2022年01月の記事一覧

不思議です

昨夜は絶対にお風呂に入り頭も洗うと決めていたので、食事に行く前に熱を計ると37、2℃だったのですが、夕食を食べているときに徐々に気分が良くなってきて、お風呂に入る前に熱を計ると36、5℃に下がっている。「ありがたい。予定通りお風呂に入れる。」でお風呂に直行。

先ずはシャワーで体を綺麗にしてから湯船に浸かり「メッチャ気持ちがいい」不安なく頭も洗い湯船からあがりしっかり体をふき頭も乾かし2階への階段15段は軽やかに。昨日までは階段を上がるのに手すりを持ってよじ登るように上がっていたのに。熱がないと体はこんなに軽やかに動くのだと改めて理解しました。お風呂からあがり万が一体がガタガタ震えるとぶり返しになるなと思っていたのですがそんなこともなく、お風呂で体が温まったからなのかよく眠ることが出来ました。

朝7時17分に宿直者からのメールで目が覚めてどきどきしながら体温計で熱を計ると36、5℃だったので大丈夫だとほっとしました。本日までゆっくりさせてもらう事にしていてお昼に食パンにイチゴジャムをつけて食べていると、岐阜新聞の方が1月初めに取材した時に写真が撮れてなかったので近くまで来ているので来たいとの連絡と、13時30分予定のハローワーク経由のネパール人女性の方が一時間早くに柏原駅に着くとの連絡を貰ったので「ここは交通整理をしなくては」と言う事で急ぎ食パンを牛乳で流し込み柏原駅への迎えは私が引き受けました。

車に乗ってからは施設と何度か連携をとり、二者共に迷惑をかけることのない対応が出来ました。家で寝ているだけの時とは違い頭の回転も良くできましたと言う気持ちです。迎えに行った面接の子には少し待って貰い、岐阜新聞の方としばらく話題提供をして玄関までお見送りをしてから面接をしました。

当施設にはネパールの介護スタッフが何人か在籍しているのでハローワークの方が紹介して下さったのかと考えていたのですが、そうではなくて『特定技能』の採用を出している法人が当法人以外にないとの話を聞き「本当はもっと便利の良い所で仕事がしたいのと違うの」と聞くと返事に困っていたのでネパール人のしっかり者の職員を同席させていたので「正直に答えて貰って必要に応じて理事長が学校を通じて紹介して貰えるようにして貰えると伝えて」と話をして(ひょっとして要らんお節介だったかもしれませんが、何と無くそんな感じがしたものだから)

結局ハローワークの紹介状には本人が断った形で報告をすると共に彼女が通っている専門学校に電話すると担当の先生は介護への斡旋をしたことがないようだったので、採用募集に対するノウハウを話しました。確かにその専門学校は服飾関係の学校なので仕方がないのかも知れませんが明日から2月の段階で知識がないのは少し考えられません。遠いネパールから来て卒業して仕事がなければ母国に帰るしか無い。(或いは、週28時間のアルバイト)ことをどのように考えてみえるのか・・・。学生が右往左往する前に就職担当の先生は動くべし。リピーターの皆さん。私はそのように思うのですが。

寝て、食べて、テレビ録画してある『半沢直樹』を見てるだけ・・・

コロナ感染症の予防接種をして頂いて3日も経つのに、まだまだうだうだとしていてコラムのテーマを考えようとしても基本的に布団の中では出会いが無いので当然気付きもないのでどうするかと考えていた時に、「仏壇の前で無くてもお経さんは唱えれる。」と考えているときに前にも書きましたが私にとって福祉の師であり福祉において後ろ楯になって下さった吉田宏岳先生の教えである「お経は布団の中でも出来る」を思いだし、吉田宏岳先生との四国遍路の時の事を色々と思い出していたので本日の話題にします。吉田宏岳先生との出会いは吉田先生が責任者として主宰されていた『教育と福祉を考える会』に私が児童施設を退職してからその当時、岐阜県児童養護施設協議会の重鎮だった方に連れて行って貰いまだ、数回しか参加していない身でありながら吉田先生の自宅に何人かで行かせて頂き吉田先生の自宅にはお寺と幼稚園がある事を理解して多分その頃の私は目をギラギラさせていた頃なので吉田先生に「何宗のお寺ですか」と聞いたら「真言宗豊山派です。」と答えて頂き、「これは食らい付くチャンス」と思った私は四国遍路を17歳の時から毎年春と夏に行っていたことをアピールしました。その時は「そうですか」位の私にとっては想定外の反応に正直がっかりしたのを覚えています。ところがその日から10日程経った時に吉田先生から電話を頂き「1週間案内しろ。」との事で、私と米原で合流して、新大阪から伊丹に行き、徳島空港に飛び、無事に一番札所『霊山寺』の門前にある宿に辿り着きました。そこからの珍道中と言うか吉田先生の豪快さと言うか考え方の柔軟さには舌を巻く場面が多々ありましたがその事は以前にも書いた覚えがありますので少し違う視点で書きます。吉田先生の素晴らしくて見習わなくてはいけないのは『良かった事』は即、行動に移される事です。私が吉田先生を案内したのは10月2日で(関ヶ原祭り当日だったので日にちまで明確なのですが、その翌年の春から毎年春と秋にバス一台を貸し切り団体で四国遍路が企画され毎回ご案内役で参加させて頂きました。そのご縁は強固だったのだと思います。吉田先生の家にどれだけ泊まらせて頂いた事か。そして吉田先生からの紹介もあり大学、短大、専門学校で多いときは週に13コマも非常勤講師をさせて頂いたり、大学生向けの教科書の執筆にも参加させて頂きました。本筋に戻します。吉田先生が素晴らしくて見習わなくてはいけないのは、四国遍路に留まらず毎月8日の朝には『ごまだき供養』を第三日曜日には『写経会』を開催された事です。私は残念ながら『ごまだき供養』には前に日に泊まらせて頂いた時にしか参加出来なかったのですが、『写経会』には毎回参加して、季節にあった(春であれば山菜ご飯やタケノコご飯、秋であれば栗蒸しご飯炊)ものをお接待をさせて頂きました。本日は四国遍路の話を書くつもりが横道に行ってしまいましたがいつもの事とは言えリピーターの皆さんごめんなさい。これから布団の中でお経を唱えますのでご容赦下さい。

まだまだ熱が下がらなくて。

令和4年1月29日

コロナ予防注射を打って頂けたのが27日で3日目になるのですが39℃までは出ないのですが、しっかりと安静にさせて貰っているにも関わらず13時に昼食の為に1階に降りて行き、熱を計ると38、3℃で思わず絶句です。たたし、私の体質は小さい頃から頻繁に高熱を出していたためなのか、少々熱があっても食事がとれるので昼食はおじやと菓子パンを食べることが出来ました。今は16時25分で本日もコラムを継続するために頑張ろうとするのですが昨日と同じように熱の報告ではリピーターの方々に申し訳がないと思い何かないかなと考えてみても寝ているだけの一日では何の出会いも展開も無いので何も書くことが浮かばないと言う事でこのまま終わるなも面白くないのでコロナ接種の日の出来事を書くことにします。私が家で着替えをしている時に施設からメールがきてコロナ感染が起きている会員施設からマスク等の感染予防用品があればほしいとの連絡を受けて、施設に行って直ぐに折り返しの連絡をしました。と言うのも、本部施設には防災庫があり全国老人福祉施設協議会から緊急用の用品を保管しているので提供しますよと話をしていて、「出来たら送って欲しい」との事だったので、私は「今すぐにでも必要だと思いますのでこれからお届けします。」と返事をして電話を切ってから「12時に帰って来ないと予防接種の対応に支障が出かねないな」と考えて水野相談員に運転を頼んで急いで施設に届けに行きました。高速で羽島インターを降りて20分位のところで、施設の玄関先に着くと、理事長さん、施設長さんが急いで出てみえ緊張感が伝わって来ました。私は困った方がみえると瞬時に答えを出して行動に移すようにしてきたので今回のケースも同様に動きました。福祉の仕事は『最後のセーフティネット』だと考えて今までもこれからも行動していきたいと考えています。だって『相手に優しく』が福祉の根幹だと考えているから。今回は水野相談員に手伝って貰い助かったのですが、多分水野相談員も私のこんな考え方を理解しているから協力してくれたのだと思うと頼もしい職員が増えていると今は熱と戦いながらも思っています。リピーターの皆さん当施設で色んな展開が出来るようになるまで職員で頑張りますのでコロナ感染症が収束したら色んな展開にご協力下さい。

お断りです。

令和4年1月28日

昨日コロナの予防注射を打って、夕食の時には打って頂けた右腕も全然腫れてなくて、20時30分には眠りに入り「今回は楽勝だ。」と思っていたのですが、午前1時になったら寒気がして、体温計で熱を計ると37、6℃だったのでカロナールを飲みました。7時には体がガタガタと震えて熱を計ると38、6℃。ガタガタ震えていたのでなかなか起きれずに8時に何とか1階に降りて行き、おじあを茶碗に半分だけ頂きました。

予定のスケジュールは全てキャンセルをして、頭がガンガン痛いので、とにかくベットに横になっていて、一日2回しか飲めないカロナールを少し早かったのですが、飲んで様子を見ていたのですが、ますますしんどい状態になり12時に熱を計ると39、7℃で思わず絶句です。13時にお昼を食べようとベットから脱け出そうとしても体に力が入らなくて起き出すのすら大変でした。1階に這いずるようにして降りて行ったのですが、食欲は全く無くて、牛乳をコップ一杯てりんごを食べて(熱があるので口当たりが良かったので何とか口に入れる事が出来ました。熱の原因はコロナの予防注射による熱なので、じっと寝ているしか仕方がないと言われました。

今は午後549分ですが、あいからわず頭がガンガンで熱も下がっていかないのでリピーターの皆さん。しっかりとしたコラムが書けなくてごめんなさい。熱が下がったらしっかりと書きますのでご容赦下さい。

 

朝の出来事

令和4年1月27日

いつもの事ですがアラームがセットしてある4時50分より前に目覚めて(本日は4時47分・・・。我ながら絶妙なタイミングだと思います。)アラームが鳴るまでの時間は一日の行動予定を考えたり、願い事をしたりしています。(わずか3分なのですが結構に考えが出てきます。)ただし、本日は願い事に力(りき)が入りました。

と言うのは、昨日関ヶ原診療所で血液検査の結果でかなり心配な数値が出たのがあったので、朝から憂鬱な気分になりました。)アラームが鳴りベット内体操をして(ベットがミシミシと唸っているのでベットはいずれ壊れるのかなぁ・・・。)体操を終えてベットから起きて先ずはガウンを羽織り、お風呂後の着替えとタオルと靴下にペットボトルの水(夜に飲んだ残り)と携帯を持って1階に降りて洗面所でうがいをして、顔を洗った後(猫のようにしか洗いませんが・・・。)仏間に行き先ずは今年1年お守りする事になっている若宮八幡大神様神棚の榊の水をかえて、次に若宮八幡大神様の水いれと仏壇の花立の水をかえて(もちろん、若宮八幡大神様には2礼2拍手1礼をして、仏壇ではリンを鳴らしてお灯明に火を点けそれぞれの写真にも手を合わせ朝の挨拶をしてから、廊下に置いてあるウォーキングマシンに行き、靴を履きスピードを調整してから歩きながらお経を真剣に唱えました。

その時に診療所で指摘を受けた血液の結果について、一生懸命に祈りながらお経を唱え歩いていました。歩きだして25分が経過した頃に仏壇のろうそくの火が消えそうになったのです。その時に私はろうそくの火が再び大きくなったら病気から復活出来ると祈りました。しかしながらろうそくの火は消えたように見えていて、私は歩きながら正直落胆しておりました。

ところが、リピーターの皆さん。聞いて下さい。完全に消えたように見えた火が再び大きくなって、しかも、それから5分近くしっかりと燃えていました。その5分間は足も軽やかに歩けてお経の声も大きく気合いが入りました。私の血液検査の経過はこれからだからわかりませんが私はこの現象を信じたいと思っています。世の中には摩訶不思議な現象は一杯起きます。

私はそれを信じたいと思います。私がしてきた事業もいろんな祈りの中で出来てきた事が一杯あります。とことん「今回は流石に駄目だろう。」と思っていると、救世主が現れて今がある。もちろん『ラッキー』だけで来たのではありませんが、神仏により助けて頂けた事があるので、私が生きる使命があれば必ずや健康でいられるはずだと思っています。リピーターの皆さん私の考えた事は変ですか。

「同居を理由に措置出来ない」と言われる理由がわからない

令和4年1月26日

盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)』は基本的には措置施設です。少しリピーターの皆さんに、そもそも『養護老人ホーム』とはいかなるものなのか、『措置制度』とはいかなるものかについて私なりに理解している事をお話させて頂き、制度の矛盾点について語りたいと思います。先ずは『養護老人ホーム』についてですが、養護老人ホームの元になっているのは生活保護法(旧救護法)に基づいて設置された施設の一つであった『養老院』です。養護老人ホームは地域包括ケアシステムの一環として、地域で暮らす高齢者の支援において重要な役割を担っています。そもそも『生活保護法』は日本国憲法第25条(生存権、国の生存権保護義務)において「①すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と明記しています。但し、実際に国が直接一人ひとりに関わる事は現実的に不可能なので、各市区町村にその権限を委譲しています。そこで問題になるのは国から一般交付税として市区町村にお金が入っているので市区町村の考え方で措置費の使い方や考え方に差異が生じるのはいた仕方が無いとは思いますが、生存権を脅かすような事は決して許される事ではありません。

私は最初に運営させて頂いた本部施設の優・悠・邑は2年間(平成10年度、11年度)の措置費制度を経験していて、その頃の地域の方々の考え方の中には(決して全ての方ではありませんが)「お上の世話にはなりたくない」的な考え方があった事は事実です。しかしながら介護保険になり契約制度になり、その事が20年の月日の中で理解されて、今では「お上の世話に・・・。」等との考え方は払拭したと思います。しかしながら、私は「介護保険法が出来たからと言って老人福祉法がなくなったわけではない。」との考え方をずっと持っていて、特別養護老人ホームであっても弱者救済の理念は決して忘れてはいけないと考えて実践してます。そんな中で盲養護老人ホームが岐阜県、富山県、鳥取県、沖縄県の4県のみないと言う事で昨年5月21日に事業開始をして、このコロナ禍で事業開始した事の周知がままならない中で、感染がや落ちついている時期を見計らい岐阜県内の市町村には担当課に2回はご挨拶に行き、愛知県内に2か所ある盲養護老人ホームにご相談に行きアドバイスを頂き名古屋市内の区役所(16区役所)にそれぞれご挨拶に行き、少しずつ役所から打診があったり、家族からの連絡があったりです。コロナ禍で思うように予定が入れれないのは大変です。本題がなかなか言えずにすみません。(いつもの事だとリピーターの皆さんは思われていると思いますが。)

家族からの連絡でこのようなのがありましたので、リピーターの皆さんのご意見を是非聞かせて下さい。その内容とは全盲の方の家族の方からでした。「母親が全盲の難聴。父親は要介護で、週4回デイサービスに通っていて、自営業の息子(連絡を頂いた方)との3人家族。コロナの影響で自営業は税金免除の申請をしなければいけないような状況で母親の年金は基礎年金(約70万円)のみとの事。」この状況で市の担当窓口の職員は「家に介助すゆ方がいるのだから措置は出来ません。」と言われたとの事。私はこの報告を聞いた瞬間に思ったのは①窓口業務の方が判断すべき事ではない。②この案件が措置されないならばどのような方が措置されるのかと思った次第です。リピーターの皆さん。是非ご意見をお聞かせ下さい。

昨日『ライフ』の研修を受けて・・・

令和4年1月25日

今年度の介護報酬改正により導入された加算である『ライフ』の研修を全国老人福祉施設協議会の協力を得て岐阜県老人福祉施設協議会が主催して開催されました。講師の方は一人は特養部会長だったので話を聞いていて「よく勉強されているな」と思い、私自身の理解不足に反省しきりでした。それ以上に杉和会理事長である私にとって問題なのは(ライフの加算については現場サイドが頑張るべき事なので)後半に話をして頂いた楠本先生の方だったのです。

と言うのは、楠本先生はトランスファーの視察に何度か本部施設に来て頂いていて熱心に勉強されて、尚且つ、現在は和(なごみ)の施設長である吉澤施設長を伴い鹿児島県まで研修に招かれて楠本先生の施設まで行かせて頂き、びっしりと研修をさせて頂いた時も主体的に施設内の事をやられていたのを記憶していたのですが、先般このコラムで書かせて頂いたように、当法人でのトランスファーは形骸化寸前なのに、楠本先生が講義の中で「岐阜県の優・悠・邑でトランスファーを学びロボットとの融合によって介護がより効率的に出来ている。」と言われた時には、楠本先生に頭をガツンと殴られたような気分になりました。

何事もそうなんですが、思いがありその事を理解している時には頑張って継続出来るのですが、その継続の必要性が分からない者が出てくると大切な事が抜けてしまい必要性がいつの間にかどこかに行ってしまう。当法人のホームページを開くとトランスファーの動画もしっかりとのっているのに・・・。今の現状は過大なお知らせになっていると言わざるを得ない。本日も和(なごみ)の吉澤施設長と打ち合わせをして、トランスファーの再構築の為の打ち合わせをしました。先ずは、幹部職員に洗い直しの計画を提出してもらう事から始めなければいけないとの意志統一をしました。ただし、あれだけ一生懸命に出来ていたものがいつのまにか無くなっている。つまり、ベットの所に入居者さん、利用者さんの身体状況や介護の仕方が明記してあったものが忽然と消えてしまった事が不思議で吉澤施設長に確認すると全て私の怠慢だと理解しました。

と言うのは、私自身が現場に行けない状況の中で一時大学を退職された方に委ねた時期がありました。その時にベットに個人情報を提示しておくのは駄目ではないかと指摘を受けて外されてしまい、外した後の代替案が示される事なく今に至っている状況だと理解しました。委ねた先生に任せきっていたことに対して自責の念でしかありません。私がその事を理解していたら(過去には遡れないのですが)全て剥ぎ取る事はせずに個人情報だから困ることのみ削除したのに、「トランスファーが形骸化している」と感じた今、後悔しても遅い・・・。

いやいや、リピーターの皆さん。必ずや吉澤施設長の協力を得て、改めて全国に発信出来るものを構築して、職員のモチベーションも上がる形にしていきますので、その報告が出来るまで時間的猶予を下さい。

 

私が歌っているときに入居者さんの多くの方が口ずさんでくれてはる

令和4年1月24日

昨日は本部施設の1階と2階のお参りをさせて頂いたのですがその時のフロアの対応に大きな差があり嬉々こもごもでしたので先ずはその話から。13時30分からの予定だと思っていたのに13時35分になっても職員が呼びに来ないので1階のフロアに行ったのですが、全くお参りの態勢になっていないのでワーカー室に入って行くと二人の職員が話をしていたので「今日はお参りだよね。」と噺をするとフロアに行き誘導を始めるような状況なので、仮設の仏壇にろうそくに火を点けようとすると慌てて職員が飛んで来たので「私がするから入居者さんの対応をして」と言って仮設の仏壇を見るてお花は枯れ枯れで花びらが半分くらい落ちているような状態で・・・。

いつもは用意してある、私が頂く水もなく、お経の後にさせて貰っているカラオケも準備が出来てなくて・・・。ただし、この現象は入居者さんには関係の無い事なので、いつものようにご挨拶をしてからお経をお腹から声を出して唱えさせて頂きました。ただし、いつもと変わらないようにしたつもりですがお経を唱えた後にお話をさせて頂いたのですが正直「疲れた」と言う感じで2階に足取り重くに2階に行ったのですが2階は私が来るのを入居者さんが「今や遅し」と待ち構えている雰囲気が伝わってきて、私のテンションは一期に上がりました。2階の仮設の仏壇には綺麗な花が供えてあり、水も置いてあり、カラオケの機械もしっかりと鎮座していました。私は気分よくろうそくに火を点け、入居者さんご挨拶をしてからお経を腹の底から声を出して唱えました。

お経を皆さんと唱えた後に水を頂いていると「理事長さん歌って」との声が上がったのにますます気を良くして1曲目は外の雪景色を指しながら『雪國』を気持ちよく歌わせて貰い、「めちゃくちゃ気持ちよく歌えたので十八番(おはこ)こ『兄弟舟』を歌います。」とこれまた気持ちよく歌うと入居者さんの方から「理事長さん。お前しか愛せないを歌って」との声に「3曲目を歌わせて貰って良いの」と言いながら自分でデンモクに曲を入れていました。3曲目も楽しく歌えたので勢いを得て何も言われてないのに4曲目を自分でデンモクに入れていました。曲目は松村和子さんの『帰ってこいよ』なのですが、私はこの曲はカラオケの画面を見ずに歌えるのです。

何故ならば『帰ってこいよ』の歌詞を全く無視して、お馴染みの『3太郎』に変えているので一番は『桃から産まれた桃太郎』の繰り返しで、二番は『まさかり担いだ金太郎』で、三番は『亀に乗ってる浦島太郎』なのですが、私が気持ちよく歌わせて貰っている前の方で聞いて頂いている入居者さんが私と一緒に口ずさんで頂いているのには感激してしまいました。なにかしらイベントがある為に歌っているからなのでしょうがメッチャ嬉しくなりました。リピーターの皆さん。何事も継続するとこういう事にもなるのですね。

トランスファーを通しての他法人との連携について語ります

昨日のコラムでトランスファーを通しての他法人との連携についてお話するようにお約束していたので朝のお風呂に入っている状態で先ずは語りました。(書く事が決まっているのは助かります。)(ここからは今、午後6時33分に家に帰りまたまたお風呂で書きます。)前段はまったく中身のないものでしたので、ここからは具体的に語ります。

今は国の政策の一つに『法人間連携』と言うのが重要課題としてあるのですが、そのような事はまったく言われていない頃に、それぞれの法人の良さを生かした取り組みの提供をしたいと考えていて、当法人は『トランスファーの提供』と考えて他の法人からのオファーを待っていました。ただし、ただ口を開けて待っていたのでは食らいつきも少ないと考えた私は広報媒体をホームページに委ねる事にしました。そして、私は全国老人福祉施設協議会の会長から『昭和おじさん』の称号を頂いているくらいのアナログ人間なのですが、トランスファーを広く広報するのと同時に『日々進化するホームページに構築』をしたいと全面リニューアルをすることにしました。そのホームページにはイニシャルコストには五百万円をかけたのですがランニングコストには殆んどかからないもの(職員が簡単に更新できるシステム)にして貰いました。正直完成までには約半年かかりましたがその効果は絶大で今では年間アクセスが50万件を越すまでになりました。と言う事は多くの方々に指示を受けて結果的には30法人からのオファーがありました。その中で法人連携が具体的に出来た事例をお話します。

一つに目は東京都内にある法人です。この法人は本当に早くにオファーが来ました。この法人は何度も本部施設に来て頂き熱心に学んでいかれました。何度か本部施設にこられる中から自分の法人は外国人材を先駆的にしていると言われて、東京にある施設まで行かせて頂き色んな取り組みについて教えて頂きました。お互いの良さを理解し合う事の有意義せいについて理解できた典型的な事例だと思います。

山形県の法人がこられた時は、その後の様子を見にきて欲しいと言う事で何人かでお邪魔して夜の懇親会に招かれた時には松茸尽くしの料理が出てきたので「松茸がとれるのか」と聞くと地元でれるとの事で翌年には10キロの松茸をバイキング用に送って頂きました。めちゃくちゃ話題性が豐がで大好評でしたが流石に毎年と言うわけにはいきませんでしたが、『1』は『0』とは違うので松茸の時期になるといまでも話題になります。それぞれに話題になることは必ずやあります。そこでリピーターの皆さん。何事もアクションを起こす事によって物語ができると言う事を理解して頂けたら嬉しいです。

昨夜19時からの全体会でのお話をします。

昨日は午前も午後もリモート会議がありリモート会議が終了したのが16時で、本日は標題の通り19時から全体会があり、家に帰ってからコラムを書くとなるとかなりしんどい事になると思い、リモート会議終了後に理事長・施設長としての仕事をしながらも時間を見付けてはコラムを書いていたので、内容があっちに行ったりこっちになったりしながらも、18時30分には出来上がり、全体会前の職員研修の一貫で『コロナ感染症対策』のDVDの視聴が始まったので玄関前ホール(正式名称は『地域交流スペース』)に行きました。一度視聴したことのあるものだったのですが、改めて見た事によって再確認出来た事が多々あり、有意義でした。

本日びわこ学院大教授で当法人顧問の烏野先生はリモートでの参加でした。と言うのも大学で学生さん達の複数にオミクロンが発症して、完全リモート授業で外に出ることも禁じられているからです。と言う事はオミクロンは身近なところに来ていると言う事だと理解しました。全体会は、先般話し合った幹部会(経営戦略会議)で決まった事を北島部長がして、順次、吉田部長、五次部長、法人事務局長とそれぞれに話をして、和(なごみ)の吉澤施設長が北欧式トランスファーの再構築の話をしてくれました。

吉澤施設長は13年前に法人を代表して、デンマークに行き、北欧式トランスファーを日本に紹介して下さった(私は平成19年に初めて出会ったのですが)デンマーク在住の小島ブンゴード孝子さんの家にホームステイをしながら直接発祥の地であるデンマークで学んだ事を法人の職員全員が理解して実践出来るようにしたのです。その当時はハード面についての体制は理事長である私が、ソフト面については今の吉澤施設長が担って周知しました。この成果は私が全国老人福祉施設協議会の役員をした事もあり瞬く間に全国各地に広まり北は山形県から南は鹿児島県まで多くの法人が研修に来ました。(詳しくは明日のコラムで書きます。)

本日の話は吉澤施設長が、昨夜の全体会でズバリ「今、ベットに個人情報シートは貼ってありますか。私が最近館内を見回った限りにおいてはなかったのですが。」と言われた時には頭をガツンと叩かれたようになりました。と言うのは、13年前にはしっかりと作り全職員が徹底していたものか今は存在していないことが幹部職員の中でも意識の中に無いと言う現状。勿論、それ以上のものが出来た事によって廃止したのであれは納得するのですか、そんな代替案は出ていない。情けない話だけれども『職員の都合で無しになってしまった。』としか言いようがない。私自身、あれほど熱く語り構築してきたのに・・・。と思うと忸怩たる思いと同時に今の現状を許してしまっている私自身に対しても猛反省して、再構築の為に吉澤施設長に再構築をして貰う事を土下座をしてでも頼まなければと考えています。

北欧式トランスファーをたくさんの資金を投入してでも実施したのは、腰痛を訴える職員がいたからで、最近、外国人介護職員を中心に腰痛を訴える事が目立ってきたから。外国人介護職員は先輩職員からしっかり学ぼうとしているのだから、これは先輩が北欧式トランスファーを実践していないからと結論付けて、再構築の為に頑張りたいと思います。

リピーターの皆さん。一歩前進二歩後退からの脱却をして一歩一歩頑張っていくことを誓いますのでこれからも宜しくお願い致します。

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