2024年01月の記事一覧

明日(2月1日)から第4陣が出発します。

令和6年1月31日

1月22日から第1陣は珠洲市に、第2陣は輪島市に盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)』の施設がある垂井町を出発して、1月27日から第3陣は金沢市に『養護老人ホーム和光園』がある飛騨市を出発しました。第1陣と第2陣は1月26日に無事に帰って来て、第3陣は明日帰って来る予定です。そして明日は第4陣が当法人本部施設『優・悠・邑』がある関ケ原町を8時に出発します。介護施設はどこも人材不足の悩みを抱えながら、しかも、インフルエンザやコロナウイルス感染症に罹患した職員や家族がいる中でも、「石川県能登地方を襲った未曾有の被害の中なので、何とか協力したい。」との思いの結果、岐阜県老施協として第4陣までで18人の派遣が出来ている事は会員施設の協力があったればこそと感謝しています。本日は午前中に岐阜県社会福祉法人経営者協議会の理事会があり、午後からも研修があると言う事でしたが、午後からはリモートではありますが職員採用面談があるので、本部施設に帰って来て、その対応をして、面接を中抜けして中部電力保安協会の打ち合わせを終えてから、明日の派遣団が乗っていくレンタカー(荷物も沢山あるので10人乗り)を明日が早いので取りに行き、明日バタバタするのはいけないので寝袋や衛生用品や食料品等々を積み終わって、今は18時37分ですがようやく落ち着いてコラムを本部施設のパソコンで打っています。私が石川県の支援に行っても足手まといになるばかりだと思います。であれば下支えの仕事をさせて貰い、支援隊の方々に出来るだけ不便を掛けない様にすることが私に出来る精一杯の事だと思っています。今後も「出来る事・出来るだけ」の信念のもと出来る事を精一杯頑張っていきますのでリピーターの皆さんエールを送って下さい。そう言えば2月4日は『聖はじめ一座』が本部施設に来て楽しい時間を繰り広げてくれる時に言葉を選ばずに言うならば「どさくさに交じって」私が花魁になる日もいよいよカウントダウンに入って来ました。ワクワクする間も無く2月4日がやってくるのは少し残念ですが当日カツラを被り、化粧をして貰い、衣装を着付けて貰う時間にワクワクします。リピーターの皆さん「乞う、ご期待」

本日10時から本部施設で入札2本が執行されました。

令和6年1月30日

入札を行ったのは本部施設と和合の施設のロボット・ICTの入札です。昭和おじさんの私にとっては苦手な分野になるのですが、今後はより一層業務の効率化を求められる事は明白で、岐阜県を通じての補助金も頂けると言う事もあり実施しました。無事に入札が成立したので、4月からの運用が出来る様に工事をして頂く業者さんと施設側が上手く連携を図り円滑に出来る様にしていきたいと考えています。

ロボット・ICTの世界も日進月歩をしており、職員が使いこなせる体制を確立して業務の効率化を図っていきたい。私は職員がモチベーション高く仕事をしていく為には余裕を持った対応が必要だと考えています。その為に理事長として出来る事を精一杯にしていかなければいけないと本日の入札執行を終えてしみじみ思っています。

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本日は春の様な陽気ですが、国道21号線から本部施設に行く為の道を走っていると、両サイドに広がっている田圃には「まだまだ融けんぞ」と言わんばかりに雪があります。明後日2月1日からは石川県への派遣の第4班が当法人の本部施設を8時に出発する事になっているのですが、天気予報が雨もしくは雪だとの事で、どちらにしても寒さが戻ってくると思いますので、先程関ケ原で唯一色んなものの買い物出来る『ゲンキー』に行って温かくなる食料品を中心に買って来ました。

買い物に行く途中で銀行に立ち寄ると支店長さんが出てみえたので、「石川県の支援に入っています。」と話しかけると「理事長さんが先頭指揮で行かれるのですか」と聞かれたので「私が行ったら反って足手まといになりますので、出発するまでの準備をさせて貰っています。」と答えた次第です。22日から順次派遣出来ているのは岐阜県老施協の会員施設のご理解があったればこそなので、会員施設の方々も厳しい状況が理解されている証だとも思っています。まだまだ石川県能登地方の厳しさは続くと思いますので、より一層の支援体制が整う様に岐阜県老施協会長としてもより理解が深まる様に努めていきたいと考えています。

1月24日の雪について思う事

令和6年1月29日

あの日の雪の降り方は何だったのだろうかと思っています。「まさしくゲリラ雪」と言う事です。暖冬と言われている中で、関ケ原を中心にした局地的な雪。石川県能登地方(輪島市と珠洲市)に派遣した職員が、翌々日の26日に雪の為に帰れなくなるのではないかと心配したのですが、帰って来た隊員に聞いたところ「10㎝も降って無かった。」との報告に改めて「何で関ケ原だけなの」と思った次第です。

何故今更大雪になった24日の事をコラムに書くかと言えば「あれから1週間も経っていないのに、本日の気温は10℃以上で雪が降っていたのが嘘のよう」と言う事だからです。かつての雪は、一旦ドンと降ったらなかなか融けなくて、少しづつ少しづつ家の前の雪を川に捨てると言う作業が何日も続いたのですが、その様な作業はしなくて大丈夫。と言う事は「1月24日のドカ雪は何だったのか」と言う事です。名神高速道路ではトラックを中心にして全く動かなくて、自衛隊までが出動する事態だったと言うのに。

本日、大垣の和合の施設に行く時に我が家を出た時は、屋根にはまだまだあるな。と思いつつ関ケ原の駅前通りまで行くと、屋根の雪は半分になり、垂井まで来ると、屋根には殆ど雪は無くて家の陰にある位で、大垣の道路には全くなくて、和合の施設までいったら、北側の陰になるところにはそれなりに雪は残っていました。昼過ぎに、岐阜市下奈良にある岐阜県福祉会館に石川県への派遣についての打ち合わせに行き、車を降りたら太陽の光が温かくて「春の陽気だ」と思うとまたまた「1月24日の雪は何だったのだ。」と思いました。

打ち合わせを終えて、先般もお世話になった大垣にあるレンタカーのお店で2月1日から第4班が派遣される車の手配を終え、本部施設に戻って車を降りて感じたのは「空気がひんやりだ」と言う事で、雪の融け方は大垣や岐阜とは違うなと言う事でした。私がこんなに寒暖差を感じるのは、行動的に動いているのと私が住んでいる今須は山間地で気温が上がらないエリアだと思った次第です。但し、夏場は涼しいから、夏の事を思って今暫くは我慢我慢ですが「住めば都」と思う事にしています。だってリピーターの皆さん、私はプラス思考の人間ですから・・・。

小さい頃はヤセヤセで今はしっかり肉がついているわけは・・・。

 

体重を増やして肉を付けるのは今は簡単だと思っています。リピーターの皆さんだって簡単に答えがわかりますよね。答えは「暴飲暴食を続ける」と言う事です。早食いの習慣がついたのは26歳で児童養護施設の指導員になってからです。早食いがいけないのは同じだけの量を食べても満足感が無くて人一倍食べないと満足感が味わえなくなるからです。だから、どんどんと際限無く体重が増えてしまうのです。年末年始は少し体調を崩していて、食欲もなかったので、3キログラム以上体重が減りました。しかしながら最近は体調も戻り、少しオーバーワーク気味だったので家で大好きな冷酒を飲んだ時には異常な位に食欲が湧いてあっと言う間に体重が元通り以上に増えてしまいました。「わかっちゃいるけどやめられない。」と歌っていた植木等さん状態です。そんな事を考えているときにふと、小さいときの私の事を思い出しています。正直、小さいときは食べる事に執着がなくて、食べるのもゆっくりで、食べている時に眠ってしまうのも度々で・・・。但し、末っ子の長男だったので、好きな食べ物を残していても誰かに食べられる事はありませんでした。

本日は午後から野田聖子衆議院議員の新春互礼会が岐阜市内のホテルであり、午後6時からは彦根東福寺で護摩供養があり、家に帰っての夕食では遅くなるので岐阜から彦根に向かう途中のコンビニでフランクフルト1本、おにぎり2個、サンドイッチ1袋とお茶を購入して車の中で全て食べても満足感は一向になくて「これじゃ、体に良いことないよ。わかっちゃいるけどやめられない。」状態です。小さいときの状態の半分でも残っていればと思うばかりです。さて、彦根東福寺での護摩供養は今年最初の事だったためか静慈彰住職(静慈圓前官大僧正の次男さん)の気合いの入れようは半端無くて素敵なお参りになりましたので、今年は素敵な事がある予感です。但し、1月1日に起きた能登地方での地震による支援をしっかりとして、落ち着きを取り戻してから自分の為、社会福祉法人杉和会の為のお願いをしようと考えています。リピーターの皆さん。本日は20時過ぎに我が家に帰ってコラムは白紙状態で始めたので随分内容の無いものになりましたが、長い人生こういう日もあるよとの寛大な気持ちでお許し下さい。

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石川県能登地方支援隊からの報告

支援隊が昨日帰ってくる事はわかっていましたが雪による影響を心配していたのですが17時前に2チーム共に盲養護老人ホーム「優・悠・邑    和(なごみ)」まで帰って来たのでホッとしながら被災地の状況を隊員から聞く事が出来ましたのでリピーターの皆さんに情報共有をさせて頂きます。

第一チームは珠洲市にある長寿園の支援に入ったのですが、本来であれば定員が百人なのですが金沢の方の避難所に移動されており、残っている20人の方のお世話と共に職員が少なくなっていて出来ていない居室の掃除やベッドの掃除等を積極的に実施したとの事です。最近のコラムでも書きますしたが、珠洲市の考え方は入居者さんを通常の生活が出来る場所に順次避難所に移動させる避難対応型です。

それに対して輪島市にあるゆきわりそうはいわゆる籠城型で、ゆきわりそうの職員が疲弊している、あるいは退職して職員が少ないと言う事での支援です。但し、どちらの施設も電気は来ているが断水で給水には自衛隊の力を借りているのが現状です。そして、輪島市のゆきわりそうでは60人の入居者さんを2日に分けてほぼ3週間振りにお風呂に入って貰って入居者さんから大変喜んで貰えたとの報告に触れ、岐阜県から支援が出来たことを誇らしく思った次第です。

支援に行った隊員からの意見の中で「施設によって状況が違うので事前に情報を入れる事によって必要な物品は違うので、事前の情報は大切だ。」との事です。私なりに情報は派遣先の施設に連絡はしたものの不十分だったとの反省のもと、来週火曜日(30日)から追加で1チームの派遣依頼があったので、本日直接能登町の施設に連絡すると「土日に職員を休ませたいので土日の支援が欲しい。」との事だったので、火曜日からでは土日の日程にならないので、指示を頂いた全国老施協に連絡すると土曜日にも関わらず里中事務局長が対応して下さり、確認を取ってから連絡を頂いた結果、土日を挟むように2月1日からの出発でとの依頼を改めて頂きました。

その後直ぐにも各施設に連絡をしたかったのですが、本日は本部施設で13時30分から地元の方とジョイントカラオケが企画(月1回)されていたのでその対応をしてから(本日は黄色のドレスと赤のブレザーを着て頑張りました。)協力して頂く為の連絡を色んな施設にして、2月1日からのチーム構成の目処がたち安堵しました。

ホッとしたら、我が家の雪どけが出来ていない事を思いだし、急いで帰らせて貰い、しっかり1時間家の前の道路の雪どけをして、今はお風呂にゆったり浸かっています。文字通り「寸暇を惜しまず。」の1日でしたがリピーターの皆さんこの現象は心身共に充実しているからこそと感謝しています。蛇足の様になりましたが本日から5日間飛騨支部が金沢での支援に出掛けました。頑張ってくれる事を祈っています。なお、私は午前中に吉澤施設長と共にレンタカーの返却の対応もさせて頂きました。蛇足ついでに「ただ、旗を降っているだけの会長ではないですから、会員施設も協力して下さるのだと思っています。」

我が家の屋根から雪が

令和6年1月26日

朝、和合に向けて出勤するために玄関の戸を開けると屋根からの雪がドーンと落ちていて道路の向い側の車庫に行くまでに先ずは雪どけをして一汗かくことになりました。そして思ったのは「今回の雪は積もるのも早かったけど、屋根から落ちるのも早かったな。」と言う事です。屋根から雪は勢い良く落ちるので密度が重なるので、そこそこ重みが増しています。

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我が家の家の前の道路は県道なので除雪はしてあるのですが、大きな除雪車なので大きな塊を残して行くので、これまた大変です。朝は出勤前だったので、玄関前しかのけれなかったので、和合の施設から本部施設に向かう途中で一時間だけ我が家で途中下車をして雪どけをして15時ギリギリに本部施設に着き打ち合わせ対応をしました。

打ち合わせは一時間で終わると考えていたのですが意外に時間がかかり、16時25分に終わったので、直ぐに家に帰って雪どけの続きをしに家に帰ろうと考えていたところで珠洲市に派遣された吉澤施設長から「今米原を通過したので予定より早く施設に帰れそうです。」との連絡に、雪どけを後回しにして盲養護老人ホーム「優・悠・邑    和(なごみ)」に行き、無事に帰って来た労いを言いにいかねばと考えて施設に向かいました。

施設に着くと同じような時間に2班とも着いていたので荷物を降ろしてから会議室に集まって貰い、簡単に報告を聞き、それぞれに疲れていると思うので18時20分に解散をして急いで家に帰り玄関先の電気を頼りに雪どけを再開しました。頑張って雪どけをした甲斐がありかなり片付ける事が出来ました。

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雪どけは正直余分な仕事ではありますが、しなければ大変な事になるのでやるしかないのですが、全く生産性の無いものとつくづく思った次第です。本日はくたくたなのでリピーターの皆さん、ここだけでお許し下さい。

明日は石川県に派遣した記事をしっかり書きます。必ず読んで下さいね。

「シーパップ」が無いと熟睡出来ません

昨日は本部施設に行くどころか家にも帰れず、結局和合の施設のゲストルームで泊まることになったのですが、コンビニで買ったお弁当を食べながら大変な事に気が付きました。それは、私の体重が倍近くなり、首回りも36cmだったのが今は47cmのカッターシャツなので、首回りだけで10cm以上太くなった(とほほの話です。)訳で、喉の所にも「肉」が付いているので、いわゆる「無呼吸症候群」で呼吸が止まるのを防ぐ為に「シーパップ」と言う医療機器を装着して寝るのですが家に帰ることが出来なかったので当然ながら和合にはありません。もちろん車の中で寝るよりは温かい布団の中で眠る事が出来るのは良いのですが「シーパップ」が無いのは不安です。事実昨夜の眠りは浅かったと感じています。そんな中で、6時に起きて、施設の玄関先の雪どけをしてから、3フロアそれぞれに入居者さんの座ってみえるテーブルにご挨拶をさせて頂きました。入居者の皆さんはご挨拶をすると良い顔で応えて下さいました。その後は入居者さんと同じ朝食を頂きました。本日は時間に余裕があったので急遽では有りましたが2階と3階の皆さんとお経を唱えさせて貰いお話もしっかりとさせて頂きました。昼食を夜勤明けの北島部長と食べに行ったのですが行った先が一杯でお店で食べる事を諦めて、コンビニでおにぎりを買い車の中で食べました。その後は岐阜県福祉会館で13時30分から指導者向けの研修があり、13時過ぎに会場に行くと会長として挨拶をするように依頼を受けたので、挨拶は石川県能登地方襲った地震の支援に行っている状況を話しました。そして、私は昨日からきたきり雀状態で長靴にジャージのズボンに対する理由を話させて貰いました。15時40分に終了して、本日は迷うこと無く家を目指す事にしました。車に乗って直ぐにラジオを着けたら交通情報を聞く事が出来たのは良いのですが大垣の楽田から西は交通規制がされているとの情報。「冗談じゃない。楽田はもうすぐだぞ。」と思わず叫んでしまいました。但し、道路には雪は無いし「行けるところまで行くぞ」と進んで行くと楽田の交差点は楽々通過出来て進んで行くと今度は車のナビがうるさいくらい「右折してください。」と言うのですが、「まだまだ進める。」と言う事で垂井まで行くとラジオが「21号線の規制は全て解除されました。」との事です。「本日は私の勘が当たっていた。」と言う事で何の支障も無く家に着く事が出来ました。「本日はゆったりとお風呂に浸かって久々に大好きな冷酒を飲むことにしよう。そしてシーパップをつけて爆睡をしよう。」とお風呂前にコラムも書けたし「めでたし、めでたし。」リピーターの皆さんたまには良いですよね。

関ヶ原の雪は半端無い

関ヶ原の雪は半端無い

 

朝目が覚めた6時に外を窓越しに 見ると5cm位だったので、「天気予報で脅された割には大したことなかった。」と思って7時前のNHKの天気予報を見ながら朝食にしようと1階に下りてテレビを点けると天気予報で岐阜市内で14cmと言っているのを聞いて「風が強くて雪が東の方へ流れたので、風が治まったら関ヶ原に強く降るかも知れないな。」と思い朝食後の休憩を取らずに8時前に家を出て和合に向かいました。かなり強く吹雪いていたので時速30キロ位で走って、渋滞をする事無く垂井まで来て大垣に入りしばらくは走れたのですが、パタッと車が動かなくなり、20分程全く動かなくて、その後もジリジリとしか動かなかったので、Uターンをして、旧道を走る事にしました。この頃は吹雪いて前を見るのも大変な状態になり、ゆっくりと走りました。但し、ばたっと止まる事はなかったのですが、かなり大回りをしたので、10時過ぎにしか和合の施設に着きませんでした。情報によると関ヶ原がとんでもない状況になっていると聞いたので昼食のカレーライスを頂いた後、関ヶ原の本部施設に行く事にしました。国道21号線は渋滞をしていると考えて旧21号線を走る事にしました。後少しで垂井に差し掛かる信号手前で、全く動かなくなったので、左折をして養老方面から垂井を抜けて関ヶ原に行く事にしました。ところが、どの道も混んでいて、その度に迂回して、上石津町牧田まで来て、国道365号線が全く動いていなかったので旧道の生活道路に入り、途中まではすんなり行けたのですが、対向車でにっちもさっちも行かない状態で地元の方も多く出ていて下さり、地元の方から「このままでは何ともなら無いからUターンした方が良い。」と言われて、Uターンする事にしたのですが、その時は何人もの地元の方が誘導をして頂けたのは本当に有り難かったし、教訓として、「雪の時は狭い道には入ってはいけない。」と言う事です。再び国道に出たら、やはり全く動いていないので、車から降りて前のトラックの運転手に状況を聴くと「10時から百メートルも動いていない。」との事だったし、そのタイミングで交通情報が入り、関ヶ原を中心にして東西南北の道が交通止めになっているとの事で、本部施設に帰ることも家に帰ることも諦め和合の施設に泊まることにして、またまたUターンをして、しかも、かなり大回りをして和合施設の手前のコンビニでお弁当を買い、和合に着いたのが17時30分。正直、疲れました。

19時のNHKニュースのトップは関ヶ原で30キロの渋滞で大変な状況だと言っていたと言う報告を受け「私の判断は正しかった。」と考えていたら、本部施設の水野施設長から、国道21号線の渋滞の為に帰宅出来ない職員が多くいるとの事で年末に突いたお餅や頂き物のカップ麺や飲み物を提供するとの報告に、本部施設はコミュニティハウスやゲストルームなど、いざと言う時に泊まれるところがたくさんあり、今回は私は和合で一人お弁当を食べるのみで残念ですが、本来だと私が「合宿だ。」と言って災い転じてと行くのですが・・・。でも、違和感無く泊まってくれる事に感謝です。そして、もう一つ嬉しかったのは、関ヶ原の雪情報が全国ネットだったので、心配をして、連絡をしてくれた方が何人かあったのも感謝、感謝です。

珠洲市へ派遣した吉澤施設長から現状報告がきました

令和6年1月23日

昨日17時にようやく連絡が取れて「16時に(珠洲市にある)長寿園に着いて打ち合わせをしています。」と話した後はまたまた連絡がなく、心配になったので本日早朝6時56分にメールで「余裕がある時に連絡下さい。状況がわからず心配しています。」と送っておいたので、7時40分にようやく携帯が鳴り、吉澤施設長の元気な声を聞く事が出来「ほっ」としながら「そちらで良く眠れたか」と聞くと「それなりに眠れました。」との返事が返ってきたので「そちらの状況はどんなもんだ」と改めて聞くと「直ぐに連絡出来なかったのは自衛隊の方が給水に来てくれたので、水を運んでいました。」との返事に「忙しいのに申し訳なかったね。ところで困っている事は何だ。」と聞くと「水に制限があるので風呂が入れないのは仕方がないのですが、洗濯が出来ないので入居者さんも困っているし、断水の地域が広いので、コインランドリーに行くにしてもかなり時間がかかる所に行かなければいけないのは困ります。」との事。電話を切ってから改めて「断水だと言う事で、水洗トイレの水が流せない事とお風呂が入れない事はイメージ出来ていたけれど、洗濯が出来ない事は考えつかなかったので、改めて現地に行かなければ分からない事があるし、本厳しい状況があるな。」と思った次第です。

昨日遅くに全国老施協の災害対策担当者から、「被害が酷かった要介護者が金沢市内の千木園に避難されているので、その応援に27日の土曜日から1チーム派遣して貰えないか」との事だったので、本日その対応をしているのですが、少しづつ支援の仕方が変わっていると感じています。それは、被災した施設での限界がきているのと、少しづつ問題整理が出来て来た事により、被害が少ない地域に移す事が可能になってきた事が考えられます。と言う事は、今後の支援は1.5次避難所あるいは2次避難所への応援支援及び岐阜県内での要介護者の受け入れが大切になってくると思いますので、今迄以上に全国老施協及び岐阜県との連携を密にしなければと考えています。

本日、デイサービスと新館の2ヵ所でお参りをさせて頂いた時に、お経が終了後のお話では被災地が如何に大変かと言う事と、本部施設には今回の地震では被害が無かった事は『平安之福』について話をさせて頂きました。本部施設の入居者さん、利用者さんはお経にしてもお話にしてもしっかり聞いて頂けることに感謝です。

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2班に別れての石川県の救援の見送りに行きました。

令和6年1月22日

全国老施協の依頼があまりにも急だったのですが、何とか1チーム5人の2チームが編成でき、本日8時に盲養護老人ホーム優・悠 ・邑    和(なごみ)を出発するので、私は7時10分に施設に着き10名の隊員とそれぞれの施設長の方が順次来てくださったので、会議室に一旦集まって頂き、派遣する隊員に労いの言葉を述べさせて頂き、8時前に車の前に集合して貰い、岐阜新聞に掲載して頂けると言う事で写真を撮って貰い、それぞれ車に乗車してお見送りをしました。無事に珠洲市の長寿園、輪島市のゆきわりそうに着いて5日間岐阜県老施設協を代表して頑張って来て貰い、26日に無事に帰ってくる事を祈るばかりです。

車はトヨタレンタカーを昨日の内に取りに行き、それぞれの車に荷物も積んであったので、段取り良く出発して行きました。現地の情報では、電気は来ているが断水状態なのでトイレは仮設で 、水については自衛隊が毎朝給水に来てくださっているとの事です。但し、新たな地震が起きないとは限りませんので、寒さ対策用品、飲料水や食料と衛生用品もしっかりと購入したつもりですが、過不足がないのか心配ですが出来る限りの事はやったつもりでいます。お見送りに来て頂いた方々の対応も終え、ここ何日間は石川県能登地方への派遣対応で和合の施設に行けてなかったので、終了次第、和合の施設に行き職員の面談を精力的に行いました。

14時からの全体会に参加して間もなくの14時10分に輪島の「ゆきわりそう」の派遣に行った責任者から「着きました」との報告があり、そのタイミングで全体会にリモートで参加していた当法人の顧問であるびわこ学院大学教授の烏野先生からは「比較的輪島市は交通事情が良いけど、珠洲市は厳しいかも知れないですな」と言われたので心配していると、14時29分に珠洲市長寿園チームの責任者である盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)』の吉澤施設長から「穴吹市内まで来たのですが信号機が全く機能していないので大渋滞です。」との一報がきてから何度か連絡をしたのですが、連絡がつかなくて心配して、副責任者の谷汲の杜の伊藤業務長に連絡すると留守電になってしまい、益々心配になり16時54分に再び連絡すると「施設に着くと直ぐに打ち合わせになり、電話を取れなくてすみませんでした。16時には無事に施設に着きました。」との事。盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)の施設を8時に出て昼食等の休憩があったとは言え、輪島市の施設まで6時間、珠洲市の施設まで8時間と言う事で派遣をしてからも心配は尽きません。

とにかく26日元気に帰ってくることを祈ると共に、これからも被災された方々に対して出来る事があれば積極的に頑張りたいと思っています。

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