静慈圓前官大僧正が本部施設と和(なごみ)の施設に来て下さいます
令和5年8月21日
静慈圓先生の事はこのコラムでも何度か書かせて頂いていますが、本日当法人にお山(高野山)を下りてわざわざ来て頂くのを機に、改めて書きます。(かつての内容と重複する内容も出てくると思いますがご了解下さい。)
静慈圓前官大僧正との出会いは、本部施設新館建設に際して滋賀信行会の内藤会長に「施設に祈りのものを導入したい。」と相談した事から始まります。(本館建設時も内藤会長に仏間に浜仏壇の中にステンドグラスを入れて頂くアイデアを提案して貰い、オリジナル仏壇を作成して頂きました。本館の仏壇も一度見に来て下さると嬉しいです。)内藤会長からの提案は、静慈圓前官大僧正に4ユニットに祈りの籠った梵字を書いて頂くと言うものでした。そんな事が現実的に出来るのかと訝しく思ったのですが、内藤会長は軽く「大丈夫や、書いて下さいますよ」と涼しげに答えたのを今でも覚えています。
静慈圓前官大僧正の事を改めて書きます。その当時(2005年)既に、空海が遣唐使で中国に行かれた際に難破し漂着されたのがタイに近い所で、そこから当時の都があった長安の都までの2400キロの足取りを調査団の団長として20年間勤められ発掘され、当時でも既に中国では有名な方で、尚且つ西暦3世紀頃の書家で王羲之に並ぶ書家と中国が認めたことにより、王羲之の墓誌の隣に静慈圓前官大僧正の碑が建立されているくらいの評価を受けられている方です。(ちなみに私も除幕式典に随行させて頂きました。)最近では真言宗総本山金剛峰寺の金堂(一般に言う本堂)内に掛けられていた100年前の有名な絵師の大きな掛け軸の痛みが激しいと言う事で、書き換えの掛け軸2筆を静慈圓前官大僧正が画かれて、今は金堂に掛けられています。(金堂に設置される前に大阪ローガロイラルホテルでのお披露目会に参加させて頂きました。)
※なかなか本題に入らずすみませんでした。※内藤会長のお骨折りにより、見事な梵字を各ユニットに書いて頂き、その縁で新館が事業開始した2006年から毎年本部施設にきて頂き、仏間でお経を唱えて頂くと言う恐れ入る様な事をして頂き、その都度関ケ原の料亭で酒宴を催させて頂き、その素晴らしい出会いを持って頂きたいと言う事で、日頃お世話になっている方をご招待して来て本日もその予定でいます。(招待した中では、遠く鹿児島県や栃木県からも来て頂いています。)
最近はコロナの影響によって中止していたのですが、例外的に盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の建設に合わせて多くの作品を書いて頂き、尚且つ竣工式典では書の実演までして頂きました。(優・悠・邑 和の玄関先に掛けてあります。ちなみに『愛染明王』の梵字だそうです。)8月に来て頂くのは4年振りなのですが、80歳になられてもお元気で行動的な静慈圓大僧正にお会い出来る事を楽しみにしています。
さてさて本日はどんな話題で盛り上げて頂けるのか、取り敢えず15時に本部施設に来て頂き盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の施設にも行って頂き、料理屋さんでは招待した方がお迎えして下さる段取りになっています。