2023年08月の記事一覧

静慈圓前官大僧正が本部施設と和(なごみ)の施設に来て下さいます

令和5年8月21日

静慈圓先生の事はこのコラムでも何度か書かせて頂いていますが、本日当法人にお山(高野山)を下りてわざわざ来て頂くのを機に、改めて書きます。(かつての内容と重複する内容も出てくると思いますがご了解下さい。)

静慈圓前官大僧正との出会いは、本部施設新館建設に際して滋賀信行会の内藤会長に「施設に祈りのものを導入したい。」と相談した事から始まります。(本館建設時も内藤会長に仏間に浜仏壇の中にステンドグラスを入れて頂くアイデアを提案して貰い、オリジナル仏壇を作成して頂きました。本館の仏壇も一度見に来て下さると嬉しいです。)内藤会長からの提案は、静慈圓前官大僧正に4ユニットに祈りの籠った梵字を書いて頂くと言うものでした。そんな事が現実的に出来るのかと訝しく思ったのですが、内藤会長は軽く「大丈夫や、書いて下さいますよ」と涼しげに答えたのを今でも覚えています。

静慈圓前官大僧正の事を改めて書きます。その当時(2005年)既に、空海が遣唐使で中国に行かれた際に難破し漂着されたのがタイに近い所で、そこから当時の都があった長安の都までの2400キロの足取りを調査団の団長として20年間勤められ発掘され、当時でも既に中国では有名な方で、尚且つ西暦3世紀頃の書家で王羲之に並ぶ書家と中国が認めたことにより、王羲之の墓誌の隣に静慈圓前官大僧正の碑が建立されているくらいの評価を受けられている方です。(ちなみに私も除幕式典に随行させて頂きました。)最近では真言宗総本山金剛峰寺の金堂(一般に言う本堂)内に掛けられていた100年前の有名な絵師の大きな掛け軸の痛みが激しいと言う事で、書き換えの掛け軸2筆を静慈圓前官大僧正が画かれて、今は金堂に掛けられています。(金堂に設置される前に大阪ローガロイラルホテルでのお披露目会に参加させて頂きました。)

※なかなか本題に入らずすみませんでした。※内藤会長のお骨折りにより、見事な梵字を各ユニットに書いて頂き、その縁で新館が事業開始した2006年から毎年本部施設にきて頂き、仏間でお経を唱えて頂くと言う恐れ入る様な事をして頂き、その都度関ケ原の料亭で酒宴を催させて頂き、その素晴らしい出会いを持って頂きたいと言う事で、日頃お世話になっている方をご招待して来て本日もその予定でいます。(招待した中では、遠く鹿児島県や栃木県からも来て頂いています。)

最近はコロナの影響によって中止していたのですが、例外的に盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の建設に合わせて多くの作品を書いて頂き、尚且つ竣工式典では書の実演までして頂きました。(優・悠・邑 和の玄関先に掛けてあります。ちなみに『愛染明王』の梵字だそうです。)8月に来て頂くのは4年振りなのですが、80歳になられてもお元気で行動的な静慈圓大僧正にお会い出来る事を楽しみにしています。

さてさて本日はどんな話題で盛り上げて頂けるのか、取り敢えず15時に本部施設に来て頂き盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の施設にも行って頂き、料理屋さんでは招待した方がお迎えして下さる段取りになっています。

入居者さんから貴重なアドバイスを頂きました。

令和5年8月20日

朝のお参りの4ヵ所目を終えて、入居者さんにご挨拶をして回っている時に貴重なアドバイスを頂いたので、そのお話をさせて頂きます。

その入居者さんは、かつて高校の校長先生をされていた方で、絵も得意で本部施設の地域交流スペースにも大きな絵を飾らせて頂いています。絵を画いて貰うのは、施設では現実的でない事を理解されていて、ちぎり絵を沢山完成されたのを施設内に飾らせて頂いています。また、自宅で生活されていた元気な頃は盆栽も見事なのを造られていて、施設に入居されてから「息子はなかなか水の管理をしてくれないので、駄目になってしまう。」と言われていたので、庭師さんに車を出して貰い、立派な盆栽を施設に運び、その後の管理は職員の協力を得て欠かさずされています。(本館の玄関先の芝生の所に、大きくて立派な紅梅・白梅があります。見事な花を咲かせる春に見に来て下さい。)

また、施設入居されて3カ月が経過して、生活にリズムが出来た頃から毎日ノートに鉛筆で般若心経を書かれているのも頭が下がる思いです。(既に6年続けられています。)そんな入居者さんと朝の会話をしていて素晴らしいアドバイスを頂いたのです。それは私が大垣の和合の施設に籍を置いた事をご存じで「大垣の施設はどんな風ですか。」と声を掛けられたので「やるべき事が沢山あります。」と答えると「私も新天地の学校に赴任するたびに、前の学校との違いにいらいらしたものです。急激に変えようとすると難しい問題も出て来るので、じっくりと構えて自分のお考えを進められたら良いと思います。」と言われたので、私は「経験の中からの言葉は重いな。」と思った次第です。

その入居者さんとのご縁についてですが、最初は本人のお母さんからでした。本部施設での対応に共感して下さっていて、その頃の家族会役員も務めて頂きました。次には奥様のご縁を頂く事になりました。その頃はバリバリにお仕事をされていたにも関わらず「連れ合いは自分が介護する。」と言われていて、現実には無理だとの話が私の耳に入りましたので、私は家まで話をしに行って納得をして頂いての入居となりました。(正直その時は、厳しい事を言った様に記憶しています。)そして、6年前に本人さんが入居の運びとなったのです。

入居される前に病院に事前訪問で伺うと、意気消沈されていて生きる気力も失っている様に感じてしまいました。実際に入居された当初は「眠れない。」「生きていても仕方がない。」「家には帰りたくない。」等と言われて、薬での調整も上手く行かなかったのです。しかしながら、前述した入居3カ月後には心身共に施設での生活にも慣れられ、職員への『指導』もしっかりして頂く存在になり、生き生きと施設での生活を満喫され「家に帰らない」と言われていたのが嘘の様に、家へ帰られる時等、当日前からウキウキされているのが分かり、当施設に来て頂いて良かったと思っています。

リピーターの皆さん、決して本日紹介した方だけが生き生きされているわけで無い事を見に来ていただけると嬉しいのですが。

本部施設での朝のお参り5日目です

令和5年8月19日

5日目と言う事での対応なのか管理宿直者が北島部長で夜勤責任者が西川課長だったからなのかは明日からの対応を見ていかなければわかりませんが、お参りをするのには最高の配慮がされていましたし、お参り後にはご褒美があったので(後述します。)最高の1日のスタートとなりました。具体的には北島部長が私の仏間でのお参りをする前に花の水替え等をしてくれていて、もう一つ感動したのは私がお経を終えて仏間の電気を消そうとしたら北島部長が氷水を持って来てくれた事です。あまりにタイミングが良かったので多分、私のお経を聞きながら待機していてくれていてくれたのだと思います。

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私はあまりの嬉しさに「あまり私に対して過保護にするな。」と素直でない変化球の言葉を投げかけてしまいましたが私の心情を北島部長は受け止めてくれていると思います。仏間終えて本館1階に行くと既に私が来ることを予測したような対応で準備が万端整っていました。入居者さんも私がお参りに来たことが分かった為かデイルームに集まってきてくだれたのでそれぞれにご挨拶をして正信偈と般若心経を唱えさせて頂き、お参り終了後は入居者さんにお礼を言ってから「2階に行ってお参りをしてきます。と軽やかに2階への階段を上がって行くと2階では多くの方が私を待ち構えている様に多くの方がデイルームに集まってみえたので大きな声で朝のご挨拶をしてからお経を唱え様とするとコップにラップがしたお水が置いてありました。

お経を参加されてみえる皆さんで唱えた後、準備してあったお水を「本日3杯目だな。」と思いながらも有難く頂きました。飲み干してから「これから新館に行ってきます。」と言うと何人かの入居者さんが手を振って見送って下さいました。私が改めて思ったのは「高齢者施設で25年頑張ってきて入居者さんは温かいな。」と言う事でした。新館では仏壇が入居者さんがおみえになるところでは無いのでわざわざ来て頂くわけにはいかないのでそれぞれの仏壇の所で般若心経を唱えさせて頂いてから皆さんの所にご挨拶にいきました。

1階でも2階でも5日目と言う事で何人かの入居者さんから「毎日早いな」とか「理事長さん、体を気を付けてね」とか「今日も理事長さんの顔を朝から見られて嬉しい」とか「毎日朝早くて奥さんに怒られへんの」等と声を掛けて頂き私自身のモチベーションが上がりっぱなしです。「あっ、そうだ。ご褒美について書いてない。」と言う事で『ご褒美』について書きます。

と言うのは、朝食を本部施設でお願いしているのですが、厨房での提供で「入居者さんと同じもの」とお願いしてあり、入居者さんと同じ分量で提供されていて「ご飯の量だけで良いので大盛にして貰えないか」と職員を通じて(私がお願いすると角が立つと思って・・・。と言うより恥ずかしくて・・・。)言ってあったのですが昨日までは普通盛りだったのですが北島部長と同じどんぶり飯だったのです。お腹が一杯になった分今日も絶好調で頑張ります。

昨日の今日で感動しました。

昨日烏野先生によるBCP(事業継続計画)の研修を3施設合同で実施したことは昨日のコラムで書かせて頂きました。そんな中で本日10時から盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)の全体会があり(全体会前に入居者さんと一緒にお経を唱えさせて頂きお経の後私がカラオケで3曲歌わせて頂いたのですが。)全体会終了後、昨日烏野先生から頂いた職員用のアンケートが配られると共に施設の図面を職員に配り消火器と消火栓の位置の確認をすると共に吉澤施設長から「日頃から目にしていながらも、消火器の位置も消火栓の位置も頭の中に入っていなくて、いざ必要な時に活用出来ない事がある。」との前おきをして「自分も児童養護施設の指導員時代に施設の近くにある小屋が燃えて消火器を施設に取りに行っても何ヵ所か設置してあるのを素通りしてしまった。」との体験談をしてくれたのは説得力があるなと感心しました。タイトルの『感動』したと言う尾は吉澤施設長のフットワークの良さです。確かに『鉄は熱いうちに打て』との諺がある様に「よし、やるぞ」と思って間髪入れず行動に移せた事です。本日も朝5時に本部施設のゲストルームで目覚め、洗面を終えてから本館1階の仏間で正信偈と般若心経を唱えてから、本館1階のデイルームに行き1階の入居者さんにご挨拶をすると共に入居者さんと共に正信偈と般若心経を唱えて一緒にして頂いたお礼を言うと「理事長さん明日も来てくれるの」と言われたので「明日も頑張って来ます。」と言って2階に上がって気が付いたのは1階も2階も私が来ても良いように準備が出来ていた事です。そして2階では「1階に続いての2階で大変だろう」と言う事で冷たい水まで準備してくれた事です。正にこの対応は「相手に対して何をすれば助かるだろう。」と言う事だと思いました。本部施設本館が事業開始をして25年の月日が経過して言い続けて来たことの成果だと思います。『ローマは一日にして成らず』だと思っています。そして新館の1階と2階でもお経を唱えたのですがそれぞれのフロアで「理事長さん、最近朝早くに来て下れて嬉しいけど体を大切にして下さい。」と異口同音の様に言って頂いて涙が出る程嬉しいです。そう言えば私は和合で地域に開放したカフェ「そわか」でご挨拶をさせて頂いた時も「私の趣味は仕事ですから何なりと申し出て下さい。」と要らんことを言ってしまっていました。リピーターの皆さん、こんな私ですがこれからもよろしくお願いします。

BCP(事業継続計画)作成に伴う研修が開催されました

令和5年8月17日

本日、社会福祉法人杉和会の施設合同の研修が開催されました。講師は当法人の顧問であり、びわこ学院大学教授・福祉リスクマネジメント研究所所長の烏野猛先生です。烏野先生には午前中も本部施設の幹部会にもスーパーバイザーとして出席して頂きました。幹部会は11時40分まであり、研修会は13時30分からで、午前中の参加はリモート参加で午後からの研修はリアルであり、尚且つ昼食は本部施設でして頂く事になっていた(本当は鰻を予定していたのですが予約で一杯と言う事でローソンのお弁当になったのですが)ので11時過ぎにコメントを頂き「飛んで来て下さい」と無茶な事を言って研修前の昼食に間に合う様に来て頂きました。烏野先生は現在55歳。つまりわたしより15歳も若いのです。15歳もの歳の差があるにも関わらず30年近く親しくして頂いている事に感謝です。本日の研修のレジメの中で【BCP作成を「目的」にしないため、実効性のあるBCPを作るには・・・?(BCP作成は、あくまでも「手段」)】と書いてあり私も常日頃「マニュアルは作るのが目的では無くて実施できて完成する。」と言っている事と共通すると思いました。3施設が共同開催する研修は初めてで、多くの参加を得たいと言う事でリアルの参加者(25名)の他にも各施設でリモートの参加をする職員も多数いて有意義な研修となりました。烏野先生の講演内容は一貫したものである事は分かっていましたが久しぶりの講演を聞き話し方に旨みが出て来たなと思いました。烏野先生は神戸市出身で阪神淡路大震災以降は災害とリスクマネジメントについての実践を積まれてきた事により、実践をしてきた研究者としての「凄み」が出て来たなと思った次第です。烏野先生は全国老人福祉施設協議会が開催する研修に関わられるようになってから全国を股にかけての講演活動と共に災害が起きた時には機敏な行動をされ実態把握に勤められている事には頭が下がります。30年近くも親しくさせて頂いているのは多分に「行動を伴うアプローチを形にしていく」と言う事ではないかと考えています。これからも親しくお付き合いをさせて頂きながら15歳も歳は離れていますが良きライバルとして長くお付き合いさせて頂きたいと考えています。丁度2時間休憩もせずお話をして頂き、烏野先生は次の予定があり早々と帰られ、私もバタバタと和合の施設に行きました。お互いに忙しい身ではありますが時間を上手に活用した生き方をしていきたいとも考えています。

凄い雨です

令和5年8月16日

昨日9時過ぎに関ケ原町にも暴風及び大雨の警報が出て、「デイサービスを休止して良かった。」とホッとしてから大垣和合に向かいました。車に乗る前も傘をさしていたとは言え、結構濡れました。その後、車を走らせている時にはバケツを引っくり返す様な雨で、前を走っている車について行くように走りました。走りながら、車を降りた時にどしゃ降りだったら嫌だなと考えていたのですが、ほんの少し前は凄い雨だったのに駐車場に着いた時には小康状態で、傘はさしましたがさほど濡れること無く建物に入る事が出来ました。自己本意の考え方ですが「日頃の行いが良いから」等と呟いている私がいます。

昨夜は雨も大したこと無く「有り難いな」と思いましたが、ニュースを見ていて鳥取県ではとんでもない状態であることを理解しました。昨夜20時過ぎに眠ったので、今は午前3時30分でテレビを点けたらずっと鳥取県や岡山県では大変な状況である事が報道されています。窓を開けて外を確認しましたが、暗いのではっきりはわかりませんが、大した事が無いし天気予報でも台風がかなり西に行った様に言っていますので、再び寝ます。

昨日同様5時には起きようと考えていたのですが4時29分に和合の夜勤責任者から電話があり、看取りの方が亡くなられたとの連絡だったので嘱託医の多賀先生に連絡をすると「親父(老先生)に連絡してくれ」との事で連絡すると「5時30分には和合に行きます。」との事だったので、急いで出掛ける用意をして和合に向けて車を走らせました。本日もお盆休みのせいかトラックは走っておらず、乗用車もまばらにしか走っていなくて、予定の5時30分には充分に間に合い夜勤責任者から状況報告を受け、その後老先生と家族の対応をしてから伊藤副施設長とも打ち合わせをして本部施設に戻りました。

本部施設の管理宿直を終えた水野相談員が、来年度砂防ダムを計画して頂いている所から道路の方まで土砂が来ていると言う事で、私は大した仕事が出来なくても少しは手伝えると考えて一緒に現地に行き、土砂の撤去をしました。どれほどの協力も出来ませんでしたが、人一倍汗をかいてしまいました。シャワーを浴びて着替えを済ませるとシャキッとしました。

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午後は再び和合の施設に行き、13時30分からは介護労働安定センターの所長さんが打ち合わせにみえ、15時からは岐阜広告の棚橋さんが打ち合わせにおみえになり、18時からは隔月に開催される長城の会がフォーラムホテルでありますが、和合中心の展開の中少しずつ理解出来てきた事を形にする為に時間がある限り頑張りたいと考えています。

昨日も和合の施設に手続きの関係でお見えになった方に「私も古希70歳になったんです。」と言うと「ばりばり仕事をされている方はお若くみえますよ。」と言われてその気になっている私がいます。そんな私の事をリピーターの皆さんはどう思われますか。

昨夜は久しぶりに本部施設において泊まりました。

令和5年8月15日

本部施設において泊まった関係でいつもの様に4時25分のアラームが鳴りましたが流石にその時間から行動を開始するのは皆さんに迷惑がかかると言う事と台風7号の影響でしっかり雨が降っていたので「エネルギーチャージをする為に」と言う事で改めて5時にアラームをセットして再び寝ました。グッと寝たのだと思います。5時のアラームでは爽やかに起きる事が出来ました。

泊まらせて貰ったゲストルームの片付けをしてから事務所に行くと管理宿直だった吉田副施設長が台風情報をパソコンで調べていてくれていました。その後私は「朝のお勤めを(お経をあげること)しながら皆さんにご挨拶をしよう。」と言う事で先ずは本館1階の仏間に行き我が家でお参りの時に唱える「正信偈」と「般若心経」を唱えさせて頂きました。

月1回のお参りの日以外に最近は施設の仏壇に来ることが出来ていなかった為か心なしか仏壇に元気な内容に感じました。(と言う事で、しばらくは毎日施設でお経を唱える事にします。)正直久しぶりに各フロアを回りお経と共にご挨拶をさせて頂き、色んな事に気が付きました。一番にはそれぞれのフロアに安置してある仏壇のお世話についてです。フロアによってはお盆だからと言う事で花立に「ほおずき」まで立ててある所もあれば、1カ月以上前に西川課長が高野山にお参りに行った時に買って来てくれた高野槙がそのままの所もあり、高野槙が茶色くなったままだった所の責任者には出勤してきた時に私の思いを伝えました。各フロアを回らせて頂き改めて思ったのは入居者さんは「温かい」と言う事です。

久しぶりにご挨拶をしたにも関わらず元気に答えて下さり、多くの方から「理事長さんは元気だったの」等とお話をして下さいました。そして私がお経を唱えだすと何人かの方が私のお経に合わせて唱えて下さいました。ハード面で気が付いたのは新館の居室の入り口の戸のストッパーが利かないのが何ヵ所かある事に気が付いたので新館の若手のホープに全居室の確認を依頼しました。

今後若手のホープには少しずつ責任を持ってする仕事を委ねていきたいとも考えています。「現場主義」を提唱している私が「忙しい」を前面に打ち出していたのではいけないと、本日痛切に感じましたので「こき70歳はまだまだ鼻たれ小僧」とばかりにこれからも頑張りますのでこれからも私のの展開を見ていて下さい。これからの私の行動に自分自身ワクワクです。

昨夜の様子から

昨夜はいわゆるテレビのゴールデンタイムげある日曜日20時からのNHKテレビの大河ドラマ「どうする家康」を頑張って見ようとしたのですが20分も見ない内に全く頭に入って来ない状況になり、テレビを消して爆睡したのですが22時39分に和合の施設の夜勤責任者から電話が入り、無理矢理目を覚ましました。

その内容が看取りの入居者さんが亡くなられたとの報告を受け、嘱託医の多賀先生に連絡すると、「遠くにいるので対応出来ないので古川先生に連絡してくれ」との指示を頂いたので古川先生に連絡をすると「朝の6時に死亡確認に行く」との事だったのでその旨を夜勤責任者に連絡してから伊藤副施設長に連絡すると、「施設に向かっている。」との事だったので「直ぐにすべき事は伊藤副施設長に任せる。」と話をしてから「明日の行動はいつもの様に4時25分のアラームで起きて仏壇の水替えをしてから仏間での祈りをしてお墓参りはパスをして和合の施設に向かう事にしよう。」と決めてから再び眠る事にしました。

10年位前だったら再び寝る時には枕に着く前に眠りに入っていたものですが今は同じ様に出来ない自分がいますが何とか眠れたので4時25分のアラームで行動開始をしていつも以上にテキパキと出来たのでしょう、5時10分には外に出て車を走らせました。本日の国道21号線にはトラックが全く走っていなくて国道21号線と国道365号線が交わる交差点の赤信号で車を停めていつもとは違う異様さに気が付きました。この交差点ではおおよそ5分は停まっていたのですが私の車以外に車は無く走り去る車もありませんでした。

と言う事で垂井までで対向車に会ったのは7台のみ、それから大垣まで走らせてもまばらにしか車に会わなかったので多分20台くらいしか会わなかった様に思います。スムーズに走る事が出来たので5時40分に和合の施設に着くと玄関先に亡くなられた方のご家族の方が見えたのでご挨拶をして施設の中にご一緒に入り、夜勤責任者の誘導で亡くなられた方の3階のフロアに行って頂きました。その間事務所で待機をしていると家族の方が別々で2人がおみえになり、6時ちょうどに古川先生が来て下さり先ずは無くなられた方の死亡確認をして頂くと共に家族の方に説明をしていただき、その後事務所で書類を書いて頂き、その後古川先生とお話をして駐車場までお見送りをして、再び事務所に戻り伊藤副施設長と色んな話をしてから最後に台風7号への備えについて確認してから家に帰りました。

朝食を頂いてから9時に大垣共立銀行に行き手続きをして、あちらこちらとうごめいて今は20時で本部施設においてコラムも書けたのでリピーターの皆さん、これから爆睡します。

お盆真っ最中

令和5年8月13日

テレビを点けるとお盆の帰省ラッシュと台風7号と猛暑の話題が中心で、そんな中本部施設で昼食を頂いてから和合に向けて車を走らせて関ヶ原の中心街(この表現が妥当かは物議を醸すところでしょうが)を通ると最近インターネット等で紹介されて有名になった鰻屋さんが店の前まで溢れんばかりの客待ち状態で「流石にお盆」と思いながら垂井まで行くとパチンコ屋さんの駐車場は車で溢れていて「流石にお盆」と言う事でスーパーの大型店の駐車場も一杯で「流石にお盆」と言う事です。和合の施設に着き車から降りるとカンカン照りの太陽にクラクラすると共にいてつくような暑さでした。

事務所に行き、しばらくして「本日も暑いのでかき氷屋さん」と言う事で管理栄養士さんが準備をして下さった物をコマの付いた机に乗せて引きながら、本日は1階から順次回る事にしました。1階は初めてと言う事でかき氷の機械を持って行ったにも関わらず元気な利用者さんから「今日もお参りですか」と言われたので私は大きな声で「本日はかき氷を食べて頂きに来ました。」と言ってからカラオケがかかっていたので、北島三郎の「まつり」を入れて貰い挨拶代わりに歌わせて貰ったのですが、利用者さんの中で合いの手を入れて下さる方があり気持ちよく歌えました。

前回は1階には行けなかったのですが、職員の協力もしっかりあり皆さんに喜んで頂いて「また来ます。」と元気よく言って2階に上がり、ここでも皆さんから好評で、3階ではお風呂から上がられた入居者さんにも追加、追加で食べて頂く事が出来ました。天気予報を聞いていて台風7号が「東海・近畿」とのアナウンスに、強風が吹いても大丈夫な様に軽くて飛んでしまいそうなものは館内に入れて、必要に応じて紐で縛ったりしました。「備えあって憂いなし」と言う事で出来る事をさせて頂きました。

台風の進みがとても遅いのが気になるところですし、近年は西濃地区への被害が無い状況でしたので、経験をしていない職員にとっては何をしてよいのかも分からないのが事実だと思うので一つひとつ教えていかなければと思っています。朝のお墓参りでは若山家と吉澤家のお墓に立派なほおずきを供えましたからお墓の主も喜んでいてくれていると思います。

台風が来ると言われている中でも新幹線も飛行機も高速道路も混んでいるとの事ですが私は入居者、利用者さんの笑顔が見られる事が最高の幸せなので「暑い日が続いてかき氷会が何度も出来れば」等と勝手な事を考えているのですが。こんな私の事をリピーターの皆さんはどの様に見られているのか教えて頂けると嬉しいです。

 

朝のお墓参りは爽やかでした

いつもの様に仏間での祈りを終えてお墓参りの為に外に出たら風がひんやりして快適なのであります。と言う事でいつも以上に軽やかに歩けました。お墓まで行くとお盆が近いと言う事でしょうか、お墓掃除にみえている方が何組かみえました。そして六地蔵様のところで水換えやろうそく、線香に火を点けてホッとした瞬間右腕を集中的に蚊に喰われている事に気が付き、気が付くと共に痒くなってきました。急いで家に帰り「ウナ」をおもいっきり塗ったのは言うまでもありません。しかしながら、改めて自然界の掟は凄いと思いました。と言うのは、朝から暑い日が続いていた昨日までは蚊に刺されると言う事など考える事もしなかったのに「涼しいな」と感じた瞬間に喰われたのですから自然界の掟の厳しさを感じずにはいられません。午前中に入居者さんの利用料の決済印を押さないと仕事が滞ると考えて本部施設に行き、その仕事を終えて11時30分からの我が家のお参りの後の唐揚げ等が予約してあるのを取りに行き

11時30分には間に合わなくてごえんさをのお経は始まっていましたが姉夫婦がお参りしてくれていて助かりました。ごえんさが帰られてから昼食になり孫娘は座布団の上で大人しくしているうちに食事をおえる頃に孫娘がグズりだして、孫娘のミルクタイム。ミルクタイムも終わり私も孫娘を抱っこしながら「じいじだよ」と言いながらメロメロになってしまいました。夜は和合新町の盆踊りがあり、盆踊り前に子どもさんを対象にしたゲームの依頼を受けていたので私も参加させて頂きました。和合の建設時にお世話になった方々にご挨拶をして、私が和合の施設長になった事を歓迎して頂いていたので改めて頑張らなければと思った次第です。18時になり参加者の方も増えてきて「子どもさんが多くいる地区は活況があるな。」と思った次第です。施設からは「スカットボールと玉入れを企画したのですが、景品はいらないので何回もしたいとの現象もあり一時間があっと言う間に過ぎました。連合会長さんを始め多くの方にご挨拶をして片付けを終えて楽しい時間が終わりました。これからも地域の関わりを充実させていきたいと思っています。

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