無茶をしてしまいましたが結果往来です。
令和4年7月21日
昨夜は施設から帰ると18時30分を過ぎており、お風呂も準備ができているとの事で直ぐに入りました。お風呂を出ると食卓の夕食の品が並べてあり、その中に『お刺身』があったのを確認して私は頭の中で格闘しました。「お刺身と言えばお酒やろ」(その様なルールはどこにも無いのですが。いやいや、私の食生活の中にはあるのです。)「でも、唇に醤油が触ると大変だぞ」「いやいや何とかなるって。それにお酒で消毒も出来るかも知れんし。」と言う事で、お中元に頂いたお酒の栓を開け結局飲むことにしました。お刺身は唇を避けて口にいれれば大丈夫だったのですがお酒が・・・。
お酒は岩手県の有名な大吟醸でビールグラスに注ぐと琥珀色でまるでウィスキーのようで、「これは旨そう」とビールグラスを唇に当てて飲みだしたら、正直飛び上がるほどに滲みるのです。ただし、唇が痛がっている間に何とか喉の所までお酒が行ったら「これは辛口の最高のお酒だ。」と言う事で恐らくビールグラス一杯ですから5勺位だったのですが、「痛い」「旨い」「痛い」「旨い」で何とか飲むことが出来ました。(こんな状態で飲まなくても唇が完全に治ってから飲めば良いのにとの考え方も確かに有りますが。)「やっぱり日本酒は美味い」と言う決論に達しました。僅か5杓のお酒でしたが久しぶりに美味しいお酒に酔いました。
そして朝の目覚めの時にペットボトルの水を飲んで舌で腫れている所やぶつぶつになっている所を舐めてみました。そして、「まだ違和感はあるけれども昨日までのような痛さは感じない。」と言う事で、この現象は酒を飲んで目一杯沁みて痛かったけれども「酒で消毒出来た。」と言う事なのか、「痛さを感じない程度に治癒したのか」どちらにしても食べても飲んでも沁みないのは有難い事です。と言う事は「人間は何処かが悪くても調子が出ない。」と言う事です。いやいや、人間だけではなくて生き物全てがそうであり、機械にしても、部品一つが動かなくなったとしても本来の機能を発揮する事は出来ない。と言う事だと思います。
この様に書き進めていて、静慈圓大僧正が書の中で『平安之福』と言う文字が浮かんできました。さり気無い言葉ですが意味の深い言葉だと思いました。今朝の食事は昨日とは比較にならない位に楽に食べれていて「今日から頑張れる。」と半分ほど食べた段階で1本の電話が。そこで、この4月から地域にある民家を回収して4人のネパール人がシェアしている所の家主であり、当施設の家族会の会長さんから「何度注意してもゴミ出しのルールが守れない。」とのお叱りの電話を頂き、久しぶりに落ち着いて頂いていた朝食ですが突如へびの生吞み宜しく急いで食べて、紹介して頂いた会社に連絡した後、電話を頂いた家に行くと、奥様がみえて「注意した時は元気よくわかりました」とは言われるのにその後も出来ていない。
との指摘を頂いたので「日本語のものをネパール語にして貰って徹底します。」とお約束をして、9時30分になりネパール語がわかる方に来て頂き話し合いを持ちました。4人共に決して悪気はない事はわかったので「今後しっかりするように」話をして紹介業の方にお願いしてからバタバタでこれから(14時20分)無くなった方の遺骨を骨箱に収めに行き(天涯孤独の方なので垂井町の職員と共に)その後16時のお約束で県会議員の所に陳情に行きます。
リピーターの皆さん。救いはコラムが完成したことです。