私の事を「民俗学的」と評価して頂いたので嬉しくなって自慢話をします。
令和3年12月31日
実は私は大学で『法学部』を専攻していたのですが、余暇活動にばかりの5年間(大学は5年で卒業するものでしょう。)で、落語・演劇の他にも『郷土研究の会』と言うサークルに入っていて、そのサークルの顧問が祝宮静(ほうりみやしず)先生でした。祝宮静先生の功績はインターネット情報でも直ぐに沢山検索できる立派な方で、民俗学の礎を確立された折口信夫(おりぐちしのぶ)先生の愛弟子だった方です。
大学での講義の担当は『文化人類学』でしたが、(大教室での講義だったのであまり講義に出た記憶はないのですが『優』を貰いました。)サークル活動ではその当時単なる過疎地であった長野県妻籠宿を大学の建築科との共同研究で一大観光地にする為のプロジェクトを組んでの活動をしたり、ダムで沈む『徳山村』の現地調査(3年間)をしたりしたのですが、祝宮静先生の凄い所は調査には必ず同行して頂けた事です。
私が祝宮静先生の教えの中で一番印象に残っている教えは「民俗学を難しい学問だと思わない事です。若山君は歴史ある関ケ原に住んでいるのだから、例えば1月1日、4月1日、7月1日、10月1日と決めて(勿論多少、日がずれても構いませんがとの事でした)決まった所から360度ぐるっと回って撮影し続けてみなさい。それこそが民俗学の神髄です。と言われてその当時の私は「ふ~ん。そんなものか」くらいにしか思っていなかったので、全く撮影などしなかったのですが今から考えたら話された通りにしていたらとても貴重な資料になっていたと思います。ちなみに祝宮静先生が癌を患われて先生の奥様からお手紙を頂きました。その内容は「主人は癌の闘病生活に入り、爪も茶色に変色して寝ている事の多い生活です。ところで若山さんが生活されている関ケ原は山がにあるので、『サルノコシカケ』が手に入りやすい環境かと思います。こちらの藤沢でも手に入るのですがあまり新鮮さにかけるきがしています。出来ましたらぶしつけな願いですが手に入ったらお送り頂けないでしょうか。勿論御代金はお支払いします。」と言うものでした。
私はその手紙を読んだ翌日には私の家の玄関先にある紅梅の古木(今でも春には花が咲きます。)に生えていたサルノコシカケを乾燥させてあったのを藤沢のご自宅までお届けしました。その時に学んだ事は今も鮮明に覚えているので以下に書きます。私が玄関先に立つと手紙を送って下さった奥様が出て来て「主人に伝えます。」と言って奥にいかれ、かなりの時間が経過して思わずビックリしました。と言うのは間違いなく寝てみえたはずの祝宮静先生本人が背広姿でステッキをついて出て見えたのです。そして「遠いところをありがとう。立ったままで御免なさい。」と言われた時には正直私は感動して身震いしてしまいました。短い時間ではありましたが私が訪れたからと背広に着替えての対応は学ぶものが多かったし、イギリスへの留学で『イギリス紳士』としてのマナーが身に付いて見えるのだと今はその様に感じています。
この話には続きがあって、2か月後に改めて奥様から手紙を頂きました。その内容は私が持参したサルノコシカケを煎じて飲みだして茶色かった指の爪がピンク色になり、少しは起きている時間が持てるようになりました。と言うもので即行動出来て良かったと改めて思った次第です。大みそかの本日祝宮静先生の事を思い出せたのは私は色んな方に支えて頂いて今があると言う事につながったように思いました。リピーターの皆さん、来年もこのコラム同様宜しくお願い致します。