2023年12月の記事一覧

九州は温かいのじゃないの

令和5年12月21日

天気予報では「寒波」で凄い状況だと報道しています。尚且つ九州でも積雪があったとの事です。雪の報道で加賀温泉に一気に降ったとの事です。通常であれば私の家から北陸自動車道を走れば3時間もかからないのにと思うと「雪雲の流れは不思議だな」とも思います。でもね、九州に降って関ヶ原に降らないと言うのも有り難いけど、不思議でたまりません。報道の中でも「除雪は大変だ。特に水を多く含んでいるから特に大変だ。」との話に私も「確かにそうだ。私も経験があるから。」と思っています。

除雪車の中には一旦雪を吸い込み遠くに飛ばすものがあるのですが、雪が重くて本来の機能をしない経験があるなと。我が家には積もっていないので、テレビの画面で高みの見物的な発想でいます。施設開設時の頃はたくさんの雪に途方にくれながらも、職員の協力も殆んど望めずどけてもどけても次々に降り注ぐ雪に、心のなかで泣いていたのを今でも覚えています。リピーターの皆さん。本日は朝から忙しく動いていたのでこれまでにします。

忘年会

本日は8時30分の予約で大垣市民病院泌尿器科受診があり(前立腺がん治癒後の経過確認の為)受診前に尿検査と血液検査があるので朝食を6時30分に食べ、我が家を7時前に出発をして車の運転をしていてラジオを聞いていると「忘年会」についての話題をしていて「昭和おじさん」の私は「うん」と思った事が有りました。最初は12月も後10日あまりで勤め先等で忘年会が開かれる事も今年はコロナ感染症が2類から5類になり多くの方が飲み会に参加されているようですが最近の若い方の中には「会費は会社持ちなら参加しても良い」とか「忘年会の時間も仕事として超勤が付きますか。等と言う方も多くみえると聞いています。」との話をされた後に「確かにその様に言われる気持ちもわかりますが」とのだめ押しの論調に私は「おいおい、本当にそれで良いのか。」と自他共に昭和おじさんである私は思っています。確かにコロナ感染症を経験して在宅勤務も出来るようになった業界はコミュニケーションを取りながらと言う事は要らないのかもわかりませんが当施設の様に「介護」「福祉」の種別においては「円滑なコミュニケーション」抜きには業務が上手く回らないところでは難しい事だと思います。勿論飲み会だけがコミュニケーションツールだとは思いませんがリラックスした中での会話の中に仕事に対するヒントや人間関係の構築に役立つ事があると私は考えています。少なくとも本部施設の職員は飲み会にも喜んで参加してくれています。話は変わりますが大垣市民病院の患者さんの多さにはいつもの事ながら驚かされます。だって7時40分からの機械による受付に7時47分に行ったらズラッと並んでみえて、ようやく手続きが終わり2階の検査室に行くと8時の受付を待っている人が山のようで、私はAの13番だったので並ぶことも許されずと言う事で思わず絶句です。何とか検尿と血液検査を終えて泌尿器科に行くと座る所もない状況で結局8時30分~9時の受診予約が10時前に診て貰い(再発はしていないとの事です。)本部施設での11時からの職員面談には間に合いました。その後ご飯に味噌汁を混ぜて昼食を流し込み13時に間に合うように岐阜県福祉会館に向かい岐阜県老施協理事会、和合での打ち合わせ、17時30分からは長城の会に参加して、20時過ぎに我が家にたどり着きました。充実な毎日ですが体調に留意して明日も頑張ります。

昨日のコラムで昼食を抜き、新幹線の中でも何も食べられなかった事の裏話

令和5年12月19日

昨日の全国老施協総会は13時30分からだったのですが、皆さんにご挨拶をしたあと、指定された場所に座るとテーブルの上に水が入ったコップとコーヒーカップが置いてありました。水でお腹が膨れるとは思いませんでしたが少し水を飲み、会議に挑みました。コーヒーカップに珈琲を注いで頂き、緊張感もあったのだと思いますがお腹の虫が鳴る事は有りませんでした。(お腹の肉がカバーしてくれていたのだと思います。)昨日のコラムで書いた様に17時33分の列車には乗れたものの、夕食の食べ物もお土産も買えなかったので新幹線の車中では『忍・忍』。東京に向かう時にかなりの量のコラムが書けていたので小田原に着いた頃には書き終えていたので、「少しゆっくりとしようか」目を閉じていると急激にお腹が空いてきたのか頭に浮かぶのは「何を、どのタイミングで食べようか」と言う事ばかりでした。そして、「ほんの少し前の『ひかり』と『のぞみ』には車中販売が来てくれていたのに」との呪いに近い言葉が次々と出てきました。そして、腹の虫を抑える為にたまたまスーツのポケットに入っていたのど飴が5個あったので「お腹を満たす事は出来ないけれども、せめて喉だけでも満たせれば」と大切に大切にと舐めました。のど飴を舐めながら考えたので「岐阜羽島に着いたら駅構内にうどん屋さんがあるので、何を食べようか」と考えていて「19時30分に店が開いてなかったら、コンビニは開いているだろうから、さてさて何を買おうか。いやいや、養老サービスエリアまで行ってラーメンを食べようかカレーライスを食べようか。それとも両方食べようか」等と考えていて、岐阜羽島で降りて改札を出ていの一番にうどん屋さんが開いているかを確認するとお店の中は暗くて閉店である事が分かり、この段階で「養老サービスエリアまで行って食べるのは無理」と言う事で駅構内の売店で助六とサンドイッチとお茶を購入して、駐車場の車に乗り込み、それぞれのビニールを取り除き食べやすいようにしてから車の運転をしながら食べる事にしました。「だって、限界だったので・・・。」リピーターの皆さん私はこんな性格なんですが今後もよろしくお願いします。

寒い冬の到来です。

令和5年12月18日

昨日、和合で久しぶりにカラオケをさせて頂き、(入居者さんからは温かく迎えて頂きました。)和合でのクリスマス会と餅つきの打ち合わせをして、書類の整理を終えて、介護福祉士の受験対策の為に来て頂いている烏野先生及びデイサービスのコンサルの為に来て頂いているトラピの斎藤さんと昼食を共にする為に急いで本部施設に向かいました。

その後本部施設でも書類の整理をしたり、組織改編の打ち合わせをしたり、トラピの斎藤さんとの打ち合わせをしたりしていて17時過ぎに帰らせて頂いたのですが、車に乗ってしばらくすると車からのお知らせ音がなりました。それは3℃以下になると知らせてくれる音でした。私は「3℃以下になったと言う事は寒くなって来たな。」と思いつつ運転していると車の温度計が2℃になり、雪がちらついて来ました。「正に冬到来だ。」と思った次第です。

その時「明日は東京出張だし、寒さ対策をしなければ」と思った次第です。眠りが浅くて布団の中でウダウダしていて、7時に朝食の為に下に降りて行くときにガラス窓越しに外を見ると雪がうっすらですが積もっていたので、思わずガラケーの携帯で写真に収めました。本日は13時30分から東京都市センターホテルで全国老施協の代議員総会があり、終了後に政治連盟の総会があるので、羽島を10時15分のひかりに乗る予定でいたのですが、どうしても作成して総会時に間に合わせたい資料があったので9時前に本部施設に行きパソコンで作成してプリントアウトしたものを持って車に乗り予定通りに10時15分のひかりに乗り今は車中でコラムの原稿を打っています。

本部施設を出て車を運転して直ぐに気が付いたのは車の温度計は0,5℃で雪が結構降っていました。そして、羽島で高速を降りた時には4,5℃だったので、改めて本部施設がある今須は雪が多くて寒い所だと思いました。でもねリピーターの皆さん「住めば都」なのであります。もうすぐ豊橋なのですが青空の晴天です。この調子でいけば富士山の雪景色をガラケーの携帯に収めれるかとワクワクしてます。綺麗に撮れたらリピーターの皆さんにもお裾分けしますね。

富士山はまだかまだかと窓越しに見ていて残念ながら富士山は黒い雲に被われていましたので、綺麗な富士山を撮る事は出来ませんでした。リピーターの皆さん不思議に思いませんか。富士山の所だけ黒い雲に被われていたのですよ。これは正に「富士山の綺麗な雪景色は簡単には見せないぞ。」と言っている様に思いました。時間に余裕がある列車に乗ったのですが東京駅で全国大会で大変お世話になった役員さんから声をかけられたので、総会会場までご一緒して、会場の受付をしていろんな方にご挨拶をして、自分の席についてはたと気が付いたのは昼食を食べていない事でした。「一食くらい抜いても大丈夫だ。」と考えて総会に挑みました。

総会に引き続いての政治連盟の役員会に挑み終了したのが16時45分だったので、「17時33分のひかりに乗るのは楽勝だから直ぐにタクシーに乗れば何か食べるものを買って土産も買えるな。」と考えてタクシーは順調に乗れたのですが走り出してしばらくしたら、信号が赤信号のまま変わらなくて結局、予定の列車に乗る事は出来たのですが、土産どころか食べるものも買えずに飛び乗りました。

そしてつくづく思ったのは、いつもの口癖「予定は未定で決定ではない。」と言う事と「何時になったら食事にありつけるのか。」と言う事でした。しかしながら、私のお腹にはいっぱいお肉があるのだから大丈夫です。と一人で強がっています。リピーターの皆さん私はこんな性格ですがこれからもよろしくお願いいたします。

介護報酬改正の政府発表に対する私なりの見解

介護サービス事業者への収入にあたる介護報酬の2024年の改定を1.59%引き上げる方針が固まったとの新聞報道に「診療報酬よりも上げ幅が大きいから納得しなさい。」との財務省の考えが透き通る様にみえるなと正直思いました。診療報酬が抑えられたのはコロナ感染症対策の中で手厚い報酬が確保されたからだと私は思っています。

1.59%引き上げの中には賃上げ対応分が0.98%が含まれていて、これとは別に施設の光熱水費と言った物価高騰への対応分が0.45と言う事で事業者には実質的には2.04%相当の引き上げ効果が見こまれるとの事です。

上げ幅を巡っては、財務省が1%強を主張し、厚生労働省は約3%を求めて調整が続いていた。とのことも報道されていたが、まさかそんな事はないと思いますが、財務省の1%と厚生労働省の3%の中をとって2%に落ち着いたと言う事では無いでしょうね等と邪推したくなってしまいます。

介護報酬を1%引き上げるには約1380億円増えると言う事ですが、職員の資質向上と職員確保をしっかり行い介護事業の安定により、安心が確保されることは国民のご理解を得られる様に思うのですが、リピーターの皆さんはどの様にお考えになられますか。

低賃金の世界では良い人材を確保する事は出来ませんし、入居者さんの「今日一日楽しかったよ」を形にするのも難しくなってきます。昔の武士の精神論の中に『武士は食わねど高楊枝』と言うのがあったそうですが、現実にはそのような事は有り得ません。確かに無駄を無くす事も大切ですが、それぞれの事業所で考えられて実践されていると思います。

机上論では無く現実を理解した回答を国が示して下さる事を切に願っています。政治的な後押しも必要ですので、そのためには多くの国民の理解と協力が必要です。少なくてもリピーターの皆さんのご理解はよろしくお願いいたします。

パソコンを開くとベリーダンスの情報が満載です。

令和5年12月16日

以前のコラムで『セクシー 田中さん』の事を書きましたが、最近パソコンを開くとベリーダンスの情報が満喫です。見るとは無しに見ると(結局見ているのですが・・・。)「最近急に話題騒然になっているのは何故か」と言えば、思い当たるのは毎週日曜日午後10時30分からの番組である『セクシー 田中さん』だと思うのですが。私は午後10時30分からの番組を見るのは絶対に無理なので録画撮りをして時間を見つけて、リラックスタイムに見ています。私は原作のコミックを読んでいるわけではありませんので、録画撮りしたのを見ながら次の展開を楽しみにしているのですが、次の展開が全く読めなくてワクワクしたのは話題沸騰だった『VIVANT』ですが、正直その後番組の『下剋上 球児』は真逆の展開で、これはこれで面白い(これも録画で楽しんでいます。)けれども、ワクワク感はなくて気軽さを楽しんでいます。

さて、ベリーダンスに話題を戻しますが、1番組での経済効果は凄いものがあると言うのはテレビによる効果だと思います。そう言えばNHKの大河ドラマ『どうする 家康』では勿論『関ケ原合戦』も当然出て来たわけですが、関ケ原町の住民である私の感覚では、経済効果があったかは定かではありません。確かに関ケ原町を訪れる方は多くなった事は理解出来ますが、さてさて関ケ原町の商品が売れているかと言うと「魅力あるものがない」つまり 関ケ原にはゴミしか落ちないと言うと言い過ぎだと怒られるかもわかりませんが・・・。立派な建物を岐阜県で建てて頂く計画が挙がった段階で先行投資をした商品の開拓は、私が知る限りはなかったように思います。

本日は地元の高木さんとのカラオケジョイントで6曲も歌わせて頂き、完全復調まであと僅かと言う事で、明日からは本格的に稼働していきますのでリピーターの皆さん、元気になりつつある宏君をこれからも宜しくお願いします。

 

大谷翔平に対する私の言いたい放題

令和5年12月15日

本日は朝の8時過ぎにNHKを含めて多くのチャンネルが大谷翔平のドジャースへの入団発表を放映していました。大谷翔平はブルーのスーツにネクタイもブルーで颯爽と画面に映り誰が見ても惚れ惚れする姿でした。「天は二物を与えず。と言うのは嘘だね 。」とつくづく思いました。勿論、大谷翔平の野球に対するひた向きな努力が結果を生んでいるのはわかりますが「桁外れ」の表現がこれ程ぴったり当てはまるのは後にも先にも大谷翔平だけだと思います。契約金が7億ドルと言う桁外れな事にも脅かされます。今は円高傾向にありますが、発表された時のレートで1015億円との事でいつもは「端数だけでもまけなさい。」と言っている私が「端数の15億円で良いので欲しいな。」等と言っている次第です。「契約後の10年後に残金を貰えば良いので3%だけ来期は貰う。」との報道にも「3%でも2億円を越えるがね。」と全く住む世界が違う話題には付いて行けません。但し、大谷翔平は有言実行してくれると信じていますが、プレッシャーすら楽しんでいるように思えるのには舌を巻くしか有りません。私は10年間大谷翔平の生きざまを見守っていきたいと考えています。

外国人材について

令和5年12月14日

当法人の本部施設では平成19年度のEPAによるインドネシア人介護福祉士候補生(男女各2人)の受け入れから特定技能によるベトナム人、ネパール人、最近ではバングラディシュ人の契約もして、年が明けると技能実習生としてインドからもやってきます。色んな国から来てもらう理由はそれぞれの国の特性を生かしてケアをして貰いたいとの考えからです。

今は岐阜県老施協の会員施設の会合で外国人材の話をしたり、研修を組んでも当然の様に対応して貰えますが、私が岐阜県老施協の会長になった11年前に「外国人材の連携」の話をしても時期早々と言われたものですが、今、会員施設からその様に言われる事は有りません。それどころか、先月実施された全国老施協全国大会岐阜大会では、外国人材のブースまで作らせて頂きました。

本部施設で最初に導入した時にはインドネシアからだったので「イスラム教の祈りについてはどの様に対応したら良いのか」とか「礼拝堂を造るべきか」等との心配の声がありましたが、その様な心配は杞憂の様に過ぎ、今では、お互いにスキルアップ出来る様な配慮をしています。「10年ひと昔」とは上手い表現だと思いますが今の進展の仕方はかなり早いのでその進展に遅れないように頑張っていきたいと考えています。

 

本部施設でフロア責任者会議が行われました

令和5年12月13日

10時の定刻に始まりました。会議時間を短くする為に、それぞれの立場で資料を作成して、事前に提出して貰っています。提案書の内容については、今では充実したものになってきたとしみじみ思っています。参加しているメンバーは各フロアのナンバー2で、入居者利用者の事もしっかり把握していないと、他の参加者から指摘を受ける事になるので、お互いに切磋琢磨出来ていると思います。参加者はナンバー2とは言え、実務経験10年以上のメンバーが揃っていて頼もしい限りですが、貪欲な職員ばかりなので、入居者の方がより良い生活をする中で「今日一日楽しかったよ」と言って貰う為に多岐に渡る話題が出ますので、11時30分までの1時間30分がとても充実したものになっていまが、会議参加者は昼食準備の為に各フロアに急いでいきました。

私は本日13時30分から本館1階、本館2階でのお参りがあるので、書類の整理をしてから昼食を頂き、間隙を縫ってコラムを打っていると1階の職員が呼びに来てくれたのでお参りに行き、入居者さんの前で「今年最後のお参りですので大きな声でお参りしましょう。」と言って始めました。正信偈と般若心経を唱えさせて頂いた後、「もういくつ寝るとお正月」と歌ったあとで指で数えて「今日を入れて19日しかありませんが、26日には一日遅れのクリスマスで、プロの演歌歌手の山崎ていじがきてくれますし、29日には餅つきもありますので楽しみにしていて下さい。」と挨拶をしていると入居者さんの一人の方が「あの人お腹が大きいけどいつ赤ちゃんが生まれるの」と言われたので私はお腹を擦りながら「30年お腹の中で育てているのですが出てきません。」と答えながら、その入居者さんに近づいて「この立派なお腹を擦ると幸せになりますよ。」と言うと大真面目に手でお腹を擦って下さいました。

その後、山崎ていじの「昭和男唄」を歌ってから2階に上がり、引き続きお経を唱えさせて頂いたのですがリピーターの皆さん、今日のコラムは「ここまで」と言う事でご理解下さい。

 

雪の話の色々をします。

私の記憶には無いのですが(多分2歳の頃)、アメリカ軍が駐留していた頃に大雪が降り、その頃の国道は道幅が狭く積雪の中で対向出来ない状況があり我が家の前で停まったままの車が3日は動かなくて、その中の1台が駐留軍の車であり、私の父がアメリカ軍の方を家に招き入れ、寝食を提供したそうで、道路の車が動く様になって世話になったお礼にと置いて行かれた滅茶苦茶大きな毛布が家の押し入れにあるのを見ては父からその当時の話を聞いたものです。

現在、3日も車が停まっていたら大きな社会問題になるのでしょうが、その頃は「我慢するしかないな」と言う事だったのでしょうか。

高校時代の話をします。その時も国道21号線は車が動かなくて、関ケ原駅まで歩くしかなくて同級生と一緒に車の間を縫って歩いて行くと改札口の所に「高校は休校です。」との掲示があり、今度は家に向かって歩く事になりました。50年以上前の事ですから当然の事ながら携帯電話なるものはありませんから「ラインで連絡」等と言う事はないので「仕方がないな」と言う事だったと思います。

大学時代にも大雪が降り、雪の重みで家が「ミシミシ」言い出した時に父進が「明日は朝から大屋根に上って雪下ろしをせなあかんな」と言われ翌朝は青空の中梯子を使って大屋根まで上がりました。我が家の西側は川があり、川の方を見ると「ゾッ」とする様な高さに緊張したのを今でも覚えています。その後も何度か大屋根まで上がり雪下ろしをしました。私が父親になり中学生になった子どもと一緒に雪下ろしをした時には2階の屋根から雪の中にダイブしたのも思い出深いです。

最近はそこまでの雪は降らなくなりましたが、本日入職したネパールの男子に「雪は降るのか」と聞くと「知りません」との事だったので「温かくして頑張ってね」と話をしました。リピーターの皆さん、雪は楽しみでもありますがほどほどにして欲しいです。私は先週車のタイヤをスタッドレスタイヤにしたので大丈夫と思っていますがお互いに気をつけましょう。

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