介護事業に関わらせて頂いて28年にして思うこと
令和4年5月1日
介護事業の事など全く知識も何もなかった私が今あるのは、色んな方々の支援があったればこそ。最初の3年間は土地探しからでした。と言うのも、私には土地があるわけでも資金があったから出来たと言う事も全くない状態から始めたからです。逆に言うと何もかもが新鮮で、厳しい状況が何なのかもわからない中からのスタートだったと言えます。ただし、過去には「自分の他に、後にも先にも苦労を苦労と思わない生き方をしていたのは石川県で自立援助ホームを先駆けて実践された先生以外には知らない。(35年前の事です。)」と言っていたのですが、それ以上過激な生き方をされていた稀有な方を知りました。それは先般紹介した『静慈彰』さんです。
話をグッと本題に移します。(いつも本題とかけ離れた事をだらだら書くのが私の悪い癖だと思ってはいるのですが、こんな調子でしか書けないのですが、宜しくお付き合いして下さい。)
私は冒頭に書いたように全く高齢者福祉・介護の知識も経験も無しに、『福祉への思い』だけで突っ走ってきたのです。居直った言い方をするなら『常に家族目線』『入居者目線』を大切にした考え方で24年の月日が流れました。と言う事は、家族の方、入居者の方、地域の方々に色んな事を教えて頂きながらの24年と言っても過言ではないと思います。本日は、入居前の話と最後のお別れの時の話をします。
先ずは入居申し込みの段階での話ですが、殆どの場合、「今まで元気に生活していたのが入院をして(脳梗塞であったり、大腿部頸部骨折であったり、認知症状が厳しいものになった等々)家での介護が難しい。」との話です。つまり、入院をされてから「困った」との相談です。介護が必要でない内は「我が家には、無縁だ」との考えの中で施設見学をされた方が「この施設は素晴らしいので予約が出来ないのか」などとの話は殆どの場合「私には無縁な事」との考え方がある様に思います。だからだと思いますが、2000年の介護保険制度前の状況では、一生懸命に介護されていてとことん介護者が疲れ果ててショートステイやデイサービスを利用された時等に、地域の中に批判的な意見があった事は否定できない状況がありました。今は認知症になられる高齢者の方が5人に1人の時代ですから、批判的な見方をされる方は少なくなりましたが『自分の家は大丈夫』的な方は多くみえて自分の家が現実になった時に慌てて相談にみえる方が殆どだと思います。だからこそ、相談にのる時は『相手の方が何を望まれているのか』をしっかり理解出来るように話をして、当施設で出来る事については話をさせて頂きながら、出来ない事については色んな機関につなぐ情報を提供する事を心がけています。勿論一番大切な事は利用される方の理解だと思っています。
次に、もう一つの話題であるお別れの話をします。家族にとって『身内の方の死』に直面される場面はそれ程多くはないので、施設側としてお手伝い出来る事は精一杯させて頂く事と、無理強いしない事に留意いながら相談にのる事を心がけています。入居者の方が亡くなられた時には、嘱託医の先生と契約者の方に連絡して家族の方だおみえになった時に状況を丁寧にお話をさせて頂き、最後まで一生懸命に生活されたお話をさせて頂き、柔和なお顔であった事をお話させていただくと共にお元気だった頃の写真を写真ブックにまとめたのを提供させて頂き、希望に応じてお風呂にも入って頂き、これまた希望に応じてご自宅までお送りしてます。
この様なシステムを24年間出来たのは(お風呂については最初からではなくて職員の発案があってからですが)職員の理解と協力があったればこそだと思っています。今回は2つの事の紹介でしたがその他にも沢山思いを形にしています。リピーターの皆さん。良ければ蔓延防止も解除されましたので施設にも遊びに来て下さい。私のスタンスは『来るものは拒まず、去る者は追わず』です。