新館の思いの中で各ユニットに立派な書を書いて頂いた静慈圓師の事
令和2年3月31日
新館が完成したのが平成16年4月ですから、既に15年以上前の事なのですが、各ユニットの名称の『喜』『笑』『天』『結』に合わせた梵字を書いて頂くように滋賀信行会(本部は長浜市)の内藤会長にお願いに行って貰ったところ、立派に書いて頂いたのですが、内藤会長のこだわりで台紙を京都の紙屋さんに行って購入して貰う時に『赤色』『クリーム色』『オレンジ色』『うぐいす色』を指定したところ、お店の方が「どなたに書いて貰うのですか。」と聞かれたので「高野山の静慈圓先生です。」と答えられたら、「そんな色の紙には絶対に絶対に書いて貰えませんよ」と言われたのに対して内藤会長は「静先生なら書いて頂けますよ」と涼しい顔で答えたとこれまた涼しい顔で私に話をしてくれたのを15年前に聞いたものです。
立派に書いて頂いた年の8月20日に施設に来て頂き、書いて頂いた書が各ユニットに飾ってあるのを見て頂き、本館1階の畳の間(デイサービスの静養室)に設置してある1間半のスペースに収まっているステンドガラスの入った三方開きの仏壇で(リピータの皆さんも一度見に来て下さい。)静先生を導師にして般若心経をあげて頂きました。その後、関ケ原駅前の料亭『末廣』に場所を移し交流を図ったのですが、静先生の話題は豊富で、空海が遣唐使で中国に渡られた時に船が難破して当時の長安の都まで2400キロの足取りを20年かかりで調査された時の調査団長をされて、中国から渡ってきたはずの真言宗のお寺は根絶やしされていて全くなくなっていたので、中国での再興に尽力をされ、中国に『空海ロード』を作られると共に『空海学会』までが出来て、静先生は中国では最高の評価を受けられているとのお話を聞きました。
その時は1回だけのご縁かと思っていたのですが、静先生の方から「若山さんは実に思いのある施設運営をされている事、本当に素晴らしいです。来年も立派に運営されている姿が見られたら嬉しいのですが。」と言われたので「こちらこそ宜しくお願いします」と言う事で毎年8月20日と決めて来て頂いてます。(※一昨年だけは来て頂けませんでした。その理由は静先生が『法印』※としての役割を1年勤められたので、高野山から降りられる事が出来なかったからです。)今は、『前官』※※となられ昨年の8月20日にも来て頂きました。
この15年の間には私も忘れられない出来事がありました。それは、静先生の書が西暦3世紀頃の書家で中国2000年の歴史の中でナンバーワンの書家と評されている『王羲之』の墓誌の隣に静先生の記念碑が建立されると言う事で私も随行させて頂きその時は改めて静先生の凄さを感じさせて頂き、私もビップな歓迎を受けました。※『法印』とは、岩波書店によれば・・・(法印大和尚位の略)最高の僧。※※『前官』とは、岩波書店によれば・・・功労顕著な者に対し、その退官後も在官当時の待遇与えられる。
静先生が1年の内1日のみとは言え優・悠・邑にきて下さる事は凄い事だと理解しているので、毎回、静先生の素晴らしさを理解して頂ける方をご招待させて頂き私のネットワークをより強固なものにしてます。ちなみに、遠い方では北は栃木県からで、南は鹿児島県です。静先生とのご縁はこれからも大切にしていきたいと考えています。