。

私は4年前に3つ目の拠点施設である盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)を垂井町に建設しました。

盲養護老人ホーム建設の決断をしたのは岐阜県を含めて4県に施設が無くて岐阜県の視覚障がい者の方に不利益をもたらしていると思ったからです。

そして建設すると決断した限りにおいては視覚障がい者の方は快適な生活を提供したいと幾つかの盲養護老人ホームの見学と先進施設のノウハウを伝授して貰いました。

その結果『平屋でシンプルな施設を計画して良心的な業者と二人三脚でより良い施設を』との思いでした。

正直業者からお金を貰って良い施設が出来るとは思いません。

出来れば私の思いが凝縮された岐阜県不破郡垂井町梅谷地区にある盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)の見学にリピーターの皆さん、是非来て頂ければ嬉しいです。

最低賃金を1500円にまでアップするとの問題に物申す

令和6年12月4日

岐阜県の最低賃金が10月から1001円になった時に「いきなりの50円アップは対応に苦慮するが何とかしなければ。」と思ったものですが、10月15日から行われた衆議院総選挙では与党も野党も『最低賃金1500円』と打ち出しているのにはかなりの違和感です。

と言うのも介護報酬改定は3年毎であり、今年4月に改訂されたばかりなので、介護報酬を物価スライドに合わせる形にして頂かない事には介護事業と一般企業との報酬の差は開くばかりだと思います。と言う事は高品質な人材を確保するのが益々難しくなると言う事で介護事業を経営している私としては「全く先を見通せない」と言う事になります。

私は常日頃『入居者さん・利用者さんファースト』と言っているのですが、それとは真逆な対応をしている施設が多く存在することに唖然としてしまいます。具体的に言うと今年4月の介護報酬に合わせて居住費の標準単価が1日当たり60円上がったにも関わらず、食費については0回答だったのです。私はその結果を知った瞬間に怒りの様なものを感じました。

だってそうでしょ。食料品は軒並み値上がりしているのだから。私はその情報を知った時に直ぐに全国老施協事務局に食費の基準単価が上がらなかった理由を確認しました。その時の解答は「厚生労働省の調査では食費に関わる支出に変化が見られないのです。」との事だったので「その答えでは理解不能だ。」と思った次第です。

そして段々分かってきたのは多くの施設が入居者さんにとって不合理な事をしていると言う事実でした。具体的に言うならば、魚の切り身を小さくしたり、おやつを廃止したり、行事食を廃止したりして食費を抑えていると言う事実でした。この様な事を実施していけば我慢を強いるだけの生活になってしまい、拘りのない施設ばかりになってしまいます。高品質で楽しい施設として『今日一日楽しかったよ』を標榜していく為にこれからも頑張っていきますのでリピーターの皆さん、これからもご支援ご理解を宜しくお願い致します。

昨日の一幕

令和6年12月3日

昨日は和合の施設で『椎茸祭り』を実施して、入居者さんや職員が喜んで下さった事は昨日のコラムで書きましたが、その時に私は炭起こしで孤軍奮闘?した事の証の様な会話があった事を、本日のコラムで書きます。

椎茸祭りの職員への対応は、残念ながら半分しか出来なかったのです。と言うのは13時30分から岐阜県老施協の常任理事会は岐阜県福祉会館で開催されるので、時間一杯の対応はしたのですが、全部は出来なくて後ろ髪を引かれる思いでしたが、バタバタと岐阜県福祉会館に出掛けたのです。その時には時間が無くて、炭を鷲づかみして団扇でパタパタと炙る作業をしていたので、作業を終えて出掛けようとした時に、両手が炭で真っ黒だったので忙しく石鹸で手洗いをしてから岐阜県福祉会館に出掛けました。

予定の15分前である13時15分に老施協事務局の部屋に行くと、既に副会長さん達が揃っていたのですが、リモートで参加される方がまだの様だったので「少し雑談でもしようか」と言う事で「今まで和合の施設で七輪で椎茸を焼いていたんだけど、面白かった。」と話をすると「だからですか、会長の顔に炭が付いていますよ。」と白っと言われた時に「一本やられた」と思うと共に「手は見えるのでしっかり綺麗にしたけど、時間が無かったので鏡で顔の確認をしなかったな。」と苦笑いしながらハンカチで顔をゴシゴシ拭きました。しかしながら、役員の観察力が凄いのか、余程私の顔の炭が凄かったのかは定かでありませんが・・・。

本日は和合の施設において『椎茸祭り』です。

令和6年12月2日

前日9時の約束で6キロの椎茸を私の地元の椎茸販売所に取りに行く事になっていたので、9時前に行くと「少しお待ち下さい。」と言われたので車をバックで入れ替えして車から出ると、大きなダンボール箱2つに入った椎茸を車の所まで持ってきてくだされたので、車の後ろのトランクに入れてから支払いに行くと、1キロ1000円で提供して頂けました。値段は安いのですが、何より朝収穫されたとれとれの椎茸を提供出来るのは最高です。

私がいつもの場所に車を駐車していたら管理栄養士が椎茸を運びに来てくれたので、「今や遅しと待っていたんだ。」と思いました。椎茸を受け取った管理栄養士は早速仕込みに入り、私は炭起こしの為に薪に火を点ける作業に取り掛かりました。七輪に炭火を移して椎茸を網に乗せて、職員が焼きにかかると匂いにつられた入居者さんがギャラリーの様に七輪を囲んで「大きくて立派な椎茸やね」とか「良い匂いがするね」などと、ワイワイ言いながら盛り上がりました。

11時30分に入居者さんは昼食の為に各フロアに帰られたので、しばらくしてから各フロアの様子を見に行くと、各フロア共に職員が改めて椎茸を焼いていて、椎茸の匂いがムンムンしていました。入居者さんの様子を見ると、それぞれにワクワクされているのが分かり、「この企画は大成功だったな。」と思いました。きざみの方はハサミで小さく切る方もありましたが、殆どの方が喜んで食べられお代わりをされた方もあったとの報告もありました。私も含めた職員は入居者さんの喜びが私たちの喜びと言う事で、最高の企画となりました。

12月は本日の『椎茸祭り』を皮切りに『芋煮会』『クリスマス会』『餅つき大会』と大きなイベントがあります。「今日一日楽しかったよ」を職員の頑張りで実践していきますので、リピーターの皆さん、3施設の毎日の様子を確認して下さい。

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