お酒にまつわるお話
昨日、体調が悪くて食事をとられない入居者さんのお話をしたので(メインはハロウィンの話しでしたが)その流れの中で、『私とお酒』について語ってみようと思います。
私の父進は最愛の妻秋江(当然の事ですが私の母親)を父進は55歳で亡くしながらも学校長として凜とした父親でしたが、時として公務の大変さを癒す場であるはずの我が家に最愛の妻がいない寂しさもあり、家でお酒を飲む時に一人で飲むのが楽しくなくて、私におちょこに一杯か二杯を「飲んでみるか」と進めては色々な事を語ってくれました。今になって父進の思いがわかるような気がします。父進は公務以外で誰かを誘ってお酒を飲んで来るような性格ではなかったからです。つまり、私が酒飲みになったのは父進さんのお酒に付き合っていたからと父進の性にしている私は何なのでしょうか。
大学時代の酒にまつわるエピソードは数えきれませんが、本日は学生時代のやりたい放題を語ってみます。(「こいつ大丈夫か」等と思わんとって下さいよ。)先ずは大学に入学をして初めてのクラスコンパを私が取り仕切って実施した時の事ですが、私は先程述べたように中学一年からお酒を覚えて、高校時代は期末テストが終わった日には我が家でヤンチャな仲間を引き連れて酒盛りをしていたりしたので(「全くのどかな時代ですな。」自分で言うな)大学に入学した時には結構飲めたので、クラスコンパも取り仕切れたと思うのですが、お酒を飲むのが初めてで飲み方もわからずに飲んだ子の中で、酒をもどして(私は決してそんな勿体無い事はしませんが)何ともならないのがいたので、仕方なく私のアパートにもう一人の付き添いの協力を得て担ぎ込みました。
最初は洗面器にもどしていたのですが、夜中の2時頃になって、もどす物が無いにも関わらず吐き気が治まらず、吐くものがないためなのか血へどを吐いて、その状態が30分以上になり流石に介助していた友達共々恐くなり救急車を呼びました。近くの外科病院に搬送され私達も付き添いで同乗して行きました。点滴などの処置をしていただきある程度落ち着いた時に、対応をして頂いたドクターが付き添っていた私達二人を別室に呼び思いっきり怒られましたが、如何せん私達はまだまだ未熟な18歳。どうして怒られなければいけないのかが理解出来ず、(と言うか納得がいってない)多分二人ともに不貞腐れた顔をしていたのだと思います。夜中に救急対応して下さったドクターの感情を逆なでしたのだと思います。正直めっちゃ怒られました。介助の為に初めて救急車に乘った話でした。
2つ目は垂井祭りで親戚の家で親戚中で一番酒が強いと触れ込みのあった叔父さんと飲み比べをした時に二人でビールを2ケース(大瓶40本)空けて叔父さんがダウンして私が勝利して、叔父さんには同い年の従兄弟がいるのですが、その従兄弟は「ひろっさんとは決して一緒に飲まない。だってうわばみだから」と言い続けられています。
3つ目は大学に入学して『郷土研究の会』と言うサークルに入部してそのサークルの先輩で就職浪人されていた方のアパートに1年生ばかり5人で行った時にその先輩が「アパートの向かいに酒屋があるのでウィスキーの安くて大きいのを買ってこい。」とお金を渡されたので、私ともう一人でサントリーレットのダブルサイズを買ってくると、既にコップが用意されていて、先輩から氷も水も無しに並々とコップに注いで貰い私は3杯飲んだ記憶はありますが(喉が焼けるような飲み方だったと記憶してます。)その日の記憶はそこまでです。但し、次の日の午前中は完璧な二日酔いでしたが、夕方に3年生の先輩に「若山、飲みに行くか」と言われて「行きましょう」と言って連れて行って貰った記憶があります。お酒のお話は一杯ありますので、どれだけでも書けますが、リピーターの皆さんが呆れてこのコラムを読んで頂けなくなるといけないので本日打ち止めと言う事で。