本日は春分の日です。
令和5年3月21日
今朝も4時25分のアラームでの行動開始はいつもと同じだったのですが、玄関先に置いてあるペットボトルが入ったリュックサックに水を入れる為に取りに行くと土間の所にバケツに入ったお花が置いてあったので「お彼岸の花を準備しておいてくれたので頑張ってお墓に持って行かなければ」と思いながら6本のペットボトルに我が家の水道水を入れてから仏壇での正信偈と般若心経を終えてから外に出ると首に掛けたライトが必要ない位の明るさになっていました。
我が家のお墓と吉澤家お墓でしっかりとお花を整えたいと考えていたのと、4つの花束を持っての屈伸運動は難しいと考えてスルーをして、本堂と今須稲荷でのお参りもそこそこにして六地蔵様はお水替えと燈明は点けましたが、とにかく本日は我が家のお墓に急ぎました。先般購入した小菊はまだ大丈夫なので残し、しきび(「しきみ」とも言います。)を取り除き花筒を綺麗に洗い準備した花と小菊を飾りました。吉澤家のお墓でも同じ様にさせて頂きました。
お水替えだけは及川家と柴田家もさせて思おうとしたところ、柴田家は新しい花が供えられていたので私は思わず「勝ちゃんナイス。おばちゃんが喜んどるぞ」とつぶやきました。お墓でのお経もいつも以上に気合が入りました。妙応寺の境内に行くと桜と桃の木の花があまりに綺麗に咲いているので思わずガラケー携帯で写真を撮りました。
桃の木の所まで行き、心に余裕があったためか直ぐ傍にある『徳川家康公天下腰掛石』の所で改めて石碑の説明を読みその中に書いてあった「嬉しい・楽しい・有難い」を腰掛石に座って3回大きな声で言いました。大きな声で言えるのも朝早くの特権かなとも思った次第です。
妙応寺から旧中仙道に入ると腰掛石が元々あった本陣の所に黄色い建物で「今須改善センター」なるものが建っているのですが、本陣の原型を私は知っているのですが関ケ原町の方でご親切にも壊して頂いたのですがその当時の今須の有力者の方達は何も思わなかったのでしょうか。
その当時私がそれなりの立場だったらきっと体を張ってでも阻止したしたのにと思うと残念で仕方がありません。『覆水盆に返らず』の諺の通り壊してしまった物は元に戻りません。今はNHKの大河ドラマで「どうする家康」が放映されているので今も本陣が現存していたらと思うと・・・。
いや待てよ。もし本陣が現存していて旅行者が多く訪れていたら、私の家は『門前』にあるので旅行者が必ず通るところだから・・・。リピーターの皆さんひょっとしたら、私は茶店の店主で蕎麦を湯搔いてぼちぼちとした生活をしていたかも・・・。多動な私ですからあり得ないか。