2020年01月の記事一覧

テレワークのシステムも良いのでしょうが

今年7月、8月に東京を中心にオリンピックが開催され、その時期はホテルの予約も難しいようなので、全国老施協の役員会や研修会に対する配慮をしなければいけないようなのですが、その時期には会社への通勤に対しても配慮しなければいけない状況があると言う事で『テレワーク』の対応をしなければいけないし、これが正しく『働き方改革』とテレビで声高らかに言ってます。

確かに『在宅勤務』で仕事が出来れば、通勤時間が削減され、家族や個人的活動に時間を有効に活用出来るし、また、『モバイバルワーク』と言って営業などで頻繁に外出する職種の場合に会社に戻らずの直帰するシステムや 『サテライトオフィス勤務』と言う方法でオフィス内にテレワーク専用の作業スペースを設ける事によって勤務時間を削減したりと、色々な工夫がなされるようになってきています。

勿論私はそのようなシステムを否定するつもりは全くありませんし、会議にしても可能な限りテレビ電話を活用して移動の時間を節約したり、いつでも会議が出来る利便性を有効利用することも大切だと思います。

しかしながら、当法人がしている介護事業は在宅にしろ施設にしろ要介護者のところに行かなければ出来ない仕事です。働き方改革で業務の効率化を求められているのはわかるのですがなかなか出来ないのが現実です。介護報酬で加算を取得するにはとにかく記録を書かなければならないし、継続的なケアをしていく為にも記録は必要です。ましてや、ケアの充実を図るのに『寄り添いケア』が大切なのだから介護の現場では『テレワーク』など程遠い存在と言えます。

関ヶ原には今のところ雪が降っていないのでありがたいのですが、たくさんの雪が降り交通渋滞やゆっくりとしか走れないときでも、早出の7時出勤の職員が遅刻をすれば朝食の対応ができません。ましてや厨房の職員は5時には出勤をして朝食の準備をしてもらわなければいけない。そうでなければ入居者の方々にご迷惑を掛ける事になる。どんな仕事も楽をしてお金が貰えるものは無いとは思いますが365日24時間体制の勤務をこなしている、介護に関わる方々に対して納得の行く評価をして貰えるように、業界全体で一丸となって取り組まなければいけないと思います。

意味じくも本日地元にあるサンビレッジ専門学校の校長先生と太田常務(余談ですが、私の前の支部長さんで約15年ぶりにお会いしましたが全くおかわりない姿に正直驚きました。)が本部施設に来て下さった時に私は「看護学はあるのに未だ介護学は確立されていないから軽く思われるので、私の目が黒い内に完成させて欲しい。」と熱く語ると小林校長先生も「介護学の教科書と言いながら殆どが看護師が中心になって執筆していて、医療的な視点からの内容だ。介護は生活的な視点に基づいて書かれるべきだ。」と小林校長も熱く語られたので、全く嬉しくなり、その後も色々な視点からお話をさせて頂きました。今までにも何度か岐阜県での会議でお会いしてましたが、このような話は正直始めてだったのでめっちゃ嬉しかったです。

介護の仕事について社会的評価を上げていき、誰もが羨む職業にしていくのが私のライフワークの一つであると確信しましたのでリピーターの皆さん今まで以上のご支援を宜しくお願い致します。

本日大寒なのです

令和2年1月20日

『暦便覧』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明している。つまり、1年で一番寒い時期だと言う事。実際は1月26日あたりから2月4日あたりまでが最も寒い。と説明していましたが今日の天気予報では23日は16℃で3月下旬の桜が咲く頃の気温だと言ってます。この現象は地球の温暖化の影響なのかは私にはわかりませんが今の時期に関ヶ原に雪がないのはありがたいような寂しいような複雑な気持ちです。意味じくも、本日岐阜県の北端に位置する神岡に施設がある神東会の理事長さん、施設長さんと事務局長さんが本部施設に来て下さったのですが、関ヶ原よりはるかに雪が降る神岡でも、雪はないと言う事なので、この現象は日本中でありがたい現象も困った現象も起きているのではないかと推察してます。

話は大きく飛んでオーストラリアでは山火事の猛威について連日報道されていましたが、本日は極端な雨が降り浸水した家が多くあったとの事。雨が降った事は朗報なのかも知れませんが、聞けば雨が降ってなくてからからになっていたので地面に染みていかなくて表面を流れた為に洪水になったと報道してました。このことから、自然の恵みについてもバランスが大切だと思いました。

ところで神東会の幹部3人が揃って来ていただいたのは、2年前からEPAによる介護福祉士候補生の獲得について相談にのっていたのですが、今年インドネシアからの受け入れが二人出来た事のお礼の報告と受け入れに対する留意点を聞きにみえたとの事だったので急遽、窪田室長を和合の施設から呼び寄せ話を聞きました。また、同じような時間帯で中日新聞の記者さんが『口腔ケア』の取材で来て頂いたので、二つの話を聞くために行ったり来たりしながらも両方に迷惑がかからないようにしながら、私の持論や今後の見通しについても語る事が出来ました。特に中日新聞の記者の方には口腔ケアのみの話題でなく、介護人材、介護保険、引きこもりの問題など多岐に渡って話が出来ましたし、それぞれの課題に対して資料の提供もする事が出来ました。来るものは拒まずの姿勢でお客様には先ずは抹茶の接待から始め、入居者さんと同じ食事を提供しての対応は私が施設が出来る前に施設見学に行かせて貰った時に快く受け入れて下さった事に対する感謝の意味と、法人同士の繋がりを密にすることと広く広報をして貰い理解者を多くしたいとの思いからです。リピーターの皆さんこのようなスタンスです。ご理解とご支援をますます宜しくお願い致します。

大谷徹奘師の本日の日めくりカレンダーから

令和2年1月19日

『覚悟のない     道は行き止まる』を見て私の頭の中で稲妻が駆け巡ったように、私自身固まりました。

2020011911591201

正直、新規事業が八方塞がりで自分が動くわけに行かず正直毎日の日々胃が痛いです。しかしながら、徹奘師の今日の言葉を見た時に、平成8年度事業で順風満帆でいけいけどんどんだったのが、当時の岐阜県福祉事務所から「大垣市内に2ヶ所建設予定があるので、計画を白紙に戻す。」との一本の電話で、一時は頭が真っ白になりましたが、『絶対に関ヶ原の地に特養を建設する』との覚悟を強く持っていたので協力者も増えて来て、岐阜県にしても私の勢いに気圧された形で翌年の平成9年度事業での計画が復活しました。

この時には大変素敵な経験をしました。と言うのは『計画が頓挫した』と言う事で、何だかんだと私の所から遠ざかった人が殆どでしたが、逆に少数の理解者はギアを上げて支援して頂きました。ギアを上げてくれた方は今も大切な支援者です。但し、最初の計画は私が何もかもがむしゃらに動く事で動いていったのですが、今回の新規事業は自分が動きたくても動けない事情があるだけにストレスばかりが大きくなるばかりです。

しかしながら、本日の徹奘師の『覚悟のない道は行き止まる』の言葉を目にして、自分のおろかさや覚悟の無さを知る事ができました。私は福祉施設を建てるに当たって『金儲けをしよう』とか『有名になれたら』等と言う気持ちは一切持ち合わせていません。地域の為に役立つものを私が出来る限りしていきたい。

これからの日本の状況を考えた時に岐阜県に盲養護老人ホームがない、(未だ無い県は岐阜県、富山県、鳥取県、沖縄県の4県のみ)西濃圏域で揖斐郡と大垣市を除けた市町には西濃清風園があるが50年近く建っていて老朽化が激しくて入居率も低くなっているが『無しで良い施設ではない。』し福祉のセーフティネットとして存続させていかなければいけない。との思いの中で決断したこと。

私の中に『覚悟』が足らないから逆にストレスを貯めているのではないかと思うと徹奘師の言葉によって奮い立つ思いが脈々と沸いてきました。お金も土地もない私の取り柄は奮い立つような熱い思いを勢いに変えてきたのだし。今は私を支援して下さる方は立ち上げ当時よりはるかに多いのだし、覚悟を不動のものにして、新規事業にも取り組んでいきたいと考えています。リピーターの皆さん私の覚悟がぶれないように見ていて貰うと共に今まで以上のご支援宜しくお願い致します。

平成13年11月23日に生まれた我が家の猫『リット』のお話

令和2年1月18日

今朝、私が朝食を取っている時に電気ストーブの前にマットが敷いてある所(特等席)で気持ちよさそうに寝ていた我が家の猫『リット』が2階に行く戸を前足を挙げてカリカリとして、『早く戸を開けろ』とばかりに元気よくカリカリとしている。いつもの事ながら「憎めんけど鬱陶しい」と思いつつ戸を開けに行く私なのです。

2020011807534801

3年位前までは私が帰って来たら、玄関先に悠々と座っていても、慌ててどこかに逃げていくのが常だったのに、ここ3年は私にも図々しい態度(むかつき半分、可愛いさ半分)です。我が家の猫『リット』が如何に長寿であるかについて一般社団法人 日本ペットフード協会の資料に基づいて紹介しますと、2015年の調査では、全体の平均寿命は15.75歳で2014年が14.82歳なのでほぼ1歳近く伸びており、平均寿命は年々長くなっています。

また、家の外に出ない猫の平均寿命は16.4歳とのことですが、我が家の猫『リット』は18.2歳なので平均寿命をはるかに越しているわけです。猫年齢早見表によると猫年齢は生後3年で28歳になり、その後は3か月で1歳ずつ歳を重ねていくとの事なのでもうすぐ89歳になるわけです。そんな我が家の猫『リット』が流れる水しか飲まないので2階の自分の部屋にしかない流れる水を飲む為に階段をヒョコタンヒョコタンと階段を上る姿は痛々しい感じもしますが、私が89歳になった時に「ゆっくりにでも階段を上れるのかなーと思うと我が家の猫『リットは素晴らしい』と思わざるを得ないかな。だとすると少々厚かましいのは許さなあかんのやろな。

2020011807544001 2020011807572101

でも、その人間の心理を見抜く猫の頭の良さには舌を巻かざるを得ないな。私の奥様かをり様は、我が家の猫『リット』を溺愛しているので、鬱陶しいと思う事もあるようですが大概の事は許してしまうので、とことん厚かましい猫になってしまっていますが、私にとっても可愛い存在になっているので「まっ良いか」リピーターの皆さんはこんな我が家の猫『リット』についてどう思われますか。

2020011810064001
  • 昨日のコラムの1行目に「指示待ち」と書くべきところを「支持待ち」と書いてしまいました。これはいくら何でもひどい意味の間違いなので訂正してお詫びいたします。

本部の体制

令和2年1月17日

昨日、本部施設の幹部会があり、痛感したのは、幹部職員の中にも「支持待ち」的な発想の職員がいる事に半ば驚き半ば不安を感じました。自分の考えで突き進んでしまうのも困りますが、自分の考えを持たないのでは幹部職員とは言い難いからです。それとも、理事長としての私に遠慮して、意見が言えないのであれば、私の手法も考えなければいけない事になるので悩んでしまいます。勿論、22年前の施設の状況と比較したらはるかに良くなっていることは理解しているのですが、入居者さん利用者さんの事を思うとよりよくなることを望むのは当然のことです。

但し、素晴らしい計画を立てて実施していたことが、いつの間にか形骸化していて唖然となる事もあり、言い続けることの大切さを改めて噛みしめています。職員の都合で変えられてしまうものについては、どのような経過でその様なシステムになったかを理解させ、『初心忘れずべからず』を全うさせていきたいと思っています。本部施設においては、かなり意見を戦わせた会議が出来るようになってきましたが、「当然理解出来ているだろう」と思っていることが理解出来ていない時には熱くなって語る事もしていかなければいけないし経験が少ない職員にはハード面の充実によって働きやすい環境も作っていかなければとも考えています。

体制上の話としては、本日早朝4時30分に施設携帯から新館床暖のエラー音がなったとの連絡があり、宿直者とのやり取りや業者とのやり取りをしました。携帯が鳴れば直ぐに反応する対応は施設が事業開始してからこの22年欠けることなく行ってきて、「立ち上げ時と比べたらはるかに少なくなったと言うものの深夜及び早朝の対応はしんどくなってきたな」と思うと、体制面についての検討を今からしていかなければいけないと考えています。ところで、早朝に業者への連絡を宿直者に連絡をさせて、電話での対応で応急処置的な事はしてくれたのですが、確認に来るのは週明けになるとの報告を受けたので、業者への連絡を直接私がしました。そして業者の方には、「特養は365日、24時間うごめいているので、入居者さん利用者さんにご迷惑が掛からないようにと緊急時の対応も含めたメンテ契約をしているんだからきちっとした対応をして貰わなくては困る。」と連絡したところ、午前中に来てくれて不具合のあるところを限定してくれしっかりとした対応が出来ることになりました。

業者の方に不具合の説明を聞いていると12時を回ったので、昨日の幹部会で提供したカレーライスが残っていたので急遽温めて貰い喜んで食べて貰いながら色々な話をしました。気は心と言う事ですかね。より関係を深く出来たように思いました。リピーターの皆さん私の生き方はこのようなものなのですがどう思われますか。私的には『柔』と『剛』を駆使した展開と考えているのですが、私の自惚れですかね・・・。

 

 

私が13歳の今日(53年前)が母秋江が天国に召された日です。

令和2年1月16日

本日は朝9時からお昼過ぎまで東京から規定等のアドバイスをして頂く為にコンサルティング会社の方に来て頂いての検討会があり、昼食を頂いてから17時過ぎからの本部施設幹部会までに時間があったので、姉春子さんに姉光子のお墓が新しくなった事を聞いていたので一緒にお参りに行くかと連絡すると「行く」との事なので、急いでお花を買いに行きお墓のある駐車場に行くとすでに姉春子さんが待っていてくれたので一緒に行き新しく整備されたお墓を見て少しばかりショックでした。

と言うのは、50年間は姉の墓だけが別になっていて嫁ぎ先で除け者にされているように思っていたので、「これで嫁ぎ先の一員になった。」と喜んでいたのですが、新しくなった墓誌の中に確かに入ってはいたのですが、嫁ぎ先のご両親とは一線を引いたその他グループの中に入っていたのは私的には正直不満でしたが、私が小さい頃鬼のように怖かった姉春子さんは「一緒の墓誌に入ったんだから良しとしな」と仏さんのような発言。ここはどんだけ年を重ねても年を越せない姉に従うか。

般若心経を唱えてから姉春子さんに「今日は母秋江さんの命日だけど一緒にお墓詣りに行くか」と聞くと「一緒に行っても良いの」と聞くので私は「当然やろ」と答えて妙応寺のお墓に移動して、「53年前のお葬式の日は大雪でお葬式会場になった妙応寺まで家からの雪融けを地元の方々にして貰う事から始まったね。今日は暖かい日でありがたいけどあの日は大変だったね。」と話をしていて、「進さんはねずみ年で生きていれば108歳の年男で秋江さんはちょうど100歳になるんやな。母秋江は私が13歳の時に亡くなり、父進は38歳の時だから今生きていたらとのイメージは出来んな。」と姉春子さんにしみじみ話をしました。

母の命日で珍しくじっくりお参りが出来たので思わずこんな内容になりましたが、私はつくづく思うのですが(全く自己本位の考え方ですが)、もし私が13歳の時に母秋江さんが、17歳の時に母親代わりだった姉光子さんが、そして38歳(児童養護施設を退職したタイミング)の時に父進が他界したことにより今の私があるように思うのは極端な考え方なのか。リピーターの皆さん、私は本当にそう思っているのです。つまり、母秋江、姉光子、父進の思いを私は形にしただけ。いやいや3人共天国で私の為に走り回っていてくれたからこそ今の私があると思っているのです。だって小さい頃どうしようもない甘えん坊の私が厳しい状況でも立ち向かう事が出来るんだから。『感謝』しかありません。やっぱり私にとって1月16日は特別な日なんです。

 

中日新聞の取材依頼がありました

令和2年1月15日

中日新聞名古屋本社の記者から当法人のホームページで『口腔ケア』のコーナーを見ての取材依頼の連絡がありました。勿論喜んでお受けしましたが、当法人のホームページを記者の方が目にして頂いていたことに先ずは驚きでした。

口腔ケアの充実についての取り組みは『口腔ケアの充実が誤嚥性肺炎の防止につながる』との科学的根拠を知り、早くから歯科衛生士の導入をして、徹底をした口腔ケアの取り組みをしてきました。この取り組みは単に口の中を綺麗にするだけでなく、先ずは食事前の嚥下体操から始まり、嚥下体操後にお茶を飲んで頂き喉を潤して貰ってから食事をして頂き、食事後の口腔ケアまでを一貫して実施することにしてます。口腔内が綺麗であれば食事を美味しく食べて頂けるし、美味しく食べて頂ければ飲み込みも良くなるし良いことづくめではないでしょうか。

人間にとって食べる楽しみが一番の幸せだとも考えているからです。かつて地元の方が猪肉の味噌汁を振る舞って下さった時、嚥下に厳しさを覚える方がごぼうや猪肉を飲み込まれたのを目の当たりにして、また、毎年敬老週間の一企画で大垣の老舗寿司店の寿司吉さんの板前さんの握り寿司を美味しく食べられるのも(毎年実施してます)、日頃の口腔ケアの賜物だと思っています。美味しいものを食べて頂いた時の笑顔は職員にとってもたまらないほどの嬉しさとも言えます。

本館の事業開始した頃(平成10年)に入院される時の診断が『誤嚥性肺炎』の文字があると忸怩たる思いがありましたが、今は『誤嚥性肺炎』の診断が皆無となっている事に嬉しさと感謝の気持ちでいます。本部施設の口腔ケアについて歯科衛生士を職員として雇い入れたから全てが順調に行ったわけではありません。言葉数は決して多くは有りませんが地道にこつこつと入居者さんと向き合い、時には月に一回の全体会で的を得た指導をして、「自分一人では口腔ケアをやり遂げる事は出来ない。全職員の協力があって誤嚥性肺炎はなくなる。」と物静かな言い方の中で熱く語り、言い続けてくれた事で今があると思っています。施設の入居者さんの笑顔は作って出来るものではありません。

このような地道な展開があってこそだと思うと『ワンチーム』と言うより、他(多)職種連携により醸し出されるものと確信してます。リピーターの皆さん。優・悠・邑の職員はみんなそれぞれに良いものを生かしながら頑張っていますので万雷の拍手を送ってやってください。

中学2年生の職場体験の依頼を、校長先生が持って来て下さいました

令和元年1月14日

令和2年度の10月6日、7日の2日間に渡って実施される職場体験学習の依頼状を、関ヶ原中学校の校長先生がわざわざ持って来てくださいました。(私自身は就労支援の関係で笠松町に午前中出掛けていて、お会いすることは出来なかったのですが。)

平成18年以降、介護職員の確保が難しくなってきており、最近はますますその傾向が顕著になっている中で、中学生の体験学習の依頼を受ける為の準備をして頂いていることに先ずは感謝です。午前中も、採用する範囲を広めたいとの思いで出掛けて、足掛かりを築き上手くマッチングが出来る根回しをしてきました。また、体験学習については地元の中学校2校の連名で依頼を受けれたのは大変ありがたいし大切にしていきたいと思っています。

岐阜県高齢者福祉策定会議においての介護人材不足の想定は、毎年千人ずつの不足が予測されています。中学生の内から介護に興味を持って頂く為の企画をして頂ける事は大変有りがたいし、今後の展開に明るい光を与えて頂けるようにも思いました。『介護』に対するイメージが『汚い、きつい。給料安い』の悪いイメージの3Kではなくて、やりがいを持って出来る仕事であることを体験学習で理解して貰い、将来の介護の担い手に一人でも二人でもなって頂けたら素晴らしいと思います。ロボットやAIが将来的に発達して職業として成り立たなくなる業種が出てきたとしても、介護の仕事は淘汰されるべき業種ではなくて、ますます担い手を欲する業種だと思います。

私は午前中の就労支援の話の中でも「介護は優しさと一生懸命さがあれば素晴らしい介護者になれる。その一生懸命の一貫の中で資格を取得することは出来るし法人としても資格取得の支援は惜しまない。」とも話をしました。頭で介護をするのではなく、ハートでするもの。当法人では、現役で卒業した中卒の職員もいますし、岐大を8年で卒業出来なかった者、DVの被害から逃れて当法人を頼ってきた者、インドネシア人のEPA介護福祉士候補生、ベトナム人の留学生、高齢者雇用、障害者雇用などなど多種多用な人材が職員になっています。私は杉和会理事長としての採用基準は『優しくて一生懸命な人材』と決めています。色々な事情で勉強が出来なかったと言うのは全く意に介さず採用してます。いくら成績が良くても人の痛みがわからなかったら決して介護を志すべきでないと考えています。

しかしながら、そのような者を最初から排除するのではなく、職員同士の温かみの中で築いてくれれば良しとしてます。だって色々な人がいて集団を構成するのだから。全く受け入れれない者は自ら気が付き淘汰されるものだと考えているから。だって、福祉は性善説で成り立っているのだから。リピーターの皆さんこのような考えの私が理事長をしている施設に一度来て頂ければ嬉しいです。

 

明日からは本格稼働していきます

令和2年 1月13日

12月29日の夜(餅つきで火の番をしていた日)の夜に内臓が出てしまうのではないかと思える位の咳をして、30日に大切な方への陳情を済ませて病院に飛び込んだ次の日(大晦日の日)は38℃以上の熱を出しました。翌日元旦からの三が日も咳と熱に悩まされ、ようやく4日の日に関ヶ原診療所で診て貰い5日間の入院をして、気が付けば本日は13日で、自分の体調と相談しながらの勤務をさせて貰いましたが、連休明けの明日14日からは本格稼働をしていきたいと考えています。

残念ながら1月10日に行われた全国老施協の各委員会の予算査定の会議には出席できなかったのですが、明日からの頑張りで、施設の事も、全国老施協の事も挽回していく覚悟でいます。

明日14日は就職支援の一貫で笠松町まで出掛けますし、15日は岐阜県老施協正副委員長会議が予定されているのでしっかりと成果をあげたいと考えていますし、10日の日に大吟醸の振る舞いの時に「理事長さんに正月会えなかったので寂しかった。」と言われていたので、『明日からフル稼働するのなら、今まで以上に施設内をしっかり歩いて入居者さんや職員にしっかり挨拶をして回ろう。』と考えています。有言実行が私の真骨頂。頑張りますのでリピーターの皆さんが見守って下さったら嬉しいな。

話は代わりますが昨日ニュースで大相撲の取り組みを久しぶりに見て『トホホ』と『凄い』の2つの事で感心しました。

一つ目の『トホホ』については、相撲取りの中で、お風呂の脱衣場にある鏡に映った私の上半身とそっくりだったのです。確かに私は中学生の時にガリガリだったのであんこ型の若秩父に憧れていたけど、50年後の今の現実にはやっぱり『トホホ』です。いやいや悲観ばかりしてないで、『お腹ぽっこりをなしにするぞ。』と豆腐のような決意をしている宏くんです。

『凄い』の話は身長が168㎝の子どものような炎鵬が大人のような相撲取りに戦いを挑んで見事に勝利を勝ち取ったのには、思わす『凄い』です。しかし、柔が剛を制するのは痛快ではありますが、炎鵬の足腰の強靭さは簡単に出来たものではないと思いました。つまり、努力の勝利と言う事でしょうか。

話は変わりますが横綱白鵬が年内で引退するとの報道がありましたが、私の考えの中には『引退』は簡単に口にするものではないと思うのです。引退を口にして相撲をとるのはお客様に失礼ではないかと思うからです。何故なら、真剣勝負なのに、魂をぶつけ合うのに「私は今年中に引退するのです。」は頂けないと思うのですがリピーターの皆さん、私の考え方についてご意見頂けたら嬉しいです。

令和2年度になるまでに整えておきたい体制

本日は本館の事業開始から23年目を迎える前のこの2ヶ月半の間に整えておきたい事について述べてみたいと思います。

当法人の顧問であるびわこ学院大学教授の烏野猛先生は私と二人で話している時には常に「若山会長はどんなに頑張っても一人です。若山会長が5人も杉和会に存在していたら、天下無敵の組織を作れますが、残念ながらそんなことはありえません。だから先生の考えを理解して少しでも頑張れる人材を育てていくしかないのです。」と言われます。

そんなときに私は悔し紛れに「ドラゴンボールの悟空のように分身の術を身に付けれたら」と返すのですがそれは叶わぬ事。事ある毎に職員に(特に幹部職員に)私の思いを語り続けています。

そして、平成26年4月に組織を分けても大丈夫だと考えて優・悠・邑  和合の事業開始をして、烏野先生流の言い方をするならば『アメーバー方式』で組織を倍にすることが出来ました。そして昨年の11月頃から私は『平和ボケ』と言う言葉を口にするようになり、この平和ボケ状態からの脱却をすべきかを考えてきました。そしてその大枠的な考えが出来てきたので、これからの2ヶ月半でその考えが具体的に機能するためにうごめきたいと考えています。

その大枠とは、

1つ目には何をするにもお互いが牽制し合い正しい方向を常に目指していく事。

2つ目には、係長以上の役職者にはそれぞれが一つトップを担う役割を持ってもらう。勿論最終的には理事長・統括施設長である私が責任を取る形を整えていく。

3つ目には新しく入った職員でも間違いなく動ける為のハードの充実を図る。

確かに今までもこの体制に近いものを展開してきたが、いつのまにか形骸化してしまってきたと思います。常に私は『継続は力なり』と言っていながらできえなかったのは『牽制する体制の甘さ』が私も含めてあったからだと思います。確かに本部施設の月一回のバイキングも昨年暮れに行われたクリスマス会や餅つきもなんなく出来るだけの力は出来ていますが『何となく』ではなく『間違いなく出来る』にする為には、一本筋の通った手法の継続なければと考えています。確かに10年以上の経験ある職員が各エリアに確実にいるので、何とはなしにできてしまうことが殆どなのでしょうが新人の失敗をフォローするだけではなく、思いを一つにして今流行りの言い方で言うならば『ワンチーム』で笑顔に満ちた生活になるように年度が代わるまでにしていきたいと考えています。

リピーターの皆さんワンチームで頑張りますのでこれからも宜しくお願いします。

1 2 3 4