2020年10月の記事一覧

朝から笑える話題だけど笑えない話しです

またまた、『なぞなぞ』の様な話題で恐縮ですが、そのような表現しか思いつかなくて・・・。それは、朝食を頂いている時のテレビ番組での出来事です。(私は途中からの視聴だったのですが)

『ドデスカ』と言う番組で関ケ原町の紹介をしていたのです。私が見始めた時には関ケ原駅が画面に出てきて駅の構内が閑散としていると言うより誰もいない所が映像に流れ、「この番組の意図は何処にあるんじゃい」と思って次の場面を見たら町内の方へのインタビューで進行役の方が「何処に行ったら多くの方に会う事が出来ますか」の投げかけに対してマイクを向けられた方が「ゲンキーに行けば多くの方がみえるのでは」の答えに対してテレビの画面に『元気』とテロップが映し出されたのには思わず絶句でした。私も関ケ原町民なので『ゲンキー』と言えば『ゲンキー』なのですが、テレビの画面を見ている方の大方は『元気?』となるのだと思い「これは決して笑える話しではないな」と思いました。

その後、ゲンキーに場面が移りお客さんへのインタビューで、何人かの方からの情報として「関ケ原町にはスーパーマーケットが一軒も無くなってしまったのでゲンキーには野菜や魚もあり便利です。」との話に対して「ゲンキーはスーパーマーケットでしたっけ」のコメントには、ますますこの番組の意図が分からなくなりました。

その後、町外から嫁いだ女性の方が驚かれたエピソードとして「冬に雪が降り長靴を履いて関ケ原駅に行くと長靴から普通の靴に履き替えて、長靴は駅の構内の待合に置いていくようになっていたのには驚きました。嫁いた当初は置いて行って大丈夫かと思いましたが、関ケ原では当たり前になっているので平和な街何だと思いました。」と話されているのを見て複雑な思いになったのは私だけだったでしょうか。

その他には『食』の東西の分岐点だと言う説明であったり、コインロッカーや関ケ原町のバスやマンホール蓋等々に武将関連の絵や家紋が描かれていたり、学校行事の一環で親子での甲冑作りがあり、親子二代で多くの甲冑が家に飾られているのを紹介したり、作った甲冑を着て運動会や祭りでの行列の場面も紹介され、至る所に家紋入りの幟が飾られている事が紹介され、関ケ原駅前にある駅前交流館で販売されている品物847点の内676点が関ケ原合戦ゆかりの武将のグッズであり、『関ケ原』イコール『関ヶ原合戦』しかないような紹介で、最後には本日コロナ禍で延期されていた『岐阜関ケ原古戦場記念館』の竣工式展及び明日から内覧会や予約受付の一般入場の紹介がされたので、私は「結局、関ケ原では関ヶ原合戦を話題にした過疎の町に立派な建物が出来たと言う事を報道したかったのか」と理解すると共に、「今更手遅れに近いけど、話題性のある関ケ原で町の活性化に向けた取り組みをしてこなかったツケが今に至っているのだ」と。

この岐阜関ヶ原古戦場記念館で一発逆転は難しいと思うので、リピーターの皆さん、関ケ原を元気にする手立てがあれば教えてください。

バイキングが形骸化しないために

令和2年10月20日

本日昼食をバイキングで実施するのですが、本部施設での実施は古く意義のあるものだとバイキングを発案した私としては考えているのですが、長く続けていることは、『素晴らしい』事ではありますが、一つ間違えると『マンネリ化』に陥ったり『実施すれば良い』的な考え方になってしまう事が時としてあります。今回のバイキングで私が唖然となるバイキングの起案が出てきました。

それは、昨年までの10月の企画では『秋刀魚(さんま)を七輪の炭火で焼いて匂いと視覚でも楽しんで貰う』と言うものだったのですが、今年は秋刀魚は不漁続きで高い事がテレビ等で言われているので「敢えて秋刀魚をメインにすることはない。」と言う事でメニューは鯵(あじ)のフライをメインに茄子の田楽、チンゲン菜の胡麻あえ、きのこ入りすき煮、茶碗蒸し(銀杏、椎茸、みつば、かまぼこ)のっぺい汁(里芋、人参、あげ、あさつき)栗ご飯とロールパン(ブルーベリー、イチゴジャム)、果物(柿、りんご、キュウイ)と盛り沢山です。実は・・・。

本日10時から介護労働安定センターの会議があると8時30分に家を出て、会議場所の確認をする為に連絡を入れると予定の入力を1ヶ月間違えていたので「今日は会議はありません」と言われ(道りで案内が見つからんわけや)直ぐにUターンをして施設へ。会議がなかったお陰で「バイキングの時にお酒が振る舞える」と言う事で家により4合瓶を手に入れ、施設に帰り着いてからじょうごで一升瓶からお酒を移しかえ、12時になってから各フロアを回りました。入居者さんのリアクションがそれぞれに面白く、4合瓶1本分だけでしたが入居者さん利用者との楽しいひとときを過ごせました。結局は入居者利用者の方を楽しませるつもりが私自身が楽しんでしまいました。

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13時30分からは全国老施協正副会長委員長会議がウェブで開催され分厚い資料を基にした説明とそれに伴う質問がなされ、最後に各委員会報告がされ、私が総務・組織委員長として最初の発表だったので終了時間の16時も迫っていたので勢いよく話をしたにも関わらず何らかのトラブルで皆さんに声が届いていなくて、平石会長が機転を利かして下さり、順番を後にしてくださり、トラブルが改善されてから再び話をさせて貰ったのですが、頭はかっかとしながらの発表となりました。

最初の時には勢いよく話をしたのに2回目は・・・。いやいや、こんな時小さい頃なら、いじけてしまうか、泣き出していたように思いますが、流石に今の私はかっかとしていてもしっかり話が出来たので、やっばり小さい頃の私とは違うのだと思っています。リピーターの皆さん。こんな私をどのように思われますか。

岐阜県庁舎建設にかかるユニバーサルデザイン意見交換会がありました

令和2年10月19日

本日13時30分から庁舎建設現場現場事務所内会議室でコロナ感染症の配慮で、高齢者及び障害者団体のみの意見交換会(明日は子育て団体等)があるために昼食を11時45分から頂き12時15分には県庁に向け車を走らせ13時15分には会場に着いて、県庁の担当者にヘルメットをお借りして会議室に入る前に現場での説明会があるとの事で担当者の方に案内して貰うと椅子が5脚並んでいて、既に4人の方は座られていて、思わず「余裕を持って来たはずなのに、失敗しっぱい」。私が椅子に座ると同時に担当課長さんの挨拶が始まったのは面食らいました。但し、直ぐに始まった理由がわかりました。椅子に座っての説明を受けた所は『現場』と言うだけに外なので「寒い」と言う事で寒い所での説明はなるべく早く終えるとの配慮だったのです。外会場での説明を終え、現場事務所内の会議室まで案内して貰う時に思ったのは「流石に県庁の現場事務所だ。応接室もあるし会議室も立派」。変な事に感心して前段が長くなりました(いつもの事だがや・・・。)『ユニバーサルデザイン』の検討会だけに、点字ブロックの素材1つにしても慎重な話し合いがされていきました。当然と言えば当然です。だって建ててしまってから「ここはこんなんでは不便だ」と言っても簡単に直せないのだから。しかも、県庁と言う所は、老若男女の色々な障害をお持ちの方や色々な国の方が訪れられるのだから。15時に検討会は終わり、検討会に参加されていた視覚障害者協会の方に新規事業の話をさせて貰ったり、大垣市議会議員の方もみえたので、新規事業への協力依頼の話をさせて貰ったりした後、本庁10階にある高齢福祉課に行き、新規事業のプレス発表の打ち合わせと、これまた新規事業の設備備品等の方法についての指導をして貰いました。打ち合わせを終えて17時15分から行われる本部施設での戦略会議の資料整理をしていると予定時間になり会議室に行くと顧問の烏野先生も既におみえになっていたので、先ずは参加者9人で準備されていたカップ麺とおにぎりを頂き、その後幹部職員がそれぞれに準備した資料に基づき意見交流を活発に行いました。その中で会議の総括として、理事長である私から「それぞれ、ここにいる幹部の皆さんは経験も知識もあり、何事もしっかり出来ると思いますが、その経験と知識を如何に教えていくのかが一番難しいが、それをやりきれなければいけないので、ここにいるメンバーで力を合わせて頑張って欲しい。」と総括しました。やってしまえはそれまで何ですが出来るように導くのは自分がやるよりはるかに難しいと思うのですがリピーターの皆さんはどう思われますか。出来れば感想やご意見を頂けると嬉しいのですが。

『遅かったのが早くなったり、早かったのが遅くなったり』のお話

本日は『なぞなぞ』のようなタイトルですが、そんなややこしい話ではなくて、私の生活習慣が変わったと言うお話です。先ずは遅かったのが早くなったのは『食事での時間』です。私は何度もこのコラムで書いていますが末っ子の長男。つまり、父進さん母秋江さんにとっては待望の跡取り息子が(昔的発想かも知れませんが)誕生し、特に母秋江さんにとっては私を目の中に入れても痛くないような存在だったのです。(絶対に無理と言うより不可能ですが)尚且つ末っ子の長男に産まれた私は生まれながらの虚弱児だったので、母秋江さんの考え方は『我が子である宏を如何に元気な子に育てていくか』的な考え方だったと言っても過言でなかっかと思います。(今になってそのように考えるに至ったと言った方がより正確かも知れません。)と言う事で、私が小さい頃の我が家の食事の風景は『宏が如何にたくさん食べれるか』が大切だったので、どんなにゆっくり食べようが食べ終わった時にたくさん食べれたら大丈夫だったし、姉二人には卵1個を(昔は貴重な食べ物だったので、春子お姉さん御免なさい。)分けあっても末っ子の私はまるまる1個が食べれたし、私が好きな食べ物はいくらゆっくり食べても『宏に残しておくべし』の状況だったのです。だから極端な話し食事をしながら寝ていたとしても「宏は疲れているのだからゆっくり食べなさい」が許されていたのだと思います。つまり食べるのは滅茶苦茶遅くても良かったのです。食べることが遅かった私の生活が一変したのは26歳の時に児童養護施設の指導員になってからです。就職した当初はそれほどの役割もなかったので、50人近くの子ども達の中には食事の遅い子や私のように食事中にうとうととする子もいて、私の食事がゆっくりでも何の問題もなかったのですが入職して半年もすると私が食事中であっても色々な指示を出したりしなければいけなくて、(殆どわめいていたように思います。)それでいて出して頂いた食事は完食しなければいけないので、極端な言い方をすれば『生ま呑み』(巳年だから大丈夫)だったので、自ずと食事のペースは早くなり、今でも会合なんかでお弁当が出て多人数の方と食事を頂いている時、大抵は圧倒的早さで一番になってしまい時間を持て余してしまいます。「ゆっくり食べなければ」とは思うのですが40年も続いている流儀はなかなか変えられません。そう言えば一昨日(10月16日)の昼食が次のお約束の時間までに時間がないけれども、同行して頂いている方にまでコンビニのおにぎりと言うわけにもいかず、比較的融通を利かせてくれる中華の店に飛び込みランチを依頼して私にとっては当たり前のように完食したのに同行して頂いた方はまだ半分位しか食べられていなくて、私が食べ終わったのを見て慌てて食べられていたので、これは反省をしなければ・・・。食事の食べ方は早くなりましたが、末っ子の特権のような習慣はまだ残っています。それは、好きな食べ物は最後に食べると言う習慣です。だから、お寿司屋さんに行っても最後に残して食べるのは『まぐろの握り』です。早くなった話が長過ぎましたが、次に『早かったのが遅くなった話』をします。それは、『お風呂に浸かる時間』です。お風呂の時間が長くなったのはそんなに前からではありません。『カラスの行水』的な生活習慣は父進譲りです。どちらからと言えば熱い風呂に入ってあっと言う間にあがっていたのですが、かなりゆっくりになったのは、20年程前から、『唯一のリラックスタイム』と言う事で、情緒が落ち着いているときにお風呂で歌を気持ち良く歌うようになり、30分程度入るようになったのです。そして、特に長くなったのは、このコラムを連続更新するようになり(平成30年8月24日から続けてます。)家に帰ってからコラムを書かなければいけない時には、家に帰るなりお風呂に直行して、ぬるい風呂にゆっくり浸かりながらガラケーの携帯でコラムを打つのですが、下手をすると「気が付けば一時間をはるかに過ぎて入っている」と言うことが度々です。しかしながら、「ゆっくり入っている。」とは言え、しっかり洗っているかと言えば・・・。ぬる~~~いお風呂にゆっくりと言うかじっくりと入っているので体の芯まで温まり(夏場は必要ないのに)最後には頭から水をかぶって出てきます。こんなお風呂の入り方は滅茶苦茶贅沢な事だと思いますがリピーターの皆さん今の私は頑張っているのでこれ位は許されますよね。

本日はメッチャ寒かったです

令和2年10月17日

朝、家を出る前に長袖の服の上にカーデガンを着ていこうかどうしようかと悩んだのですが、結局着ていって正解でした。だってカーデガンを着ていて丁度でしたから。

午前中には新規事業の採用について二人の方が仕事内容について聞きにみえて、意欲的な方だったので嬉しかった、これからは新規職員採用や色々な入札やプレゼンテーションをしなくてはいけないので、財政面の工面を理事長として悩みつつも計画的にやるべき事をしていかなければと考えています。

午後からはお参りの導師をデイサービス、新館2階、新館1階の順に3ヶ所をさせて貰ったのですが、3ヶ所共に腹の底から声を出させて貰ったので、声を張り上げているときは体が温かくなり、それぞれのフロア共にお経の上手な方がみえるので、お経を間違えるわけにはいかないし手抜きはできません。3ヶ所目の新館1階ではカラオケの機械も準備が出来ていましたので、一曲だけでしたが思いっきり声を出して楽しく歌わせて貰いました。

その後、垂井町まで買い物に出掛けて、今須の峠の所に設置してある温度計の標示は『11℃』を示していたので「確かに寒いはずだ。」と思うと共に、「今年の夏の暑さは厳しくて35℃が当たり前のようだったのが嘘のようです。」本日の温度は11月中旬の気温だと報道していましたが、この気温の差は体調を崩しかねない状況だと思います。コロナ感染に神経をとがらせながらも、これからの時期はインフルエンザにも怯えた生活を余儀なくされるのかと考えると、ますます、私も含めて職員の自己管理を徹底すると共に入居者さんや利用者さんの健康管理に留意しなければいけないし、地域の方や家族の方の今の現状に対するご理解もますますしていただかなければいけないと考えると、施設の運営はますます厳しいものになると考えています。

『コロナ』に感染している方の額にでも『コロナ』と言う文字が浮き出てくるのならば楽で良いのでしょうが、そんな事は「ありえへ~~ん・・・。」冗談を言っている場合ではないのですが言いたくなるような状態です。コロナ禍になって半年以上になり、コロナ慣れではありませんが、少し箍が緩んでいるところがないかを確認して、当たり前のように手洗い・手指消毒・マスクに三密にならない事の徹底をしていきたいと言う事を寒暖差の激しい時期だからこそしていかなければとも思います。だって、万が一感染症が出たら今まで以上に大変になるのだから。リピーターの皆さん、お互いに留意し合いましょう。

 

朝6時前からの対応から始まりました

令和2年10月16日

早朝5時38分に宿直者の吉田部長のメールがあり、夜勤をしている職員が微熱があるとの報告だったので、直ぐに折り返し、「私が直ぐに施設に行き吉田部長に現場に入って貰う対応にする。」と指示を出し、着替えと洗面を済ませて施設へ。微熱がある職員は直ぐに早退届けを提出して帰るように話をして事務所で早出の職員が順次出勤してくるので声掛けをしつつ、久しぶりに当法人のホームページを開いて、『今日の優・悠・邑    和合』の昨日の掲載がなかったので7時20分だったのですが和合の施設に電話すると佐藤施設長さんが出られたのでお互いにびっくり・・・。取り敢えず指摘をさせて貰いました。『今日の優・悠・邑』の意義は『今日』と言う事は毎日掲載して貰う事で施設の動きがわかると言う事なので留意して貰いたい。と。

8時前になり事務所の職員が揃ったのを確認して家に帰り朝食をとり眼科の予約が8時45分だったので朝食後に病院に行きました。本来8月の予約だったのですが、予約日は都合が悪くなり延び延びになっていて、ようやく事前予約をして行く事が出来ました。職員達には「自己管理をしっかりと」と言っている私ですが目も大切にせなあかん。と思いつつ今になったのを反省です。8時45分からてきぱきと色々な検査をして頂き、瞳孔を開く目薬をして頂き眼科医の診察を受け「今のところ異常は見当たりません」との事で、「ほっ」として、病院から一路施設へ。

12時のお約束で猫田県議へ新規事業の報告に行き、その後13時から農林事務所に行き新規事業に伴う農地転用の件で所長さん、副所長さんにお会いして、その流れの中で垂井町役場に行きまたまたお願いをして、伐採が出来たとの報告を聞いていたので、新規事業の現地に行くときれいに伐採されていて、見晴らしが良くなっていたので、遠くを走っている東海道新幹線も見る事が出来、絶景です。整地には随分お金がかかりましたが、入居していただいた方が喜んで頂けるのであれば、資金面は理事長として何とか工面をしなければと考えています。

日本は寄付の文化があまり育っていませんが、何とか皆さんに理解して頂けるようにアクションを興していきたいと考えています。リピーターの皆さんの中には盲養護老人ホームで視覚障害者の方に『絶景』は必要なのかと思われる方もあるかも知れませんが、私は視覚障害者の研ぎ清まされた『感性』の中で高台での風を受けながら『木の温もり』のある施設での生活を謳歌して頂ければと考えるとたまらないワクワク感があります。まだまだ大変な事はあると思いますが頑張りますのでリピーターの皆さんご支援宜しくお願いします。

大いなる感違いでまたまたバタバタの日になりました

10時から『岐阜県福祉人材総合支援センター運営委員会』があるので、そうそうたるメンバーが集まると聞いていたので、「早く着いて参加者の方々をお出迎えするのに渋滞するといけない。」と考えていたので、本来1時間で着くところなのに、8時30分に家を出たところ、45分で目的地着きました。つまり、9時15分に着き、駐車場もがらんとしてるし、丁度施設等々に連絡出来ると考えて、連絡を終えて9時30分になったので車から降りて玄関を入りながら「駐車場に車が入ってこなかったのは不思議だな」と思いながら、会場の案内板を見たら掲示がないので、改めて予定帳で確認すると「えらいこっちゃ。福祉会館ではなくて水産会館の二階だった」で、急ぎ車に乗り込み水産会館へ。

福祉会館まではすいすい走れたのに長い長い信号に2回もつかまり、県庁の駐車場に乗り入れて急ぎ足で水産会館へ。何とか9時50分に受付を済ませましたが、私が最後の参加者だったようで、私が席に着き一通りの方に会釈をすると、岐阜県健康福祉部次長さんの挨拶が始まりました。そこで改めて思ったのはいつもの事ながら『予定は未定であり決定ではないのだ』と。

次長さんの挨拶の後は岐阜県社協の福祉人材センター長からの説明があり、その後、進行役の中部学院大学飯尾教授から参加者に対して意見は求められ、いきなり手を挙げるのは・・・。と思っていたら誰も手を挙げられなくて飯尾先生自ら質問され、担当者が答えられた後も誰も手を挙げられない状態は時間が勿体ないと考えて手を挙げ色々な観点から自法人の状況や県老施協の現状等を話させて頂きました。

その後は順次指名により参加者の方が話をされ、今年度はコロナ禍で研修等もなかなか厳しい状況だと言う中でどのようにしていくのかとの話し合いもして、終了予定の11時30分を20分延長して終わり、帰りかけていたところ、県の地域福祉課長さんから今後の研修のあり方について相談されたので話をしていると12時10分になり、「なるべくはやく帰って中電の電柱移転の支払いを済ませたい」と車走らせていると、和合の施設長から、「本日13時30分から和合での事業戦略会議(幹部会)があるのだが、理事長の本日の予定を見ると(パソコンでわかるようになっています)入っていないので連絡しました。」との連絡を本部施設の北島部長から貰い、「このまま和合に行くわけにはいかん。だって、中電の支払い決済をしないと、電柱移転が遅れてまう。」と言う事で、一旦本部施設に帰り、支払伝票に決済をして、再び和合の施設へ。(時間が無いので昼食に出ていたご飯をおにぎりにして貰い車の中でむしゃむしゃ食べました。)

13時30分の予定の会議でしたが、私が10分遅れで着いたのを待って頂き、15時終了の会議が中味濃くしたので、20分延長してしまい、16時から本部での新規事業の打ち合わせにまたまた10分遅れてしまい、それぞれの会議の方々にご迷惑をかけてしまいました。9時15分の段階では『余裕のよっちゃん』だったのが、午前の会議は携帯の予定表に『水産会館2階会議室』と書いてあったのに、『2階』だけを確認して「いつもの2階」と思いこんだのと13時30分の予定は入力していなかった私のミス。

リピーターの皆さん『予定は直ぐにメモしましょう。そして、しっかり確認しましょう』と言う事で・・・。

本日15時から飛騨支部の会議です

飛騨高山での会議があり、施設を11時30分に出発する予定で、10時に業者の打ち合わせがあり、その前後で岐阜県老施協会長としての話の為の資料作りをしたのですが、あいからわず職員を巻き込んでの対応に反省はんせい。

取り敢えず水野相談員の運転で予定通り出発して、関にあるサービスエリアで昼食を頂く事にしました。サービスエリア内のレストランに入ろうとすると係の方から「恐れ入りますがマスクの着用をお願いします。」と言われて「しまった。車の中に忘れてきた。いつも、マスクの着用をうるさく言っている私が情けない。」と言うことで、水野相談員が取りに行ってくれて、レストラン内に入り、体温を非接触体温計で計って貰い、天ざるとかやくご飯を頼んで一人ニンマリです。それは本部の昼食のメニューにも、海老フライだった事を思い出したからです。昼食を終えて、目指すは高山です。

順調に走れたので14時30分には会場に着くと清水飛騨支部長が見えたのでご挨拶をしていると片岡副支部長もお見えになり、順次施設長さんがお見えになり、この4月に新しく施設長になられたり、施設を代わられた方との名刺交換をして、定刻2分前の14時58分に清水支部長さんのご挨拶があり、かなりメンバーも代わったと言うことと、今年のコロナ禍で今年度初の施設長会と言う事もあり、それぞれに自己紹介をしてから、私から全国老施協及び岐阜県老施協の現況報告と共に『コロナ対策』と『人材』の話をさせて頂いたのですが久しぶりに対面での話をさせて頂いたので、熱く語ってしまったので、話し終わって時間を確認すると16時30分。思わず私は「調子に乗って話をし過ぎた。でも、皆さんの食らい付きも良かったので勘弁してください。」

その後質問を受けてから、討議に移ったのですが、主に大規模修繕の話しだったのですがその中で「設備についての部品保証が10年しかない日本のシステムはおかしい」との話になったので、私からは「介護報酬もそうですが、制度は政治で決めていくので、全国老施協並びに介護福祉政治連盟や介護議員連盟等の政治力も活用しながらより良い方向に持っていけるように皆さんも協力とご理解をお願いします。」と話をして私なりのまとめとさせて頂きました。

その中で飛騨支部の長老的存在の理事長さんから「全国老施協の情報は素晴らしいものがあるので、非会員施設がある法人さんは全部が入会して貰いたい。」とのご意見を最後に頂けたのは、本日飛騨高山まで行かせて頂いた甲斐があったと思いました。やはりここは中村会長の教えである『行動の老施協を実践しているからだ。」と思うと目頭が熱くなる私何ですがリピーターの皆さんこんな私は変ですか。でも、私はこんな生き方しか出来ない不器用で古い人間かも知れませんがこれからも宜しくお願いします。

爆睡中に・・・

 

令和2年10月13日

昨夜は22時前に大垣での会食を終えて(三密への配慮をして)帰り、お酒を飲んだのでお風呂はやめて、歯磨きとうがいをしてパジャマに着替えて即ベットで横になり眠りについたと思ったら22時33分に施設からメール。その内容は先月入職した18歳の男子職員が施設内のアパートの自室から、施設の外にある飲み物の自販機でジュースを買いアパートに帰る途中で転倒し膝の所を大きく怪我をして、宿直者の北島部長の助けを求め、夜勤対応をしていた看護師に止血の応急処置をして貰い、救急で行く事はないと判断して、朝一で本人を連れて関ヶ原診療所へ連れていき(車の中でしっかり社会人としての心構えについて話ししました)、外科の先生から「傷口の所をきれいに消毒して縫合します。かなり痛いかも知れませんが頑張って下さい。」と言われ「痛いですか」と本人が言ったので、私から間髪入れず「自分で横着したんだから、我慢せなあかんやろ」と言うと「頑張ります」との答えが返ってきました。

先ずは麻酔を打って貰うときに痛さの為に脂汗をかいて息が荒くなってきたので「過呼吸になると大変なのでゆっくり深呼吸をするようにしなさい」と話をしながら、彼の手を握っていました。怖さと痛さを耐えながら無事に手当を終了して、再び施設に帰る車の中で「処置をして貰うのは痛かったのを頑張ったとは思うが、怪我の治療の為に休んだ分を他の職員がカバーしてくれているんだぞ。社会人になった以上は自己管理をしっかりするのも社会人としての責任だぞ。」と話ししました。1ヶ月前までは、不登校をしていたとは言え児童養護施設の最高学年でゆったりとした生活をしていて、ひょっとすると夜中に施設を抜け出すような事があったのかも知れませんが、学生時とは違い『自由を謳歌するためには責任が伴う事』を身を持ってくれたとすれば、怪我も大したことがなかったので『不幸中の幸い』』と言うことになるように、これからの日々を地に足が着く生活の中で介護職として一生懸命に仕事を覚えバリバリと仕事をこなし、自分に自信を持っての毎日を過ごし、『高校は中退したけど、立派な介護福祉士になり、児童養護施設でお世話になった方々にも恩返しが出来た。』と施設に帰り錦が飾れるくらいになって欲しい。

もちろん、これからも色々な事があると思いますがしっかりと支えていくつもりです。リピーターの皆さんも思いませんか。立派に育っていく姿を美しいと。但し、今日診療所に連れて行った男子職員。同じ失敗は決して許さんぞ。早く直して『感謝と恩返し』をしなさいよ。(まだまだ、半沢直樹から抜けだせない宏君であります。

 

本部施設で研究発表会が実施されました

令和2年10月12日

全国老人福祉施設協議会が毎年実施している研究発表会に合わせて(本年度はコロナ禍の影響で中止)本部施設においては、毎年、施設内研究発表会を実施しているのですが、第1回の中間発表会が、本日10時30分からと明日13時30分からの2回に分けて、8事例を審査員は理事長である私と水野副施設長に加えて、烏野先生(びわこ学院大学教授・学部長)がリモートにより参加して下さいます。初日の本日は4事例の発表をしてもらいました。

1例目の発表は『「認知症の利用者様」との関りを通して』と言うタイトルで発表者の一生懸命さは伝ってきたので、指導講評してくれた烏野先生からもお褒めの言葉を頂きましたが、もう少しインパクトがあり、他の施設でも参考になるものにした方が評価は高くなる。と話をして頂きましたので、私からは「研究発表をする時には、『この方に対して何をして差し上げたらより良い生活をして頂けるのか』と言う仮説を立てて、その為の計画を立てて実践して、その評価をして、評価に基づいて新たな計画を立てて実践していくサイクルで行う事が大切だ」と指摘しました。人前で発表すると言う事はエネルギーが必要ですし、勉強になるので、今後の展開が楽しみです。

2例目の発表は『防災委員会を立ち上げての取組』とのタイトルでの発表を防災の責任者がしたのですが、防災の責任者としては通り一辺倒の内容だったので、烏野先生からはしっかりと酷評して貰った後、素晴らしいアイデアを烏野先生からして頂いたので今後の展開に期待したいと思っています。勿論私からは「今回の発表は研究ではなくて単なる報告だったので次回は気合の入ったものを期待している。」と話をしました。

3例目は『安楽な体位を目指して・・・ポジショニングの実施』とのタイトルでの発表だったのですが、発表のなかでむやみやたらに『ポジショニング』と言う言葉が出てくる割には具体性に乏しくて上部だけのものに終止していたので副施設長からは「ポジショニングの意味が理解されていますか。」との端的な指摘があり、烏野先生からも「拘縮とポジショニングの関係などが整理されていない。」との指摘を受けて、理事寮である私からは一人目の発表者と同じ様に「一人ひとりの方の状況を把握した上で何を提案して実践していくのかを明確にしていき成功体験が多く出来るようにしていかなければ。つまり、思いを持って実践していけばよりやりがいのある仕事でき、強いては素晴らしい提供になる。と、日常のケアへの指摘もさせて頂きました。

4例目は『フットケアを通し生活の質をはかる…介護職員として出来る事』とのタイトルで、フットケアマッサージを実践するなかで浮腫の改善を試みるものだったのすが、実践のなかで、足湯をしたり、お風呂にみかんの皮や入浴剤をいれたり、時にはハンドマッサージをして、浮腫の軽減を試みた結果は余り数字的な変化は見られなかったとの報告がされたのですが、「色々な対応をして行く中で表情が明るくなった。」との報告があり、理事長としてのまとめの話の中で「一人での成功体験を全ての方に出来る様にしていき、その記録を残す事によって素晴らしい成果が得られると思います。」と話をしました。この様な場を持つことによって職員の力量は確実に上がっていくと考えていますが、リピーターの皆さんもきっと共感して貰えると思います。

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