2023年05月の記事一覧

コロナ感染対策の考え方が変わりました

令和5年5月11日

① コロナ感染対策の考え方が変わりました

ゴールデンウィーク明けの5月8日から感染症対策の考え方が大きく変わり、テレビや新聞では色んな対応が変わった事を報道しています。ただし、個別ケアが大切な事は当然ですが高齢者施設はあくまで集団での生活です。世間一般の考え方とは大きく乖離している事をリピーターの皆さんもご理解して頂けると有難いです。但し、少しずつ普通の生活を取り戻す為に状況をみながら徐々に緩和していかなければいけないと考えています。

具体的に実際、当施設で行っている事は家族等の面会については、リモートのみから少しずつ緩和して今では手洗い、消毒、うがい、体温測定、マスクの着用はお願いしていますが、リアルに面会して頂ける様になりました。また、お参りの場所はデイサービスと本館1階を合同で行う事によって4ヵ所にして、カラオケデュエットは3会場にして少しずつ密な状態でも出来る様にしています。昨年から大きく変える事にしたのは、6月18日に開催する「供養祭」です。

昨年までの3年間はデイサービスの利用者さんと仏間に理事長である私と家族会の吉田会長のみがリアルの参加であとのフロアはリモートでの参加にしていましたが、今回は仏間に上がって頂くのを条件にしてかつての入居者さんの家族を招待して仏間の西側にデイサービスの利用者さん、東側に本館1階の入居者さんに参加して頂きあとのフロアはリモートでの参加とさせて頂く予定でいます。

そして、3年出来なかった「夏祭り」についてはコロナ感染症の状況を見極めて「秋祭り」で開催したいと考えています。但し地域の方々と入居者さんのエリアは区分けしたものにしていきたいと考えています。コロナ感染症によりクラスターになれば施設での対応にも大変な負荷がかかるので慎重な対応にならざるを得ないのが現実です。

②朝のお参りから

昨日までは早い時間の事なので、外に駐車してある車のフロントガラスは霜がしっかり付いていて「まだまだ寒いよ」と言う感じだったのですが、今朝は霜が付いたような感じは全くありませんでした。

③ 妙応寺の境内は広くて結構に草が延びて来て「歩くのに少し邪魔だな。」と思っていたのですが、単なる草だと思っていたのに綺麗な花が咲くと「綺麗な花が咲いているのだから大切にしなければいけない。」と思う私がいるのですが、リピーターの皆さん、こんな私の事をどう思われますか。

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岐阜新聞の1面の記事から

令和5年5月10日

見出しが「ひきこもり支援  初のマニュアル」「高年齢化、親子で困窮」「厚労省、策定方針 自治体窓口で活用」とありました。私は元々、福祉のスタートは1979年(国際児童年の年です)の児童福祉からです。その当時は「不登校」が少しずつ問題になっている様な状況で13年間児童養護施設に在籍している間に「不登校」の問題は社会問題化して来ていたので私は「施設の子ども達への対応をする職員は必ず存在するけれども地域における子ども達へのアプローチをするのは私以外に存在しない。」との大いなる勘違いもあり6年間の迷走の末に今は高齢者の問題にどっぷり浸かっています。

26年も高齢者での活動に専念している間に「不登校児」だった方も年齢を重ねて、長期化、高年齢化が進み、80代の親と50代の子が困窮する「8050問題」(9060問題とも言われています。)がしんこくになっている。「初のマニュアル作成の方針を固めたのは、多様なニーズに対応出来るよう相談窓口などでの活用を想定している。」との事だが、30年近く具体的な対応ができていなかった結果が今だとすると、マニュアルを作成してそれを読んで対応する事がそんなに簡単な事ではない様に思います。

15歳から64歳のうち、ひきこもり状態にある人は推計146万人。ひきこもりのきっかけはさまざまで新型コロナウイルス禍をあげる人もいた。15歳~39歳の63%に就労経験があり、職場の人間関係で傷ついたことなどが理由と考えられる。40歳~64歳では52%が女性。これまで家事手伝いや専業主婦と位置づけられていた人のひきこもりが明るみに出るなど、支援で求められる内容が刻々と変わっている。厚労省はマニュアルに、ひきこもり状態の新たな定義も盛り込む方向で検討する。一人一人の困りごとに応じ安心できる居場所づくりや、医療、福祉との連携といった支援の方向性を盛り込むとの事だが、どれだけの効果を示せるかについて私は正直懐疑的な見方をしています。

その根拠は「自治体に相談しても、診断を受けていないと行政サービスにつながることができない。ひきこもりの子を医療機関に連れて行くのは至難の業で、そのまま支援が途絶するケースも少なくない」と指摘とありました。私はその記事を見た時に行政の専門職として保健師を採用している所が殆どだが、行政の申請主義によって解決しない事が多いのではないかと・・・。

つまり、役所に訪れた方のみのサービスではざるの穴から殆ど抜け落ちてしまう。その結果数がどんどん増えていく。私は保健師のような専門職の方はどんどん地域に出て行き情報をキャッチして寄り添う体制を確立すべきだと思っています。これが正しく流行りの言葉で言えば「伴走型」支援と言う事なのだと思います。私も何らかの形で出来る事があればしていきたいと考えています。リピーターの皆さんもご一緒にしませんか。

「人間は一生難しい年頃」

令和5年5月9日

朝の妙応寺本堂の大谷徹奘師の日めくりカレンダーの言葉です。「確かにその通りだ。」と思うと共に「私は一生懸命の中で火中之栗を拾うから、特に自分の生き方を難しいと言うか苦しい状況にした生き方をしているな。」と改めて思っています。先般福岡県岡垣町での社福百周年で出掛けさせて頂いた時に、ずっとご一緒だった愛知県新城市の太田先生と色んな話をさせて貰うなかで「お互いに仕事以外に何かしたいことあるのか」と言う話になった時に、お互いに「何も思い当たらないな。」と口を閉じるしかなかったのです。その時私は強がり半分で「私の趣味は仕事と言っているから大丈夫です。と言ってるよ」と思わず言ってしまったのですが、太田先生は「若山さんの様な生き方にはならないなあ。」と言われてしまいました。でも、私の生き方は火中の栗を拾う生き方の中で、色んな方々のご支援やご協力を得て厳しい状況を抜け出しては少しずつ私自身が強くなってきたのだと思います。

私の原動力は「地域のニーズに合わせて」が基本です。私は38歳の時に児童の中で反社会・非社会の子ども達のサポートがしたい。と言う事で児童養護施設を辞しフリーになり大学・短大・専門学校の非常勤を週に13コマを受け持ちながら残りの時間を子ども達のサポートに徹しました。しかしながら若山家の家計が破綻寸前になり、拠点となる情緒障害児短期治療施設の建設に没頭した時期がありましたが、「岐阜県の計画にここ10年間は計画に無い。」と言われて挫折した時期(何日も布団の中から出る事が出来なかった。)を経て、特養建設を進める為に地元のニーズ調査から始めて、児童養護時代のネットワークを活用して施設見学に行かせて頂きました。全くの知識も無い中での施設見学だったので、ぶしつけな質問も多かった事だと思いますがそれぞれの施設の責任者の方は誰もが親切だったのは、今でも有難かったと思っています。

高齢者施設計画を始めたのが平成7年(1995年)から28年が経過しているのですが、本部施設本館建設に際しての土地の決定には紆余曲折があり、その時に土地の交渉を人任せにする事によっての苦い思い出は、今も生きた体験となっています。本部施設本館が開設しての1年は文字通り「生みの苦しみ」でした。と言うのは児童養護施設の理念をそのまま特養に導入した事と、法人の経営が脆弱だったので非常勤講師を週3日して、尚且つ措置施設と言う事でなかなか入居が充足しなかったので、先代の理事長を乗せて市町村回りを行っていたので、職員との乖離が出来て、退職者も多く出て(白い封筒乱れ飛ぶ様な状況でした。)

私自身が自ら施設長を降りて現場に入る毎日を送った1年半は、苦しくもあり充実した日々でもありました。そして、今は盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の稼働率も悪く経営が厳しい状況が続いていますが、本部施設と和合施設からの資金援助で何とか経営が出来る目途が立ってきているのですが、目途が立つ前は少し寝たと思ったら寝汗をかいて目が覚める毎日に恐怖を覚えていました。その時は銀行からの変換計画に対するご理解を得て、節約の徹底も職員一丸になって対応して今があります。盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)については文字通り火中の栗を拾う事だったのですが何年かしたら、単独でも健全経営が出来る様になると確信しています。「こんなにしんどい思いをしなくても」との考え方もあると思う事もありますが、私自身目一杯の頑張りの中で地域貢献をしていきたいと70歳の誕生日をこの16日に向かえるのですが、今もその気持ちで満ち満ちています。

朝から良い事が有りました

令和5年5月8日

毎朝のお墓参りで一つ気になっていた事が解決をました。また、久しぶりにぐっすり眠れた事による相乗効果なのか、爽やかな気分でこれから良い事が起きるのではと言う予感がしています。

気になっていた事と言うのは、私より10歳年上の地元の方が毎朝犬の散歩をされているので私は遠くからでも挨拶をしていたのですが、そのうち私がお墓にいるとわかると私を避けるかの様に遠い所に行かれてしまっていたのです。その原因がスカッと分かりました。その原因と言うのは旧今須村門前共有林の名義をかえるようにと言う連絡が岐阜県の方から世話役をされていた方に連絡が行ったのがおよそ3年前で、かつての世話役さんが「私では無理なのでお前がやってくれないか」と言う事で、私は当法人の登記等をいつもお願いしている大垣の若園司法書士の先生に基本的にはお願いして地元での説明会や書類のやり取りをさせて頂いていたのですが、私も合間をみてのやり取りであり順次進めておりましたので、25軒の内残り5件になったのです。

残り5件と言う事はなかなか難しい案件と言う事です。と言うのは遺産相続と同じことをしなければいけないので、昭和31年の岐阜県との契約依頼名義変更がされていない所においては、既に何処に持ち掛けて良いのかがわからない家であったり、親族関係がギクシャクしていて書類の実印が貰えない等々の問題がある方々ばかりになりました。そこで、1週間程前にかつての世話役さん(地元の長老)の所に行き、相談した結果、昨日、親戚がギクシャクしていた家から私の携帯に連絡が入り、「何とか4人共に了解を得たので1週間位で書類を持って行けると思います。」との連絡を頂いていて、「昨日の今日」である本日、朝のお墓参りで湯飲みの水替えをしている時に、間違いなく意図を持っての犬の散歩だと思うのですが私に近づいて見えたので、私の方から「昨日はわざわざ連絡ありがとうございました。」と挨拶すると、「私も頑固だけど宏君はそれ以上に頑固で私も根負けした。迷惑掛けて悪かったね。」と言われたので「任された責任はしっかりやり遂げたいのでうるさい事を言って申し訳ありませんでした。」と話をしました。

話をしていて思ったのは「10歳年上の方はやるべき事が出来ていなくて顔向けが出来なかったのか」と思うと共に「これを契機に姉弟が仲良くなって貰えると良いな。これぞ正しく禍を転じて福と為すだ。」と思った次第です。改めて思った事は、何かやるべき事が出来ない時には楽しくない気分でいなければいけないと言う事は辛い事だ、とも思いました。六地蔵様の帽子は1日置いてのお参りでしたが、しっかり帽子を被られていたので安心しました。リピーターの皆さん、世間の中のゴールデンウイークの終わり、コロナについても緩和された中でギアを上げていきますので宜しくお願い致します。

今は5時36分です

昨日のコラムが文字通り途中であった事を先ずはお詫びします。でも、正直限界でしたし継続更新は出来た事をリピーターの皆さん評価して下さい。昨夜はコラムをメールで送信したのは22時丁度で、宿直者にこれ以上は遅くなって迷惑をかけてはいけないギリギリの時間だったので朝の米原駅で列車待ちをしている時に打てるだけ打って太田一平先生と合流してからはほとんど打つことが出来ず太田一平先生とずっとご一緒に居酒屋さんで飲んでいて気が付けば22時前になっていたので一平先生にお断りをして、慌てて送信した次第です。さて、昨日の花田理事長さんの法人の百周年記念式典の報告をします。一言で言えば「凄い」「規模がけた外れだ」と言う事で「百年の重み」を痛烈に感じました。先ずは式典会場であるアリーナの様な大きな会場に案内されて、私と太田先生はビップ扱いで控え室に案内され先客の方を花田理事長から紹介して頂くのですがそこでびっくり。実は全国老施協デイサービス部会の副部会長で今年度から滋賀県老施協の会長になられた堤会長だったからです。私は堤会長と花田理事長との関係については承知していなかったので花田理事長のネットワークの広さを理解した次第です。花田理事長と堤滋賀県老施協会長とのつながりは、施設福祉士会のお互いに副会長繋がりだと言う事で納得しました。式典前のセレモニーでは地元のタレントで20年来のお付き合いがある方のトークショーがあり、その後は知的障害者施設の方の演奏会があったのですが30年のベテランの方もみえてその方々の一生懸命な体を使って演奏と実に素晴らしい音色に感動していました。その後は式典が行われて、花田理事長さんはやや緊張はされていましたが(当然ですよね)百年の歴史をお話して頂き大正時代に初代理事長さんが傷痍軍人として片足を失くされながらも、同じような境遇の方々に対して就労支援を神戸の地で始められその後、生まれ故郷の福岡で障害施設、児童の施設、高齢者の施設とその時代に即応したものをつくられて来ての百年との事で、先人の功績の偉大さに感動しました。その後は来賓として麻生副総裁代理の方、福岡県知事代理、地元県議会議員、岡垣町長、福岡県社協会長代理、福岡県施設経営者会会長と祝辞が続き、祝電披露も沢山で圧倒されました。感謝状贈呈も半端な数でなかったのも百年の歴史を感じました。式典が無事に終わり祝賀会会場に大型バス2台で移動する規模の大きさには舌を巻く思いでした。祝賀会会場は前回長男さんの結婚披露宴が行われた会場で法人の職員さんも沢山参加してみえたので半端な数ではなかったです。(名簿で確認したところ178名でした)雨の中でしたが招待して頂いた方々が満足して帰れる様に法人の職員さんが一生懸命に動かれている姿に感銘を受けました。本日な朝8時に太田一平先生と一緒に朝食をとり8時50分にホテルを出て小倉駅構内でお土産を買い、9時31分小倉発で新大阪のこだまに乗り換えて太田一平先生とは京都でお別れ(奥様が眠られている東本願寺へお参りされるとの事)して私は米原で降りて無事に本部施設に帰って来て無事に帰った連絡と花田理事長さんにして、社会福祉法人 日本傷痍者更生会百周年記念事業での配慮のお礼を言ってから本部施設での仕事に復帰しました。リピーターの皆さん、滅多にない事業に参加させて頂き私自身パワーアップ出来た様におもいます。

今日からら福岡県に行きます

令和5年5月6日

私が35歳の時に資生堂財団がスポンサーでアメリカまで海外研修に行かせと貰いました。その時に若手のホープの様なと言うかプリンス的な存在だった福岡県岡垣町で児童・障害・高齢の施設を経営している大法人の理事長である花田先生の法人の百周年の記念式典に招待を受けたのでその当時全国児童養護施設協議会の若きプリンスだった愛知県新城市の太田一平先生と共に参加させて頂きます。その当時私が35歳、太田先生が33歳で花田先生が26歳でお互いに若かったのですが一番若かった花田先生でも60歳を越えられたと言う事はお互いに歳を重ねたなと思います。私の様に法人設立から始めた者の大変さとは違う百周年の重みを感じながらの展開をされている花田先生の苦労は私には想像も出来ない位に大変なものがあったと思います。太田一平先生や花田先生の様に法人のオーナーの家系の方とは違う私は(法人の1職員)自分の思いを形にしていくだけで良い気楽さがありました。つまり背負うものが違う様に感じていました。そんな私が25年前に色んな方々の支援を得て曲がりなりにも法人を設立して施設を経営させて貰うようになり、改めて太田先生の法人や花田先生の法人の歴史の重みを感じています。太田一平先生とは米原で新幹線に乗って合流してからは太田一平先生におんぶにだっこで大阪駅でのぞみに乗り換えて小倉まで行き小倉からは JR九州の在来線で海老津駅まで行くと既にお迎えの車にのり竣工記念会会場に行きました。今(18時30分)いやいや21時57分です。続きは明日のコラムで

本日は本部施設において昼食バイキングが実施されます

令和5年5月5日

今月のバイキング料理のテーマは「端午の節句~こどもの日!」です。本日が5月5日ですから、そのまんまのテーマなのですがそれで良いのだと私は考えています。だって、独居であったり、高齢者のみ世帯であれば、こどもの日を祝う等と言う事は皆無だったと思います。現に我が家に於いてもこどもの日等と言うのは無縁ですから。しかしながら、施設では色んな意味で引き出しを沢山持っているのです。

昨日までの2日間は「鯉のぼりカフェ」で盛り上がりました。「回想法」等と難しく考えずに「入居者さん、利用者さんを如何にワクワクして頂くか。そしてそこに笑顔がある事によって職員のモチベーションが上がればそれで大丈夫。」と思っています。酒飲みの歌で「飲める♪飲める♪飲めるぞ♪今日も飲めるぞ♪」のノリでいければと考えています。

本日のバイキングメニューは主食がタケノコご飯(木の芽を添えて)、サンドウィッチ(ツナ・いちごジャム)、主菜はカツオのたたき(しそ・ニンニク・しょうが・ねぎ)、ホワイトグラタン(チーズ・マカロニ・ブロッコリー・ウインナー・玉ねぎ)、副菜は厚揚げとふきとぜんまいの煮物、ポテトサラダ(じゃがいも・キュウリ・人参)、汁物は茶そば(茶そば・みょうが・錦糸卵)、デザートは果物の盛り合わせ(メロン・パイナップル)と盛り沢山でした。

私自身は明日から福岡の花田先生の法人の百周年記念式典が行われるので愛知県の太田一平先生とご一緒に参加させて頂くので、「あいさつ代わりにお酒を振る舞って来るか。」と言う事で、各フロアにお酒を持って回る事にしました。12時過ぎに本館1階に行くと入居者が誰も食堂におみえになっていなくて状況を聞くと厨房からの料理が遅れ気味との事で一度事務所に戻ってから改めて新館2階から順次新館1階、本館2階、本館1階、デイサービスと回る事にしました。

新館2階に行くとメインの料理であるカツオのたたきがデイサービスの物が新館2階にきているとの連絡が来てバタバタしているので、間違えたカツオのたたきを運びながら厨房の状況を確認しようと厨房の方に向かって行く途中で厨房の従業員3人にあったので状況を確認するのですが3人が3人共に状況を把握している方がいなくてイライラがピークに差し掛かってしまい、厨房に着いた時に責任者の方は厨房奥の事務所から出て見えたので、流石の私も「責任の所在をはっきりさせなさい。」と大きな声で叫んでしまいました。

再び新館2階に行った時には今回のトラブルは入居者さんには関係ないので「遅くなりましたが、辛口のお酒をお持ちしたのでお酒が飲める方は手を挙げて下さい。」と言って紙コップに徳利からお酒を注いで歩きました。新館2階、新館1階、本館2階、本館1階、デイサービスと順次回らせて頂きました。お酒を希望された方はそれぞれに満足そうにされてみえましたし、食事のみの方もいつも以上に良い顔をされていた様に思いました。

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介護保険制度が導入されたのが西暦2000年でその当時の入居条件は要介護1からで、お元気な方が多かったのですが要介護3以上になってからは食事の介助が必要な方が殆どになっている中でのバイキングなので料理の出し方等々についての検討が必要だと思いますが、出来るだけお酒が飲みたい方がみえる以上は頑張って対応していきたいと考えています。

昨日は急遽の企画をしました。

令和5年5月4日

昨日本部施設に出勤をして、「天気は良いし風もあまりない日なのに、何の楽しみもないのは入居者さん利用者さんに申し訳ない。5月5日はこどもの日でバイキングがあるので大丈夫として、3日と4日に何かしたいな。そうだ、本部施設の立派な鯉のぼりの最後のセレモニーをやろう。」と言う事で、事務所にいた水野相談員と北島部長に話をすると、ここが本部施設の凄いところで、直ぐに行動開始。2人で準備するのは大変だし祭り男の伊藤主任を呼ばない手は無いと言う事で声を掛けたら遅出でまだ仕事に取りかかる前だったのですが、飛ぶ様に現れて準備に参加してくれました。

「鯉のぼりセレモニー」と言う事で、鯉のぼりの近くに机と椅子を運んでお茶やジュースやお菓子(お酒も)を用意して、カラオケまでセットしてくれて準備万端揃った時が10時20分。伊藤主任が私の所に来て「理事長から声掛けをして頂くと、多く集まりますから是非全館放送で声掛けをお願いします。」と言いに来たので事務所内から呼びかけをさせて頂きました。放送を終えて鯉のぼり前に準備して貰った所に行くと、新館の方が外の道路(敷地内の道路なので安全です。)を歩いて見えるのがわかり、慌ててスタンバイをしました。想定以上の入居者さん、利用者さんが来て頂けて大賑わいで、私はお酒を注いだりカラオケで歌を歌ったりで賑やかな時間を過ごす事が出来た勢いで「明日も10時30分からやります。」と宣言したので、本日分の飲み物やお酒やお菓子の不足分を朝9時の開店と同時にゲンキーに行って買って来て本部施設に着くと、既に「鯉のぼりイベント」の会場設定が殆ど出来ているのには本部施設のパワーに圧倒されました。

10時30分からのスタートのつもりでいたのですが、10時20分には入居者さん、利用者さんがイベント会場(そんな大袈裟な言い方をしなくても良いのですが)に向けて歩かれていたので、繰り上げで開店する事にしました。昨日はお酒の残りだけだったので直ぐに無くなってしまったので、本日はしっかり購入してきたので徳利に入れたお酒を注いで回りました。ほんの1時間のイベントでしたが、しっかりと太陽の光を浴びて頂けたのでとても良い企画になったと思っていますし、何よりも職員の機敏な動きに満足しました。勿論全員の職員が機敏に動けたわけでは無いので、動きの悪い職員は日頃の動きのなかでも不十分なものがあると思うので順次気が付いた事を指摘していきたいと思います。

と考えていると昼食の検食の職員が放送をしているのを聞いていて、「早口」だと感じたので放送終了後に指摘をしました。勿論私も指摘する以上はしっかりとした対応をしていかなければと改めて思った次第です。リピーターの皆さん何事も気が付いた事を声に出して言う事と、自分が動ける範囲で動く事が大切だと思った次第です。

相性が良いのか悪いのか

令和5年5月3日

誰の事かとリピーターの皆さんの中には思われる方が有るかも知れません。実は我が家の猫のおもち君の事なのであります。私は基本的に5日に一回程度我が家でお酒を飲むのです。糖尿病になると面倒なので、大好きな日本酒は外で飲む事にして、我が家では専ら自家製の梅酒をロックで頂いているのですが、結構な量の梅酒に氷をグラスにぶちこんで飲むのですが、よくよく考えてみたら梅酒のベースは焼酎なので口当たりは良いのですが結構に酔いがまわります。お風呂は終わっているし、夕食も終わっているし、気分よく適度に眠くなってくるので自分のベッドがある2階の部屋に行くのには我が家の猫おもちの部屋を通る事になるのです。

最初の内は毛を逆立てて歯を剥いて威嚇していたおもち君も少しずつ慣れて「チュール」と言う食べ物に釣られて少しずつ私に慣れてきたのですが、お酒を飲んで気分が良いときにおもちに出会ったら歯を剥いて威嚇してきたので徹底的に追いかけたのです。私としては遊び半分なのですがおもちは必死な思いで逃げ回り私が近付くとまたまた歯を剥いて威嚇してくるので、またまた大きな声を出して追いかけたのです。と言う事で今のおもちにとって、私は恐い存在になっていて当面の和平交渉は成立しようがありません・・・。

昨日の出来事ですが私が玄関の戸を開けた瞬間、今まで1階のリビングにいたおもちが脱兎の如く2階に上がって行く姿を見て私は苦笑いをするしかなかったです。お酒を飲んでテンションが上がっている私にしてみるとおもちとのコミュニケーションとお遊びのつもりなのですが、おもちにしてみると迷惑な話なのだと思います。でもね、おもちが我が家でのんびりとして食べたい時に食べて安心した生活が出来るのは私が一生懸命に働いているからなのですが、そんな事をおもちに理解しろと言っても無理な話しなので、私が安全な家族である事を理解して貰うしか無いのです。

そう言えば20年生きてくれた『リッド』は無くなる1年くらい前になってようやく仲良しになったな。私が盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の問題で苦しんでいてなかなか眠れず少し眠ったと思ったら1月2月と言う寒い時期にも関わらず寝汗をかくと言う状況の中、多分リッドを怒る元気もなかったのをリッドは敏感に感じて優しく寄り添ってくれる様になったな。と言うことは私が元気でいる限りおもちは懐かないと言う事なのかな。リピーターの皆さんどう思われますか。

[蛇足的話を一つします]

本日の岐阜新聞に今回の統一地方選挙において当選された市議会議員の経歴詐称についての記事が載っていました。経歴詐称されたのは「社会福祉士」では無いにも関わらず選挙公報にその様に載せていたとの事です。その記事を読んでいくと、自分の名刺にも堂々と書いていたとの事です。「社会福祉士」の資格は国家資格であり、合格率が低い難関な資格です。大学卒業後市役所に勤務されていて福祉畑を歩まれてきたとも書いてあったのでご本人は当然自分が社会福祉士を名乗れない事は百も承知されていたと思うので「確信犯」と言う事になると思います。どうしてこの様な詐称をされたのかはわかりませんが政治家さんが嘘を通してしまうのは如何なものかと思ったのですが、これまたリピーターの皆さんはどう思われますか。

 

昨日お墓の花を買って来ました

令和5年5月2日

本当ならば昨日が1日なので、昨日に新しいお花をたてるべきだったのですが、花の準備が出来ずに本日のお墓参りで新しい花になりました。「単に花を新しくする。」と言うだけの事なのにそんな中にもこだわりがあるのが私の長所であり短所だと言えると思います。でもねリピーターの皆さん、その様なこだわりが無ければコラムがここまで連続更新は出来ないのではないかと自分でも思っています。

いつもの様に4時25分のアラームで行動開始をして、1階に降りて仏壇のお水替えをするのですが、食卓のテーブルに仏壇のお花が置いてあったので、そのまま仏壇にお供えしました。仏壇に蝋燭とお線香を手向けてから、西国33か所の掛け軸と七福神の掛け軸に手を合わせてから、仏壇で正信偈と般若心経を唱えてから父進、母秋江、姉光子、養母英子、義父憲治、義母美和子ひとり一人の写真に向かって挨拶してから、外に出ました。我が家を出て2つ目の橋の所まで来てから、お墓に持って行くお花を持ってこなかったのに気が付き、一瞬「明日お供えしようか」とも思ったのですが、「いやいやそれでは申し訳ない」と言う事で我が家に戻り、お花を持って再び家を出て歩きました。

妙応寺の駐車場の幸福地蔵菩薩様の所に行くと、昨日回収しておいた枯れた花の所に新しい花がお供えしてあったので「心ある人は私以外にもおみえになるのだ。」と思うと嬉しくなってきました。本堂に行き、先ずは昨日護摩木供養代を持って行くのを忘れたので「昨日の借金をお返しします。但し、利息は払いません。」とお賽銭を入れる前に賽銭箱入れてから、改めてお賽銭を入れました。

般若心経を中心にしたお経をあげて、今須稲荷、三仏様(観世音菩薩様、毘沙門天様、不動明王様)等々のお参りは般若心経を超特急で唱えて六地蔵様で蠟燭と線香を点け般若心経を唱えてから若山家のお墓の所で花束の包を解き、若山家、吉澤家、及川家、柴田家の花入れに私なりのこだわりで花筒に入れると、薄いピンク色のカーネーションが2本残ったので改めて若山家のお墓に収めてふと思ったのは「もうすぐ母の日だ。母の日と言えばカーネーション。残った花がカーネーションで若山家のお墓に入れる事が出来たのは不思議だ。」と思うと何の脈絡も無く涙が溢れてきました。

止めどなく涙が溢れて来たのには驚きましたが、お墓に眠る方々の思いがその様にさせたのだと思うとますます胸が熱くなる思いで一杯になりました。リピーターの皆さん、若山宏はこんな人間ですがこれからも宜しくお願い致します。

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