葛藤と不安の中で
令和2年3月21日
情緒障害児短期治療施設の計画を関ヶ原の地で実施する計画は岐阜県において「少なくても10年は計画しない。」と言われ『情熱でクリアする』と意気込んでいた私には、なかなかその現実を受け止める事は出来ませんでした。
悶々とした日々が続く中で「時代が高齢者福祉施設を求めている。」との話を多くの方からお聞きして、吉田宏岳先生(その当時、日本福祉大学中央福祉専門学校校長で福祉の重鎮)に相談すると「大学の専任になるのも選択肢の一つですが、若山さんは自分の世界を作りたいとの志が強い。しかしながら児童は出来ないとの現実の中で高齢者施設を作るのには不安と葛藤がある。でも、種別が違っても福祉の考え方を持って挑めば良いのではありませんか」と言われて、真剣に高齢者施設の設立について考えても、イメージすらつかめない。当たり前です。だって行ったこともないんだから。
そこで、まず私が興した行動は2つです。1つには「生まれ育った関ヶ原町で作るとの思いを実現するには関ヶ原町の高齢者の実態を知る事が大切だ」と考えて、その当時『みらい』と言う出版社を設立された方の協力を得てアンケートを作成すると共にその当時の関ケ原町民生委員児童委員協議会会長の所にアンケート調査の依頼のお願いに行くと快諾して下さり、町内全員の委員の協力が得られました。調査結果は高齢化率、高齢者夫婦世帯の割合が高く、将来的に厳しい状況になる事が理解出来ました。
2つ目の行動は『高齢者施設の見学を積極的に行う』と言う事でした。多くの施設の良い所取りが出来ればと考えたのですが、今の様に組織があるわけで無いので、交通費、旅費、手土産代も全て自費で賄わなければいけないので、講演の依頼があった時についでの様に行ったり、大学の実習指導に行ったついでに行ったりとなるべく経費が掛からないようにしてのものでした。
そんな中でも計画が順風満帆だったわけではありません。大きな建物を建てるにはそれなりの土地が必要です。しかしながら、最初の内は土地探しを正直安易に考えていました。つまり、計画した土地の折衝を自分でやらずに人任せにして、地元説明会をする段階になって地主さんの一人の方の強硬な反対がある事を知りました。私は地主さんの一人でも反対があれば難しいと考え、最初の折衝は見事に挫折しました。
そして、別地の提案があることがわかり、今回は地主さんが7人おみえになると言う事で、今回は私自身が1軒1軒根気よく話をして回りました。その時、私が高校2年生の時から四国遍路をしている事が話題に上がりました。その地主さんが一番多くの土地をお持ちでその方の了解を得てからは、次々と了解を得る事が出来ました。この時の経験から何事も『誠意』を持って接する事が肝要だと知る事が出来ました。
資金が潤沢にあっての計画では無かったので、資金協力のお願い行脚をしてつくづく実感したのは、一生懸命さと人間関係によって資金調達が出来たと言う事です。そして大切なお金の協力を得たので、その時の体験を通じて有効なお金の使い方を身をもって理解したと思います。リピーターの皆さん、コロナウイルスのニュースばかりの中ですのでもうしばらく『若山宏の生き様ストリー』にお付き合い下さい。