2022年05月の記事一覧

大垣市民病院でのあれこれ

令和4年5月11日

14時30分までに受付をしなければいけなかったので施設で昼食を頂き(二色丼)、施設にいても落ち着かないので家に帰り病院の準備をして、13時過ぎに出掛けました。病院では先ずは『パスポート』なる手続きを機械でして(この要領は覚えました。)その後、受付に行き書類を渡すと外来での検査との事で、しばらく待っていると外来室に案内され検査着に着替えて機械に乗り、仰向けで寝ていると血圧を測定して貰ったのですが、病院に行く途中で事業計画の事で苛々することがあり、「血圧が高めですね。」と言われたので、事情を話しすると「そのような事はよくありますね。」と言われました。しばらく安静にしていて2度目の血圧を計って頂き正常値になっていました。人間体は微妙なものだと改めて思いました。

しばらくすると、「お尻に麻酔の注射をしますので少し痛いですよ。」と言われて少し緊張しましたが、何とかクリア。その後、針を10本打って頂きました。その時間は正味10分もかかりませんでした。ただし、検査が終了して検査着から普段着に替えたら「車イスに乗って一時間いてください。その間に清算と薬の対応をして頂いても構いません。」と言われて車イス体験のようにあちらこちらと病院内を車イスで移動しました。車イスでモタモタしながらも薬を受けとるところの順番がきたので薬を受けとるところに行き、引換券をお渡しすると、「引換券だけ切り取って持ってきて下さい。」と言われたので、少し『ムッ』とした声で「慣れないものですみません。」と言うと(私の事を恐いおじさんと思ったのかも知れませんが)「次回からは宜しくお願いします。」と言われたので「次回からは気を付けます。」と含んだ声で言いました。

車イスに乗って一時間がだったので受付に戻ると「車イスから立ってみてください。」と言われて、普通に立ち上がると「帰って頂いて大丈夫です。」と言われて無事に検査は終了しました。流石に施設に戻る元気は無くて家に直行しました。家に帰ると担当医が言われた38℃の熱が出たり血尿が極端に多かった時は直ぐに病院に来て下さいと言われていたので「どのタイミングで熱が出るのか。」と思っていたのですが今の段階で(11日21時15分段階で)大丈夫なので大丈夫だと思いながら遅い夕食をとりましたので、昨夜はしっかり寝れなかったので、これから速攻で寝ます。リピーターの皆さんお休みなさい。

 

園田議員と岐阜県内を回りました

午前9時には宿泊されている大垣フォーラムホテルに行きたかったので(お約束は9時15分だったのですが)8時10分にお茶や御菓子を車に積み込み施設を出発。

朝のラッシュに捕まる事なく9時前に着きフロント前で待っているとしばらくしておみえなり、園田議員のゴールデンウィーク中の全国行脚のおおとりを岐阜県でしていただけるので19時に中央線多治見駅にお送りするまで、なるべく効率よく効果的な対応をしていきたいと考えています。なかなか、園田議員と直接お目にかかり園田議員の実績報告や考え方を聞く機会はなかなかないので、園田議員が思いをしっかり語って頂けるサポートをしていきたいと考えています。

先ずは大垣フォーラムホテルから直ぐの所にある岐阜県議会の重鎮である猫田県議会議員事務所に行きました。お約束の時間よりも早くに行ったにも関わらずお会いすることが出来、猫田先生の82歳にしてのパワフルな姿に園田議員もかなり刺激を受けられたように思いました。猫田先生との懇談が盛り上がり予定していた時間まで目一杯で猫田先生の部屋でお別れすることになると思っていたらわざわざ私の車が出るまで見送って頂き恐縮でした。

次の会場であるふれあい会館の予定時間が迫ってきたのですが玄関直ぐの所にあるエレベーターで3階に行くと会場は直ぐの所だったので、皆さんを待たせることなく会場に入り先ずは園田議員を中心にした集合写真をとり、責任者である私が園田議員を紹介しながらの挨拶をさせて頂いてから園田議員に情勢報告を熱く語って頂きました。園田議員のお話は具体性に富み介護事業をしている参加者にはどの課題もよくわかる話でした。目一杯話をして頂き西濃支部の参加者の方々は異口同音に「7月の選挙では良い成績を出したい。」と思って頂けた事と確信しました。時間が無くなってしまい質問の時間が無くなったので、ここは臨機応変にと考えて「次の会場に行かなければいけないので質問の時間が無くなってしまいましたので、グループチャットの手続きをして頂いてチャットを通じて質問やご意見を送って下さい。必ず園田議員から対応していただきますので。」と話をさせて頂き玄関先で待っていてくれている車に急ぎました。

次に向かったのは福祉用具政治連盟の会長をされているトーカイの社長さんの所に急ぎました。トーカイの本社に着き先ずは小野木社長さんと面談してから社員の方々沢山集まっている部屋に行き小野木社長さんが園田議員を紹介してから園田議員が時間一杯熱く語り、終わり次第再びふれあい会館に行き岐阜支部の懇談会。時間ぎりぎりまで時間を有効に使い中濃支部の会場である関に移動。

移動時間が約40分かかると言う事で移動中の車の中でトンカツ弁当を食べる離れ業。中濃支部の懇談会後は高山への移動。時間ピッタリに会場に入り園田議員との名刺交換から始まりました。和やかな中で時間が少し押しましたが最後の多治見に移動です。2時間近くの移動でしたが開始時間の5分前に全員が揃われていると言う事で開始して、予定通り19時に多治見駅に送って行き、駅前で秘書の下本さんに私が会長としての感想を動画で録って頂き全ての日程を終えて運転をしてくれた水野相談員と養老サービスエリアで夕食を食べて施設に20時30分に帰って来ました。昨日の経過報告をしましたが本日はグループチャットの仲間を増やす努力をしてます。

リピーターの皆さん。こんな1日もあるのです。

髪の毛のお話をします。

令和4年5月9日

私の髪の毛は、産まれた時には黒々とした髪の毛が生えていたと母秋江さんから聞いた記憶があります。どうして記憶に残っているかと言うと、私の父進さんは若い頃から禿げていて(お父ちゃんの悪口を言ってるのと違うから怒らんといてね。)あだ名が『若禿げさん』だったと父進さん本人からおもしろく教えて貰いました。(と言う事は若山進先生は結構ユーモアのある方だったんや)母親の秋江さんは「宏がお父ちゃんのように若い時から禿げたら可哀想だから昆布を沢山食べなさい。」と言われて育ちました。だから今でも塩昆布やとろろ昆布は大好きです。(あいからわず、本題になかなか入れません。お待たせしました。これから本題です。)

小さい頃はいわゆる『坊っちゃん刈り』で小学校を卒業するまでそうだったと思います。と言うより殆どの同級生はそうだったと思います。(何人かは丸坊主だったかな)中学校は『丸坊主』との校則があったので当たり前のように丸坊主でした。(今の時代にそんな校則があったら大変です。)高校時代は生活指導の先生の許容範囲でのロンゲにしてました。そして、大学時代は完全なるロンゲで大学2年の時には養母の英子さんから「長い髪を綺麗にしていくためにパーマをあてた方が良いと思うよ。」と言われて、近所の理髪店で今須で初めて男性でパーマをあてて頂きました。その当時ヘップと言われる履き物にラッパズボンをはき髪の毛をなびかせながら闊歩してました。(多分その当時の若者は、そんな格好をしたのが回りにはいっぱいいました)そんな格好をしたのは大学4年までで、大学5年の時にはいわゆる『七三分け』に髪の毛をばっさり切ったので、大学の事務局の職員から随分冷やかされたのを覚えています。(大学の事務局の職員にそんなことを言われるのは大学で目立った存在だったから)

大学を卒業して教員に採用されてからは七三分けから少し長めの髪型になりました。そして、勝手に教員を退職していわゆる『勘当』をされた時の約半年間は、床屋さんにも行かなかったので伸び放題の髪だったと記憶してます。ただし、児童養護施設時代も長めの髪だったですが、流石に伸び放題と言う事ではなかったです。児童養護施設を38歳で退職してからはいわゆる自由業のような生活、と言うかフリーターのような自己責任の中で大学や短大での非常勤講師を多い時には週に13コマをこなしつつ家庭教師も掛け持ちで行い、尚且つ新しい事業の提案の為にあちらこちらに行っていたので、そこそこ長めの髪型だったと思います。

だったら今はどうして丸坊主なの」については私のコラムを読んで頂いているリピーターの皆さんは既にご承知の事なのですが、私をこよなく可愛がって下さり、尚且ついたぶって下さった中村博彦先生(元全国老人福祉施設協議会会長で参議院議員)抜きには語れないのですが、その出来事についてはいずれ書かせて頂きます。だってその課題になると一杯書かなければいけないので・・・。私と中村博彦先生との関係をご存知な方も少なくなったなと思うと寂しい思いにもなるなあ・・・。勝手に思い出に浸ってる私です。でも、過去に浸っている生活をしたいわけでは決してありませんから。次の展開も脈々と考えていますので、リピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

 

コラム連続記録が1354回になりました。

令和4年5月8日

本日、時間に余裕があり、「いつからコラムの連続更新ができているのか」と全く脈絡なく思い付き過去のコラムを確認してみました。「確か何年か前の8月20日過ぎだったな。」との僅かな記憶を辿りながら「3年は続いているだろうから」と3年前の2019年8月20日前後を見ると「いやいやその前の年なのか」と2018年8月20日前後を確認すると2018年8月24日から間違いなく続いています。ここは血液型の『AB』の内の『A』の特徴を出してしっかり計算しました。2018年8月分が8回、9月分が30回、10月分が31回、11月分が30回、12月分が31回で合計130回。2019年が365回、2020年が366回(うるう年ですから)2021年が365回、20221月が31回、2月が28回、3月が31回、4月が30回で本日が8日ですから8回としつこい位に数えました。合計すると1354回になるのです。

回数も凄いですが1行だけ書いても連続更新は出来るのですが、文字数が段々多くなり千文字は書かないと満足出来なくなっているので、平均すると(最初の頃はそれ程多い文字数では無かったので)千文字にはなると思うので1354回×1000文字は1354000文字。我ながら「よくぞこんなに書けたものだ。」と感心しています。職員に常に『継続は力なり』と言っている事を示す材料になっている事に安堵する思いでもあります。

実は、本日、全国老人福祉施設協議会の参議院議員組織内候補の園田修光参議院議員が岐阜にみえて、明日は朝9時に宿泊先の大垣フォーラムホテルを出発して大垣、岐阜、関、高山、多治見と強硬スケジュールで凱旋して頂き、園田参議院議員を身近に感じて頂き介護業界において絶対に必要な議員であると言う事で、私も一生懸命に対応させて頂きたいと考えています。だから本日は早い時間にコラムを書かせて貰っています。(只今14時5分)

西暦2000年4月から介護保険制度が導入され、3年毎に介護報酬の見直しがあり、改正の最終決定は国会の場で決められるので、どうしても組織内での議員がいて介護の現状を国会の場でしっかりと言って頂かないと、入居者さん利用者さんの処遇を良くすることも職員の社会的認知度を高める事も難しいと考えていますので、7月の参議院議員選挙に向けてギアを高めていかなければいけないとも考えています。先般のコラムでも書かせて頂きましたが、ゴールデンウイークもお盆休みも年末年始も休み無い中であっても、職員は入居者さん利用者さんの日々の健康管理と笑顔を引き出す為に頑張っている割には社会的評価が低い事を国民に理解して貰い高齢者になっても安心した生活が出来る社会を継続していく為にも組織内議員は必要だと考えています。

本日18時には大垣入りをされるのをお迎えして明日の打ち合わせをすると共に明日は9時に大垣フォーラムホテルを出発してから19時にJR多治見駅にお送りするまでの対応をしっかりしていきます。そのおりの詳細は後日コラムで書きリピーターの皆さんにも議員の必要性を理解して頂けるようにしたいと考えています。

 

父進さんは生きていた時も死んでからも大変なのであります

令和4年5月7日

私の父進さんは明治最後の年に生まれていますので今、生きていれば110歳になるわけですが残念ながら満80歳で他界しました。息子の私から言うのも変ですが几帳面で律義で妻である秋江さん(私の生母)に絶対服従の生き方で苦労人の努力家だったと聞いています。私にとっての母秋江さんは絶対的に甘える事が出来る存在だったのです。リピーターの皆さんも既にご承知の通り母秋江さんは私が小学3年の頃から病院での入退院を繰り返す生活で残念ながら中学1年の時には他界していますので僅か13年の年月ですが『中身の濃~い、甘々な13年』だったと思います。このコラムのリピーターの一人である姉春子さんがこの記事を見たら「宏ばっかり良い思いをして、私は怒られてばっかり」と言う声が聞こえてきそうです。

父の生前のエピソードを紹介します。私が24歳で神戸北小学校の4年3組の担任をしていた時の事です。担任として初めての校内研究授業を6月に実施して頂き自分で言うのも変ですが『最悪の授業』をしてしまいました。当然のことながら校長先生以下全員の先生方から酷評されました。その当時の校長先生は県の研修センターから鳴り物入りで校長として赴任された方ですからそれはそれは大変でした。当然の事ながら私は落ち込みました。家に帰っても落ち込んでいる私を見て父進から「子どもに教えると言う事は大変な事なのに少し安易に考えていたな。お父さんがアドバイス位なら出来るので頑張りなさい。」と言われてからは真剣に教材作りをするようになりました。

先ず私は元々字が下手なのに板書も適当だった事を父進に話しをすると「板書はなかなか難しいものだけれど、宏はマジックだとそれなりの字が書けるのだから教材作りの一貫でビー紙にマジックで書いて行くと少しは余裕のある時間が持てるのではないか。」と言われて「なるほど」と言う事でその日から教材作りを真剣に実施して板書の準備もしっかりして行くようになりました。ただし、私は教材は作るのですが片付けなるものは全く出来なくて・・・。でも大丈夫なのです。朝出掛ける時にはあらあら不思議。綺麗に片付いていて、直ぐに出掛けるようになっているのです・‥。

こんな生活に甘んじていた私なのですがその頃の私は何の疑問も持たなかったのですからどうしようもない息子だったと思います。もしも立場が逆だったら今の私ならきっとカッカとしてしまうと思います。但し、毎日取り敢えず父のアドバイス通り、しっかりとした授業が出来るようになり、10月に実施して頂いた西濃教育事務所の方がみえての研究事業では高い評価を受けた時に『成功体験』をするには地道な努力が必要だと身を持って知った次第です。(今から思うと『片付け』も出来て一人前何だと言う事は児童養護施設の指導員になって初めて理解したのですから今考えるととんでもない若者(馬鹿者)だったと思いますが、「甘えさせる環境がそうさせた。」等と居直る考え方も頭の片隅にはある私なのであります・・・。

父が苦労人の努力家だったと言う話は次回にしますが、今朝のお参りで父進に対して「困っているので何とかして」と話をしてから、母秋江、姉光子、養母英子の3人には「進さんの尻を叩いて頑張らせて」とのお願いをしている私なのであります。正に死んでからも大変な状況にある父進さんにリピーターの皆さんから拍手をお願いします。(なんのこっちゃ)X

いわゆる『ゴールデンウィーク』とやらは終わったようです

令和4年5月6日

いやいやまだ、ゴールデンウィークは5月8日までだと言われる方もおありでしょうが、私たち『介護の入居施設』においては、いわゆる『ゴールデンウィーク』なるものは無縁のものなのです。だから私は負けん気を出して「長期休暇を自慢したらあかんよ。あれは、機械を長く止めた方がコストを押さえられるからなんやで。それに私はゴールデンウィーク中には公的な会議等はないので、家族の面会が沢山あり、色んな方とお話しできるし、入居者とのふれあいも沢山持てるので自分なりに楽しんでいるよ。」と言う事です。ただし、リピーターの皆さんに理解して頂いて支援して頂きたいのは「これだけ頑張っているのだから、職員のお給料面での評価が高くないのはおかしいと言う事を、声高らかに言って欲しい。」と言う事です。せめて全産業の平均値と同等にはして貰いたい。そうすると介護保険料に跳ね返るから難しいとの考え方があるのは理解出来るので、公的な資金の投入に配慮をして貰いたい。この問題を解決するには法的な根拠の見直しも必要なので必然的に政治力も必要だと思わざるを得ないです。だからこそ私は、7月に行われる参議院議員選挙では全国老人福祉施設協議会の組織内候補の園田さんを応援しています。

昨日のバイキングではタケノコご飯が厨房から出ましたので先般湯搔いたタケノコは毎日水を替えてタケノコご飯とタケノコの味噌汁の2回目のタイミングを考えています。タイミングと言うのはこれもこのコラムで書きましたが『私が午前中公的な業務が入っていなくて、厨房のメニューが味噌汁の時』と言うのを考慮して一番早い日は5月11日と言う事になり、私は一瞬その日を躊躇したのです。と言うのは前日の5月10日は大垣市民病院で午後から麻酔処置をしての検査があるからです。事前のお医者さんからの説明ではかなり不安になるようなものでしたが、「今どきのお医者さんの説明はリスクマネジメントへの配慮から最悪のパターンをされるから多分大丈夫なので5月11日で実行することにしよう。」と話をしました。

またまた入居者さん利用者さんからの笑顔を貰えると思うと今からワクワクです。だって、本部施設の入居者さん、利用者さんはノリが良いし、頓智が聞く方が多くみえるので企画をする側としても楽しみなのです。どうしてそう言う方が多いののかと言うと、入居者さん利用者さんを上手に乗せてくれる職員が多くいて、しかも楽しい企画が多く実践されているからだと思います。その様に思える事が確信出来たのは賑やかなボランティア集団の『てるてる座』の皆さんから「優・悠・邑の入居者さん利用者さんのタンバリンのタイミングが絶妙でどこの施設でのボランティアよりもやり易くて楽しい。」と言って頂いているからです。優・悠・邑の半端でない積み重ねの賜物だと考えているのですがリピーターの皆さんはどの様に評価して頂けますか。

 

世間では本日がゴールデンウィーク最後の日とか

令和4年5月5日

いやいや、8日までと言うお方もあるかも知れませんが私自身のカレンダーは毎日が施設での楽しさ、時には辛さを味わう日々です。しかしながら本日は『こどもの日』です。入居者さんは『こども』ではありませんが『こどもの日』があって今があるので、みんなでお祝いをするために『バイキング』を実施します。「バイキングに合わせてたけのこを振る舞うべし」との意見もありましたが「楽しいことは複数回あった方が良い」との考え方から、私が午前中は施設でフリーに動けてしかもお昼に味噌汁が出る日に合わせて楽しみたいと考えています。

と言う事で朝の祈りの時間に手を合わせていて、「こどもの日だけれども、入居者さんは充分に『大人』だから先般私が飲むために酒屋さんで買ってきて封を開けてない『三千盛(みちざかり)を持って行って入居者さんに振る舞おう」と思い付きました。「あっ。私は祈りの時間に祈り以外の事を考えている。まだまだ真剣みに欠けるな。」「いやいや入居者さんの幸せを思ってだから大丈夫」等と一人わいわい話をしている私なのです。さてさて、本日のサプライズで入居者さんはどんな笑顔や話をして頂けるのか今はお風呂に浸かっているのですが今からワクワクしてます。

この報告は後程書く事にします。(ワクワクワクワクワクワクワクワク)施設に行く前に一升瓶から4合瓶にじょうごで入れ替えて施設に行くと本日の検食の吉田部長が全館放送で私が日本酒を持って各フロアを回るとアナウンスしてます。これは吉田部長も入居者さん、利用者さんの笑顔を思い描いてのものだと思うと「よしよし」と言う事でしょうか。今回は新館2階から準じフロアを回る事にしました。それぞれのフロアに行くと先ずは私が大きな声で「岐阜県多治見の辛口の酒三千盛をお持ちしました。」と言うとお酒を期待していた入居者さんから歓声があがります。

入居者の反応はそれぞれです。ある方はノンアルコールビールを慌てて飲み干しコップを手にするかた。いつも飲まれる方々「私は飲まない。」と言われたりした時は「そんな事言わずに飲みゃー。」と言うと遠慮気味にコップを持ちながらも嬉しそうにされる方。順番を待ちきれない方と様々な対応ですが、お酒を振る舞うときにはいつもいつも賑やかな雰囲気になります。新館2階、新館1階と回り、本館2階には強者が揃っておみえになり、私もより気合いが入りました。本館1階で4合瓶が空になりデイサービスに行く前にお酒を追加して、結局皆さんで6合は飲んで頂きました。

皆さんで6合を多いと思われるかは意見が別れるところですが、本日の3種類の結構大きな切り身のお刺身はより美味しく頂いて貰えたと思いました。毎日お酒を提供するわけにはいきませんが、たまにだからこそ楽しみにしてもらえるのだと思います。リピーターの皆さん。入居者さんの中には私の事を『カラオケ』『お経』『お酒』のおじさんと思われているかも知れませんが、『これまた、よろしからずや。』と言う事で。

当法人の職員は素晴らしい

令和4年5月4日

本日未明に(午前1時21分)本部施設宿直者の五次部長からメールがきたので「緊急の連絡か」と直ぐに反応してメールを見ると、夜勤者職員が体調を崩したとの連絡で、「本館夜勤責任者に新館の方の対応をして貰うので早出の責任者に5時30分に少しでも早く来てもらう連絡をしたい。」との内容だったので「5時30分に業務命令のような事はしないで、何かあった時の対応の為に私が早く行くので、早く来るようにとのメールは止めて下さい。」との対応を電話でしました。

と言う事で朝4時31分のアラームでの行動開始はいつも通りだったのですが、パジャマのまま下に降りて行くのでは無く普段着に着替えてから1階に降りて行き、いつもの通り若宮八幡大神様と仏壇の水替えと蠟燭と線香を点け、若宮八幡大神様への祈願と仏壇での正信偈を唱えたのですが、ウォーキングマシンに乗っての般若心経をしてお風呂に入っていては施設に行くのが遅くなると考えて、正信偈を唱えた後は般若心経を1巻のみ唱えてから本部施設に行きました。(5時40分に到着)

駐車場に入ると2人の人影が・・・。犯人は(この表現はおかしいです・・・)その2人とは北島部長と水野係長で、2人で昨日湯がいたタケノコの処理をしてくれていたのです。私は凄い事だし嬉しい事だったのですが、ここは何か面白い事を言って感謝の意を伝えたいと思い咄嗟にでた言葉は「労働基準監督署ですが、こんなに早くからの勤務があるのですか」と投げかけると(悪戯を見つけられた子どものように)「今日は二人共に休みなのでボランティアをしています。」と答えたので、私は滅茶苦茶嬉しい気分になりました。

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今の世の中には権利主張を前面にだす方が多くいる中で、正に私が児童養護施設の指導員をしている時にその当時の理事長さんが禅宗の高僧でその方の教えの中で一番印象に残っていた『陰徳』そのものだと思った次第です。2人の行為は「入居者さん、利用者さんにタケノコご飯とタケノコの味噌汁を食べて貰って喜んで貰いたい。その為には昨日湯がいたタケノコの処理をしておかなければ」との思いだったと思います。但し、私が5時40分に施設に来るのは2人にとって想定外だったと思います。私が10年程前にいろんな事を教えて頂いた故中村博彦参議院議員(前全国老施協会長)のお言葉の一つである『労を惜しまず』そのものだとも思いました。

施設では、施設内を回りながら気が付いた事をメモしつつ入居者さんと楽しく会話したり、1人少ない中で頑張ってくれた職員にも声を掛けながらの楽しい時間でした。その中で入居者さんの一人から(元高校の校長先生)「理事長さんが施設内を回ると引き締まった空気が出来るからちょくちょくして下さい。」と言われて「そう言えば朝一で回る事を最近は出来てないな。」と思いながら施設内を2巡しての歩数を確認すると4500歩を超えていたので、「時にはウォーキングマシンではなく施設内を歩くのも意義があるな。」と思いました。

そんな事を考えて6時過ぎに本館2階に行くと2階の責任者が本来7時からの早出勤務なのに、多分五次部長からのメールを見て自主的に来てくれたのだと思いますが、  自ら状況を判断して来てくれたことにも嬉しさを持ちました。リピーターの皆さん。当法人はそんな施設なのです。不充分な所はありますがこれからも日々成長して行く施設ですのでご支援宜しくお願い致します。

 

カラオケのジョイントコンサートでの出来事です

令和4年5月3日

今年の1月から月に1回、地元藤下(とうげ)の高木さんのカラオケボランティアが開催されます。高木さん(昭和19年4月生まれ)はとても律義な方で、ボランティア当日は5会場で1会場4曲歌って頂く曲名と音域を書いたものを事前に届けて下さるのです。本日もアンコールにも応えられたので、合計21曲歌って頂きました。80歳を前にして実に声の伸びも凄いので私は感心すると共に私も高木さんの年齢になっても同じように声が出たら良いのにと考えています。

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高木さん中心の企画なので、私は2曲で副施設長は1曲歌わせて頂いてます。高木さんは最初には必ずカラオケのテープ(今だったらCDと言う事なのですが)で、テイチクから発売された方の曲を歌われます。そしてそのプロ歌手が当施設に入居されているのですが、本日本館2階の責任者の伊藤主任が元プロ歌手の方に声を掛けると、車椅子で下を向かれていたその方がしっかりと高木さんの方を見てしっかりと耳を澄まして聴かれているのがわかり、目力も凄いものを感じました。その時私は「過去の経験の中で光輝いていたものは忘れられる事は無いのだ。」と言う事を改めて確信しました。

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高木さんの後で私が歌う事になり「テイチクレコードからテープを出されたプロ歌手の前で歌うのは緊張しますが頑張って歌わせて頂きます。」と言って、先般盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の入居者の方に絶賛された布施明さんの『シクラメンのかほり』を歌わせて頂いたのですが、私の方をしっかり見て聴いて頂いてしかも歌い終わると拍手までして頂き私は涙が出る程に嬉しかったです。多分いつもは車椅子に乗っていても下を向かれている事が多い方なのに、今日はしっかり目力を感じられたので、少なくとも本日は昔を懐かしく思いながら気分の良い時間を過ごして頂けたと思います。

実は本日デイサービスからのスタート前に会議室でお茶を飲みながら、高木さんから本人のテープ(定価1000円と記載してありました。)を見せて頂きスマートに白のスーツをビシッと決めた写真まで見せて頂いたのでその時に「本当にプロ歌手だったんだ。」と思い、『光輝いた時代の事は覚えてみえるはずだ。』との思いで対応したのですが『仮説を立てて実践する事』の大切さを身をもって知る事が出来ました。今回の出来事は『特別な出来事』として片付けるのではなくて、一人ひとりの『光り輝いた時代・出来事』を理解して提案出来る事は実践していきたいと改めて思った次第です。

ところで、私がもっと歳を取って『光り輝いた事』は何だろうと考えてみた時に、あまりにも一杯あり過ぎて悩んでしまっている私がいるのです。こんな私を、自分自身、幸せな人生だと感じているのですがリピーターの皆さんはそんな私をどの様に理解して頂けますか。

 

四国遍路での土下座でのお参り、立業、お接待との出会い

令和4年5月2日

四国歩き団参での出会いは数えきれませんが、特筆すべきものを本日は書かせて頂きます。

先ずは『土下座でのお参り』ですが、私が初めて参加した高校2年の夏休みに最初に驚いたのは、本堂と大師堂でお勤め(お経を唱える事です。)をする前に自分の名前と住所と年齢が書いたお札をお札箱に納めてから、参加されている方々が当たり前のように土下座をされてのお参りなのです。汚れたりするのが嫌な方は準備よくビニールの風呂敷等を敷かれている方もありましたが、私はそんな用意もしてないので直に土下座をしました。(それ以降もビニールの風呂敷は用意しなかったですが・・・)なんの違和感も持たずに。『半沢直樹』の土下座とは全く意図が違うのです。私も含めて団参に参加している方は「気持ちよく」と言うより『土下座が必然』と言う感じでさせて貰っていますが、土下座の集団に驚かれたり感心されたりです。でも、素直に土下座出来るのはお参りが成せる業だと思います。

それに、本堂と大師堂の前で数珠を手に重ね持ち遮二無二『般若心経』を中心にしたお経を唱えている時は本当に爽やかな気持ちになり、歩いている時のしんどさを忘れさせてくれます。と言うより11番の藤井寺から12番の焼山寺の山越え約13キロを歩ききっての時は、格別なものがあります。勿論、阿波一国の中でも20番の鶴林寺、21番の太龍寺も最高なのですが。

次に『立業』についてのお話をします。12番焼山寺から一気に山を下りて13番大日寺までの開けた集落に入り多くの小学生、中学生が参加しているので、家の玄関先に立ち『物乞い』ではありませんが『般若心経』を子ども達が大きな声で唱えます。そうすると家の中から出てきて、お金を頂いたり、お米を頂いたりします。子ども達が好んで立ち業をする場所はお菓子屋果物屋です。子ども達の戦利品になるのですから・・・。なお、お米については、お寺で使って頂きお金については飲み物の購入資金として使わせて頂くのです。「子どもをだしにして物乞い等とけしからん。」との考えもあると思いますが、決してそのような考え方ではなくて、「人の温かみを体験させたい。」との思いからです。と言うのも家から出て来て下さった方は異口同音に、「歩いてのお参りとは偉いな。頑張ってな。これお駄賃」と言う流れになるのです。

次に『お接待』の話をします。夏に行う『土用団参』は大体60人から多い時には80人の集団です。その団体が一日25キロから15キロ(距離が違うのは山越えがあるからです。)歩くのですが、休憩する場所が都合よくある事ばかりでは無いので車庫などに入らせて貰う事があります。これは常識では考えられない話なのですが、四国では許される事が殆どで車庫の所有者がみえたりしたときには、「勝手に使わせて貰い申し訳ありません。」等と言うと「何人でのお参りや」と言われて「70人です。」と答えると「私が帰って来るまで休んどき」と言われて車で何処かに行かれて、再び戻ってきた時にはアイスクリームとかジュースを買って来て下さるのです。この行為が四国には浸透していて『お接待』をした方も心豊かになれるとの信仰心が根付いているのだと思います。

そう言えば9番の『法輪寺』では境内にお店が出ていて、歩きの団体でしかも学童が中心だとわかると、売り物の焼き芋や飲み物を惜しげもなくお接待して貰った事を思い出しました。『相手に施せることの喜び』と『施して貰った事に対する感謝』この関係がこの世知辛い世の中にも脈々と残っているとの思いからリピーターの皆さん。私は地域の皆さんが喜んで頂ける事を仕事とさせて頂いている事に幸せと感謝の気持ちを大切にして、今はまだまだ盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の経営で眠れぬ夜がありますが挫けず頑張って行きますのでご支援宜しくお願い致します。

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