2023年08月の記事一覧

昨夜もくたくたで21時前に眠りについたのですが・・・。

令和5年8月31日

「とろっ」と寝た段階の21時20分に、和合の施設の夜勤責任者からラインで「ガスのランドリーにエラーが出ました。」との連絡が入り、半分頭が働かないでラインを見ていると携帯が鳴り、ここで頭がはっきりして夜勤責任者からの報告を改めて受けて、「ランドリーのエラー等の時の連絡先が書いてあると思うので、確認して連絡をしてみて下さい。」と言ってしばらくすると再び夜勤責任者から連絡があり「つながりません。」との報告だったので、「私の方からガス供給の責任者に連絡をして、指示を出します。」と言ってからガス供給の責任者に携帯をすると「直ぐに現地に向かいます。」との対応に私は「取り敢えず施設に連絡をして直接夜勤責任者に確認して下さい。」と言って、しばらくして再び夜勤責任者から連絡があり「ランドリーの異常なので取り敢えず臭いがあるなら窓を開けてから、ガスの元栓をして、明日改めてランドリーを購入した業者に連絡を入れて下さいとの事でした。」との報告で、取り敢えず一件落着。改めて寝ることにしたのですが今度は目が冴えてしまって、なかなか眠れなくて・・・。

本日は、朝から岐阜の弁護士事務所に行く事になっていたので、朝食後に岐阜市に向かって車を走らせながら和合の伊藤副施設長に昨夜のガスの件で連絡をして、業者への連絡を依頼しました。昨夜は二度寝のタイミングが上手くなくて、「しっかり眠れた」と言う感じではないのですが、朝5時には起きて本部施設の5か所のお参りをして(勿論ご挨拶もしましたよ。)朝食後の岐阜市の弁護士事務所に行き、同席して頂いた方を岐阜駅までお送りしてから和合の施設に行き、その後本部施設にも顔を出し、大垣共立銀行に行き、その後コラムを書きながら洗濯をして、コラムの原稿を途中にして私が最もしたくないと思っている洗濯干しをしていると16時15分になったので、17時から大垣フォーラムホテルでの会合の為、干し終えてから急いで大垣フォーラムホテルに向かいました。

17時からの講演には何とか間に合い、18時過ぎからは食事をしながらの懇談の時間になり、19時30分に終了して色んな方にご挨拶をして再び本部施設に戻り、原稿が途中になっているコラムを書いていると只今20時45分です。何とかコラムの連続はクリアです。フォーラムホテルからの帰りの運転中にてるてる座の座長が明日の朝和合の施設におみえになると言う事ですので、お参りを終えて朝食を急いで頂いてから和合に行く事になるので、明日もバタバタ(いやいや充実した)の1日になりますが頑張りますので、リピーターの皆さん明日も応援宜しくお願い致します。

緊張した為か入居者さんの配慮を軽く見てしまい大失態

令和5年8月30日

夜勤責任者の西川課長から昨夜の全体会終了後に「理事長が施設に泊まっての合宿で毎朝お参りして頂けるのは9月4日までと聞いているのですが、理事長が毎日お参りして頂ける様になって皆さんのデイルームへの集まりが早くなりました。9月5日以降に理事長のお参りの代わりに理事長のお経を録音して朝の時間に理事長のお経を流したいので明日の朝のお経の時に録音させて下さい。」との申し出がありましたので仏間でのお参りを終えて本館1階に行くと既に録音の準備が出来ており、若干緊張気味に入居者さんにご挨拶をして、新兵器の木魚とお輪のセットを駆使してのお経を始めました。

「録音されている。」と言う事でいつも以上に大きな声でそれでいてやや緊張気味にお経を唱えさせて頂きました。多分緊張をしていたのだと思います。本館2階への移動する為エレベーターに乗り込もう(本来はケアスタッフルームの螺旋階段を通って行くのですがこの時間は鍵がかかっているので)として2階へのボタンを押してドアが閉まる前に入居者さんが車椅子越しに背中をそらして何かを言われていたにも関わらずそのまま2階に行ってしまいました。その入居者さんが言いたかった事が2階の入居者さんにご挨拶をしている時に分かりました。

と言うのは西川課長が新兵器の木魚とお輪のセットを1階から持ってきてくれたからです。その時つくづく思ったのは「やはり緊張していたんだ。」と言う事です。録音すると言うだけで緊張してしまう私はまだまだ修行が足らないなと思った次第です。本館2階、新館1階、新館2階とご挨拶とお経を終えて本館1階の皆さんが朝食会場にみえたので、車椅子で背中を反らして木魚セットを忘れて行った事を教えようとして頂いた方の所に行って「先程は折角教えて頂いたのに無視する形になりすみませんでした。」とお詫びを言いました。

何事も気が付いた時に行動に移す事の大切さを改めて教えて頂いたと思っています。全く話題を変えます。施設での寝泊まりでは、お風呂に入る前に洗濯のセットをして(とは言え洗濯ものを洗濯機に入れ洗剤を入れて蓋をしてボタンを押すと脱水までしてくれるのですが・・・。)夕食を頂き、21時には眠くなるので寝てしまうので、家での生活で唯一楽しみにしていた毎週日曜21時からの「VIVANNT」は見れていないので家に風を通しにも行きたかった事もあり、録画予約してあったのを見る事が出来、違う意味でリラックスする事が出来ました。

しかしながら、改めて思うのはこのドラマは予測不能の大どんでん返しの繰り返しで最後にはどの様になるのか全く分からない。分からないと知りたくなるのが人間の心理。だからでしょうか原作本がバカ売れだとか・・・。私はそこまでお付き合い出来ないので録画したのを見て楽しみます。合宿生活も本日を含めてもあと5日です。でもこの様な生活も1週間に1日位あっても良いのではないかと考えているのですがリピーターの皆さんはどう思われますか。

初めてを実施しないと何も新しいものは生まれない

毎月28日に彦根の東福寺において『護摩供養』が行われ、先月は富山市のロボットICT先進施設への出張があり行けませんでしたが、基本的に参加させて頂いています。本来は本堂での護摩供養なのですが、今回初めて外での護摩供養が実施されました。主宰される東福寺の住職である静慈彰師は準備が整い、実施する前に「山伏の方が柴燈護摩をされますが私は野外での護摩供養はした事がありませんが、本堂での護摩供養を外で行うやり方で実施します。1回目が無ければ2回目も3回目もないので、皆さんの協力を得て頑張って行いたいと思います。」と言ってドラム缶を活用しての護摩供養が実施されました。私がその時思ったのは「流石に静慈彰師は静慈圓前官大僧正の息子さんとしてDNAを受け継がれている。」と思った次第です。だって静慈圓前官大僧正は30歳の時から40年掛けて『空海ロード』を発掘されたわけです。つまり、30歳にして途方もない事を考えて実施されたわけですから・・・。「誰も成し得ない事をやり遂げる」と言うのは同じ発想だと思います。それにしてもドラム缶で護摩炊きをすると言うのは思いつかない発想だと思います。ドラム缶ですから炎の勢いは桁外れで、18時の開始時では分からなかったのですが、段々と周りが暗くなるにつれて幻想的な演出の様になり、般若心経を唱えさせて頂く声も張り上げる様になってきました。今回外で実施する様になったのは滋賀信行会の内藤会長が8月21日に行われた滋賀信行会の施餓鬼法要で使用したものを含めて火での清めをしたいとの考えからの企画だと言う事なのですが、今回上手く実施出来たので「年に2回は外で実施したい。」との事で「年末に実施して1年が経過したお札等を護摩供養の時に燃やしたらどうか。」との意見が出て盛り上がりました。『1』を確立するのは難しいが、『2』『3』と実施する事は『1』の時とは違いはるかに実施したい。」との意見も出ました。外でのお経は「天まで届け」と言う事で声を張り上げてのものでしたが声が枯れる事も無くできました。「外での護摩供養」と言う事で蚊取り線香があちこちに設置されていましたが、不思議なくらい蚊の餌食になる事もなく無事に終わりました。発想が柔軟な静慈圓前官大僧正親子とは今後共に末永いお付き合いをしていきたいと考えています。先般21日の日にお会いした静慈圓前官大僧正は私より10歳年上の80歳との事ですが、柔らかい発想の持ち主なのでいつまでも元気でおられる様に思いましたので静慈圓前官大僧正を恐れ多い事ですが真似させて頂ければと考えています。

 

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流石に元高校の校長先生です。

令和5年8月28日

先般地元の高木さんとのカラオケジョイントの写真を撮って一杯撮って頂いた入居者さんで元高校の校長先生の所に新館1階のお参りを終えてフロアにご挨拶に行き、お部屋を覗くとパソコンの画面を一生懸命に見つめていたので、背中を擦るようにして私の存在を理解して貰うと、私を待っていたかの様にお話をして下さいました。その内容は「理事長さんのカラオケの様子を写真に撮って元気さを感じないので心配しています。」との事で、「休みを取ってリフレッシュする事も大切です。」と諭す様に言って頂いたのですが、私としては朝5時から5か所でお経を唱えさせて頂き毎朝どんぶり飯を完食して「絶好調」と思っていたのですが「疲れている様に見えるのはいかんことだ。」と思いました。

話をしている中で3ヵ所でジョイントカラオケをさせて頂いたのですが、たまたま新館での選曲が静かな曲だった様で「もっと元気の出る曲にして理事長さんも歌っている内に元気になって欲しい。」との事だったので、「色んな要望に応えるのはなかなか難しいな。」と思った次第です。

今朝も5時からのお経から始まり、朝食にどんぶり飯を食べて、本日は11時から施設経営者協会の役員会があるのでスーツに着替え、先ずは和合の施設に行き職員との懇談や決済をして(その間に特浴の機械のメンテの為の連絡を電話でしたり、岐阜県教育委員会事務局と支援学校の講師依頼の打ち合わせをしたりして10時15分になり、慌てて経営協の会議の為に車を走らせ11時5分前に会場に着き役員会に挑みました。13時30分から特浴の機械の打ち合わせに業者の方が来て頂けるので昼食を頂いて午後からの研修は中座して再び和合の施設に行き、打ち合わせ後は本部施設に行き今は(16時)コラムの原稿を必死にパソコンのキーを叩いています。

必死になって原稿をかいて入るのは本日28日と言う事で彦根東福寺と月1回の『護摩供養』が18時からあるからです。先月は富山市の施設見学があり、連続参加が途絶えたのと、先般21日に東福寺の住職の父親である静慈圓大僧正の報告もしなければいけないので絶対に護摩供養に参加しなければいけなくて、護摩供養が始まる前に21日の事を報告したいので夕食は食べなくても大丈夫なのですが時間が気になるからです。

毎日こんなバタバタの生活なので確かに生活自体は充実して私としては元気に飛び回っているつもりなのですが、ひょっとしたら疲れた顔をしているのかも知れないと考えさせられました。但し本日、印金木魚セットが送って来たので明日からのお参りは賑やかになり私も元気になるのではと思っています。リピーターの皆さん、パワーアップした私に乞うご期待と言う事で。

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本部施設本館1階での居候生活が2週間になりました

令和5年8月27日

本部施設本館1階のゲストルーム(6畳に押し入れと洗面台)の生活も2週間になり、予定通りあと1週間(3週間を目途にしていたので)の予定です。居候生活の最初の頃は、コミュニティーハウスで夕食を食べる時に焼酎(健康に良いと言われている?麦焼酎『いいちこ』をコップに氷を一杯ぶち込み、その中に並々と麦焼酎『いいちこ』を入れてました。)を飲みつつおつまみを一杯食べていたので、何日もしない内にお腹がポッコリの上にポッコリと言う状況になり・・・。と言う事で5日目にして焼酎を飲むのを止めて、夕食時には基本的に果物だけにしようと決めたのですが、正直、昨夜も冷やしうどんを食べてしまいました・・・。

そんな事よりも、朝食は厨房で外来食をお願いしているのですが、居候生活の初めの何日間かは入居者さんと同じ量で提供されており、「ご飯の量が少ない。」と職員に愚痴っていたのを厨房に伝えた職員がいて、その後どんぶりに並々で来るようになり、「多いな」と言いながらも「出てきたものは全て頂かなければ」と言う事で頂いているので、居候生活3週間が経過した時には、夕食を控えたくらいではお腹のポッコリのポッコリは収まりそうにありません。

お腹がポッコリはともかくとして、昨夜は20時に寝て22時過ぎに目が覚めました。と言うのは昨日のコラムで書かせて頂いた、認知症の方が他の入居者さんの部屋に入られて入居者の方を起こされていて、起こされた方が興奮されている声が聞こえてきたので様子を見に行き、興奮されている方が落ち着かれるのを待って、その原因をつくられた方に話をして部屋にお連れして、その後の対応を夜勤責任者伊藤係長と管理宿直者の吉田副施設長に任せて再び寝ました。(起床後は吉田副施設長と今後の方向性について検討しました。勿論最終的な判断は水野施設長の方でして頂きますが。)

朝はいつもの様に5か所のお参りを終えて7時になり、厨房の配膳車の中の外来者の食事(どんぶり飯)を取りに行き、食事を終えて厨房に下膳の為に歩いて行く時に、デイサービスの職員が出勤してきていて気が付いた事なのですが、挨拶の仕方が下手な職員が多くいる事に気が付きました。デイサービスは在宅の方へお迎えに行き、家族の方々とのコミュニケーションもしっかり取らなければいけないと言う大きな役割があるわけで、理事長への挨拶すらしっかり出来ない職員が家族への対応がしっかり出来ているのかと、甚だ不安になってきました。

勿論悪い事ばかりではありません。各フロア共、私がお経をあげに行くと歓迎して下さり良い顔を見せて下さるし、洗濯干しも上手になったし、目的を持っての居候生活も満更では無いと思っています。リピーターの皆さん、私は考えてから行動するタイプでは無くて行動をしてから考えるタイプなのですが今後ともよろしくお願いいたします

お参りの時の出来事です

本日も朝5時から本館1階の仏間でのお参りから始めて、本館1階のデイルームでのお参りをしている時の出来事です。かなり認知症上のある方がスリッパをパタパタさせながら、他の入居者さんが椅子に腰掛けられている所に行き、あちこちで何度も何度も「晩飯はまだなのか」と聞かれていました。納得いく答えが得られず何度も何度もお参りをしている所をパタパタと行ったり来たりされていたのが気になったのですが、それ以上に気になったのは夜勤で仕事をしている職員2人が何の対応もしないのにお経を唱えながらも苛々していました。

「お経が終わるまでには職員が何らかの対応をしてくれるだろう。」と思いついたのですが、結局何の対応もしない内に私のお経が終わったので「対応の仕方を見せて指導しよう。」と考えているとタイミングよく、「晩飯はまだか」と言っていた方が通られてそこへ外国人の介護職員が通ったので「対応しなければいけないでしょ」と言うと「はい、わかりました」と言ってその場から離れようとした(と言う事は意味が通じていないということだと思ったので)ので、入居者の方に近づき「おはようございます。」と言うと「晩飯はまだか」と私にも言われたので「夕ご飯を食べられて今起きてこられたので朝食の準備をしていますのでもう少し待って頂けますか」と言ってから「今起きられて夕方だと勘違いされたんですね。私もよく間違えるんですよ。」と言うと(朝の6時だと理解されて)「まだ1時間半あるのなら座って待ってるわ」と言われて、しばらくの間はパタパタ歩かれる事はなかった様です。

認知症の方であっても「この方は仕方が無い方」と言う対応ではなくて、一人の人格を認めてその方の立場に立って対応する事によって落ち着いて頂ける事が殆どだと思っています。朝の6時と夕方の6時を間違えて混乱されていて元気な方であっても転倒されるリスクはあります。本日は何もなかったわけですが的確な対応をする事によって平穏な空間を作り出せば業務の効率化につながると思いますし、何より認知症の方の混乱も最小限にする事が出来る様に思います。

話は変わって、朝食後和合の施設に行き職員との懇談や決済をしてから社会福祉法人杉和会の筆頭理事の岩田先生の所に打ち合わせに行く途中での出来事です。岩田先生事務所に行く為信号を右折して住宅街に入り狭い路地に入ったのでスピードを抑えて走行していて、一旦停止の路地から飛び出してきた自転車があり、私は完全に停車したのですが、私が停まったのはお構いなしで通り過ぎようとした若い女性がいました。その女性はスマホの画面を見ながら自転車に乗っていたのです。私は徐行していて事なきを得たのですが、これが運悪く自転車に接触していたら私に過失が付くのでしょうね。

リピーターの皆さん、お互いに気をつけましょうね。

ゲリラ豪雨は凄かったです。

夜中に雷も鳴っていました。でも、それ以上に凄かったのは豪雨です。あの降り方は正に『ゲリラ豪雨』だと思いました。凄まじかった為なのか午前1時30分に目が覚めて、30分程週刊現代を読んでいてその時は目が冴えて、今になって(15時20分)若干眠いのですが頑張ってコラムを書きます。

今朝も本部施設で5時から5か所のお参りを終えて7時過ぎからどんぶり飯の朝食を頂き(宿直の五次副施設長がビックリするくらいの量です。)7時30分に本部施設を出て和合の施設に向かったのですが、ぽつぽつと雨が降ってきて、だんだんと雨がきつくなってきたのですが、その時の気温は23℃と昨日とくらべるとかなり低い温度なのですが、湿度が高くて蒸し暑くて不快指数は言う事なしです。

午後からは天気が回復してどんどん気温が上がってきました。豪雨があがって空を見ると考え過ぎかも知れませんが『秋』を感じたのは私だけでしょうか。多分に願望もあると思いますが・・・。

本日も和合の施設で午前に外国人材の登録機関の方の挨拶を受けたのですが、最近はこの種の方の挨拶がめっきり増えたと感じています。昨日も岐阜県高齢福祉課主催の介護人材の検討会があったのですが、最近は介護人材の話の中に外国人材の話も多く話題にあがるようになって来たと思います。

当法人では平成20年からのEPA(国際経済連携)による介護福祉士候補生としてインドネシアから4名の受け入れをしたのを皮切りに、毎年の様に受け入れていくと共に多くの法人がエントリーする様になり、ベトナムの留学生を受け入れ、介護福祉士の取得をして正職になる職員を確保したり、コロナウイルス感染症により外国からの受け入れが出来なくなってからはベトナム、ネパールの留学生が卒業しても就職が無く、『特定技能の介護』を取得したものを職員に向かえてきました。

つまり、今は当たり前の様ですが、外国人が登用される以前から当法人は受け入れて来た自負があります。そこで、これからは、受け入れた職員に介護福祉士の資格が取得できるだけの学習体制及び指導体制を構築しなければいけないと考えています。その為には先進的に登用してきた法人との連携により、情報の共有化を図っていかなければいけないし、後進的な法人にたいしてのサポート体制を取り、円滑に確保出来るお手伝いもしていかなければいけないと考えています。自分で言うのも変ですが岐阜県老人福祉施設協議会の副会長を10年、会長として11年目を迎えているので、岐阜県において色んな提案が出来る立場になっているので、岐阜県との連携を密にして補助金等を頂きながら、色んな形で人材確保が出来る様にしていきたいと考えています。私は決して自分の法人が良くなる事だけを考えるのではなく全体の事を考えながら進んで行きたいと考えています。

とにかく充実した日々です。

本日も本部施設の仏壇でのお参りのスタートが5時で、その後は本館1階、本館2階、新館1階、新館2階の入居者さんと職員に順次ご挨拶をしてから入居者と共にお参りをします。

各フロアは私が行った時には大抵はテレビが点いているのですが、「これから皆さんとお参りをさせて頂きます。」と言うと、最近は「テレビのスイッチを消す事を私がします。」と言う入居者さんが各フロアにおみえになって有り難いなと思うと共にフロアを仕切っている方が何と無く理解できるのは面白い話です。

5ヶ所のお参りとご挨拶にはたっぷり2時間 はかかるので7時に事務所に戻り、厨房で作って頂いた朝食を頂くのですが、ご飯の量がだんだん増えてきて、今は丼に山盛りのご飯を完食しています。

但し、この調子で食べるとお腹が臨月を通り越して破裂するといけないので、夕食は軽くにしなければいけないと考えているのですが、なかなか行動に移せなくて困っています・・・。今も昼食を和合で頂くのにコンビニで食べきれないかもと思いつつ買って来たものを全て完食してしまいました・・・。

午後は岐阜県が実施している法人評価のグレード1の更新審査がリモートで行われるので、今日も和合の伊藤副施設長の対応で私がサポート役で実施されます。このグレード制度はグレード3から始まりグレード2、グレード1と認定して頂くのですが、審査が終了後、岐阜県の担当者にエントリーをする法人が少なくなっている状況について、今後はどの様に対処をしていくのかを逆に聞いてみたいと考えています。と言うのは私もこの認定制度の設立にしっかり関わってきた経過があるからです。

エントリーが減少傾向にあるのは、認定されてもメリットを感じていないからだと思います。13時30分の定刻に介護安定センターと岐阜県高齢福祉課の担当者と優・悠・邑 和合とをつないでリモートでの審査が行われました。

先ずは事前に提出した資料に基づいて介護安定センターの担当者から質問を受け最初は伊藤副施設長が答えて、法人としての考え方については理事長としての私が追加で答える形で審査を受けスムーズに進み、引き続いて高齢福祉課の担当者の方からはエクセレント企業の認定であったり、事業所内保育所の展開であったり、外国人材の展開についての質問があり、この質問は理事長としての思いの部分だと判断して私から持論も含めて話をしました。

最後に「今後の展開についてお考えがあれば聞かせて下さい。」と言われたので。リモート会議が始まる前に考えていたことをお話させて頂きました。リピーターの皆さん、タイトルの通り充実した日々に感謝です。

 

大垣市の特養変換の審査を受けました

令和5年8月23日

平成24年に大垣市の特養80床の建設募集があり、当法人もエントリーをさせて頂きました。その時の当法人での考え方は大垣市において平成15年度以降特別養護老人ホームの建設が相次ぎその計画の全てが国の方針に従い『個室ユニット』ばかりが建設され、平成24年の大垣市の個室の割合は特養が75%、ショートステイが80%と言う事実体の中、従来型の施設の需要が多くなるとの提案と共に個室ユニットで無ければ個別ケアが成り立たない等と言う事は決してないとの根拠を示し、5法人からの手上げがあった中で一番の評価を得て平成26年4月に優・悠・邑 和合が事業開始をしたわけです。あれから10年が経過して大垣での介護事業の状況は大きく様変わりしたと考えています。この10年の間にも多くの特別養護老人ホームが建設されましたが「個室ユニット」を中心に個室ばかりが建設され、尚且つ総量規制のないショートステイが多く建設されました。その結果『ショートステイ』の実体が『ミドルステイ』いやいや『ロングステイ』の様な実質特養と変わらない様な感覚で利用されています。平成24年に計画した時は『在宅介護』にも力を入れなくてはとの思いで18床のショートステイを補助金なしの全て自己資金で建設しました。そんな状況の中でショートステイ18床の内10床を特養に変換する事を既に認めて頂き残りの8床の特養変換を認めて頂く為の審査が本日午後から実施されました。前回の10床変換に引き続いての審査で今回は特に特養の需要が多くあり、特に従来型(多床室がある施設)への希望が多く有る事と、殆どがロングステイの様な状況になっている中、同じ様に利用されていても特養とショートステイの利用料は月1万円くらい違うので、8床ではありますが安く利用して頂ければとの思いを中心に説明をさせて頂きました。最初の10分の提案は伊藤副施設長が担い、審査委員の方からの質問には理事長である私が担わせて頂きました。地域のニーズに応えるのが社会福祉法人の使命だと言う揺るぎない考えの中で提案をさせて頂きました。伊藤副施設長も理事長である私も精一杯の事を語らせて頂きました。後は結果を待つだけです。大垣市役所から和合の施設に帰る車の中で伊藤副施設長が精一杯提案した事を労いました。和合の施設で若干の打ち合わせを済ませて急ぎ本部施設に帰り、16時からは関ケ原町地域ケア会議に参加させて頂き、厳しい状況にある方の検討でも。しっかりと意見を言わせて頂きました。最近の関ケ原町での課題は『50-80問題』(60-90問題とも言います。)です。この問題は一朝一夕には解決しないのと「50」あるいは「60」の方に生活力がない事の解決には根深い問題があります。この問題に当法人がどの様に関わっていくのかも今後は大きな課題になる様に思います。リピーターの皆さんにも良い提案があれば聞かせて下さい。

静慈圓前官大僧正とのお話です

令和5年8月22日

昨日は15時には本部施設に滋賀信行会内藤会長の車で来て頂く予定になっていたので、14時にシャワーを浴びて作務衣にきがえようとしていると、内藤会長からの電話で「これから出ます。」との連絡を頂き、思わず私は「長浜から30分で来れるがね」と言うと「そうか。とあいからわずのポーカーフェイスなので、電話を切って急いでシャワーを浴びて作務衣に着替えると、かえって汗が吹きでたのですがもう一度着替える様な時間は無くて、本館前の駐車場に行くと内藤会長の車が入ってきたので、静慈圓前官大僧正を迎えて本館の会議室に案内して行くと、既に田中市会議員がみえており、15時30分までお話をしてから、仏間で静慈圓前官大僧正が導師をして下さってのお経をあげました。お輪を新しくしたので『叩き始め』を静慈圓前官大僧正にお願いしたのですが、お参り終了時に改めてお輪を手に持ち『気』を入れて頂きました。

その後、優・悠・邑 和(なごみ)の施設に移動して竣工式典で書いて頂いた愛染明王の作品でひとしきり静慈圓前官大僧正から説明を聞き、会議室に移動して、またまた色んな話に花を咲かせました。和(なごみ)の施設の仏間でもお参りをして頂き、外へ出ると竣工式典でもお参りして頂いたお地蔵様にも丁寧に参って下さり、17時30分に関ケ原駅前の末廣での宴席開始だったのですが、お客様を少しお待たせする形になりました。

私が席を指定して皆さんに着座して頂いてから、私のほうから8人の参加者を紹介させて頂き、その後は静慈圓前官大僧正にお話をして頂くと共に、乾杯の発声をして頂き先ずはビールで喉を潤し、その後は静慈圓前官大僧正を中心にしてそれぞれの方が饒舌に話をして会は盛り上がりました。私が静慈圓前官大僧正にお話をさせて頂いたのは、盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の入居者がコロナの影響もありなかなか入らず、法人全体の経営も厳しい状況になり、1月・2月の最も寒い時期になかなか眠れず、15分程トロっとしたと思うと寝汗をかいて、寒い部屋の中で着替えをしなくてはいけない毎日に、色んなお金持ちの方に藁をも掴む思いで手紙を書いても誰からも返信が無い中で、静慈圓前官大僧正に厳しい窮状を訴える手紙を書くと3週間後に手紙と共に祈り一杯のお札を頂いて、そのお札には「諸障退散」「七難消滅」と書いてあり、そのお札にすがって頑張って少し光明がみえてきたと正直に話をすると、静慈圓前官大僧正から「今正に生きてるんだから道は開ける。大丈夫ですよ。駄目だったら今この世にはいませんから。」と言われて、改めて「生かされている事の喜び」を理解しました。そして「若山さんは、自分の欲得で行動される方では無いのでお不動さん付いてやはるんや」と言われたのには勇気を頂きました。

コロナウイルス感染症の為にこの会は4年振りでしたが、平成16年から1年に1日だけですが当法人にきて頂ける事に本当に感謝です。私はよりパワーアップして色んな方に笑顔が産まれる様にこれからも頑張りますので、リピーターの皆さん、これからもよろしくお願いします。

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