2020年01月の記事一覧

2回目のシャワー

昨夜は早くに部屋で休ませて貰ったので、6時には目覚め、6時30分から開始の朝食会場に行き、早々に朝食を済ませ部屋に戻り今回の出張で2回目のシャワーを浴びる事にしました。1回目の時にはシャワールームの狭さに早々とシャワーを済ませて全く満足がいかなかったのですが、1回体験した事でシャワールームの狭さは納得して入ったので違和感を感じる事なく、温まる事を念頭にしたので、温水と冷水を繰り返し浴びました。最初は冷水が冷たかったのですが繰り返している内に体が慣れてきてシャワールームから出ても体がホカホカになりました。自分で言うのも変ですが人間の適応力の高さは素晴らしいと思いました。

昨夜夜中の午前2時過ぎに森岡副委員長から『こんな時間にすみません。明日はホテルを11時に出ますので宜しくお願いします。』と言う内容のメールを頂き、彼の几帳面さと真面目さに改めて感心しました。と言うのは、私も北海道の役員さんに森岡君を通じて二次会へ誘われたのですが、私は既に自分の部屋にいたのでお断りしたのですが、彼は律儀にお付き合いを午前2時までしたのは凄いと思いましたし、遅くなっても翌日の予定をきっちりしてくるのは凄いと思いました。勿論私も直ぐに返信メールで『ありがとう。了解しました。』と返しましたが。

11時にフロント前での合流なので部屋でゆっくり過ごし、片付けは出来ているので、これから(午前10時49分)部屋を出ます。今(午後3時03分)無事に羽田に着き、森岡副委員長のエスコートで京急線の乗車口まで案内して貰い品川まで行く電車に乗り座りながらコラムを打ってます。先ずは、森岡副委員長の細やかな対応に感謝です。そして、千歳空港で森岡副委員長の持つ、JALの素晴らしいカードの威力で検査場も並ぶことなく、しかもゆったりと通過し尚且つ、専用の部屋で飲み物や食べ物が準備してあり昼食を済ませる事が出来ました。(ちなみに無料です。)なお、飛行機の中では隣の席を手配して貰っていたのでしっかり話が出来たし、森岡副委員長の提案力は素晴らしいものがあります。彼の提案を形にする事が委員長である私の使命だと考えています。

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しかしながら、28日のお昼を食べてから東京平河町にある全国老施協本部に行き、委員会の事前打ち合わせをして、皆川副会長と会食を伴う意見交換をして、その日は東京で泊まり(全国町村会館ホテル)29日は10時からの会議に間に合うように行き、昼食を急いで食べて12時30分から総務・組織委員会と広報委員会の合同会議でパンフレット作成の打ち合わせをして、13時30分からの正副委員長会議があり、私は総務・組織委員長としてブロック懇談会の報告もさせて貰い、会議終了後に羽田から札幌に行き2泊して、今は新幹線で一路岐阜羽島を目指しています。不思議なものです。我が家が段々近づいてくるに従い疲れが増してくるようです。岐阜羽島からは車の運転もあるので家に着くまでほっとは出来ませんが取り敢えず4日間の強硬スケジュールは終わりに近づいていて、家に帰ったら、いの一番に我が家の湯船に浸かって体を労りたいと思います。リピーターの皆さんこんな生き方しか出来ない私ですがフレーフレーと応援宜しくお願いいたします。

日本は広い。でも飛行機は早い

東京から札幌までは1133キロでちなみに車で16時間43分かかるとグーグル情報で知りました。確かに距離はあるのですが、昨夜19時40分に羽田を発った飛行機で千歳空港には21時過ぎには着き千歳から札幌に電車で移動して22時過ぎにはホテルに着きました。もっとも、スムーズに移動出来たのは全国老施協の正副会長委員長会議に出席していて、森岡副委員長と仲が良い旭川市の千野幹事が案内してくれたから。

ホテルでは藤居総務・組織委員(滋賀県老施協会長)が早くに着いていて我々を出迎えてくれたので、チェックインを済ませ部屋に荷物を置いて千田幹事の案内で、すすきのにあるお寿司やさんに四人で遅い夕食を頂きました。お腹が空いていたのを差し引いても『北海道を満喫』しました。特にフグの白子を炙ってから握って頂いたのは絶品でした。千野幹事が二次会を誘ってくれたのですが、森岡副委員長も私の名代で埼玉県に行って疲れているので(現象的な出来事として、埼玉から羽田空港に行く為の電車で乗り越しをして空港内の待ち合わせをしていたところへ慌てて来ると言うアクシデントがありました。)千野幹事に丁重にお断りをしました。

結局昨夜は午前零時にホテルに着きそのまま部屋で寝て、本日は午後からの会議なので午前中はゆっくりしてます。ゆっくりついでにお風呂に入ろうとしたらお風呂がない。つまり、シャワールームのみで、しかも、めっちゃ狭い。お風呂に入ると身も心もリラックス出来るのですが身体は温まらないし満足感はなし。しかも、あと一晩泊らなあかん・・・。

午後からの懇談会は厳しい発言も頂きながらも一つひとつ誠意を持って話をしていくなかで今後の方向性は出てきたと思います。懇談会後は引き続き交流会もあり、この席では和気あいあいとした雰囲気の中、会議以上にそれぞれが色々な方とお話をする事が出来ました。今(午後8時40分)は自分の部屋でコラムを打っているのですが、体調の事を考えてビール1杯と麦焼酎のロックを1杯のみ頂きました。今までの私は「お酒を飲む」と言うのは浴びるほど飲んでいたのでこのような飲み方は異様なのですが、体を壊さない程度に美味しく頂く事を念頭においた飲み方をしていきたいと思います。

懇親会の隣の席には昨年9月末まで厚労省の審議官をされていて、10月から全国老施協の専務理事に就任して頂いた北條氏と親しくお話をさせて頂き私が知らない疎開の話をして頂けたり、外国人材について話をして、制度上の矛盾点等について話をすると紳士に聞いて頂き全く偉ぶった感じがなくて、それどころか全国老施協について一生懸命だと言う事がひしひしと伝わってきました。

リピーターの皆さん、全国老施協は平石会長を中心に高齢者福祉の分野で頑張りますので見ていて下さい。勿論私も頑張りますので。

朝7時からの朝食を皆川副会長と共にとる事からスタートです

令和2年1月29日

皆川副会長の日常は午前4時の朝食から始まるそうです。ホテルでは朝食は7時からなので不満なようです。つまり、日常の生活リズムでは朝4時から行動開始で施設への出勤前に情報収集と整理をしているのだと思うと私はまだまだ『甘い』と思うと共に『上には上がいるのだ』と思っています。でも、私も法人設立前には『三時間睡眠で頑張っていた』と思うと同時に『昔の名前で出ています。』と言われないように、より切磋琢磨をしていきたいし素晴らしい方の流儀を少しでも見習いたいと思っています。

(朝食時の会話と様子から)全国町村会館ホテルはバイキングではないのでお互いに和食を頼み食べながら(皆川さんの食べるペースは私よりはるかに早い。✳私も大概早いのですが・・・。)話をするのに一番気になる朝4時からの行動パターンを聞くと、朝食後は出勤準備をして施設には5時30分には着いて仕事をしているとさらっと言われて私は思わず「職員が大変だ」と言うと、またまたさらっと「理事長室の電気が一番早くつく」と言われて私は複雑な気持ちになりました。お互いに本部事務所で10時から別の会議があるので9時30分にフロント前で合流して一緒にホテルを出る事にしたのですが、『5分前行動』の皆川さんの事ですから9時15分には部屋を出る予定をしてます。

今(17時00分)は19時40時発の千歳行きの飛行機に乗るのに早々と羽田空港第一ターミナルの検査場をクリアして(サスペンダー、革靴、ベルトがチェックされ、おまけに鞄の中にペットボトルが入っていて確認されましたが)一人で時間になるまで待つことにします。どうしてこんなに遅い時間の出発なのかと言うと、総務・組織委員会副委員長(徳島県)の森岡君が全国老施協正副会長委員長会議を途中で抜け私の名代で埼玉県に行ってくれていて、同じ飛行機に乗るようにしたからです。(搭乗券は森岡君が手配してくれました。)但し、平河町から羽田空港までは一人でいかなければいけない。私は羽田空港を利用するのは2度目で1回目に空港行きの電車に乗るとき(品川で)不快な思いをしたのを覚えているのですが、浜松町からのモノレールは案内板に従って何とか行く事が出来ました。(けっこうな距離を歩きました。)

先程森岡君からメールがあり18時40分には合流できるとの事なので、安心して本日の正副委員長会議で総務・組織委員長として5ブロックの役員懇談会の報告と今後の展開について15分を頂き話をさせて頂き、私なりの組織に対する思いも語らせて貰いました。私の話は常に実践に基づく話を熱く語る手法ですし、語るべき話の項目のみを事前に考えて聞いて頂く方の納得度に合わせて話をするようにしているのですが、リピーターの皆さん、私は中学を卒業するまで対人恐怖症の赤面症だったんですよ。私がどんな経過で今があるかはいずれじっくりこのコラムで語る事にします。

本日(1月28日)から31日まで出張です

令和2年1月28日

今(13時00分)は名古屋で乗り換えの『のぞみ』を待っているのですが朝から11時30分まで施設で仕事をして、早目の昼食を食べ岐阜羽島まで車を運転して4日間の駐車料金2千4百円を支払い(手渡しなので間違いはありません。)『こだま』で名古屋で降りた次第です。15分近くの待ち時間でコラムを打ってます。(時間を無駄にしない真骨頂と自画自賛です。残りの原稿は東京に着くまでに多分打つ事になります。但し予定は未定であり決定ではありませんが)本日は明日の会議の事前打ち合わせを全国老施協本部がある平河町塩崎ビルで15時30分から行いますが雪の心配もなく十分対応出来そうです。(これも、あくまで予定です。だって1分後に何が起きるかわかりませんから)

本日は全国町村会館で泊まらせて貰い明日は午前中は会員促進の為のパンフレット作成の打ち合わせを総務・組織委員会と広報委員会合同でさせて貰い午後は正副委員長会議に出席して会議の冒頭、平石会長から依頼を受けている、各ブロックの懇談会の途中経過を話すように言われているので、打ち合わせ後は総務・組織委員会担当皆川副会長との夕食を共にしての報告と情報交換をして、早めに宿泊するホテルに帰り話す内容を考えたいと考えてます。

明日は17時までの会議後はそのまま羽田空港に行き19時40分発千歳行きで北海道に飛び札幌での北海道ブロック役員懇談会に備えます。北海道ブロックでは懇談会後に交流会もあるので結局札幌で2泊することになります。だから、またまた、移動距離の多い3泊の出張になるわけです。

どうして総務・組織委員長である私が全国8ブロックの役員と膝詰めの懇談会をするのかと言えば公益社団法人の内閣府による監査によって会費の不正流用が指摘され、色々な問題が噴出し会員離れが顕著でしたので組織が正常化して強固な組織にして高齢者福祉をしっかり守っていかなければいけないとの志しにブレがないと思って頂いての総務・組織委員長の任命だと認識した私は、是は是、非は非の考え方をしっかり述べてきました。

その中から一番大切なのは各ブロックによって抱えている問題は違う事を痛切に感じた事と事務局を上手く使う為には若手の人選をしている『幹事』をしっかり鍛える事だと考えて活動してきました。勿論私の考えが全て正しいとは思っていませんので、私の手法も是は是、非は非で傾聴も大切だとの考え方でこれからも頑張っていきたいと考えています。リピーターの皆さん全国老施協の動きにもご理解を頂けたら嬉しいです。

具体的施策を示していかなければ

『8050問題』が一時クローズアップされましたが、マスコミもあまり取り上げないのか、私が情報を得られていないのかはともかくとして、気が付いた者が何らかのアクションを興さなければいけないと考えてはいるのですが、私が38歳の時に児童養護施設の指導員を辞し在宅で児童問題について個別対応をしたいと無鉄砲な展開を志し、見事に挫折して、今は高齢者福祉の展開をしているのですが、あの当時挫折した理由は志が高くても霞を食べて生きていく事は出来ない現実がありました。

つまり、私が35歳の時に資生堂福祉財団が資金援助をして下さりアメリカ視察研修に参加させて貰った時の児童に対する支援体制の充実が30年前の日本ではなかったと言う事です。(最も今の状況もそれほど変わっていませんが)

前置きが長くなりましたが、『8050問題』について述べます。8050問題とは80歳の親が50歳の子供を支える事で、内閣府統計で40歳以上のひきこもりが61万人と推計される中、ひきこもり当事者とその家族の為の支援団体が資金調達を始めたとの事です。その団体名は一般社団法人『OSDよりそいネットワーク』と言うそうです。『O』親が『S』死んだら『D』どうしようと言う、ひきこもりの親の声を受け、平成27年に発足したとの事です。何故ひきこもりの問題が社会問題化しないかと言うと『一部の家庭の問題』と言う捉え方が一般的な考え方だろうと思います。

私が25年前に特別養護老人ホームを造ろうと考えた時が正にそうでした。『認知症』(当時は痴呆症と言っていました)についても「私の家には関係ない」と考えていた時代でしたが、認知症の方が700万人に急増した今切実な問題です。但し、ひきこもっていた方が50歳になられて親が抱えるのは無理ですので社会問題化してくるのは自明の理だと私は考えています。私はそんな方を一人でも二人でも社会に適応出来るようになるようなお手伝いがしたいのです。勿論、簡単な事ではないし、困難が待っている事も理解してます。しかしながら、社会福祉法人の責務として、やらなければいけないことだとも考えているからです。

話題を少し変えて少子化問題の観点から8050問題がそんなに簡単な問題でないことを述べます。(元々こちらの方が得意分野です。)1990年の『1.57ショック』と言うのがあります。これは前年の1989年の合計特殊出生率が1.57と「ひのえうま」と言う特殊要因により過去最低であった1966年の合計特殊出生率1.58を下回った事が判明した時の衝撃を指しているのですが、衝撃が走ってからもその数値は改善されずに今は少子高齢化の波の中で人口現象が大きな問題になっています。私は全ての問題の根底は『自分さえ良ければ』との考えに取り付かれている方が多いからだからだと考えています。勿論そんな考えの方ばかりでないことも承知してますが多くの方がそうなのではないでしょうか。

国は『互助の精神を』と言っていますが『笛吹けど踊らず』のような傾向が強いのが現実ではないでしょうか。

『豊かな日本の構築』と引き換えにしたとは言いたくありませんが、『所得倍増論』から見えてきたものがあるのか。とにかく今の現実を直視して10年先20年先を見通した展開をしていく同志を多く募れたらと考えているのでリピーターの皆さんもエールを送って下されば嬉しいです。

中国の武漢から発症した新型ウイルス(コロナウイルス)について

令和2年1月26日

インターネット上の情報ですが26日午前0時現在(日本時間同1時)の報告では発症が確認されたのは1975人死者56人で重症者324人で過去24時間で発症者は688人で死者は15人増えて近日中に3000人を超えるとの情報もあり、武漢への出入りを完全に規制しているとの情報があります。中国では春節(日本で言う正月)を迎え長期休暇を利用しての大移動の時期を迎えているので、色々な面に混乱や被害が出ている事が予想できます。日本において冬は乾燥期になるので、特に『手洗』『うがい』の徹底を促していても、実際に喉が痛くなってからとか咳が出てから慌てて手洗、うがいをしたりしても『時、既に遅い』と言う事もよくあるパターンです。今回の武漢から発症したと言われているコロナウイルスでの肺炎は新型と言う事もあり、なかなか見つけにくかったとのことでしたが、マスクの着用などのいわゆるエチケットの面で対応が不十分であった事は否定できないのではないでしょうか。ただし、病院での従事者が防護服を着ての映像を見ると「もっと早くからの対応」が出来なかったのかなと思う面もあります。『備えあって憂いなし』の考え方を徹底するのは難しいと思います。だって、結果を見てからの批判はどこからでも出来ますから。

疲れましたがコラム頑張ります

今(20時43分)家に帰りお風呂に浸かりながら本日二つ目のコラムを書きます。と言うのは、午後は家族会主催の誕生会があり、引き続き法人理事会があり、その後誕生会の片付けと明日の認知症カフェの準備をして、コラム一作目の『コロナウィルス』の文章を完成させ気が付くと16時30分を回っていたので、慌てて片付けをして和合で17時30分から行われる研修会及び全体会の前に法人顧問の烏野教授と打ち合わせをする約束をしていたので愛車に乗り込み和合に行くと既に烏野先生が喫茶でコーヒーを飲みながら待っていて下さったので慌てて喫茶に行き(私はお子様なのでココアを飲みながら)打ち合わせをしていると研修が始まると言う事で研修会場に行き一時間の研修を受講してその後の全体会では理事長の講話の中で本部施設職員が看取りを行った時のレポートの概略版を資料として配り話をしました。看取りについてはこのコラムでも最近取り上げましたが、「入居者さんからの最後の教えを大切にする事がこそ介護力を上げる」と熱弁(と言っても10分程度)を振るいました。ここ3日程は色々と考える事があり一旦目が覚めると眠れないのですが、本日は忙しく程好い疲れを感じているので眠れそうです。

✳一作目が500字程度で最近の私のコラムとしては不満足と言う事でお風呂に浸かって頑張りました。リピーターの皆さんこの頑張りに拍手を・・・。

物を大切にしない風潮にもの申す

自己本位の考え方を押し通そうとする風潮が日本でまかり通る時代になってきたのか、『謙虚』とか『奥ゆかしい』と言う言葉が殆ど死語のような状況になり、『キレる』と言う言葉がまかり通ってしまったり、『目立つ事が格好いい』と言う風潮がある中、今朝のニュースでイチゴ狩に来た客の常識外れな行動がテレビで報道されていました。
一つ目に報道されていたのは、イチゴを獲って最も美味しいところをほんの少しだけ食べて残りをごみ箱に捨てていて、大きなビニール袋に殆ど食べられていないものが入っている映像が映っていたのには何とも言えないやるせなさを覚えると共に食料がなくて飢えに苦しんでいる国の人に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
また、もう一つの映像は採ったイチゴを投げ合って遊んでいたと言うものでした。一生懸命に丹精込めて作られた方の身になった時に言葉を失います。「食べ物を粗末にしない」「勿体ない」と言う考え方は何処に行ってしまったのか。日本が目指している方向は何処に向いているのかと嘆いていても何ともならないので、気が付いた者が気が付いた事を一つひとつ提案して実践していくしかないし、言い続けていくしかないと思うと空しくもありますが言い続けて行きます。

話題は少し変わりますが、今年の暖冬の影響で大根の成長が早くて収穫をしても規格外の大きさになって多くの大根を破棄しているとの報道を見た時に、私がウォーキングをしている時にキャベツを販売目的で作られている方が折角立派に出来たキャベツを蹴飛ばしてみえたので、話しかけると「育ちすぎて規格外だから売る事ができない。と言われて悔しくて思わず蹴飛ばしてたんや。」と言われて、私自身複雑な思いがしました。そして私の父親が生前、畑を趣味程度にしていたのを手伝っていた時に、大きな大根や白菜が採れた時に嬉しかった事を覚えていますが「大きいことは良いことだ」ではなくて『規格外』と言われては悲し過ぎます。大きく育って規格外になっても美味しく頂けるものを流通させて安価に手に入り美味しく食べて頂けるシステムが構築出来たら良いのだけれどと思っているのは私だけでしょうか。
私は昭和28年生まれなので文字通り『高度経済成長期時代の申し子』で、『消費は美徳だ』等と言われた時代に生きてきた人間ですが、私の施設運営の考え方は「無駄はしないで、楽しくわくわく感のある企画に大胆にお金を使うです。」そう言えば、4月8日(花祭りの日)には『マグロの解体ショーとマグロをいっぱい食べる』企画が計画されています。限られた予算の中でも提案出来る事に感謝しています。
リピーターの皆さん私の思いについて論評を頂けたら幸いです。

ターミナルケアについて私見を含め述べます

『ターミナルケア』と言うより『看取りケア』と言った方が分かりやすいのかも知れません。と考えている内に『ターミナルケア』と言う言葉は軽々しく使うものではないなと、今コラムを打ちながら思っています。と言うのは『ターミナル』を日本語に訳すと『終着』を意味するので(多分)、『終着』の迎え方には『緩和ケア』のように痛みを和らげる為に麻薬を使ったり、牧師さんやお坊さんに話を聞いて貰ったり、『ホスピス』のように癌を受け入れて死を全うするものもあります。また、自分の願いを形に表した生活をしたりと多種多様な形があると思います。当施設でも『看取り』は家族や入居者本人の了解を得て積極的に行っています。私は入居者さんの看取りは『眠るようなやすらかな死』を理想としてます。しかも、死の直前まで自分の口から食事を摂取して貰う大往生です。私は入居者さんが亡くなってのお通夜に出席させて貰った時にお寺さんのお経が終わって棺桶からお顔を職員と共に見させて貰った時にやすらかなお顔を見させて貰った時に『お疲れさまでした。これからも優・悠・邑を見守っていて下さい。』とお話が出来る瞬間が最もやりがいを感じます。『死ぬまで生きる』のであれば最後まで楽しくその人らしく生活して貰える為にそれぞれの入居者さんの気持ちに寄り添い形にしていく事を精一杯していきたいと思います。入居の条件が『要介護3』以上になり、自分の楽しみを形にしていく事が難しくなっている今であったとしても、その人らしくを追求していきたいと思います。

本日地元の今須中学校の『響発表会』に参加しました。

響発表会とは学年それぞれに1年間の調べ学習の成果を発表する企画で1年生が『高齢社会に生きる』のテーマで昨年6月に優・悠・邑施設長として施設の入居者の様子等を二時間程度話させて貰い7月には施設での体験学習をして頂き8月の夏祭りにも全員参加して貰った事等のご縁を頂いたので、1年生の発表の後の講評の役割を頂いていたので参加しました。例年同じテーマでの発表ですが、発表に対する内容は同じではなく、マンネリ感を全く感じさせないものでした。1年生の発表の後、2年生は『地域社会を考える』3年生は『国際社会を考える』と言うテーマでの発表も聞かせて頂き、これからの社会の中心者になるべき人材ばかりで少数精鋭の集団だといつもながらな感心し、関ヶ原町長や教育長もおみえになってみえましたが、過去を知り今を見つめ将来を展望する提案には正直タジタジだったのではなかったのかと思いました。こんな少数精鋭の集団である今須小中学校が後1年2ヶ月で関ヶ原に統合されるのは残念ですがこれも時代の流れと受け止めなければいけないのでしょうか。ただ、このような素晴らしい発表会は統合されてからも、何らかの形で残して貰いたいと切に思っています。リピーターの皆さん本日は2題について述べましたがそれぞれにご意見があればお聞かせ下さい。

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看護が上で介護は下

令和2年1月23日

確かに特別養護老人ホームの中で医療行為は看護職員しか出来ません。だから、業務の中で看護師に委ねなければいけない業務は間違いなくあります。しかしながら、だからといって『看護が上で介護は下』と言う考え方はおかしいのではないかと言うお話をします。

介護職員の中で、『いつもとは違う何かを感じてその方に添え寝をしていて異変に気付いた。』とか『いつもよりも落ち着きがないのでゆっくりとした対応をする事により落ち着かれた。』と言う状況はいっぱいあります。『特別養護老人ホームは生活の場』なのでその人らしい生活を過ごして貰う事に於いては介護職員の方が勝っていると思える場面が度々あります。

つまり、『看護』と『介護』の役割が違うだけでどちらが上と言う事はないのではないかと言う事です。但し、『看護職員』は国家資格をクリアしなければ看護職員にはなれませんが『介護職員』は資格が無くてもなれるのです。私は日頃から「介護職員は誰もがなれる。但し、優しさと一生懸命さがあれば。」と言っていますが、一生懸命に頑張っていればキャリアアップをする為の努力は必然だと思っています。

先般本部施設に来て頂いたサンビレッジ専門学校の小林校長先生も「介護学と言う教科書はあるが医療の観点からのものばかりで素晴らしい介護職員は沢山存在しているのに理論武装をした『介護学』と言えるものが出来ていない。」とのお話に私は思わず大きく頷くと共に「是非私が目の黒い内に完成させて下さい。」と言った次第です。『介護福祉士』の国家資格が出来た時に介護現場から多くの先駆者達が大学で教鞭をとるようになると共に医療サイドからも介護の養成校で教鞭をとられるようになりました。

特別養護老人ホームの建設が計画された当初はいわゆる『病院モデル』から出発した事は事実です。しかしながら長い年月を経て『生活の場』の追求をして、病院モデルからの脱却をした施設は多く見られるのに、『医療優先』的な考えを持っている施設が存在しているのも事実です。特別養護老人ホームでの『認知症ケア』であったり『寄り添いケア』の実践は介護職がイニシアティブを持って実践している事でその事実を声高らかに訴えていき、介護職の社会的評価を上げていく活動をしていかなければいけないとも考えています。リピーターの本日は私の思いで『介護』について語りましたが色々なご意見を頂けると嬉しいです。」

 

 

 

徳島に来ています

令和2年1月22日

全国老人福祉施設協議会の総務・組織委員会委員長として四国ブロック役員懇談会の為、徳島市まで私の車を職員に運転して貰い来ています。朝8時20分に施設を出発して、淡路島のパーキングで休憩を取りましたが12時前に会場であるホテルに着き職員と共に昼食を頂いて、徳島県会長の大塚先生にご挨拶をしたりしていると、続々と本部役員の方がみえたので、ご挨拶をして会場に入っていき四国ブロックの役員さんと名刺交換をしていると定刻の13時になり田中幹事の進行で懇談会が始まりました。

先ずは四国ブロックの小川会長、全国老施協の平石会長の挨拶の後、役員の紹介があり、懇談会の意見交換は愛媛県の菅原会長が意見の口火を切って下さり前半は愛媛県と高知県の役員さんが一人ひとり活発な意見を言って下さり、それぞれの意見に対する方向性や考え方を平石会長、木村副会長、峯田副会長や北條専務が答えて下さり和やかな中にも建設的な議論が出来、15分の休憩後、徳島県の大塚会長から順次、徳島県、香川県の役員さんに話をして貰い、前半と同じように平石会長を中心にして答えて頂き、予定の時間いっぱいの15時50分になりまとめの話を総務・組織委員長の役割としてさせて頂きました。

この懇談会は関東ブロックを皮切りに東海・北陸ブロック、近畿ブロック、東北ブロックと実施され今回が5ブロック目で、来週は北海道ブロックが予定されており、2月に九州ブロック、3月に中国ブロックで予定されており、私は総務・組織委員長として全ブロックの懇談会に参加させて頂くのですが、5ブロックを終了した今思う事は、それぞれのブロックで事情の違いはありますが、共通した意見としては①加入しているメリットがあまりない。②会費が高い。③情報が伝わってこない。④介護報酬の行方が心配だと言うものでした。この4点については、総務・組織委員会が責任を持って執行理事会に上申すると共に関係ある委員会に伝えると共に、具現化していけるようにしていかなければと思うと共に組織強化をして、非会員事業所に確実なメリットが見えるようにしたうえで、各ブロックに再びお邪魔してその説明をしっかりしていかなければと考えています。大

変重要な役割をお受けした以上、期待に答えれるように頑張っていきたいとも思っています。まとめの話の中で手前味噌な話もさせて頂きました。それは当法人のホームページのアクセス数が多いのは情報をしっかり発信していて、理事長コラムも一昨年の8月22日から毎日千文字前後書くようになって目覚ましくリピーターが増えた事も話しました。懇談会が終わりご挨拶をしていく中で、「帰ったら検索します」と言って頂く方を嬉しく思っていたら「私は毎日楽しく読ませて貰っているよ。委員長のコラムは決して格好を付けた文章でないから楽しい。」と言って下さる方がみえて私はめっちゃ嬉しかったです。

このように連続して1年5ヶ月続いているのは、いつも見て下さっているリピーターの方のお陰だと思っています。これからも飾らずありのままのコラムを書いていきますので宜しくお願い致します。

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