2022年05月の記事一覧

昨夜のコラムの最後の言葉に笑いました

昨日は朝6時前に施設に行き看取りの方の家族対応をしてから(いい加減に職員に任せるべきとの考え方もありますが・・・。)家に帰り慌てて朝食を食べて大垣市民病院へ行き『癌』の宣告を受けて、(このことのコメントは後日述べます。)そのまま、岐阜県福祉会館の中にこの4月から開設した岐阜県老人福祉施設協議会事務局で打ち合わせ。

この打ち合わせが意外に長引き(12時30分まで)またまた慌てて本部施設に帰り、速効で昼食を頂き、その後は書類の整理をしていて、15時になり私の69歳の誕生日に事務所で使っている椅子がかなりくたびれていたためか椅子のプレゼント(腰に負担がかからなくて助かります。)と何故かリボンがかかった梅酒(日本酒で漬けたとか・・・。)を貰っていたので「貰いっぱなしはいけないし、然りとてあまり極端なお返しは失礼だし」と考えて幹部会に合わせてお寿司とみたらし団子位を用意すればいいのではないかと、垂井にある(情けない話ですが関ヶ原にはスーパーマーケットがないのです。)『ヨシズヤ』に出掛けました。

「流石ヨシズヤです。」ワンコイン500円で10カンのお寿司がありました。しかも丁度11パック計ったようにありました。レジの方に「全部買ってしまいましたが良かったですか。」と言うと「喜んで次を作りますから大丈夫です。」と言われたので、次に勇気を持って「実は来週の月曜日の23日にも同じものを12個欲しいので確保したいのですが。」と言うと「喜んでしてくれますので声をかけてあげて下さい。」と言われたので、これまた勇気を持って『関係者以外入室禁止』と書いてあるドアを開けて声をかけると職人さんが出てきて下さり「予約ですか。大丈夫ですよ。」と言われたので注文をして「これで月曜日の夕食時の主食は確保出来た。」と安心しました。

と言うのは23日に東京から顧問弁護士の方に来て頂きくので主だった方に集まって頂いての会議を開くからです。弁護士の先生は14時まで東京で会議がありそれが終わってから駆けつけて下さるので夕食の準備は当然ですが経費をあまりかけずにとの考え方で、ワンコインのお寿司と味噌汁を準備してと考えながら施設に戻る車の中で「施設に一杯生えている『ふき』を採って煮て貰えば嬉しい一品になるな。」と言う事で、施設に戻りふきを採りました。23日の参加者分としては充分に採れたので事務所に戻ると幹部会の時間になり、先ずは、参加者に誕生祝いのお礼を改めて言ってからお寿司とみたらし団子を皆で食べてから会議を実施しました。

(今気が付いたのですが、タイトルの内容が今までに入っていない。)

結局タイトルで言いたかった事は、一日がバタバタでゆっくりとコラムを書く時間がなくて布団に入ってからは睡魔に悩まされてめろめろなものになった事が言いたかったと言う事です。大上段に構えた割りには大した事でなかった事をリピーターの皆さんにお詫びします。あっ、それから『癌』に対する私の考え方は次回にすることも重ねてお詫びします。

大垣市民病院で診断が下されます。

令和4年5月20日

先般、針を刺しての検査をして頂いた結果を聞くために朝6時30分の朝食予定だったのですが、昨夜看取りの入居者さんが亡くなられたので6時前に施設に行き家族対応をして家に帰ったのは6時45分とあいからわずの『予定は未定であり決定ではない。』との生活です。慌てて朝食を食べて病院後は岐阜県老人福祉施設協議会事務局へ行っての打ち合わせがあるのでスーツに着替えて、慌てて車に乗り込みました。8時前に大垣市民病院近くまで行くと「とても正面玄関前の駐車場は入れない。」と思い南側駐車場に回る事にしました。滅多にお世話にならない病院なので何ヵ所かに別れた駐車場に入ろうと側まで行くと『出口』だったり、入り口がわからなかったりで、結構遠い駐車場に入りました。その駐車場は広い駐車場だったのですが、私が入場して2台目だったので楽々停めれたし、今朝はウォーキングマシンに乗っての30分の歩きはなかったので、「丁度良かった。」とブラス志向で考えると遠いのは苦になりませんでした。(四国遍路とは比較にならんでしょうが)今回が3回目なのでパスポートなるものの手続きは慣れた感じで出来ましたがパスポートを持って受け付けに行くと「尿検査をしてきて下さい。」と言われて「前回と同じ失敗をしてしもうた。」と言うのは、受け付け前にトイレを済ましていたから・・・。取り敢えず尿検査を終えて再び受け付けに戻り順番待ちをしていて指定された番号が掲示されたので中待ち合いに入っていくとしばらくして先生に呼ばれたので診察室に入って行くと「残念ながら癌があります。ステージ2と言うところでしょうか。治療については今後考えて貰うとして、転移していないかの検査をしましょう。」と言う事で、予定を見るとなかなか予約がしにくい自分に苛立ちを覚えながらも、ある程度こちらの都合を聞いて下さる。今の現代社会は文字通り『ストレス社会』よくぞ私により一層の試練を与えてくださったです。経営の問題も山積みでしかも癌が見つかったものだと。でも試練を乗り越えていけばいくほど自分磨きをすることこそ幸せにつながると信じてこれからもがんばりますので皆さん宜しく

睡魔には勝てません

令和4年5月19日

昨日のコラムの最後が『勘弁してきらさい。』だったのをいつもの日課である仏間に籠っての祈りとウォーキングマシンでの歩きを終えてお風呂の中で確認しました。昨日は色んな事があり、夕食時に冷酒をコップ一杯だけ頂いたのですが、お酒を頂くと何故かあられが食べたくなりバリバリと何枚か食べていて、食べている内に眠くなり、眠いのならば2階に行けば良いものをウダウダしていて、その時に「コラムがまだ完成していない。」と言う事で2階のベットに移動して21時から書き出したのですが睡魔に襲われながらなので、少し書いたと思うとうとうととして『はっ』と気が付いて書いたのを確認すると意味不明の事が書いてありやり直したりしていて、21時45分過ぎに「もう限界」と言う事でリピーターの皆さんにお詫びを書いて施設の宿直者の北島部長にメール送信をして、電話で遅くなった連絡をしたと思って気が付いたら寝ていました。

しかしながら、午前0時に目が覚めそれ以降は熟睡が出来ず色んな事を考えていたら4時になりその時に午前0時から色々と考えていたにも関わらず大した考えが浮かばなかったのですが、4時に閃いた考えで頭の中のモヤモヤが晴れたような気分になりました。そうすると寝不足のはずなのに体がピリッとなったようで4時20分といつもよりは少し早い時間でしたが行動を開始しました。仏間に籠ってのお経とウォーキングマシンでの歩きも軽やかに出来ました。そして昨日見つからなかったものが2つ見つかり「これは、元気な時の勢いになるべき兆候だ。」と勝手に思っています。

2つの品物とは1つには吉田宏岳先生が募られた団体で私が先達を勤めさせて頂いた四国遍路の一番札所で記念として買った通常より大きな四国遍路用の数珠で、もう1つは元全国老人福祉協議会会長で参議院議員だった中村博彦会長の形見分けで頂いた赤のネクタイです。2品共に私にとって強気に攻めるときに必要なアイテムなのであります。「そんなに大切なものをなくしていたのか。」との謗りを受けそうですが、車の荷物を片付けていて車庫の中に放置されてしまったものです。数珠については本日から早速首にかけさせて頂きましたし、ネクタイについては朝一に和合の幹部会に行った帰りにドライブスルーのクリーニング屋さんに出してきました。

きっと3日後に綺麗になってネクタイが返ってきてからは中村会長のご加護も頂き難題にも立ち向かう事が出来るように思えてきました。リピーターの皆さん。週が明けてからの私の動きに注目していてください。

施設は地域と共に

私は26歳の時から38歳まで児童養護施設の指導員だったのですが、この13年の経験から『施設は地域と共に歩まなければ本物にはなれない。』と言う事を学びました。つまり、『施設を開放的なものにして、地域から理解され地域に受け入れて頂かなければ本物にはなれない。』と言う事です。国は『住み慣れた地域で生活が出来る事が大切』等とよく言いますが『生まれ育ったところが一番』と言う事なのでしょうが、私は『楽しいが一番』だと考えています。つまり入居者さん、利用者さんに笑顔でいて頂く為の空間作り。その為に欠かせないものの一つが『地域との融合』だと考えています。施設が信頼され愛されることこそ大切だと言う事です。私が本部施設を立ち上げた時に地域で説明会を開かせて頂いた時に7割の方は好意的でしたが3割の批判的な方がみえたのも事実です。そう言う方の意見の中には『環境破壊だ。』『年寄りばかりで汚いのではないか。』『ぼけた高齢者ばかりで何をすれのか』『所詮金儲けやろ』等と言う事を言われました。そんな中で一人ひとりの方に誠意を持って答えていく事で一人づつ理解者を増やすために地域との垣根は一切無くす対応をしていきました。ところが立ち上げ当初は職員も慣れていない事と私自身が理想ばかりを追い求めていたことにより、元気な入居者さんが施設から出てしまわれた事もしばしばでした。しかしながら事故に繋がらなかったのは地域の方から「見たことがない年寄りが歩いているぞ。」と連絡を頂いて事なきを得る事がしばしばありました。電話を頂いた方は入居者の方を見守っていて下さり、「施設長さんも大変やな」等と逆に励まされる事が多々ありました。そんなときに私は必ず「施設に遊びに来てください。」と言ってきました。そして、しせつの受け入れも地元優先の考え方で困っているケースについてしっかりと聞いて施設側で出来る事は精一杯にさせて貰う中で信頼を獲得してきました。地域の中でも高齢化は著しく進みあちらこちらで認知症で困っているとか昨日まで大丈夫だったのに、転倒骨折して急に何も出来なくなって・・・睡魔が襲いかかり何をしているのかわからないのでリピーターの皆さんこれで勘弁してください・・・。

昨日は私の69回目の誕生日でした

歳を重ねてからの誕生日なのですが、昨日も嬉しい嬉しい事がありましたので嬉しかった出来事を書く事にします。

昨日は10時から本部施設でフロア責任者会議が予定されていて、その前に吉田部長と打ち合わせをしていて9時55分になったので会議室に歩いて行くと会議のメンバーではない吉田部長が後ろをついて来るので「フロア責任者会議のメンバーでもないのに、どうして付いてくるの。」と思いながら会議室に入って行くといきなり、クラッカーが乱れ咲き『ぱんぱん』と音を発てながら「理事長、誕生日おめでとうございます。」の嵐・・・。私は思わず目頭が熱くなりました。そしてリボンが付いた梅酒の瓶を手渡され、腰が痛くなりにくい椅子も幹部職員からプレゼントして貰いました。

プレゼントを頂いたのももちろん嬉しかったですが、「理事長はきっと喜んでくれるだろう。」との幹部職員からのワクワク感が伝わってきたのが何よりも嬉しかったです。多くの職員からも「理事長誕生日おめでとうございます。」と言って貰いまたまた嬉しかったです。

そして17時32分には、びわこ学院大学の烏野先生から電話があり、私は思わず「お約束の日を間違えましたか。」と思いつつ電話に出ると「若山理事長お誕生日おめでとうございます。」との内容にこれまた感謝です。その他にも唯一の姉春子さんからもショートメールでお祝いのメッセージがきました。今の状況には厳しいものがありますが、色んな方々が私を支えていて下さる。あるいは思って頂いている事を私の誕生日を期に感じる事が出来ました。

そして本日事務所で奈良薬師寺の大谷徹弉執事長の日めくりカレンダーに『相手の話を聞かない人は孤立する。』が目に飛び込んできて、思わず「うん、うん」と大きくうなずいてしまいました。大谷撤弉師の言葉は不思議と私の精神状態とマッチすることが多いのです。私の一番嫌いな事は『孤独』なのです。だからなのでしょうか、私はたくさんのネットワークを構築してきました。だから、何か困った時には色んな方が手を差し伸べて下さいます。一人で強く生きる生き方もあるとは思うのですが私にはそんな生き方は出来ません。つまり、相手をいたぶる生き方よりも相手を包み込む生き方で行きたいのです。「うん」途中から意味不明の文章になってしまいました。

多分本日はとても疲れる一日だったので熱燗を一杯だげ飲んだためだと思うのですがリピーターの皆さん。途中からわけわからなくなりましたが「こんな日もある。」とお許し下さい。まぶたが閉じてまう・・・。

盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の対応を報告します

昨日は午前も午後も盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)の対応でした。午前は名古屋から視覚障害者の方がバスを借りきって20人が施設見学にきて頂いたのです。9時50分にバスが玄関先に着いたのでお出向かいをしながら元気よくご挨拶をしていると、責任者らしき方が降りて見えたのでご挨拶と共に「責任者の若山です。」と言って名刺を渡そうとすると「会長の橋井ですが施設長さんですか。」と聞かれたので、改めて「理事長の若山です。」とご挨拶すると「日曜日に理事長さん自らのお出向かいですか。」と言われたので「わざわざ名古屋から大勢の方に来て頂いたのですから当然です。」とお話をしつつ会議研修室にご案内して、それぞれに席に着かれたので、吉澤施設長の進行でお話を始めていきました。

先ずは理事長である私が入居者が少ない現状ではありますが入居者さんは快適に過ごされていること等を話させて頂きました。次に橋井会長さんにご挨拶をして頂きま引き続き吉澤施設長から入居者の生活について話をして、施設内を見学して頂きました。皆さんは意欲的に施設側の説明を聞いて頂いた後に再び会議研修室に入って頂き、感想や質問を受けました。質問の中には「体験入居は出来るのか」と言うのもありましたので吉澤施設長が「2泊3日でお受けすることにしてます。」と答えると「体験が出来るのは有り難い。」との声があがっていました。

昼食は池田温泉の道の駅と言う事で11時45分に終了して最後に午後から実施する一周年記念でのお参りの紅白饅頭をお配りしてバスを見送りしました。玄関先でひとりひとりにご挨拶をさせて頂いたのですが皆さん満足そうなお顔だったのが嬉しかったです。13時30分からは一周年記念のお参りを昨年の竣工式典で書のパフォーマンスをして頂いた静慈圓大僧正の補佐役で来て頂いた次男の静慈彰さんに来て頂く事にしていたのですが「昼食を準備しますので12時に来てください」と言ってたのですが11時15分にみえたとの事で午前のお客様がまだおみえだったので少し慌てましたが、取り敢えず控え室(理美容室)で休憩して頂くように指示をして、午前のお客様をお見送りしてから改めて慈彰さんにご挨拶をして、喫茶室に移動して昼食を食べながら打ち合わせをしました。

定刻の13時30分には入居者に揃って頂き慈彰さんにも仏間に入って頂き理事長である私から一周年記念事業としての法要と講話であることを伝え開始しました。

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慈彰さんは大きな声で丁寧に読経をしていただき最後には般若心経を皆さんであげさせて頂きました。引き続き慈彰さんの講話で『印』の結びかた等を教えて頂いたのですが話が分かりやすく視覚障害の入居者さんへの『印』を結ぶ時には職員が上手にフォローしてくれてみんなが和気あいあいと和んだ中で講話も終了しました。全てが終り、入居者さんには紅白饅頭を1個づつの2個渡したのですが吉澤施設長が一日1個との指示で2日間楽しんで貰うように話をしました。全てが終了してから静慈彰さんと饅頭を食べながらお茶を飲んで話をした時にちゃっかり色紙に『諸障退散』『七難消滅』の書をお願いすると共に6枚の色紙をお願いしました。リピーターの皆さん。28日のゴマ供養に行った時に頂いて来ますので楽しみにしていて下さい。

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思い込みとは恐いものです。

令和4年5月15日

昨日社労士の先生との打ち合わせも終えて16時過ぎになって予定していた対応も終えたので「本日の業務は終了で明日の盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)の一周年記念のささやかな会の準備だけをして帰ることにしよう。」と思い事前にお願いしたお礼の袋にお金を入れてお饅頭のお金の立替の為のお金を用意しようとリュックサックに入っている『はず』の財布を出そうとして頭が真っ白になりました。と言うのも、何度も何度もリュックサックの中身を確認しても財布が無いのです。

リュックサックの中の財布を出した記憶はなかったのですが、事務所内の私の机の上やその回り、施設長室である奥の部屋の机の回りやその回り等を探しても「ない、ない、ない。」と言う事で車の中を確認しに行っても「ない、ない、ない。」「もしかすると家かも知れない。」と思い、家に電話すると、「丁度テーブルの上を片付けたけれどなかったよ。」とキッパリ言われて。だめ押しの様に「リュックサックの中に入れていたよ。」と言われて「私もその記憶がある。」と言う事で、「だったら何処を探せば良いのか。」とますます頭の中が真っ白になり、苛々しながら事務所内をウロウロと歩き回ると事務所にいる職員もあちこちを探しだして、せっかく好意的に探していてくれているのにも関わらず探してくれている職員にも苛々して・・・。(ごめんなさい。私が悪いのに・・・。)

「ひょっとすると、家の車庫の中でリュックサックから抜け落ちたかも知れない。」(たまに、そう言う事があるので)と考えた私は17時過ぎと少し早い時間でしたが「家に帰って探すので、早い時間ですが帰ります。」と言って車に乗り家に帰り車庫の前に車を停めて車庫の中を確認しても「ない、ない、ない。」でますます『頭は真っ白』(何回この表現を使うのか・・・。)頭も体もくらくらの状態で家の中に入り、きれいになったテーブルの上を自分自身で探してみても当然ながら『ない』。

ふとスーツの中に入っていないかといつもスーツのズボンの後ろのポケットを探ってみたら、「財布らしきまのが手に伝わってきたので慌ててポケットのボタンをはずしてみると間違い無しに「財布がありました。」と言う事で『一件落着』しかしながら私自身どうしてズボンのポケットの確認が最後の最後になったかと言うと、朝出掛ける前に「間違いなくリュックサックの中に財布を入れた。」と言う強烈な思い込みがあったから、ズボンのポケットは頭から除外していたからなのです。リピーターの皆さんもこんな経験をされた事はないですか。職員も巻き込んでしまった事をこのコラムで改めてお詫びします。もちろん、財布が出てきて直ぐに施設へのお詫びはしていますよ。それは当然の事です。自分が悪いときは素直に謝る。当然の事です。

サスベンダー(ズボン吊り)について語ります。

令和4年5月14日

恥をさらすタイトルに書き直したい。(今からなら大丈夫だから)とも思いましたが「エイ、やー」で書く事にします。私がサスベンダーをするようになった時期は明確です。それは、平成26年に大垣和合に完成した『優・悠・邑和合の竣工式典の折り、私は理事長として燕尾服(モーニングとも言います。)を着たのですが、300人からのお客様がおみえの中で施設内を走り回っている時にズボンがずり落ちそうになるのを無意識の内にズボンを持ち上げていたのだと思います。しかも、何度も何度も・・・。その様子を石川県老人福祉施設協議会の久藤会長がしっかり見られていたのだと思います。私を呼び止めて私のズボンを上げるのを手伝って下さりながら「若山さんの体型ならサスベンダーをしなければいけません。」と言われたので私は思わず「ケンタッキーのおじさんみたいになるのは嫌です。」と答えると久藤会長が「何を言ってるの。イギリス紳士はみんなサスベンダーをしてみえますよ。私がサスベンダーをプレゼントしますから着なさいね。」と言われたのですが、その時は大先輩の久藤会長の言われた事ではあるけど「着ないだろうな。」と正直、思いました。(その時の一部始終を見ていた熊本県の鴻江会長は大笑いされていましたし・・・。)竣工式典が終わった日から3日後に久藤会長から約束通りサスベンダーが施設に届いたのです。私はせっかく送って頂いたのですがしばらくはサスベンダーをしなかったのですが、全国老人福祉施設協議会の役員会が東京である時には久藤会長がおみえになるしサスベンダーを着けた状態を見ていただいてお礼を言わなければいけないと思い、生まれて初めてサスベンダーを着けてスーツを着たのですが正直な感想は「ズボンを上げる事が無くなりめっちゃ楽だ。」と思いました。ただし、会議中に部屋が暑い時でも上着が脱げ無くて少ししんどい思いもしました。スーツを着た時にスベンダーをしての生活が当たり前になり、今では暑い時には上着を脱いでカッターの上にサスベンダーをしているのを気にすることも無くなりサスベンダーは生活の一部のような状態です。確かにズボンを上げる行為を何度もするのはみっともないし、スーツを着ていても違和感がなくて楽です。正直なところ私のお腹がふんぞり返った体型ではサスベンダーは必然だと今は思っていますが、サスベンダーをしている方の体型は決して格好が良い方はいませんので、正直なところサスベンダーをするのは嫌だったのですが、リピーターの皆さん。よ~く考えてみたら、私のような体型だからこそサスベンダーが必要なんだと今は強く思っています。考えてみたら『と、ほ、ほ』の話でした。

利用者さんにコロナ陽性者が出ました。

令和4年5月13日

11日の日に人工透析をされている利用者さんが人工透析をして頂いて病院の車で施設に送って頂く途中の車の中で嘔吐をされたと言う引き継ぎを聞いて、帰られての検温をすると38℃の熱があったので、(出掛けられる段階で平熱だった事は確認してます。)4人部屋の方でしたので個室に変更して部屋に噴霧器も設置しての対応をして、昨日(12日)関ヶ原診療所でPCR検査をして頂いた結果『陽性』との事で大垣保健所、西濃振興局福祉課、岐阜県高齢福祉課、後見人の司法書士の先生等々に連絡を取り関ヶ原診療所から『陽性』の報告を貰ってからは(14時30分)バタバタに電話対応をさせて頂きました。本部施設では初めての事なので覚悟はしていましたが正直こんなに大変だとは思いませんでした。関ヶ原診療所の先生からは保健所への連絡はして頂いている事は理解していたのですが、何からして良いのかがわからず「取り敢えず保健所に何をすべきはを確認しよう。」と考えて連絡をしてみました。そうすると多分問診のマニュアルがあると思うのですが本当に本当に丁寧に聞かれました。

その時私は「一件の対応にこれ程時間をさいて頂くのは大変な事た。」と正直に思いました。保健所の電話対応をして下さった方の話しぶりでは「入院は難しい感じだ。」と思いました。そこで「陽性者が出た時は入院が基本」との考え方を聞いていたので次に岐阜県高齢福祉課に連絡しました。岐阜県老人福祉施設協議会の会員施設の関係で入院出来るように何度か話をしましたが、自分の施設での対応で連絡するのはやや抵抗がありましたが、背に腹は変えられないし対応する職員の負担を考えると「何とか良い話が出来るように」との思いで必死に話をしました。その後は西濃振興局福祉課に連絡をすると保健所の方に話をした内容の事と同じような内容の事を聞かれましたが根気よく話をしました。

結論的には「保健所の指示に従って下さい。」との事でそのあとは後見人の司法書士の先生とやり取りをしながら保健所からの返事を待つことにしました。結局2時間近く待った段階で明日11時に入院できるところが見つかったとの連絡を保健所から頂いたので少しは安心して夜間から翌朝までの対応での職員配置をどうするかの指示と明日利用者さんを病院へ送る体制、いつも以上に入居者さん利用者の健康管理の体制をどのようにするかの検討をして指示を出しました。と言うのは本館の場合は1階と2階で夜勤者は3人のみでいつもだと本館夜勤 の責任者が2フロアを行ったり来たりするのですが「そのような行為は感染リスクが高くなる。」と考えて、2階の遅出の職員一人を就寝介助終了まで残って貰い、翌朝も早出の7時より1時間早く出勤してもらう体制をとりました。

有り難いことに超遅出も超早出も職員が快諾してくれて私は昨夜も安心して家に帰る事が出来ました。施設からの報告により、本日保健所からの連絡で濃厚接触者の断定をして頂いたので明日4人の入居者さんを保健所までPCR検査を受けに連れていく事になってます。本日は午前中にリモート会議があり、午後からは和合の集会室を借りて岐阜県老人福祉施設協議会の理事会があって、バタバタのなかでも、コロナ陽性者の対応も終えて今は家でお風呂に浸かりながらコロナの原稿を打ち終えようとしています。リピーターの皆さん。私の生活は予定があっても『まさかの坂』を乗り越えながらの毎日ですが、この生活こそ『生きている。』と思える・・・。かなり格好付けすぎですかね・・・。

昨日は火の番を沢山させて頂きました

2日前の天気予報では『雨』の確率が高かったのですが、昨日は曇り空で雨が降ることはなかったので各フロアからの参加も多くあり和やかな雰囲気の中でまたまた『たけのこ祭り』を開催しました。前回が量的に多かったと言う反省のもと、3割減らしての実施でしたので量的には丁度の量でした。何回も『たけのこ祭り』をしているので余裕を持って対応出来ました。私自身は前の夜眠りが浅かったので動きが悪かったのですが手慣れた『祭り男』3人の職員が手際よく動いてくれるので(何故か本部職員は男性職員の方が頑張るのです。)私は点火式で地の神様にお酒を手向けてから立派に火を点けて引き続き火の番をしながら順次フロアからおみえになる入居者さん利用者さんと軽口をたたきながらたけのこご飯とたけのこの味噌汁が出来るのを見守っていました。何回も対応しているからでしょうか、何となくではありますが上手に出来上がりました。入居者さん達とワイワイガヤガヤしていたからなのでしょうか施設向かいの家の方が様子を見にみえたので、「せっかくだから出来上がったたけのこご飯と味噌汁を食べて下さい。」と言ってお椀によそうと「遠慮なく頂きます。」と言って食べて貰っているときに「お焦げはお茶漬けにして食べると美味しよ。」等と言って喜んで食べて頂きました。そして改めて寸胴2つの鍋と釜を見ながら「この鍋と釜なら地元新明地区38件での炊き出しはこれで大丈夫やな。」と言われたので「ご飯は1斗炊きだし、味噌汁も200人分は充分できますよ。」と話が盛り上がりました。家庭用なら大鍋と言えるのに6杯の味噌汁をよそい、これまた大きな大きな皿にご飯をよそいました。デイサービス利用者さん30人分と入居者90人分と職員30人分に対して充分の量でした。今回のお焦げは「ほどよいお焦げ」になったので、私はお焦げを自慢したい気分でした。私も手伝ってくれた職員と外のテーブルで一緒に食べながら「外で食べると美味しいな。」等と言って頂きました。全ての片付けも終わり事務所に戻ろうとすると、本日『たけのこ祭り』の為にマイ包丁を持ってボランティアに来てくれた元西洋料理のシェフの経験がある職員が「たけのこを堀りに行っても良いですか。」と言うので「だめ」とは言えず「まだたけのこ祭りをするのか。」と言うと「入居者さん喜んでくれるので。」と言うので、「猪が残念がるかも知れんけど掘って来て。」と言うと竹藪にいそいそと行って一時間程で「固いのではないか」と思えるようなのまで収穫してきたのでまたまた大鍋で湯がく事にしました。と言う事で9時30分から13時30分まで寸胴の守りをしました。リピーターの皆さん。こんな1日も素敵だと思いせんか。

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