長男誠の35歳の誕生日を明日に控えて思う事
令和元年12月2日
私の長男誠が35歳になると言う事は35年前に生まれたと言う事で私が31歳の時に生まれたと言う事です。その頃の私は瑞穂市(当時は穂積町)にある児童養護施設誠心寮の児童指導員として5年が経過していて、26歳から自分の思いで入所児童と夜遅くまで格闘して高校全入を実現していて乗りに乗っている時期で、私の奥様かをりさんが出産前で不安な日々を送っていた時期にも施設での仕事を第一に考えていました(今の状況も変わりませんが)。
つまり、35年前の今日は日曜日であって次の日が中学校の期末テストの最終日と言う事で、朝から順番に個別指導をしていて23時に施設を出て家に着き玄関を入ると、私の奥様かをりさんが不安そうに私を待っていて、いきなり私の奥様かをりさんが「はすいした」と言うので私は全く意味が分からず「はすいって何。歯がすっぱいの」等と今になっては笑い話のような会話をしていて、何をどうして良いのかも分からずに私の奥様かをりさんの周りをぐるぐる回っていて、離れの家にいた養母に知恵を借りに行きました。養母の英子さんは子どもを産んだ経験はありませんがここは年の功で「こう言う時は取り敢えずかかりつけの産婦人科に連絡しなさい。」と言われ、日頃偉そうな事を言っている私も形無しだった覚えがあります。
私が「こんな時間に(午前零時過ぎ)電話して大丈夫なの」と言うと英子さんが「赤ちゃんは都合よくは生まれないのだから何時に電話しても対応するのが産婦人科なの」と言われて、「なるほど」と思いかかりつけの産婦人科に連絡すると「直ぐに来てください。夜間通用口を開けておきますから」と言う事で私の車で産婦人科に行くと、私の奥様かをりさんはそのまま分娩室へ連れて行かれ、私と養母の英子さんは病室に案内されました。しばらくは病室の椅子に腰かけて待機していたのですが、朝から23時まで子どもと格闘していて、なかなか産声も聞こえてこないし、本来かをりさんが寝るためのベットが開いているので英子さんに「絶対に寝ないけど少し横になるね」と言って横になった瞬間に爆睡していました。
次に私が気が付いたのは助産婦さんが白い産着に包まれた長男を抱いてドアを開けられてから「おめでとうございます。元気なお坊ちゃまです。」の声で目が覚めて私は瞬間的に思ったのは、「元気な子が生まれて良かった。でも、一生に一度のこの世に生まれてきたときの雄たけび(産声)を聞きそびれてしまった。」と言う事でした。このような調子で私は今はやりの『イクメン』とは全く無縁で全て奥様任せで、今も子育てをしていた頃の話になると奥様は豹変しますので、誕生日のお祝いは(正確には明日ですが)せめてスポンサーになって罪滅ぼしをする事にします。
ところで私の長男誠ジュニアの『翔(かける』も同じ12月3日が奇しくも誕生日(満4歳になります)です。まだ4歳ですから3代でお酒を飲むのはまだまだ早すぎですが、3代で楽しく酒を酌み交わせるまで元気に頑張りたいと思います。リピーターの皆さん。こんな私ですがこれからも宜しくお願い致します。