5時10分にお墓参りの為に家を出たのですが、2つの事を思いました。
1つ目には「寒いな」と言う事で、2つ目は歩きだして気が付いたのですがタイトルの通り「東の空より西の空が明るいです」と言う事です。その現象は夜明け前で月の明かりが半端なく明るかったと言う事です。
特に今の時期は空気に透明感がある為なのか本当に綺麗でした。この様な事を若い時には感じませんでしたが今は・・。いやいや感性が豊かになったんだと思うのですが、リピーターの皆さんはどう思われますか。
妙応寺の六地蔵さんの前掛けと帽子が新しいのに替わっていました。私は自分では作る事が出来ないので気にはなっていたので新しくなっていて良かったと思いました。当然六地蔵様ですから6対作らなければいけないので、大変な労力だったと思いますので本当に有難い事だと思いました。
滋賀県の方から伊吹山文化資料館で旧徳山村の紹介を増山たづ子さんの写真を中心に開催されていると聞いていたので、午前中は和合でのカラオケを終えてから本部施設に移動して、昼食をとり終えた頃に家族会の吉田会長さんが家族会主催の誕生会におみえになり、誕生会が終わった後お見送りをしてから、米原市伊吹山文化資料館に行きました。
本部施設からはそれ程遠くはない所にあるのですが、行った事が無かったのでナビを頼りにして行ったのですが迷うことなくナビに案内して貰いました。
敷地の中には車が1台しか停まっていなかったので「開館しているのか」と怪訝な思いで入って行ったのですが、受付の窓口に人がみえたので「徳山展を見に来ましたが大丈夫ですか。」と言うと「2階に展示してありますが1階にも素晴らしいものが展示してあるので見て下さい。と言われたので、私が一番聞きたかった事を聞く事にしました。
「どうしてこの地で徳山村の紹介がされているのですか」と聞くと「私はダムで沈む前に考古学の調査で入らせて貰って関りを持ったので」と言われたので「私は26歳の時に増山たづ子さんの民宿で5カ月間居候をいていたので、私の方が時代的には早いですかね」と話をしてから館内を見て回りました。
先ずは1階を見て昔懐かしいものが一杯有り「私が小学生の時に持参した豆炭アンカがあったので「確かに今はそんな物を見る事は無くなったな。」と思った時に思い出したのは大学時代に郷土研究の会と言うサークルの顧問だった祝(はふり)宮静先生が言われた「1年に1回同じ場所で撮影をし続けて30年やり続けたら立派な研究になりますよ。」と言われたのを思い出しました。
感傷に浸りながら2階に行くと増山たづ子の天真爛漫な顔を見る事が出来、亡くなっても未だ健在と言うのは素晴らしい事だと思いながら一点一点見させて頂きました。
作品を見ていると26歳の頃の事が蘇ってきてなかなかその場を動く事が出来ませんでした。考えてみたら44年も前の事なので私にとっても若き日の良き思い出。
そう言えば増山たづ子さんの民宿から近い所でお世話になった近所の方が、女優志望だった娘さんと私を一緒にしようとされていたけど娘さんには相手にされなかったけど今、彼女はどうしているのか等と思っていると楽しい気分にもなりました。
リピーターの皆さん、太平楽な事を言っているのですがこれからも宜しくお願いします。