2024年01月の記事一覧

久々に我が家の猫の話です。

令和6年1月21日

私が知る限り我が家の猫「まる」と「おもち」がくっついているのを見るのは初めてなので思わずガラケーで写メを撮りました。本当は「おもち」の方が先住猫なのですが、「おもち」が家を出て放浪猫をしている5ヶ月の間に「まる」が我が家に来たので「まる」が先住猫の様に振る舞っているようにみえます。2匹の猫は仲が良いのか悪いのかよくわかりませんが、とにかく、本日はご覧の様に仲良く寝ていました。

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「おもち」が先住猫でいた時に私が酔っ払った勢いとからかい半分で大きな声を出して追いかけてからは徹底的に嫌われて私の気配がすると逃げていくは、歯を剥いて威嚇するはと可愛くないのですが、初めて我が家で飼って20年いて最後の半年でようやく仲良くなった「リット」の事があるので「和睦の意思」を表すために猫が大好きな「チュール」と言う食べ物を与えて仲良くなりつつあったタイミングで「おもち」が家を出て行ったので、再び和睦が解消された様で帰って来てから再びチュールで仲良くなろうとチュールを準備すると、「まる」が敏感に察知して「おもち」との仲良し作戦を邪魔するので未だにチュール仲良し作戦は成功していなくて、昨日などは私の姿が見えたら毛を逆立てて歯を剥いて威嚇するので私は大人気なく苛ついてしまいました。本日は家に早く帰って来たときに「おもち」だけが寝ていたので、「チュール」を置いておいた冷蔵庫の上の「チュール」を取りに行って机に座って「おもち」にチュールの封を破ってやろうとすると「まる」が私の膝に乗ってくてチュールを要求するのです。仕方がないので「まる」からやることにして、食べ終わったので「おもち」にやろうとすると机の下に隠れてしまったので、本日のチュール作戦は見事に失敗してしまいました。ところで、2匹の猫が寄り添っているのを見て、寒いときはお互いに寄り添うのだと理解しました。と言う事は震災で大変な思いをされている方もお互いに協力しあってみえるのだろうと思った次第です。明日から岐阜県老施協の会員のメンバーが輪島市と珠洲市に5名づつ協力隊で行ってくれます。きっと成果をあげてくれると信じています。

インドからの技能実習生に会って来ました

令和6年1月20日

水野相談員兼係長の運転で名古屋市緑区にある研修センターでインドの技能実習生が各法人に移動する為の説明会があり、当法人も本部施設に3名(男性1人、女性2名)が来週の23日に来てくれる事になっているので参加してきました。当法人が技能実習生を採用するのは初めてですが母国において日本語4級を取得して昨年12月20日に来日して、研修センターで1カ月の研修を終えられたとの事で、インドにおいて日本語を教えた先生も参加されており、この1カ月で飛躍的に日本語力がついたと驚かれている様子を見て、成果のほどが分かりました。

最もインドにいた時にリモートでの面接をさせて頂いた時と比べても飛躍的に伸びているのは感じました。私が会場に入って行くと説明会が始まったばかりで、いきなり岐阜県老施協会長としてのご挨拶をさせて頂きました。

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その話の中で、いつもの事ながらメモを取る事の大切さ。なるべく早くに入居者さんの名前を覚える事。施設の中では日本語での対応をする事の大切さを話させて頂きました。11時30分に説明会は終了して総勢16名の技能実習生と共にインド・ネパールレストランに移動して昼食を頂く事になりました。私はインド・ネパール料理は食べた事がないのですが、お店に入るとカレーの良い匂いがしてきたので「これなら大丈夫かな。」と思った次第です。紹介者機関の方が配慮して下さり、私と水野相談員が座ったテーブルに23日から本部施設に来てくれる3人と共に5人でテーブルを囲む事になりました。

3人は積極的に話をしてくれて、日本語力の高さを改めて知りました。それともう一つ痛切に感じたのは『礼儀の良さ』です。昼食を終えてレストランを出ようとすると、それぞれに挨拶に来てくれたのは日本に来て教えられたものではなくて『身に付いた習慣』だと感じました。日本人の中で礼儀と言うのが段々と出来なくなっている事を思うと「教えるより学ばなければいけない事があるのではないか。」と思った次第です。

当法人には『EPAによるインドネシアからの介護福祉士候補生』を皮切りにして『特定技能による、ベトナム人及びネパール人』そして今回『技能実習生によるインド人』と採用してきました。採用ルートは確実に出来てきた今、よりレベルの高い介護職に育てていき長く働いて貰える体制を理事長として構築していかなければいけないと痛切に思っています。これからも杉和会理事長として、5年先10年先を睨んだ展開に努めていきますのでますますのご支援をお願い致します。

「えっ、第2陣が同じ日何ですか」

「えっ、第2陣が同じ日何ですか」

 

1月22日から第1陣が出発するので、本日10時から盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)の施設で顔合わせと説明会をする為に途中でケーキを買い駐車場に車を停めたタイミングで(9時35分)全国老施協から電話があり、「何事か」と電話をとると淡々とした女性の声で「1月22日から追加のチーム編成をお願いします。」との内容に「何かの間違い」かと思いました。だって本日が19日ですよ。しかも「午前中にメンバー表を送って下さい。」と言われて私はおもわず「絶句」です。今週16日に1チーム編成する様に言われたのも何とか対応出来て「ほっとしての説明会だったのに。ドラえもんのポケットの様にはいかんぜよ」と思ったのですが、余りに淡々と話をされるので「言う事なし。この女性に言っても私の意図は通じない」と思った私は、全国老施協災害対策事務局責任者に携帯して事情を確認して、事情がわかったので「これは何とかしなければいけない」と私自身にスイッチが入ったので、10時からの顔合わせと説明会では最初の挨拶をさせて頂き、あとの説明については吉澤施設長に任せて急いで本部施設に行き、35人の派遣意思のある方の施設長さんに電話を精力的にかけました。正直、なんと言っても時間の無い状況での勤務調整をして頂かなければいけなかったのですが、午前中には看護師さん2人と介護士さんが3人の方から協力を得ることが出来たので早速岐阜県老施協事務局に報告をしてリスト作成をお願いして、急いで昼食を食べて、第1陣と同じ様にレンタカーの手配と共に派遣した職員の方に出来るだけご迷惑を掛けない様に買い物に出掛けました。

前回は私の車で行ったので2回に分けて荷物を運んだので本部施設の荷物が沢山積めるキャラバンで出掛けました。前回は初めての事でトヨタレンタカーでも買い物でももたもたしたのですが『トヨタレンタカー』では「同じ条件のものを手配します。」との事で簡単に済み、寝袋を購入に行った『ヒマラヤ』では前回対応して下さった方だったので、これまた手短に購入する事が出来ました。そして、諸々の物を購入しなければいけなかった『D2』では、最初は品物を探してみたのですがなかなか見つからなかったので前回のレシートに購入リストが書いてあったのでサービスコーナーに行き「前回購入したリストで品物を揃えて頂けますか。」と言うと店長さんを呼び出して下さり品物を揃えて下さいました。

本日は朝の一報によりまたまたバタバタの一日でしたが岐阜県老施協の会員施設が協力的だったから何とかなったので良かったです。後は22日から26日までの5日間派遣先(珠洲市と輪島市)で活躍してくれて無事に帰って来てくれることを祈っています。

いよいよ石川県能登地方の災害支援に参加します。

令和6年1月18日

今月1月1日に起きた石川県能登地方の震度「7」の地震での災害支援の要請が全国老施協から来たので、来週月曜日22日から岐阜県老施協の会員施設の職員5名を派遣する事になりました。5名の中のリーダーとして盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)』の吉澤施設長が参加するので、「派遣した職員が厳しい状況化に置かれるので、出来るだけの支援をしたい。」と言う事で、昨日吉澤施設長と共に災害時の用品を買いに行きました。派遣された職員は最悪廊下などで寝る事になると言う事なので、電気は来ているから暖房は大丈夫との事でしたが、最悪の事も想定して寝袋を買いに『ヒマラヤ本店』に行きました。今はキャンプがブームと言う事もあり、何種類かの寝袋がありましたが、マイナス15℃でも大丈夫と言う品物を今後の派遣も念頭に置いて7個購入して、寝袋の中に敷く保温用のマットも購入しました。

次に、諸々の用品を購入する為にホームセンターの『D2』に行きました。ここでは、ペットボトルのお茶を大量に、カートリッジコンロとボンベ、貼るカイロ、やかん、紙コップ、電気ケトル、懐中電灯など、考えられる用品を購入しました。その後レンタカーの予約に『トヨタレンタカー大垣店』に行き、荷物も多いので10人乗りのハイエースで、当然ながら4WDでスタッドレスタイヤの装備もお願いしました。私が参加するわけでは無いので、参加してくれる職員が頑張れるだけの準備をさせて貰いました。昔から「備えあれば患いなし」と言いますので。

準備と言う意味で、明日19日には5人の集合場所である盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)』の施設で顔合わせと共に、それぞれが準備すべきものと事前にこちらで準備したものの説明のために10時に集まって貰います。今回は第1陣ですが、今回の派遣は期間が長引くと考えられますので、派遣した5人が元気に帰って来てくれて次につなげていきたいとも考えています。

17時過ぎに岐阜県から情報を頂きました。その情報によると、明日19日から要介護高齢者の広域搬送と受け入れが始まるとの事。「ようやく」との思いと「いよいよ」との思いが交錯しています。派遣にしても、受け入れにしても、被災された方々に少しでも安心な状態を作れる様に、私は岐阜県老施協会長としても、社会福祉法人杉和会理事長としても出来るだけの事をさせて頂こうと考えています。リピーターの皆さんもお互いに手を差し伸べて頂ければ幸いに思います。

昨日が命日だった実母秋江さんの事

令和6年1月17日

私の実母秋江さんは私が中学1年の1月16日に他界しているので生まれてから13年と言う親子関係の中で比較的短い年月なのですが、『中身の濃い13年』だったと思います。と言うより小学3年までの私は母秋江さんの存在なしには考えられない文字通り『べったり』の関係でした。簡単に言えば母秋江がいなければ何も出来ない幼少期だったと思います。そう言う意味では私が小学4年になり、母秋江に癌が見つかり闘病生活の為に入退院を繰り替えしてからの私の生活は『激変』したと言っても過言ではなかったです。

何故ならば小学3年までの私は母秋江の後ろにくっついていれば良かったからです。つまり、小学4年からは後ろにくっついていたくても母秋江は私の前にはいないのですから。我が家の生活は一番年下の私中心に回っていたと言っても過言では無かった。それが許されたのは母秋江が若山家の絶対者でいたから。どうして母秋江が絶対者でいられたかと言うと、母秋江は若山春吉・ますを両親に持ち跡取り息子の長男よりも末娘を溺愛していて、母秋江の上に3人の娘がいたにも関わらず、敢えて母秋江に若山家の分家を作り、父進を養子に迎えたのです。

つまり、母秋江は今須町筋通りの地付きの娘で尚且つ父春吉(私にとっては祖父)は今須村の議員をしていたうるさ型で母ます(私にとっては祖母)は自宅敷地内で機織りの工場を仕切っていたしっかり者だったので、私が25年前に今の事業を始めた頃は、機織りの仕事をしていた時に「秋江さんは色白で綺麗な方だった。」とよく言われたものでした。

父進さんは、母秋江を石垣の陰から見て一目ぼれをして養子に来たとの事だったので(私が大人になり父進とお酒を飲んだ時の話しです。)母秋江に絶対服従だったわけですから母秋江の天下であった事は客観的に間違いない事実だと思います。但し、以前からこのコラムで書いている様に私が虚弱だったので「目の中に入れても痛く無い」息子の為に何をしたら良いのかが母秋江の思考の中心だったと思います。

そんな母秋江が死の淵に立った時に考えたのは私の生末の心配だったと思います。だから私は命日だった昨日には「心配をかけ続けた宏ですが、今は多くの方々に支えられながらも頑張っています。そして、母秋江さんには心配ばかり掛けて何も恩返しが出来ませんでしたが、地域の高齢者の方に母秋江さんに出来なかった恩返しのつもりでこれからも頑張って行きます。と仏壇でお経を唱えながらお話をさせて頂きました。

タッチの差でした。

昨日は昨年11月29日~30日に開催された全国老施協岐阜大会の実行委員会による反省会が岐阜市玉宮で行われました。4階のフロアを貸し切りにして14名が参加して行われました。初めて行く所でいつもだとスマホのナビ機能で行くのですがスマホの充電が出来ていなかったので、本部施設に連絡を取り吉田副施設長に携帯電話で案内して貰って何とか会場に着きました。正直、店の看板が小さくて店の前に来ていてもわからない様な状況でした。

お店の中に入るとお店の方が階段で4階にお願いします。と言われて「おい、おい」と言う感じでしかも階段が急で・・・。4階にたどり着くと事務局長が待っていてくれ、指定された場所で座っていると順次参加者がみえて18時30分定刻に事務局長の進行で始まり、老施協会長である私が最初のご挨拶をして、デイ協の村田会長が乾杯の音頭を取り飲み会がスタートしました。参加者14名はそれぞれに論客揃いなので、飲んで話をして飲み放題の2時間はあっと言う間でした。

結局21時過ぎにお店の前でしばらく話をしていたので、改札を通った時が21時20分。列車の時刻掲示板を見ると米原行きが21時21分。「間に合えばこんな幸運な事は無い」と大垣までご一緒するパサーダの西川さんと共に階段を走っていると出発のベルが鳴っていたので、より急いでホームに着くと乗ろうとした列車の扉がスーッと閉まって暫く動かなかったのでおもいっきり手を挙げてアピールしたのですが扉が開く事はなかったです。

次の列車は15分後ですが残念なから大垣止め。但し西川さんと一緒に15分待って大垣行きまで待ち一緒に乗り、大垣駅で西川さんと別れ、私は1番線から2番線に移動してまたまた15分待って米原行きに乗り関ヶ原まで乗りました。22時4分に着いたので、それなりの方が関ヶ原で降りられて改札を出ると駅前の駐車スペース一杯に迎えの車が止まっていました。タッチの差で乗れなかった事により家に着くのが30分も遅くなってしまいました。

いつもは早くに横になっている私ですから速攻で寝付けるかと思っていたのですが逆に目が冴えてしまいました。そこで改めて思ったのは、生活リズムを壊すと駄目だと言う事です。

本日は和(なごみ)で9時30分に来客があったので、8時30分に家を出て、午後からは和合に移動して来客もあったのですが、合間をくぐって珠洲市の施設に1月22日から職員派遣に行く手配をしていて、ある程度の目処が経った段階で岐阜県老施協事務局に行き最終打ち合わせをして、車に乗って思い出したのは私が中1の本日私を生んでくれた母秋江さんの命日だと言う事で急ぎ家に帰り、いの一番に仏壇で正信偈と般若心経を30分はたっぷりかけて唱えました。リピーターの皆さん。母秋江の事は明日しっかりと語ります。

週刊現代情報です

週刊現代情報です

 

タイトルは「羽田空港・衝突事故    乗客を救った   新人CAたちの素顔」。この記事はリピーターの皆さんもご存知の通り1月2日に起きた日本航空と海上保安庁の航空衝突事故の事です。「今回の事故で脚光を浴びたのが、客室乗務員による迅速な避難誘導だった。乗客乗員379人が衝突からわずか18分で脱出し、一人も犠牲者ださなかった奇跡の救出劇には、国内外から称賛とねぎらいの声が贈られた。そんななか、JAL社内ではあるニュースが駆け巡っている。」そして、その対応をした客室乗務員の約半数が23年春に入社した新人だったとの事です。経験の少ない新人が冷静に判断して冷静な行動が取れたのは称賛だけではなくて、「その様な乗客乗務員が育つ土壌」に驚かざるを得ない。記事の中にその根拠が示されています。「JALの新人研修は4ヶ月にも及び、基本的なマナー、英語学習、緊急時の対応まで徹底的に叩き込まれる。カリキュラムは朝から晩までみっちりと組まれ、体力的にも精神的にも追い込まれる新人社員は少なくないと言う。今回の救出劇は、まさしく厳しい訓練の賜物だといっていいだれう。「研修ではバードストライク、航行中の火災、滑走路での接触事故などあらゆるスチュエーションの救難訓練を行います。なかには教官から「これが本番だったら、お客様は死んでいました。あなたは命を預かる責任の重さがわかっているの。」と怒られ、涙を流す子もいるほどです。とのコメントには、「命の尊さ」をJALの社風の中には染み付いているのだと思います。

私が行ってしる介護事業も「命を預かる」業務であります。当法人でも入居者の尊厳を理解した対応が求められます。今回の衝突事故を教訓に新人研修により一層力を入れて行かなければいけないと考えています。いみじくも1月1日に起きた石川県能登地方を中心に大きな被害が出て、今なお寒いなかで途方にくれている方々に対しても私なりに精一杯の事をしていくと共に緊急時の備えについて考え実践していかなければとも考えています。リピーターの皆さんお互いに留意していきましょう。

京都三弘法に出掛けます。

令和6年1月14日

6時25分に迎えの車が来たので同乗させて貰い、途中のコンビニで朝食を買い、滋賀信行会本部(長浜市)に7時10分に着き本堂でおみえになっている方にご挨拶をしてから手をあわせてら出発を待っていると内藤会長さんがみえたので改めて挨拶をして、7時40分にバスが待っている所に移動して「いざ、出発」その後何ヵ所かに迎えに行き8時25分に彦根インターチェンジを入り名神高速道路に乗りました。

8時30分にはもう一台のバスと合流の為とトイレ休憩で多賀サービスエリアに。8時45分に再び出発。その後、草津と大津のサービスエリアで2人ずつ乗って頂き9時40分にいよいよ、最初のお参り先である「神光院」に向け出発します。

バスガイドさんの情報では本日京都女子マラソンがあり、京都市内は少し渋滞するかも知れないとの事でしたが順調に走って貰えたので予定の10時15分には着き本堂に上がらせて貰いご住職さんのお経に続き信行会の皆さんで般若心経を唱えた後、ご住職のお寺の由来の話を聞き、本堂に安置されている沢山の仏様に手を合わせて再びバスに乗り、11時27分に上賀茂神社に着いたのですが、凄い人で拝殿までに行くのを挫折して「せめて上賀茂神社での焼きもちを買う」とお店に行ったら「売り切れ」との事で「食べる事が出来ないな。」と思っていたら、バスガイドさんが「別のお店でまとめて買ってきます。」との事で、仁和寺に向け出発。

仁和寺に11時50分について、広い境内を歩いて本堂と御影堂で皆さんと般若心経を唱え(土下座です。)バスの所まで帰ってくると、上賀茂神社で頼んでおいた焼きもち(ヨモギ)が届いていたのでバスの中で早速頂きました。なかなかバスが出発しないので「何かあったのか。」と思っていると同乗していた方の一人が階段で転倒され救急車を呼んでの対応だったと報告を受けましたが、意識はしっかりとしているし大丈夫との事でしたが取り敢えず病院に向かわれたと言う事で、バスは昼食会場である嵐山に向かいました。

昼食会場に13時45分に着き15時まで昼食とお土産タイムになりましたが、昼食を終えてお土産コーナーに行き簡単にお土産を買いバスに戻ると一番乗りだったので今はコラムを打っています。この後は東寺にお参りして一路滋賀信行会本部です。東寺も広いので結構歩く事になりますが今の段階で 6157歩です。昨夜は思うところがあり眠りが浅かった事もあり、尚且つお寺は結構な階段がありますから今の段階で疲れが出ていますが後一踏ん張りと考えています。

東寺でのお参りを終えてバスに戻り歩数を確認すると「7777」と滅多にでない「これは、京都三弘法のお参りに参加して吉兆の印し」と自分で納得しています。これからは一路長浜へ。明日からはバリバリ頑張って行こうと強く思っています。リピーターの皆さん応援宜しくお願い致します。

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石川県能登地方の地震対応について

令和6年1月13日

石川県能登地方に最大「7」の地震が襲い既に13日目を迎えています。被害に遭われた方々の状況をテレビ、新聞で見るにつけ心を痛めています。私自身若くてフリーの立場であったなら今すぐにでも行って何らかの事を手伝いたいところですが、今の私が行った所で反って足手まといになるだけ。しかしながら、今の私立場で出来る事を頑張れば出来る事があるはずと考えていたところで、厚生労働省から岐阜県を通じて岐阜県老施協事務局に『派遣依頼』と『避難者の受け入れ依頼』の通知がきたのをみて私は「精一杯の事をしたい。」との思いで岐阜県老施協及び岐阜県高齢福祉課とのやり取りをしつつ、リスクマネジメントを専門としている当法人の顧問でびわこ学院大学教授(学部長)の烏野先生に電話連絡をしてその都度アドバイスを得ながら、効率良く派遣と受け入れが出来るような体制作りの構築の為に私なりに頑張っています。

そんな中で『派遣依頼』についても多くの会員施設からエントリーがあり、『避難者受け入れ』についても多くのベットの提供をして頂く報告を受けました。本当に有難い事です。多くの協力が得られる事が分かった今、次に行うべき事は被災地へ送り出す会員施設の職員が頑張れる体制にする為に現地の情報をしっかり得ながら、準備すべきもののリストの作成と援助だと考えています。

また、受け入れ体制についても、円滑な受け入れが出来る様に年密な情報交換が必要だと考えています。そんな中で岐阜県の方から受け入れるのに対してどの様な情報が施設側には必要かとの情報提供の依頼が来たので、受け入れる側の身になり、尚且つ送り出す側の大変さを考慮してコンパクトで最低必要な情報を完結に記載出来る配慮をした資料を作成して送らせて頂きました。

今回の災害復旧には時間がかかると思われます。と言う事は対応が長引く事も想定した計画を立てなければいけないと考えています。出来るだけ速やかに派遣体制と共に受け入れ体制を構築していくように私なりに頑張っていきたいと考えています。北陸地方は文字通り雪国であり今は正に『冬』です。寒い中で耐え忍ばれている方々に少しでもやすらげる場の提供が出来る様にする為にリピーターの皆さんにもお願いする事が出てくると思いますのでその節はよろしくお願いいたします。

業務省力化について思う事

業務省力化について思う事

 

私が特別養護老人ホームの事業開始をしたのは平成10年5月で、その頃は行政からの措置による入居であり、言葉を選ばなければ『十羽一からげ』的な発想でも大丈夫的なものでした。勿論そんな対応をしている施設はありませんでしたが制度的にはそんな感じでした。但しその頃の対応の中でオムツ替えの回数が多い事が大切だと言う考え方があったのも事実です。何が言いたくてこの様な事を書いたかと言うと「業務に手厚い」事が良い事だと考えられていた事実を理解して頂きたかったからです。そして、平成12年4月から介護保険が導入され、一人にいくつかの留意点をもった対応が義務付けされました。つまり『十人十色』のケアが義務付けされました。介護保険制度が導入された頃は戸惑いを持っていた施設もありましたが『ケアプラン』が浸透していくに連れて『十人十色』から『一人十色』に進化して行って今があると思っています。

しかしながら、働き方改革の流れの中「如何に業務を省力化するのか」と言う問題を解決しつつ入居者さんの生活をより快適にしていく為の対応をしなければいけないと言う中で、外国人材を導入する観点からも記録に対する時間を削減する事はとても重要な事になるとの考えに基づきハード面ソフト面を考慮していく中で外国人のイントネーションにも対応し、業務を止める事無く記録を取っていく為に『骨伝導』と言うハード面の導入にソフト面がリンクするものを、補助金を頂けるタイミングで今年度導入し、来年度からの実施に漕ぎ着けました。私は全国老施協の前会長から命名された『昭和おじさん』を自他ともに理解していますが、職員業務の効率化に寄与するのであれば、補助金以外に自己資金が必要になりますが導入を理事長として実現していかなければいけないと考えています。

職員に笑顔が無ければ入居者さんの笑顔はあり得ない。今後も職員が笑顔でいられる為に何を成すべきかの情報を得て出来る限りの対応をしていきたいと考えています。『手抜き』と『楽をする』事は全く異質なものである事を理解した展開を今後も頑張って展開していきたいと考えています。リピーターの皆さんのご理解ご協力をよろしくお願いいたします。

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