またまた遊ばれてます。
リピーターの皆さんは私のコラムの書き方から予想されている通り、幸福地蔵菩薩樣の私に対するちょっかいです。今朝も妙応寺の駐車場に入りいの一番に確認したら案の定と言うか予想通りと言うかはともかく幸福地蔵菩薩樣は帽子をかぶられていませんでした。ただし、帽子は探すまでもなく蓮の台座に置いてありました。多分、施餓鬼を前にして、シルバー人材センターから派遣された方が清掃に入ってみえたので大きな脚立も置いてあったので間違いないと思います。つまり、私が蓮の台座によじ上っていたのを見てみえたので、「帽子をかぶせるのは若山さんに譲るは。」との配慮だったと思います。
施餓鬼の話題を本日はします。写真の通り施餓鬼は8月3日4日の午前9時から午後4時までとの掲示に唖然としています。どうしてかと言うと私の記憶の中にある妙応寺の施餓鬼は午前9時から午後9時までで1週間位は開催されていたと思うのです。考えようによっては「寂しい限りです。」この様に規模が縮小になっているのには色んな理由が考えられます。一番に考えたのはコロナ感染症対策の為にお参りが少なくなった事。二番目に考えたのは信仰に対する希薄化だと思います。一番目の理由は『止む無し』の面もありますが、コロナを契機にして、なし崩し的にお参りが減るとしたら残念です。二番目の『進行に対する希薄化』については残念で仕方が有りません。若山家も妙応寺の施餓鬼の時には朝早くにお供え等を持ってお願いに行き都合の良い時間を頼む事をして、全員が揃ってお寺に行き本堂前で手を合わせてから、夕食のお接待を受けて順番が来た段階で本堂に行き若山家の順番になったらお坊様の案内で中心の席に着き大勢のお坊様の読経を聞きながらお焼香をあげてお供えを頂き無事にお参りを終了すると言う夏の風物詩だったように思います。日本にはしっかりとした四季があり四季折々の行事があり、日本人はその行事を大切にしてきた国民性があったはずなのにと思うと忸怩たる思いがあります。だからこそ本部施設では、昔からの風物詩を行事の中に取り入れたり、食事にも季節感あるものの提供に心掛けてきました。しかしながら、これまたコロナ感染症対策の一貫で色んな行事ができなくなったり、ボラティアの協力を得られなくなっているのが現実です。最たるものが地域行事と化した『夏祭り』が地域行事では無くなり、フロアのお楽しみイベントのような形態になっています。しかしながら本部施設職員は強かです。と言うのは「地域の方々に来て貰えないのであれば『密』にならないような配慮をして「神輿を作り、神輿を担ぎ、地域を練り歩こう」との提案に家族会の吉田会長も賛同して下さり、区長さんの理解も得られたので、地域の方々が沿道で応援して下さるのであれば施設に出入りしている取引業者さんにも景品等の協力をして頂いて盛大に実施しよう。と言う事で実施日は8月6日午前に実施する事になりました。リピーターの皆さん。当施設はこんな調子なので良かったら沿道に来て応援して頂けると嬉しいです。