2021年07月の記事一覧

本日は15時から全国老人福祉施設協議会総務・組織委員会があります

今年の5月末まで総務・組織委員会の委員長をしていて、6月からは副会長になり執行理事として、総務・組織委員会の担当副会長になったのですが(他にデイサービス部会も担当です。)総務・組織委員会委員長の2年間には特に思い入れがあり(もちろん、平成18年から色々な委員会を担ってきて、その都度私なりに一生懸命に汗をかいてきましたが)引き続き総務・組織委員会を副会長の立場で担えるのは有り難いし、やりがいがあり、平石会長の思いをしっかり理解して頑張りたいと考えています。

15時の定刻前に全員がスタンバイ出来たので事務局が幹事に進行を依頼して始まりました。最初に担当副会長としての挨拶なので、一生懸命に話をしていると進行役の幹事の田中君が「声が入ってないようですが」に画面上はマイクがオンになっているのに声が聞こえていないと言う事で少し焦りましたが、水野係長が操作をし直してくれて、改めての挨拶になったのですがしっかりとした挨拶が出来ました。小さい頃の私ならこの段階で萎縮してしまうところだったのでしょうが今は違うと言う事を自ら証明出来たように思いました。次に岩手県の渡辺委員長が私の挨拶に協力して頂けるような挨拶をして下さり内心で感謝した次第です。次に熊本県の潮谷副委員長の挨拶だったのですが、潮谷副委員長は自己紹介の中でこの4月から施設長になられたとの事でそれまでは大学の研究者としてと、厚労省社会援護局で専門官としてのキャリアを持たれた方だとの事ですが謙虚な話し方に安心しました。その後、初めての会合と言う事で委員の方にも自己紹介をして頂いたのですが、北海道、新潟県、滋賀県、沖縄県とバランスよく委員の方は選ばれているのですが、どの委員の方も実績を持った論客揃いで、このメンバーで2年間委員会をしていくのが楽しみになってきました。

総務・組織委員会には大きくは3つの役割があります。1つには全国老施協の入会促進を進め会員を増やす為の仕組み作り。2つには賛助会員の仕組みを確立して収入増を計り運営が円滑に行く下支えをしていく。3つには、各委員会の幹事さんが委員会を円滑に進めていき、幹事の方が将来の全国老人福祉施設協議会を支えれるように指導していくと言う事で、どれも大切な事なので2年間しっかりとした舵取りをしていきたいと考えています。

私の場合は全国の役員さんとのネットワークを駆使して、より良い方向になるように汗をかく事だと理解してますので、リピーターの皆さん。私の展開を見て応援、支援を宜しくお願い致します。

メッチャ嬉しくて悔ししいお話し

令和3年7月20日

本日のコラムのテーマは謎かけのようになりましたが、決してそんな話ではありません。実は私の正直な気持ちを表したテーマなのです。その謎解きの話とは、昨日17時15分から本部施設において行われた幹部会での話です。いつものように、幹部職員がそれぞれの立場で報告と提案をして、理事長である私と副施設長が良いこと悪いこと両面からのコメントをしながら進んでいき、法人本部事務局長(優・悠・邑   和合の副施設長)が今年の3月末を持って廃校となった今須小・中学校を拠点とした町つくりの会が設立されての会議に参加している時に(事務局長は今は垂井町に生活の拠点がありますが、元々は今須生まれの今須育ちで知り合いも多い)、例年8月に本部施設で開催されている地域を取り込んだ夏祭りが昨年はコロナ感染症への配慮で中止になったが今年の夏祭りはあるのかと聞かれて、事務局長は本部施設において毎年開催されている夏祭りが地元に根付いていることがわかり凄いと思ったし誇らしくも思ったとの発言に本部施設においての23年の積み重ねの結果だと改めて思うと同時にまだまだ終息していないコロナ感染症によって今年も夏祭りを地域の方々、入居者の家族の方々と一緒に楽しむ事が出来ないことを悔しく感じています。

もちろん、コロナ感染症が永遠に続く事はなくて、予防接種の体制がとれて治療薬が出来た時には単なる風邪と変わらないようになるのでしょうが、今はそのような状況では無いので夏祭りについては各エリアで開催をして『密』を避けての対応をすることになっています。ただし、本来の形での夏祭りが再開出来た時に円滑に出来るように今は盛大に開催出来た時の事をしっかりと語り伝えていかなければと考えています。

もう1つは体重が思い職員の動きについての話になった時に、私は朝のウォーキングについて話をしました。それは、30分ウォーキングマシーンに乗って歩くのに最初の5分はえらくて大変なのにその後は楽に歩けるのは不思議だとの話をすると、私の話を引き継ぐ形で法人本部事務局長が「理事長の話に同感です。と言うのはランニングをしていて、最初の1キロを走るのはしんどいけど1キロを過ぎた頃からしんどさがなくなる。」との話です。つまり、最初は大変でも、体が慣れてくると大丈夫になると言うことは、ある程度頑張ると軌道に乗る事が出来ると言うことなので、何事もしんどい事を乗り切る事が肝要だと理解しました。

本日は13時30分から岐阜県福祉会館で岐阜県老人福祉施設協議会正副会長委員長会議があり、その前に岐阜県健康福祉政策課が28日に開催される会議の事前打ち合わせがしたいとの事で11時30分に昼食を食べて(冷やし中華)施設を出て福祉会館に13時前に着き玄関先で担当者の方が待っていて下さり、2階の会議室で説明を受け終了後に役員の方が揃われたので13時25分から会議を始めて15時30分に会議は終了したのですが、その後岐阜県福祉人材センターとの打ち合わせと合わせて21世紀委員会の打ち合わせをして、福祉会館を出たのが16時。

16時30分に地元に進出してきたマット等を製造販売している会社の方との打ち合わせを入れていたのですがとても間に合わないと思い施設に連絡して急ぎ施設に向かいました。17時前に施設に着くと、多くの幹部職員が提案を聞いていたので、会議室に行く前に全国老人福祉施設協議会総務・組織委員会の書類がメールできているのを確認して、電話で明日の総務・組織委員会の打ち合わせをしてから会議室に入って行くと幹部職員が提案を聞きながらこの商品は入居者さんの誰々に使ってみたい等と盛り上がっていたので、しばらくそのやり取りを聞いていて、私が遅れて参加したのは結果オーライだったと思いました。

あいからわずのブラス思考で本日も何とかクリアしましたが、リピーターの皆さん。私はこんな日々を楽しんでいるのかも知れませんがこれからも宜しくお付き合い下さい。

本日は3つの会議に参加します

令和3年7月19日

午前中には全国老人福祉施設協議会総務・組織委員会の4役会議が、午後は岐阜県老人福祉施設協議会の21世紀委員会があり、夕方17時15分からは本部施設の幹部会があります。つまり、私が関わる重要な会議が3つ行われますので、頭を切り替えながらそれぞれの会議に挑みたいと考えています。私が色んな役職を受けるのは「若山ならしっかり頑張ってくれる」に応えたいから。私が一番ダメだと考えているのは『手抜き』と言う事。しかしながら実際に手抜きをすると、後から倍になって返って来ることを小さい頃に一杯いっぱい経験したから。それはどういう事かと言うと『自分もやりたい』とか『自分も答えたい』と思いながらも実際には手を挙げなかったり、行動に移せなくて後悔する事ばかりで・・・。そう言う意味では、小さい頃とは今は真逆な生き方になっていて『忙しいけど充実した日々』と言う事です。午前中に開催された総務・組織委員会のメンバーは実直で尚且つ論客な方が揃われたので担当副会長としては頼もしく思っています。午後からの21世紀委員会は委員長が代わって初めての会議で委員長自らが資料作成や進行をしてくれて、今後の展開に期待が持て、会員メリットを確立してくれると確信しました。21世紀委員会が終了して(16時)慌てて17時15分からの幹部会前に幹部会参加者の夕食代わりのパンとおにぎりをゲンキーに買いに行ってから会議室に行くと既に烏野教授がおみえになっていたので挨拶をして、幹部会メンバーが揃い吉田部長の進行で会議が始まり私もしっかり意見を言わせて貰い20時過ぎに会議が終了して、片付けを終えて車のところまで行くとほっとしたのか立ち眩み状態になり運転席でしばらく安静にしていて、何とか家に帰り着き、車を車庫に入れて玄関の鍵を開けて戸を開けながら思ったのは「ヤバい。コラムが書けてない。」と言うことで今はお風呂の湯船に浸かりながらガラケーの携帯で必死にコラムを打っています。リピーターの皆さん。夕方からの幹部会で夏祭りのにっていが8月10日から15日の6日間で特養3ヶ所で3日とデイサービスで3日です。それぞれのフロアで特色ある企画をしてくれるのを楽しみにしていますが・・・。どの日もオープニングでは理事長である私が挨拶と共にカラオケで歌を歌います。残念ながら花魁はコロナ収束後のクリスマス会まで出来ませんがわくわくしながらお待ちください。

本日講演会の講師なので気合いが入ってます

令和3年7月18日

講演会の講師と言うのは話す側が上手く出来たと思っても、聞いて頂く側がどのように感じられたかによって評価が決まるので何度させて頂いても絶対なる自信を持って挑める事はありません。ただし、私の講演内容は常に自分で体験してきた事、或いは実践してきた事を基にした話なので専門書からの理論に基づいた難しい話をするのでは無いので比較的聞いて頂く側にとっては理解しやすいものであると自負しています。ただし、1週間位前から話す内容のシュミレーションを頭の中で何度となくしているのですが、今までの経験から言うと聞いて頂く側の反応を見ながら話を進めていくのでイメージ通りに行く事は殆どありません。

そしていつもの事なのですが講師席に座らせて頂き講師として紹介していただき演題に歩いていき聞き手の方々を前にするまでは小さい頃の対人恐怖症の赤面症が顔を出すのです。ところが不思議な事に話し出すと別人のように落ちついて話をしている自分がいるのです。だから、講演会が終わってからいつも思うことは「私の頭の中にご先祖様が入って私の口を通して話をしているのではないか・・・」と。私の生きざまは自分の周りの方に育てて頂いと言っても過言ではないし、多くの素晴らしい方々に恵まれたから今があると思ってもいます。

また、私が一生懸命に対応して良くなった実践があったとしても、結局は私の中で血となり肉となっているとも思うのです。その場その場では必死になってしてきた事が振り返ると結果良しとなっている。仮に失敗したとしても、決して無駄にはなっていないと言う事です。本日の講演会は岐阜県視覚障害者福祉協会さんの企画だったのですが、盲養護老人ホーム『和』を応援して頂くようなありがたい企画でしたから、私も講師として一段と気合いが入りました。今朝は施設を8時40分に出発をして、色々な所から集まって下さるので例え一口のお菓子とは言え食べて頂きたいと垂井駅前て洋菓子店を出している従兄弟のお店にのブッセでその名も『垂井』を参加者の方に食べて頂きたいと予約しておいたのを取りに行きその後『和』に行き会場内の確認をしていると続々とおみえになりました。

ちなみに一番乗りの方はは大垣市荒尾の方で、折り紙で作った掲示物をプレゼントしていただきました。そうこうしていると山田会長さんや本日の進行をして頂く形がおみえになり打ち合わせをしていて、定刻5分前の9時55分に始まりました。先ずは山田会長さんの主催者挨拶があり、次に吉澤施設長から歓迎とお礼の挨拶があり、引き続き講師である私の紹介をして下さり、いよいよ私が演題に立ちました。本日はいつもより落ちついた導入で『私の福祉への思い』と言うテーマで幼少期、四国参拝でのエピソード、教員時代、児童養護施設の指導員時代、施設開設に至る経過、そして『和』への思いを熱く語ると共に入居者さんに多く入って頂かないと経営が厳しい状況についても熱く語るりました。講演を終えて山田会長さんから「カラオケの披露を兼ねて若山理事長に一曲歌って頂きましょう。」とのことで私は決して恥ずかしくもならず砂田おさむさんの『人生夢の途中駅』を歌わせて頂きました。

その後改めて皆さんにお礼を言って講演会を終了後に皆さんをお見送りしていたら、わざわざ『和』の為に歌を作ってCDにして持ってきて下さった方があり、その方が「理事長さんと同じ昭和28年生まれで理事長さんとカラオケでデュエットするのが夢です。」と言われて、私は思わず「銀恋なら大丈夫ですよ」等と終わった安堵感からか軽口を叩いていました。来週は高山まで行って同じ企画で講演をさせて頂くのですが、このような地道な活動により入居者も増えて職員の資質向上にも繋がると考えています。リピーターの皆さんもそのように思われませんか。

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朝イチの出来事

最近の生活リズムは4時過ぎに目覚め5時まで瞑想をして5時10分に1階に降りて洗面を済ませ廊下のドアのガラス越しに老猫『リッド』の凛々しく座っている姿が見えて、私は「いつものように尻尾を高々と掲げて私に絡みながら私が歩くのを邪魔しながら食べ物を入れてくれと思っていると言う事だろうな」と思いドアを開けると案の定私に絡んできて食器が置いてある所に座ったので、私は思わず「ハイハイ御主人様どうぞお食べ下さい。」と餌を入れると(獣医師ご推奨の15歳以上の特別なものです。正直私にもこれくらい気を配ってくれたら嬉しいのですが・・・。)直ぐには食べなくて頭を掻いて欲しいような仕草をするので、自分では掻けない首や顎のところなどを私が掻いているとメッチャ気持ちが良いのか、前足を上げてきて思わずバランスを崩してどてっと転けてしまいました。あまりにも滑稽な状況に思わず大笑いです。

しかし流石に老猫とは言えお猫様です。体制を整えてから澄ました顔で餌を食べだしました。今年の夏は格別に暑くなると聞いてますので、夏バテをして食欲が落ちてこれ以上体重が減ると困るので、私も朝の涼しい時間帯に老猫『リッド』に御付きあいして、より長生きが出来るように私なりに出来る事はしてあげたいと考えています。ただし、夜中の1時や2時ににゃーにゃーとなくのだけは勘弁して欲しいとも思っているのですが。

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さて、明日は盲養護老人ホーム『和』(なごみ)で岐阜県視覚障害者福祉協会の岐阜支部と西濃支部の方々も38人来て下さり、研修の一貫として杉和会理事長の私の講演を聞いて頂く事になっているので午後から開催された野田聖子衆議院議員のセミナーから帰ってから講演での話の内容の確認の為に全般作成したレジメに基づき話す内容のイメージトレーニングをしてから、いつもより早くに帰らせて貰いました。

早くに帰らせて頂いた理由は2つです。1つは家でコラムを早くに打ち終えてゆっくりと日本酒を楽しみたい。2つにはお酒を飲んでリラックスをしてしっかり寝て明日の講演会で感動と称賛を頂き盲養護老人ホーム『和』(なごみ)の事を理解して下さり、入居希望への気持ちををより多くの方に持って頂けるようになればとの思いからです。今は80人の定員で11人の入居者なので、私的には素晴らしい施設を造らせて頂いたので、より多くの方に利用して頂き、喜んで貰い、尚且つ経営が円滑にいくようにしたいとの思いからです。ちなみに、25日にも高山での講演会を企画して頂いてます。

リピーターの皆さん。多くの方に応援して頂いてより良い施設にしていきたいと思いますので今まで以上のご支援宜しくお願い致します。

コロナ感染症対策によってやりたくても出来ないこと

私自身の事から言うと昨年の3月11日に東京へ出張に行ったきり他県への出張は一切なく一昨年度は全国老人福祉施設協議会総務・組織委員会委員長として8ブロックの役員懇談会に飛び回っていて残念ながら中国ブロック(広島)には行けなかったのですが、札幌、秋田、東京、大阪、金沢、徳島、博多と行かせて頂きました。その後の会議は殆どがリモート会議になり、リモートの良い点悪い点が見えてきました。だから、コロナ感染症が終息しても、リモートでの会議が全てなくなる事はないと思います。(時間の節約、お金の節約にもなりますし)本日も10時30分から15時まで全国老人福祉施設協議会常任理事会がありましたが有意義な会議でした。本部施設に置いての月一回のお参りは2日に分けて5ヶ所のフロアでさせて頂いてます。大勢での会食は出来ないので当然のように夏に行っていたボーリングを楽しんだ後のビアガーデンでの飲み会も新年会でのしゃぶしゃぶの木曽路の飲み会もやれていません。新規採用の職員歓迎会も出来ていません。その代わりに少人数での面談は多く持つようにしています。入居者の中で難しくなったのは家族等の面会です。リモートによる面会や窓越しの面会等は実施していますが、親密な形での面会は残念ながら出来ていません。そして、当施設では積極的にボランティアの導入をしていましたが、今は皆無です。一年半もボランティアさんに来て貰っていないてボランティアの再開をするにしても、再構築しなければいけないと考えています。ボランティアの延長線上でクリスマス会にはプロの演歌歌手山崎ていじさんをお呼びして、日頃ボランティア等でお世話になっている方々も招待しての飲み会も出来ていません。そう言えば、クリスマス会においての私が『花魁』になるためにかつら合わせまでしたのに実現出来てないし、自分もその気になって梅沢とみおのように流し目が出来るように練習したのに無駄になっている・・・。今日はリモート会議が長くて、コラムを書こうとすると電話が来て集中して原稿を書けなかったので、決して弁解しません。支離滅裂でリピーターの皆さん。ごめんなさい。

ストレスは体重が増える大きな要因です

令和3年7月15日

今、私が置かれている状況は5月に開設した盲養護老人ホーム『和(なごみ)』の想定外の新たな道路設置(結果的にはより良い環境になったのですが)により資金繰りに頭を悩まし、職員の労務管理が最近特に難しくなってきた事です。そして、全国老人福祉施設協議会の副会長として、岐阜県老人福祉施設協議会の会長として、会員施設へのメリットを最大限にするための対応をお引き受けしている以上、私が出来る事は精一杯頑張らなければいけないとのプレッシャーと責任をひしひしと感じています。

正直、一昨日の夜は午前2時に目が覚めて以降は色んな事が頭に浮かび眠れずに、「眠れないなら早くに起きて行動すべし」と言う事で早くからの展開だったのですが、会議や打ち合わせや電話での対応に追われて眠くなる事はなかったのですが、イライラしたり、ほっとしたりした瞬間に思わず私の大好物のあられを食べてしまうのです。しかも、私が食べるあられは一枚が大きいのです。(写真参照)しかも、ストレスのかかり方によっては一枚で済まなくて下手をすると際限なく食べてしまうのです。しかも、このあられは移動販売の『だるまや』さんにも、私がよく買い物に行く『ゲンキー』にも置いてあるのです。P1000132

リピーターの皆さんの中には「そんなに駄目なら買わなければ良いのに」と思われた方もあろうかと思っています。しかしながら、植木等さんではありませんが「わかっちゃいるけどやめられない。スイスイスー・・・」しかも、もっと太刀が悪いのは、食べた時にも食べた後にも満腹感がないのですが、朝のウォーキングとお経を唱えた後、お風呂に入る前に脱衣場に置いてある体重計に乗ると体重計が壊れているのではないかと思える位の数値なのです。と言う事は私は本当に命懸けで仕事をしている健気な男なのか、単に豆腐のような意思しかない男なのか「う~ん。微妙」と言う事にしておきます。

さて、本日は10時から全国老人福祉施設協議会のデイサービス部会があり担当副会長としてリモート会議に参加させて頂き、終了後は急いで昼食を頂き(メインは醤油ラーメンでした。)和合での経営戦略会議(幹部会)とお参りがあり、急いで移動。和合に着いて直ぐに会議が始まりお参りまで全て終了して本部施設に戻る為に車に乗ったら携帯が入り、岐阜県老人福祉施設協議会21世紀委員長が19日に開催する委員会の事前打ち合わせの為にこれから本部施設に来ると言うので、施設に着いて書類の整理をしていると21世紀委員長が来たので会議室に行こうとしたらメガネを外して書類を見ていたのでメガネをはめようとしたら「メガネがない。」

とりあえずメガネ無しで会議室に行き一時間ほどで打ち合わせを終えて委員長を見送り事務所に戻り改めてメガネを探すが無くて、恥ずかしながら和合のにも電話して確認して貰いましたが無くて・・・。五次部長と北嶋部長にも探して貰っても無くて半ば諦めて家に予備のメガネで帰ろうと机の脇に置いてある物置の下を見ると「あ~るではありませんか」と言う事で・・・。こんな事でもストレスが貯まります。ますますあられの量が増えて体重も増えてどうしようもありませんがリピーターの皆さん。懲りずにこれからも宜しくお願い致します。

 

優・悠・邑 和(なごみ)の入居者に入って貰う為に

令和3年7月14日

今年5月21日、正式に『盲養護老人ホーム』が事業開始をして、最初からどんどんと入居が決まるとは考えていなかったのですが、正直苦戦しています。『盲養護老人ホーム』は基本的には、措置施設なので市町村長さんの措置依頼が無くては入居出来ないのです。しかも、所得の多い方はなかなか措置をして頂けない現実があります。

とは言え、視覚障害者の方が快適な居住空間になるようにと木造平屋建ての全室個室にさせて頂きました。岐阜県で初めての盲養護老人ホームですので、岐阜県中に知れ渡るのには時間もかかると思いますし、市町村長さんが措置をして頂くとは言え、市町村の担当者の方々の理解が無ければ措置に結びつかないのが現実です。本部施設本館では2年間いわゆる『老人福祉法』による措置を経験していて、特別養護老人ホームとは言え、5カ月をかけて満床にした経験があります。(当時の岐阜県高齢福祉課長さんは、立地の面からも3年かかっても満床にならないと言われていました。)その時は先代の理事長と共に時間があれば市町村への挨拶回りをしていました。

あの当時でもそのような状態だったので覚悟をして、しっかりとしたパンフレットを作成し、その他にも掲載して頂いた岐阜新聞、中日新聞、福祉新聞等の資料を持って、吉澤施設長と共に市町村回りをしました。流石に岐阜県は広いです。全部の市町村回りを終えるのに3日を費やしました。確かに、挨拶回りをした後には反応がありますが、措置の判定を頂いて入居に至るには時間がかかります。但し、腐る事無くやり続ければ必ず結果はついて来ると思っています。実際には、措置依頼を待たず『契約』入居を決めて頂けた方もありますので経営が健全化するまで頑張りたいと考えています。

そして、一生懸命に展開していると応援をして頂ける方が現れるものです。それは、岐阜県視覚障害者福祉協会からの依頼で『視覚障害青年等社会生活教室』の講演依頼がきて、7月18日は優・悠・邑 和(なごみ)で岐阜支部、西濃支部の方を対象に、7月25日は高山市総合福祉センターで飛騨支部の方を対象に、8月8日は美濃加茂市生涯学習センターで中濃支部、東濃支部の方を対象に、講演をさせて頂ける機会を頂きました。岐阜県視覚障害者福祉協会の山田会長を初め協会の方の熱い気持ちに感謝です。

本日レジメを作成してメール送信させて頂きました。(資料は点字にして頂けるとの事です。)ちなみに、テーマは『私の福祉への熱い思い』です。リピーターの皆さん、今度の日曜日が一回目の講演(2時間の予定ですが、延長してしまうかも)ですので、その時の報告はこのコラムで書きますので、乞うご期待と言う事で。

 

朝5時30分に奇襲攻撃をかけました

令和3年7月13日

5時10分には行動開始で5時30分に全国老人福祉施設協議会の正副会長グループラインに送信しました。私の我が儘だとは思うのですが『朝早くの仕事は最高に効率が良い』と考えているから。今、午前6時44分ですがまだ、誰からも返信がありません。等と書いているときに残念ながら早くに亡くなられたかつての全国老人福祉施設協議会会長で参議院議員だった中村博彦先生(私にとっては『先生』と言うよりは『会長』と言った方が当たっているのですが)の事を思い出しました。

何度もコラムで書いていますが、私は平成18年8月8日に初めて全国老人福祉施設協議会の役員として当時本部事務所があったTBRビルにドキドキしながら入って行きました。どの部屋に入って行けば良いのかがわからず廊下をうろうろしていると中村会長の大きな声に緊張すると共に何故か安堵感を覚えたのを昨日の事のように覚えています。初めての役職はその当時、出来たばかりの総務委員会の幹事の席が開いていて、突如指名されて行く事になったのですが、その当時の総務委員会のメンバーの皆さんは今から考えても重鎮ばかりで、しかも、中村会長からは「事務局に頼るな。」と厳命されていて・・・。先ずは委員の皆さんの名前も知らないところから始まったので、正直大変でした。私のスタンスは『役割を与えられた以上は目一杯に』のスタンスなので頑張りました。

そんな中で翌年の役員改選期に新たなポストとして『総括幹事』と言うのが出来て、その当時『最も熱い男』と言われていた群馬県の馬場さんと共に任命されました。(残念ながら馬場さんは早くに亡くなられたのが残念でなりません。)私は任命された時にかなりの動揺もありましたが、任命された以上目一杯と言う事で2年間中村会長にもお仕えし(とは言え怒られてばかりでしたが・・・。)ました。中村会長に使えて3つの事が私の中で変わりました。何と言っても特筆すべきは、、中村会長の朝は早いのです。(ちなみに、朝4時30分には新聞に目を通されていて、気が付く事があると、早い時間であっても電話をされるのです。)中村会長に合わせて朝は早くなりました。

2つ目の事につながるのですが、神戸の大会に来ていて同じホテルに泊まっていて、朝5時30分に中村会長から電話を頂き私は当然のようにベッドの中だったのですが、中村会長からのコールだし、(中村会長でなくても携帯には反応します。)3コールまでに携帯に出ると「今から部屋に来なさい。」との事で、急いで着替えて中村会長の部屋に入ると「ボサボサの髪の毛はどうしたのか」と言われて「寝起きなので」とも言えずにいると、「ちゃんと整えられんのなら髪を短くしろ」と言われて、次の出張までにかなり短くして行って「会長。これだけ短くしてきました。」と言うと中村会長が「まだまだ。中途半端じゃ」と言われたので、次の出張までに丸坊主にして今に至ってます。

3つ目は『長期的展望に立った考え方をする。』と言う事です。それは人材確保と育成。あるいは、長期的展望に立った経営方針と言う事です。この5月に開設した『盲養護老人ホーム』が正にその典型です。確かに今は建設費等々で大変ですが将来的見通しの中で岐阜県に無くてはいけない施設になり、法人経営においても必要不可欠なものになると考えています。朝一がテンション高いと一日が充実します。リピーターの皆さん。ますます過激に頑張りますので、今後共に宜しくお願い致します。

岐阜県老人福祉施設協議会会長として

この6月から会長として5期目を迎えました。副会長5期を入れると19年目を迎えますので随分長きに渡り役員をさせて頂いていて、つくづく思う事が本日ありましたのでそのご報告をこのコラムで書かせて頂く事にします。

と言うのは、午前中に岐阜県高齢福祉課に行きました。それは1つには『軽費・ケアハウス委員会』の委員長と副委員長同席でケアハウスの食費の増額を特養が上がったのに合わせてして欲しいとの陳情書を高齢福祉課長と施設事業者係長にお渡しするのと、岐阜県の補助金で『外国人材マッチング事業』の打ち合わせを担当副会長と制度制作委員長の同席の中で行いました。

私が運営している杉和会では軽費 ・ケアハウスはないので、本質的に言ってわからない事が多いのですが、会長の立場で言うべき事は言えたように思います。また、外国人材マッチング事業についてはこのコロナ禍で外国への行き来が出来ない状況で、高齢福祉課としては、今年度の予算をゼロにする話も出たので、私は会長として、「昨年度、曲がりなりにも出来た事を今年度無しにして、その翌年にコロナが終息したので改めて事業を復活させようとしても、なかなか難しいので、来年度からの事業が円滑に行く為の準備期間と位置付けた計画を遂行すべきではないか」と話をさせて頂いたところ、「その方向でいきましょう。」との言質を頂き、会長としての役割が出来たかなと思っています。

2組の話し合いが終わった段階で、コロナ対策の責任者の方が意見を聞きたいとの事で、マッチング事業に引き続き担当副会長も同席の中でコロナ対策での特養の役割と協力体制についての話し合いをしました。岐阜県としても、老人福祉施設協議会の協力を得ながら対応しなければいけない事も多くあるので、しっかりと今後の事について話し合いを持つ事が出来たように思っています。

岐阜県庁から帰ると岐阜県老人福祉施設協議会21世紀委員長から、岐阜県地域福祉課が実施している『福祉の仕事知らせ隊』についての相談があり、その中で私が会長としてやるべき事についての相談もあり、私が役員の方々に協力依頼等の連絡をしなければいけないことの確認も行えました。私も岐阜県老人福祉施設協議会の役員として19年目になり、岐阜県の担当課とのパイプも太くなっていることが円滑油のようになっているのだとすると、会長としての役割が出来つつあるのかなとも思っています。

勿論まだまだ不十分な事も多々ありますので、杉和会のホームページのリピーターの皆さん、岐阜県老人福祉施設協議会のホームページも検索宜しくお願い致します。今年度からますます充実させていきますので。

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