2021年12月の記事一覧

昨日ホテルで荷物の整理をしていて

令和3年12月11日

8時に部屋の片付けをしながらテレビを点けてBS放送で『アンパンマン』を見るとは無しに見ていて、(我が家でもたまには見るのですが)ふと思った事を書きます。(メッチャどうでも良いことなのですが)それは、いつものようにバイキンマンが悪いことをしていて、そこにアンパンマンが表れて一旦は顔を汚されて「顔が汚れて力が出ない。」と大ピンチになり、ジャムおじさんがその事を知って「新しい顔を焼くよ」で、顔が焼けて顔を投げて(チーズと言う名の犬等が)新しい顔になってから、バイキンマンが退治されて、大抵は大空高く飛ばされてバイキンマンは「バイバイキーン」(キラキラ)で一件落着。その場面を見ながら、さてさてアンパンマンの汚れた顔はその後どうなったのかと。だって『勿体ない』じゃ無いですか。よ~く考えたら『水戸黄門』『暴れん坊将軍』『大岡越前』も最後はハッピーエンドなのが日本人には承ける。いやいや世界中一緒か。

もう1つアンパンマンで大いなる疑問があります。これもまた、しょうもない事なのですが、バイキンマンは大科学者だと思うのですが。だって一人用の空飛ぶ乗り物を造ったんですから。でも、乗り物を修理する時に金づちでトンカントンカン。何が言いたいかと言うと大科学者なのにどうして、ご馳走を奪う事をやるのかなあ。だって食べ物を料理する機械を作った方が早いのにと考えている私は変ですか。この発想を思い出したのは1985年の映画『バックトゥーザフューチャー』に出てくる大科学者ドク(タイムマシンを発明したのですから、大科学者でしょう。しかも、デロリアンと言う車を改造してですよ。その後には蒸気機関車を改造してもタイムマシンを作ってます。)がアイスティを飲むのに氷1個を作る為に大層な設備で作っているのを記憶していたものですから。最も子どものマンガ番組(既に充分大人の私も見てますが)と大人の映画では違うのかも知れませんが・・・。と言うかこんな事にこだわる私の方が変なのだと思います。こんな事を私が考えれるようになったのかと思うとゾッとしてます。

しかしながらマンガにしても映画にしても、さりげなく将来を言い当てていると思います。リピーターの皆さんの中にはご記憶がある方もあるかも知れませんが、私が小さい頃のマンガで(白黒の放送なのでかなり前のものだと思うのですが)『エイトマン』と言うのがあり、番組の最初に歌と共にエイトマンが走って追い抜く列車は今から思うに今は走っていませんが新幹線の最初に走っていたのと瓜二つです。また、バックツーザフューチャーでスケボーが浮いたものが出てくるのですが、今はそんなのもあると聞いてます。ただし、よーく考えたらバックツーザフューチャーの未来が2015年には空飛ぶデロリアンがありましたが未だ見たことありません。う~ん、かなり話題が飛んでしまいましたが、マンガとか映画は時として人間の願望を映像にしているのだと。そして、その願望を科学の知恵で形にしていく。だとしたら私はドラえもんの『竹コプター』と『どこでもドア』を早く作って欲しいな。リピーターの皆さん。本日は全く意味のないコラムを書いてしまいましたが、「これも、一考」と言う事でリピーターの皆さん。お許し下さい。

 

昨日は東京で泊まらせて頂きました

令和3年12月10日

全国老人福祉施設協議会の本部事務所近くの都市センターホテルに泊まらせて頂いたのですが(一泊7000円)朝、目覚めて19階の部屋から外を見ると当然の事ですがそれなりのビルが並んでいます。ただし、早い時間だった為か車は殆んど走っていない状態でした。

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そんな状況の中でガラケーの携帯機能の万歩計で昨日の歩数を確認してビックリです。その数値は12,100歩だったのです。「流石に東京です。」と言うのは、タクシーに乗るまでもない距離をちょこちょこ歩いていたり、昨日の場合はホテルニューオータニで行われたトップセミナーが始まる前にご縁を頂いている方々にご挨拶をする為にあっちこっちと熊のようにうごめいている内に歩数が伸びたのだと思います。東京の方は歩くのも早いと思うのですが、歩くのを苦にされていないと言うしかないのです。私も昨日は本部事務所での常任理事会を終えてホテルニューオータニまで歩いたのですが、歩きやすかったです。平河町から赤坂見附の方に歩くのですが『赤坂』と言うだけに『坂』があるのですが、赤坂見附の交差点まで下り坂なので正直楽に歩けました。ホテルに着いてからも役員の方とご一緒に歩いているので、全然苦もなく歩けました。

昨夜は埼玉の志木市にあるブロンの施設の理事長さんや職員さんと夕食をご一緒させて頂き、結構に冷酒を頂いたのですか、リラックスした形であった為か二日酔いもなく、施設には12時前には着き岐阜羽島駅構内で買った昼食を食べて13時30分からの北海道老人福祉施設協議会の役員さんとのリモートによる懇談会が15時30分まであり、その後もバタバタと打ち合わせがあり、決済の為の書類の確認をする予定をしていたのですが、流石に東京出張の疲れを感じて本日は早くに家に帰らせて頂きました。

本日はしっかり休ませて頂き明日からの対応を頑張ろうと考えています。メリハリのある生活をして効率の良い毎日にすることを心掛けていきたいとも考えています。東京からの新幹線の中で行きの時よりもしっかりと富士山を見る事が出来て嬉しかったのでガラケーの携帯でバチバチと写真を撮る事が出来ました。

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ここは格言『下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。』で、それなりに撮れたと思える写真もリピーターの皆さんに見てもらう事にします。本日のコラムは出張の疲れがあるのか全くと言って良い位に閃きが無くて正直だらだらと書いてしまいました。今夜はしっかりと寝て明日は素敵なコラムを書きますので許して下さい。

朝からつくづく考えました

令和3年12月9日

本日は東京へ全国老人福祉施設協議会主催の『トップセミナー』と引き続いての『園田参議院議員を励ます会』があるのですが、今朝もいつも通り4時50分のアラームでしっかりと目覚めて、ベットの上での手足を中心にした体操をして(いきなりの歩きは血圧に良くないと聞いているので、取り敢えず健康に留意しているつもりです。)洗面後に(忘れてはいけません。リットの餌やりがありました。)仏壇におロウソクとお線香に火を点けてからご本尊様に手を合わせ、次に父、母、姉、養母の4人にご挨拶をしてからおりんをならし、再び手を合わせてからウォーキングマシンに移動して30分間歩きながらお経を唱えいて、ふと『ひろっちゃん』と言われていた頃の私は軟弱でやろうとした事も直ぐに投げ出してしまう子どもだったのに、いつからこんなに意志が強く頑固にやりきる人間になったのかと朝から真剣に自問自答しているのです。

何が私を強くしたのか。う~ん。誰だって人生色々あって強くなるのでしょうが、私の場合は『自分自身の事』にはからっきし『意気地無し』なのですが『誰かの為になる』と言う時には知らない力が背中を押してくれたり、私の口を通じて誰かが閃きを私の頭の中に注入して貰って今があるように思えて仕方がありません。だって、困った状況になった時には何らかな力が働いてクリアしてきたように思えて仕方がないのです。そんな中で、胃に穴が開くような試練も幾度となく乗り越えられて今がある。考えてみたら神憑りな生き方なのかも知れません。いやいや、神のご加護であり、ご先祖様のご加護だとは思っています。

生後半年目にして30秒ほど心臓が止まって再び動き出したのを皮切りにして奇跡と言わずにして理由が立たない・・・。だからこそ、生かされている自分は人の為に地域の為に頑張ろうとしている内に強い信念で動かされているのだと考えています。現在置かれている全国老人福祉施設協議会副会長、岐阜県老人福祉施設協議会会長であり、3拠点を運営している社会福祉法人杉和会理事長の職責にしても、常に今の現状から自分がやるべき事を一生懸命に展開して厳しい状況の時には前段で述べたように背中を押して下さる方が現れたり支えて下さる方が現れた結果だと思っています。

こんな事を考えていて、コラムを打っている内にもうすぐ品川だとアナウンスがありました。のぞみの車中でお弁当を頂き、富士山に雪がかぶっているのをガラケーの携帯で写真に納めれたのは幸せだったのかなと思っているのです。リピーターの皆さん。こんな考え方の私なのであります。さて、本日は副会長としての役割を頑張りますので、その点も応援して下さい。

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朝の妄想なのです

いつもより早くに起きて(4時30分)、いつもよりは5分長くウォーキングマシンに乗って歩きながら4人の私が深くご縁を頂いた(当然の事なのですが)父進(38年間)、母秋江(13年間)、姉光子(17年間)、養母英子(43年間)との暴走に近い会話をしてました。(考えてみたら、養母英子さんとの時間が一番長いのですが、つくづく思うのは長さではなくて『感謝』の密度だと思います。)

さて、暴走に近い妄想の会話について本日は語ります。一番最初に話をするのは当然の事ですが大黒柱である父進さんなのですが、父進が「お母ちゃんが話があると言っとるぞ」と言ったので、隣の母秋江さんの方を見ると「宏、根回しが大変だったけど何とかしたから大丈夫やからな。」と浮き浮きとした声で話をしてくれたのですが、私には何が大丈夫なのかも分からずに「何の話」と聞くと「何を言っとるの、年末ジャンボの宝くじが当たるように根回しが出来たんやがな」と言うので私は「そんなこと出来るんか」と素直に聞くと母秋江さんは「そりゃあ大変やったけど何とか頑張ったんや」と大真面目に母秋江さんが答えてから「宝くじの神様が何処におみえになるかを探すのが大変やったわ。いろんな伝(つて)をたどっていったら宝くじ担当の神様に会えたんや。そこで、一生懸命に母ちゃんが頼んだんや。」と言うので私が「どんな風に頼んだの」と聞くと再び母秋江さんが「私の大事な大事な息子は小さい頃虚弱でしたが、今は福祉施設の経営に休みもなく走り回っていて、地域の皆さんに喜ばれとるのだけれど、新しく造った盲養護老人ホームの経営が大変だけれども頑張っているので何とかしてやって欲しいのです。と話をしたら納得して貰えたの。」と話してくれた。

そこで私は思いました。私が小さい頃には虚弱体質で色々と迷惑をかけたり、色々と走り回ってくれた事を感謝しているけど、父進も母秋江も天国でもゆったりと出来ずにあいからわず走り回っていてくれているのかと思うと目頭が熱くなってきました。

そして、こんな妄想で安心するのでは無くて根拠ある種蒔きをしなければと、本日一昨日に引き続き名古屋市の区役所回りをして痛切に感じました。昨日のコラムで書いたように本日は名古屋市庁舎への挨拶には名古屋市老人福祉施設協議会の尾関会長にも同行して貰え、部長さんとも名刺交換と共にご挨拶が出来て、場所を変えて担当者である3人の方を前に約30分は熱く語らせて頂きました。本日は幸先の良いスタートと共に、それぞれの区役所では、今後、具体的に展開しそうな具体的な話まで出来ました。この展開は年末ジャンボ宝くじのような妄想ではなく、現実的な収穫になったものと確信してます。今後も地道な展開の中から安定した経営が出来るように頑張っていきたいと考えています。

朝8時に本部施設を出て予定通り15時30分に帰る事が出来て16時からは全国老人福祉施設協議会のデイサービス部会の5役会議と引き続いての社労士の先生との打ち合わせをして、今(21時22分)にようやくコラムを打つ事が出来て、明日は東京への出張が待っているので朝になったり一段とギアを上げて行きたいと思いますのでリピーターの皆さん。明日もしっかりと宜しくお願い致します。

緊張したせいか、お腹が張ってます

令和3年12月7日

リピーターの皆さんの中には、タイトルを見て私が「緊張するとは考えられない。」と思われたかも知れませんが、実は私は小さい頃から『人見知り』の『緊張しまくり』の性格なのであります。そのように言うとリピーターの皆さんの中には「小さい頃はそうだったかも知れないけれど、今は違うでしょ」と言われる方もあるのかも知れませんが、昔から言うではありませんか。『三つ子の魂百まで』と。だから、今でも駄目なのです。よく『自分を変えるには、自分で変えていくもの』的な事を言いますが、表面的には変えられても、決して本質は変えられないものなのです。だから、昨日のように初めて行った場所で初めての方と話をするときに一見堂々と話をしているように見えるかも知れませんが、実は体的にはしんどいのです。つまり、肉体は正直なのです。

今朝はウォーキングマシンに乗って歩きながらお経をあげた後に仏壇の前で本尊様と私の父、母、姉、養母の4人に手を合わせながらいつも以上にお腹の張りがなくなるようにと祈っていました。もちろん、その時の祈りのご真言は薬師如来様の『おん、ころころ、せんだり、まり、そわか』です。そんな事を考えているときに、私が小さい頃の自分をイメージしてみました。そんな時の私はいつも、母秋江さんの後ろに隠れるようにして、母秋江さんに甘えているのです。今も(18時12分)お腹が張っていて困っているのですが、お腹が張る時は必ず難しい局面にある時で、胃に穴が開くのでは無いかと思うくらいに神経が研ぎ澄まされた事が何度もありました。

そんな中でもありがたい事がありました。それは、昨日、名古屋市老人福祉施設協議会の尾関会長の施設にご挨拶に行ったのですが不在だったので、資料と手土産の名入の煎餅を置いて行ったお礼の電話があり私は明日も名古屋市内の区役所に行く事にしていて、名古屋市庁舎にも挨拶に行く事をお話すると、明日は一緒に同行して下さる事になり、尚且つ担当者とお会いする段取りまで付けて下さったとの連絡を頂き、改めてネットワークの大切さを理解しました。そして、もう1つ思ったのは『アクションを起こせば何かが変わる』と言う事です。

ネットワークを構築するために母秋江さんの教えである『蒔かぬ種は生えない。』を理解して母秋江さんにも感謝です。そう言う意味では、小さい頃の『アクションを起こしたいのに起こせない』から脱却ができているから今の事業が出来ているのだとも思いましたが、本当は母秋江さんばかりでは無くて父進、姉光子も天国で私の為に根回ししてくれているから今があるのか・・・。だとしたら、いよいよ年末ジャンボに大当たりかな・・・。リピーターの皆さん。この世の中、そんなに甘くはありませんよね。いやいや、大甘の母秋江さんなら「もしや・・・。」

 

朝から雨ですが挨拶回りに名古屋に行きます

令和3年12月6日

昨日は風の無い快晴でしたが本日は朝から雨です。盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)の吉澤施設長の運転で名古屋にある福祉事務所へ施設の案内の為に出掛けます。流石に名古屋です。22ヶ所あるので西区から順に回らせて貰うのですが、果して全部回れるかはわかりませんが、入居者16人の現状にじっとしておれなくて出向く事にしたのです。7時50分に施設に着き、せっかく名古屋に行くのなら名古屋老人福祉施設協議会の尾関会長の施設にも寄りたいと思い名刺代わりの『優・悠・邑せんべい』の手土産を持ち尾関会長の施設がわかる全国老人福祉施設協議会の役員名簿を準備していると吉澤施設長が来たので私の車の鍵を渡して車の運転は吉澤施設長に委ねる事にして事務所の職員に挨拶をして名古屋に向け8時丁度に出掛けました。

先ずは9時丁度に西区役所に着き挨拶回りがスタートしました。西区役所での担当者の方の対応には大いに手応えを感じてとてもモチベーションを上げました。と言うのは、受付対応をして頂いた方に「養護老人ホームのご担当の方に、岐阜県初の盲養護老人ホームが事業開始をしたことのお知らせにきました。」とご挨拶をすると、直ぐに担当者の方が来てくださり、しっかりとこちら側の話を聞いて下さり、こちらが用意をしたパンフレットもしっかりと見て下さり、最後には「対象になる方がおみえになったらご連絡をさせて頂きます。遠いところをご苦労様でした。」と言われたので私は思わず「決して遠くはありません。今日も施設から一時間でくることが出来ました。」と切り返すと「出張で高速料金は出ないのです。」と言われて、私は少し動揺しながらも、「JRの東海道本線で大垣までは快速電車で35分ですし、その次の垂井駅で降りて頂いたら車で10分位で、垂井駅からの送り迎えはさせて頂きます。」と答えせて貰うと担当者の方が「意外と便利なところ何ですね。」と答えて頂き元気を頂きました。次に目指したのは尾関会長の施設です。と言うのは、私の手持ちの住所録には西区の住所が記されていたからです。施設に着いた時間は多分デイサービスの到着時間だったのだと思うのですが、玄関先にいた職員さんはどの職員さんも気持ちよく挨拶をして頂けました。

玄関を入り受付で尾関会長にご挨拶に来た旨を話すると、尾関会長は昭和区にある施設に換わられたとの事で、手土産だけお渡しをして、次の区役所に向けて出発しました。本日は全ての福祉事務所には行けませんでしたが概ね先程話したような対応をしていただけました。ただしながら、1つだけ「流石に名古屋です。」との経験をさせて頂きました。それは、駐車場の絶対数が足らなくて駐車待ちの車が多かったので私は時間が勿体ないと考えて近くにあったコインパーキングに停めました。区役所のほとんどがそのような対応になっていました。だからでしょうか、区役所の回りにはコインパーキングがあちこちにあり「流石に名古屋です」と感心した次第です。本日は17時まで目一杯頑張って回りましたが全部は回りきれなかったので明後日にも頑張って回りたいと考えています。リピーターの皆さん。良い結果が出るように祈って頂けると嬉しいのですが。

本日の炊き出しをダイジェストで書くことにします

いつものように4時50分のアラームで目覚めてウォーキングマシンのスビード設定をいつもより少し早くして歩きました。その理由は炊き込みご飯と具だくさんの八丁味噌の味噌汁を入居者、利用者、職員に美味しく食べて貰うのはもちろんですが、多くの会話と笑顔を頂ける事を考えたら「気合いを入れなければいけない」との思いからです。点火式は9時45分を予定してますが、あくまで『予定は未定で決定ではない』ですからわかりませんが・・・。(以上までは朝イチのレポートでした。)8時30分に施設に行き車を降りて空を仰ぐと雲1つない青空にリピーターの皆さんの中で立派なてるてる坊主を作って下さった方があるのだと思わず空に向かって手を合わせました。

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その後、喫茶コーナーに行くと、かしわ肉3キロを小さくする為に格闘をしていたり、野菜を刻んでいたりと忙しく準備をしている職員に労いの言葉をかけてから事務所と寸胴が設置してある玄関前と喫茶コーナーを熊のようにうろうろと落ち着かずにうろうろしていて、9時45分に予定通りお酒とお塩を寸胴の回りにまいてから薪に発火剤を塗り付け、ライターで火を点け、立派に点火式は出来ました。(簡単に出来たのは薪が上手く組んでくれた水野相談員のお陰なのですが。)火の付いた薪を中に差し込むとよ~く乾いている薪は簡単に燃え広がりました。味噌汁用とかやくご飯用の2ヶ所共にしっかり燃え上がってから大事な事を思い出しました。それは、ご飯の炊き方は『始めチョロチョロ、中パッパ、子ども泣いても蓋取るな』です。しかしながら勢いよく燃えているのをみていて、私は思わず「なるようになるわい」と思い、じゃんじゃん薪を入れていると、ギャラリーが賑やかになってきました。ギャラリーの皆さんにはお茶で喉を潤して貰ってから、ラムネ菓子と干し柿を振る舞いながら「寒い人は釜茹でになって貰いますよ。」とか、「火の温もりは最高でしょ」とか言いながらバシバシと写真を撮って貰いました。味噌汁にする大鍋には35リットルの水が火力が強くてあっと言うまに湯気が揚がってきました。味噌汁の鍋の中にはどんどんと具材を入れて沸騰した段階で味噌が入っていないスープを飲んで貰ったりして入居者さんに楽しんで頂いていて、11時になった段階で樽に入った八丁味噌を4キロの樽の味噌を全部入れました。(味噌を溶かす作業はけっこう大変ですよ)しばらく沸騰させてから生ネギと豆腐を入れて味噌汁は完成しました。ところが、大きな釜でご飯を炊くのは3回目。この作業はなかなか難しいです。でも、ここは『男の料理』です。柔らかくても固くても結果はわからない「ケセラセラ」仏様より早くに毒味、いやいや味見を私がさせて頂いてつくづく思いました。「私は料理の鉄人」だと。11時45分に新館1階、新館2階、、本館1階、本館2階、デイサービス、職員の分のご飯と味噌汁を分けてもまだまだ一杯残るし、ここは本日外国人材の動画撮りに来ている方々にも振る舞おうと言う事で急遽会議室に10人分の準備をして、『お接待』をさせて貰いながら私は一緒に頂きながら、私をいたぶり、可愛がって下さった参議院議員で全国老人福祉施設協議会会長だった口癖「遠慮は三流」と言いながら一杯食べて頂きました。リピーターの皆さん。私が改めて思ったのは『入居者、利用者から元気を頂いた』と言う事です。さて、次にはどんな事でワクワクして貰うかとまたまたワクワクしながら考えています。

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明日はいよいよ『かやくご飯』と『具だくさん味噌汁』の日です

天気予報によると「明日は天気は良いが寒くなる」との事。この予報は寸胴での炊き出しには最高の日和だと今からワクワクしています。リピーターの皆さん、私が何にワクワクしているかおわかりですか。おわかりにならないのならこれから私が言うことをイメージしてみて下さい。

炊き出しで大きな寸胴が2つ並んでいて、(写真参照)家族会の吉田会長から頂いたしっかりと乾燥した材木と今年のお正月に飾った門松の竹(提供は花茂さんです。)がボウボウと燃えていて、入居者さんや利用者さんが順番に見学に来てくださいます。そしてワイワイと皆さんと話をしている時につるし柿を食べて頂きながら、私は一生懸命に火の番をしていて見学にきた方の中で「ああ、寒い」と言われた方があったら間髪入れずに「釜茹の中に入る。」と言うと大盛り上がり間違いない。「う~ん。ワクワクするなあ」と言う事でリピーターの皆さん、ご理解頂けましたか。

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このような企画は本部施設のように敷地が広くて(約5000坪)寸胴等と言う物を大切に保管されていた地域性があり、薪割り等の習慣が今も残っておればこそと思います。(私も斧で薪割りをするのは得意です。)明日のかやくご飯は10キロ(約6.6升)でかやくとしての具をたくさん入れるのですがタケノコご飯を炊いた経験が2回あるのみなので少々不安もありますが、ここは『男の料理』で頑張ろうと思いながらも今からワクワク、ドキドキしてます。でも大丈夫。昔から「始めチョロチョロ中パッパ」でなるようになるわい。軟らかめだったら「食べるに優しい」で焦げが多くなったら「お焦げが好きな方が多いし私も大好きです。」と切り返す事にしてます。

後は天気予報通りに寒くても快晴になることを祈るばかりです。だってなかなか外に出る機会が減っているので『天岩戸』のように楽しいからそっと覗く感覚で多くの方に来て頂き多くの笑い声と笑顔を見させて貰いたいから。リピーターの皆さん。てるてる坊主を宜しくお願い致します。決して強制ではありませんので悪しからず。

午後から炊き出し用の材料を買いに行きました。最初は業務用スーパーに行きました。そこでは人参やゴボウや竹輪やかまぼこを買いました。その他にも、みりんやお醤油も買いました。おっといけません。八丁赤だし味噌樽の4キロも買いました。その後、パローと言うスーパーに行き新鮮な白菜や大根を買い、豆腐や油揚げ等も買いました。結局明日の炊き出しの為に二万円を使ったのですが、おおよそ二百人分を作るのだから一人前百円で、一杯いっぱいの笑顔を頂けるのだからめっちゃお値打ちな企画だと思うのですがリピーターの皆さんはどう思われますか。

より良い職員を多くいて貰うには

令和3年12月3日

昨日は『老健それいゆ』について私見も含めて書かせて頂いたのですが、書いた勢いで昨日の掲載の中で中部学院大学の飯尾教授のコメントがあり、共感することばかりで、今後の展開について意見交換がしたいと連絡したのですが残念ながらその時は出て頂けなかったのですが、20時30分過ぎに飯尾先生の方からかけてきて下さり、恐縮しながらも二人で過去の経緯から今後の展開についてまでかなり突っ込んだ話をしました。飯尾先生のコメントの中には、「認知症に対する見識とそれに基づいた対応が出来ないにも関わらず人手不足の状況の中で職員として採用してしまった結果、事故或いは事件になったのではないか。」との見解でしたが私は職員は如何に確保して育てていき、長く勤めて貰えるようにするかが大切だと考えています。その為には研修プログラムを練り上げ研修が出来る体制を確立して実施していく事が肝要だと思います。当法人には認知症指導者研修を取得している職員がいて認知症実践者研修を終えて認知症リーダー研修まで終了しているのもたくさんいます。「単に資格を取得するだけでなくて実践をしていく」事を推奨しています。と言うのも、知識だけではなく、職員にとっても健康で働きやすい環境を確立することは大切な事だと考えています。その結果として正職員の平均勤務年数は10年を越えましたし、パート職員でも7年を越えました。もちろん単に勤務年数が長ければよいわけではありませんので、常により高いキャリアを目指せる体制を確立していかなければいけないとも考えています。この1年8ヶ月はコロナ感染症対策で職員には我慢を強いる事も多く大変な日々でしたが笑顔を絶やさず頑張っていてくれている事に感謝です。しかしながら素晴らしい職員が集まっくるわけではありません。それどころか大学を8年在籍して見事に大学を追い出されて根なし草のようにしていたのを改心させて今では二人の子どもにも恵まれ一軒家を購入したのも、いますし、教育学部5年の時にヘルパーの実習にきて、そのまま就職したのもいます。私はそのような集団を少しいやいやかなり古い漫画のタイトルにあったのをパクって『アパッチ野球軍』と呼んでいるのですが、とにかく今はかなり強固な集団になってきたと自負しています。ただし、今のような集団になったのは一朝一夕になったわけではありません。入居者さんや利用者さんの事故やトラブルが発生した時は理事長・施設長の私が先頭に立って湯気を出しながらも解決に向けて実践してきました。そして、解決の方向に向かった時は「同じ失敗を繰り返さないように」と言うスタンスで頑張ってきました。また、職員の絶対量が足らないと思える状況になった平成18年からは外国人の採用にも力を入れてきました。そんな中で今はインドネシア、ベトナム、ネパールの方が職員として働いて貰っています。職員の質の向上には何が必要なのかを見極めながら今後の展開も頑張っていきますのでリピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。

気が付けば本日は『12月2日』です

まずは『12月』になってしまった事に驚きです。(昨日は気が付かなかったのかと呆れてしまいます)今年の1年は『コロナ感染症対策』に明け暮れたと言っても過言ではありません。ただし、入居者の方及びその家族の方々に「コロナだから何でもかんでも我慢して下さい。」とは言えません。だから、職員が一丸となって『今日一日楽しかったよ」と言って頂けるように、しかも家族の方々に「安心した施設での生活を送って頂いてますよ。」とのメッセージを送り続けていかなければと考えています。一昨日に(11月30日)にも本館1階、2階のお参りをさせて頂いた時にも「今度の日曜日(12月5日)には大きな寸胴で炊き込みご飯を10キロ作り、具だくさんの味噌汁も大鍋で作りますので、是非見学に来てください。寒いと感じたらご希望により釜茹での中に入って貰いますよ。」と話をさせて頂いたら「釜茹でになるのは嫌だけど楽しみやな」とか「大きな釜で炊いたらお焦げができるな。お焦げは旨いな。」等の話が出て話が盛り上がりました。この『ワクワク感』こそが健康の秘訣。私が元気な毎日を送らせて頂いているのも、入居者さん、利用者さんとのやり取りがあればこそと思っています。

 

『それいゆ』PART②

 

岐阜新聞の大きな見出しで『介護現場の実情問う』に続いて『人手優先、職員の技量軽視か』となっていました。中部学院大学人間福祉学部長の飯尾教授は「個人のパーソナリティーの問題ではない。」と強調。「単に(被告は)技能不足で、介護のプロは感情もコントロールできる。」と、未熟な介護者でも雇用せざるを得ない介護現場の構造的な問題を指摘する。との記載があったので、私なりのコメントを以下にしたいと思います。私はたとえ介護福祉士のライセンスを専門学校や短大、大学で取得したからと言っても、入職当初から自分で判断してバリバリと対応出来る職員はいません。多くの入居者さんのお世話をしていく中で色んな事を学び時には経験ある先輩職員から指導を受けたり認知症実践者研修を受講したりしながら色々な入居者さんに対する接し方を学んでいく中から質の向上を図っていくのだと思います。私は常に「介護職は優しさと一生懸命さがあれば出来る」と言っています。ただし一生懸命さの中でも学ぶ姿勢が謙虚である事を私は特に求めます。つまり、職場環境の中に研修の体制がしっかりと確立されており、尚且つ職員に学ぶ姿勢があることが大切だとも考えています。そして、最も大切な事は『相手の身になった対応』こそ肝要だとも考えています。リピーターの皆さん。介護は専門職としての大切な分野だと思いますが、その割りには対価が低いと思うのですが。

 

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※施設から見て、北側の山(左側の写真)と南側の山(右側の写真)になります。

 

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