2022年12月の記事一覧

諸々の話し

令和4年12月21日

①新幹線の自由席特急券が当日限りの意味がわからない

乗車券は6日間大丈夫なのに自由席特急券が当日限りの意味がわからない。だって自由席で大丈夫と言っているのに・・・。指定してないのにどうしてその日限りなのでしょうか。リピーターの皆さんの中でその理由のわかる方は是非その理由を教えて下さい。確かに期限がなく使えるのは問題があると思いますし、料金が上がるタイミングの時には何らかの配慮が必要だとは思うのですが。自由席に乗れる人数を制限しているようには思えないし。だって、もう何年か前の事ですが東京から名古屋まで新幹線に乗った時には身動きが出来ない状態で、しかも隣に若い女性が乗ってみえたので私は変な誤解を受けたくないので、考えすぎかも知れませんが両手を挙げたまま名古屋まで乗ったのを思い出しました。つまりは、自由席の人数を制限しているわけではないのです。

②本日の大谷徹奘師の言葉です。

いつもの様に大谷徹奘師の日めくりカレンダーをめくろうとして昨日は東京出張だったのでお墓参りに行けなかったので2枚めくると『欲しいのは自分に負けない心です』との言葉が出て来たので正直「絶対に負けない」と口では言っているけど「本音のところでは時に弱音を吐きたい時もあるな」と思う時があるのを大谷徹奘師は何もかもお見通しなのかと思ってしまいます。

③ナビのルート変更は従った方が良いと理解しました

17時30分開始の食事会が大垣フォーラムホテルの中華のお店で予定されていたのですが、本日14時から全国老人福祉施設協議会正副会長委員長拡大会議がリモート会議であり、私は副会長として閉会挨拶の役割りがあり、途中で抜けるわけにもいかず、会議が終了したのが16時32分でその後事務局からの事務連絡があった後に手短にではありますがポイントと3点にしぼり5分で挨拶を終えた時には16時40分。パソコンを閉じて急いで我が家でスーツに着替えて大垣に向け走って行きナビで最短距離を選んで走って行き、何故か走っている時にルート変更の表示がされたのですが、「いつも慣れた道で」とルート変更をしなくて走っていて、ナビがルート変更をした理由が分かりました。それは、最初に選んだ道が渋滞していてなかなか進まなかったのです。と言う事で開始の17時30分には間に合わなかったので会場に入る時には緊張しましたがしっかりご挨拶をして入ったので事無く済みましたが、これからは文明の利器はしっかり活用したいと思うと共に『急がば回れ』の教訓も理解しました。リピーターの皆さんもナビの言う事は聞いて下さいね。

いつもと違うのは調子が狂います。

本日は東京出張で10時30分から昼食を挟み16時まで会議があり、リモートではなくてリアルな会議の為に今は新幹線に乗り、もうすぐ名古屋だとアナウンスしています。

さて、『いつもと違うと調子が狂う』のは何かと言うと、いつもは4時25分のアラームで行動を開始して、仏間でのお参りを1時間とお墓へのお参りを1時間した後はお風呂に浸かり、その後朝食をとり、ゆっくりと新聞を読んだ後は仕事モードになる月月火水木金金の生活リズムなのですが、岐阜羽島7時5分発の新幹線に乗るためにお墓参りは断念したので、4時25分にアラームは鳴ったのですが5時にアラームを設定し直して再び寝ました。(不思議な事に30分だけですがグッと寝ました。)5時のアラームでしっかりと目を覚まし行動を開始しました。

お水替えとお参りをしっかりとして、朝食後はスーツに着替え奥さまが作ってくれたおにぎりを持って車に乗り込み高速道路も順調に進み、岐阜羽島駅前のいつもの駐車場に入れると駐車場はがらがらで6時30分には着いたので駐車場でおにぎりを食べて財布から昨日関ヶ原駅で購入した切符を取りだし助手席に置き、手袋をはめて車から降りて歩きだし、マスクをしていないことに気が付き車に戻りマスクをしようとして「おいおい、切符を助手席に忘れとるがな。」と言う事でまだまだ本来の調子になっていないと自覚しないといけないと苦笑いです。

ただし、救いはテレビの情報では12月としては観測史上かつてない積雪を記録しているところがあるとの事なのに綺麗な青空で「ありがたいな。もう少ししたら綺麗な富士山が見えるかな」と思っています。綺麗な富士山がみえたらコラムを打っているこのガラケーの携帯で写真を撮り本部施設にメールで送りホームページの理事長コラムに掲載しますのでリピーターの皆さん楽しみにしていて下さい。

(ここからは会議を終えて新幹線に乗ってからの記事です。)予定より30分早くに全ての会議が終わり多くの方に挨拶をしてから福島県会長であり全国老施協副会長と一緒にタクシーに乗り、今は新幹線の中です。今乗っている列車は『のぞみ』なので名古屋乗り換えですが、なるべく早くに帰りたいので名古屋乗り換えに乗りました。文字通り『トンボ帰り』と言う事です。見方によっては「東京に行けて良かったね。」と言う考え方もありますが、新幹線の中ではコラムを打って、会議の前後は色んな方々に挨拶をして、午前の会議では人数が少ない中でのものであったので、しっかりとした意見を言わなければいけなかったし、午後は午後で副会長として雛壇に座ってのもので緊張の連続でした。会議中にたくさんのメールがきていたのでメールを開き確認をして返信メールや直接電話をして指示を出したりと大車輪の対応ですが元気に頑張れている事に感謝です。

本日最も有り難かったのは快晴に恵まれて車の運転も楽だった事です。※  お約束通り富士山の写メをアップします。ガラケーの携帯ですが天気が良かったので綺麗に撮れました。

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昨日の記念式典の報告です

令和4年12月19日

昨日は13時から16時の予定でワークプラザ岐阜において『岐阜アソシア80周年 岐阜はもんの会50周年「80/50感謝の集い」』が開催されて、私も『社会福祉法人岐阜アソシア』の評議員として参加させて頂きました。コロナ感染対策は1階の入り口と会場である5階の大会議室入り口でのチェックと厳重になされていて、受付をすると指定席と言う事で係りの方に案内して頂き正直「こんなに前の方で良いのかな」と思って椅子に腰かけると真後ろの席の溝口副会長から声を掛けられ恐縮至極です。

本部施設から充分に時間に余裕を持って出掛けたつりだったのですが、池田トンネルを抜けたところから結構な吹雪に見舞われ思うようには走れなかったこともあり5分程度遅れたので、山田所長の開会の挨拶が始まっていましたが、基本的には事なきを得ました。

今回の催しは岐阜アソシアの80周年と共に岐阜はもんの会50周年の記念事業だと言う事ですが、正直私自身は昨年の5月に垂井町梅谷地区に盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)が出来るまでは、視覚障碍者の方々との接点は岐阜県庁の新庁舎の為のユニバーサルデザイン検討会で、残念ながら他界された清水前会長や溝口副会長にご挨拶をする程度だったので、岐阜アソシアの歴史やましてや岐阜はもんの会の事など全く理解していなくて門外漢のような参加になりましたが、式典が進むに従って状況が次第に分かってきました。

最初に理解したのはアソシアの元を築かれたのは『聖公会』であり、聖堂会が設立されたのが立教大学である事もあり、社会福祉法人岐阜アソシアの理事長さんは立教大学の総長さんが担っている事も知りました。式典の中で岐阜はもんの会でのボランティア活動設立当初からされている方も何人かおみえになり「50年も活躍されていると言う事は一体おいくつ何だ。仮に25歳の時から関わられていたとしても75歳にはなられていると言う事だけれども、全然そんなお歳には見えないな」と感心してしまいました。

最後の企画は意見交換会と言う事だったのですが、意見交換会のオープニングで少し失礼な言い方なのですが、結構なお歳の全盲の方がピアノで素晴らしい演奏をされたのには驚きと共に感動してしまいました。何曲か演奏して下さったのですが当然の事ながら譜面など無しで難しいテクニックを駆使して演奏して頂いた事で改めて「参加させて頂いて良かった。」と思いました。懇談会では参加者の方々が積極的に意見を述べられたのにも敬意を表したかったです。ただし『愛盲館』時代の苦労や楽しかった事を生き生き話されるのを聞いていて、仲間が多く見えると言うのは心強い事なんだと思いました。

そう言えば盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)においてもお互いに励まし合って楽しくされている姿があるなと改めて思いました。『愛盲館』は視覚障害者生活情報センターに変わりエレベーターがついていて土足で大丈夫と言う事も有難いと言われたのは「随分な苦労があったんだ」とも思いました。80年或いは50年の積み重ね等と簡単に言えるものではないのでしょうが、改めて『継続は力なり』と思った次第です。

リピーターの皆さん私は改めて苦労を重ねて今があるのだから年老いてからの安心な生活の為に盲特養への返還を頑張って勝ち取らなければいけないと思った次第です。

R4.12.19

今朝の岐阜新聞の記事から

令和4年12月18日

『読者のひろば』に「新聞の良さ、縁側で知る」に書いてあったのを紹介したあとで私なりのコメントをします。『年を重ね、暇ができたら日だまりの中で好きな本を読んでのんびりしたいと思っていたけれど、本棚の本は皆読んでしまった。年金生活の中で、そんなに本も買えない。子供たちはスマートフォンやパソコンで何でも見聞きしている。でも、あのスビードと多様性にはついていけないし、何より世の中においてきぼりにあっている感じがどうしても受け入れがたい。ぼんやりと縁側で新聞を見ていたら1時間ほどたっていた。なかなか膝に入らない愛猫が膝に入って来た。私のリラックスしているこの感覚を私より先に気付いていたのであろう。「新聞、これだよ」。昨日起きた事などを私のペースで教えてくれる。嫌なニュースは見なけりゃいいんだ。

昭和時代から突っ走ってきた私は、やっと新聞の良さを知った。縁側でもこたつでも場所を選ばず、何より見るスピードを押し付けない。猫も気に入るばかりだ。若者よ。あなたたちもいつかきっと意味のなさそうなこのまったりとした時間と空気を味わう時が来るはずだ。でも新聞を作る人たちは毎日猫の手も借りたいほど忙しい日々でしょうね。

今では世界ともつながれる新聞をつくってくれる新聞に感謝です。ありがとう。』以上の記事が目に入ってきた時にいつも妙応寺の本堂の所に置いてある大谷徹奘師の講演で聞いた「年寄りの事は若い人にはわからんよ。病気になって健康だった時のありがたさを知る。」と言うのをまたまた思い出しました。若者の新聞離れは顕著なものがあります。確かに知りたい情報をスマートフォンで検索するのは便利です。『昭和おじさん』と言われる私も最近は重宝しています。しかしながらじっくりと味わいを持って新聞を読むと今まで知り得なかった情報も入ってきます。但し今の私は毎日毎日じっくりと新聞を読む時間が無い生活をしていますので、せめて土日はじっくりと読む様に心掛けていてこの記事を見つけたのです。

この記事を書かれたのは76歳の方で考えてみたら、 この歳になって気が付かれたと言う事はそれまでは忙しくされていたと言う事。断崖の世代直前の方がこの様に書かれていると言う事はこれからはこの様な考え方の方が増えて来ると言う事か。そしてこの『読者のひろば』に投稿された方々の年齢をちなみに列挙すると『73歳』『80歳』『76歳』『85歳』と言う事は「読者ひろばと言いながら、新聞は高齢者の方々の為にあるのか」いやいやそうではなくて、新聞をじっくり読むことが出来る様になったのは時間に余裕が出来たと言う事で決して悪い事ではないしいわゆる悠々自適の生活が出来るからこそ愛猫も膝の上に乗ってくれるのだと思います。と言う事は最近我が家の住猫になった『おもち君』は食べ物が欲しい時だけすり寄ってくるので私はまだまだ『読者のひろば』の投稿者ん仲間入りは出来ませんがこのコラムを毎日書けているから良しとします。リピーターの皆さん、それで大丈夫ですろね・・・。

 

寒波が来ると言っていますが・・・。

天気予報を見ると『寒波』『寒波』の大合唱です。雪が降る時にはいつもは私の車しか置かない車庫のスペースに奥様の車も入れるので遠慮しながら車を収めなくてはいけないので少し慎重に車庫入れをしなくてはいけないのです。とは言え元々2台入れていた所なので「入って当然」なのですが一旦楽な停め方をしてしまうと人間は駄目ですね。2台入れるのを面倒に思うのですから。と言う事でここ3日間は「今日は奥様が車を入れるのか」と気を遣う毎日が続いています。昨夜も家に帰ってきて奥様の車がいつもと同じ所に停まっていて車庫に入っていなかったので私の車を入れる前に携帯で「車庫に入れなくて大丈夫?」と連絡すると「今夜は降らないから」との明快な答えが返ってきて「気を利かしたつもりなのに」と思いながらも楽勝に車庫入れをした次第です。但し、今は携帯なる便利なものがあるから1本携帯に連絡するだけなので、それ程に苛つく事は無いのですが、仮に携帯が無い状況だったら車から降りて家の中に入ってまたまた車に戻らなければいけないので、「あ、そうか雪が降らないから大丈夫なんだ」等と悠長には構えられないのではないかと思います。そう思うと文明が進化した事でくだらない軋轢は無い状態を保たれるのだと一人で納得しているのです。ただし、文明の利器が発達すればするほど人間は退化していくのではないかとも思った次第です。

寒波の問題に戻ります。札幌市の予報はここ1週間雪マークがついています。そう言えば先般、北海道ブロックの役員さんとの懇談会があった時に「コロナ感染症によるクラスターが大変だ。」との話が出たので、私は思わず「換気が大切ですよね。」と話題を振ったら「雪はあるし寒いので換気がなかなか出来ません。」と言われたのは今になって「なるほど。」と理解出来ました。昨年は本部施設がある関ケ原町今須地内に於いてもたくさんの雪が降り私自身ホワイトアウトに見舞われて田圃の方に突っ込んで地元の方々の温かさを改めて知ったのを思い出しました。今年もたくさんの雪が降るのかなあ。地球温暖化が進んでいるとの事なのに良く理解出来ませんね。だって私は自慢ではないのですが『理科』は全くダメだし学習しようと言う意欲すらないので・・・。但し私は「カメムシが多い時には雪が多い」と言う昔の長老の教えを信じているのですが今年は比較的カメムシが少なかったように思うので「今須においては雪が少ない」と思っているのですが・・リピーターの皆さん、こんな考え方の私ですから『昭和おじさん』と言われるのだと思うし、雪が少ないと言う私の予想もあまり信じない方が良いのではないかとも思います。

新岐阜県庁舎竣工式典の報告

令和4年12月16日

事前に駐車券が送付されてきて、受付に近い『A』と言う券だったので「私が一番条件の良い所の券が送ってきたのは恐れ多い事だ。」と思っていたのですが、取り敢えず「遅れていくわけにはいかないので早く出る事にしよう。」と言う事で朝食後に着替えて7時40分に家を出て「県庁までの時間を知りたい。」とナビゲーションを設定すると8時30分には着くとの事だったので「かなり早く着くので余裕だな。」と思い運転していると、垂井に入ると信号に引っかかる事が多くナビゲーションの到着時間が8時50分になり「早く出て良かった。」と思いながら運転していて大垣を越した所でナビゲーションを確認すると、いきなり9時25分になったので「おいおいこれでは9時30分の開会にぎりぎりではないか。」と思い少し焦ってしまいました。そして穂積地内のいつも混む所まで行くと、極端な混雑が終わっていたのか意外とスムーズに走れて結局は9時までには県庁の信号を曲がる事が出来て尚且つ、冒頭に書いた様に最も近い駐車場に駐車券があったお陰で入る事が出来て9時10分には受付が出来ました。

ところが受付で『186』と書いた招待状を確認して貰うと、後ろの方で何かを相談してみえるので「何が難しいのかな」と思っていたら「指定席になっていますので係りの者が案内します。」と言いつつ「感謝状をお渡ししますので、式典が終わったらこの受付に来て下さい。」との事で私は「感謝状を頂けるとは聞いていないけど」と思いなが案内係りの方に誘導して貰うと私の席には名札があり「こんな前の方で良いのか」と思いつつ席に着こうとすると私の後ろの席にずらりと県議会議員の方が座ってみえてこれまた「恐れ多い事や」と思った次第です。

9時30分定刻に先ずは古田知事や県議会議員らが外の除幕式をされているのをスクリーンの画面を見ていると、岐阜県警察隊の演奏の後除幕式が行われました。その後除幕式を終えた方々が会場に入られて着座された後、古田知事の挨拶から粛々と始まりました。今回県庁舎は5代目だとの事ですが、今迄13階建ての旧庁舎が小さく見える20階建てで、しかも県産材の木、紙、陶器などがふんだんに使用され、世界的に有名な建築家の隈研吾さんのアイデアもたくさん入っている建物と言う事で確かに威風堂々とした建物で岐阜県が誇るものが一つ出来たと思いました。

P1000864 P100086510時30分に終了予定との事でしたが、催事が盛り沢山で11時に終了しました。本来式典の後の予定としては内覧会があったのですが、11時30分に大垣市民病院の放射線治療が予約してあったので内覧会はキャンセルして受付に行き感謝状を頂き慌てて車に乗り大垣市民病院に行くと放射線科の患者さん誰もみえなかったので受付で「遅くなりましたが大丈夫ですか」と言うと「直ぐに先生をお呼びします。」と言う事で手早く治療をして頂きました。清算を終えて昼食をゆっくりとしていられないと考えて、病院の売店で助六とお茶を買い車での移動中に食べて岐阜県老人福祉施設協議会の事務所がある岐阜県福祉会館に行き、13時前から研修会の開会挨拶の動画の撮影をしてから次回の理事会の打ち合わせをして14時過ぎに終了して、15時に打ち合わせを入れておいたので息つく暇もなく本部施設に帰ると既に打ち合わせのメンバーは揃っていたので急ぎ会議室に行きました。

17時までの打ち合わせを終えるとそれを待っていたかの様に看取りの方が亡くなった報告を受け、お医者さん対応と家族対応と葬儀屋さん対応として車に乗って頂くのを見送って、本日の業務は取り敢えず20時には終了しました。リピーターの皆さん私はこんなに活動的に動けるのに感謝です。

 

昨日のクリスマスケーキ作りの話題から

令和4年12月15日

13時30分から各フロアでのケーキ作りが始まり、私は13時45分からの業者さんとの打ち合わせを早々に終えて14時30分からそれぞれのフロアを回る事にしました。

先ずはデイサービスのエリアに行くと、デイサービスは在宅生活されている利用者さんなので比較的お元気な方が多い事もあり、既に各テーブルにケーキが並んでいて今正に食べるばかりになっていたので、「自分たちで作られたケーキですから、さぞや美味しいと思いますので頂いて下さい。メリークリスマス」と掛け声をして食べて頂きました。デイサービスの利用者さんの様子はいつもより遥かに活動的な雰囲気が伝わってきましたので、毎日がこの目の輝きだったら最高なんだけれど・・・。

次に本館1階に行くと既に皆さんが食べ終わっていて『祭りの後』のような感じでした。このフロアは何を行うのも前倒しでしてしまう傾向があるので、もう少しゆとりのある企画にした方が良いのではないかと思った次第です。

引き続き本館2階のフロアに行くと理事長である私を待っていて下さったような雰囲気が伝わってきたので、各テーブルを回ってそれぞれ特色あるケーキが中央にあり、入居者さんも職員も目が輝いているのが分かりました。職員の方から各テーブルのケーキについて『○ ○ 賞』を決めて下さいと言われたので「そう言えばその様な企画書が来ていたな。」と思いつつ再び各テーブルを回りながら賞を決めなければいけないと言う事でじっくりケーキを見て、感心した事がありました。と言うのは、ケーキの中に生の柿や吊るし柿(『あまんぼし』と言っています。)あずきが入っているのもあり、私自身思わず「ブラボー」と言ってしまいました。皆さんがケーキを食べられる前に「理事長さん1曲歌って」との声を頂いたので「今日は甘いものを頂かれるのですが吉幾三さんの『酒よ』を歌います。」と言う事で楽しく歌わせて頂きました。本館2階はまだまだ不十分な所は沢山ありますが、イベントには強いフロアだと改めて思いました。

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次に50メートルの通路を急ぎ新館1階に行くと私は企画書を見た時にそんなケーキが作れるの」と言っていた通りに、入居者さんと職員共々悪戦苦闘をしていましたが「楽しく悪戦苦闘しているな」と感じました。多分上手に出来なかったとしても皆さんで美味しく食べられた事と思います。

最後に新館2階に行くと私が来るのを「今や遅し」と言わんばかりで、テーブルにはそれぞれの自信作のケーキがおいてありました。甲乙付け難くコメントには苦慮してしまいました。このフロアでも歌の希望がありましたので、ここでは華やかな曲が良いのではと長渕剛さんの『乾杯』を歌いました。今回の企画は入居者さん利用者さんと作ったケーキを食べると言う企画で、ケーキ屋さんで買ってきたケーキとは違い一味も二味も美味しいものだったと思います。

今回の企画は職員からの提案で、   各フロアの入居者さん利用者さんとの話し合いで出来たものと言う事で最高の企画になりました。予算を削減した中での苦肉の策だったのですが良かったです。ちなみに材料は全て業務用スーパー『アミカ』で購入する予定でしたが西川課長が事前リサーチをしてきた結果スポンジは『ビック』の方が100円安いとの事でスポンジはビックで買う徹底した企画であった事もリピーターの皆さん私は自慢したいです。

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何もかも大きく映るのは感動です。

朝のお墓参りの時に吉澤施設長からプレゼントされた懐中電灯は既にこのコラムにおいて写真入りで紹介しましたが、今朝もいつものように歩いていて懐中電灯からの光を受けて見る影を楽しんでいます。最初に気が付いたのは家を出る時の事です。懐中電灯を首に掛けていて同じく首に掛けている四国遍路の一番札所である霊山寺で購入したお数珠が滅茶苦茶大きく映っているのに感動しました。(数珠玉1個1個が大きいのです。)

その時に思ったのは日本昔ばなしに登場するものの中で大きな物が描かれるものはこの様にして出来たのだろうかなと思った次第です。

次に気が付いたのは今須稲荷でお参りをしている時に金剛杖を両手で握りながら正面を見るとまるで柱の様に見えました。そして、関ケ原与一様の墓では私が少し体を動かすととんでもなく大きな動きになったので感動と言うよりは楽しくなってきました。

 

【放射線治療を終えての車の中で】

移動中のラジオを聞くとは無しに聞いていると、岐阜県池田町出身の演歌歌手石原詢子さんがゲスト出演をされていたので聞いていると演歌歌手の世界の厳しさがひしひしと伝わってきました。

石原詢子さんは父親が詩吟の教室をされていて、4歳の時から厳しく教えを叩きこまれ、高校を卒業と同時に石川さゆりに憧れて演歌歌手を目指して状況したとのこと。演歌歌手になる事は父親の思いとは違ったので、厳しく躾けられた父親の前で決意を伝える時には「手も足も震えた状態だった。」との事で、状況をする条件として「新聞配達をして生活を成り立たせる。」「毎日電話をする。」との事だったとの事。

その当時は今と違って携帯があるわけでもアパートに固定電話があるわけでもない時代なので駅の公衆電話でかけるしかなく、ある時1週間くらい電話をしなかった時には父親がアパートの階段に座って待っていたのには「申し訳ない気持ちで一杯だった。」との話しや、歌がヒットするまではいわゆる『営業』をしてもなかなか人が集まってこなくて苦労した事や、テレビに出る毎にファンが増えて来て7曲目を出してようやくヒットしたのにその7曲目を出して1週間目に母親が他界して、それから2週間後に父親も他界したとの話しにはヒットの陰にはご両親の思いが託されていたのではないかと思った次第です。

私は石原詢子と言えば『せんねん灸』がスポンサーになっていたくらいしか知らなかったのですが、改めて社会に認められる存在になるには厳しい試練があるのだと思いました。私も『勘当されて』とか「お金も土地も無い中で何とか法人を設立して25年になります。」等と言っていますが、どんな世界も厳しいものがあると思った次第です。リピーターの皆さんはどの様に思われましたか。

何がほしいの 何がしたいの 何をしないで 何ができるの

令和4年12月13日

「おいおい、今の私の心理状況が大谷徹奘師はどうしてわかるの。」と朝のお参りで妙応寺本堂の日めくりカレンダーを見て思った次第です。但し今の私は『何ができるの』と言う事でもがいているのですが・・・。先が見通せない苛立たしさの中ではありますが、喉に詰まったものがすっと取れて楽になり大変だった事を忘れて元気に飛び回って流暢に語れる様になるまで頑張りますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いします。

ところで、今朝は寒いと思って薄手のジャンパーを一枚余分に着こんで妙応寺の本堂経由のお墓参りに出掛けたのですが、いつもの幸福地蔵菩薩様の所まで歩いて行くと背中が熱くなって幸福地蔵菩薩様との会話が終わってから背中に背負っているリュックサックの中にしまいました。ところが妙応寺の本堂で般若心経を中心にしたお経を唱え終わって本堂を出ようとすると結構な雨が降っていたのでリュックサックの中からジャンパーを取り出してきたので、頭には毛糸の帽子を被っていると言う事で雨を苦にすることなく家まで歩く事が出来ました。結果的に防寒具が雨具替わりになり助かりました。ただし、明日からは本格的な冬将軍が来るとの事。寒さ対策をしっかりとしたうえで、『何が出来るの』が形になるまで頑張ります・・・。

いやいや、光が見えた展開になってからも健康の為に足が動く限り頑張って歩きます。だって6月4日から妙応寺の本堂経由の我が家の水を持参してのお墓参りをするようになって風邪もひかずましてやコロナにもかからず元気なのですから。それに歩くのが楽しくなっているのかも知れません。と言うのは放射線治療の為に9時30分頃に大垣市民病院の駐車場に車を停めるのですが、病院近くの駐車場は『満車』の赤い表示ばかりで一番遠い駐車場が辛うじて空いている状態なのです。(本日、その駐車場に行くと一台も入っていなかったので楽々に停める事が出来ました。)30ヵ所以上ある駐車場の中には受診が終わって帰られる車もありタイミングが良いと入る事が出来るのですが、そんなにまでして空いている駐車場を探さなくても楽々に停められる駐車場に入れる事にしています。その理由にはもう一つ大きな理由があります。それは、一番奥の駐車場からの往復をすると『歩数』が2500歩は稼げるのです。と言う事はスポーツクラブ等でお金を払ってマシーンに乗るよりも効率的で何と言っても爽やかに歩けるのが嬉しいのです。リピーターの皆さん、考えようによっては何事も長友選手ではありませんが「ブラボー」と言う事で・・・。

 

大切なのは こころの向きだと 思います

令和4年12月12日

大谷徹奘師の日めくりカレンダーの本日の言葉なのですが・・・。

私は正直に言って「人間には煩悩があるから全てをさらけ出す人はいないと思います。」と妙応寺の本堂でお経を唱えながら抵抗している自分がいます。私の信念は『有言実行』を基本にした生き方なのでリピーターの皆さんに宣言します。「私は今モヤモヤしている問題が解決するまで禁酒いやいや断酒をします。但し、お付き合いで飲まなければいけない時は例外とします。」

私が断酒をするのは人生69年間において一度だけ。と言う事は今回が2度目になるのですが1度目は残念ながら参議院議員2期目で急逝された元全国老人福祉施設協議会会長だった中村博彦先生の2回目の参議院議員選挙がある前の年の全国老人福祉施設協議会の役員による忘年会の折に皆さんを前にして「中村会長が再選されて最高に美味しい酒を浴びる程飲むのを楽しみにしてお酒を断ちます。」と宣言して実行に移したのを思い出しました。2期目の当選を立派に果たされた時は本当に美味しいお酒を飲んだのを思い出しました。

と言う事は『お付き合いで飲まなければいけない時は例外とします。』等と中途半端な事を言っていてはいけないので「心が晴れる展開になるまで断酒をします。」と、このコラムの中でリピーターの皆さんに宣言します。と言う事で『こころの向き』が決まりましたので後は『モヤモヤ』の元を断つべく戦略を立ててより具体的に実行に移していきます。

私は社会福祉法人杉和会を設立して25年の中で一貫として、『地域のニーズ』を理解した展開をしてきました。厳しい状況に置かれても耐えている時に理解ある支援者の方々に支えられて頑張ってきました。一人の力は小さくても多くの方とスクラムを組み今回も苦難を乗り越えて行く覚悟です。どの段階で解決の糸口を見つけれるはわかりませんが『こころの向き』は定まっているので迷うことなく展開して行きます。だって、『視覚障害者の方に安心とやすらぎを提供したい』との気持ちで頑張り全うしていきますのでリピーターの皆さん、益々の支援をよろしくお願いいたします

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