予定通りに『左遷』の続きを書きます。
令和4年1月11日
最初に紹介してあったのは、現在、ベストセラーになっている『左遷社長の逆襲』を上梓したキャノン電子会長・酒巻久氏が御手洗社長から「秩父へ行ってくれないか」と通告された1998年間のことで、当時本社の常務から赤字経営だった子会社の社長になり、「キャノンでのキャリアは終わったな」と思われたとの事。しかし、酒巻さんの凄いところは「でも、私は心を入れ換えるのが早い。新天地のキャノン電子を、自分の理想的な会社に作り替えたいと思いました。もし子会社に行ってまでやりたくない事をやらされるなら会社を辞めてもいい。」との考え方は『背水の陣』で望まれたと簡単に私は想像出来ました。
とは言え、『思い』だけで簡単に変わるのなら、だれもが成功するはずですが、そんなに簡単にはいかないのが世の常だと思います。ただし、社長が提案して実践していく中で脱落して行くものが多く出る中で数が減り、最後には数えるほどになってしまったが、その数少なくなったメンバーこそ、中心的社員に育っていった。と言う話には私自身の経験からも規模こそ違えども共感出来る事でした。つまり、酒巻氏の熱意が社内に浸透し、お荷物子会社だった会社の業績は目覚ましく改善されたのは、自分の信念を貫き通してきた結果だとも思います。私は厳しい状況になった時にもした下腹に力を入れて頑張ってきた事を思い出しました。今も盲養護老人ホームの入居者はなかなか入らない状況ですが、私を信じて頑張らなければいけないと考えています。
二つ目の元東レインターナショナル社長の田中健一氏は上司の意に逆らい文字通りの左遷にあった時の述懐として「まぁ驚くほど仕事がありませんでしたね。当時の私は完全にふて腐れていました。腐った態度をしていると、腐った人間が寄ってくるのです。夕方になると、仕事がない人間が集まって安い飲み屋に行く。そこではろくな話もなく、愚痴と上司への文句、会社への不満ばかりです。」そんな生活だったので、次の左遷が用意された時には「ここで死ね」との宣告に近かったとの事。赴任当初は、部下もなければ仕事もなく、途方にくれるばかり。ですが最初の左遷で腐ってはいけないと思って必死でもがく事によって理解者が出てきてその後は順調な展開になったとの述懐を知り、改めて私は『アクションなくしては良い展開は無し』と理解した次第です。
元キリンビール副社長の田村潤氏が左遷されたのは1995年。上司の指示を拒否して業績の悪い高知に飛ばされ、その当時のアサヒビールの「スーパードライ」の一人勝ちだった時にキリンビールのラガーを以前の味に変える事を提案して、高知での業績が認められて、左遷を逆手にとる事が出来た。この記事の最後には『左遷から蘇った人たちの共通点は、逆境の中でも自分を信じた事だ。禍福はあざなえる縄のごとし、という。会社人生のドラマは彼らの人格に厚みを与えている。』と結んでいます。
『厚み』などとは考えた事はありませんが、私も今の厳しさを「あのときは厳しかったけど、そのお陰で今の私があり社会福祉法人杉和会がある。』と言えるように頑張りますのでリピーターの皆さん、これからも危なっかしい私ですが宜しくお願い致します。