2023年05月の記事一覧

時間は産み出せるものだと思いました。

令和5年5月31日

本日は全国老施協の常任理事会が午前10時からあり、午後は引き続き理事会があるので岐阜羽島の始発で(7時5分発)東京に出掛けるので、昨夜寝るときには「仏間でのお参りだけにしよう。」と思っていました。いつもの様に4時25分のアラームで目覚めた時に「マックスでテキパキすればお墓参りまでいけるぞ」と瞬時に考えて、文字通りマックスでテキパキで行いました。手を抜いたとしたらリュックサックの水の補充をしなかったくらいで、仏間でのお参りを終えると5時15分です。「やれば出来る。」と思いつつ外に出たら、頭にポツポツと雨粒が当たりましたが「これは益々急ぎなさい。との仏様のご自愛」と考えて、傘も持たずに急ぎ足で歩きました。

「手抜きはしない。」と決めていたので、幸福地蔵さまのお参りも、妙応寺のお参りも、今須稲荷様のお参りも、六地蔵様のお参りも、もちろん我が家のお参りもお経も手抜きは無し。但しペットボトルの水の補充をしていなかったので、お水は節約していれました。我が家のお墓でピッタリ水が無くなったので「明日から6月だから丁度良い。」と言う事で六地蔵様の蝋燭の火も敢えて消さずに家に急ぎました。

家に着いて玄関先の置時計で時間を確認すると5時45分だったので、自分自身でもびっくりです。ゆっくりお参りした時より45分も時間を節約したのですから。もう一つより早く出来た理由に、妙応寺の本堂でお参りしている時に雨足が強くなってきたのがわかったので、首に巻いていたタオルで頬被りをして歩いたので、益々早足になったのだと思います。私は不思議な事だと思うので敢えて書きますが、我が家に着いた時には雨は止んでいたのです。雨に当たって冷たくなった体をお風呂で癒して凄い幸福感を感じました。

6時15分には奥様が作ってくれたおにぎりを持って車に乗り込み、岐阜羽島に向けて出発しました。途中で工事の為に一車線になったりしましたが、車の中でおにぎりをパクつきながらもいつもの駐車場に着き、少しは時間に余裕があるとリンゴをゆっくり味わい、駅の切符売り場で東京までの往復切符を購入してホームで5分ほど待っていると列車が来て乗り込みました。

東京駅丸の内からタクシーに乗り本部施設に着くと9時40分だったので、事務局の職員に挨拶をしてから会議が行われる会議室に行くと一番乗りだったので、順次入ってみえる役員に余裕を持って挨拶が出来ました。10時に常任理事会が始まり、12時まで新役員の方にバトンタッチ出来るように話し合いをしました。その後は昼食のお弁当を頂きながら、2年間の総括の様な話をして13時30分からの理事会に備えました。

理事会はハイブリッドでの会議だったのですが、順調に議題が承認されていく中で私は常任理事として総務・組織委員会とデイサービス部会の報告をさせて頂きました。こう言う発表はいくら場数を踏んでも緊張するものですが、何とか役割は果たせたと言う事でホッとしました。

理事会終了予定は16時30分だったのですが16時に終了したので同じく私と同じ副会長の秦さんと共に東京駅に行きました。ラッキーな事に16時33分発のひかりがあり、あまり時間がないのでお土産など買わずにホームに行き、5分ほど待っていると列車が入って来たので乗り込み、今は岐阜羽島に向けて走っています。「天気が良くなって来たので富士山が綺麗に見えるかな」等と余裕をかましています。

リピーターの皆さん、こんなに順調な一日になったのは勇気を持ってお墓参りまで行ったお陰かなと思う私がいるのですが、私のこの様な考え方をどう思われますか⁉️

コロナ感染症対策を徐々に緩めています

コロナ感染症対策は入居者さんとその家族及び職員にとっても長くて厳しいものでした。いやいや、まだまだ過去形で言い表す事は出来ません。でも、長い長い3年間であった事は間違いありません。

コロナ感染症が出始めた頃は正直「そんなに大袈裟に言って不安を煽るなよ。」的な気持ちもありました。そんな時に岐阜市内でのお医者さんの飲み会でクラスターが発生したとの報道があり、実は私は同じ日に大垣で飲み会をしていたので、正直2週間くらいはドキドキの日々だったのです。もちろん、その後は一切の飲み会はしてませんでしたが、最近はぼちぼち飲み会をしていますが本当に最近の話です。しかも少人数で個室での企画です。正直施設での感染症対策を徹底したのはドキドキがあってからです。

本部施設本館と新館の玄関口近くに手洗い場を設置したり、セコムが提案してきた検温器を設置しました。と言う事で外部からの業者さんやその他の来訪者の方は先ずは検温器で熱の確認をして、手洗い場で手洗い、手指の消毒、うがいは今も継続しています。この徹底はコロナだけでなくインフルエンザやノロウイルスにも効果がありますので、施設においては今後も当然の事としてお願いしていきたいと考えています。

コロナの完全終息と言う事は絶対にないので今後はウイズコロナでの対応に切り替えなくてはとも考えています。そんな中で少しずつ緩和しているのは一つ目には面会です。厳しい時はリモート面会のみ或いはガラス越し面会でしたが今はマスクをしてアクリル板越しでの面接までは出来る様にしています。

二つ目にはボランティア活動やお経での集合の仕方を少しずつ数を増やして最終的には全員で出来るまで緩和していく予定です。

三つ目は来月6月18日に行う供養祭も仏間での参加を本館1階とデイサービスの利用者さん(他のフロアは残念ながらリモートでの参加)とここ3年以内に亡くなられた入居者さんの家族及びいつも参加して頂いているかつての家族の方及び家族会の吉田会長の参加で実施させて頂きます。

四つ目には6月から主任・係長に昇進した職員のお祝い会を課長・部長の参加を得てコミュニティーハウスで実施します。少しずつ緩和出来る様になって一番嬉しいのは面会等がリモートでは無く直接出来る様になった事です。と言うのは家族の協力を得られることは入居者さんにとっても元気になる起爆剤の様に思います。勿論職員も精一杯の事はしている者の家族の協力は大きいです。これからも感染症対策をしっかり行い、家族の協力も得てより良い施設にしていきますのでリピーターの皆さんご協力お願い致します。

銀行が今後目指すものは何⁉️

令和5年5月29日

私が大学を卒業する頃の就職活動において(50年程前)、就職先の希望ランクが高かったものの一つが『銀行』だったと思います。私の中学卒業時34人(1学年1クラスでした。)の中で断トツトップだった同級生も、京都大学を卒業して関西に本店がある銀行に就職したものです。つまりエリート集団の一つだった様に思います。そしてその頃の銀行マンは日本の経済活動の本流にいる気構えもあった様に思います。

しかしながら、50年の経過の中、銀行業界の環境は大きく変わって来ていると言わざるを得ません。それは昨今の低金利政策によって銀行の本来の役割りであった『預金を集めて貸し付けをして、金利で収益を上げる』と言う時代ではなくなっていると言う事。その為に銀行の再編もどんどんと進んでいる状況があります。また銀行の生き残りをかけて国内から国外にかなり力点が置かれている様に思います。また、今迄は銀行でしか出来なかった事が、銀行で無くて出来る様になりました。当施設に置いても、インターネットバンキングで振り込みが出来る様になっています。と言う事は銀行の窓口がどんどん縮小されて、窓口すらなくなる事が近い将来において起きるかも知れません。

銀行において収益が大きかった時代は終焉を迎えています。どの業界も効率性を求めて色んな事を提案して実践しなければいけない時代です。例えばトラック輸送において、運転手の他に助手がいた時代、路線バスに車掌さんがいた時代(私は知っています。)が、今は当たり前の様に運転手だけです。手作業で行っていたのが機械になり、いつのまにか業務の省力化に慣らされています。そう言われてみたら最近のスーパーのレジはお客さんが自分でするコーナーもあるのにはびっくりです。(「何を今頃言っとるの」と言われるリピーターの方もおみえになるかも知れませんが・・・)

効率性と言う意味では、『介護』の業界ではなかなか難しいです。確かにICT・ロボットの導入が進んでいるとは言え、介護の全てを委ねる事は難しいし、機械にコミュニケーション能力を見出すのは今の段階では難しい。(「ロボットで大丈夫にするには鉄腕アトムかウランちゃんの様なものを作り出さなければ」と私はよく言っています。)だからこそ、介護職が専門職として高い認知と評価を受ける時代の到来を切望しています。平均寿命がどんどん高くなっていく中で、誰もが高齢になったときの安心感がもてる社会の構築を望んでいると思います。業務の効率性は実施するとしても、人の温もりが無くてはいけない事については、しっかり出来る体制を確立していかなければいけない。この事はどの業界にも言える事なのですが、冒頭に書いた銀行に於いても目指す方向が国民が受け入れる事が出来るものにして頂きたいと思うのですが、リピーターの皆さんはどの様に思われますか。

連日1日遅れの情報ですみません

令和5年5月28日

本日のコラムは昨日の妙応寺本堂の日めくりカレンダーの言葉です。その言葉とは「死んでからどうなるじゃなくて生きているからどうするかです」を見た瞬間に何度もこの言葉を見ているはずなのに正直稲妻が頭の中を走りました。それは昨年の1月に「優・悠・邑 和(なごみ)」の経営状況が非常に大きく赤字になっている状況に、理事長として何をどの様に対応したら良いのかもわからず、1月と言う寒い時期であるにも関わらずなかなか眠れずウトウトととしたと思ったら寝汗をかいていて目が覚めて寒い中での着替えを一晩で3,4回しての毎日に眠る事に恐怖を感じたり、昼間は昼間でぼーっとしているばかりでまるで思考力がなくて全く光が当たらない状況に途方にくれる毎日でした。

そんな中で毎朝4時30分過ぎから仏間の北側に設置してあるウォーキングマシンに乗って狂ったように正信偈と般若心経を唱えていました。そんな毎日の中、色んな方々にアドバイスを頂き先ずは銀行の借り入れの元金返済を1年間猶予して頂く事になりました。勿論それだけでは赤字幅が縮小されただけで根本的な解決策にはなりません。職員にも節約に対する徹底を周知しました。

話題がそれて来たので戻します。本日は当法人の社会福祉法人杉和会の監事会が9時からあり引き続き理事会と役員の選任解任委員会がありました。正直令和4年度は何とか経営が持ち直してきた中での監事会及び理事会でしたのである程度見通しを立てた説明をする事が出来ました。但し、本当の意味で経営を万全にするには大きくは2つの事をしっかりと形にしていかなければいけないと思っています。

一つには優・悠・邑 和(なごみ)の50床の特養変換と円滑な運営が出来る様に人材確保に努める事、

二つ目には本部施設デイサービスの赤字解消の為に「TRAPE」と言うコンサルを入れて事業の見直しと職員の意識改革をしていきたい。

「TRAPE」と言うコンサルは全国老人福祉施設協議会デイ部会が実施したデイサービスの相談事業で成果を上げた会社なので、この一年で(6月からの契約です。)しっかりと成果を上げて行きたいと考えています。この様に考えて次へのステップが踏めるのは「生きていているからどうするかです」を頑張ってきたからの本日の監事会であり、理事会だったと思います。

これも持つべきはネットワークであり、全力を尽くす事によっての光明だと思います。そんな事を書きながら思った言葉は「為せば成る 成さねばならぬ 何事も」と言う言葉でした。リピーターの皆さんも同感して頂ければ有難いです。

 

昨日は免許証更新に行きました

大垣にある免許証更新センターでの受付が10時~10時20分との案内だったので10時前に着けば大丈夫だと考えて家を9時15分に出て9時55分に着いて会場に歩いて行くと玄関前に係員の方がみえて「書類を見せて下さい。」と急かすような対応なので「10時からの受付なのにどうしてこんな扱いを受けるのか。」と訝しく思いながらリュックサックの中にしまっていた受け付けようの書類を出すと舐める様に見てから一緒に中に入り「最後尾に並んで下さい。」と言われてびっくりです。だって既に沢山の方が椅子に座られていて正面では係員の方が一生懸命に説明されているのです。「おいおい、10時から受付をするんじゃなかったのか。この状況だと10時ギリギリに行った私が悪者みたいやないか。」と思った次第です。だんだんと状況がわかって来ました。

『10時からの受付』と言うのは窓口での受付が10時からであり、その事前レクチャーを実施していると言う事。だったら案内に「受付前の事前の説明の開始は例えが;9時50分からあります。」のでも書いてあればこんなに焦る事はなかったのにと思った次第です。ただし、慣れて見える方なのかはわかりませんが10時20分ぎりぎりにみえる方も何人かはみえましたが、結局は事前の説明を聞いて無くても大丈夫だった事が分りました。とは言え5年後の更新ですからきっとこの状況は忘れてしまっていると思いますが。受付で更新手続きのお金を払い流れ作業の様に視力検査の所に移動しました。順番を待っている時に5年前の嫌な思い出を思い出しました。と言うのは目の手術をして間が無かった為かなかなか良い結果が出なくて検査する方から嫌な事を言われたからです。

いよいよ順番が来ました。今回はすんなりと検査が済んだのでホッとしました。でもすんなり通って当たり前です。だってその為にメガネを変えたのだから。勿論そのままでも通ったと思うのですがトラウマがそのような行動にしたのだと思います。視力検査がパスした書類を持って移動すると写真を撮って頂く為の書類を貰うのですが私は今回ここでしくじってしまいました。と言うのは写真を撮る所に提出するものと家に持って帰るものの2種類を渡されたのですが私は余分な事として家に持って帰るものをリュックサックにしまった積りだったのですが写真を写して貰う書類までリュックサックに入れてしまったため、「荷物の中を確認してください。」と言われて焦ってしまいなかなか見つからず、受付を全て終了された係員の方にリュックサックの確認をして頂き書類が見つかり4事なきを得ましたが結局最後になってしまいました。とは言え最初に免許証を頂かれた方と10分も違わなかったのですが・・・。

リピーターの皆さん思いませんか。更新に来る方は何年間かに1度来るだけ。受け入れる方は毎日されているからわかっているかも知れませんが私が受けたのは高齢者のみの更新をするところ何だからもう少しゆっくりとした対応が出来ないかと言う事と、係りの方が警察の現職或いはOBの方なのでとっても威圧的なのを止めて貰いたいなと思った次第です。

自分からひとりにならないで

令和5年5月26日

朝のお参りでの日めくりカレンダーの言葉にはまいりました。だって、孫娘が生まれて高揚感一杯のはずなのに心配な事の方が強烈で正直お墓でどうして良いかわからないことを訴えていました。そして家に帰り新聞を見ると(眠りが浅かったので情報がしっかり頭に入っていないままに 書きます。)警察官2人とその他にも何人かの死亡が確認されたとの記事です。ここからは情報には関係無く私の見解を述べさせて頂きます。先ず私が思ったのは「父親が市議会の議長をされている。」と言う事でした。父親が立派な方で写真で見る限り立派な家です。議長までされている と言う事で容疑者である市議会議員の息子さんはどんな生き方をされていたのかな。私の勝手な推量によると小さい頃はおとなしくて利発な子どもだったのかと思います。

ところがいつの間にか引きこもりの生活になっていたのかと思います。裕福な家で息子一人が仕事をしなくても家計は全然大丈夫。そんな状況があるから「6090問題」或いは「5080問題」が顕著になり大変な事になっている。家庭が貧しい状況だったら嫌が故にも働き手になるのだから)5月6日、7日と福岡県の法人百周年に愛知県の太田先生とご一緒させて貰った時に太田先生と引きこもりの話をしていてアメリカに引きこもりはあるのかと私か愚問に近い質問をした時にアメリカだって一杯あって、最後は銃の乱射事件になるのだとの話を聞いた時に日本は簡単には銃を持つことはないから大丈夫だと話をしていましたが日本は届け出制で厳しい手続きや管理が義務付けられていると聞いていたのに落とし穴は結構あるのだと思った次第です。と言うのは警官が自殺する時に所持を許されているとは言え自殺の道具にしてしまっている。今回も許可を取っている方が乱射している。と言う事は約束を守ることが出来ない方が犯罪に走るのかと思いました。本日の情報によると午前4時過ぎに自ら投降してきたとの事です。う~ん、この容疑者は麻薬でもやっていたのかな。私はもちろん麻薬などしたことはないので情報でしかないのですが、麻薬が効いている間はテンション高く犯罪に手を染めていたのが麻薬が切れて我に返ったのかな。容疑者も誰かに色んな事を話が出来ると良かったのにきっとそれが出来なかったのだと思います。私は色んな方との関わりが持てたのが財産だと思っています。リピーターの皆さん私は一人でなくて良かったと思っています。

本日は午前に全国の常任理事会が、午後は岐阜県の社員総会があります。

ドラゴンボールの孫悟空の様に『瞬間移動』が出来たり、ドラえもんの『どこでもドア』でもない限り移動時間がとても無いと言う事で、午前に実施される全国の常任理事会については岐阜県老施協事務局でリモートをつないで頂き参加させて貰う為に8時40分に家を出て岐阜県福祉会館に向かいました。

車が渋滞する事もなかったので10時前に着きリモートの準備をして貰い、その後は午後から行われる社員総会の会場の確認をしたり事務局長との打ち合わせをして私も、「岐阜の若山です。」と言ってリモート会議に参加させて貰い、改めてリモート会議の便利さを理解した次第です。

常任理事会の議題も多く12時までの予定が15分延長されたので慌ててコンビニで購入したお弁当を食べて13時からの総会に備えました。前回の会長挨拶では原稿を読みながらの対応で私らしさが出なかったので、昨日の内に骨子を作っておいたので今回は少しはましな挨拶が出来るように思っています。ただしこの事はどんな状況になるかはわからないので総会終了後本部施設に戻り書く事にして、これから総会会場に移動しますので一旦原稿書きはここまでにします。

17時前に本部施設に帰って来ました。社員総会が始まる前に会長選挙の結果説明と承認がされて正式に会長として6期目(1期2年)を迎える事になりました。その後引き続いての社員総会になり、先ずは私が会長挨拶をさせて頂いたのですが、昨日自分自身で骨子を作成しておいたので自分なりに肉付けをして言うべき事はしっかり話し出来たと思っています。その後、全国老人福祉施設協議会の平石会長と常任理事の園田先生が来賓の挨拶をリモートでして下さり、来賓としては直接来て頂いた健康福祉部の浅井次長さんがして下さいました。その中で、予算が厳しい中要求通りの形にならなかった事について丁寧にお話を頂いたので誠意のある方だと思った次第です。その後、衆議院・参議院・県議会議員の多くの先生からの祝辞が進行役の中西会長からされ「多くの議員の先生から祝電を頂ける組織になった。」としみじみ思った次第です。

引き続き総会になり議長にかつて制度政策委員長の西垣先生が指名されて各議案が粛々と承認されて安堵した次第です。総会議案が全て承認されて西垣先生が議長席を退席されてから、報告事項として11月29日、30日に開催される全国大会岐阜大会の説明と会員施設の協力のお願いを会長である私がして無事に終了して、承認された理事さんとの臨時理事会をその場で行い、それも終了して会場の片付けを役員みんなで行い皆さんにお礼を言って車に乗り携帯のメールを確認すると予約しておいた手土産用の名入りの煎餅が出来ているとの事で、元々帰りに司法書士事務所に寄るつもりだったので「近いのでついでに寄る事にしよう。」と言う事で本部施設に帰って来たのは17時前と言う事だったのです。

リピーターの皆さん本日も充実した一日だったのでハッピーな気持ちになれたし、自分へのご褒美で今夜の夕食では熱燗を飲みたいと思います。

孫娘は昨日無事に退院したと連絡がありました

令和5年5月24日

21日の日曜日に次男の嫁は孫娘より先に退院したとの事だったので、産まれた時の状況で何かトラブルがあったのか、産まれた時の写真では点滴の管が見えたので心配して尚且つ母親と共に退院が出来なかったと言う事で随分心配していたのですが母親から遅れる事2日後の昨日無事に退院したとの連絡を聞きホッとしました。退院が延びた時には「大学病院何だから安心だ。」と強がっていましたが、昨日無事に退院した連絡を受けて正直安心した次第です。正直今日にでもスマホの写真でしか見ていない我が孫娘を見に行きたい(抱けたら最高なのですが)のですが予定を確認してみると残念ながら最短でも土曜日になりそのタイミングを逃すと日曜日は法人の予定がビッシリ入っているので次の日の予定が立たない状況があります。

私は孫娘にはベットに 固定してくるくる回るおもちゃを贈りたいのです。「今どきそんなの喜ばない」とか「目があまり見えていないのに贈るの」とか色々と言われるのですが私は自他共に認める『昭和おじさん』ですからだれが何と言っても「私は孫娘に贈りたいの。」と言う事です。真っ赤な顔をした孫娘に「じいじだぞ。」と言える日を楽しみにしています。

さて、昨日の話題をもう一つさせて頂きます。昨日は15時30分から優・悠・邑 和(なごみ)で3施設合同の責任者会議があり、1時間15分で終了して本部施設に17時過ぎに帰れて「今から本部施設での仕事をするより我が家西側の川の草刈りを優先させようと週1で来てくれる移動販売のダルマさんが来ていたので、買い物だけ済ませて家に帰り長靴と軍手をして草刈り機を持って川に降りて草刈りを頑張りました。

最近はあまり草刈りをしていないので(昨年は我が家の田圃の道路の部分を刈っただけでギブアップしてしまい、同級生に依頼したしまうていたらくでしたから・・・)力任せの草刈りになってしまいました。草刈りをした後の後始末の方が正直大変でした。と言うのは草刈り機では力任せの刈り方なので川の中になぎ倒したのが散乱しているので「手で集めるのは大変だ。」と言う事で一旦川から上がり車庫の中にある鍬を持ち出しもう一度川に入り草を集めつつ川の端に乗せる作業をしました。草だけなら軽くて楽勝なのですが土と根がしっかり付いた塊を端に移動させるのはとても大変でした。

どっみち綺麗にするなら徹底的にしたい私は、川の中央に島の様になっていた草の処理までしたので作業が全て終了した時には私の服はべとべとになってしまいましたが川の中は綺麗になり水の流れがスムーズになり気分はとてもよくなり、道具を片付けてからはお風呂に直行して身も心も綺麗になりました。リピーターの皆さんたまには体力を使う作業も良いものだと思った次第です。

 

日々の繰り返し これに飽きた人が負け

令和5年5月23日

今朝の妙応寺本堂の日めくりカレンダーの言葉なのですが、何度も(多分12回目だと思います。何故なら5月が終わり6月に入ると丸々一年続けた事になるので。この事については6月1日にコメントします。)見ているはずなのに本日は新鮮な想いで見ることが出来たので本日のコラムで書く事にします。

私の趣味は『仕事』と豪語しているくらいですから当然の事ながら「月月火水木金金」で休む事無く(若干の休憩はしますが)仕事をしているのですが辛いと思った事は有りません。「来る日も来る日も仕事をする事」に今は違和感を持つ事は有りません。それどころか「毎日仕事が出来るのが楽しい」と思っています。

但し昨夜は名古屋で東海北陸ブロック正副会長会議の後17時30分から懇親会があり、19時50分発の米原行きが2分の遅れでぎりぎりに乗る事が出来たのですが、車両に乗り込もうとすると結構な方が立ってみえたので「もう少し空いている所はないか」とどんどん前の車両に乗り込もうとして、結局一番前の車両に時間もないので乗り込んだのですが文字通り「立錐の余地なし」と言う事で無理やり乗り込んでドアがしまったら身動きが出来なくて向かい合った男性の方は随分背の高くてそれでいて私以上にお腹が立派で背が高い分お腹の位置も高くて相手のお腹の下に私のお腹が収まっている様でお腹がこすりあわない様に立っているのに必死でした。

「早く空かないか」と思っていたのですが稲沢ではほんの少ししか降りられなかったので、状況は殆ど変わらず一宮ではそれなりに降りられて空席はないかと見渡すと2席分が空いているのを確認出来たのでそこに移動して座る事が出来ました。不思議な事に釣り輪を持って立っている方は多く見えたのに誰も座られないので助かったわけですが、私の図体が大きいからなのか結局ずっと隣の席は空いたままでした。

岐阜ではかなりの方が下りられてもまた新たな方が乗ってみえるのであいからわず立っている方はあったのですが大垣ではどんどんと降りられて乗られる方は殆どない状況だったので車両の中は空き空き状態になりました。大垣の次の垂井ではそれなりに沢山の方が下りられたのですが関ケ原では私を入れても5人しか降りる方がなくて寂しい限りです。

私はゆっくりと降りて行ったから予想通りタクシーの空車待ちの車は無く、お迎えの車に次々と乗って行かれて「これではどんどんと人口が減っても仕方が無いな」と思った次第です。人口減少については今更言っても仕方がありませんが私は自分が生まれ育った関ケ原町今須で事業をさせて頂いているので人口減を少しでも抑える事が出来ている事を自負すると共にだからこそ仕事が楽しいんだと改めて思いました。

 

朝のお参りは爽やかな空気の中です

令和5年5月22日

本日の空は爽やかな青空で風が心地好く、文字通り最高に素敵な環境での朝のお参りでした。

和合での全体会議が9時30分からあるので、我が家を8時30分に出たので9時15分には和合の施設に着き、少しは時間に余裕があったので今週25日にある岐阜県老人福祉施設協議会の総会(正式には社員総会)があるので、その打ち合わせの電話をしてから全体会議に挑みました。

本日は、15時から名古屋で東海北陸ブロック正副会長会議があるのですが、一旦本部施設に帰り打ち合わせ後に行こうと車を本部施設に向かわせている時に青空だった空が霞んでいるので「朝の天気予報で黄砂がきます‼️」と言っていたので「黄砂で霞んでいるのか。」と思いながらハンドルを握っていました。関ヶ原駅を13時22分発に乗って行けば名古屋駅から歩いて行っても間に合うと言う事で、13時前に私の車を我が家の車庫に入れてから副施設長の車で関ヶ原駅まで送って貰い、今は列車が来るのを待ちながらホームの待合室でコラムをガラケーの携帯で打っている次第です。

待っている間に貨物列車が一本ホームを駆け抜けて行ったのですが、目の前を通るのを見ていると凄い勢いで走り抜けて行ったのですが「一時の貨物列車よりは車両が増えたな。」と思った次第です。今、列車に乗り込みました。大垣で乗り換えなければいけないのですが、乗り換えて大垣駅を出るとそれほどもしない内に和合の施設を車窓から見ることが出来るのを楽しみにしています。

本日は会議終了後懇親会もあるのですが20時には懇親会が終了するので、名古屋での宿泊はしないで列車で帰り関ヶ原駅に迎えに来て貰う予定でいます。コロナ感染症も2類から5類になり懇親会も出来るようになったとは言え、まだまだ二次会に行くような状況では無いように思います。先般ある方が「大垣の飲み屋街は殆んど人がいないよ」と言われた ので「そう言えばここ3年は、スナックなどで歌を歌っていないな」と思った次第です。ただし、「カラオケについては施設の入居者さんの前で歌えるから幸せだな。」と思った次第です。

大垣での乗り換えはそれほど待たずにあるので便利だと思いました。(逆の場合は結構待たされます。)大垣を出てガラケーの携帯で和合の建物を撮そうとシャッターチャンスの為に身構えていたのですが、正直上手く撮れたかどうかはわかりませんでした。今年が明けてから岐阜県庁が新しくなったのですが、旧岐阜県庁は13階建てだったのが新庁舎は20階建てで実際に訪れた事はありますが、列車から見たのは多分初めてなので改めて「凄い建物が建ったものだ」と思いました。

列車が名古屋に着いてからコラムを打つ時間は無いし、会議終了後の懇親会ではお酒も入るので帰りの列車の中でコラムを打つのも厳しいので、本日のコラムはここまでにします。リピーターの皆さんの中にも「本日のコラムは中身が薄い」と思われたと思いますが、諸般の理由をご理解頂きたく思います。明日は中身の多いものにしますのでご理解下さい。

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