2023年03月の記事一覧

朝のお墓での出来事

令和5年3月11日

【リアルな表現が出来てリピーターの皆さんに伝わると最高なのですが・・・。】

昨日は本部施設で17時15分から幹部会があり(その前に和合での幹部会があり、その後、理事会の内容等の打ち合わせをしていて、帰る途中でゲンキーにより、幹部会が遅い時間からあるので幹部職員の分も含めてパン等を購入していたのですが、ギリギリ会議には間に合いました。)お風呂に入ったのが20時30分と遅く、おまけにテレビでは野球で韓国戦をやっていたのでいつもよりかは遅い就寝となり、いつもの4時25分のアラームには反応したのですが直ぐには起きれず、4時45分からのベットでの体操から始まりました。

起きてからの行動はてきぱきしていて、お経もいつもより早い唱え方でお墓参りの為家を出たのは5時40分。ペットボトル水は6本しっかりと入れてリュックサックに背負い、3日前にバローで購入した小菊3本入り3束を持ち出掛けました。本日はお墓での花入れに手間取る事を見越してか、妙応寺の本堂の戸は開いていなかったので戸の前で般若心経を唱えて、今須稲荷で本来本堂でお供えするはずのお賽銭も今須稲荷のお賽銭入れに入れてから、観世音菩薩様、毘沙門天王様、不動明王様の三仏の前でお水のお供えは省略して般若心経のみを唱えてから、関ケ原与一の墓と無縁墓のお地蔵様と常在不滅之塔では手を合わせるのみで六地蔵様まで行き、ここではいつもの様に湯飲みへの水入れと蝋燭と線香を手向け六地蔵様一つ一つに「オン かかカビ サンマエイ ソワカ」とご真言を唱えていると、本日も向かって右から2つ目のお地蔵様が帽子を被られていなくてお地蔵様が安置されている結構に高い(私にとっては)所によじ登り一生懸命に探すと、お地蔵様の真後ろにあったので帽子を被って頂き、再びご真言を唱えてから我が家のお墓に行きました。

先ずは花筒にある枯れてしまったお花を4ヵ所共に集めて新聞紙に包みました。次に花筒を綺麗に洗いペットボトル水をそれぞれに注ぎました。我が家のお墓の花筒には一杯入れたのですがこの調子で水を入れるとペットボトルの5本の水では足らなくなる(1本は六地蔵様に使いましたので)と言う事で吉澤家、及川家、柴田家ではそこそこの水にしました。そして、いよいよ花を入れて行くのですが、バローの小菊は1包3本なので3束で9本と言う事も何も考えずに「取り敢えず2本入れよう」と言う事で若山家の向かって右側をに入れた時に「足らなくなるぞ」との声が聞こえてきたので(本当なんですから・・・。)左側には1本入れてから吉澤家、及川家、柴田家と2か所に1本ずつ入れたら丁度でした。考えてみたら当たり前の事ですよね。8ヵ所の花筒ですから1ヵ所だけは2本入れたら丁度良い。少し考えれば当たり前の事なのに柴田家で丁度小菊が無くなった時には正直「ピッタリで凄い」と思った私がいるのです。「う~ん。摩訶不思議と言うのもこう言う事か」等と罰当たりな事を思っている私なのであります。

 

堂堂と生きる 自分に嘘をつかぬこと

令和5年3月10日

本日の大谷師の言葉も何度か見ている(事情があってお墓参りに行かなかった時以外は月に1回は目にしているので)のですが、今朝の感じかたは少し違っていました。と言うのは、「堂堂と生きる」は私の場合は自分で感じたり思ったりした事を必死に求めて手に入れる事。但しその行為は決して自分の私利私欲ではなく、地域の方々が求めていることを形にする事。格好をつけて言っているのではなくて・・・。それこそ「自分に嘘をつかぬこと」です。但し、本日その言葉を見た時に即座に思った事は「私の場合は自分に弱気の考えが浮かび、がんじがらめになった時だ。」と思いました。

つまり、「解決出来ない様な問題が起きた時に自分の考えを無理矢理押し込めようとした時」だと思った次第です。気負って言う事では無かったですね。話題を変えます。一昨日色んな方に連絡している時に「昨日理事長さんの記事が写真入りで新聞に掲載されていましたね。」と言われてもその時は時間に余裕が無く確認もしないでいて、ようやく昨夜夕食時に確認しました。昨年の事だったのですが改めて記事になると正直嬉しいものです。(と言う事で本日の「今日の優・悠・邑」に載せておきますので見て頂けると幸いです。)昨夜我が家の新聞で確認した新聞を施設に持参して事務所の中でその記事について話をしていると職員から「理事長、マスクをしていない写真なのに皆さんは良く理事長だとわかりましたね。」と言われて改めて掲載されている写真を見ると「確かにメガネをしていない。でも私は逆にメガネをしていない事に気が付いていない。」と改めて自分自身のいい加減さに驚いています。

障害

本日は13時30分から和合の施設で、17時15分から本部の施設で幹部会があり、来年度の年間計画について話し合いを持ちます。コロナ感染症もかなり落ち着いてきた今だから、そしてウィズコロナでどの様な展開をしていくべきかをしっかり話し合いたいと思いますし、私自身社会福祉法人杉和会理事長としてしっかりとした骨格が出来る様にしていきたいと考えています。コロナ感染症と物価高騰と言うダブルパンチの中にあっても入居者さん、利用者さんを「きょう一日、楽しかったよ」の理念の元で職員が一丸になって頑張れる様な方向性を確立していきますので、リピーターの皆さん当法人のホームページを私のコラムと共にこれからもよろしくお願いします。

 

冬と春の狭間だと感じました。

令和5年3月9日

朝のお参りの為に外に出た時は、暗い中で煌々と光るお月様を見ながら、白い息を吐きながら歩いて行きました。六地蔵様の所で、お月様が西の山に沈んだと思っていたら、東の空から明るさが出てきました。このタイミングで町報の6時のチャイムが鳴り、「6時には明るくなってくるのだ。」と改めて思った次第です。お墓でのお参りも終えて妙応寺の駐車場まで戻ってくると、周りが明るくなってきた為か駐車場内を歩いていると、同級生の家の煙突からモクモクと煙が上がっているのが見えたので思わず近づいて写真を撮りました。煙に誘われて近づいた所に白梅の木に花が3分咲き位で咲いていたので、これも思わず写真に撮ったのですがこちらはまだ暗くて綺麗には撮れませんでしたが、リピーターの皆さん雰囲気だけでもご理解下さい。

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本日は10時から全国老人福祉施設協議会の総務・組織委員会がリモートで行われたのですが、よくよく考えるにこの会議は、この2年間リモート会議ばかりでリアルでの開催は無かったけども、委員の皆さんは論客揃いだったので、建設的な意見を常に頂きました。会員の新規入会の促進と賛助会員の為の新たなシステムを構築してくれましたし、委員会の幹事の意見集約の場である「2035の会」を主宰する事も出来ました。本日がこのメンバーでの委員会は最後になるかも知れないと言う事で、一人ひとりの委員さんに2年間の総括もして頂きました。それぞれに充実したコメントを頂き有難かったです。

昼食後は全国老人福祉施設協議会の役員さんの紹介で業者さんにお会いして、色んなお話をさせて頂きました。持つべきものはネットワークなので、 業者さんとは言え丁寧に説明を聞きました。その後は時間が出来たので令和5年度の社会福祉法人杉和会の理事長指針を書く事にしました。書き出すまでは色んな事を考えて試行錯誤していたのですが、いざ書き出すと思いが次々と出て来たので一機に書く事が出来ました。自分的には思いをパソコンのキーに入れたつりでいますが、この指針が令和5年度の基本になるわけですから責任重大ですが、職員全てに理解して貰いそれぞれに頑張って貰いたいと思っています。だって、私一人では何も進まないのですから。

あなたの笑顔がわたしのしあわせ

令和5年3月8日

本日の大谷師の妙応寺の日めくりカレンダーの言葉なのですが、昨年6月から毎日の様に本堂の日めくりをめくっているので、本日の言葉も何度か見ているのですが、何度か見ている時とは全く違う気持ちで受けとったので、その気持ちを正直にコラムに書く事にします。自分の気分が滅入っているために自分の表情から笑顔が消えていて・・・と言うよりもトゲトゲしていたのが自分でもわかるような状態だった様に、大谷師のお言葉で理解しました。だから、お墓参りから帰ってきて家に入った時に大きく深呼吸をしてから私の奥さまにこれまた大きな声で「おはよう。」と声を掛けました。そしてつくづく思ったのは「大きな声を出すと気持ちが良い‼️」と改めて思った次第です。

本日は大垣市民病院の泌尿器科で、38回放射線治療をした治療の結果がどの様になったかを診て貰うために、今は泌尿器科の待合室にいます。9時30分から10時の予約だったのですが、受診前に採血があるので家を7時40分に出て、駐車場から歩いて行きパスポートなる機械に診察券を入れて受付を終えて、2階の採血の所に行くと凄い人でごった返していて、受付に並ぶのにも順番待ちの状態です。何とか採血の受付を終えて順番の画面を見ると、21分待ちの表示を見てびっくりです。忍・忍で待っていて、採血を終えて泌尿器科に移動すると、待合室の椅子に座れないくらいの人が待ってみえます。「予約だとは言え予定通りに診て貰えるかな。でも、私はコラムを打つには丁度良い。」と思うと待っているのも全然苦にする事もありません。

今は9時50分になりました。まだ10時には10分ありますが少し苛苛してきました。(今は施設に着き、昼食を頂いた後で携帯からパソコンに送信した画面を見てます。)9時30分から10時の予定が10時40分になって、私の整理番号が画面で指定されて中待ちに入って行きました。中待ちには3診まであるのでそれぞれに一人ずつ待ってみえ(私も含めて)「次だから11時には車に乗って帰れる」と胸算用をしていたのですが、私は2診で呼んで貰うのですが、1診と3診は次々に入れ替わり、次の方が入って来ては呼ばれて診察の方に行かれるのに、2診は一向に呼ばれないのです。30分くらいイライラしながら待っていると、2診から多分私の前に診察で呼ばれた方が出てみえたので「ようやく私の番だ」と思ってからも10分の時間が経過して、本当に正しく「222番の方」と呼ばれて診察室に入って行きました。

診察室に入った段階で、今までの苛々はスッと消えていました。尚且つ担当の先生から「放射線治療頑張りましたね。数値も本当に低くなり今の状態は大丈夫と言えるので、3カ月毎にまた採血をして様子をみていきましょう。」と言われて正直「ホッと」しました。大きな難題が取り敢えず一つ解決したので、リピーターの皆さんギアを上げて頑張りますのでこれからも宜しくお願い致します。

猛反省とこれからの展開

昨日の岐阜県老施協常任理事会の開催を忘れていて、事務局の機転により急遽リモートによる参加になった事は私に対して何らかの戒めであったと思っています。私はこの25年の間自分の施設の展開を中心にして、老施協のスケジュールを最優先にしてきたと自負していたのに昨日の失態は一体どういう事なのかと考えています。

平成10年5月に本部施設本館の事業開始からとにかく家族の理解を得て(私は言い出したら聞かないので仕方なく理解をしていてくれたのかも知れませんが・・・。)施設の事を必死になって頑張ってきました。その中で高齢者福祉の事は何も知らなかった私が5年にして西濃支部長(岐阜県の副会長)になり10年後には岐阜県の会長になり、これまた10年の年月が経過しました。年月の重みを軽んじたわけではありませんが、この失態は不幸中の幸いと理解して今後の生き方の中で改めるべき事をしっかりと考えて実践していかなければいけないと考えています。

先ずは自分の身の回りの整理からしていく事が一番だと考えています。机の上が乱雑だと仕事の効率が上がりません。次に一杯送られてくる案内の整理の仕方を考えて実行して継続していく事と、それに伴う確認をしっかりと行う事だと思います。そして絶対に必要な事は時間に余裕のある生き方をしていく事です。職員達には「地に足がついた展開を」と言っている自分が一番出来ていないのではないかと言う事です。「やっつけ仕事は駄目だ。」と言ってる私自身が出来ていないと・・・。

1つの失態から色んな事を考えたのですが、しっかりとした再スタートを切るために先ずは書類の整理をしました。必要のなくなった書類を シュレッダーにかけながら行っていたら結局午前中かかってしまいました。その時に思ったのは「貯めてしまうと非効率」だと言う事です。いや、その様に思ったのは今回が初めてではない・・・。いやいや数えきれないくらいの記憶があるような・・・。

午後から垂井で打ち合わせがあり、70歳の誕生日前に自動車学校で事前の講習がある案内が葉書できていたのにかなりの間予約をしなければいけないのをそのままにしておいたので、ついでに大垣まで足を伸ばして自動車学校で予約をしに行きました。私は自動車学校は長浜に行っていたので、大垣の自動車学校には初めて行ったのですが、親切に受付をして下さいました。私は「この5月に70歳になるのですが、いつでも都合が良いわけで無い」と言うと「土日でも大丈夫ですよ。」と言われたので「世間一般の方は土日は休みだから、そのような対応をしてくださったのだ。」と思うと共に「70歳でも仕事をされている方はたくさんみえるんだ。」と思った次第です。免許更新前の講習がどの様なものかはわかりませんが、頑張って受講したいと思います。

 

めっちゃ嬉しい事がありました。

令和5年3月6日

本日のコラムの題を何にするか迷う程に嬉しかったのです。つまり題を「幸福地蔵菩薩様の笠」にするか「陰徳」とするか「然り気無く」とするかと悩む程に朝のお参りで嬉しい事があったのです。それは写真の通り幸福地蔵菩薩様の笠がしっかりとかぶられていたのです。

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今朝の仏間での祈りの時に「ひょっとしたら本部職員がしてくれたかも知れないな」と半ば期待しながらも「していてくれていたら凄いな。」 と思いつつ幸福地蔵菩薩様に近づいて行くと笠はしっかりとかぶられていて風で笠が飛ばされないようにしっかりと止めてありました。99%やってくれているのでは無いかと思いながらも「私が帰る時にはその様な発言も素振りも無かったので「1%のがっかりはありかな」と思っていたのですが1%のがっかりはなく本日の青空の如くの気分です。但し、その職員に言っても「僕じゃありませんから」と言うばかりなので「こう言うのも陰徳と言うのかな」と悩んでいます。さて本日は午後1時30分からの岐阜県老人福祉施設協議会の常任理事会が有る事が予定表から抜けてしまっていて(こんな事は本当に初めてです。)13時30分を回った時に岐阜県老人福祉施設協議会事務局から電話があり、事務局の方が「どうして会長は施設なんですか」的な事を言われたので、私は全く常任理事会が有る事が頭から抜けていたのでピントの外れた事を言っていたのだと思います。事務局の方は「何をピント外れな事を会長は言っているのか」と思われたのだと思います。申し訳ない様にではありますが「会長、今日は常任理事会が13時30分からあるのですが。」と言われてから私自身は大慌てです。「これから行くには1時間かかるし、その間役員の皆さんを待たせるわけにはいかないし。」とパニック状態でいると「会長。これからリモート会議用のアクセス番号を教えますので」と言って下さったので「そうか、その手があったか。それだったら皆さんにそれ程迷惑を掛けないですむな。」と言う事で急いでパソコンを操作してリモート会議に参加出来る様になり、会長としての挨拶をさせて貰うと事務局から「ここからは会長の進行でお願いします。」と振られてまたまた大慌てです。何故なら手元に式次第を含めた資料が無いのです。そこで正直にその話をして急ぎパソコンで送って貰いこれまた急いで印刷をしていたので、役員の皆さんに15分位待って頂く事になりました。その後の会議の進行は上手く行ったのですが「こんな失態を繰り返したら信用がた落ちだな」と思ったしだいです。確かにやるべき事は多いですが地に足を着けた対応をしていかなければいけないと痛感した次第です。リピーターの皆さんこんな私ですがこれからも宜しくお願い致します。

幸福地蔵菩薩様の笠が・・・。

令和5年3月5日

昨日は強か飲んだ事により朝のお参りもお墓参りも出来なくて出張で泊まりの場合を除いたら昨年6月開始以来初めての事で雨の日も雪の日も続けていたのでとても残念な事ですが、本日は頑張れたので良しとします。何故ならばなし崩しにならなかったから。と言う事で、今朝のお参りとお墓参りはしっかりと頑張り今はお風呂にゆったり入っています。と言う事で軟弱だった頃の自分からは脱却した様です。

さて本題に入りますが今朝の朝のお墓参りの時です。一昨日に幸福地蔵菩薩様の笠が幸福地蔵菩薩様の腕の所に引っかかる様にあった事は書きましたが笠は頭に乗せて中にあったのは幸福地蔵菩薩様の手に握られている玉の所に置いたのですが、幸福地蔵菩薩様の玉の所に置いていたものはそのまま(写真参照)にあったのですが、

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「笠がない」と言う事で薄明りの中で探しても「ないないない」と言う事で頭がパニックになりながらもいつもの様に幸福地蔵菩薩様の花入れに水を入れてこれもいつもの様に幸福地蔵菩薩様に抱き付きながらのお願いをして階段を降りようとすると「笠がありました。」(写真参照)

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と言う事で安心しながら笠がある場所を見て最初は「よくもまあこんな所に飛ばされたものだ。」と思ったのですがよくよく考えてみたら、「いくら幸福地蔵菩薩様とは言え風に飛ばされてこんな所に納まる事はあり得ない。」と思うと共に「笠を見つけて下さった方がまた風で飛ばされてはいけないからとここに置いて下さったのだ。」と思うとその気づかいに「メッチャ温かい」と思った次第です。私一人ではしっかりと笠を被せる事が出来ないので誰かを頼んで風にも飛ばされない様にしなければと考えています。さて最近はお墓参りの時に随分早く明るくなってきたと思います。

そこで話題提供の為に岐阜の日の出と日の入りの時間を調べてみました。ちなみに本日の日の出は6時18分で日の入りは17時51分との事です。だからでしょうかお参りを終えて家に入る時には明るくなっていますよね。3月31日には5時42分が日の出の時間です。いつも仏間でのお参りを終えてお墓参りの為に家を出るのは5時30分前後ですから3月も終わる頃にはライト無くても外を歩くのが平気になると言う事です。

私は昨年6月初めから4時25分のアラームで起きて仏間でのお経と5時30分頃からのお墓参りを開始したのですがパソコンで日の出の6月初めの時間は4時37分と言う事で「えい、やー」と気合を入れて起きなくても既に明るい状態の所を起きたのですんなりとできて徐々に日の出の時間は遅くなってきたのですが、体が慣れてきたのと、ほんの少しずつ変わってきたのが良かったのだと思います。これからの時期は少しずつ日の出の時間早くなるので「ますます絶好調」と言う事で頑張りますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

 

本日は1日施設に行けませんでした。

昨夜は家族会の吉田会長と強か飲んだので、申し訳ないと言うか情けないと言うか仏間での祈りもお墓参りもせずに朝食も食べずに朝寝を決め込み10時まで寝ました。こんなことは何年ぶりかなと考えていて「少なくともコロナ感染症よりは前だから3年以上経っているな」と思いながら、11時からのふれあいセンターでの会合に参加するためにスーツに着替えて出掛けました。

会合は12時までの予定でしたが、13時から岐阜大学医学部記念会館で「一般社団法人    日本環境感染学会    地域セミナー委員会」主催の研修に参加させて頂きたいので11時30分に退席するお断りをしておいたのでタイミング良く退席させて頂きました。ナビの言う通りに池田トンネル経由で運転して行きました。

朝食を食べていなかったので12時が過ぎると猛烈にお腹が空いてきたので、コンビニでおにぎりとパンとお茶を買い運転をしながら食べました。ナビの指示した通りに運転していくと岐阜大学までは行けたのですが構内には入れないようにバーが降りていたので手前の駐車場に停めました。

「さてさて目的の医学部記念会館は何処だろう」と駐車場の所にあった案内板を見ていると「一番奥の所に目的の建物はあるようだ。」と言う事で歩いて行ったのですが、大学の構内はあまりに広くて「この建物かな」と思って行くと「教育学部」と書いてあり、「まだまだ奥か」と歩いて行くと「薬学部」と書いてあり「う~ん。わからへん」と言う事で学生さん3人に聞いたのですが「わかりません」と丁寧に答えて頂きましたが結局わからず奥へ奥へと歩いて行き改めて学生さんに聞いたら「真っ直ぐ歩いて突き当たりを右に行って下さい。」とかなり信憑性のある答えが返ってきたのて頑張って歩き、「記念会館、記念会館」と念じながら歩いて行くと「有りました。」と言う事で時間を確認しながら、会場の2階に行くと13時10分になっていました。受付をさせて頂きながら「すみません。遅れました。」とお詫びをして会場に入りました。

今回の研修はコロナ感染症を中心にしたもので、いつも感染症の事でいつもお世話になっている村上先生に3事例が終わり休憩になった段階でご挨拶にいきました。その後会場を見渡すと岐阜県高齢福祉課の方も何人か来てみえ、老施協関係の方も何人かみえたのでご挨拶をしました。研修は17時10分になり終了して「さてさて私の車を停めた所に行けるかな。」と思い、老施協でいつもお世話になっている方に声を掛けると「一緒に行きましょう。」と言ってくだれて、自分の車に戻る事が出来ました。結構歩いたと思いガラケーの画面で歩数を確認すると「4829」と言う事で「今朝のお墓参りの分を稼げた。」と思った次第です。

昨日は風が強かったようです。

令和5年3月3日

朝のお参りにリュックサックに6本の水を背負い出掛けました。歩きながら「何本の水をお供えすることになるのかな」等と考えながら歩いていて、先ずは橋の欄干で10回の屈伸運動。何とか息切れすることなく(情けない話をしています。)頑張れました。(当たり前か)

妙応寺の駐車場の所の幸福地蔵菩薩様の前に立つと幸福地蔵菩薩様の頭には帽子こそありましたが笠が無いので、少し動揺しましたが、幸福地蔵菩薩様の腕の所にありましたので急いで階段等を上がり、いつもは上がらない幸福地蔵菩薩様の台座にまで上がって、幸福地蔵菩薩様の背中に左手を回しながら笠を確認すると、笠の中のものが取れていてしっかり結んであった紐も取れていたので何とかならないかと夢中になっていると、妙応寺の駐車場の西にある家のいつもの同級生が声を掛けて来たので慌てて笠だけ頭に乗せて下に下りると、状況が理解出来たのか「昨日は風がきつかったから」と声かけて下さったので、一呼吸おいてからデイサービスの運転手さんを紹介して頂いたお礼を言っている間も忙しく杉葉を拾われていたので、「自分の屋敷の木から出たものだからだけど流石だな」と思っていると今日は仕事が忙しいのか、いつもとは違いそそくさと家に行かれました。(いつもだと20分は話をしています。)

妙応寺の本堂のお参りをして今須稲荷様の向かって左側のお狐様の台座に手をつき、ここでも10回の屈伸運動をして、薬師如来様のご真言を唱えた後、今須稲荷様に「所願成就・幸福到来」としっかりお願いしました。6段の階段を降りて右側のお狐様のの台座に手を着き10回の屈伸運動をして、続いて本堂と今須稲荷のつなぎ廊下の下の石垣の向かって左側でも10回の屈伸運動をして六地蔵様でお水替えをして、8段ほど上がった所に2つのお社がありそこにもお水を供えてから、関ケ原与一様のお墓では沢山のお地蔵さまもあり、しっかりお水を掛けさせて「常在不滅之塔」と言う立派な石碑に水をお供えして六地蔵様に行くと、お地蔵様の2人の帽子が無いと言う事で近くを探しても無いので、再び六地蔵様に戻り良く確認するとお地蔵の奥にありました。よく考えてみれば奥にあるのは当たり前です。風は正面から入るしか無いのだからと、自分自身の頭の悪さに思わず苦笑いです。六地蔵様は結構高い所に安置されているのですが、何とか膝をついてよじ登り帽子をかぶせる事が出来ました。

その後、7ヵ所の蝋燭立てに火を点け、湯飲み6ヵ所の水を替え、ご真言を唱えた後は我が家のお墓に行き、若山家(我が家)、吉澤家(春子お姉様の嫁ぎ先)、及川家(かつての入居者)、柴田家(同級生であり小さい頃めっちゃお世話になったおばさん)の水替えをしてから般若心経を唱えて、廊下の下と橋の欄干の反対側で10回の屈伸運動をしてから家に着き、無事にお墓参りは終了。家に帰りコップ1杯の水を飲み、お風呂にゆったりすると健康な体に感謝です。リピーターの皆さん私はこんな人間なのですがこれからも宜しくお願い致します。

大いなる勘違い

昨日は名古屋で泊まらせて頂き9時30分からの会議を途中で脱け出し名古屋からのぞみに乗り東京に行き全国老施設協の理事会に参加して会議終了後に事務局の方々に挨拶をした後、福島県の副会長さんと一緒にタクシーで東京丸の内まで行き私は何を勘違いしたのかホームに行ったらガランとしているので慌ててホームを降りて違うホームに行くと17時33分のひかりがあり、「これは素晴らしい。

これで岐阜羽島まで直行出来ると列車のドアが開くのを待っていてふと考えたのが「本日は岐阜羽島に車がない。と言うことは名古屋まで17時30分に出る列車の方がはるかに早く名古屋に着く。その列車にまだ乗れる。」と言う事で向かいのホームに急ぎました。「セーフです。」と言う事で今はのそみで名古屋に向かっています。

そして今は「在来線が上手い調子であると良いな」と思っていたのですが。名古屋での乗り換えはグットタイミングでした。と言う事は結果的にはのぞみに飛び乗って正解だったと言う事で、我が家に着くのが30分早くなりました。(明日もバタバタになるといけないので帰りの新幹線の中で書けるだけ書きました。)

飛び乗った列車は結構に混んでいたし、まさか在来線の中で弁当を広げるわけにもいかず、結局我が家に帰り、急いでお風呂だけ入ってから遅い夕食を頂いてからくたくたの体をベッドに沈めるとあっと言う間に眠りにつきました。体は疲れていましたがいつもの4時25分のアラームで気合を入れて起きていつもの様に仏間でのお経とお墓参りもさせて頂きました。

本日は午前中に一般社団法人岐阜県老人福祉施設協議会の理事会前の打ち合わせがあり、12時過ぎに終了して一目散に本部施設に戻り、書類やメールの整理をしながら昼食をとりました。その後15時からリモート会議ではありますが全国老人福祉施設協議会デイサービス部会が17時まであるので久しぶりに本部施設の事務所内の机に向かっています。3年前からのコロナ感染対策の一貫でリモート会議を実施するのが当たり前になってきましたので私もリモート会議にもたもたする事は無くなりましたし、もしも今の日程をリアルでこなせと言われたら「絶対に無理」と言わざるを得ない状態ですので、リモート会議様様なのですが、コロナ感染もかなり落ち着いて来た今、リモート会議を主体にしながらもリアルでの開催も適宜開催をしていかなければいけないと、東京本部で開催された理事会に参加させて頂いて思った次第です。

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