2020年07月の記事一覧

昨夜は18時から会議で今朝は9時から特浴改修の打ち合わせからです。(もちろん、5時30分からコラムを打ってます)

昨夜の岐阜県健康福祉部主催の『高齢者施設・障がい者施設コロナ対策会議は会議のメンバーがお互いに仕事を終えてからしか会議に挑めないとの理由から夜の開催だったのですが、3回目の開催だったので1回目の何もわからない中、他県の情報を得ながらの模索的検討会から3回目だったので岐阜県らしい内容になってきたと検討会メンバーの一員として自負しています。

今回の会議で8月からはそれぞれの組織が具体的に活動していく為の素地が出来たので、私も老施協の会員施設への浸透と結果を出せるように対応していきたいと考えています。会議が終了してから私の所へ会議の岐阜県側の責任である健康福祉部次長さんがわざわざ私の所へ来て、「丁寧な意見をありがとうございました。」と言って頂けたのには恐縮してしまいましたし。25年前の状況を想いうかべると信じられない現象でした。

21時前に家に着き、速攻でお風呂に浸かり、コンビニで買った焼きそばパンを頬張りながら菊姫をグラス一杯だけ煽りました。昨夜は暑くて寝苦しい夜だった筈なのにぐっすりと眠れたし、あと少しで鬱陶しい梅雨が開け夏本番がやってきますが、私は、高校2年生の夏休みから四国八十八ヶ所巡礼歩き団さんに参加させて貰ってからは夏の暑さは大好きになったので、よりギアが上がって行くと思っています。

本日9時から特浴の打ち合わせから充実した1日が始まりますので続きは後程と言うことで(あいからわす長い前段ですみません。)7時20分に我が家で朝食を摂っている時に、総務・組織委員会副委員長の森岡君(徳島県副会長で前徳島県商工会副会頭)から連絡があり、本日17時からの総務・組織委員会4役会議のウェブ会議の事前打ち合わせがしたいとの事で朝食でゆっくりしていた状態からバタバタと施設に行き、一時間近く打ち合わせをして間なしに特浴の業者が来て、10時からは高校の1年後輩の1級建築士に新規事業のアドバイスをして貰う為に来てくれたので相談に乗って貰い、そうこうしていると昼食の時間になり12時30分に岐阜労働局主催の会議があり(岐阜労働局長、岐阜県商工労働部長以下そうそうたるメンバーでした。)が14時から岐阜グランヴェールであり、15時30分終了予定が15分延びたので「17時からのウェブ会議に間に合わないといけない。」と言う事で新しく出来たインターチェンジの神戸大野から高速道路に入り何とか10分前に施設に戻り(素晴らしい判断でした。)17時からウェブ会議が18時35分まであり、その後、新規事業の内示を頂いたとの文書を吉田部長が持って来たので、はるかに早い内示に思わず「ありがたいな」と思うと同時に入札の打ち合わせをしていて、1段落すると流石に疲れを覚え、今(午後8時02分)はお風呂でくつろぎながらコラムを打っているのですが、リピーターの皆さんこんなに頑張った1日なので『菊姫』グラス一杯のご褒美は許されますよね。

外国介護人材マッチング支援事業の打ち合わせです

令和2年7月30日

岐阜県と老施協・老健協と今年4月1日に業務委託を提携していたのですが、2月末からの新型コロナウイルスの影響により実質的な業務が出来ていない中にも関わらず主体的に関わっていた県研修委員長が退職した関係で組織の再編成を老施協会長としていなければとの想いで、県高齢福祉課の担当者との打ち合わせに制度・政策委員長とその担当副会長を伴って10時のお約束で打ち合わせに臨みました。

担当副会長と委員長の法人も既に外国人介護人材の導入もされていたので(勿論当法人もですが)話しの内容に対しての考え方は理解出来ても、業者に支払うべき対価に対するいわゆる『費用対効果』については、疑問視する意見が多かったので、業者との契約は完了していなかったので、改めてスタートラインに着きなおして、しかも、「外国人介護人材導入は考えているが、どこから進めて良いのかも分からない法人に対しての研修会の開催を、早急に実施するにはウェブ方式での環境を整えて実施する事と、先進的で良心的な業者を選定して体制を固める事が決まり、取り敢えず8月3日に担当副会長の施設で会議を開催する事になりました。この事業は今後ますます介護人材確保が難しくなってくる事を想定した時、大切な事業になっていく事だし、会員施設にとってもメリットが大きいものと考えているので成功させなければと考えています。

ここまでコラムを打った段階で出席依頼をしなければいけない老健協の事務局長さんに参加依頼の電話をして、28日の日にコロナ禍のシンポジュウムが終わったタイミングで打ち合わせして3日の14時から感染症対策の責任者の村上先生との打ち合わせを失念していたことを思い出し日程の訂正の連絡をして結局3日の8時30分からの会議になりました。(つまり、3日の日は8時30分までに関市にある副会長の施設に行く事になりました。)タイトなスケジュールの中での予定の変更は色々なものを動かさなければいけないのですが、『忙しい程に時間を有効に活用出来る』を67歳の今も実践できるのは健康であればこそと思っています。

16時30分になってしまいました。本日18時30分からとの予定だった『高齢者施設・障がい者施設コロナ対策検討会』が18時からになったので会議の為にOKBふれあい会館にいかなければいけないので一旦これで本日のコラムとします。リピーターの皆さん中途半端な内容でごめんなさい。明日は本日の検討会での様子もレポートしますのでお許し下さい。

『新型コロナウイルス感染症対策フォーラム』で理解した事

令和2年7月29日

昨日『ぎふ清流文化プラザ』で開催された「コロナ社会を生き抜く『新たな日常』に向けて」と銘打った企画の中でパネルディスカッションが行われたのですが、パネリスト4人の内の村上啓雄先生(ぎふ綜合検診センター所長・岐阜大学名誉教授)と三鴨廣繁先生(愛知医科大学病院感染症科・感染制御部長)の二人の方は、明日午後6時から開催される『岐阜県高齢者・障がい者入所施設新型コロナウイルス感染症対策検討会議』で既に2回会議でご一緒させて頂いていて、親しくお話させて頂いているので一般対象のフォーラムでどのようなお話をされるのか興味を持って聞かせて頂きました。また、もう一人のパネリストの方の近藤サトさんは、フリーアナウンサーの方でテレビでもお馴染みの方なのでこれも楽しみに聞くことが出来ました。そしてもう一人のパネリストの方は古田肇岐阜県知事で行政のトップとして、どのような話が聞けるのかも楽しみにしてました。そしてパネリストの方4人共が岐阜県出身であった事には『粋な企画だな』と正直思いました。

会場に入り入場券をお渡しすると、顔がタブレットに写ると同時に体温を機械でチェックするのをクリアして会場内に入ると、3密を避けるように席が決められていて「流石」と思いました。村上先生からは「①手洗いの徹底。②30分毎に5分の窓開け③マスクの徹底④不要不急の徹底と話をされた後、手袋より手洗いの徹底が大切だと説かれたのは、常日頃私が言っている事だと思いました。また、三鴨先生から「コロナの対策がしっかり出来るまでには最低2年はかかるのでコロナと上手に付き合う生活が大切」と説かれました。近藤サトさんは土岐市出身のアナウンサーの方で、東京での生活が永い中で近所付き合いが無く『自分さえ良ければ』の感覚の方も多くいる事は否定出来ない。つまり地域への帰属意識が東京では希薄になっているのが問題だとの発言がありました。

そして古田知事からはコロナ禍であっても災害に備えて避難所の体制は必要で、災害時のボランティア活動に対する体制も常日頃から考えていかなければいけない。との話をお伺いして岐阜県行政のトップとして安心した生活の確保をされているのだから、私は私なりに入居者さんの命を守る事業者のトップとしてしっかりとした理念と実践が大切だと改めて思いました。

いみじくも、朝のNHKのニュースで山形県の最上川の氾濫についての報道がされていて、5分もしない内に烏野先生からメールで『山形県上山市の特養蓬仙園で全員が避難しました。』との連絡を貰ったので直ぐに全国老人福祉施設協議会の平石会長にその旨を連絡しました。その後全国老人福祉施設協議会の事務局の田中さんとも話をして、先程は(18時)防災対策担当副会長の峯田さん(山形県老施協会長)からお礼の電話を頂きました。

新規事業のための打ち合わせをしつつも新型コロナウイルス感染症対策もしつつ、災害対策についても対応して尚且つ、全国老人福祉施設協議会総務・組織委員会委員長として会員促進パンフレットの打ち合わせもしてと、私の能力の限界を超えたやり取りが続きますが、頭を切り替えながらこれからも頑張りたいと考えていますのでリピーターの皆さんの変わらぬ応援をお願い致します。

 

岐阜県健康福祉政策課の法人監査がありました

本日10時からの予定で新規事業がある関係で急遽法人監査が予定されていて、昨日までに施設長室とボランティア室の片付けをしなければと思っていたのですが『どうしてもしなければいけない仕事ではない』と言う事と元々片付けは苦手と言う理由から結局昨日までには出来ず。

しかしながら流石に本日散らかったままでは駄目だと、早朝に目が覚めたら5時10分だったので「これは起きるべし」と言う事で施設に行くと既に宿直の水野相談員が玄関先のホワイトボードに予定を書いていたので「早いな」と声をかけ、目指すボランティア室で片付けを始め必要がなさそうな資料をシュレッターにかける作業から始めました。かなり前の資料もたくさん有り90リッターのビニール袋が二個一杯になるだけのシュレッターをかけてそれなりに片付けが出来、次に施設長室の片付けが終了したのが9時で、汗びっしょりになったので宿直室でシャワーを浴び、少しの間冷房に当たり着替えをしてから改めて事務所に行きました。すると県の担当者が3人おみえになり法人側が7人も勢揃いして理事長である私から挨拶と法人側のメンバーを紹介し、続いて健康福祉政策課の係長さんから3人のメンバーを紹介して頂き監査が始まりました。

3人の方はそれぞれに別れてそれぞれの書類の精査をして下さり色々な質問や書類の提示をもとめられましたがしっかりと答えたり提示をしたり、求めに応じてコピーをしたりして、12時までの予定が20分延びましたが問題になるような指摘はなく終了しました。その後、監査官をお見送りしてから、午前中デイサービスが流し素麺をしていたのにあやかり佐藤施設長と岩田先生と3人で流し素麺を楽しみ(なかなか難しかった・・・。)ました。

その後岐阜県主催のコロナ対策の研修会に参加して、改めて『三密』を防ぎながら手洗いの徹底と手指消毒の徹底の大切さを理解しました。この様に基本に忠実な対応こそ大切だと何度も何度もな話してしただけた事に対して私が日頃言っていることが間違っていない事に意を強くしました。それにも増して「手袋は自分を守れても他の方を守る事は出来ないので手袋をするよりも手洗いこそ基本だ」言われたのは私の言っている事を代弁している様に思いました。実は本日のシンポジストの四人の内の医師二人の方は『障害者施設及び高齢者施設のコロナ対策検討会議』のメンバーで私もその会議にさせて頂いており、朝っての18時からOKBふれあい会館でご一緒させて頂きます。本日のお話を多分メインシンボジストの村上先生は会議の中でお隣になると思いますので、お会いしたらしっかりお話をしたいと考えていますし、明日はパソコンでの当法人な事務連絡で『30分に5分の窓開けが大切だ』と徹底したいと考えています。リピーターの皆さん情報が命と思いませんか。

朝9時の予約で歯医者さんに来てます。

令和2年7月27日

なるべく早く治療をして頂き施設に行き明日の法人監査の準備をしたいと考えて15分前に病院に着いたのですが、待合室で職員さんの様子を見ていて、ふと平成18年8月8日に初めて当時の全国老施協本部であったTBRビル2階の事務所に入って行くのにドキドキしたのを今でもしっかり覚えていますが、知らないところへ入っていけのも、入った事がないところに行くのも大変です。

だから、歯医者さんが奥の部屋に行ったり来たりされているのをある意味神秘的な行為のように思って見ていた私は変なのかな。待ち合い室の時計が9時になると同時に患者さんの名前が呼ばれ四番の診察台に座ると歯科衛生士の方が口の中をしっかりきれいにしてくださいました。

歯科診療を終え施設内の片付けをしていると、まもなくしてセコムの営業の方がみえ、コロナ対策と新規事業の提案を聞きつつ明日の法人監査の書類の指示をして、本日は和合の吉澤統括部長が認知症の研修指導の為に来ていたのど昼食を唯一の食べ物を提供してくれる喫茶奴笠に行きランチを食べて再び施設に戻ると、大垣税務署、岐阜県共同募金会、岐阜県高齢福祉課、岐阜県福祉政策課、大垣共立銀行関ヶ原支店と行かなければいけないところが多くあり効率良く行くルートを決めて効率良く仕事を終えて帰ってくると、新規事業の打ち合わせの為に来て頂いている清掃業者の社長と話をしていると、全体会の時間になり、本日は本部職員の永年表彰があり、理事長として23年の想いを原稿の用意が出来てなかった(いつもの事ですが)のて、思い付くままに走馬灯のように駆け巡るままに話をしました、話の途中で感涙状態になる場面もありましたが想いは通じたと思っています。

しかしながら勤続10年以上の職員が27人もいたのは感動ものです。そんな中で私は事業開始の頃の白い封筒が乱れ飛んだ苦い経験の中で『職員には入居者ファーストの中でも大切にしていく為に事業所内保育所やアパートの建設、積極的な再雇用等をして今があるとも話ししました。殆どの採用者が資格無く雇用されて、3年の経験を経て介護福祉士を取得する事から始まった法人だからこそ、叩き上げの雑草のような強さを持っているのが本部施設の強み。

多分明日の法人監査は難なくクリア・・・。いやいや私は明日の早朝から施設長室と事務所とボランティア室の片付けをしなあかん。それで終わりじゃない。18時30分からふれあい会館で20時30分まで、高齢者及び障害者事業所のコロナ対策会議だから・・・。タイトですが頑張りますので。今は午後10時19分です。リピーターの皆さん速攻で寝ますのでご理解下さい。

新規事業の土地整備に合わせての伐採作業の打ち合わせをしました

令和2年7月26日

昨日(7月25日)一部用水路の廃止についての覚書の署名捺印のお願いに9時15分(お約束は9時30分)に行くと、地主の方から「元々水路としての役割を果たしていなかったし、水路が無くても大丈夫です。それよりも、立派な施設を作って下さい。」と言われたので、地元の方の期待が大きい事を改めて理解しました。

次に10時に伐採作業の打ち合わせのお約束をしていたのですが、予定の時間より早くに現地に行けたので、土地整備が出来ているのを確認していて、「雨の日が多かったにも関わらず、ここまで早く作業をして貰えたんだ。」と思うと同時に感謝の気持ちで一杯になりました。しばらくすると、伐採をお願いした地元の方が予定の10時より20分も早く来て下さり、ご挨拶をしていると設計の責任者の方(デザインボックスの1級建築士)も来て下さったので外周を案内しながら話をしていると、伐採を依頼した方(二人)が「こんな広大な土地の伐採を請け負うのは難しい」等と話をしているところへ、整地をして頂いている業者の社長さんが(地元の業者さんで『新晃』)みえたので地元の方が話してみえた事をお話すると、新晃の社長さんが「何でもお手伝いしますよ」と言われたら、伐採をお願いしようと思っていた方から「折角声を掛けて貰ったけど、たまに現地の様子を見に来る程度にさせて貰って新晃さんに伐採全てをお願いした方が良いのではないか」と言われ、打ち合わせに来て頂いていた地元の町内会長さんからも「地元を大切にして頂く理事長さんのお気持ちは良く理解したので、新晃さんにして貰った方が工事の進捗に迷惑を掛けない為にもそうして下さい。」と言って下さいました。

私が理事長として常に『地域のご協力とご縁を大切にしたい。』の流れだとリピーターの皆さんもご理解して頂ければ幸いです。そのスタンスの中で、本館の竣工式での記念品は関ケ原町が誇る企業である関ケ原石材でオニキスを加工して貰ったぐい吞みを(しかしながら、笑い話のような話で追加注文したところ、「中国で加工していますので1カ月はかかります。」にはまいりました。だって私の思いと違いますから)。大垣の和合の竣工式では同じ失敗をしないようにと、大垣市の事を何でもご存じの『てるてる座』の小倉っちのお姉ちゃんに紹介して貰って、大橋量器さんに『杉和会』と書いた焼き印を押して貰った1合升を、田中屋煎餅さんには味噌入り煎餅に『優・悠・邑』の焼き印をこれまた押して貰い、三輪酒造さんにはラベルに『すべてに優(やさ)しく、いつまでも悠(ゆとり)ある、やすらぎの邑(ばしょ)でありたい』を貼って貰いました。新規事業である、盲養護老人ホームについても地域の方々から喜んで貰える施設になる様に頑張りたいと考えています。

今朝6時50分に宿直者の吉田部長から救急対応の緊急連絡が入り、救急搬送要請をすると共に施設に行きました。やがて救急車が到着して救急車の後ろから吉田部長がついて行き大垣市民病院の医師と家族への説明をして貰う対応をして貰い、その結果吉田部長からの連絡で「緊急手術の可能性があり専門医が病院に向かっているのでその医師が到着して説明をしてから帰ります。」との連絡に正しい判断が出来たのは現場職員の力量が上がってきた証しとこれまた『感謝』です。リピーターの皆さんにそんな法人を応援して頂けたら嬉しいのですが。

 

早朝5時55分に施設からメール報告がありました

このような時間でのメールでの報告は何らかのアクシデントが起きたのだと思いつつも、「携帯への直接の連絡ではないので緊急性は少ないな」と思いながらメールを開けると『5時15分に入居者さんのトイレ誘導介助の時、衣服汚染を発見したので衣服を取りに職員が行っている間に自力で立ち上がろうとされて尻餅をつかれたが今のところ外傷も痛みもない。』との報告に私は直ぐにメールで『このようなケースに対して今後はどのように対処するのか』と送信しました。

そして、このケースの中に内在しているものは何かと考えてます。(時間がないとついついスルーしてしまいそうなケースですが今朝は心身共に余裕があるので)先ずは私が疑問に思った事を宿直者の北島部長に投げ掛けました。

『①トイレ誘導時に汚染されている事に気が付かなかったのか。②おむつをされている方の汚染と言うのは正確におむつがしっかり当てられていなかったのか』と。

それに対して直ぐに宿直者の北島部長から返答がメールできました。(私がこのコラムを携帯で打っている最中に)『トイレ誘導時には本人がおむつの中を触られて汚染されている事に気付きながらも便座に座られてから着替えを取りに行ったので見守りが出来ていない時間を作ってしまい事故につながった。』との報告を受けました。

確かに現象的な報告としてはそう言う事だとは思うのですが、もっと内在している問題を掘り起こすと色々出てきます。『①(当たり前の事ですが)どうして誘導が先になったのか。②着替えを取りに行くタイミングでの声掛けはどのようなものだったのか。③おむつに手がいくほどの状態でもおむつが替えてないのはどうしてなのか④予備の着替えを台車で準備する体制は出来ないのか。』今、思い付くだけでも4点出てきたのですが、北島部長とのメールでのやり取りは幹部職員にも同じものが送信され共有されているので近い内に何らかのアクションが起きると思いますが「理事長は現場の大変さも知らずに言いたい放題」と思う幹部は今の本部の体制の中ではいないと思うからのやり取りです。それは、『しっかりとした対応をする事が業務省力化につながる事を理解しているから』と噛んで含んで行って実践して貰っているから。それが、昨日のコラムで紹介した多くの職員が経験豊かで、失敗を糧に頑張ってきてくれた同士だと考えているからです。

私は杉和会の理事長になり18年。決して無理な拡大路線は展開してはこなかったと自負してます。そんな展開の中、職員の力量と地域のニーズに応えながらの展開をしてきました。確かに今までにも職員と向き合っていないと愕然となるような出来事もありましたが『一歩一歩確実に』をこれからも推し進めて行きますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願いします。

法人設立記念PART⑧(まとめとして)

令和2年7月24日

当然の事ながら紆余曲折の23年であった事を7回シリーズで書かせて頂きましたので、私の生き様の一旦はご理解頂けたかと思いますが、端的に言えば半端な生き方では無かったと言う事です。但し、23年の経過の中で成果が上がっていると思える現象について本日は書かせて頂き『法人設立記念』のまとめとさせて頂きます。

昨年度1年間をかけて『杉和会2030ビジョン』が作成され、より効率的に目指す方向性についてまとめ上げました。その中で、7月17日の設立記念日に合わせて、勤務年数5年、10年、20年、30年、40年表彰を行う事になり、表彰状と共に金一封を添えて感謝の意を表す事にしました。そして、7月16日に優・悠・邑 和合の全体会で理事長である私から和合の職員一人ひとりに一言ずつ言葉を添えて表彰状と金一封を手渡しました。

具体的に対象者は10年表彰が3人(本部施設から異動した職員です。)で5年表彰が38人でした。優・悠・邑 和合の施設は事業開始をして7年目にして41人もの表彰が出来たのは介護離職問題が大きな課題の中での数字としては、誇れる数字だと思います。本部施設の表彰授与式は本来記念日に合わせて7月17日に実施したかったのですが、色々な事情から10日遅れの7月27日の全体会で実施する予定です。ちなみに本部施設での対象者は20年表彰が4人、10年表彰が22人、5年表彰が23人です。今年が初めての企画なので、本部施設の10年表彰対象者の中には、来年度に20年表彰の対象者や、5年表彰の中には10年表彰を連続で受賞される職員も沢山います。ちなみに、金一封は5年表彰が1万円、10年表彰が2万円、20年表彰が3万円、30年表彰が5万円、40年表彰が10万円なのですが、表彰状と共に金一封が貰えて皆に祝って貰えるシステムは素晴らしいと自画自賛と共に職員にとっても励みになるものと思っています。

大変な想いと労力と資金を投入して出来た施設が『杉和会は売りに出ている』等と言う話がうわさとは言え私の耳に入って来た、事業開始から1年経過の頃からの頑張りは、お金も土地も無い状況での頑張りの中、「このまま諦めてどうするんだ」と言う思いと、色々な方々の励ましや助言を頂いたお陰で今があると思うと『感謝』以外の言葉が見つかりません。今年度に新規事業として盲養護老人ホーム80床を手掛けれるのは、杉和会に対する信頼があればこそと思っています。リピーターの皆さんこれからも、職員一同切磋琢磨して、地域のお役に立つように頑張りますので、変わらぬご支援を賜りますようによろしくお願いいたします。。

 

法人設立記念PART⑦『胃が痛くなる中で 』

令和2年7月23日

本部施設が初めての正月を迎えた頃から現場ではフロアで仕事をしながら「あなたが辞めるなら私も辞める」のような会話が乱れとんでいて、「施設長は現場の職員を全く理解していない。」との批判が堂々とされていて、職員の中には大学で習った先生が法人の監事をしていて、「働きに見合った給料ではない。」と訴えるものの話を鵜呑みにして理事会でそのような提案をするものすら現れる一方、大学の教授をしている方が当法人の理事をしていて、「杉和会は売りに出ている」のような事を話しされているとの話まで私の耳に入ってくる状況に「借り入れについては私の施設長としての給料を全て入れても足らない位で、非常勤講師の手当てのみで我が家の生活を賄っている状況で頑張っているのに」との忸怩たる思いの中で、ある日の理事会では私がぶちギレてしまい、その後仲介に入って下さった吉田宏岳先生(法人筆頭理事)と冷静に話をして、「施設長を一旦辞し現場に入り施設の再構築をする。」と決めました。決して、職員ばかりが悪いのではなく、私自身も正直舞い上がっていたとの反省に起因しての結論でした。

そして、岐阜県庁職員OBの方を施設長にお迎えして私自身は現場での時間を多く持ち、取り敢えずいきなり介護と言うわけにはいかず、元気な認知症の方の中で便座に便を塗りたぐられた方の便座をきれいにしたり、おむつを便器の中に突っ込まれて配管に詰まったのを取り除いたり、濡れた廊下をモップで拭いたり、送迎の運転手をしたり、相談業務をしたりと私が出来ることをさせて頂きました。そんな中、職員との会話の中に入っていく事ができるようになりました。

そして、最初に職員と一緒に成し遂げたのがある職員からの提案での『おむつの見直し』でした。その時は全職員が3社から提供を受けたおむつを充てて比較をしたり吸収量の検討をしたり、充てていた時の充て心地について意見を出し合いました。実は私はそれまで介護の経験もなくおむつを充てた事も無かったので、正直自分で充ててみて、おむつを充てている方の10分の1位は理解したのかも知れません。体験の中から理解したのはトイレに行けば当たり前のように排泄出来るのに正直『出ない』。排泄したいのに『出ない』。そこで、座った姿勢で服圧をかけると(その頃は決してお腹は出ていませんでしたが)リアルに言うと、ちょろっと出たと思ったら出るわでるわ際限なく。思いっきり出たとホッとした瞬間におむつの中がめっちゃ生温かくて「気持ち悪い」と思いながらも『直ぐに替えて貰えない経験をしなければ』と5分、10分、20分と経過して気が付いたのは『だんだん冷たくなってきた。』と思い30分経過した時には正直、おむつの中は『氷のように冷たくなり、おむつの中は痒くて痒くて』。これは正に体験しなければわからない事。小便は確かに排泄出来ました。しかしながら大便の方は簡単に出ない。と言うより3日は頑張りましたが出ない。「このままでは体に変調を来す。」と言う事で体験出来ませんでした。但し、その時の体験でおむつの中で排泄して頂く事の大変さを理解した事により、『尊厳ある生活』に対して深く考えさせられました。

また、大変な状況の中での出来事をもう一つ書きます。それは、満床になって職員が余裕がないと思っての対応の中で施設見学に来たお客様に職員が挨拶をしなくなった事を指摘した時に職員から返ってきた答えは「忙しいのにできません。」でした。私は唖然としながらも返す言葉を失った事を今も昨日の事のように覚えています。23年経った今、そのような職員はいませんし、『急がば回れ』を知っている職員がたくさんいます。

今は、『大変な状況』の時に対応したり指示するのが私の役割と理解してます。深夜と早朝の対応が正にそうでした。それは、宿直者の五次部長から23時前に『ガス漏れ警報器がなった。』との連絡があり、既に農協(ガス提供業者)への連絡はしたとの事(この辺は指示しなくても出来る体制になってます)状況確認の為と五次部長が朝食提供の事でパニックになっていると思い施設に出向くと既にガス漏れの確認は業者により出来ていて、漏電復旧が出来ないとの事で「今から電気修理を頼む事は出来ないので厨房が出勤してくるタイミング(4時40分)に再び私が出向き最悪非常食の提供の判断をする事にして、一旦家に帰り再び4時30分に施設に行くと厨房職員が来たので漏電していないコンセントから電源を引くと電気炊飯器等も動く事を確認して再び家に帰り7時30分に電気工事会社の社長に連絡して、厨房業務が終了したタイミングで修理に入って頂く事になり今(午後9時45分)も修理をして頂いてます。(作業の見守りは宿直者にして貰っています。)

こんなスタンスで頑張ってきた23年だからこそ稼働率の高い施設運営が出来ているのだと私は考えているのですがリピーターの皆さんはどう思われますか。

法人設立記念PART⑥

令和2年7月22日

16日から始まった内覧会の日は考えてみたら私の誕生日の日で、たくさんの地元の方を中心に来て頂き、異口同音に「おめでとうございます。素晴らしい施設が出来ましたね」的なご挨拶を頂くのですが、少なくても私の誕生日を祝っての挨拶で無いことは当然の事ですが、私の誕生日の日が記念すべき内覧会の初日だった事は私自身には素敵に感じたものです。

いよいよ内覧会も終えて18日から事業開始で、最初の入居者さんは安八町から元気な認知症の女性の方でした。私にとっても、職員にとっても受け入れは初めてで、その当時は介護保険前でいわゆる老人福祉法による『措置』だったので、家族と共に安八町役場の職員の方にも来て頂いてのものでした。(余談ですが、平成12年4月から介護保険法が開始されたのですが、今でも老人福祉法は生きているにも関わらず、その存在すらご存じ無いのではないかと思えるような対応をされる施設があるように聞いていますが、当法人の施設は積極的に『困っている方、難しい方』の受け入れをしています。)受け入れ初日の夕食風景を見て微笑んだ覚えがあります。(今はとんでもない出来事と理解してますが)それは夕食時に夜勤者2名で夕食の対応をしている時に入居者さんは一人なので、入居者さんの両サイドに職員が座って介助しているのです。

そんな状況の中、措置である故になかなか入居者さんの措置依頼がなく、先代の理事長と共に市町村へ措置依頼の挨拶に時間がある限り行きました。ある時は入居が決まったのに家族から2ヶ月入居するのを待ってくれとの連絡を頂いた時には違和感を覚え家族に連絡すると、入居予定の長男さんの奥さまが電話に出られ「主人が手術をする事になり、2ヶ月近く入院することになり、美濃加茂にある病院まで連れに行く事が出来ない。」との事だったので「私が奥さんをお乗せして美濃加茂の病院にお迎えに行けば2ヶ月も待たなくても、極端に言ったら、明日にでも入居して貰えますが。」と話しすると「そんな事が出来るのですか」と言われて、美濃加茂の病院に行ったり、その他にも岐阜市や本巣市や敦賀市までお迎えに行ったりして、少しずつ入居者の数を増やしていきました。

5月末で5人、6月末で15人、8月末で25人で満床になった記念すべき日は10月3日でした。喜んだのも束の間でした。満床になり10日程経った日の16時頃、大学の非常勤講師の仕事を終えて施設に戻ると事務所にいた職員が私に「役場住民課に連絡するように」と言うので慌てて電話するといきなり「若山さんのところのショートステイの定員は何人だ」と言われたので『今更どういう事』と思いながら「20人ですが」と答えると「今のショートステイは何人だ」と言われたので「3人ですが」と答えると「3人しか受けていないのに利用者の四人目を断る利用は何だ」と言われて私は何の事かわからなくて「取り敢えず確認します」と言ってその当時の指導員を呼んで聞くと「現場が忙しくてこれ以上は受けれないと言ってますから何かおきたらいけないので断りました。」と答えたので唖然となりながら怒りが沸いてきました。

「最初にゆったりしていたので忙しいと言う事だけど、国の基準以上に配置しているのに」と思いました。そこから、私と職員のバトルが始まりました。それからは白い封筒(退職届け)が乱れ飛ぶ毎日に私の胃に穴があくのではないかと思う試練が私に待っていました。リピーターの皆さん次回はくら~い杉和会の時代を書く事にします。

 

1 2 3 4