2024年01月の記事一覧

午前10時から17時30分まで断続的に会議です

令和6年1月11日

午前10時からは月一で開催している3施設合同幹部会で各施設の部長以上の職員が参加しての会議です。この会議では各施設の稼働状況、主だったものの支出状況の報告をして3施設の経営状況の共有化を図ると共に職員確保の戦略であったり、法人理念の見直しについて検討します。本日は会議に入る前に石川県能登地方に甚大な被害により多くなお方が亡くなった事に対して参加者で黙とうを捧げてから会議に入りました。本日は職員確保の為にもホームページのリニューアルと職員給与の見直しについて真剣に話し合いました。そして最後には法人として石川県の要請を受けた派遣については盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)の吉澤施設長を中心に派遣する事も決定いたしました。会議の終了時間は11時30分だったのですが、活発な意見が飛び交い12時過ぎになり、その後吉澤施設長、伊藤副施設長と打ち合わせをして、13時から『モルテン』のプレゼンテーションが予定されていたので急いで昼食を食べ、会議室でのプレゼンテーションに挑みました。エアマットの提案だったのですが、正にこの業界も日進月歩だと感じた次第です。そう言う意味では当法人のホームページの全面リニューアルは優・悠・邑 和合のオープンに合わせてしたので10年の月日が経過しているのでタイミング的にも良い時期での提案だと考えています。モルテンの対応を終えて、予定では13時30分からロボット・ICTの説明があったのですが、17日に延期になったので15時からの東海北陸ブロック会長会議(石川県能登地方の地震支援の為)には少し時間があるので、寸暇を惜しんでコラムを書きだしたのですが、断続的に打ち合わせが入り、ほんの少ししか書けなかったので全ての会議が終わった17時過ぎから頑張って書いています。15時からの会議の終了時間は16時30分までで、もう一つの全国介護福祉政治連盟事務局会議は16時からだったので最初からブッキングしていたのですが、結局16時40分までかかったので、最後の会議は終了前の25分しか参加出来なかったのですが、会議内容が全く違うものだったので事前にズームを繫いで貰っていたので事務所から会議室への移動の間に頭を切り替えて挑みました。体調がしっかりと戻った中での対応だったので、何とか対応する事が出来ましたが明日は明日でスケジュールが一杯ですが、仕事が出来る事に喜びを感じて明日も頑張ります。

「平安之福」

令和6年1月10日

これは、高野山前官大僧正の静慈圓師から頂いた書の中の言葉です。普段は何と無く見ていた言葉なのですが、石川県能登地方を震源とした地震で甚大な被害の情報が入ってくるに従い、「平安之福」の言葉をぐっと噛み締めるばかりです。

石川県能登地方を中心に元旦1月1日16時10分頃に起きた地震は、誰もが予想だにしていなかったと思います。だから、能登の大きな家でみんなが集まってお正月を祝う大宴会をされていた方もあったのではないでしょうか。楽しく酒を飲み、美味しい食べ物に笑顔が溢れていて、誰もが楽しい時間が続くものと思っていた事と思います。そこへ震度7の地震が襲ったのです。これは正に「天国から地獄へ」と言う事だったと思います。

文明国家となった日本において特に「高度経済成長期」において、インフラについては目覚ましく発展を遂げ、どんなに僻地に行っても道路の整備はされ、上下水についてもしっかりと整備され、日常において蛇口を開けば綺麗な水が出て、水洗トイレもボタン操作一つで水が流れ、電気の明かりも昼間同様の明るさを保ち、寒ければ暖房を暑ければ冷房のスイッチをオンにするだけ。食事の素材は必要に応じて購入ができ、好きなものを宅急便で送って貰う事が出来る。その様に出来るのが「当たり前」と思っての生活。これは正に「平安之福」だからこそと言う事を、今回の能登地方の地震が教えてくれた。

自然の中で、100キロの位置の違いは誤差程度のものと言える。と言う事は岐阜県で地震が発生していたかも知れない。だとすると今も「平安之福」である私は感謝すると共に、支援をしっかりとしていかなければと思わざるを得ない。リピーターの皆さんも共に支援に力を貸して頂けませんか。

殆んど1日能登地方の地震についてうごめきました。

朝、和合に向かって車を走らせていると全国老施協事務局から能登の地震対応についての連絡がありました。正直、具体的な行動については本日13時30分からの岐阜県老施協常任理事会で検討しようと考えていたのでタイムリーな連絡を頂きました。

和合に着いても全国老施協の災害対応をしている役員に連絡したり、他県の役員に連絡したり、岐阜県老施協事務局とやり取りをしていて「こんなやり取りでは円滑な対応は出来ない。」と判断をして、岐阜県老施協事務局に行き、具体的に突っ込んだ話がしたいとの思いで、事務局に行くことを伝えて了解を得て事務局に向かいました。

和合から事務局までは15分位で着いたのですが、事務局長さんの方で資料を揃えて頂いていたので、常任理事会で検討すべき事の整理が出来ました。整理が出来た段階で、岐阜県との擦り合わせも必要だと考えて、防災については岐阜県社協が担っているので社協の事務局長さんに検討する内容を事前に話をして、検討結果については、常任理事会終了後に報告することを約束しました。

13時30分定刻に常任理事会は始まり、会議の冒頭に外国人材についての説明があり、その後協議事項について、会長である私の進行で進めて行き、じっくりと検討したい、地震に対する援助体制については最後の議題として常任理事のメンバーから意見をしっかりと聞きました。その結果①厳しい状況に置かれている施設への派遣要請があった時の為にDWATのメンバーに協力への参加についてのアンケートを早急に取る。②募金活動については全国老施協の指示を得て、速やかに各支部で呼び掛け、岐阜県老施協として取りまとめ全国老施協に送金する。③支援物資については、状況の変化に応じて必要なものを集約して送る様にする。との三点について確認を取りました。会長として閉会宣言をしてから岐阜県社協の事務局長さんに再び来て頂き、決まった事を報告して、岐阜県への報告は岐阜県社協の事務局長さんから責任を持って岐阜県に報告して戴く事として、今後もこのしっかりとしたラインを堅持することをお互いに確認しあいました。

石川県能登地方は大変な思いで生活されていて、全国老施協会員施設でも職員の不足の中で頑張ってみえるわけなので、岐阜県老施協としても出来るだけの協力をしていきたいと考えています。互助の精神を忘れずにこれからも頑張って行きたいとこのコラムを打ちながら考えています。

歌謡集団てるてる座の梯子です

午前10時から和合でのショーが始まるので、9時30分に和合に着くと既に、てるてる座の方がみえていたのでご挨拶をしてから事務所で書類の整理をしていて10時前になったので会場である2階に行くと丁度開始されようとしていたので、私の席が準備されていたので座ると後ろに座っていた入居者さんから「最近歌を歌いに来て貰えないけどもうないの」と声を掛けられたので「少し体調を壊していたのでいけませんでしたが、また行きますので宜しくお願いします。」と答えてから私はとても気分が良くなりました。」と言うのは「一人でも私の歌を待っていて下さる。」と分かったからです。

本日は座長の参加は無かったのですが、その代わりに『やまミー』が座長の代わりをしてくださり、その他には、いつもの『小倉っち』と『あんドーナツ』『亀ちゃん』の4人で、たっぷり1時間、歌謡ショーで楽しませて頂きました。

私は大トリとして山崎ていじの『浜防風』を歌わせて頂き気分よく歌わせて頂きました。歌謡ショーを終えて1階の理事長室に移動して頂き、珈琲とお菓子をたべて貰い楽しい会話をして、11時30分に玄関で皆さんを送りながら「本部施設また後でよろしくお願いします。」と言って別れ、理事長室に伊藤副施設長を呼び打ち合わせをしました。

打ち合わせを終えて気が付くと12時15分になっていて車に乗ると私のテンションが高くなってきたので本部施設の水野施設長に「昼食はおもちを焼いておいて。それから、玄関先の人形『さくら』が来ている赤のドレスを私が着るので準備しておいて」と連絡しました。

私が本部施設に着くと既に先程の歌謡集団てるてる座のメンバーは来ていて準備をされているので、急いでおもちを食べて赤いドレスとカツラをつけてスタンバイをしました。私は自分の姿にワクワクしてしまい会場移動している入居者さんを事務所前で出迎える形で声を掛けると入居者さんの反応は色々でしたが、流石は人生豊かな入居者さんです。色んな言葉で褒めて頂けました。

私は会場入りをして、本来『さくら』が座っている車椅子に腰掛ける事にしました。歌謡ショーが始まりてるてる座の方々の自己紹介のあと、トップバッターで私が歌う配慮をして頂いたので赤いドレスで皆さんの前に立ち南こうせつの『夢一夜』を歌わせて貰うと受けに受けました。

その後やまみーの進行で歌と踊りが披露されてるてる座の最後のメニューである『伊勢街道音頭』の歌と踊りで締めの筈が本部施設の手作り神輿が乱入して盛り上がり、盛り上がったのに勢いを得て、最後に私がまたまた赤いドレスのまま北島三郎の『祭』で乱入して盛り上がりのまま歌謡ショーを終了しました。

正に入居者さんとてるてる座と本部施設の職員とのコラボが完成しました。本部施設はてるてる座の発祥の地と言う事で17年の歴史の中で作り上げたものと確信しました。

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NHKの番組での岸田総理の発言を聞いて

令和6年1月7日

物価高騰と賃上げの話が出た時の発言の中で、岸田総理は「物価高騰以上のたくましい賃上げにより、経済に弾みをつけて行きたい。」的な発言がありました。この話を聞いていて岸田総理は「何処を見てこのような発言をされているのか。」と怒りに近いものを感じてしまいました。

確かに極一部の企業の中には多くの黒字を出し、設備投資と共に賃金アップを難なく実施している所もあるように聞いています。しかしながら、設備投資をする余裕など無いし、賃金アップを実施したくても出来ない企業も多く存在する事も事実です。ましてや公定価格での収入しかない介護業界におかれては、2%に届かない介護報酬改定では、物価高騰に対応したあとで賃金アップをどの様にしていくのか頭が痛い話しです。また、いわゆる働き方改革と言う耳障りの良い言葉で、公共団体が範を示せとばかりに年末年始の長期休暇を誇示するような報道もなされていました。

公共的な所は「休みです。」との情報提示をするだけで大丈夫なのでしょうが、当施設の様に入居者のお世話をしている事業所は文字通り、年中無休の24時間体制でお世話が出来る体制をとっていかなければいけない事業所です。つまり「やりたくても、出来ない話し。」なのです。「だったら、条件の良い所に転職すれば良い。」との考え方が浸透すると、益々人材確保が難しくなる悪循環が起きるのです。「休日もままならないで、賃金評価も低い状況」で介護業界が成り立っていくのでしょうか。

昔ばなしに「姥捨山」と言うのがあり、国は介護事業所を「姥捨山」的な存在で良いと考えているのでしょうか。西暦2000年4月から特別養護老人ホームは措置から契約になりました。それに伴い入居者一人ひとりに対してケアプランを立てて「その人に合った生活」を約束しました。しかしながら、現実にはその実施が難しい状況になっていることを、厚生労働省の官僚の方も政治家の方も理解されているのでしょうか。勿論厳しい状況であっても出来るだけの事はしていかなけれいけないので頑張っています。

リピーターの皆さん、この様な状況を理解して頂き介護事業の評価が少しでも良くなる様にご理解していただけると幸いです。

朝イチで関ヶ原診療所に電話しました。

 

 

電話に出た受け付けの方が「午前中は予約で一杯なので午後の受診にしてもらえますか。」との事で午前中は家でゆっくりさせて頂き12時に昼食としてにゅうめんを軽く食べ(あまり食欲が無かったので)本部施設に出掛けて24日にエレベーターの全面点検があるので、昼食の対応をどのようにしたら良いのかの打ち合わせをして、13時30分から面接を行い終了後に関ヶ原診療所に来た次第です。駐車場にはパラパラと車がある状況で内科受け付けに行くと受け付けに職員がいなくてスイッチを押すと奥から職員が出てきての対応でした。待ち合い室にはたくさんの椅子が並んでいたのですが、患者は私だけと言う事で先ずは別室に案内されてインフルエンザとコロナの検査を受けました。しばらくすると 「若山さん両方共に陰性でしたから内科待ち合い室に移って良いですよ。」と言われて再び内科受け付けで待っていると私の為に先生が来てくださり先生自ら私の名前を呼んで下さり診察室に入って行きました。「お腹が張っている。」「咳がひどい。」「37℃位の熱が続いている。」と話をすると聴診器で胸と背中に当てて下さり、その後にお腹がの張りについて触診して下さり「念のためにCTで胸とお腹を撮ります。」と言う事で検査室に移動して直ぐに検査をして頂きました。患者が少ないと言う事は次々に対応して貰える事を確認しました。再び内科の診察室に入って行くと丁寧にCTの写真を見ながら説明して下さり、お腹の張りについては漢方薬を咳についてはスプレーを処方して頂きました。

本格的に活動していくために明日はゆっくりして体調を万全にします。

今年はお正月から大変です。

令和6年1月5日

元旦の16時過ぎに石川県を震源とした震度7強地震が発生して大垣の和合の施設で会議をしていたのですが大垣市でも震度4との事で会議をしていた理事長室のブラインドが結構長い時間大きく揺れていました。2日の日の18時前には羽田空港で飛行機同士がぶつかり両機共に燃え広がり、旅客機は乗客乗務員全員が火の中を脱出したと言う報道に安堵したのですが空自の乗組員が5人なくなったとの報道には地震が起きた能登に物資を送る為のものだったとの事で「まさか」との出来事でした。そして、3日の日には岐阜県高富で鳥インフルで少なくても50000羽は殺処分しなければいけないとの報道にも愕然としてしまいます。そんな中で私は本日岐阜県庁12階の健康福祉部の浅井次長さんに新年のご挨拶に老施協の事務局長と共に行って来ました。先ずは年始の挨拶と共に昨年無事に終わった全国大会のおを言ってから、物価高騰に対する補助金のお礼、ロボットICTの補助金のお礼を言った後は、石川県能登半島地震の話題になり、支援についてどの様にしていくべきかについて意見交換をしました。その他には2月に岐阜県と老施協役員との意見交換会と3月22日の総会での来賓挨拶の依頼もさせて頂き今年も色んな支援をしていただきたいと話をさせて頂きご挨拶を終えて次長さん自らエレベーターまで見送って頂きました。終了後は場所を福祉会館内の老施協事務局に移動して、リモート会議の東海北陸ブロック会長会議に挑みました。緊急の会議が実施されたのは石川県能登半島の地震に対してブロックとして何をすべきがについて話し合いをしました。先ずは状況把握をして支援出来ることを検討しました。DWATで派遣できる為の根回しについて今後検討していく事になりました。会議終了後はDWATの事務局を担っている県社協の担当者に来て貰い老施協が担う事の整理をしました。困っている状況に「お互い様」と言う事で出来ることは頑張って行って行きたいと考えています。先ずは募金を募って行きたいしDWAT隊員の確保をしていきたいと考えています。

箱根駅伝の結果を私の人生とダブらせてみました。

「本日のコラムは私の勝手な思いです。」とのお断りを入れた上でお話させて頂きます。

昨日まで繰り広げられた箱根駅伝で120%の結果を出したのが青山学院大学で80%の結果しか出せなかったのが駒沢大学だったと思います。私は中学校までは70%程度しか自分を出せなかった。それはこのコラムでも何度か取り上げている通り、母秋江さんの庇護(溺愛)の中での生活が心地よくて、弱い自分を演じている方が楽だったからだと思います。と言う事は母秋江が私が大人になるまで元気でいたら私の人生は全く違うものになっていたと思います。

高校時代から大学時代は父進の庇護の中ではありますが100%の自分を出す事が出来ました。しかし、この時代の100%はあくまでも父進の庇護の中での頑張りです。そして、大学を卒業しての教員時代は90%に落ちるのです。かなり好きな事を頑張ったつもりでも父進の教育界での影響力があっての事だったからです。そして父進に断りも無しに教員を辞し自分探しをした旧徳山村での5ヶ月間は自分自身のモラトリアムの時空なので評価は出来ません。

徳山村での生活を終えての13年間は生まれて初めて自らやるべき事を決めて自己責任の中での展開でしたから120%だったと言えます。但し、結果的には経営者にとって都合の良いものだった事を悟ると共に「自分の力で全て切り開いて行きたい。」との思いで38歳の時に児童養護施設を退職しました。その当時父進は健在でしたが私の行動に口を挟む事が無かったのは今になって思うには凄い忍耐力だったと思うようになりました。そして、どこにも所属しない生活を6年間経験さた時代は結果的には多くの素晴らしい支援者を得ましたので自分では150%だったと思います。

そして、法人認可を得て、特別養護老人ホームの事業を開始してからの25年は厳しい状況もたくさんありましたが、その都度理解ある支援者に恵まれて200%だと思っています。この200%は勿論多くの皆さんのご理解とご支援があってのものです。これからも、驕る事無く頑張って行く所存ですので、益々のご支援を宜しくお願い致します。

箱根駅伝100大会が2日間繰り広げられました。

令和6年1月3日

結論から言うと「勝負事に絶対は無い」と言う事です。と言うのは、絶対的王者」と言われていた駒沢大学が往路、復路共に二位に甘んじてかつて箱根駅伝では常勝軍団と言われていた青山学院大学の前評判は大したことがなかったのに、昨日の往路では新記録を打ち立てての堂々の優勝。本日の復路で絶対的王者と言われていた駒沢大学の逆襲がいつ仕掛けられるのかと思ってテレビを見ていても、青山学院大学と駒沢大学との差は開くばかり。

昨日のレース展開の中で私は決して駅伝の事を詳しくは知りませんがレース展開の中で青山学院大学の1番手が9位と出遅れたが2番手の走者が7人抜きの2位に浮上して勢いをつけ3番手が駒沢大学のエースに臆することなく、1位に躍り出て4番手の走者もその勢いのままに快走し5番手の走者も勢いのままに快走出来たと思います。青山学院大学の原監督のコメントをそのまま載せると「私自身が想定していなかった。誰一人勝つとは思っていなかったかもしれないが、たいしたもの。

学生たちが本当にプラスアルファ120%の力を発揮してくれた。」と述べられていて、本日の復路も往路の勢いのままに総合優勝を成し遂げた。勿論勢いだけでなし得る事ではなくて地道な練習の成果が往路でも新記録を樹立する結果となったと思います。勝負事には絶対は無いし毎回ドラマがあるから見てしまうのだと思います。

駒沢大学の走者も素晴らしい実力者ばかりであっても本来の実力を発揮出来なかったのだと思います。「気負い」によって或いは「使命感」によって・・・。とにかく勝負事に絶対は無い事をつくづく知る事が出来ました。城西大学の3位躍進には新しい歴史を予感するものだったとも思います。駅伝について何の知識も無い私の勝手な意見でした。

我が家の猫を紹介します

令和6年1月2日

我が家に20年いた猫「リット」はこのコラムでも何度か登場させましたが、天命を全うして、天に召されて私の奥さまはしばらく落ち込んでいました。実は私は最初の内はリットにとって天敵の様な存在だった様で、私が車を車庫に入れていると、今まで1階でのんびりしていたのが慌てて2階に行くと言うパターンでしたが、私が仕事の事で落ち込む事が多くて元気がないのを察知したのか急にスリスリするようになり、私の布団の上で寝るのが習慣になり、そうなると、私もいとおしくなったのですが、その様に仲良くなってしばらくして天国にいったのでそんな事ならもっと早くに仲良くなっておけば良かったと思っています。その後しばらくして、真っ白な猫「おもち」が我が家にやって来ました。

リットの事があるので最初から優しくしようと心がけたのですが、ある日お酒を飲んで帰り多分テンションが高かったのだと思うのですが、2階に上がって行くとおもちがいたので頭を撫でようとしたら逃げたので酔った勢いもあり大きな声でしつこく追い回してからは私の顔を見ると逃げると言う可愛げのない猫になってしまい、なかなか仲良くなれなくて、そんなある日、玄関から飛び出して探したのですが見つからず、その時の奥さまの落ち込み様は凄まじく家出猫のチラシを作り色んな家に協力を呼び掛けても見つからず家出猫が4ヶ月経過しても見つからないので、代わりの猫を10月に貰い受け「まる」と銘銘して飼い猫にしました。

まるはリットにそっくりな猫ですが私に言わせると「優雅さに欠ける」と言う事とどうも「まる」は自分が先輩猫だと思っているのか何となく威張っているようで「リット」に似ているけど「おもち」を可愛がろうとするのですが、まだまだ「おもち」はなついでくれません。どちらにしても「まる」は6キロで「おもち」は5キロで結構、猫としては重量級です。もっとも「リット」は最高に重い時は10キロはあっとので驚く事は無いのですが。池の鯉も大きな池の中で育てると大きくなるので、我が家では1階も2階も自由なので大きくなるのかと思っています。リピーターの皆さん。「おもち」と「まる」のファン投票をしたいのですがご協力頂けますか。

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