2024年12月の記事一覧

我が家で不要になったものが生かされて嬉しいです。

令和6年12月31日

我が家に屋敷の玄関先に父進が戦後まもなく中古の家を購入した時には既に植えられていた紅梅の古木が、木の枝に大きな穴を開けながらも春になると赤い花を咲かせています。父進が大切にしていた古木ですので私が新築の家を建てた時にも残したいとの思いで本部施設の敷地内に仮植えをして家が完成した時に小さいながらも新たに出来た庭に植えなおしてからも既に20年が(新居に入ったのは2004年12月18日)経過しているのですが今なお花を咲かせて楽しましてくれています。

ところが、道路に面している枝にトラックが引っかけたのか、寿命の為に折れたのかは定かでありませんが枝が折れて紐が絡まり宙ぶらりんになっていたのを何とか取り、処分に困ったので本部施設に持って行き処分をして貰おうと本館玄関軒下に置いていたのですが、本日本部施設の地域交流ホールに行くと正月飾りの大きな花入れの中の中心的役割をしていたので思わず「廃棄しようとしたものが正月飾りの中心になるとは考えもしなかったけど、父進の思いがこの様な形で生かされたのは嬉しい事だと思った次第です。

大きな枝が折れたので少し形は変わりましたが老体に鞭打って咲いていれる古木の紅梅にを見習い明日からは巳年の幕開け、私の干支でもありますのでより頑張りたいと思いますので変わらず宜しくお願いいたします。

 

本部施設に引き続きの餅つきです。

いつもの様に5時25分のアラームでの行動開始で我が家の神棚と仏壇のお水換えから我が家のお墓までのウォーキングでその後お風呂に入り朝食をとり、地元の同級生が勤めていた縫製会社の製品である一番大きなつなぎ服をかなり前に貰った時は結構大きめだったのを恰幅が良くなった(お腹が立派になっただけです。)事によって着るのに苦労する様になったつなぎ服を着て和合の施設に向かいました。

昨日は本部施設において7臼ついての今日なので少しバテ気味ですが気合を入れて8時10分に着くと、既に竈の中の薪も北島部長が上手に組んでおいてくれたので、竈の四隅に盛り塩をしてお酒を振舞いポーズを決めての点火式を8時20分に行い和合の餅つき大会が始まりました。

 

昨日の本部施設においての餅つきには多くの助っ人がいたので突き手も、餅を千切る人もたくさんいてくれたのですが、さてさて和合では蒸籠を竈に8時40分に乗せて2升の米なので1時間も経たずに蒸し上がったので9時30分から突き出そうと思ったら突き手は北島部長しかいなくて最初のこねる作業は北島部長と私がして後は北島部長が大車輪の活躍で何とか1臼目が出来ました。

私の思いでは餅を千切るのに時間がかかるので「先ずは千切り餅から」と思っていたのですが、私が気が付いた時には伸餅の作業に入っていたので「4臼だけだしゆっくりやれば良いか」と言う事で2臼目は10時から3臼目は10時35分からつく事が出来ました。そのタイミングでてるてる座の座長さんがめっちゃ可愛いお孫さん2人を連れて応援に来て下さったので、せっかくのことですので座長とお孫さんに杵を持ってついで頂きました。4臼目は半分千切りで残り半分は伸餅にしました。

私は和合の餅つきに昨年は熱を出していて参加出来なかったので、どの様な展開になるかと心配していましたが、何とか無事に餅つき大会を行う事が出来ました。決して本部施設の様な手際良さは無かったですが次第に上手になると思っています。

これも、『習うより慣れよ』だと思います。取り敢えず本部施設も和合の施設も餅つき大会が終了してほっとしてますが気が付けば12月30日。これからお正月の準備に取り掛かります。

本部施設の餅つき大会です。

令和6年12月29日

本部施設に8時15分に着いて状況を確認すると、カマドの中の薪も既に井桁に組んであり、準備万端なので急いでつなぎ服に着替えて、カマドの点火式を8時25分にお酒をカマド周辺にまいた後に行いました。上手に薪が組んであったので順調に火が燃え上がり、蒸籠を3段積んで後は蒸さるまで火の番です。勢いのある火の勢いだったのですが、「1時間はかかるだろう。」と言う事で9時25分になった段階で蒸籠の蒸し加減を確認すると「もう少し」と言う事で、9時30分に石臼の所に持って行き、休みの外国人男子職員が4人来てくれ、高橋工務店から社長一家、専務一家と従業員も多く来てくれて、アッと言う間に1臼が出来上がったのですが、何故か2臼目の蒸し上りが遅くて、2臼目は10時7分に突き出しました。3臼目は10時31分、4臼目は10時45分、5臼目は11時6分、11時25分で、7臼目の11時30分に蒸し上り、12時までにお餅突きのイベントは終わりました。

    

1臼に2升5合(3.75キロ)のもち米だったので、7臼で26.25キロと言う事で、普通では考えられないくらいのお餅を突いたのですが、午前中に終わる事ができたのは、準備もしっかり出来ていたし、火の加減も良かったし、突き手も力自慢ばかりで、手がえしも上手にして貰えたので、言う事無しの餅つき大会となりました。初めて餅つきをした外国人介護職員も生き生きとしていたし、出来上がったばかりのお餅(大根おろし・きな粉・あずき)を喜んで持って帰りました。

 

そんな中、何と言っても一番喜んで頂いたのは入居者さん利用者です。突いている石臼を囲んで「よいしょ、よいしょ」と太鼓に合わせて楽しんで頂けました。お餅を食べて頂ける方については、本当に小さなお餅ですが大根おろしで食べて頂いたのですが、本当に美味しそうに食べて頂けました。明日は和合の施設でのお餅突きですが、本部施設の入居者さん利用者同様に、素敵な笑顔と笑い声が聞けると思うと、今からワクワクしています。

寒い朝ですが雪は降っていません

令和6年12月28日

天気予報で岐阜県には60cmの積雪予報が出ていたのですが、朝一で二階の廊下の窓越しに外を見ると「雪は降っていません。」と言う事で「雪が積もっていても頑張るぞ」と思って居合充分だったので、変な話しですが少し気合が萎んでしまいました。でも、いつもの様に神棚と仏壇のお水換えを終えて外に出ると「めっちゃ寒い」と言う事でもう一度気合を入れなおして歩く事にしました。

歩き出してから気付いた事があります。それは2か月程前から妙応寺の本堂、断トツ頭が良かった同級生の墓(吉川家)、そして勿論若山家の墓のお参りでは『般若心経』を唱えているのですがお経を唱えながら足の屈伸運動をしているのですが「確かに膝を含めて足の動きが良くなってきた。」と言う事です。

もう一つ感じているのが「腰の違和感が最近なくなった」と言う事です。屈伸運動については、あまりに足がもたつく様になったので「このまま老化が進むのは嫌だ。」との思いから、実施する様になったのですが『継続に無駄なし』と言う事だと改めて思っています。動きが良くなっているので何事にもより積極的に活動できる様になったと感じています。

明日は本部施設において、明後日は和合の施設において餅つきが実施されるのですが、動きが良くなった分色んな動きが出来ると考えています。そして、明日明後日の餅つきで入居者さん利用者さんの多くの笑顔を貰って私自身のパワーに変えていきたいと考えています。そんな風に思える私は何て幸せ者だとも思っています。

1か月前に約束していた事を失念していて大慌ての対応をしました

令和6年12月27日

和合での1階のお参りを終えて「午後から3階のカラオケまでに本日のコラムを書くとしよう。」と思っていた矢先に盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の吉澤施設長から電話があり、「なごみの忘年会のおでん会に理事長が美味しいお酒を持って来ると言う事で皆さんがお待ちですよ。」と言われて「そう言えば約束していたのに忘れていた。入居者さんの期待を裏切るわけにはいかん。」と言う事で午後からの3階でのカラオケをキャンセルする連絡を北島部長にして、急いで車に乗り一先ず本部施設に行き、とっておきの頂き物の奈良県の大吟醸を持って、またまた急いで盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)に行きました。

駐車場に車を入れると吉澤施設長が外でおでんの大鍋の料理を見せてくれて、既におでんを食べて頂いているとの事だったので、急いで忘年会会場になっている会議・研修室に行くと既に皆さんはおでんを食べられていたので、簡単にご挨拶をしてから「とっておきの奈良県の大吟醸をお持ちしたのでお酒が飲める方はこれから注ぎに行きますので宜しくお願いします。」と言って職員から飲める方の指示を貰い「最高に飲みやすいお酒ですから飲んで下さい

。一升ありますから飲める方はおかわりをして下さい。」と言って注いで廻りました。注いで廻って改めて思ったのは「お酒が飲めると言うのは素晴らしい事だし、雰囲気が一気に盛り上がった。」と思った次第です。お酒のお好きな方で遠慮されているなと思った方には「3杯は大丈夫」と言ってお酒を注ぐと本当に嬉しい顔をされていました。折角ですので私も皆さんが食べられているおでんを頂きましたが「大鍋で作ったおでんは旨い。」と思いました。お酒が一段落した段階で「理事長さんの歌が聞きたい。」との声が出たので「では1曲」と言う事で、八代亜紀の『舟唄』を歌わせて頂きました。

歌い終わると「アンコール」との声が北島三郎さんが好きな方からかかったので『函館の女』を歌わせて頂きました。私はお酒を飲んでいるわけではありませんが、しっかり雰囲気によってとても良い気分になりました。但し、大いに反省しなければいけないのは入居者さんとお約束をしたのに予定表に直ぐに書かなかった私のミスです。吉澤施設長が連絡してくれなかったら入居者さんの期待を裏切る事になってしまうところでした。約束した事、予定が入った時はその場で必ず記録する事を改めてしっかり守っていきたいと思っています。

岐阜県老施協会長としての展開として

令和6年12月26日

岐阜県老施協の役員は副会長として10年、会長として12年で今なお会長としての役割を担っています。会長として会員の皆さんへのメリットを考えながら、私なりに出来る事をさせて頂いています。介護事業を取り巻く環境も厳しい状況があり、少しでも会員の皆さんにとって有利になることをしていかなければと、出来る限りの事を実行に移しています。

最近実行したのは、既にコラムに書いた事ですが、今月16日に全国老施協代議員総会があり、その日は泊まらせて頂き翌日は午前中かけて、岐阜県の衆参議員与野党10名の議員事務所がある参議院会館、衆議院第二会館、衆議院第一会館の順に陳情書を持参して面談していました。陳情書を受け取るだけの所もありましたが、丁寧に熱く語る私の話に耳を傾けて下さる方も多かったです。

24日の日には、年明けの9日から始まる岐阜県知事選挙の候補者予定の方の事務所に行き、推薦状を渡すと共に1時間の意見交換をさせて頂き、候補者予定の方から「施策に反映しなければいけないヒントをたくさん頂きました。」と言って頂きました。

そして本日は10時とのお約束で岐阜県庁に行き、県知事宛の要望書を健康福祉部次長さんに手渡すと共に、同席して頂いた高齢福祉課長さん共々に①物価高騰での食費への支援を速やかにして頂いた事へのお礼を述べさせて頂いた後で、市町村からの補助に対しての呼びかけをお願いすると共に、他の物価高騰分に対する配慮をお願いしました。②先の衆議院選挙の時に与野党共に賃金アップを謳っていたが、介護報酬改定は3年に1度なので、改定に捉われず賃金アップへの配慮についての国への要望を県としてもして頂きたい。③介護人材確保が厳しい中において、県としての支援をお願いしたい。との話を熱く語りました。勿論熱く語るだけではいけないので、理解して頂ける為の資料をエビデンスとして要望書の添付資料としてお渡ししました。

「厳しい状況だ」と言うだけでは何も変わらないので、今後も岐阜県老施協会長としての活動もより頑張っていきたいと考えています。この様な対応が出来るのは、当法人の職員が頑張っていてくれているからと思っています。それと共に『介護』の社会的必要性と認知度を上げていく事にも力を入れていきたいと考えています。リピーターの皆さんからのご意見をお待ちしています。

昨日の私の足跡とその時感じたこと

先ずは9時30分に厨房業者さんのご挨拶を受けるのに「大抵、施設には9時30分に理事長はお見えになりますよ。」に対して「9時からお待ちします。」との報告を聞いていたので、「業者さんとは言えお待ちして頂くのは申し訳ない。」との思いで、8時15分に家を出て9時前に和合の施設に来て「これからでも大丈夫ですよ」と言うと管理栄養士さんが厨房に確認に行って貰うと「まだおみえになっていません。」との事で事務所で決済をしながら待っていると結局9時25分に顔を出されたので、「9時から玄関先で待って貰うのは申し訳ないと思ったので早く来ました。」と言うと恐縮されてしまうことからの年末のご挨拶となりました。

9時30分には上席の方もおみえになったので10時20分までお話をしていて10時30分から2階でお参り、13時30分から3階でカラオケを楽しんでその後は岐阜県福祉会館の中にある岐阜県老施協事務局での打ち合わせをした後、17時のお約束で岐阜県社会福祉法人経営者協議会、身体障がい者協会の役員さんと合流して江崎事務所に行き、江崎さんと意見交流を行い、皆さんと別れた後は直接自宅へ帰る事にしました。

ところが、交通渋滞の為にイラつきながらも大垣まで帰って来て、「ようやく渋滞から抜ける事が出来た。」と思いながら一番左の車線を走っていると、何故かその車線だけがパタッと動かなくなってまたまたストレスが・・・。右側2車線はスイスイ走っているのですが、右側への進路変更が出来なくてまたまたストレス・・・。10分程で何とか通れたのですが、その原因に驚いてしまいました。

]それはお店の駐車場に入れない車の列だったのです。家に帰って「ケンタッキー・フライド・チキンの店の所で動けなくなったんだけど・・・。と話をすると「今日はクリスマスイブだから、チキンを食べる方で賑わっているんです。」と「しらっ」と言われたので「日本は平和だな」と思った次第です。昨日はバタバタだったので本日は少しゆったりしながら片付けをしたいと考えていますが・・・。果たして出来るかな?

「だって、予定は未定で決定でないので・・・。」

和合の施設(大垣市)と本部施設(関ヶ原町今須)ではこんなに違います

令和6年12月24日

昨日のことですが、本部施設がある我が家を8時20分に出発時に車の温度計は『0℃』を示していたので「和合の施設に着いた時に何度になっているかな。」と思いながら運転していて、関ヶ原の町の通りまで進むと『2℃』を示し、垂井と大垣の境の所まで進むと『3℃』になり、和合の施設の駐車場に着くと『4.5℃』になっていました。

と言う事は4.5℃は間違いなく温度差があると言う事に驚きです。だって距離にして25キロも離れていないのに。でも納得せざるを得ないのは、家を出た時には雪が降っていたのに大垣市内に入ると太陽が雲の間から覗いていたので・・・。私は来年の干支である『巳年』と言う事で蛇の様にくねくね絡んでしまうところがあるので(そんな時ばかりではありませんが・・・。)和合の施設を出るときにも温度の確認をしました。

と言う事で和合での温度は『7℃』でした。「さてさて本部施設では何度になるかな。」と思いつつ車を走らせると段々と温度が下がっていくのが分かって結局本部施設の駐車場に着いた時には『2℃』になっていたので『5℃』のさがある事にショックでした。でも、冬は大変ですが夏は今須の方が過ごしやすいので「どっちがいいのかな」と思うとともに最近のニュースで「日本の気候が冬と夏だけになってしまうのではないか。」と言っていたので「う~ん。困ってしまうけど『住めば都』と言うから、結論は「まっ、いいか」・・・。リピーターの皆さんはどの様に思われますか。

朝のお参りでの色々・・・。

令和6年12月23日

いつものように5時25分のアラームで行動開始(5時15分には目覚めていたのですが)して、着替えを終えて2階の廊下の窓越しに外を見ると、薄っすらと1cm程の雪が積もっているのを確認しました。「長靴までは履かなくて大丈夫だな」といつものウォーキングシューズで出掛けました。外に出て改めて思ったのは「マスクは防寒対策にもなるな。」と言う事でした。我が家の玄関先の4段の階段をいつも以上に慎重に進んで、気が付いたのは、階段に靴跡があったので「新聞配達の男の子の足跡だな」と理解して、その子の足跡がどんなルートをだどっているのかを確かめながら歩く事にしました。

我が家の西側には川が流れていて『門前橋』と言う橋を通って、妙応寺から我が家のお墓に行くのですが、もう1つある『中町橋』もそうだったのですが、橋の上はつるつる滑るので、特に慎重に歩きました。リピーターの皆さんもご存じだと思いますが、雪道を歩く時は歩幅を小さくして、ゆっくり歩くことが大切なのでいつも以上に時間がかかりましたが、何とか無事に家に辿り着きました。

何とか無事に帰ったのですが、いつも以上に時間がかかったもう一つの理由は、本堂への階段や今須稲荷の階段では、本当に慎重に慎重に上り下りをしました。我が家のお墓のお経を済ませて、いつもだとお墓の所から県道に降りるのですが、降りようとすると足が動かないので、お墓の方に振り替えると母秋江さんが「ここから降りたらだめ。」と言っているのが聞こえた様に思ったので、お墓の中を通って帰ることにしました。

リピーターの皆さんの中には、若山が適当な事を言ってると思われているかも知れませんが『マジで』そうなのです。天国でものんびり出来ない母秋江さんなのであります。母秋江さんにしてみたら、私は13さいのままですので・・・.

施設のお餅つきについて語ります

令和6年12月22日

19日、20日に3施設において山崎ていじを迎えてのクリスマス会を終えて「ほっ」とする時間もなく、お餅つきの企画についての打ち合わせをしなければいけません。29日には本部施設で、30日には和合の施設において餅つきが実施されるからです。先ずは入居者さん、利用者さんが安全で尚且つワクワク感を持って楽しんで頂ける為の配慮をしなければいけないと思うと、打ち合わせも大切なことだと考えています。

私が中学生の頃までは、私の生活拠点である今須では年末になるとあちらこちらの家で「ぺったん、ぺったん」と言う音が聞こえていたのですが、高校生になった頃から『餅つき機』なるものになってきて、今では殆どの家ではスーパーマーケットなどで完成されているのを購入するようになっているようです。家でお餅つきがされていた頃は、学校に行くと「今朝お餅を8個食べた。」と言う同級生がいると「僕は10個食べたぞ」と言う同級生がいて、私は「5個しか食べていないので恥ずかしい」と思った事を思い出しています。

そこで、昨日本部施設4か所で行われたお参りの時も、和合の施設において午前中行った3階でのお参りの時も、皆さんと共にお経を唱えた後の私のお話で「私が中学生の時までは、あちらこちらの家でお餅つきの音がしていたものですが、今は皆さんスーパーマーケットで買われているようですが、施設ではぺったんぺったんと突きますので楽しみにしていてください。」と話をしました。この様に話題提供をすることによってワクワク感が増すと思っています。

日本の年末の風物詩がどんどん無くなっていくのに寂しさを覚えているのですが、「施設では頑固に実施している」と言う事が『回想法』になり、勿論何より入居者さん、利用者さんに笑顔を頂けるのが最高だと思っています。

 

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